絶撃の浜風 利根編 01 利根四号機
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絶撃の浜風 利根編

 

 

 

 

 

 

01

 

 

 

 

 

 

利根四号機

 

 

 

 

 

 

 

 

(2020年4月25日執筆 2021年8月9日 加筆修正)

 

  (2021年3月12日 冒頭加筆修正)

 

 

 

 

 利根型航空重巡洋艦ネームシップ・利根は、赤城が最も信頼する艦娘の一人である。ミッドウェーにおける彼女の働きは、あの戦況を覆す可能性を秘めた、値千金の索敵であった。それが生かされず、あのような悲劇を招いてしまったのは、麻雲中将以下司令部が無能だったからに他ならない

 

 

 利根もまた、艦時代からの記憶を全て受け継いでいた。ミッドウェーは、利根にとっても、妹の筑摩にとっても後味の悪い、苦い記憶だった

 

 

 

 巷ではよく「利根四号機の索敵ミスが、あの悲劇を生んだ」などと言われているが、事はそんな単純な問題ではなかった

 

 利根のカタパルトの故障で利根四号機の発進予定が0130より30分遅れた0200となった事が、米空母発見を遅らせる要因の一つという見方もある

 

 だが、対潜哨戒機の発進が0138に割り込み、実際の利根四号機の予定発進時刻は推定0148に繰り下げられている。故にカタパルト故障による遅延は12分程度であり、これにはあたらない

 

 それに、12分とは言え発進が遅れたからこそ敵艦と遭遇できたという側面も否定出来ない

 

 

 利根四号機が0200に第一機動部隊から発進した時の予定索敵線は、北より100度、進出距離300海浬、測程60海浬であった

 

 そして0428に利根四号機は敵艦隊を発見。敵機動部隊からの攻撃機もまだ発進していなかった。正に『殊勲甲』ものの敵艦発見であった

 

 

 「敵ラシキモノ10隻ミユ、ミッドウェーヨリノ方位10度、距離240浬、針路150度、速力20節以上」

 

 

 かの有名な、利根四号機から送られてきた電文である

 

 

 第一航空戦隊司令部では、小田寛三郎情報参謀が海図上にその位置を書き込んだと言われている

 

 問題は、利根四号機が報告してきた敵の位置であった

 

 それは本来利根四号機が飛んでいるはずの予定索敵線より150海浬(278km)も大きく北にそれていた

 

 筑摩一号機の予定索敵線と程近い位置を示していたのである

 

 何故このような事が起きたのか・・・

 

 

 実は、航海士が天測で導き出して利根四号機に伝えた出発位置そのものに誤りがあり、北に150海浬ずれていた。それを元に搭乗員が羅針儀を頼りに予定索敵線をなぞった結果、あり得ない位置を報告してしまったのである

 

 当然これは普通に考えてあり得ないのだが、報告を受けた司令部の誰もこの異変に気付かず、「おかしい」と言うものがいなかった。これは極めて不自然である。普通に考えて、海図にそれを記した小田寛三郎情報参謀が気付かないはずがない。司令部には航空参謀の源田実もいたにもかかわらず、である

 

 

 意図的に見過ごされたのではないとしたら、これは司令部の重大なミスである

 

 

 その後利根四号機は無事帰還している為、当時の索敵時の航法の関係上、羅針儀の故障や更正ミスの可能性は低い

 

 もし司令部がこの報告に疑問を持ち、航海士の伝達ミスであることに気付いていたら、戦況は大きく変わっていた可能性が極めて高い。いかな麻雲でも、雷装への再換装は無理だと判断したであろう

 

 

 利根四号機の索敵線は、距離こそ300浬までいかなかったものの、発進地点より方位100度をほぼトレースしていた

 

 索敵線を150海浬平行に南にずらすと、0428に敵艦の位置とぴたりと符合していたのである

 

 

 つまり、利根四号機はほぼ予定索敵線通りに飛行していたという事になる

 

 

 

 

 

 

 艦時代の利根の索敵隊は優秀であった。ミッドウェーの時も、敵艦隊を発見したのは利根の索敵隊だけだった

 

 

 にもかかわらず、利根四号機の評価が不当に貶められているのには、理由があった

 

 

 

 

 

 0130、第一次攻撃隊がミッドウェー島に向けて発進した直後、索敵機が発進した。榛名の水偵、筑摩四号機と一号機、利根四号機と一号機が東南方面に5線、加賀と赤城からはそれぞれ艦攻一機ずつが南西方面に2線に分かれて発進

