主従が別れて降りるとき 〜戦国恋姫 成長物語〜 |
17話 章人(14)
戦功をあげて、尾張清洲の地へ無事に戻ってきた章人たちであった。
「さて、私は久遠と話をしてくる。ひよたちはどこかで時間を潰していてくれ」
「かしこまりました。でも……。川並衆二千人近くを養える知行なんてもらえるんですかね……?」
「え……?」
木下秀吉が言ったそのことは、蜂須賀正勝を心配させるには十分なことだった。自分はともかく、部下たちまで路頭に迷わせるわけにはいかないため、章人がきちんと知っているのか、それも心配だった。章人は幸いにして、日本のどの大学を受けてもほぼ満点が取れる程度の日本史の知識はあった。○○家の家紋を挙げよ、判別せよと言われたりすればお手上げであり、木下秀吉や前田利家はともかく、織田家中でも滝川一益や佐々成政、森一家などは名前すら初めて知ったのではあるのだが。そんなわけで、日本史を学ぶ者を古代〜近世で一番泣かせる「土地制度史」の理解はあり、ここで書類仕事をするにあたってその理解もさらに深めていた。簡単に言ってしまえば、この時代は大名が家臣に知行という名の土地を与え、家臣は与えられた土地の分に応じた軍役などの「役」を負担するという貫高制をとっているのである。家臣はそれに加えて、土地経営で自分の部下を養う必要があった。
「知行を増やす方法には考えがある。ひとまずはこいつに加えてこの倍くらい要求するから、それで巧妙にごまかせばいい」
そう言って章人が見せたのは、小粒金が入っている巾着袋だった。書類仕事の給与、賃金、恩賞といえるものも小粒金で要求していたため、今の手持ちだけでも、川並衆全員を半年前後養う程度の金は持っていたのだった。
「さすがは早坂殿です! 知行を増やす方法……?」
「それはまだ秘密。ひよならどうするか、考えてみるといいだろう」
そんなことを告げ、清洲城へ到着した章人であった。
「章人! よくぞ、よくぞやってくれた……!!」
評定の間に入るなり、信長に抱きつかれた章人であった。「私は何もしていないがね。とはいえ、ひとまず勲功をあげられてなによりだ」信長の頭を撫でながら、章人はそう告げた。
「何もしていない……?」
「そのあたりの話をしにきたのだ。あまり面白くない話題ではあるが、致し方ない」
「論功行賞、というわけか……。これだけの功を立てたのだ。可能な限り話は聞こう。言うだけ言ってみよ」
「礼を言う。まず一つ目だが、今回働いたのは、案を出して全体の監督をした木下秀吉と、実働部隊である川並衆をとりしきっている蜂須賀正勝だ。そのふたりを侍まであげてほしい。といっても、知行をよこして独立させろとまでは言っていない。知行は私と共通というべきか、私の知行の一部、という認識で構わない。重要なことは、練習してからではあるが、馬に乗ることができることと評定の間へ出られることだ。その権利を持たせてやりたい」
「なるほどな……。それに関しては、お主が急な出世を妬む者から守れるならば大丈夫であろう」
最下層から信長に仕え、桶狭間でわずかな勲功をあげただけの木下秀吉が侍になる、というのはかなり無茶苦茶な話だったのだが、有能であれば身分を問わないというような、いわば「時代の改革者」とでもいうべき柔軟な思考を信長がもっていたのが幸いし、了としたのだった。
「二つ目だが、今回の実働部隊は先ほども言ったが、川並衆という野武士たちだ。2000人前後いるのだが、大きく織田の側についた以上、我々の部下とならざるを得ない。要は早坂隊に組み込みたい。僻地でいいから、長屋が欲しい」
「それはたやすい。ただ……。その者たち全員を養うほど知行をいきなり出すのは難しいのだが、そこは大丈夫なのか?」
「私は書類仕事の恩賞というか賃金とでも言うものを小粒金で貰っているし、今回の勲功でもそれなりにはくれるのだろう? ひとまずの財政はそれで問題ない。知行の量にもよるが、川並衆に知行の管理もやらせるつもりだから、そうは言っても長屋に住むのは1000人もいないだろうな。そのへんは実際に知行をもらってみないとわからないところではあるがね」
「渡す知行に関しては考えている。あとで告知する。渡す小粒金に関してはもう用意しておいた。上手く使うのだ。ところで、あといくつあるのだ? そして、長屋を使うということは、お主は我の家を出るのか?」
幸いにしてこれまでは現実的な話であったため、信長も二つ返事で了承できるものだったが、勲功もあまりに量が多ければ他の家臣からの妬みをかい、不公平という悪評を立てかねないものだったために、信長も不安になってしまったのだった。それに加えて、長屋をつくるということは、一般的にはそこへ住むことと同義であった。自分の家にいるからこそ、様々な話をきけ、武術の稽古をつけてもらうことができたが、それができなくなるのは信長にとっては嫌なことであった。
「いくつあるんだろうな?
