天涯に在りて(三国志創作小説)
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石を握り込むと、冷やり、とした感触がした。

 だがそれも僅かの間。

 直ぐに石は肌の温もりを移してしまい、掌には頼りない程の感覚しか伝えて来なくなる。

 

 それは、掌に握り込める程の小さな石。

 淡い碧色を基に白く薄い斑紋を描く、翡翠の原石。

 たいした価値も無い。幼い頃、市を開いていた隊商の親父にもらったものだ。

 ただその色が。

 その天の蒼とも水の青とも違う翠(みどり)がかった碧玉の色が。

 始めてその石を見た時に、あの人の瞳の色を言い現すのに相応しい色だと思っただけだ。

 

 稀な色彩の瞳を持ち、そして、その瞳以上に稀有な存在であった人──。

 

 このような石など、未だ身につけているのは未練なだけだ…。

 そう思いながらも馬岱は掌を開いて、彼のひとつ年上の従兄であった馬超の瞳の色を、石の上に探そうとした。

 

 

 幼い頃から、馬岱は彼の瞳を見るのが好きだった。

 好き、と言うか、天が彼の存在の稀有さを、その造詣にも現しているように思えて、誇らしくて嬉しかった。

 もっとも、物心つく前は、珍しい綺麗なその色が単に好きだったのだろう。

 馬超の瞳は不思議な色彩で、馬岱の周囲にはそのような瞳を持つ者は他にいなかった。

 祖母に羌族の者を持つからだ、と周囲の者は言う。

 だが、羌族にもあのような瞳の者はいない。

 蒼や翠の瞳の色を持つものはいる。

 違うのは、彼の瞳の虹彩は翡翠を水に溶かしたような淡い色彩をしていて、それが縁にいくほどに滲んだように琥珀色へと移っていく。

 その繊細な色あいの美しさ。

 更に不可思議なのは、怒りや悲しみなどの強い感情を彼が抱いた時に虹彩の色が変わることだ。翡翠の碧が陽光を弾く鋼のような色彩へと変じる。

 その苛烈な色は、美しさを感じると共に怖れをも馬岱に抱かせたが。

 馬超が怖いというのとは違う。

 ただ、あまりの烈しさに身がすくむというのだろうか。

 常には瞳を見られることに頓着していないような馬超だったが、その変化した色彩を見られるのは不快に思っていたようだ。

 馬超の父である馬騰は馬岱の父の弟にあたるが、馬岱の父が病がちの身ゆえ馬家の総領として立っており、その嫡男の馬超は馬家を継ぐ者として生まれながらに育てられてきた。それ故か、生の感情をそのまま顕(あらわ)にするのを厭い、幼い頃から己の心情を己で律し、表に現さないようにしていたようだ。

 無表情ではない。よく笑うし、騎馬の民が皆そうであるように、敵には容赦ないが一度己の懐に入れた者には深い情愛を示す。

 ただ、己の意志が一族の命運を背負う総領たる者のあるべき姿であるように、怒り、悲しみといった激情に流されぬよう生の負の感情を己の内に消し、表情を消そうとする。それでも、消しきれぬ烈しい想いを、瞳が映してしまう時もある。

 一年遅くに産まれ、やはり生まれながらにして、その総領たる者を佐(たす)ける者として側近く育ってきた馬岱は、馬超のその僅かな変化も子供ながら逸早く察していたから、気付かれた事を解(し)った馬超は鬱陶しいように僅かに苛立ちを見せ、瞳を逸らして横を向く。

 もっとも、そんな不機嫌さを顕すのも馬岱に対してだけであったから、「若」と呼び、「岱」と名を直接呼ばれる関係であっても、誰よりも近くにあり気心の知れた間柄であった。

 それでも、その鋼色の瞳を見るとき、それが彼の悲しみであれば己のことのように悲しく感じていても、どこかに怖れを感じていた。

 野にあって嵐に遭い、己の無力さを思い知るような。天意を垣間視るような。

 

 だが──。

 最近の自分の心情は、少し違っているようだ…。

 

 

「一門残らず、一日にして命を落としたというのに──」

 

