Baskerville FAN-TAIL the 27th. |
「ナカミンダ家の執事さん……ですか」
ある日の早朝。家にやって来たパリッとしたスーツ姿の男性を見て、コーランはぽかんとしたままそう答えた。
ナカミンダといえば、魔界の著名な実業家だという事くらいは、長くそこを離れているコーランでも聞き知っていた。
そんな家の執事が何故わざわざ縁もゆかりもないこんな一般庶民の家を訪ねてくる必要があるのだろう。
家とはいっても、ここはコーランの家ではない。自分は保護者代行とはいえここの居候。厳密な家族ではないのだ。
おまけにこの家の本当の持ち主であるグライダ・バンビールとセリファ・バンビールの双子の姉妹は外出中。
グライダの方は泊まりの仕事で町の外。今日の昼この街に帰って来る。それから外で妹セリファと待ち合わせをしている筈である。
待ち合わせは昼過ぎなのだが、待ち切れないセリファは早々に出かけてしまっており、今いるのはコーラン一人だけなのだ。
「左様でございます。実はお話ししなければならない事がございまして」
折り目正しく頭を下げる執事。しかしコーランは何故か逆に慌ててしまい、
「し、しかしこの家の人間はあいにく今いません。今日中には帰ってくると思うんですけど……」
「その件なのでございます」
執事は心の底から申し訳なさそうに唇を噛みしめると、
「実は……このままでは、グライダ様をいつお帰しできるか分からなくなるやもしれないのでございます」
その聞き捨てならない物言いに、コーランの表情が一瞬凍りついた。
世界で最も不可思議な港町として名高いこのシャーケン。
ここにも、朝はきちんとやってくる。
同時に、面倒な騒動までやってくる。
平穏な日は、一日としてなかった。
この広い町のどこかで、必ず誰かがはた迷惑な騒動を引き起こし、巻き込まれるのだ。
だからこそ、ここへ来れば――どんな職種であれ――仕事にあぶれることはない、とまで云われている。
その頃セリファは、グライダがよく行っている酒場の前にいた。ここが待ち合わせ場所なのだが、まだ開店前である。
酒場といっても日中は大衆食堂であり、セリファも何度も来た事がある。
彼女は入口の階段にちょこんと腰かけ、足元の蟻の行列を興味深そうに眺めていた。
まるで小さな子供のする事だが、彼女は事情があって年は二十歳でも外見はまだ十歳ほど。違和感は皆無だ。
そして、そんなのどかなセリファの様子を遠巻きに見て、和んだ笑顔を浮かべている男達が何人かいた。職業や年齢はバラバラである。
いずれもこの町の「セリファちゃんファンクラブ」の面々だ。
「何してんだろうなぁ、セリファちゃん」
「蟻の行列を見てるんだよ。バカだな」
「何かあれって不思議と飽きないんだよなぁ」
男達がひそひそと話し合っている様は、正直言って不気味以外の何者でもない。だが、
『ホントかわいいよなぁ……』
嬉しそうに目尻の下がり切った笑顔で溜め息をつく一同。だがその目尻が一気に吊り上がる事態が目の前で起きた。
セリファの目の前に見知らぬ魔族の大男が立ちはだかった途端、セリファがいきなり泣き始めたからだ。それも大声でわんわんと。
何が起きたのか分からず一瞬うろたえる大男だが、その間にセリファを見守っていた男達がずらりと取り囲む。
「おうおうおう。てめぇなにセリファちゃんを泣かしてやがんだゴラァ!」
口々にそう言って突っかかっていく男達。
しかし大男の方こそいったいどういう事なのか聞き出したかった。
目の前に立った途端子供は泣き出すし、いきなり血相を変えた男達に取り囲まれて因縁をつけられるし。
魔族という事もあり、決して人界ウケする色男ではない御面相だという事は自覚している。だが、会って数秒で泣き出される程ではあるまい、と。
取り囲んでいた男達の中でも、細身の優男がセリファの頭を撫でてなだめている。