いや、久遠が許すならば、私自身は長屋ではなく、久遠の家に住むのを続けたい。何と言っても、飯がまずいのでな。まだ武術の稽古も続けねばならぬだろうし……ね」
章人にとって、まともな飯を食う、ということは非常に重要なことだった。学院で寮に住んでいない理由の一つに、飯がまずいということがあるくらいには食にうるさい章人である。もちろん、自分で3食つくることはできるのだが、ガスコンロもなくすべて薪や炭火を使い、まして冷蔵庫すらない、買った食材の大半はその日、あるいはその食で使い切らなければいけない、という環境で3食作るのならば、それに時間を割くよりも自分の舌を満足させる料理人である帰蝶の料理を食べていた方が楽なのだった。
城下の食事処も一通り回ったが、3食食べるにあたって帰蝶とどちらを選ぶか、と聞かれれば一も二もなく帰蝶、というくらいには帰蝶は料理上手なのであった。
「……礼を言う」
「礼を言われるようなことを言ったつもりはないがね。
あとは、そうだな……。織田家中全員を集めた評定を開催してほしい。美濃を落とすには家中全員の力がいる。それを見ておきたいのだ。場合によってはそこで何かしら言うかもしれんがな」
「それも問題ない。いつがいい?」
この評定の開催を呑むか否か、それは章人にとって分のいい賭けだった。一切、顔に出すことはなかったが、信長があっさり呑んだことに一安心した章人だった。これが自分の部隊を、そしてひいては信長を、次の段階へ押し上げることになると確信していたからである。
「私が知行をもらって、経営というべきか? が落ち着いてからだろうな。美濃攻めも、あと一波乱、二波乱くらいはあると読んでいるし、最終的な城攻めの前にはなるだろうが、今すぐではない。時期は前後するだろうが、その時がきたら直接言うとしよう ひとまず勲功の依頼はこんなところかねえ。まあまた何か思いついたらその時は言いに来る」
「承知した。お主はこれから……?」
「ひよところに軽く伝えてから、書類と文官たちを裁くため、仕事部屋へ行ってくる。2日分たまってしまったからな」
「全く、初陣で極めて困難だったものを勝利で飾ったにも関わらず、何一つ変わらんな。どれほど大物なのだ、お主は」
「目標は日の本全土の統一なのではなかったか? 墨俣への築城など、勲功にはなれど、それだけだろう?」
最後にそうこたえて、評定の間を辞した章人であった。そうして木下秀吉と蜂須賀正勝を探しに城下町へ行くことにした。
「早坂殿!!! あの、わた、わたしが……」
「あの、その……」
城下町、というより城門を出てすぐのところで木下秀吉と蜂須賀正勝を見つけた章人だったが、二人の様子は見るからに普通ではなかった。というより、章人を見つけるなり、抱きつき兼土下座をされているかのごとき状況である。
「ああ、聞いたのか。ひよ、ころ、二人ともそれだけの勲功を挙げたのだ。臆することはない。むしろ、その位に恥じないように努めるのだ」
「でも……。早坂殿から進言されなければ、こんなことは……」
「嫌だった?」
「え? それは……」
馬に乗れ、評定の間に出ることまで許される、侍という特権身分に自分たちがなるなどということは、木下秀吉はもちろんのこと、蜂須賀正勝でさえ一度も考えたことがなかったのである。
「ちょっと意地悪だったかな? さて、川並衆は一度解散してくれたみたいだし、ひよはともかく、ころにも来て欲しいところがあるから一緒においで」
「来て欲しいところ……?」
そうして2人を連れてきたのは、日当たりも悪ければ活気のいい店すらない僻地にある章人の仕事部屋であった。木下秀吉にとっては見慣れた場所だったが、蜂須賀正勝にとって、章人がこんなところで平時に執務をしているというのは唖然とするところであった。しかし、この日はちょっと様子が違っていた。「お帰りなさいませ、早坂殿!」と、城の文官たちが満面の笑みで待ち構えていたのである。
「墨俣は無事終わった。待たせていたお前たちの陳情を裁くとするか」
「助かります。おや、そちらの方は……?」
「新たな部下となった、川並衆の頭領で蜂須賀正勝という。ひよと同じでよく会うことになるだろう。よろしく頼む」
