四章十節:マミ☆マギカ WoO 〜Witch of Outsider〜 |
地上を舞っていた壁となって立ち塞がる砂煙に細い指が触れる。
カーテンを開けるように漂う塵を((掻|か))いて裂く。((柳眉|りゅうび))の過ぎ去った後ろには幾つも、"少女の人型"を阻ませない程にそうして広げられた土煙が点在している。
今――世界は一人の少女を中心に回っていた。長髪を揺らし荒廃した街を行く少女。力有る限り持ち得る少女の許し無くしてあらゆるものが何も成すことは出来ない。
なのに幾度となくこの『魔法』に頼ろうとも少女は失ってばかりだった。少女の意思だけでなくその存在そのものが許可の証であり――本当に世界の中心になる為に必要なたった一瞬が、ただの刹那だけで大きな牙を向く余裕を、それによって与えてしまってもいたからだ。
がもしも勝手に動き出さなければ少女は無事では済まないだろう。歩けたとして肺に残った空気だけでも内臓を押し潰すからだ。理由が付く事実はいつも想像の翼を折り肩を重くしていた。
この状況の始まりは己。伝えられた相手は眼を輝かせていた。いつかの自分がそうであったように。これもまた描く夢物語の姿なのだから。もう、同じ思いを抱くには苦渋は長過ぎた。
今も少女は失い続けている。損なわせてくる相手は形がある時もあった。今となっては形が無いものさえ敵にしなくてはいけなくなっている。こうして操ることが出来るものであっても思い通りにさせてはくれないこともあった。だとしても、歩みは止まらない。
最後の砂煙の幕を払い除けた先は、ほんの少しだけ明るく思えた。破壊され殺風景にさせられていても、こうして少女が歩いてくるだけの存在がじっと立っていたからだ。世界の中心にいるはずの子女が、自らより遥かに世界の中心だと思えてならない一人の小柄な『友』――
「……」
触れるだけで後戻りは出来ない。約束からしばし――遠くに望む光景が頃合いなのは間違いないが、葛藤が続いていないと言えば嘘だった。
長髪の少女――暁美ほむらは意を決し立ち尽くすもう一人の指先を掴む。それまで一切の挙動が見られなかった鹿目まどかが、何事も無かった様子から突然の手の感触に僅かに驚き、そしてほむらを確かめるや朗らかな笑顔で返した。
「準備出来たよ」
まどかから聞かされた提案。行き着く所はほむらの予想通りである。
信じた『鹿目まどか』がそこにいてしまった。ずっと、気の遠くなるような暁美ほむらだけの時間の中で出会い続けた姿と何も変わらない。
何故これまでどこかよそよそしかったのか――どうして((慕|した))っていた"先輩"がいつもとは別人に思えたのか――ほむらが今回転校してくる前の始まりとなることを、曖昧だろうと繋がる説明もされ、そうもするだろうと自然と全て受け入れる心もあった。
だとしても。だからこそ暁美ほむらは今日まで魅かれ、苦渋だろうと己以外の何もかも捧げるしかないとこれからも思い続けるのかもしれない。自身の胸中さえ明瞭な結論が出せずとも、きっとその不確かさはこれまで通りいつだってどこであろうと支えてくれるはず。
暁美ほむらは更なる決意を込めて"盾"から"長物"を引き抜いた。
――アンチ・マテリアル・ライフル。この場で最も適した媒介となってくれるはずだ。
取り出した武器に瞬時に魔法で感覚を繋ぎ同調させる。延長されていく五感。手にした銃から伝わる感覚は、ただ目で見るより遥かに明瞭に周囲数キロメートルの情景を脳裏に描いていく。
未だに続く『ワルプルギスの夜』と『機械蜘蛛』との戦い。互いに満身創痍といった態ではあるが、ほむらが頃合いを待つ間にもどちらの形勢が不利かは殊更はっきりとし出している。
増殖する大群の内から百は優に超す『子蜘蛛』達にほぼ常に取りつかれ防御手段を限定されようと『ワルプルギスの夜』は繰り返す質量攻撃による迎撃にも成功していた。完全体になる為の力を何度削がれても、幾ら傷付こうと最終的に避難所等を襲う余力があれば良いのもある。
片や度々捕食している最早僅かな数となった敵の手下から活力を得たのか力自体は増している様子の『機械の蜘蛛』ではあったが、差は一向に埋まらず、今や元々八本あった節足は二本を残すのみ。急造された三本の義足も破損の度合いは深い。
見た目通りの堅硬さを発揮していた本体も、度重なる反撃と自傷にも似た突撃に損壊は激しかった。なおあの蜘蛛型が動けるのは、足りぬ回復を己の余命を燃焼させ補っているからか。前借りを続けていれば遠くない内に共倒れさえ狙えず自ら終わりを迎えるだろう。