「どうしたんだいセリファちゃん? このおじさんが何かしたのかい?」
大男は「まだそんな年じゃない」と言おうとしたが、鋭く睨みつける男達の雰囲気に飲まれ言葉を呑み込んだ。
なだめられて少しは落ち着いたセリファは、無言で大男の足元を指差した。
そこには、たった今まで自分が眺めていた蟻の行列が。大男の足はその行列を踏みつけてしまっていたのだ。
それに気づいた大男は、オーバー気味に足を持ち上げるようにしてその場から離れると、
「そうか。こりゃ済まない事をしたな」
低く枯れた声でそう言うと、自分が踏み潰してしまった蟻達をそっと指で摘み、階段の脇の死角になる部分を少し掘り返した土の上にそっと置き、土を被せた。
それから自分がくわえていた串をそこに突き刺す。蟻の墓の完成である。
「ありがとおじちゃん」
途端に笑顔になったセリファが、しゃがんだままの大男の頭を撫でている。
男も「言ってる事とやってる事が違うな」と思いはしたが、泣き止んでくれた事には心底安堵していた。
酒場の中ではセリファを取り囲んで宴会が始まっていた。
休日とはいえ昼間からだらだらしている大人達である。飲む口実は何でもいい。
二十歳を過ぎているとはいえ、酒が飲めないセリファはミックスフルーツジュース。あとの面々はほとんどビールである。
酒に弱い者がそろそろ出来上がりつつある頃になって、先程の大男が口を開いた。
「そうか。この子の姉があの魔剣使いか」
セリファの姉グライダが炎の魔剣・レーヴァテインと光の聖剣エクスカリバーという二振りの魔法剣を持っている事は、この町の事情通なら誰でも知っている。
優れた剣ほど使い手を選ぶという通説のためか、彼女の剣を奪い取ろうと企む者は数少ない。他人の剣を奪い取ろうとする者が、優れた名剣に選ばれる筈もないからだ。
「おねーサマ、カッコイイんだよ」
まるで自分の事のように、胸を張って自慢げに話すセリファ。その態度が偉そうではなくどこか微笑ましく写るのは、彼女の美徳か外見が十歳前後にしか見えないからか。
「今日おねーサマとここでまち合わせなんだよ」
セリファのその言葉に、大男は不思議そうに口を引き結ぶと、
「それならば、もう来ていてもおかしくはないがな」
それを聞いた誰かが、大男にからむ。
「おい。それってどういう事だよ?」
セリファの話から、姉グライダが泊まりの仕事で町から出ており、今日の昼に到着してセリファと会う手筈なのはここにいる皆が知っている。
「昨夜彼女と一緒の仕事だったんだが、終わってから彼女は誰かに呼ばれていた。それで俺達より一足先に町に帰って来ている筈だ」
周りで無責任に騒いでいた男達が、一斉に静まり返って大男の話を聞いている。
「オイ、それ嘘じゃねぇだろうな?」
「俺はこれでも正直な人間で通っている」
来ていてもおかしくないのに、彼女の姿が未だにない。何かあったのだろうかと誰しもが思った時だった。
セリファは厳しい表情で自分のポケットから紙のケースを取り出した。それは占いに使うトラッドカードと呼ばれる物だ。
彼女はカードを扇形に広げ、その中から「((盗賊|シーフ))」のカードを取り出すと、テーブルの上に乗せ、その上に自分の手をそっと重ねる。
「神秘のトラッドの力、我が前に見せよ!」
急に大人びた口調で短く呪文を唱えると、セリファの傍らに見た事もない人影が姿を現わした。
その人物はカードに描かれている盗賊そのものなのだが、それはセリファ以外には分からない。
「おねーサマをさがして」
元に戻ったセリファのその声に、盗賊風の男は風のように姿を消してしまった。
「な、何なんだ、これは?」
魔族の大男が呆然とその光景を見ていたが、今度はファンクラブの面々が胸を張って自慢げに、
「セリファちゃんはなぁ。この町でも指折りの魔法使いなんだよ」
「そうそう。魔界の有名な魔法大学から声がかかってたくらいのな」
