マジコイ一子IFルートその2 |
その構えはまさしく『顎』。
絶好の間合いから放たれる静かな殺気は一切の不純を許さず、精錬された清浄さすら思い浮かべるほどに練り上げられていた。
「…………」
もはや一子に言葉はいらなかった。その意思、その思考、全てがこの一撃に込められていると。体が語っていた。
「…………」
それに対するも研ぎ澄まされた一筋の閃光を想わせる針のごとき鋭い気迫。足の先から髪の毛の一本に至るまで、付け入る隙などどこにもなく今にも空気を引き裂くような錯覚すら覚えてしまう。
その空気になびく黄金の髪を持つ騎士は己が得物に絶対の信頼を置き、この一瞬先に待つ決着へ意識のすべてを注ぎ込む。
それまでに積み上げてきた努力は己が揺るがない誇りに、これまで築き上げてきた武道の技は自身の信じぬいた信念に。怠ることなく極め続けた技術を今この瞬間のためだけにすべて出し切る。相手への敬意と感謝と称賛をこめて。
この一戦を、生涯誇れるものとするために。勝っても負けても悔いることなく、嘆くことなく恨むことなく……
この瞬間だけ、騎士としての本当の喜びに感謝して……
既に限界を超えた者は、その身に焼き付けた技に最大の信頼を込め武器を握る。
それまで蓄積してきたものは体が鮮明に覚えている。もはや頭で考える必要もなく、することもできない。
体の感覚はわずかに残った触覚だけ。しかしそれでも立ち続けられるのは何千何万と繰り返してきた修行によるもの。型など意識していなくても自然と組んでいた。
もはやその目的すら思い出すことができないほどに、思考能力は低下していた。
打撲、切傷、骨折、出血、断裂、様々な痛みが今なお一子の体を侵し続けている。だが痛みはない。痛覚は情報を脳へと伝達することを放棄し、死へのリミッターを解除していた。それは人為的な作用ではなく、伝達することすら出来なくなった機能異常の一つである。
「……フヒュゥゥ」
明らかに異常な呼吸で身体を強制的に引き締める。
伝達系統は数少ない正常な回路を限界以上に酷使する。
少しでも動かせる筋肉があれば容赦なく全開に張り詰める。
「フュ…フヒュ……」
まだいけると、まだ戦えると体が吼え。
眼前の敵へ最大の礼と、最高の殺意を心は贈り。
彼女という存在は、絶対の勝利を諦めなかった。
場の空気が肌を刺す。
未だ夏の日差しは衰えることなく燦々と会場を照らしているにも関わらず、川神院にのみ限って氷に満たされたビニール袋のような怖気と危うさが同居していた。
「…………」
もうこの場で声を出すものはいなかった。目の前にある会場から漏れ出す異質な空気はもはや呼吸することすら許さないとでもいうかの如く、一人一人を威圧している。
「……ワン子」
セコンドはただ一言。それを口に出すだけでも汗が噴き出るほどに狼狽する。
目の前に広がる光景にその思考はとっくに焼き切れていた。
誰がどう見ても重体でしかない一子の姿は、その実刃のごとき鋭さを錯覚させるほどに充実している。否、そこまで研ぎ澄まされていた。もはや一寸の無駄もできないからこそ、己が全てを絞り出し続け、やっと必殺の一撃のみが放てる程に練磨したのだ。限界を打ち砕くことを代償に。未来など全く考えず、今この瞬間に勝負を決するためだけに。
それまでの修行を見てきたからこそ彼には理解できた。才能がないからこそ、そのハンディキャップを努力で埋めることができたのだから。愚直なまでに素直に取り組んできたからこそ、呆れるほど前向きに努力してきたからこそ、決して折れない不屈の心は体の芯まで沁み渡ったのだと。
(ワン子……)
悔しさと歯がゆさに肩がふるえる。自分の外から応援することしかできないことへの不甲斐なさと、ワン子の揺るぎない夢への執着心に対する己の矮小さに。
だからこそ、今はただ祈るしかない。
決して彼女が負けないでほしいのではなく……
決して折れてしまわないでほしいために……
「……」
「……」
透きとおる静寂の音は、騒がしいくらいに見ている者を焦らせる。
おそらくは次の一瞬。ほんのわずかに何かきっかけさえあれば決着はつくと、誰もが理解していた。
一子が勝ったとしても、クリスが勝ったとしてもおかしくはないと思えるこの極限状態。されどその緊張はその奥に眠る期待に火をつける導火線となり、皆一様に暑さからではなく汗が頬を伝う。