 ミッドウェー島を挟んで、北寄りから東寄りへ計7線の索敵線が引かれた

 

 だが、当初予定されていた九七式艦攻十機を加えた二段索敵を行わず、艦攻は温存された。利根は経験上、索敵の薄さを懸念していた。敵艦隊もまた作戦行動で移動している。一段索敵では敵と入れ違いになる可能性もあった

 

 

 

 

それに・・・・索敵に従事している立場上、気になることもあった

 

 

 それは、敵発見率の低下である。ミッドウェー作戦行動前においても敵艦隊の所在を掴めず、現地での索敵行動も難航を極めていた。その一方で友軍が空襲を受けるのも一度や二度ではなかった

 

 

 この海域のどこかに敵艦隊がいるのは間違いない。にもかかわらず、全くといっていいほど会敵しない

 

 

 ここにきて、利根はひとつの疑念を抱いていた。ひょっとして、敵はこちらの動きを掌握しているのではないか?・・・・つまり、暗号通信が敵に解読されている可能性だった

 

 

 利根は考える。もし自分が連合国軍側の立場だったら・・・・・。自分なら、第一機動部隊を狙う。何故か知らないが旗艦大和を擁する連合艦隊との戦線も異様に伸びている。これではもし赤城たちが敵の強襲を受けたら、救援にはとても間に合わない

 

 本山六三八長官は、本当に第一機動部隊を守る気があるのか?・・・そんな気さえしていた

 

 

 

 

 その上麻雲中将は敵艦発見を諦め、近隣に敵機動部隊はいないと断じ、ミッドウェーにコースを定めている

 

 

 

 そんなはずがあるわけがなかった。これまでの機動部隊の位置とコース、索敵コースと範囲を考慮すると、それ以外の海域・・・・77度から100度付近に敵艦隊が潜んでいる可能性が高い。それが利根の見解だった

 

 当時の利根の索敵機パイロット達は優秀で、利根と同様に思っていた。この索敵には、国家存亡がかかっている。立場や外聞などに構っている場合ではない

 

 

 

 彼らが危惧するまでもなく、その事は山口多聞少将が、麻雲中将に進言していた。だが、麻雲は聞き入れなかった

 

 

 

 パイロット達は一計を案じ、カタパルトの故障と偽り利根四号機の発艦を遅らせ、先に発艦した筑摩索敵隊とは意図的に時間差索敵になるよう画策した。更に羅針儀の更正不良を理由に途中からコースを変更し、敵艦隊が潜んでいると睨んだ海域に展開した

 

 これなら、例え通信傍受されていたとしても、敵の裏をかける・・・利根はそう踏んでいた

 

 

 

 ビンゴだった。利根4号機は敵艦隊10隻を発見した。利根の中で、暗号通信解読の疑惑が、確信に変わった。直ちに機動部隊旗艦赤城へと通信が送られた。もしこの通信が傍受されているとしたら、敵は全力で当海域を離脱するだろう。迅速な対応が必要だった

 

 だが、機動部隊からの返信は「引き続き索敵を行い、艦種を報告せよ」との事だった

 

 

 建前として、敵艦隊の中に空母がいるか否かを知りたいというのはわかる。だが、通信を傍受されていたと仮定した場合・・・・状況的にこれは敵機動部隊である可能性が極めて高い

 

 もしこれが敵機動部隊だとしたら、今が千載一遇のチャンスである。この上索敵を継続するなど、機を逸する愚策としか思えなかった

 

 そして忘れてはならない。これは同時に、我が第一機動部隊の、最大の危機となる可能性が高いのである

 

 

 

 

 これは、利根のオブラートに包んだやさしい言い回しであって、「索敵の継続」の真相はこうである

 

 

 麻雲以下司令部は、海軍軍令部の意を汲んだ本山六三八長官からから、含みを持たされていた

 

 本山連合艦隊司令長官は、米機動部隊撃滅を重視していたが、長野修己軍令部総長はこれに難色を示し、ミッドウェーの攻略と哨戒基地の前進を示唆していたものの、主目標がどちらであるのかを明確にしなかった。その上で本作戦の主導権を本山に掌握させる見返りとして、ミッドウェー島攻略を最優先事項とする軍令部の意見を受け入れ譲歩させていた

 

 

 見方を変えれば、米機動部隊の撃滅を、海軍軍令部がそれとなく邪魔をした形となっていた

 

 