その話に魔族の大男は素直に感心する。先天的な素養的に人界の住人は魔法を扱うのに向いていないケースが多い。そのため魔界の大学からわざわざ声がかかるというのはよほどの事なのである。
それから一分も経たぬうちに再び姿を現わす盗賊風の男。その報告を受けているかのようにしばし目を閉じていたセリファは目を開けると、
「ありがと、おじちゃん」
その声と同時に男の姿が再びかき消える。
彼女は乱暴にカードをケースに戻すと、いきなり椅子から飛び降りるように床に着地し、そのまま弾丸のようなスピードで酒場を飛び出したのだ。
彼女は入口で人を突き飛ばしそうになったが、それすら目に入っていないらしく全速力で道路を駆けていく。
「……何だありゃ」
「ボク達が目に入っていない感じでしたけど……」
セリファのよく知る武闘家のバーナム・ガラモンドと神父のオニックス・クーパーブラックの二人だ。
酒場に入って来たクーパーは、事の成り行きを手近の男から聞き出す。
帰って来ている筈のグライダがまだ帰って来ていない。それを聞いた途端カード魔術を使い、終わったと思ったらさっきのように飛び出していった。
そこまで聞いたところでクーパーは、
「まさか、グライダさんに何かあったと思って捜しに行ったのでしょうか?」
「かもな。シスコンもいいところだしな、あのガキ」
バーナムもクーパーの考えに同意する。セリファの性格から考えると、それしか考えられないからだ。
だがクーパーの顔が少しばかり青ざめている。それを尋ねられると、
「セリファちゃんの身体には、ほぼ無尽蔵と言ってもいいくらいの魔力があります。もし彼女がグライダさんを心配し過ぎるあまり精神的に極端に不安定になってしまったら、その魔力が暴走してとんでもない事になりかねません」
たかが魔力の暴走だと舐めてかかってはいけない。魔法や魔力の暴走で山や町が丸々消し飛んだ話など、この世界では過去にいくらでもあるからだ。
想像力豊かな男達がその光景を想像してみるまでもなく、最低最悪の光景である事は間違いない。
「じゃあセリファちゃんを止めないと!」
「でも今どこにいるんだよぉ!?」
慌てておろおろした声が酒場に轟く。
このシャーケンの町には、セリファのファンクラブのメンバーがたくさんいる。そのファンクラブの情報網を以てしても、今すぐ分かるという訳ではない。
だがそれでも彼等は知る限りのツテを頼ってセリファの状況を伝え、情報提供を募っていた。
「とにかくボク達は彼女を追います。情報の方は……」
そこでクーパーは迷ってしまった。あいにく無線機や携帯電話のたぐいは、彼は持っていないからだ。機械オンチのバーナムも同様である。
「セリファはいる!?」
そこで店に飛び込んで来たのはコーランだった。彼女の後ろには見知らぬスーツ姿の男が一人。
「どうしたんですか、コーランさん」
「セリファちゃんなら、さっきものすごい勢いで飛び出して行っちゃいましたけど……」
その場の誰かの答えに、コーランは天を仰いで悪態をついた。
コーラン・バーナム・クーパーそしてスーツの男――ナカミンダ家の執事の四人は、タクシーを拾って走り出した。
向かっているのはこの町の郊外に建つナカミンダ家の屋敷。
屋敷といってもそれほど大きな物ではない。仕事でこの町を訪れた時に寝泊まりする家、というだけの事である。
それでも一般家屋に比べれば充分「お屋敷」なのであるが。
「実は昨日、グライダ様を一目見たブンムド坊ちゃんが強引に屋敷に連れて来てしまいまして……」
タクシーの中で、事の詳細を皆に語る執事。
「誘拐、そして軟禁という訳ですか」
非常に穏やかではない会話である。それからクーパーは、
「しかし、それなら保護者の立場であるコーランさんではなく、直接警察や((治安維持隊|ちあんいじたい))の方へ行くべきだったのでは?」
治安維持隊とは、魔界や魔族に関係した事件を専門に扱う警察官のようなものだ。人界の警察よりも身軽な分行動が早い。