「なんと……! 木曽川の水運をとりしきっている川並衆の頭領でしたか! では木曽川流域の調略も頼めるかもしれませんな……。これで織田の未来をさらに明るくなることでしょう。さすがは早坂殿です」
「は、はい! 蜂須賀正勝。真名は転子といいます。ころとお呼びください!」
さすがだな、三つの意味でそう思った木下秀吉であった。蜂須賀正勝を紹介するために、一番歓迎される機で連れてきた章人に対するもの、そして川並衆の概要をすでに知っている文官たちへ対するもの、それに加えて友人の名の通り具合へ対するもの。すべて、章人の演出であると考えると、これからどうやって知行を増やす未来を描いているのか、気になって仕方なかった。
「さて、ころは私が裁く裁き方をよく見ているんだ。ひよは書類の分類をやってみてくれ」
そんな任務を与えた章人であった。その裁きを見ていた蜂須賀正勝は、自分はどれだけすごい人物に仕えてしまったのだろうか、そう考えていた。自分から見ても、どう考えても無理なものには無理と伝えるが、そういう者にはかわりの案を用意し、主張が食い違っているものには巧妙に妥協点を与えていくという、鮮やかなものだった。これまで見聞きした決裁といえば、頭ごなしにただ怒鳴りつけるだけだったが、それをすることは一度としてなかった。蜂須賀正勝は知らないが、実は章人はそれを一度はやったことがある。しかしそれは、怒鳴りつけることで、自分を敵に見立て、相反する2人の手を結ばせる策略であった。
「さて、あとは書類の返答をして終わりだな。ひよ、私がさんざん書いているのはもう見ているだろう? 陳情書ではない紙に、ひよならどう書くか書いてみるのだ」
「え!? 私がですか? でもそんなこと……」
「返答するものには、最終的には私が書く。だから何も心配はいらん。私はころと厨房の掃除をしているから、そのうちにやってみるのだ」
「厨房の、掃除……?」
「前に言ったと思うが、戦勝記念かつ出世祝いにわらび餅を作ってあげようと思ってね
時間もあるし、ちょうどいい。砂糖も大豆も手に入れたから材料はある。砂糖があるとは、南蛮商人には頭が上がらんな。あとは台所をきれいにするだけだ。まあ私は台所、より厨房と呼ぶほうが好きだからそう呼んでるだけだが、要は手つかずのこっちの掃除だ」
そう言って章人が指さしたのは竈があるところであった。そこまで掃除する時間ををこれまでとることは難しかったのである。この家は平屋ではなく、2階もあるにはあったが、そこもほぼ手つかずだった。そうしてほぼ半刻掃除に明け暮れ、ようやく厨房はきれいになったのである。
そうして、木下秀吉と蜂須賀正勝が見守る中、わらび餅を作り上げ、井戸で冷やして完成させた章人であった。美食の限りを尽くしてきた章人をしても、これほどの、自分の世界でも最高級に位置するようなわらび粉をこの世界で手に入れられるとは思っていなかったため、作るのは多少の度胸が必要だった。
「こんな黒いのが、わらび餅……?」
「お好みでさっき擂ったきな粉をかけて召し上がれ。これまで食べてきたのとは全く別物だと思うけども、これがわらび餅だ」
「そもそも、私たちが何かしなきゃいけないのに、早坂殿にもらってばかりで……。いいんですか? というかひよ、食べる気満々じゃない……」
「結菜様のおにぎり食べさせられたこともあるし……。なんか開き直っちゃったほうがいい気がしたの」
「それは間違ってないな。まあ結菜が作るよりまずいかもしれないが」
「そういう意味じゃないですよぅ!!」
後書き
貫高制やら土地制度史に関しては、これが小説で、研究発表やら論文ではないのでゆるめの表現になっております。恋姫とはちょっとベクトルが違うので、小難しい表現はなるべく使いたくないという思いがあったりもします。
だいぶ前にもお伝えしましたが、恋姫と戦国恋姫で思いついた方から順にupしていこうと考えています。
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第2章 章人(1) 序話と1〜3話(千砂の章まで)の加筆修正が終わりましたので、お時間あるときにでも目を通して頂けると幸いです。 |
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