 本来ならば、敵機動部隊を壊滅した後それを成すべきであったが、麻雲は本山の意を汲み当海域に敵機動部隊はいないと決めつけ、当初予定されていた艦攻による二段索敵を取りやめていた

 

 一段索敵も、一応念のためというよりも、単なるポーズの意味合いが強かった

 

 八機もの艦攻を偵察に回す事を惜しみ、温存していたのである

 

 

 

 そこへ、0428、利根四号機からの敵艦発見の報である

 

 

 

 麻雲の心は、既にミッドウェー島攻撃に移っていた。28分前に飛龍攻撃隊の友永丈市大尉からは、ミッドウェー島に対する「第二次攻撃ノ要アリ」の報を受け、赤城、加賀の雷装を爆装に換装させていた

 

  

 もし、この時麻雲貴下司令部が、利根四号機の索敵線の異常に気付いていれば、間に合ったかも知れなかった。麻雲にとっては、実はこの時が最後のチャンスだった

 

 

 

 事態は既に、遭遇戦の様相を呈していたのである・・・・

 

 

 

 

 だが麻雲は、ミッドウェー攻略を諦めきれなかった。半年前の真珠湾攻撃において、工廠や重油タンク施設を破壊せず撤収した事で、本山から激しく罵られた事が頭をよぎったのかも知れない

 

 

 

 「艦種確メ接触セヨ」

 

 

 

 これが、利根四号機に出された返信であった

 

 

 利根は頭を抱えた。そして思う。司令部の指示には従おう。引き続き索敵は行う。だが、通信傍受されていると確信に至った今、索敵隊の行動も敵に筒抜けである

 ましてや艦種を判別となると、低空で接近し敵の機銃掃射の中を掻い潜らなければならない。たかだか360km/h程度の速力しかない水偵でそれをやることは、『死ね』と言うに等しい。確実に索敵隊の何機かは失われる事になる

 せめて艦攻隊の半数、いや三分の一でもいいから直ちに発艦して欲しい。このチャンスを失いたくはない

 

 

 だが、利根は知らなかった。麻雲中将は既に雷装を外させ、爆装に切り替えさせていた事を・・・

 

 

 

 

 常識的に考えて、この戦況で空母機動部隊を伴わない艦隊がこの海域に展開しているわけがなかった。米軍はこんなとこまでのこのこ遊びに来ているわけではない

 

 麻雲がこんな簡単な事に、気づかないはずがない

 

 

 

 だからこそ・・・・

 

 

 

利根四号機にはああ言ったものの、麻雲中将以下司令部は動揺していた

 

 今から更に雷装に切り替えるとなると、更に時間を要する事になる。整備士の負担も尋常ではない。仮に雷装に換えたとして、空母がいなかったら・・・・

 逆にもし空母がいたら、爆装では沈められない・・・・そんなジレンマに、司令部は判断を躊躇し、悪戯に時間を無駄に費やしていた

 

 

 

 

 

 この時、麻雲はこの作戦の失敗を本能的に感じ取っていたのかも知れない

 

 

 

 この時の司令部の空気は、利根四号機の敵艦発見の報を曖昧のうちに、作戦失敗の責任を同機になすりつける算段をしていたようにも見えた

 

 

 

 

 

 

 そんなぐだぐだな麻雲に《活》を入れるべく、司令部では飛龍から乗り込んできた名将山口多聞少将が気焔を吐いていた

 

 

「艦爆隊でもいいから、今すぐ発進しないと手遅れになる!」と

 

 

 山口多聞少将からしてみれば、空母が艦載機を満載したままで敵の攻撃を受けることは、火薬庫に火を付けるようなものであった

 

 一刻も早く艦載機を発艦させ、爆装でも何でもいいからとにかく敵空母の甲板に穴を開けるだけでもやるべきと考えていた

 

 

 

この、山口多聞少将の進言は、慧眼であった。

 

 もしここですぐに艦爆隊を発艦させていたら、少なくとも誘爆による加賀、蒼龍、赤城の沈没は避けられたかも知れなかった

 

 航海士の天測が誤っていなければ、戦況は全く逆になっていた可能性もある

 

 

 確かに、艦戦の護衛もなく艦爆隊で攻撃を仕掛ける事は、こちら側の被害も甚大になる可能性は高い

 爆装では空母は沈められないという麻雲の意見もあながち間違いではない

 

 米空母の多くが甲板下に装甲を施しているため、爆撃で沈めるのは容易ではなかった。それでも敵艦載機の発着艦を阻害する意味でも、飛行甲板を爆撃で破壊する意義は大きかった

