引っ越しの話 |
この度、ソファで仰向けに寝転びながら雑誌を開いていた、とあるイカの一言、
「引っ越すかぁ」
が、
「エッ!?」
タコの驚きの声も意に介さず、決まってしまった。
「ダイリ?……」
タコの彼がいじけてみても、ダイリの好きな料理を作ってみても、部屋をピカピカにしてみても、ツンツクとつついてみても、ダイリはアレコレと電話を掛けたり雑誌を開いてばかりで彼に構う素振りはない。日に日に色んな雑誌が増えて、雑誌に付箋が増えて、電話のしすぎで通話料が増えて、ダイリは肩が凝った。ソファに背凭れてウダウダしている、そんなダイリを労って肩たたきをしながら、タコは未だに雑誌を広げているダイリに呟く。
「……たまにハ、気分転換デモしませんカ?」
「うーん……、うん……そうだね……」
上の空である。やがて、とあるページでダイリの手が止まり、ひいふう、と指折り数えだした。何事かと首を傾げるタコに、
「こはち、今暇?」
振り返ることなくダイリは問いかける。こはちは、
「まァ、今は肩たたきで忙しいデスケド……」
と肩を叩きながら尻すぼみに答える。ダイリは数度頷いてから、
「じゃあ、バイトいこ!」
高額案件!アルバイト募集中!と書かれたページを勢い良くこはちの目の前につきつけるのであった。
それからナワバリバトルもガチマッチも、リーグマッチすら見向きもせずにクマサン商会によるアルバイトの日々が始まった……のはダイリだけで、こはちは専ら予定がない日に手伝うのみである。それもアルバイトを始めたての頃は有難がられたが、近頃は幾分か慣れてきたのかこはちに申し訳ないからと断られたりもする。こはちとしてはダイリと一緒の時間が欲しいので、断られてもついていくのだが。しかしそれにしてもアルバイトをしているダイリは、各バトルで見せることの無い、非常に生き生きとした表情を見せるのでこはちは少し複雑であった。的確な指示、バイト仲間へのフォロー、ときにドジ。これが同じチームになったナワバリバトルで見られたら……とどうしても残念に思ってしまうのだった。
「こはち、お疲れ様」
バイト帰り、クマサン商会近くのベンチに腰掛けていると、そこでちょっと待っていてとこはちを置いていったダイリがその手に缶ジュースを二本、持って帰ってきた。給金で買った缶ジュースを一本分けてくれたので『おいしいアゲアゲジュース!』と書かれたそれを受け取りながら、
「ダイリは、いつマデこのアルバイトをするんデスか?」
プルタブを引いて、ジュースを一口飲む彼女へと問いかける。スクエアにあふれる賑やかな声がやけに遠くに聞こえる。じいっと見つめ返していたダイリは気まずそうにこはちから目をそらし、少しだけ遠くを見て、
「もう少しで決まりそうだから、それまで続けるかなー」
何が決まりそうなのかは教えてくれずに、答えてくれる。
「そう、デス、か……」
こはちの明らかな落胆にダイリは少しだけ困ったように笑って、
「ごめんね。いつも手伝ってくれてありがとう」
こはちのアフロを一度撫でた。
アルバイトを始めてからも、ダイリは時間を見つけては雑誌を広げたりどこかに電話を掛けたりと忙しそうにしている。今更ながら、わざわざネットではなく電話でやり取りをしているのは珍しいなと時折コッソリと盗み聞きをしているこはちであるが、電話の相手は様々なようで、事務的に話しているときもあれば笑い声を交えて話しているときもある。会話の内容は全くもって分からないので、その内に盗み聞きすることをやめてしまった。
とある日、部屋の掃除をしていたこはちはダイリの部屋の扉が開いていることに気づく。しょうがないですネーと閉めようとした視線の先に、大ぶりのアルバムが床に落ちていることに気付いた。またもや、しょうがないですネーとアルバムを拾ってベッドにでも乗せるために部屋に入る。(いつの間にか、ダイリはデスクや本棚を売っぱらってしまっていたのだ)
アルバムは開かれていて、手を伸ばしたこはちの目に、大きな写真の中でハデな衣装を身に纏ってピースサインを向けている姿が映る。そういった写真がいくつも貼り付けてあって、どうやら、フェスの時に撮った写真のようだった。ナワバリバトルやガチマッチ、リーグマッチにほどほど参加するようになったダイリではあるが、フェスはまた別のようで参加率は高かった。こはちが泣き落としたともいう。
