第7話「材料はドラゴンの鱗」(シリーズもの)
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 つい数分前に「暑いわ」と言いながら防水のマントをはずした自分を、ルチアは恨めしく思った。

「…僕って不幸ね」

 彼は寂しげにそう呟く。水でびしょびしょに濡れた顔を、ジュナチがマントから取り出したタオルで拭いている。肌に張り付く服ほどこぼれていく大粒の水滴は、地面に吸い取られ続けていく。これはなかなか乾かないだろうな、と思いながら服を絞った。

 ジュナチは少し先の様子を見ていってた。ルチアの前にはキイを頭に乗せたダントンが苦笑しながら立っていた。

「悪い、いつもの癖であいつしか助けなかった」

 ほんの少し前に晴れた空のもと、どこからともなく大量の水が一瞬降った。それは雨とは言えず、蛇口をひねって出したすさまじい勢いのシャワーのようだった。ダントンはそれを察知して、ジュナチを抱えて水がかからない場所に目にもとまらぬ速さで移動した。ルチアは水が降る場所に立ち止まったままだったので、びしょびしょの濡れねずみとなった。

 泣きそうになりながらルチアはジュナチに質問すると、「この先に答えがあるよ」と困って笑っていた。彼女が答えを言わないのは、ルチアが今日の予定をジュナチに言わないよう約束させたためだった。

 そして、今ルチアは「不幸かも…」と呟き続ける。恨めしそうダントンを見ながら、ルチアは言う。

「いつものくせねぇ。…わざとじゃないの? ダントンって僕のこと敵視してるでしょ。ジュナチに近づく悪い虫だとか思って」

「あ? そんなつもりねーよ」

 眉間に深くしわが寄り、強く睨まれる。

「…冗談よ」

 それに怯み、軽くいなした。

(そんな怒らないでよ、図星なの?)

 少年の姿でいるルチアだが、心は違う。彼にとってジュナチは初めて同性で年が近い子と親しくなることができたと感じていた。彼女とのおしゃべりがただただ楽しくて隣りで笑っていた。どうやらそれがダントンを刺激していたのだと、ダントンの表情から悟った。

(ダントンとだって仲良くしたいわ)

 自分は今どうするべきか考えてから、心の中を素直に伝えることがいいと判断した。微笑みながら、ルチアは言う。

「僕のこの姿は偽物だって、わかってのよね?」

「ああ、本当は違うんだろ」

「わかってくれてるなら言うけど、僕はジュナチを同性の友達として好きなの」

「…?」

 今度は急に言われた言葉が理解できず、ダントンは首を傾げた。

「だからダントンが気にしてるようなこと、」

「ルチア、こっち来て〜。とっても綺麗なんだよ!」

「なになに?」

 話をパッとやめて、姿が見えないジュナチに呼ばれ、声が聞こえた森の先へ駆けていこうとした。だけど思い出したように立ち止まって、話しかけた言葉の続きを急いで言い捨てた。

「えっと…だから、僕を威嚇しないでってこと!」

「…おう?」

 言われた言葉の意味がわからない、と思いながらダントンはそれを深く考えず適当に返事をした。妙なことを言う奴だと思いながら、ルチアの背中を追った。

 

 

 けもの道のような木が生い茂った場所を抜け、ルチアはジュナチと合流した。彼女たちの目の前には見上げると首が痛くなるほどのドラゴンがいた。全身が赤いその生き物の体はモザイクガラスのような細かい鱗に覆われて、ご機嫌に水を口に含んで噴水のように天へ吐き出し、自分の体にかけて沐浴をしている。たまに勢いが良すぎて体にかからず遠くへ飛んでいく。これが先ほど、ルチアの上だけに急にふりだした雨の正体だった。

 呆気にとられているルチアに「見ててね」と声をかけたジュナチは靴と靴下を脱いで、膝までパンツをたくし上げた。そして浅い泉にじゃぶじゃぶと入っていく。膝まで水に浸かった状態で、ドラゴンの脇腹に近づいたところでポケットから小さな笛を取り出した。小さな声で何かをお願いしてそれを吹く。キイが鳴いたような音が出て、それを合図にドラゴンは長い首を曲げてジュナチの前に顔を近づけた。

「ブラッシングするよ」

 確認するように目を見てドラゴンの頬を撫でる。すると、ドラゴンはご機嫌に鳴きながら、慣れたようにのそのそと体を泉の端へ移動する。小さな頭と長い首を陸に乗せ、力を抜いた体は泉に浮かんだ。大きな背中から生えるこうもりのような形の羽を広げると、泉の半分に覆いかぶさった。準備ができたと判断し、ジュナチは笛にまた声をかけた。