キュゥべえは言った。"アレ"に意志は無いと。ならばこそ退くことはしない。身を削った末に存在理由が果たせないと既に判断していたとしても食い下がり続ける。あたかも心があるかのように勝ち目を探るのを止めない非効率を消えるまで体現しようとも。
幾度目かの大爆発によってまたしても吹き飛ばされた双方の巨体が地に落ちる。質量に高々と上がる粉塵――介入する価値のある最後の機会であろう、まさにその一枚絵となって切り取られた"瞬間"だけが、暁美ほむらと鹿目まどかの前に広がる景色に他ならなかった。
「ごめん」
二人だけの世界でまどかがぽつりと呟く。
「ほむらちゃんには、嫌なことをさせちゃうね。本当に、ごめんね……」
胸に何か秘め。眼差しの強さに反して暗く泣き出しそうな声音にほむらは首を横に振った。
「いいよ」
なるべくほむらは明るく答えた。相手を思えばやりたくないことに間違いは無い。だが鹿目まどかを鹿目まどかとして最期まで有り続けさせたいのもほむらの戦う理由だ。嘆きや苛立ちはあっても、"いつだろうと"、それはまどかの選択に対してでは決して無かった。
まどかが差し出した銃身にそっと指を触れる。亀裂の入ったソウルジェムの存在から逃げるように、ほむらはライフルに視線をやった。
「まどか。よく聞いて。この銃はすでに魔法で包まれているの。経路はすでに用意されてる。私の魔法で導くから、それを辿るようにあなたの魔力を注ぎ込んで、そして生まれ変わらせて」
「う、うん……やってみる」
「この銃はあなたの腕よ。集中して、あなたの神経を水に溶かすように」
既にライフルと一体化していたほむらの"魂"が魔法の補助を借りてまどかの力を迎え入れる。
ただただ感じられるだけの透明な手を――握り――握り返され――現実味のない、それでいて遥かにしっかりとした触れ合い。一人のあやふやな想像が繋がるもう一人により形を成す。続けざまの膨大な魔力の濁流に((曝|さら))されながら二つの少女の意識が銃全体を駆け巡る。
勝手知ったる自ら刻み込んだ経路を次々明け渡しながらもほむらの意識は力による翻弄の渦中から常に抜け出せなかった。直接心を害されるも同じ。今日のこの戦いの始まりからあるソウルジェムさえあればという余裕さえ削ぎに来る。だが、慣れない作業の果てに行く先に命令を与え切った。
ライフルの全体が幾枚もの花びらに包まれ、肥大化していき、弾けるや、生まれ変わったその黄金に輝く姿を外界に((露|あらわ))にする。
矛さえ放てそうな総長となったかつての銃身の先端部が、翼が開かれるかのように大きく展開していく。まどかの魔力が反映されてか持ち得る意味にしてはどこか優しげな雰囲気を((纏|まと))うソレは、"弓"であり"銃"でもあり、既存の兵器ならば"バリスタ"に近似していた。
対物質弩砲――アンチ・マテリアル・クロスボウ。
"これならッ!!"
今のまどかの魔法が現実世界に強い影響を及ぼす為には、存在を具現化する能力が不足している。物質に直接干渉したとして一人ならば思い通りに発揮させ切ることが出来ないのだ。
だがしかし導く者がいれば違う。残った魔力を余さず集約させ撃ち出す装置が完成した。一人のソウルジェムの限界を超えさせる現状成せる最大威力の直撃が通れば、敵にとっては毒となる((魔法|希望))が弱体化した『ワルプルギスの夜』をすぐさま崩壊させるはず。
簡易的な一体化を果たしている二人が移動した先は狙撃すべき相手を『機械蜘蛛』を中間に挟んで一〇〇〇メートルの位置。
人の手に収まる((銃把|じゅうは))だけが名残となった武器を敵に向け構え直す。大きさにしては何ら補助の無い少女達の細腕でいとも容易く持ち上がった。
放たれる矢はこれまでよりも遥かに実体となった奇跡の具現になるであろう。それは間接的に干渉されるのもより簡単となったことでもある。
『子蜘蛛』共の発生させる数多の結界により自らの結界に逃げ込めなくされている『ワルプルギスの夜』ではあるが吹き荒ぶ強風と殻となる((塵芥|ちりあくた))に阻まれてしまえば矢の威力が落ちてしまうやもしれぬ。
掠るだけでも致命傷。仮に間を置かないで避難所を襲い完全な姿となったとしても回復は追い付かず手遅れだ。かといって"毒"が回り切るまで猶予が出るのに違いは無い。