「ど〜せ世間体とか何だかだろ? 騒ぎになったら家名に傷がつく、とか何とか」
話に興味なさそうにバーナムが口を挟む。
「お恥ずかしい話です。はい」
執事は力なくうなだれてしまっていた。そこへコーランの携帯電話が鳴った。
彼女は二言三言話すとすぐ電話を切り、
「シャドウから連絡。あの子、その屋敷に向かってるっぽいわ」
ロボットであるシャドウに頼み、セリファの膨大な魔力から位置を割り出してもらったのだ。それによるとシャーケンの町郊外にあるその屋敷の辺りに向かっているそうだ。
ただし、文字の通り「一直線に」。
「……空でも飛んでいるんでしょうか?」
そう言ったクーパーは、その考えが間違っている事にすぐ気がつく事になった。
なぜなら。ある町の一区画が破壊されていたからであり、おまけに壊れ方が屋敷のある方向に一直線に向かっていたのだ。何かで建物を壊しながら向かっているのは明白である。
その場の一同は脱力した様子でがっくりとうなだれていた。
「ご機嫌はいかがですかな?」
規模は小さいがとても豪華な部屋にグライダ・バンビールはいた。
カーテンや絨毯、家具などの調度品はいずれも高級品。自分が寝ていたベッドも天蓋のついたクイーンサイズ。無論マットはふかふかである。
「お考え直して戴けましたか?」
「却下」
グライダはひらひらのネグリジェ姿のまま、露骨に不機嫌な顔で、目の前の小男を睨みつけていた。
魔族なので具体的な年齢は不明だが、人間の年齢に直せば自分よりも一回りくらい上だろうか。皮膚と髪が土色なのを除けば人間と大差ない。
必要以上に礼儀正しい態度口調ではあるのだが、何故かそこがやけに気味悪い。
「別に無理難題をふっかけている訳ではないと、思っているんですがね。むしろ給金を出してもいいと思っている」
「分かりたくもないしやりたくもないわよ」
彼はグライダが不機嫌なのにも構わず、部屋のインターホンでメイドを呼び、彼女の食事を運んでくるよう命じる。
同時に調度品が微かにガタガタと揺れ出した。それを見たグライダは顔を青くして、
「そんなチンタラやってる暇なんてないわよ。早くしないと……」
ズドゴガンッ!!
外からものすごい轟音と衝撃が響いた。あまりの衝撃にグライダも小男もその場で転んでしまう。
「遅かったか……」
頭を抱えて「どうしよう」と呟くグライダだった。
「それ」を見上げる者総てが、恐怖で表情を凍りつかせていた。
「それ」とは筋骨隆々の褐色の肌の大男だ。身長はだいたい二十メートルくらいか。
頭にはねじれた二本の角を持ち、背中には巨大なコウモリの羽がついている。大きく裂けた口をニヤリとさせ、眼下の人間を見下ろしている。
そう。大男は、物語に登場する悪魔そのものの姿であった。
悪魔の背後には、町や建物を一直線に破壊して来た跡が延々と続いている。にも関わらず悪魔の表情には一片の疲れも見えない。むしろ「もっと暴れさせろ」と言いたげだ。
そんな悪魔を見たグライダが、小男の胸倉を掴み上げ激しく揺さぶる。
「こうなったらあの子が気絶するまで止めらんないわよ! 全部あんたのせいだからね!」
言われた小男がガクガクされながら窓から見える巨大な悪魔に腰を抜かしそうになる。
「何だ、ありゃ」
「あたしが定時に帰って来ない上に連絡してないから、ブチ切れたのよ、あの子!!」
グライダが泣きそうになっているところに、ドカドカと入ってくる人影が。
「ブンムド坊ちゃん。勝手ながら、グライダ様のお仲間をお連れしました」
小男に対して丁寧に頭を下げる執事の後ろには、セリファを除くグライダの仲間が全員揃っていた。
コーランは無言のままの小男――ブンムドに歩み寄ると、
「あの子にこれ以上破壊活動をさせるわけにはいかないわ。早くグライダを解放しなさい」
「か、解放? それに『あの子』とは?」
「あの悪魔はセリファのカード魔術で作られたもの。実体化させた悪魔とセリファが融合してるのよ」