 堂の中から押し殺した低い男の声が聞こえてきた。

「…ッ、己のみが、祝ってなどいられるか!」

 怒声。そして陶器が割れる音に続き、悲鳴のような謝罪の言葉を上げながら小柄な男が堂から逃げるように駆け出して来た。

 それに危うくぶつかりそうになった馬岱は、体を捻ってそれを避けた。

 小男はよほどに慌てていたのか、馬岱への謝罪もそこそこに小走りに廊を駆け去っていく。

 その背中を見送って、馬岱は少し緊張した面持ちで堂の中へと足を向けた。

 入り口で入室の礼を取り、上げた視線が鋼色に怒りを含み睨み据える馬超の視線と合い、しばし無言で立ち尽くす。

 このように馬超が怒りを顕にするのは珍しい。

 先ほどの小男──馬超の妾の弟である董禾中と何事かあったのかと、心配気に小首をかしげながら問いかける言葉を探す。

「殿──。董君と何か…」

 結局出てきたのはありきたりな言葉になり、馬超は少し気不味げに口元を引き締めると、表情を消して、ふい、と庭に視線を流した。

「聞こえていたのだろう。わざわざ問うな」

 固い声に、ですが…と言を継げば、頑(かたく)なに背を見せて庭へと向き直ってしまう。

 欄干を掴んだ手が、小刻みに震えているのが見てとれる。

 その背をやるせなく見守る馬岱に、ふ…、と肩の力を抜いた馬超が、背を向けたまま低く、だが明瞭な口調で答えを返す。

「──少し、八つ当たりをしてしまった」

「──そのようですね」

 

 建安十九年の正月。馬岱は馬超に従って漢中にいた。

 もとは涼州に育ち、朝廷からの詔勅により衛尉となって都へ赴いた父の後を継いだ馬超が、その涼州で軍を統率していた傍らに馬岱もあった。

 涼州は都を遠く離れた西の辺境である。良い馬を産する事で有名なその地では、四海を制する漢族のみならず、羌族や?族らが入り混じって暮らしていた。

 馬超自身にも羌族の血が流れているように民族を超えて交流はあった。だが、騎馬の民は身内に篤く気性が烈しい。民族・部族間の争いも多い土地であった。

 また中原の者達からは、辺境よ、と蔑みを受け、同じ漢族の者であっても見下した目で見られていた。

 それが異民族であれば尚更。蛮族、と呼ばれ教化という名の迫害の下にあった。

 その血に流れる伝統を、風習を捨て去るように、漢族の風習を強要する朝廷。

 それに反抗し、更に肥沃な大地を我が物にしようと侵攻する民族。討伐を行う朝廷。中央から遠いのを良いことに、横行する猾吏。更なる迫害。流される血。続く争い──。

 そこへ襲いかかる飢饉。

 漢族も羌族もなく、この地に生きる者達は等しく苦しみに喘いでいた。

 馬超の父・馬騰は、時には逸る羌族らを押さえつけ、時には行き過ぎる朝廷へ反し、そうしながら両者の共存を図って苦慮してきた。

 そんな中で、馬騰を佐(たす)け、その下で戦う馬超の存在は、その地に際立って知れ渡っていた。

 天将の如き武勇。颯爽とした雄雄しい姿と、強引なまでに迅速な行動力。

 怖れと共に、それを越えてなお人を惹き付けずにはおかない、圧倒的な存在感。

 馬騰が朝廷の命で都に召還された後は、自らの老いを自覚した馬騰により跡目を譲られた馬超が、馬騰と時に反目しあいながらも共闘してきた韓遂と共に、涼州の因って立つ柱となった。

 益々酷くなる中原からの迫害に、涼州そして更に西の西州の民達の怒りは募る。しかし、部族毎の反撃では、朝廷から送られる大軍の前には成す術も無い。

 独立不羈の志の強い騎馬の民族は、それまで部族同士が共同して朝廷に反するという事がなかった。

 その、泡だった海に生まれ出た馬超という存在。

 その存在が求心力となった──。

 