「ブラシになって」

 言えば、笛がぐぐぐと伸びてデッキブラシになった。ブラシ部分は一般的な物よりもずいぶんと横に広く、一気にたくさんの範囲を掃除できるものだった。ジュナチが重そうにそれを持っているのでダントンが駆け寄ろうとしたが、その足を止めた。

「わ、ルチア…?」

「僕が持つわ、どうしたらいいの?」

 ダントンより先に、ジュナチの後ろへルチアが移動した。彼女の顔が曇った途端、水をかぶって不機嫌になったことも忘れて、靴も脱がずに泉へ入っていたのだった。ブラシを持つジュナチの小さな手に自分のを重ね、しっかりと支える。ジュナチは手の甲や背中から感じるルチアの体温にドキマギしながら説明をした。

「このブラシで、背中を撫でるの。そしたら、生え変わろうとしていた鱗がぽろぽろとれるから、それを回収するんだ」

 ジュナチが見本を見せるように、山のような背中をブラシで優しく撫でていく。小さな鱗のかけらが泉の上に落ちる。それは花弁が散ってイカダのようにすいすいと水面をすべり、赤色に彩っていくようにも見えた。

 陸に座っているダントンはというと、近くにいるドラゴンの頭を撫で安心させていた。いつもなら鱗を回収に張り切るジュナチが疲れたら交代をしていたが、今日はその役目はなさそうで、2人の様子を遠目から見ていた。密着している姿に少しだけ不機嫌になりつつも、ルチアの先ほどの言葉をかみしめて心を落ち着けていた。

(同性の友達って言うなら、あんなもんか…)

 ジュナチに誰かが気安く触れても良い理由を探して、無理に自分を納得させた。ダントンとは正反対に、楽しそうな2人は会話を続ける。

「こんな感じでいいの?」

「うん、上手! この子も気持ちよさそうだよ」

 慎重にゆるやかに、ブラシを前後に動かすジュナチの力加減をルチアはすぐに覚えた。ジュナチはその容量の良さに感心していた。

「この作業楽しいわね。僕がやっていい?」

「じゃあ、私は鱗を集めるね。ごめんね、ありがとう」

 ルチアに提案され、ジュナチはすばやく離れた。ルチアはブラシを優しく動かしていく。岩塩から削られる塩のように、半透明の赤い鱗がぱらぱらと水面に落ちる。それをジュナチは手ですくって布の小袋に集めていった。

「こいつ、気持ちよさそうに寝てるぞ」

 ダントンはジュナチたちに声をかけた。その足元では、人間のように口元をもごもごと動かし、目を閉じてリラックスしているドラゴンがいる。キイはダントンの頭にはりついて、自分の何倍もある大きなドラゴンの様子を興味深そうに眺めている。

 

 ザアァーーーー、

 

 風が吹いた影響で、水面が幾重もの半円を描いた。森の香りがルチアの鼻をくすぐる。ぱしゃりぱしゃりと水をすくっているジュナチの様子を横目で見ながら、あまりにも穏やかな時間の流れを感じて、急に不安な気持ちに襲われた。体が大きく揺れるような感覚になり、ルチアはすぐに体勢を整えてブラシを強く握り直した。鱗をとる作業を黙々と続けていく。

(昨日はサイダルカと出会って、今日はドラゴンに出会った日。特別すぎる2日間だわ…)

 

 ルチアはそんなことを思いながら、過去に働いていた缶詰工場を思い返しておた。そこでは来る日も来る日も完成した缶を箱に詰めて、移動をするだけだった。経営者は設備にお金をかけたがらない人で、魔法道具の機械も少ない工場だった。それに1人のマホウビトを雇うよりも5人のナシノビトを雇うほうが安いため、そこには安い賃金で働くナシノビトばかりいた。流れ作業だけをしていく生活に飽き飽きしている人ばかりで愚痴が多かった。かといって、今の生活を捨てて、新しい仕事を見つけに行こうという前向きな人もいなかった。来る日も来る日も、この世を憂いで自分が悲劇の主人公として生きている人ばかりの中、ルチアはそうは振舞わなかった。愚痴なんてひとつもなかった。自分はどんな身分でも「目立たない状態」に満足していた。工場で働き、寮で生活し、まかないを食べ、たまの贅沢にジュースを買う、その地味な生活が好きで、このまま人生を終わらせることが最善だと悟っていた。なぜなら、今までのゴールドリップたちの知恵のおかげで、目立つような場所に行かないことが、追手から逃げるためのコツだと理解していたためだ。

 けれども、たまに誰かの記憶がルチアを刺激する。山の頂上に登った壮大な景色や、どこかの城から城下町と海へ落ちていく夕日を眺め、涙する誰かの記憶たち。「いつか」その美しい世界に行ってみたい、なんて心のどこかで思っていた。