意味ありげに言葉を切るコーラン。
「このままだと、この辺り一帯が瓦礫の山になるわよ。いや、その程度で済めばいいんだけど……」
「『((魔神|デモン))』のトラッドカードに描かれて居る悪魔は、((曾|かつ))て世界を滅ぼす寸前迄破壊した最悪の魔神・エボーダだ」
地震のようにグラグラと小さく揺れる中、シャドウが説明する。
「今の嬢ちゃんに説得は通じまい。殺さぬ様力で捩じ伏せるしか方法が無い。屋敷の警備兵程度では何の役にも立たん。退避させろ」
シャドウの説明に、さすがのブンムドも顔が青ざめる。魔族だけに魔神・エボーダの伝説はよく知っているからだ。
「何故そんな物騒な悪魔がここにいるんだ!」
「だから、セリファがブチ切れて魔法で出したからだって」
ブンムドの疑問にグライダがボソッとツッコミを入れる。
「ったく、はた迷惑なガキだぜ」
「それは言いっこなしです。あなたも似たようなものですし」
毒づくバーナムにもクーパーが冷静にツッコミを入れる。
「だが諸君。安心したまえ」
ブンムドがふっと前髪をかき上げ、得意そうに説明する。
「この屋敷を何だと思っている? 魔族きっての実業家・ナカミンダ家が技術の粋を集めて作らせた屋敷だぞ。あんな図体だけの骨董悪魔など……」
ヲヲヲヲヲオオヲヲオオオヲヲヲヲッ!
身体の内側が引っ掻かれるような不気味な声が辺りに響いた。エボーダが何やら叫んだのである。
何と。ただ「叫んだだけ」でエボーダの目の前の建物一つが一瞬で消し飛んだのだ。それこそ安普請の家より軽々と。
幸い彼等がいるのとは別の建物なので、こちらに被害はない。
しかし、得意の絶頂だったブンムドの表情が青ざめるには充分以上だった。
「オイ。声だけでアレだぞ」
わざわざエボーダを指差し、念を押すようにブンムドに呟くバーナム。
グライダは不機嫌さを露にして頭を掻いていたが、
「みんな。とにかく時間を稼いで。あたしが何とかするから」
「そりゃいいけど、お前は何するんだよ?」
当然のようなバーナムの問いに、グライダは顔を真っ赤にして、
「着替えるに決まってんでしょ? こんなカッコで外に出ろっての!?」
言われてみれば、まだ彼女は寝ていた時に着ていたひらひらのネグリジェのままだった。
バーナム達が追い立てられるように外に出た頃、エボーダは自分が崩したばかりの瓦礫をポイポイとどかしていた。まるで何かを捜しているように。
「実力差は歴然……なんてレベルの話ではありませんね」
捜すのに夢中になっているエボーダを見つめたままクーパーが呟く。
それはそうである。彼等が一丸となってもできそうにない破壊力を「叫んだだけ」で行ってしまったのだから。
「姿はエボーダだが中身はお嬢ちゃんだ」
そう言うシャドウはロボットなので分からないが、おそらく苦虫を噛み潰したような表情をしているだろう。
「俺達が全力でいっても、ダメージを与えられりゃ御の字かなぁ」
バーナムが指の関節を鳴らしながら言う。
「迂闊な事したら、今度はグライダが黙っちゃいないわよ」
完全に他人事のようにバーナムに注意するコーラン。言われたバーナムも、
「相手の動きを止めるってのは、相手を殺すよりよっぽど難しいってのによぉ」
準備運動のように首や肩をこきこきとさせ、大きく息を吸い込んだ。
「何をやっているんだ。早く攻撃しろ! 給料分は働け!」
ビビって腰が引けている警備兵達を無責任に叱咤しているブンムドの声が聞こえた。
その声に形ばかりの攻撃をする者もいたが、当然傷一つつけられない。むしろエボーダが振り下ろした腕に潰され、吹き飛ばされる。
正直に言って、相手にすらなっていない。
「屋敷の警備兵程度では何の役にも立たんと言った筈なのだがな」
潰されて死んだ警備兵に対して軽く黙祷するような仕草をしたシャドウは、バックパックの中から分解したビームライフルを取り出して組み立てる。