 それまで集う事のなかった関中十軍が、一同に会して朝廷に反した。

 年齢が上である韓遂が首領にと掲げられたが、核となったのは馬超と彼の軍である。

 父や一族の者が都に、いわば捕われている状態での馬超の旗揚げは、彼に深刻な選択を強いていた。

 馬家の総領としては、一門の存続を守るのが義務である。軍を興せば、当然一族の命脈が危うい。

 だが、かの地での民の困窮は凄まじく、もうそれ以上、民が息をつける余地はどこにもなかった。

 朝廷は乱れ、世は乱世となり、群雄が割拠し、各地も荒れている。

 これ以上は、どこからも救われない──そんな状態だった。

 どちらも選べるものでは無い。だが、その中で馬超は興つ事を自ら選んだ。

 それが建安十六年のことである。

 後に、潼関の戦いと呼ばれた戦(いくさ)であった。

 

 

 渭水の南、潼関の地で、朝廷を牛耳っていた曹操の軍と馬超らの関中十軍十万の兵は対峙した。

 相対すること半年あまり。

 だが──天は彼らに味方しなかった。

 否。勝敗は天にあらず、人にあったのだろう。

 曹操に煽られた猜疑心により、関中十軍は内部から崩壊する。あとは脆かった。

 

 馬超・韓遂の軍は涼州へと逃れ、共に軍を挙げた成宜・李堪は斬られた。楊秋も安定へと逃れたが、曹操の武将の張?により討ち破られ、降伏した。

 関中の地は曹軍により平定される。

 馬超の一族は…、父・馬騰や弟達を含め三族二百人あまりが都で皆殺しとなった。

 曹操が軍を残し自身は都へと引き上げた後、馬超らは反撃を試みる。涼州の郡県は呼応したが、冀城のみが朝廷の意を固持し、続いて翌年、その地での戦いとなる。

 馬超の率いる軍は、漢中を支配する張魯の支援もあり冀城を落とした。その城を拠点として曹操への反撃の狼煙を上げようとした。が、またしても裏切りが行われる。

 冀城を中心に争いは続き、その戦さで馬超は更に妻の楊夫人と娘を失った。

 馬家一門で残されたのは、漢中に落ち延びていた弟の董禾中を頼って行かせていた妾の董夫人と子の馬秋、そして軍にあった従弟の馬岱だけであった。

 

 建安十八年九月。馬超は州堺の山脈を越え、彼に付き従う軍と共に益州は漢中へと身を寄せた。

 だが、その地は彼らにとって故郷でも、楽土でもない。

 漢中を支配する張魯は馬超に兵を貸し与える事を承諾し、涼州の地を奪還しようと馬超は北征を行ったが、上手くはいかなかった。

 そして、その年が暮れた。

 

 

「──董君は年賀の挨拶に来ただけだ。だから…俺の八つ当たりだ」

 固い声音はそのままに、軽く息を吐き出して振り向いた馬超の瞳は、未だ鋼の色を宿している。

 彼の側近くにずっと在った馬岱には、彼の鬱屈が痛い程に良く解る。

 張魯は馬超が漢中に因る事を許してはいたが、共に大事を計るような人物とは到底思えない。

 故郷を離れ馬超に従ってきた兵達の命運もなにもかもが、彼の肩にかかっている。

 いや、兵達だけではない。涼州・西州の民達も未だ彼を慕い、朝廷の…曹操の命に従うのを厭い、小競り合いが続いている。

 なにより、一族を家族の殆ど全てを失った悲しみ。その仇敵である曹操に一矢も報えぬ己を、どれほど歯がゆく思っているか。情愛深い彼を解(し)っている馬岱には、張りつめた彼の気が目に見えるようだ。

 だが、彼は余人にはそのような素振りを決して見せようとしない。しなかった。

 それがちょっとした弾みでほつれたのだろう。

「──董君には後で謝っておく…」

「そうですね。それがよろしいでしょう」

 少しばつが悪そうに言う彼の瞳が静かな碧い色を取り戻していくのを見つめながら、彼の気がほぐれるようにとなるべく軽い調子で答えて、馬岱は微笑んでみせる。

 馬岱の前に鋼色の瞳を晒してしまった後の彼は、いつも少し不機嫌だ。

 今もまた、ふい、と庭に視線を流してしまった彼の横顔を前に、何か声をかけようとして、何を言っていいのか掛ける言葉に戸惑い、また己の心の裡に戸惑い、掛ける声もなく馬岱はきゅっと掌を握りしめる。