「………はぁ、」

 ルチアは大きく深呼吸をした。空を飛び、泉に入ってドラゴンにブラシをかけ、風を感じた今日が、その「いつか」だったのだと確信した。

「幸せだわ」

 そうつぶやいて、ブラシを動かし続けた。

 

 

 鱗を集めおわった2人が陸へ上がると同時に、眠っていたドラゴンがぱちりと目を開けた。高い声をあげて、すぐに空に飛んでいった。翼から出た風圧にルチアはビックリしながら、顔をかばうように腕を上げた。

「ご機嫌だね〜」

 隣りに立っているジュナチとダントンは微動だにせず、旋回して地上の人間たちへ何度もお礼の言葉をかけているドラゴンの様子に笑っていた。そしてドラゴンは遠くの空へ消えていく。ルチアは今だドラゴンが突然飛んだことにドキドキしていたのだが、ジュナチたちの平然としている様子を見て尊敬の念が生まれた。自分がまったく知らない世界に生きてきた2人が、とても輝いて見えた。

「ジュナチたちってすごいわね。僕はあんなドラゴンを近くで見るの初めてだったけど、さすが慣れてるのね。かっこいいわ!」

「え、あ、そんなことないよ…」

「ウソ。顔を撫でて会話をしたり、鱗を取ったり、普通の人にはできないじゃない」

 ジュナチは頬を赤くして、うつむいた。ルチアの目を見ないで小さく言う。

「誰でもできるよ、こんなこと」

 そうやって言い捨てた言葉は謙遜ではなくジュナチの本心だとルチアは気付き、歯がゆく思った。言葉にしたい、と思った瞬間に口が勝手に開いた。

「できないわよ!」

「え、だって、あのね、」

 否定されるのを制して、勢いよく言葉をつづけた。

「確かにドラゴンのブラッシングは教えてもらったから、やれたわよ。でも、コツだってあるでしょ? 力加減もあるでしょ? だからそれを知っているジュナチはとってもすごいのよ」

「………、」

 強く言い切ったルチアの言葉を、ジュナチは目をまん丸くして呆けていた。その様子を見ながらも、ルチアの言葉は止まらない。

「ドラゴンの乗り方だって初めて知ったもの。あと、わからないこともあるわ。この島からどうやって家に帰るの? またドラゴンに乗って帰るのかしら? でもあの子たち、飛んでっちゃったわよね…どこにいるの? ほらね、僕はな〜んにも知らないのよ!」

 ダントンもしゃべり続けるルチアを見ていた。彼は突っ立ったままで動かなかったが、一瞬目が合うとルチアは微笑まれた気がした。今まで見た中で一番優しい笑顔だった。

「だから、ジュナチはすごい人なの! あなたのしていることが、誰にでもできるわけない。自覚して!」 

 強く強く言い切った後、黙っているジュナチを見つめる。少しだけうつむいた彼女は唇を軽くかんで口角をあげた。

「…ありがと」

 照れくさそうにそう言って、近くにあった大木の幹に触れた。

「帰り方を教えるね。すべての木が作業場につながっている。3回ノックして、名前を言ってお願いをするの」

 そう言って、ルチアにやるよう手招きをした。ルチアは幹に立って、なんの細工もないそこを3回ノックした。

「僕はルチア。作業場に戻りたいの、お願いできるかしら」

 ぐにゃりの曲がった幹が大きな口を開けると、キイがそこに飛び込んでいった。先に見えるのは、さっき材料を入れて煮込んでいた鍋だった。草とコケだらけの床にキイの好物であるビビダンゴ虫がいるのもわかる。唖然としているルチアへ、

「帰り方は覚えた?」

 得意そうに聞いたジュナチは口元をゆがめて笑った。その不器用な笑顔が、あどけなさが、かわいくて仕方なかった。

「ちゃんと覚えたわ、教えてくれてありがとう」

 ルチアはキレイな笑顔で返した。

 

 

 濡れた体を温めるためにお風呂場に入ったルチアのあとを、キイが追いかけた。どうやらお風呂が好きなようだ。ルチアはキイのために湯船へお湯を入れた桶を浮かべて、両手のひらに収まる小さい体をそこに浸した。途端、キイは泉にいたドラゴンのように頭を桶に顎を乗せて翼を広げた状態になった。リラックスするとこのポーズになると知ったルチアは、ブラシはないので手で背中を優しくなでた。それに反応したキイは「きゅい」と甘えるように鳴いた。背中を浴槽に預けて、汚れひとつない真っ白な天井を眺める。魔法道具で掃除でもしているのかもしれない。自分が住んでいた場所はカビがしみこんだ木製の天井だったのを思い出す。