ピースサインを向けているのはダイリとこはちで、ファイナルフェスに撮られたであろうものだった。あちらこちらに写っている銀色と金色のフェスTシャツを眺めて、混沌と秩序のファイナルフェスが懐かしい、とこはちがアルバムを捲っている際に、何かが滑り落ちてきた。それを拾い上げて、こはちは首を傾げる。
「ば……ンカ……ら?」
読み上げたと同時に、両肩に衝撃が走る。
「みーたーなあー」
低い声にピャッと飛び上がって思わずタコの姿になってしまう。ドキドキしながら見上げると、カラカラと笑っているダイリの姿が見て取れた。
「ごめんなサイ、エエと……そノ」
ダイリはしどろもどろにウデを動かすこはちから、メモをサッと取り上げる。
「まあ、いいよ、もともとその内話す予定だったし」
ヒラヒラとメモを揺らしながら隣に腰を下ろしたダイリとアルバムを交互に見て、こはちはヒトの姿に戻る。アルバムをダイリに返して首を傾げた。アフロがぽよりと揺れる。
「どういう事デスか?」
「言ったでしょ。引っ越すって。その引っ越し先が、ここ」
再度メモをひらつかせる。バンカラ街と書かれたメモ用紙。裏には、住所らしき文字も見える。こはちは目をパチクリとさせて、
「フム、いつデス?」
考えるように問う。彼は引っ越すこと自体は、既に受け入れている。聞いた時は驚いたが、言い放った声音は気だるげでもダイリのその後の行動を見れば、ああ本気なのだなと理解した。実は、こはちは残っててもいいよ、と声をかけられていたのだが、ダイリについていくと決めたのは自分自身だし、何より彼女を一人にしてしまうのはなんだか気が引けた。憧れのヒトに彼女の事を言われたことを、加味しても。
ダイリはウーンと悩むように視線をあちこち動かしてから、
「明々後日かな」
「エッ」
三、と指で示してみせた。
三日後。あまりの早さに、こはちは暫く固まってしまった。
「こはち?、まだぁ??」
「もう少しデ休憩できる建物があるはずデスよ。ガンバリましょう!」
「こはちは元気だねえ……」
意気揚々と歩いている彼の数歩後ろを、ダイリは歩いていた。乾いた風が砂埃と共に彼女の髪を揺らして、目を細めつつふと、歩みを止める。歩いてきた道を振り返り、辺りを見渡す。ハイカラスクエアから出発したすぐは整地された道を進んでいたが、時間と距離が長くなればなるほど、どんどん道は砂利道へと変わり、土と砂が増え、やがて殺風景でくすんだ色合いをしたビルや一軒家、防砂のために植えられたであろう木々ばかりが目に入るようになった。出発した当初はダイリが地図を持って先導していたが、知らぬ内に迷ってしまった為(住人にアレコレ聞き込みをして、ついでに軽食も取った)今は地図と先導をやりたがったこはちに任せている。今まで地下とハイカラスクエア周辺しか知らないタコの彼は、目まぐるしく変化する風景に興奮しているようで足取り軽くスイスイと歩いていく。それに対して、ダイリの足取りは、やや重い。
彼らは現在『引っ越し』の最中である。
荷物だけを先に新居に送って、本人たちは徒歩(と交通機関)で向かっている。新居には彼らがたどり着くまでの間、暫くダイリの友人が代わりに居てくれるというので、荷物等々を任せていた。ついでに新しい家具の購入設置も頼んでいる。そういった諸々を頼む代わりに、ダイリたちがたどり着くまでの間の寝食は自由にして良いと言ってある。前払いで報酬も払ってある。―ということで新居に関しては心配していないのだが、
「ホントに良かったのかなあ」
ずんずん進んでゆく彼の背に小さく呟く。こはちを連れてきたことについて。
突然の引っ越しもそもそもは、友人から最近こちらが発展してきて面白いよ、と連絡をもらったからであった。どこよそれ、と聞けばバンカラ地方だという。全く聞いたことがなく―いや、一度何かの雑誌で取り上げられていたことがある。ダイリ自身も目を通していたが、変わったリスポーンがあるものだ、と思った程度だった―バンカラ地方はネットで調べてもなかなか詳しい情報が出てこなくて、友人に聞けば電話と雑誌で新居を探せという。もう引っ越す前提なのかというツッコミには、でも来るでしょ?と返されて何も言えなかった。ファイナルフェスが終わってハイカラスクエアも緩やかに元の生活に戻っている。あの特別な夜のようにワクワクできる何かを欲していたのは確かなのだ。未知なる地方、見たことのない街、それに、友人が面白いと言っている。興味を持たないわけがなかった。そこからダイリは雑誌での情報収集と新居探しの電話、アルバイト漬けで資金を稼ぐ事になるのだが―
