紙の月 最終話 |
太陽都市の病院の一室。ホースラバーはゴウマ元市長に会いに来ていた。アンチの襲撃事件があった日、ゴウマ市長は紛い者の少年の手によって倒れ、それが原因で脳に大きなダメージを負って植物状態となった。
このままでは市長の席が空いて太陽都市の運営が混乱するため、秘書であったホースラバーがその任に就いた。その報告を伝えに来たのだ。
「以上……今までありがとうございましたした」
独り言のように淡々と交代の旨を伝え、ホースラバーは病室を出る。ゴウマ元市長は弱者は強者に命を委ねて当然と思っていたが、今度は自分が他者に命を委ねている。プライドの高い彼には耐えられない処置だろう。しかし、今の彼にはそれを止めさせることはできない。死ぬまで彼はこのままでいることだろう、何時になるか分からないが……。
病院を出て車を走らせる。もうすっかり日は落ちている。
「もういいのか? 彼と面会してまだ一時間も経っていない。明日からは市長の仕事で会いに来る時間はなくなるが」
自動車を制御しているヴァリスが声をかけてきた。
「いいんだ。正直なところ、あの人に対して特別感傷を抱いていない。私は薄情だと思うか?」
「いいや」
正直なところ、あの人がこれまでやってきたことを考えるとこの結末は当然だと思っていた。あくまで疑惑の域を出ないが、フェリオ前市長が死んだ事もあの人が関わっている。太陽都市はようやく支配者の手から解放されたのだ。
現在はアンチや紛い者の起こした暴動で都市全体が疲弊している。まずはその対応に追われることだろう。
治安維持部隊のほとんどをインフラ整備に回さねばならない。元隊員であるロイドという者も生きていたが、彼や同じように太陽都市から追い出された者たちの保護にも手を回す必要がある。
紛い者の処遇も考えなければならない。アンチはともかく、紛い者は満足な教育も受けてない子供がほとんどだ。難しいだろうが彼らに人間らしい教育を受けさせなければならない。紛い者たちを研究材料にしていた太陽都市の実験場は、彼らのための生活施設にするつもりだ。もう市内を治安維持部隊の護送車が走ることはない。
そのためにはゴウマ元市長が唱えた紛い者の排斥を取りやめるつもりだが、きっと市民たちに大きな動揺を与えるだろう。一度歪められた事実は、元に戻すにも様々な弊害が生じてしまう。だが、決して目を背けてはいけない。それを今回、太陽都市を救った彼らに教えてもらったことだからだ。
フライシュハッカーも監視の下、太陽都市の病院で保護していたが、次の日には姿を消していた。彼とニコと言う紛い者の二人はどれだけ創作しても見つからず、太陽都市から完全に姿をくらました。不安は残るが、太陽都市の復興の方を優先しなくてはいけない。
問題は上げたらキリがない。私の任期はその対応追われ続ける事だろう。
「脈拍の乱れが見える。やはり不安か?」
「君に隠し事はできないな。確かに不安がないとは言えない」
不安や罪悪感で押しつぶされそうなとき、いつも電子ドラッグでその感情を誤魔化していた。でも、電子ドラッグはもう必要ない。善き隣人であるヴァリスが力を貸してくれるからだ。彼には生産エリアの管理だけでなく、本来頼むはずだった仕事を任せることができる。
「少し寄りたいところがある。そこに連れてってくれ」
ヴァリスに頼んで太陽都市の住居エリアに行ってもらった。その一角に車を止める。
ある家の窓から一人の少年とその両親が愛しそうに抱擁し合っているのが見える。ようやく家族と出会えたようで安心した。すべてはあの子のお陰だ。ありがとうマーサー君、と感謝の言葉を独り呟いた。
「うん、もう十分だ。行こうヴァリス」
車が発進する。窓の外を見ると空には月が浮かんでいた。私には黄色く見える月も、あの子には緑青色に見えているだろう。ヴァリスにはどう見えているのだろうか? 見る者によって色や形は違っても、同じ月を見ている事に変わりはないはずだ。だから心配しないでくれ。君たちと同じ物を見ているなら、きっといつか分かりあえるとホースラバーは思った。
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