 

「あほか! ダメに決まってんだろうが!」

「寒いんだもん! ダメじゃないでしょ!?」

 

 静かな入浴の最中、怒鳴り声が聞こえる。ルチアはすぐに飛び出して濡れた髪を放って素早く体を拭き、ジュナチが渡してくれた新しい服を着た。いつの間にか頭の上に乗っていたキイとともに、リビングから聞こえるけたたましい声のもとに走っていく。

 部屋ではダントンとジュナチがにらみ合っていた。その間に割って入り、ルチアは状況を聞く。

「ダントンが…、」

 拗ねた口調のジュナチが口を開いた。

 ルチアがお風呂に入っているときに、ジュナチは着替えを持ってルチアの所に行こうとした。すでに替えの服は渡しただろうとダントンが言えば、「私も体が冷えたからお風呂入る。ルチアって本当は女の子だし、一緒に入れるでしょ」と返事をした、と。

 そしたらダントンが急に大声を出した。耳が痛くなるくらいの声で怖かった。ジュナチはそう不機嫌に訴えて、ダントンを悪いと決めつけていた。

「なんでそんな怒るの…」

 本気でそう呟くジュナチに、ダントンはまた声を荒げようとするのをルチアがうなずきながら止めた。

「そうね、怒るほどのことじゃないわよ。早くお風呂に入って。先に入らせてくれてありがとう」

「さすが! ルチアはわかってくれるんだね!」

 自分に同意をしてくれたルチアへ微笑んだあと、ダントンをにらみながら、ジュナチはリビングから姿を消した。やれることがキイを拭くことしかなかったダントンは、ジュナチが抗議している最中も無言でキイをタオルで包んでさすり続けていた。「きゅい」と小さく何度も鳴いて、もう拭かなくていいとキイが困った声で伝えても無視をしていた。

 しばらくその様子を見ていたルチアは、ダントンが風呂場まで届くほど怒鳴った理由を知りたかった。

「ねえ、」

 呼びかければ睨まれる。ルチアはよく問題を起こしていたいたずらっ子な弟を思い出す。怒るたびに、不満そうな顔をしていた。そのせいか、だんだんとこの表情にも慣れ、怯まなかった。

「ダントンって、ジュナチをどう思っているの?」

 なんだその質問はと呆れたように、ダントンは小さな声で答えた。

「警戒心がないバカだな」

 その返答に、ルチアは慎重な口調で真面目に聞く。

「そうじゃなくって。子猫みたいに抱きしめたいとか、こう目が合うと幸せ…とか」

「んなこと思うわけねーだろ。あいつはマジでアホでモラルがなさすぎる」

 ルチアはうなずいた。最高に不機嫌なダントンが、本音を語るとも思わなかった。なので、自分の思いを短く伝えてこの話を終わりにしようと決めた。

「僕はジュナチと、一緒にお風呂に入っても構わないわ」

「は?」

 ダントンの地を這うような低い声と冷たい目線で、ルチアの言葉に納得いかないことが読めたが、無視して続ける。

「でもダントンが嫌だと思うから、もしまた一緒に入りたがっても拒否するから安心して。あなたのためにやめてあげる」

「―――、」

 ダントンの中で葛藤が起きているのが、眉間のしわの深さでわかった。もう話すことはなくなったルチアはタオルで頭を拭きながら、部屋に戻ることにした。

「おい、待て」

「お風呂上りは保湿したいから、またあとでね」

 声をかけられても、逃げるように言って廊下に出た。

 

 無自覚なダントンに対して、呆れる気持ちを込めたため息が漏れる。あんなにジュナチに触れたり、近くに寄った瞬間、舐めるようにルチアを睨んでいることにも気づいていない。ジュナチもきっとその目線に気づいていない。だから、さっきみたいな「一緒に風呂に入る」なんてことも、簡単に実行しようとするのだろう。

(鈍い者同士って、どうなるのかしらね…)

 ジュナチとダントンの関係を見守ろうと決めて、ルチアは部屋に置いてあるフローラルな薫り高い化粧水を顔に塗りつけた。

 

 

 

つづく…

 

 

 

閲覧ありがとうございました。

次回は7月1日(来月の第1金曜日)の夜に更新します。

説明
ファンタジー小説シリーズ「ジュナチ・サイダルカ〜連鎖する魂と黄金の唇〜」の7話となります。
【世界最強の魔女?ネガティブ発明家?冒険】
1話はこちらから→https://www.tinami.com/view/1092930
挿絵:ぽなQ氏 (https://twitter.com/Monya_PonaQ )
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