それはさておき、彼のことである。
友人からは、彼はハイカラスクエアに残っていてもいいし貴女についていってもいいと思うので任せる、と言われていた。
ダイリは、幾分と、悩んだ。悩んで、悩んで、ある日湯船に鼻の下まで浸かってブクブクと泡を出しながら、彼はここに居たほうがいいかもしれないという考えに至った。
こはちもハイカラスクエアには友達が増えたようだし、たまにアルバイトを手伝ってもらっていたから資金には困らないハズだったので、今住んでいるこの部屋を渡してもいいな、と考えていた。彼になら安心して手渡せるし、大家も礼儀正しい彼のことが好きだ。とやかく言うことはあるまい。もしかして割と名案なのではとダイリ自身は思った。彼から離れるということは指導の代理を終えるという事でもある。以前彼に告げたことのある、『ワタシが貴方を指導する代理でなくなるとき、ワタシの本名を明かす』という条件も満たす。こはちなら乗りそうな気がした。のだが、
「ダイリが引っ越すなら僕も一緒に行きマス!」
と言って聞かなかった。オーバーリアクションで、鼻息荒く。それを見て嬉しいような、チクリと胸を刺すような、なんとも面映ゆい気持ちになったことを覚えている。
とはいえ、バンカラ地方への旅が、一人旅ではなく二人旅であることは嬉しいし、楽しい。これは、間違いない。ハイカラシティで皆の『代理』をして結果的に揉め事を起こして引き籠もってしまう事態をつくり、そこから逃げるようにハイカラスクエアに引っ越してきて一人で過ごしていた日々が遠くに感じられる。自分を信じてくれた数少ない友人―彼を指導する代理をしてくれなどと茶化しながらも、新たなチャンスをくれた友人には感謝している。
「ダイリー?」
そして勿論、ダイリを変える切っ掛けになってくれた彼自身にも。地下から出てきた別世界の住人。地上初心者。何もかもにも目を輝かせてあらゆることを吸収し成長していく姿に、何度驚いたことか。彼に引っ張られるように(実際あちこちに引っ張られたが)ダイリ自身が再度地上で、周りに怯えずに陽の下で生きられるようになった。感謝してもしきれないほどに。だから。
「ダーイーリ?」
そんな可能性のカタマリを連れ出してきて、本当に良かったのだろうか。
「ダイリ!」
「わっ」
ぼうっとしていたところを、両手を握られて我に返る。先を歩いていたハズのこはちは、わざわざダイリの元まで戻ってきていた。心配そうに手を擦って、
「どうかしまシタか、ドコか具合悪いデスか?」
オロオロと視線を泳がせる。ダイリは口を開きかけて一度結び、笑って見せた。
「ちょっと考え事してただけ。ありがと」
「なら、いいんデスケド……」
「うん。で、休憩できそうな場所あった?」
ダイリの問いにパッと顔を輝かせて、近くの屋台を指差す。
「あそこで休憩しまショウ! ついでに今の場所も教えてもらいまショウ!」
「オッケー」
建物ではなかったが、休憩が出来るのであれば文句はない。こはちに手を引っ張られて屋台に向かう。とりあえずは、と思う。ここまで連れてきてしまったのだ。彼の今後は、引越し先に着いてから考えても遅くはないだろう。彼自身にも今後どうしたいのかを、一度キチンと聞かなければ。屋台で適当に食べ物を頼み、飲み物を注文しているこはちを見ながらダイリはそう心に決めた。
そんなダイリが、屋台の店主から教えてもらった現在地が、想定していたよりも遥かにバンカラ地方に近づいていなかったのでうめき声を上げるのは後ほどになる。
後日、ようやくたどり着いた彼らを見た友人はウチワを片手に、
「なんか逞しくなったねえ」
と笑ったのだとかなんとか。
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