 

 艦戦に比べれば、艦爆は確かに格好の的ではあるが、一度急降下爆撃に入ったら、艦戦でも止める事は出来なかった

 

 

 

 

 この、麻雲中将が却下した直掩機をつけない艦爆隊による攻撃であるが、今、正に赤城たちに襲い掛からんとしていたのは、スプルーアンス少将麾下のエンタープライズから発進したSBD艦爆隊であった

 

 通常であれば、SBD隊と艦戦による直掩機が揃うまで上空を待機させ、編隊が組まれてから攻撃に向かう。だが、それではかなりの時間を要し、一刻を争うこの戦いに於いては機を逸する事になりかねない

 

 スプルーアンス少将は、発艦したSBDが3機程揃ったところで、直掩機をつけずに順次攻撃に向かわせた。確かに、このSBD隊の多くは撃墜され、その被害は甚大であった・・・・だが、

 

 

 このエンタープライズSBD隊こそ、赤城たちを葬りミッドウェーを勝利に導いたのである。それは皮肉にも、山口多聞少将の進言の正しさを証明するものであった

 

 

 

 

 山口多聞少将は、部下たちに『お国のためにその命を俺にくれ!』と言い切れる将官であった

 

 

 

 事態は既に、そこまで差し迫っていたのである

 

 

 

 

 

 だが、麻雲はこれを却下した。当然発艦命令は出されなかった

 

 それどころか中途半端なタイミングで雷装への再換装を命じた。最悪のタイミングで、最悪の決断をした。それが第一機動部隊の命運を分けた

 

 

 

 「運命の5分間」などという、そんなものはありはしなかった。それは、当時の司令部の生き残りが責任逃れをするための言い訳に過ぎなかった

 

 

 

 利根が思うところは他にもあった。麻雲機動部隊が懸念すべきは、攻撃隊が空振ることではない。その間に敵の攻撃を受けてしまうことである

 

 麻雲は攻撃にばかり前のめりになりすぎて、守りがおろそかだった

 

 なれば、山口多聞少将の進言通り、爆装済みの艦爆を一刻も早く空母の外に出し、誘爆のリスクを回避しなければならない。更には、上空には交代で艦戦による防空の傘を張るべきである

 

 そういう意味では、アリューシャン作戦に同時展開させている龍驤と隼鷹の不在が悔やまれた。彼女らに艦戦ガン積みして防空に当たらせていれば、SBDの空爆を防げたかも知れなかった。五航戦の翔鶴と瑞鶴が不在なればこそ、当然そうすべきであった

 

 

 そもそも何故四隻の主要空母に密集隊形をさせているのか。護衛の艦艇も、いかにも少なかった。我々は今、受けに回っている可能性が高い。なれば空母撃沈のリスクを分散するためにも、機動部隊はもっと広範囲に展開すべきだ

 

 

 これでは、まるで沈めてくださいと言っているようなものだ

 

 

 

 

 

 利根と多聞の懸念通り、密集隊形を採っていた加賀、蒼龍、赤城は次々に沈められた

 

 

 

 蒼龍は三発の爆弾が甲板を貫通し格納庫で爆発、整備中の艦爆や爆装が次々と誘爆し一瞬にして大破。後に磯風の雷撃による介錯で最期を迎えた

 

 加賀には五発の爆弾が命中し、その内の一発が艦橋前に置かれていた小型燃料車に直撃し引火、爆発し艦橋が吹き飛び幹部が全滅、全艦火達磨となりガソリン庫に引火、大爆発ののち沈没という壮絶な最後であった

 

 赤城に至っては、たった一発の500キロ爆弾が格納庫で誘爆し、内部から乗員もろ共焼き尽くされた。舵が効かなくなり洋上に停止、第四駆逐隊によって雷撃処分された

 

 

 

 あの時山口多聞乗艦の飛龍だけが難を逃れたのは、敵機の雷撃を回避しながら密集隊形を避け、本体から50q離れた雲の下に移動していたからであった

 

 

 

 

 

 

 そして、第一機動部隊が敵の攻撃を受けていた頃、そのはるか後方・・・300海里(約550km)離れたところを航行していた連合艦隊旗艦「大和」の作戦室で、本山六三八司令長官は、将棋を指していた

 

 

 しかも

 

 

「赤城」、「加賀」、「蒼龍」の被弾炎上という急報を受け取った時・・・・

 

 

 

 

 

 

 