 その鋼の色彩に幼い頃から抱いていた怖れは、今は無い。

 もどかしいような思いと共に、むしろ安堵と言っていいような、そのような言葉で表すのは後ろめたいような感情が底にある。

 気不味い沈黙ではなかったが、かたり、と鳴った戸口に、董夫人と彼女に手を引かれた幼い馬秋の姿があったのに、救われたような気がしたのは確かだ。

「夫君(あなた)──」

 馬秋は彼女の裳裾を握り、父である馬超を見上げている。

「あの、弟が何か失礼を…」

 返り見た馬超は、彼女が戸惑いがちに控えめに問いかけるのに、なんでもない、と首をひと振りして馬秋を手招く。

 嬉しげに父に跳び寄った馬秋を馬超が抱き上げれば、幼子は柔らかな頬を父の肩に擦り寄せて、幸せそうであった。

 我が子に眼差しを注ぐ馬超の瞳は優しい。ほっ、と肩の力を抜いた母の微笑みも優しい。

 山深い漢中でも、正月になり少し春めいた日差しは僅かだが暖かい。

 彼らを取り巻く陽光は、なお柔らかに暖かい気がする。

 邪魔をせぬように、そっと目線だけで退出の礼を取り、馬岱は堂を後にした。

 

 

 安堵のように感じるのは、彼の深い怒りや悲しみを、その瞳に確(かく)と見出せるからだ。

 

──身内も愛せぬ者。

 

 彼の表に顕す姿だけを見て、そう彼を詰る輩に憤りは堪えない。

 彼は一族を深く愛していた。自分は解(し)っている。彼の傍らでそれを見てきた。

 怒り悲しみを深みに押し殺して立つ彼が、何故見えない。何故気付かない。

 あの鋼の色に、それは明らかではないか。彼が何も感じていないなどという事が、ある筈が無いだろうに。

 それを知らない人々の非難はもどかしく、口惜しい。

 後ろめたいのは…。

 彼の思いを自分は解っていると思うことが、自己満足な傲りに過ぎないと思うからだ。

 彼の思いを確認して、自分ばかり解ったように感じて何になる。彼の佐(たす)けには、一滴たりともならない。

 むしろ静かな碧い瞳が怖い。

 張りつめ過ぎた弦(つる)は、切れ易い──。

 

 

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「──岱」

 

 呼ばれて振り仰げば、彼の静かな瞳の先には初夏の陽光に霞む青い山嶺がある。

 あの向こうには涼州がある。我らの故郷の涼州が。

 