((俄|にわか))作りの殆ど合体魔法と呼べそうな行為がどれだけ相手に左右されないか。そもそも空中分解せずに飛翔に耐え切れる"意味"を魔法に付与することすらやっとだろうと仕上げを((担|にな))うだけでも才能から覚悟している者にとって、不安要素はなるべく廃したかった。
何より成功してもトドメとなるのが先延ばしになる程に、傍にいる者がいつ終わりを迎えるにしても最期に見る光景はあやふやかつ望み通りではないものとなってしまうだろう。
ならば足りぬ分は"他"に任せてしまえば良い。それを行える存在が自分達の前方にいる。
おそらくまどか、そして『機械蜘蛛』、共に次は無い。最後のチャンスを外せば、今度こそ鹿目まどかがせめてもと命を懸けて願う愛と希望に終止符が打たれてしまう。
その引き金がどういう結末に直結しているかを知ってなお、ほむらは逃げれなかった。魔力の助力を受け外界を視認出来る防御と隠蔽を兼ねた小さな結界を周囲に張る。
『……当たるかな?』
不安げなまどかの心情が、直接呟きとなってほむらの中に届いた。
『大丈夫よ。この銃には最初から、絶対に当たる魔法がかけられてるから』
ほむらは断言した。
『あなたも感じたでしょ?』
こんな風になりたくなかった己の心の生む声が、今ばかりはとても頼もしかった。
『ほむらちゃんが……かけたの?』
『ううん。ちょっと違う』
『そっか……。でも……なんだか触れたときにね、冷たいのにとっても胸が温かかった気がするの。持ってる大切ものを、誰かにあげるみたいな感じがしたんだ』
暁美ほむらが元々の術者の魔法に導かれた時に抱いたのは、魔力にどこか漂う負の感情への恐れだ。とはいえそれが幾つもの思いが混じり合って出来上がっていることは、ずっと以前から分かってもいた。
直情ではないからこそまどかによる説明など無くとも最後まで信頼だけは揺らがなかったのかもしれない。気付くには、気付いたと思い込むには、巡り合わせは悪く、遅過ぎた。
「うらやましいな。こんなに大事に思ってくれる人がいて」
巨体の衝突により柱の如く舞っていた二つの土砂が重力を思い出し急速に落下していく。
浮遊へいち早く動き出すのは両者の余力の開きを((克明|こくめい))としていた。
同刻――転機は、劣勢の方へと訪れる。大きさからすれば豆粒かという余りに小さな((一欠片|かけら))。降り注ぐ土砂に混じりながら傷付いた鋼鉄の体表の上で当たり弾む。
人の手に収まりそうなソレは、携帯端末。ほむらの持ち物だった。今はまどかの魔法がかけられている。一瞬の軽い接触ではあったが、不全になるとはいえ圧倒的な希望の魔法は端末が持つ"通話"の意味を単純に強化し、『機械蜘蛛』内部へと移るや((忽|たちま))ち浸透していく。
あやふやだからこそか即座に身を滅ぼさせる毒とは成り切らない。規模こそ違えど矮小な力でも唱えられる直接破滅へと繋がらない魔法は拒まれ門前払いされることもほぼ無かった。瘴気や邪気による阻害を払い除け"テレパシー"へと繋がる経路を感受されるや構築していく。
僅かでも穴が開いたのならば、ほむらの助力によって秒に満たずとも今は確かなものへと抉じ開けられた。
『おねがいです!!全部、力を貸してください!!』
まどかの叫びが伝播した瞬間、『機械の蜘蛛』に明らかな変化が生じた。空っぽにされていた胸の内に少女の思いが((木霊|こだま))し一つの((志|こころざし))となって束ねられていく。
キュゥべえはあの存在には何も無いも同然と言っていた。ならば僅かでも意思疎通が可能となれば行動を制限し操ることも出来るのではないか。思い付きは、魔力の加護も無い言霊と共に、少女達の普段扱うものとは異なる魔法となって現れていく。
ほむら達さえ巻き込む大規模の結界を発生させながら、蜘蛛型の尾部が装甲を弾けさせ内部を外気に曝す。収められていたのは山程ある輝く((帯|リボン))。あたかも生き物のように激しく動き出し天へ高々伸びて行く。
帯が作り出すのは人型であり、どこか女神像のようでもあった。
敵の全長と対になるかの如き不定形さもあるその"物体"は、少なくとも"誰"でも無い。だがそのシルエットは人の形となろうとしていた。
『機械蜘蛛』の撃滅への意向が統合されたのか、声に乗じた鹿目まどかの数多の思いの結晶なのか、暁美ほむらの影響がどこかにあったのか――
関与した意志有る者達でさえ予想だにしなかった姿。見る者によって千差万別を想像させ、だがそれでも森羅万象((遍|あまね))くに向け『((夢と希望|魔法少女))』という意味だけは決して揺るがず譲ろうともしない。