「うむ」「ほう、またやられたか」の一言だけをつぶやき、将棋はやめなかったという

 

 

 

 

 

 

 

本山は、初めから第一機動部隊を助ける気など・・・更々なかったのである

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

この時の第一機動部隊の陣容は、この通りであった

 

 

 

第一機動部隊 

第一航空戦隊 空母 赤城(沈没) 加賀(沈没)

第二航空戦隊 空母 蒼龍(沈没) 飛龍(沈没)

第八戦隊   重巡 利根 筑摩

第三戦隊   戦艦 榛名 霧島

第十戦隊   軽巡 長良

第四駆逐隊  駆逐 嵐  野分 萩風 舞風

第十駆逐隊  駆逐 秋雲 夕雲 巻雲 風雲

第十七駆逐隊 駆逐 磯風 浦風 浜風 谷風

 

 

 

完全に、一、二抗戦をターゲットとした狙い撃ちである

 

 

 

 

 

因みにこの時、第一機動部隊のはるか550km後方を航行していた艦艇は以下の通りである

 

 

 

連合艦隊 戦艦 大和 長門 陸奥

三水戦  軽巡 川内

十一駆  駆逐 吹雪 白雪 初雪 叢雲

十九駆     磯波 浦波 浜波 谷風

空母隊  空母 鳳翔

     駆逐 夕凪

特務部隊 水母 千代田 日進

 

第一艦隊 戦艦 伊勢 日向 扶桑 山城

第九戦隊 軽巡 北上 大井

二四駆  駆逐 海風 江風

二七駆  駆逐 夕暮 白露 時雨

二〇駆  駆逐 天霧 朝霧 夕霧 白雲

 

第二戦隊 重巡 愛宕 鳥海

第五戦隊 重巡 妙高 羽黒

第三戦隊 戦艦 金剛 比叡

四水戦  軽巡 由良

二駆   駆逐 五月雨 春雨 村雨 夕立

九駆   駆逐 朝雲 峯雲 夏雲 三日月

     空母 瑞鳳

第七戦隊 重巡 三隈(沈没) 最上 熊野 鈴谷

 

八駆   駆逐 朝潮 荒潮

二水戦  軽巡 神通

十五駆  駆逐 親潮 黒潮

十六駆  駆逐 雪風 時津風 天津風 初風

十八駆  駆逐 不知火 霞 陽炎 霰

 

一一抗戦 水母  千歳 神川丸

     駆逐  早潮

     工作艦 明石

 

第六戦隊 軽巡 香取

 

第八潜水戦隊 潜母 愛国丸 報国丸

       潜水艦 伊15 伊17 伊19

           伊25 伊26 伊174

           伊175 伊122

 

第三潜水戦隊 潜母 靖国丸

       潜水艦 伊168 伊169 伊171

           伊172 伊9 伊123

 

第五潜水戦隊 潜母 りおで丸 やねろ丸

       潜水艦 伊156 伊157 伊158 

           伊159 伊162 伊164

           伊165 伊166 伊121

 

 

他 

 

油槽艦

哨戒艇  多数

 

 

 

 

 

 

 

 多数の油槽艦を護衛する関係上、500kmに及ぶ後方を航行する事は妥当という意見もある

 

 

 

 しかし、この艦隊には、大和を含む9隻の戦艦、2隻の空母、4隻の水母、8隻の重巡、6隻の軽巡、39隻の駆逐艦に23隻の潜水艦という、大日本帝国海軍の主要な艦艇が集結していた

 

 油槽艦の護衛のためだけにこの陣容というのは、言い訳にしてもいかにも苦しい

 

 特に超弩級、弩級戦艦を全て投入している。燃料消費も、とんでもない事になっていたはずである

 

 つまりそれは、大日本帝国海軍の、ミッドウェーにおける戦いへの本気度の現れと見て取れる

 

 にもかかわらず、虎の子の空母機動部隊のみを密集陣形にして最前線に晒すという愚を行った。これはどういう事であろうか

 

 これらの艦艇の半数でも直営に当たらせ、輪形陣で防空に当たらせていれば、このような事にはならなかったのではないか?