「劉玄徳の申し出を呑もうと思う──」

 その言葉に、馬岱は少なからず驚いた。

「殿が、自ら他人に膝を折ると言われるのですか」

「我らの本願を果たす事を考えれば、劉玄徳に膝を折るなど些末事にすぎない」

馬超の低く嗤う口元から無理に視線を引き剥がし、馬岱は唇を強く噛む。

 劉玄徳──劉備は江水を遡り、益州の各城市を落としながら西に向けて進軍してきていた。劉璋に成り変わり蜀の地の支配者たらんとして。

 既にその戦は一年あまり続いており、劉璋の子・劉循が?城で根強い抵抗を続けていたが、ついにそれも落ちたとの報が、この漢中にも入って来ていた。

 劉備の目指すは劉璋の居る州都・成都の城。だが、落ちたりといえども劉璋の力は未だ大きい。

 そこで劉備は、西に在って武勇に名高い馬超に、共に軍を進めて欲しいとの使者を派遣して来たのだった。

 同盟、と言えなくも無い。しかし、両軍の規模を考えれば、馬超の方が遥かに小さい。

 今は漢中にあっても、所詮寄辺も無い軍なのだ。

 ましてや、劉備は時の皇帝から皇叔とも呼ばれ、身分の上でも馬超の上にあたる。

 劉備のもとに行くなら、膝を折るのは馬超の方が筋なのだろう。

 そんな事は馬岱にも解っている。だが…。

「同じく曹操を敵とする者だ。奴を討ち、関中の自治を手にする手蔓となるだろう。あの男は」

「ですが…。劉玄徳は曹操の下に居た事もある者です。信に足るでしょうか」

 劉備は曹操を、漢朝を牛耳る朝敵とし、己の漢朝に連なる正統な劉氏の血筋と──その言(げん)を確かなものか疑う声も囁かれるが──漢朝の復興を大義に掲げている。

 曹操を倒すという目的を等しくする者ではある。

 だが彼の歩んで来た道は、各地の群雄の下を転々と渡り歩き、その群雄の中にはかつて曹操もあったのだ。

「徳ある人物だという評だ。──まあ、張魯よりは、ましな男だろう」

 嗤う馬超の言うとおりで、張魯は漢中を討伐しようとしている曹操に及び腰で、このまま彼の下に留まっていても馬超らの道が拓けるとも思えなかった。

 馬超が他人に膝を屈する姿など、馬岱には想像した事もなかった。

 なおためらいは残る。だが、馬超は既に心を決めているのだろう。

 ならば。

「殿がそう決められたなら──」

 碧い瞳を見返して、決然と言葉を継ぐ。

「ならば、俺は殿に付いて行くだけです」

 

 馬超が馳せ参じた事により、成都は十日も経たずして劉備のもとに降った。

 それ程に、西における馬超の存在は大きい。

 それでも形の上では劉備が主で、馬超が臣下であった。劉備は馬超を手厚く扱ったが、同じ事だ。

 

 建安十九年の夏は、馬岱にはひどく暑さの苦しい夏に思えた。

 

 

 劉備のもとに赴くにあたって、馬超は董夫人と息子の馬秋を漢中の張魯の所に留めて置いた。

 軍を動かすのに女子供を連れては行けない。

 董夫人の弟の董禾中も漢中にはいる。いずれ落ちついたら、呼び寄せようと思っていた。

 

 だが、事態はあまりにも速く進んでいった──。

 

 翌年三月、再び曹操は張魯征討の為、軍を西に動かした。

 張コウ・朱霊ら曹軍に名だたる武将を引き連れ、その激しい攻撃の前に張魯は持ち堪(こた)えられなかった。

 秋七月には張魯は巴西へと逃走し、曹操が漢中を攻め落とした後に、曹操の下へと帰順した。

 董夫人と馬秋は曹操に捕らえられ、董夫人はもとは張魯麾下で張魯が曹操に降る事を最後まで諌めた閻圃へと下げ渡された。

 馬秋は、曹操から張魯の元へと送られた。張魯は…自分の手で馬秋を殺したという。

 

 

 その報告を馬岱がもたらした時、馬超は静かに自分の前に跪づく馬岱を見下ろしていた。

 

 薄灰色のその瞳──。

 

 雪を含んだ空のような、重いその色彩。

「殿…。左将軍(劉備)に願って軍を漢中に……」

「いい。それ以上言うな、岱──」

 縋るものを探るように動いた馬超の左手が、剣の鞘をきつく握る。

「しかし──」

「女ひとりの為に軍は動かせん」

 子の馬秋が生かされていれば、まだ可能だったかもしれない。

 だが、妾ひとりを取り戻す為に軍を派遣するような、そんな時代では無かった。

 何故、天は。

 この人から愛するものを、かくも奪っていくのだろう。

 噛みしめた唇から血の味がする。

 それが苦くて、酷い吐き気がした。

 何故、天は──。

 

 

 蜀を己の勢力の地盤として固めた劉備は、曹操に相対する為に軍を漢中の西にある下弁に向わせた。

 曹操が漢中を制圧してから二年後のことである。

 差し向けられた軍の中には、馬超の軍も含まれていた。

 曹操は曹洪を派遣して防御に当たらせた。長い戦いが、再び西の地で続く。

 

 建安二十三年三月。曹洪は劉備軍の呉蘭を討ち破り、馬超・張飛らは漢中へと軍を向ける。

 北の地もきな臭くなっていた。

 血を血で洗う。それが乱世という時代なのか。

 北方の反乱を征討した曹操は、さらに西を沈めようと九月になって自ら軍を率いて、長安まで進出して来た。

 劉備は陽平関に因って、曹軍の夏侯淵・張?・徐晃らと対峙する。

 対峙は翌年まで続いたが、定軍山に軍の本拠を移した劉備が夏侯淵を討ち取った事により、劉備優勢へと状況が変わっていった。

 やがて、曹操は軍を引き上げ、ついに劉備が漢中を手中に収めた。

 

 ──馬超が漢中を後にしてから、五年の歳月が過ぎていた。

 

 