「兎に角此れ以上の破壊活動だけは止めねばならん。仕掛けるぞ」
シャドウはビームライフルを構えると、すかさず発砲した。ビームは見事エボーダの羽に命中する。
バーナムは右足に精神を集中させて周囲の「気」をありったけ集める。そのまま空高く飛び上がるとドリルのように高速回転しながら「気」を纏った右足をエボーダの背中に叩き込む。
クーパーは日本刀を鞘に収めたまま眼前に構え、高らかに叫んだ。
「((織田勘亭流|おだかんていりゅう))((弥天太刀|びてんのたち))。汝の力、我が前に示せ!」
すると刀はそれに答えるかのごとく淡い輝きを放つ。
「……オン・アミリティ・ウン・ハッタ!」
クーパーが((真言|タントラ))を唱えると同時に刀を抜き放つ。すると刀の先からものすごい水流が溢れ、それが巨大な蛇となってエボーダに襲いかかる。
コーランも複雑に指を絡めた印を結び、静かに呪文を唱えていた。呪文が進むに連れてエボーダの周囲だけに旋風が吹き荒れていく。風で一時的にでも閉じ込めるつもりのようだ。
だがそこで再び先程の叫び声が。
ヲヲヲヲヲオオヲヲオオオヲヲヲヲッ!
その一声で吹き荒れる風が一瞬でかき消えた。無理と分かっていても、こうもあっさりと消されるのは屈辱である。
他の三人の攻撃――シャドウのビームライフル。バーナムの((四霊獣|しれいじゅう))龍の拳・((龍刺|りゅうし))。クーパーの((軍荼利水蛇撃|ぐんだりすいじゃげき))――も、少しも効いている様子がない。
しかしこれらの攻撃は相手を倒すためではなく、注意をこちらに引きつけて時間を稼ぐためのものである。
案の定、瓦礫の山から彼等に注意が向いたらしく、ゆっくりと歩み寄ってくる。
その歩みを見たバーナムは、
「時間稼ぎにもならねーってか……」
自分にしてはかなり攻撃力のある技を使ったにも関わらず相手は無傷。それどころか気にも止めていないようだ。
「さすがにオリジナルでないとはいえ伝説の魔神。一筋縄ではいきませんか」
言葉の割にリラックスしているようなクーパーの言葉。だが刀を収めた鞘を握る手はあまりに強かった。
エボーダがどすん、どすんと足音を立てる度に地面が揺れる。
二十メートル対二メートル弱というだけでも厳しい条件なのに、こちらの攻撃は一切効かない。だが、あちらの叫び声だけでこちらはおそらく虫の息。
頼みの綱はまだ来ないグライダのみだ。策があるのかは分からないが、あの魔神はともかく、それと融合しているセリファを何とかできるのは彼女しかいない。
「お待たせ!」
彼等の後ろからそのグライダが駆けてくる。仕事帰りだったので、胸当て・篭手・すね当てといった軽装の鎧姿だ。
そんな彼女を見たブンムドは、
「それにしても。一応剣士の筈なのに、武器がないみたいだけど……」
連れて来た時も思った疑問を口にする。しかしグライダはセリファ=エボーダの方を見たまま、
「シャドウ! あたしをあいつの頭くらいまで投げ飛ばせる?」
「雑作も無いが。策でも有るのか?」
そう言いながらも、彼女の後ろに立っていつでもいいように待機するシャドウ。
「こんな事やらかした子にする事と言ったらこれしかないでしょ」
「早くしなさい」と急かすグライダの腰を片手で掴んだシャドウは、エボーダの頭めがけて彼女を放り投げた。
グライダの身体は綺麗な放物線を描いてエボーダの頭めがけて飛んでいく。その風圧に負けじと前を見据えたグライダは、自分の左手に神経を集中させる。すると掌に白い光の塊が現れ、それはやがて一振りの剣に姿を変えた。
これぞグライダが所有する魔法剣の一つ。光の聖剣・エクスカリバーである。
しかしいつものエクスカリバーに比べて、刃の部分がやたらと大きく広い。確かに彼女の意思に合わせて形状の変化はいくらでもできるのだが、こんな形状は初めてだった。
エボーダはそんな彼女を見つけると、
ヲヲヲヲヲオオヲヲオオオヲヲヲヲッ!
