足湯にて |
温泉旅行二日目、昼ご飯の後で皆さんが買い物や散策に出かける中で、おれは自由に入れる足湯スポットに来ていた。
昨日通り掛かりに気になってて、広々してるしお湯加減も良さそうだったから絶対に来ようって思ってて。それでタオルとかもちゃんと準備してやってきたのに。なのに。
「……貴様一人か」
「そう、ですけど」
どうして、こうなっちゃうんだろう。
おれの隣には、浴衣姿の八神さんがいる。何のことはない、彼も足湯に入りに来たのだから別に変なことは何もなくてただおれのタイミングがものすごく悪いだけだ。多分八神さんはおれがここに一人でいようが、他に誰がいようが、草薙さん以外なら気にも留めないしどうってことないと思うから。
思えば昨日のサウナだってそうだった。開けたらナギさんたちがいたまでは良かったのに、まず社さんが入ってきて続けざまに八神さんまで入ってきたものだから、もうおっかなくて堪らなかった。最終的に社さんが勝手に八神さんと、ついでにおれにまで張り合ってきて出るに出られなくなってしまったし散々だ。
思わず尻を浮かせてバレないように八神さんと距離を取りつつ、視線をお湯でも彼でもなく温泉街のメインストリートのほうに向けた。ああ、誰か通らないかな、例えばマネージャーさんが通り掛かってくれたなら……なんて、まさかマネージャーさんに助けてもらおうだなんて情けないことまで考えてしまう自分が嫌だ。
落ち着け真吾、と浴衣の胸元を押さえて深呼吸する。すぐそばに源泉が湧いている場所があるせいか、温泉の独特な匂いが胸いっぱいに吸い込まれて少し噎せた。
……彼がおれを見ている、気がする。気配を感じて不用意に面を上げてしまったら彼はふいっと視線を逸らしてしまった。
「フン、京が居ればくだらん寄り道にも意味があったというものだが、駄犬一匹だけではな」
黙ったままだった彼が、急にそんなことを言い出す。思わずムッとした顔をしてしまったらその百倍は怖い顔をして睨み返されたので「ひいっ」と小さな悲鳴が出てしまった。こ、怖えぇ……
「てか八神さん、その、帰ったんじゃ」
どうにか声を振り絞って、おれは疑問に思っていたことを聞いてみる。昨日の晩飯前には、確か泊まらずに帰るって言っていたのに何で今日になってもここにいるんだろう。
「……駅の観光案内所で、ペット同伴で泊まれる宿とやらを勧められた」
質問の答えは意外にも難なく返ってきた。ペット、と彼の言葉を鸚鵡返しにしたら、毛玉にしては大きな何かがおれの目の前に現れる。
「にゃーん!」
「わっ」
八神さんの背後に置かれたバッグから勢い良く飛び出してきたのは八神さんの飼い猫だった。どこに行くにも一緒みたいで、道場でも会ったことがあるしそういえば今回もライブツアーに勝手についてきてしまったって言ってたな。
綺麗な首輪に、多分宿から借りたのだと思うハーネスを着けていて、猫を手繰り寄せて抱いた八神さんの浴衣の懐からハーネスに繋ぐための紐がちらりと見えている。
「ツァラトゥストラが駄々を捏ねた、だから仕方無く一泊したまでだ」
「そ、そうだったんすか」
話を聞いたら、駅に向かう道の途中で何度も鞄から抜け出そうとしたらしい。あまりに嫌がるもので困り果てていたら、見かねた観光協会の人が今からでもチェックインできるペット可の旅館を紹介してくれたそうだ。
八神さん、つーちゃんさんには本当に甘いんだな……つーちゃんさんがおれに向かってとことこ歩いてきたから、ちょっと手を差し出したらぐりぐりと頭を押し付けてきてくれた。へへ、ふわふわで可愛い。八神さんが甘くなるのもわかる気がする。
「足湯、気持ちいいっすね」
「……ああ」
つーちゃんさんを間に挟んだら少し気持ちが落ち着いたような気がして、おれから八神さんに話し掛けてみた。八神さんもいつもみたいにやかましいとかうるさいとかで遮ることをせずに、ぽつぽつおれと会話をしてくれる。
不思議と穏やかな時間がおれたちの間に流れていく。
足湯の心地よさがそうさせているのか、温泉街ならではの清々しい自然のせいか、彼の横で揺蕩う湯船から反射するキラキラした光を捕まえようとして可愛らしい肉球の手で空を切っている小さな猫のおかげか。理由はわからないけれど、おれはあんなに怖かった八神さんが今はそんなに怖くないと思える。
ふと彼の横顔を見る、彼もおれを見た。彼が、少しだけおれの近くに座り直したら、どうしてだか胸がどきんとした。そして……腹も。
ぐう、と間抜けな音がしたのはおれの腹だ。ばっちり昼飯だって食べたのに、午後を回ったらもうお腹が空くんだから困る。何より八神さんにお腹の音を聞かれたのが何かめちゃくちゃ恥ずかしい。
「す、すいません……へへ……」
緊張が緩んだと思ったらこれだもんなあ。おれはお腹をさすりながら照れ隠しに笑う。すると八神さんは呆れ顔で吐息した後でゆっくりとお湯から上がった。
「来るか」
「えっ」
「此処に来る前に甘味処を見つけて、帰りに覗くつもりだった。別について来ても構わん」
最初何を言われているのかわからなくて、ちょっと考えて、そしたらそれは八神さんがおれを誘っているのだと気がついて慌てて足湯の中で立ち上がってしまった。
「えっ、なっ、おれですか!?」
「貴様以外に誰が居るんだ」
驚くおれを鼻で笑ったら、八神さんは自分の足を拭いて下駄を履いてそっとつーちゃんさんを抱き上げる。
「哀れな駄犬の小腹を満たしてやろうと云うんだ、感謝しろ」
「そんな言い方……」
「にゃっ」
何だかつーちゃんさんにまで笑われた気がして気恥ずかしい。おれも足湯から出て足を拭いて雪駄を履く。
お湯に浸かっていた足元から体がぽかぽかして、うっすら汗までかいているから額もタオルで拭った。
最初は八神さんが怖くて冷や汗をかいてるのかも、なんて思ったけどちゃんと温泉で温まってる証拠みたいだ。だってこんなに、顔が熱い。
「どうする」
答えを急かす八神さんの横に並んで表情を伺う。
「奢りですか?」
「わざわざ聞くな」
ふ、と笑った八神さんの顔は、見たことのないような優しい顔だったから、おれはまた顔が熱くなった気がして思わずタオルで覆う。
「おれ、ちょっとのぼせたかもしれません」
「足湯でか?」
また彼が笑う。恐る恐るタオルの隙間から覗いたら、それはいつものちょっとおっかなくて挑発的な笑顔だったから安心して、それから少しだけ残念に思って彼と彼の猫の後を大人しくついていった。
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G庵真。 | ||
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