巨大な"腕"が静かに持ち上がりさらに変形していく。長銃のようでいて杖でもあった。
『機械蜘蛛』が((乞|こ))われた通り身に残る力を新造された大砲へと急速に吸い上げさせていく。
解けていく大型結界。腕であり巨砲の射線上となるのは『子蜘蛛』達と小競り合いを続けながらも物理的な防御を再構成していく『ワルプルギスの夜』。
結界内の出来事が見えていなかったのならば、たった十数秒の内に突如現れた先程とは異なる『機械蜘蛛』の威容は敵に如何様に映ったか。だとしても害成す存在ということに変わりは無かったらしい。噴き出した極彩色の火炎を加え身を包む防御全てを攻撃として即刻放った。
砲から光が生まれる。
反動に崩れ去っていく人型と鋼鉄の体躯。魔女であるかさえ怪しく、それでも悪に属する故の邪気を凝縮した音さえも蹂躙し尽くし超越する閃光――にしては、あまりに美しい、膨大でありながらも剣の一太刀にも似た一撃。
瘴気の竜巻が、不浄の火炎旋風が、崩壊をもたらす土砂が、暴れ狂う稲妻が、冷酷な刃となる水流が――正面から((悉|ことごと))く消し飛ばされていき、操る者さえも熱に飲まれていく。
近辺から持ち得る全てを慌て掻き集めた程度では防ぎ切れはしなかった。だが決して耐え切れぬ訳ではない。ついに下半身全てを失わせたが、それだけだ。
"今――!!"
存在のぶつかり合いの狭間で、暁美ほむらは己の盾が持つ真の力を解放した。
発生した干渉が――爆炎を――轟音を――『ワルプルギスの夜』を――世界全てさえも、ほむらが触れるもの以外全てが静止する。
目的の為にと秘匿し続けていた自身の魔法少女としての能力。"時間停止"。それを連続で行い続ける。
襲い来る光は失われていき、再び強風と瓦礫の防御を取り戻そうとする『ワルプルギスの夜』。本来ならばたった数秒しか空いていなかったであろう『ワルプルギスの夜』を中心とした虚空は、今は確実な大穴となってほむらとまどかの前に((曝|さら))け出されていた。
手にする武器を相手に向けた。先端の弓部分から金色の羽根が無数に生まれ翼を形作り、さらに伸長した一枚一枚が地面に突き刺さり総体を固定する。発射に向けての予備動作の完了はほむらにとって全ての終わりを早々に意味していた。
『私ね。嘘付いちゃった……』
これだけは言わねばとまどかは切迫に駆られたのだろうか。
『絶対帰ってくるって言っといて。もしものときはソウルジェムが割れるようにしてたの。そういうのが大人になるってことだと思っちゃったから。そんなことしなくても((罅|ひび))が入っちゃったけれど……でも嘘は嘘。ママにもパパにも、さやかちゃんや仁美ちゃんや、きっとマミさんにも、怒られちゃうな』
傍にいながらも急激に衰えていくまどかの気力を感じながらほむらは首を横に振った。
『いいよ』
不思議そうな面持ちのまどかにほむらは精一杯の微笑みを浮かべた。
『だってそんなあなたと友達になりたかったんだもの』
身を守る結界を解くや"光の矢"が生み出された。
個を保ちながらも混ざり合う二つの意思が、波動に掻き消されながらも二人の口から"魔法の言葉"を唱えさせる。自然と唇を震わせた。相応しき名を与えられた必滅の呪文の引き金が押し込まれる。
周囲を白く染める輝きを反動に、矢は射られた。与えられたイメージに従い、あらゆる些細な影響を突き破りながら、少女達の見詰める方へと真っ直ぐに。
((眩|まばゆ))い軌跡を後に残し、亜音速まで加速した矢は、『ワルプルギスの夜』の胸部へと直撃し巨大な穴を((穿|うが))ってその形態を瞬時に四散させる。
空間に引かれた一筋の光が霧散していく。動き出した時間の中で、破壊の余波は小爆発を起こすようにして次々に残った『ワルプルギスの夜』の各部に亀裂を走らせ、復活を許す邪念ごと跡形も無く粉々にしていった。
『――。――――。――。――――……――……』
地表へゆっくりと落下していく頭部も破滅の例外では無い。何が起きたかどうか果たして理解することはあったか。どうにせよ『ワルプルギスの夜』の笑いは消滅の瞬間まで変わることは無かった。
ほむらの耳にガラスが砕け散るような軽い音が響く。
笑声の残響がほむらには、悲痛だけでは無い、解放された喜びをも((伴|ともな))う複雑な重奏に、聞こえた。
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