三たび声高く吠える。だが建物を瞬時に破壊したその「声」が、何故かグライダにダメージを与える事はなかった。
エボーダの顔が近づいたのを見計らい、グライダは幅広の刃のエクスカリバーを思い切り振りかざす。
「セリファ――――――――――――――ッ!!」
力一杯怒りの叫びを上げると同時に、叫び以上に力一杯エクスカリバーを振り回した。
その刃がエボーダの頬に食い込む。いや違う。グライダが当てたのは刃ではなく幅の広い平らな部分だ。威力としては正直微々たるものでしかない。
ところが。これまでの攻撃でびくともしなかった筈のエボーダが、その微々たるたった一撃でグラリとよろめいたのだ。
確かに魔神の力と相反する聖剣の力のせいでもあるだろうが、このスケール差ならば、焚き火を消すのに雨だれ一滴垂らすようなものなのに。
そんな一撃を与えて落ちてくるグライダの身体を、シャドウとバーナムの二人がかりでしっかりと受け止めた。
一方エボーダの方は一撃を喰らってから呆然とその場に棒立ち。だが、
ヲヲヲヲヲオオヲヲオオオヲヲヲヲッ!
またさっき以上に吠えるが、今度はどこも何も壊す事がなかった。
そして、同時にエボーダの姿がみるみるうちに小さくなり、元のセリファの姿に戻ったのである。
シャドウとバーナムに支えられてどうにか立ち上がったグライダは、エクスカリバーを消しながら一直線にセリファに駆け寄った。
そして容赦のない拳がセリファの脳天に振り下ろされる。
その光景を、酒場から追いかけて来たらしいセリファのファンクラブ一同が目撃。いかに姉がやったとはいえセリファが殴られる様子を見て穏やかでいられなかったらしく彼女達に駆け寄ろうとする。
しかしグライダは手を視線でそれを制すると、セリファに向き直った。
「……何で殴ったのか。分かるわよね?」
ペタンと座り込むセリファが口をヘの字に曲げて、怒っているグライダの顔を見上げている。
セリファはべそをかきながらうつむくと、
「……ごめんなさい」
「相手が違うでしょ?」
セリファの謝罪を怒り顔のまま否定するグライダ。言われたセリファはのろのろと立ち上がり、呆然としたままのブンムドの方に歩み寄ると、
「ごめんなさい、おじちゃん」
泣きそうになりながらペコリと頭を下げるセリファ。そしてその顔を上げた時、ブンムドの表情が凍りついた。
彼は口を半開きにしたまま、謝ったセリファを見つめていた。
「……ああ、いい。気にするな」
心ここにあらずといった感じで返答するブンムド。そんな二人のやりとりを見たコーランは、
「グライダ。あんた何でこんな所に連れて来られたのよ」
彼女の当然の問いにグライダの顔が渋いものになる。さすがに保護者代行にまでは隠せないと思ったらしく、
「何か、ナントカさんのコスチュームを是非着てくれとか何とか」
「ナントカじゃ分からないっての」
当たり前である。ナントカで分かれという方が無茶である。
「何か分からないけどさ。すっごいひらひらが一杯ついた、恥っずかしいくらい少女趣味のドレスなんだもん」
魔界では、自分が好きな物語の登場人物と同じ格好をする、もしくはさせるという文化が存在する。珍しくはないが広く行われている訳ではない、と言う方が正確であるが。
その「ナントカさん」とグライダが似ていたのだろう。それでブンムドは彼女に「これを着てほしい」と言って(殆ど強制的に)連れて来たのだ。
いくら魔族人口の多いシャーケンの町とはいえ、そんな文化を知らない人界の住人にそれを頼むとは。気味悪がられたり嫌がられたりで断わられるのは目に見えている。
その挙げ句に町や屋敷が壊されるハメになったのだ。グライダとブンムド、どちらに同情したらいいのやら。
