2 weeks in Heaven. |
二年生になった。
何だか変な感じだ、春休みに入ってからもずっと部活で学校には来てたし、それに四月に入って早々には春季競技会があってそこじゃもうおれの名前の横には(2)って書かれてた。一年生と二年生の境目が曖昧なままで春が来てしまったような気がする。
だけど登校してみれば正門前では入学式を終えたピカピカの新入生たちがまるでひよこの群れみたいに囀っていて、下駄箱も教室棟も去年まで使っていたものの隣に移ったし、文系と理系の授業選択でクラス替えもあったから、やっぱりどうしたって二年生なんだなあって思い知らされた。
一人、中学の陸上部で一緒だった後輩がおれを見つけて声を掛けてくれた。先輩と同じ高校で陸上やりたかったんです、なんて熱っぽく言ってくれて、まるで草薙さんに声を掛けた去年のおれみたいだなって、そりゃあ嬉しいけどちょっとだけヘンな気分になってしまった。そうか、もう先輩≠ネんだなおれ。別に先輩になるのは初めてのことじゃないけど、この学校で先輩をやるのは初めてだから。
今日は部活は休みだったけど、遊びに誘った連中はみんなそれぞれ明日以降始まる部活の説明会や部員勧誘の打ち合わせがあるらしくて結局一人で帰る羽目になった。陸上部はそういうのもう終わってるんだよな、陸上部希望の一年は競技会を見に来てたしそれが説明会の代わりみたいなものだったから。
草薙先輩を探してはみたけれどもちろん捕まるわけなくて、というか登校してきてるのかもわからない。諦めてさっさと帰ろうと正門を潜ったら、ブレザーとワイシャツの襟元を背後からぐいっと引っ張られて「ぐえ」と声が出てしまった。
ゆっくりと振り返る。振り返りたくないけど、振り返らねばこの手は退いてくれないだろう。振り返った先には、会いたくもないし見たくもない顔がじっとおれを見つめていた。
「……うわっ」
「何だその顔は」
思わず出た嫌な声に眉間を深くした八神先輩は、今度はおれの手を取っておれの帰り道とは逆方向へさっさと歩きだしてしまう。
「来い、其方の道には煩わしい連中が屯ろしている」
そんなの、おれ一人で帰るんなら何の問題もないんですけど。そう思ったけれど口に出せなかった。まさか一人が寂しかったわけじゃないし、ましてや八神先輩と一緒に帰りたかったわけじゃない、絶対そんなんじゃない。校舎から随分離れてからようやく手を離してくれた先輩に、おれはこれ見よがしに手を痛がる素振りをして溜息を吐いた。
「何ですか、おれ帰りたいんですけど」
「帰すつもりは無い」
何を言い出すかと思えば、まるで人攫いでもするかのような物言いだ。いや、既にあの校門から強引に連れてこられた時点で人攫いに遭ったのと同じではないだろうか。新学期になっても相変わらずの強引さと自分勝手さを発揮する八神先輩に、おれは怒りも呆れも通り越して最早諦めに近い感情で対峙した。
「それで、今日は何なんですか、おれだって色々あるんですよ」
今しがた遊びの誘いを断られて一人で帰るつもりだった、なんてことは黙っておく。ずり落ちてきた鞄を担ぎ直して、それじゃあ、と踵を返そうとしたら彼の手が再びおれを捕まえる。冷たい掌だ、でも多分これは、おれの手が火照ってるからだと思う。先輩がいると、先輩がおれを捕まえていると、先輩に言えないことばっかり増えていく。吐いた溜息の半分は、自分のどうしようもなさに対して溢されたものだった。
おれがこの場から立ち去るのを止めたのだと確信した彼はそっと手を離す。どうせだったらずっと捕まえておけばいいのに、先輩は時々、よくわからないところで少しだけ優しいから腹が立つ。八神先輩はおれをじっと見て、それからさっき自分が掴んだせいで乱れていた襟元を直してくれながら言う。
「明日、誕生日だろう」
突然の言葉に驚いて、どう答えようか言葉に詰まってしまった。間違いなく明日はおれの誕生日で、だけどそれを八神先輩に教えた覚えはないのだから。一体どうやって知り得たのだろう……と思って、去年の学祭のとき、この人から勝手にエントリーされて大迷惑を被った人気投票を思い出す。そういえばアレの事前取材のときに新聞部に生年月日を書いたアンケートを渡して、それで号外にも載った気が……。
どうやら無法な働きをして暴かれたことではないことには安堵したけれど、それでも急におれの誕生日がどうのなんて言われても困る。まさか祝ってくれるとでもいうのか?一方的にそんなことされたって嬉しくなんかない。すると先輩はおれの首元でネクタイの結び目を整えながら問うてきた。