凍りつくほどに長い静寂。
しかしその静寂は
次の瞬間に
爆裂した。
掛け声もなく、両者は最速で特攻へ挑んだ。
時間にして1秒にも満たない最速の激突。
しかし二人にはそれまでの時間があまりに長く感じられた。
(なんと緊迫する瞬間か……)
極限状態まで精神を練り上げ、限界まで集中力を絞った状態でクリスはふと想う。
まるで飴のなかを進んでいるかのような錯覚。もともとスピードを主体として闘ってきたクリスでも未だ味わったことのない未知の感触。スピードだの時間だのと、そういった些細な言葉では到底表すことのできない刹那の覚醒。体よりも先に精神が先行して動いているとすら感じられ、精神と肉体の誤差に歯がゆさと緊迫の二つの感情が体内で駆け回る。
一歩踏み出すのに十秒以上かかる。それ程までに動きは緩慢になり、またそれは15m先で同時に出発した彼一子にも言えたことだ。
音も匂いも色彩すらも静寂に支配された刹那の世界で、彼女はなお闘志を燃やす。
(たとえどんなに間合いの有利を持っていようと、最初の動きに合わせてカウンターを打ち込む!)
構えたレイピアが一筋の光陰となり軌跡を画く。それはまっすぐで一切の歪みも迷いもない、まさに光の槍と化していた。
見る者の目には映ったかどうかも危うい一瞬の瞬き。
加速に加速をし、止まることを一切考慮しない赤き砲弾のごとき女子は完全なタイミングで薙刀を振り上げた。
高速で振り上げられるその刃は真空にも似た、一切の法則に従わない加速度でクリスの胸へ牙をむける。
だがそれをクリスは理解していた。知っていた。たとえまだ知らない隠された技があるとしても、その一撃を喰らうことなく仕留めるだけの確信があった。
ギャガガガッと音の止まった世界で壮絶な衝撃が地面を耕す。
地面をも巻き込む形で振り上げられる凶刃。しかし地面での抵抗を受けながらもその軌道はなお加速を止めない。
一子の薙刀はその空間の中ですら高速に勢いをつけ、クリスの眼前1mのところまでやってきた。
もう止まらない。
もう止められない。
そしてもうこの位置からでは避けることなどできるはずもなく。
しかしクリスを縦に引き裂く刃は、飴のように絡む空気しか、引き裂くことしかできなかった。
まるで全身に麻酔がかかったように自由のきかない刹那の世界。そこで見た超速の一撃に彼女は凍りついた。
圧倒的速度をこの世界で出せる一子の絶技。それはまさに奥儀と自負して尊称ないだろう。
しかしそれでもクリスは立ち止まらない。否、そこでこそ自分も限界を超えなければこの戦いに勝利などあり得るはずもなく。
グッ……とその足に全身の力をありったけこめ、その差し迫る刃の横を、コンマ数ミリの位置でかわした。
(……っ!!!)
あまりの無謀に心臓は破けてしまいそうになる。本来ならすぐにでも冷や汗は吹き出し、瞳孔は不安定になり、足は震えて崩れ落ちてしまうような圧倒的緊張。
しかしまだそんな余分を考える時間など残されていない。
(……もらった!!!)
大きく振り上げられた刃は今なお上空へ打ち上げられている。
全身全霊を込めた一撃。それはこの一撃で鎮めるためのものだったからこそ外すことは許されず。しかしこの技はそれすらも虚実として使うことの出来る奥儀であった。
だがクリスはそれすらも打ち破った。
限界を超えてまで踏み出された一歩は最小限まで無駄をなくし減速なく、さらに加速されて一子の懐へと突撃する。
上から振り下ろされる刃など届く前に、悠々とその胸に一撃を入れるだけの絶対なる時間を手にしたのだ。
勝利の確信に王手をかけたその右手には黄金に輝くレイピアが。
もはや感情や思惑、全ての雑念を消し去りクリスは最速の一撃を放つ。
「…………」
一子のその表情に一切の感情の変化がないことを知らず。
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思いのまま書き綴った邪道小説その2です | ||
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コメント | ||
絵があって迫力がとてもあります^^(アイン) | ||
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