 

 そもそも、麻雲が取りやめにした二段索敵であるが、水母を全て第一機動部隊に編入させていれば、35〜6機の偵察機が運用可能であった

 

 二段索敵は、余裕で可能だったはずである

 

 

 これらの事を鑑みるに、少なくとも、2隻の空母と水母、護衛として重巡8隻程度を合流させていたら、戦況はもっと違ったものになっていたかも知れない

 

 

 

 

 

 

 

 後に利根は筑摩に語っている

 

 

 

 

「あの戦争の敗因は、麻雲中将と本山六三八司令長官にある。麻雲は元来水雷屋で機動部隊司令の器ではなかったし、本山は恐らく敵国と通じておったんじゃろうのう」

 

 

 

 艦娘として、この世に再び生を受けた、艦娘「利根」は、深海棲艦との戦いの合間に、大東亜戦争の顛末や、本山六三八その他の主要人物について調べていた

 

 

 利根の個人的なレポートによると、本山六三八撃墜死事件、所謂海軍甲事件は、色々と不審な点が多い事が記されている。何故あのような敵の制空権近くをろくに護衛も付けずに陸攻で飛行したのか。とてもではないが、全軍を率いる海軍のトップのする事ではない

 

 

 

 

 これは利根の憶測であるが、本山六三八は、学生時代、アメリカに留学していた時期がある。当然アメリカの国力も、その実力も、一般的な日本人よりもはるかによく知っていた

 

 

 にも関わらず、アメリカとは戦争をしない条件で東南アジアへの出兵を承認した昭和天皇の意に反し、本山は執拗に真珠湾攻撃を主張した

 この案が受け入れられないのなら、総大将を辞するとまで言い切った。戦後よく引き合いに出される人格者としての本山像からは想像もつかない愚かで無謀な振る舞いであった

 

 

 当時のアメリカ大統領ルーズベルトは、イギリスのチャーチル首相の要請で、ヨーロッパ戦線への参戦を画策していたが、肝心の米国民が他国の戦争への介入を嫌っていた

 そこで日本を締め上げ、アメリカに宣戦布告させ、国民を開戦へと誘導しようとしていた。ハルノートによる満州鉄道の利権要求、満州からの引き上げ要求、石油の輸出禁止などもその戦略の一環であった

 ルーズベルトにとって、日本との戦争は単なる呼び水に過ぎず、本命はあくまでヨーロッパ戦線のナチスドイツ軍であった。言ってみれば、日本はアメリカとイギリスの事情に巻き込まれたに過ぎなかったのである

 

 

 これに対し日本はあくまでアメリカとの対立は避け、不足する石油資源は東南アジア諸国を同胞とすることで確保しようとしていた。にも関わらす、本山はアメリカに牙を剥く事を主張し続け、結局は開戦に踏み切った

 これは、明らかに利敵行為であり、ルーズベルトとの密約があったと疑われても不思議はない・・・・利根はそう考えていた

 

 

 

 本山六三八の乗っていた陸攻の動向は、アメリカ側に完全に掌握されていた。恐らく本山は、自分はアメリカと通じている為、撃墜されるわけはないと高をくくっていたのかも知れない

 

 だが、アメリカ側からすると、そのような無謀で不自然な行動を、仮にも海軍のトップが行ったとなれば、少なからず本山にスパイ疑惑が持ち上がらないとも限らない。他にも内通者がいたとしたら、本山から芋ずる式にスパイが摘発される恐れもある

 

 

 大東亜戦争の大勢は既に決していた

 

 

 頃合いとばかり、本山は口封じに撃墜処分されたのではないか・・・・そう利根は思っていた

 

 

 

 

 

 

 (2021年6月12日 執筆)

 

 

 

 

今となっては、真相は確かめるべくもない

 

 

言ってみれはこれは利根の・・・ただの《妄想》である。

 

 

 

 

いずれにせよ、今となっては最早どうでもいいことである

 

 

艦娘として生まれ変わった今の利根は、請われるままに様々な艦隊を転々としていた。さながら傭兵のようでもあった

 

 

 それでも、当時の事を思うと赤城達には同情の念を禁じ得ない。それは今でも変わらなかった。だから、ミッドウェー組からの要請があれば、何を置いても呼びかけに応じた。細かい説明はいらない・・・・

 

 空母と航巡という艦種の違いはあれど、お互いがお互いを認めあう戦友のようなものである

 

 

 

 

 

 

「・・・・退屈じゃのう・・・」

 

 

 

 

 

 

今日も利根は、退屈凌ぎに傭兵紛いの日々を送っていた

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

筑摩 01 筑摩の憂鬱 につづく

説明
絶撃シリーズスピンオフ第二弾 利根編です
赤城さんのエピソードを利根視点で補完する内容になっています
この作品はフィクションです。誤解のないようお願いします。
2022年1月3日 加筆修正しました
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