「何だこれは!?」
そこへいきなり轟く胴間声。見るとスーツ姿の中年の魔族が一人立っていた。ブンムドと同じ土色の肌と髪なので、きっと同族だろう。もしかしたら家族かもしれない。
その魔族は周囲をぐるりと見回すと、
「ブンムド! 貴様また悪いクセが出たな!?」
その中年はズカズカとブンムドに歩み寄り、容赦のない拳を振り下ろす。
「だってパパ。スタイミーさんそっくりの人がいたんだよぉ」
ブンムドは急に幼い子供のようになって中年男――父親に泣きついた。
しかし父親はブンムドを再び殴ると、
「どうせ無理矢理連れて来てやらせようとしたんだろ! おまけに人界で。時と場所を考えろ!」
そんな二人のやりとりを、コーランは呆れた冷めた視線で見つめていた。
魔界では、成人すると親の庇護下から離れて一人立ちする方が一般的だからだ。そうして親に苦労や迷惑をかけないのが最大の親孝行とされている。
ブンムドは自分よりも少し下だろうが立派に成人男性。このやりとりから考えて、かなりの甘えん坊のようである。
ところが。やや取り残される形となったセリファを父親が見た時である。
父親の方も先程のブンムドと全く同じように心ここにあらずといった感じでセリファを見つめていたのだ。やがて恐る恐る、
「君。名前は何と言うんだね?」
「セリファはセリファだよ?」
不思議そうに首をかしげる彼女に対し、父親の方がその場に土下座すると、
「頼む! エルフィン・カナの格好をしてもらえないか!?」
ブンムドの方も隣で土下座している。
成り行きを見守っていたファンクラブの誰かが、納得した顔の魔族の大男に尋ねると、
「魔界で昔からやっている教育番組のマスコットキャラクターの女の子だ。こんな感じの」
大男は懐からカードらしき紙を取り出した。ファンクラブの面々がそれを覗き込む。
そこには人間年齢十歳くらいの赤髪の女の子が描かれていた。白地に青いラインを基調とした可愛らしいミニスカートの制服姿である。
番組タイトルらしい「魔法の魔法使いエルフィン・カナ」というロゴも入っていた。
その女の子の雰囲気は、確かにセリファに似ていなくもなかった。何となくというレベルではあるが。
一方父親の方も同じ紙をセリファに見せて懇願していた。その懇願にやがてファンクラブ一同が加わる。
「やってくれれば屋敷や町の修繕は全部ウチがやろう。君は何の心配もしなくていい」
いくらやってほしいとはいえ何という条件。いくら魔界でも有名な実業家といっても、それはあまりに無謀なのでは。
「いーよー」
何も考えていないようなセリファの即答に、その場が一気に盛り上がった。
ブンムドと父親はセリファを屋敷に案内し、ファンクラブの面々はカメラを取りに家に走って行く。
そのどちらにも属さないグライダ達が、その場で唖然としていた。
あまりの成り行きに声も出ない。何をしていいのかの判断もできない。もう唖然とする事しかできないのだ。
そんな中、シャドウがポツリと言った。
「グライダが素直に服を着て居れば、何の被害も出なかったのでは?」
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「剣と魔法と科学と神秘」が混在する世界。そんな世界にいる通常の人間には対処しきれない様々な存在──猛獣・魔獣・妖魔などと闘う為に作られた秘密部隊「Baskerville FAN-TAIL」。そんな秘密部隊に所属する6人の闘いと日常とドタバタを描いたお気楽ノリの物語。 | ||
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