「明日で幾つになる」
「17、ですけど」
聞かなくたってわかると思うんだけど、自分の一つ下の学年なんだから。すると八神先輩は何故か得意げになってニヤリと笑う。
「俺は先月の25日で17になった」
いや聞いてないし、別にいいよそんなのはどうでも。しかし先輩にとっておれたちの年齢は重要事項だったようで、よくわからない高笑いをした後でがっしりと肩を掴まれてしまった。
「つまり明日までは俺の方が一つ上だ、年下の貴様にこうして会えるのは今日だけだからな」
「くっだらねえ……」
バカみたいな理由につい声が出ていた。いや、子供か?確かに先輩の誕生日らしい先月の25日は春休みに入ったばっかりで、それで今日が始業式、明日が俺の誕生日だから、まあ今日しかないっていうのはわかる。わかるけど、そんなに重要なものだろうか。大体、年齢がどうこうよりも明確に学年の差があるんだから、別に満年齢の差なんてどうでもいいことだと思うんだけど。おれは彼の手を払い除けて、せっかくクリーニングに出してもらったブレザーに早速皺が付いたのを恨めしく睨みつける。
「つーか、すげえ早生まれなんすね先輩、何ならほぼ同い年じゃないですか」
そっちがその気なら、と、ちょっとだけ揶揄する言い方をしてしまった。数えてみたら二週間くらいの違いだ、あと一週間遅く生まれてたらおれと同じ学年だったんだなあと思うと妙な気持ちにもなる。たった二週間、春休みと同じくらいの時間の違いでおれと先輩のネクタイの色は違う色になっている。
不意に、先輩の掌がおれの頬に触れた。少しだけかさついている指先が耳の辺りを撫でていったので思わず肩が跳ねた。
「そう思うのなら、下らん先輩≠ネどという呼び方は止めたらどうだ」
「……どういう意味です」
「名前で呼べと言っている」
親指が唇に触れたので、こんな道端でキスでもされたら堪ったもんじゃないと慌てて払い除けてしまった。少々勢いが付き過ぎて、まるで突き飛ばしでもするような感じになってしまったので、流石にちょっと気まずくなって視線を逸らしたまま小声で「すいません」と呟いた。
「てか、呼ぶわけないじゃないですか、先輩は先輩です、歳関係ないっすよ」
「縦社会に慣れきった体育会系は融通が利かんな」
「そういうことじゃないですってば」
さっきまでぼんやり考えていたことを撤回する。そうだ、4月に始まって3月で終わる学生にとっては学年が全てだ、始まりと終わりはひっくり返らない。八神先輩はおれの先輩だ、それはどうやったって変わることがない事実だ。時間の流れを反故にして、先輩が先輩であることを止めるなんて狡いんじゃないか。
だけど先輩はおれが意固地になるほどどうしても名前を呼んで欲しくなったみたいで、路地裏におれを引き込んだと思うと電信柱の影、住宅街の壁におれを追い込んで両腕で作った檻の中におれを閉じ込める。
「真吾」
「呼びませんったら」
「……真吾」
どうにかその気にさせようとして、甘ったるい声で耳を擽ってくる。こそばゆくて脇腹の辺りがびくんと震えたら、先輩はもう一度「真吾」っておれの名前を呼んで首筋に唇で触れてきた。こんな場所で、一体何考えてるんだ。おれは先輩の肩を両手で押し返して不埒な狼藉から逃れる。
「今日はまだ自分の方が年上って言ったの、先輩ですよ」
「なら、明日から呼べばいい」
おれが何を言ったところで揚げ足を取ってくる。何だか、上手くこの人の策にハマってしまったような気がしないでもない。先輩とか後輩とか、同い年とか、本当はどうでもよくて、彼はおれに名前を呼ばれたいだけだしおれはそれが嫌なだけだ。
「明日からは同い年だ」
こっちから先輩≠ニいう一線を引いておけば、もう少しだけ誤魔化していられると思ったんだ。だけどもうそれは通じないらしい。そして彼がまた年上に戻る頃には彼はこの学園にいないことにも気が付いて、おれの手を引いて歩き出した先輩に「ずるいですよ」と言うのが精一杯だった。
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G学庵真。学園設定(2年と1年)だと、3月末生まれと4月頭生まれだから学期中は年齢違わないんですよね……という話。 | ||
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