 秋、劉備が漢中王として立ったその臣下として、馬超もそこに居た。

 馬超は何も言わなかった。

 だが、馬岱は密かに手を尽くして、董夫人の消息を探させていた。

 手掛かりは全く掴めなかった。曹操と共に去った閻圃に連れられていったのか。

 生きているのかさえも。

 

「岱。もう止(や)めろ──」

 馬超には黙ってした事だったが、解(し)っていたのだろう。

 やがてそう言った馬超の声は、固く乾いているように感じた。

「ですが!」

「もういいんだ。止めろ」

 馬岱は何とか反駁したかったが、喉が詰まる。何と言ってこの人に告げたらいいのか。

「探したからといって、どうなるという事では無い。無駄なことだ。止めろ──」

 解らない。何を言えばいいのか。

 ずっと解らなかった。

 彼の思いは解(し)っていると思いながら、何をどう告げたらいいのか解らなかった。

 

 

「──何故、お前が泣く?」

 馬超に尋ねられるまで、自分が涙を流している事に馬岱は気が付かなかった。

 解らない──その事が脳裏でぐるぐると巡っている。

 悔しいのか。悲しいのか。

 何の為の涙なのか。解らない。

 悲しいのは自分なのか?

 何故──?

 

「貴方が──」

「岱?」

「貴方が泣かないからです! 悲しいのは俺じゃない。貴方でしょう!? 何故、押さえ込んでしまうんだ、いつも…! 泣けばいい。何故、いつも──!!」

 吹き出してしまえば、言葉は止まらなかった。

 悔しかった。悲しかった。

 彼の一番側近くにいながら、彼の心を佐(たす)けられない自分が歯がゆかった。

 己の無力が悔しかった。

 馬超の前に跪づいたまま、乱暴に袖で涙を拭い、顔を背ける。

 頭上から落ちてきたものは、乾いたため息だった。

「──お前が泣くな。俺が背負(しょ)うことだ」

 ただ、平静な声だった。瞳は…見上げる事が出来ない。

 自分の激情が渦を巻いて、涙を堪えているので精一杯だった。

 とても、顔を上げて彼を見ることなど出来なかった。

「軍を興した時から解っていた事だ。父の…一族の命を懸けているという事も。そして、その結末も。涼州から出て以来、お前の妻子も行方が解らずじまいだろう。お前は俺を恨んだ事はないのか?」

「──俺は、貴方を恨んだ事など一度も無い。俺は…妻も子も、生きてさえいればそれでいいと思っている」

 どうしているか、考えたことが無かったわけでは無い。

 生きているのか、どうか──。

 馬超の一族は馬岱にとっても一族である。

 失くしたものは等しいかもしれない。背負う重さが違っただけだ。

「朝廷に反したのも、民を思って義憤に駆られたわけでも無い。天意が俺にあると思ったわけでも無い。ただ、俺が我慢ならなかっただけだ」

「──解(し)ってます」

「中原の奴らのやり口に、我慢がならなかっただけだ。俺が起こして、その結果だ。俺が背負えばいい。一族を失ったことも、兵を流浪させたことも、俺の責だ──」

「だが、貴方が面に顕さないから、誰も貴方の苦しみを理解しない! 俺はそれが──」

 悔しい。それが辛いのだ。

 誰にも伝わらない。理解しない人々の非難を、彼は黙って受け止めている。

 それが、悲しいのだ。

 傍らに在りながら何も出来ない。己の無力が悔しかった。

 

 

「──お前が解(し)っている。それでいい」

「……」

「生き残ったのは、俺とお前だけだ。お前が解(し)っていれば、それでいい」

「──殿、」

 見上げた彼の瞳は、幼い頃から見つめてきた碧だった。

 翡翠を溶かしたようなと思った、その色彩だった。

 天の蒼とも水の青とも違うと思った、碧玉の色だった──。

 

 

