防人作戦のあとの三日月さんと審神者の小話
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 人の手が一息に鞘を払う。

 次いで、とん、と目釘が抜けた。

 柄を握った左手を右の拳が軽く打っている。柄越しに何度か軽い振動が伝って、茎が一瞬外気に触れ、すぐに掌に包まれた。黒錆をまとう鋼に、じわりと人肌の熱が溶ける。

 鍔と切羽が刀身から離れていく。最後に、?がそっと脱ぎ落とされた。

 肺があったら息を吐いていた、と三日月宗近は思い、少し笑った。――笑おうとした、気がする。

 本丸で人の身を得て七年経った。己の本体が刀であることに疑いはないが、顕現が解けたのは久しぶりだ。刀だけで在った頃の意識とは、こんなにも朧気だったのか。いつの間にか、五感でものを感じ、体を動かすのが当たり前になっていた。

――静かだ。

 鋼の身を穏やかに包む空気は、縁側から室内を満たす春の日差しだろうか。殺気はない。自分を握る人間も落ち着いている。恐れや憎しみは感じない。当然だ。この本丸は守られたのだから。

 腰元から切先まで、やわい紙が硬い刃をなでる。物打ちで一瞬、懐紙が止まった。茎を握る左手にわずかに力がこめられる。瞬きほどのためらいの後、懐紙はまっすぐ刀身を拭っていった。そのまま幾度か同じ動きを繰り返す。

――人の手は、ぬくいな。

 動かす唇もないまま、三日月は語った。応えはない。代わりに刀身の上で、打ち粉が軽やかに跳ねた。一拍おいて、懐紙がまた刃を拭う。

――あの時。

 想いとも言葉ともつかない何かを、一人と一振りの空間にこぼす。

――自分がどこまでも冷えていくのが分かった。

 偽の本丸に群敵を誘導し、一人で戦った。脈打つ心臓も、荒くなる息も、柄を握る手も、敵の血も、熱いばかりであったはずなのに。

――まるで錆のように、胸のあたりにぽつりぽつりと冷たさが浮いては、滲んで広がっていくのだ。

――思い知らされた。

――いかに人のまねごとをしようとも、俺はやはり鋼にすぎんと。

 無言の人の手が動く。手元から切先へ、繰り返し。形を確かめるような所作は、誰かの背をさする動きに似ていた。

――であれば。

――本丸での日々は、俺の鋼の身に余る。

 散っていく桜花が鋼に映る。流れて零れる花の影を、油の染みた布がなでた。薄い布越しに温もりが触れる。

 仲間たちとの日々は、この温度に似ていた。

 失われる前に身一つで守りきれるなら、道具としてまたとない僥倖だと、そう思えた。

 思えてしまった。

 軽い振動とともに?が付け直され、厚朴の休め鞘がしっくりと身を包む。深く一礼する気配があって、ようやく、人間が口を開いた。

「三日月宗近」

 名を呼ばれ、目を開く。眼前に桜が舞った。頬を、首筋を、全身を暖かい風がなでる。肺深く息を吸い込むと、冴えた丁子の香りに気付いた。手入れ用の油の香りだ。軽く心地良い布の感触に、体を見下ろす。本体が白鞘に納められたためか、内番服だった。

「終わりましたよ」

 おつかれさまでした、と審神者が微笑む。ふわふわと浮いた心地のまま、三日月も口元を弛めた。先程の掌のぬくもりがまだ体を包んでいる気がする。

「すまんな。手間をかけた」

「手入れ部屋が必要な傷はなさそうです。防人作戦のフィールドと同じ機構でしょうか。でも念のため、今日は安静に」

 審神者の手が、卓上の機械の上を忙しなく動く。先ほどまで己の本体を手入れしていた細い指を、三日月はぼうっと眺めた。

「人もですよ」

急に飛んだ話についていけず、目を瞬かせる。

「うん?」

「人も、そんな風に感じることがあります。心が凍えていくような」

 ああ、と合点する。刀のままの独白は聞こえていたらしい。それはそうだ。審神者は物の声を聴き、励起する者なのだから。

「たぶん私たちは、それをさびしいと呼んでいます」

「そうか」

 ふう、と吐息が口から漏れた。同時に肩から力が抜けた。

「心だったか」

「おかえりなさい」

 いつになく、詰まった声で審神者が言った。

「うん」

唇を、のどを、動かして言葉を紡ぐ。いつもより動かしにくいと感じたのは、きっとさっきまで刀だったせいだ。

「ただいま、主」

何もかもが眩しい気がして上を向く。青く透き通る空の中へ、薄紅色の桜花が舞い上がっていった。

 

 

 

<了>

説明
べったー再掲。本丸で一番若い子(…?)(老若男女不明)が黙ってじじいのお世話をしてるだけ(1500字くらい)
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