 掌(たなごころ)の石を転がしながら、こんな石など捨ててしまうか、細工して誰かにあげてしまえば良かった、と馬岱は思う。

 稀有な存在であったあの人の、稀な色彩の瞳に似ていると思った石だった。

 だが、所詮石だ。

 生きているあの人の瞳の輝きと、較べようも無い。

 このような石など、未だ身につけているなど未練なだけだ…。

 そう思いながらも、馬岱は掌の上の石に、彼のひとつ年上の従兄であった人の瞳の色を探そうとしてしまう。

 それに。

 捨てたからといって、この石が在ったことを…冷たい感触も、その色彩も忘れられると、無かった事に出来るというわけではない。

 際立った存在であったあの人の影に、ひっそりとこの石の存在も、己の裡に在り続けるのだろう。

 

 

 その年も暮れようかという頃、劉備の義弟の関羽が呉の呂蒙によって討ち取られた。

 怒りにかられた劉備は、曹操から矛先を呉に向けようとした。

 誰が諌めても、聞く耳を持たなかった。

 

 

「所詮、その程度の男か──」

 

 馬超が苦々しく呟くのに、馬岱はただ肯いた。

 

 翌年、曹操が死んだ。漢朝の皇帝が禅位を行い、後継の曹丕が帝位に就いた。

 漢朝の血筋を大義に掲げる劉備は、それを認めなかった。

 さらに翌年、劉備は蜀に漢朝を存続させようと、自らが帝位に就く。

 そして復讐の刃を南へ、呉へと向ける。

 また、長い戦いが始まる──。

 

 劉備と袂を分かつかどうか──、馬超がそこまで考えていたかは、馬岱にも解らなかった。

間もなく馬超が病に倒れたからだ。

 

「後はお前が行け──」

 その後、蜀の地で娶った妻とまだ物心もつかない娘が泣く室で、牀に身を横たえた馬超が静かに言葉を紡いだ。

 瞳の力は毅いままだったが、病状は篤く、あと幾らも彼の命の灯火(ともしび)が持たないであろう事は、誰の目にも明らかだった。

「衰えた馬家一門とはいえ、後を任せられるのはお前だけだ」

 妻は二人目の子を孕んでいて、腹が迫り出してきていたが、その子を馬超が腕に抱く事は出来ないだろう。

 妻が、娘が、残されようとしている人々が泣く声を聞くまいと強く奥歯を噛みしめながら、馬岱はその時が近づいてくるのを耐えていた。

 この瞳を失うことがあろうとは、思っていなかった。

 彼が行く道を傍らで佐(たす)け、どこまでも行くのだと思っていた。

 このような形で失うであろうとは──。

「俺に捕われるな。お前は自身の道を行けばいい──」

 すすり泣く人々を背に、無言でその毅い碧い瞳を、馬岱は見つめていた。

 馬岱は…しばし後に「諾」とだけ答えた。

 

 春にはまだ早き頃、馬超は逝った。

 父の死後に産まれた赤子は男子だった。

 馬岱は、馬超の跡をその子に継がせた。

 彼の背負っていたものを、己が背負うのを厭ったのでも、背負えないと思ったのでも無い。事実、産まれたばかりの赤子に一族を纏められる筈もなく、後見人として馬岱が一族の前に立っていた。

 そうするのがいいと──自分がそう思ったから、そう決めた。

 劉備の下にも留まることにした。今後どうするかは、またその時に決めればいい。

 南では戦いが続いている。

 新しい年を迎え、蜀の地でも冬が終わろうとはしている。

 長く、深い雪に閉ざされた冬が。

 だが、未だ蜀の地の北に聳える山峰は、白くその姿を染めている。

 その山々の、更に向こうに涼州がある。

 馬岱の生あるうちに、再び一族がその地を踏めるかどうかは解らない。

 それを目指す。そう生きる。自分には、それだけだ──。

 

 石は掌の上で、再び冷たい感触を取り戻していた。

 稀有な存在であったあの人の、稀な瞳に似た色だ──と思った石だった。

 天の蒼とも水の青とも違う碧玉の色。

 

 未練なだけだ──。

 そう思いながら、馬岱は掌の上に石を転がす。

 

 

失った色彩を求めて。

 ただ、窓辺に佇(たたず)みながら。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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UP 2002.9.15 (2005.08.28 改稿)

水華庵発行『西涼譚』に掲載

説明
建安十九年〜章武二年(214〜222年)頃の物語。
馬岱と馬超と董夫人と馬秋と董チュウの話。掌に載せた翡翠の原石を弄びながら、馬岱は窓辺に佇む。石の上に失った色彩を求めて──。
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