堅城攻略戦 第三章 坑道の闇に潜む者 6 |
近日中に式姫の再侵攻がある。
その情報を察知したのは妖ばかりではない。
近在の墓地に潜ませた亡者火や、辻に彷徨う亡魂からの情報で、堅城に居ながらにして、かの男もまた、それを知った。
「ふ……ん、どんな奴が策を講じておるか知らぬが、打つ手が早い」
気に食わん奴だ。
忌々しげな声の中に、隠せぬ賞賛の響きが混ざる。
そして、男にはどちらに式姫が押し寄せるかについても、推測が出来た。
奴らはここに来る。
この短期間の内の再侵攻という時点で、まだ偵察の手が及んでいない、未知の要素が多い廃坑に向かうというのは、ここまで見てきた敵の軍師の打った手を検討した限り、可能性は低い。
一度は敗北したとはいえ、この堅城に対し、その後も式姫たちがしつこく偵察の手を伸ばしていたのは把握している、恐らく骸骨兵団を展開可能なおおよその範囲などは把握されているだろう。
それに対し、廃坑跡に関しては、それほど深く偵察が成されていた様子は伺えない。
(幸い、あの廃坑跡に関しては、民の出入りを固く禁じていた事から、外部にはあの廃坑の様子を知る者もありませぬ、未知の闇はそれだけで相手の侵攻意図を大きく削ぎます、砦として再構築し、ある程度の兵を備えておけば、この城の防衛に利が多いかと心得ます)
「……若造の賢しら口だな」
そして、献策通り、あの廃坑跡は砦として再構築された。
強固な岩盤を掘り、坑道を拡張してそれなりの兵が駐留できる形にし、堅城の出城としての機能を作り上げた。
あの砦は、実際の防衛にもむろん役立つが、何より心理的な防壁としての意味合いが大きい。
駐留している人数の把握が難しいという事は、攻める際に整える戦力を見極めにくくする。
更に、堅城を攻めるに際してはあの廃坑跡から。廃坑跡を攻める際は堅城から。どちらに寄せようと、攻め手は常に二正面からの攻撃を考慮せねばならない。
他にも様々な利点はあったが、そういう心理的な牽制こそが、あの砦の最大の目的。
廃坑周辺に対しては、上空から偵察する天狗の姿が時折認められては居たが、それ以上の偵察をしていた兆候はない。
そんな情報の乏しい地に、堅城よりは与しやすいと見て攻め寄せるような相手とは、到底思えない。
奴らは仙人峠で得た勝利から、堅城に対抗する何かを見出した、それも恐らく、廃坑から来るだろう援軍が間に合わない速度でこちらの守りを抜き、堅城に侵入する手段を。
では、その手段とは一体何か。
「恐らくそれが、この拙速にすら見える動きの意味」
凡愚の目からは、勝利の勢いに乗っただけの速戦に見えるかもしれないが、軍師としての彼には判る。
自分が同じ立場なら、今、勝負を掛けるだろう。
「……だが、そう上手くはいかんぞ、式姫」
そう呟き、笑おうとした男の口が、中空に浮かぶ炎を見て、微かに歪む。
「ふん、儂も人の事は言えぬか」
自分もまた、こやつの事を考えると、一刻も早く式姫を排除し、仙人峠を奪還したい所。
あまり長期にわたり、式姫の力であの仙人峠を浄化されては、たとえ奪還したとしても、彼が望む力の在り様に戻す為には、かなりの時間を要する事になる。
それは、式姫を排除した後に、妖どもと対峙する時の事まで視野に入れた場合、明らかに彼の不利となる。
「これを機に、式姫共を殲滅するか」
奴らが攻勢、それもかなりの規模のそれを策しているというのは、種々の報告から見て間違いない。
逆に言えば、ここで勝利する事は、奴らが再起する力を完全に奪う一手となる。
しばし目を閉ざして思考を凝らしていた男の目が薄く開き、北の方に……廃坑跡を利用した峠のある方に目を向けた。
この城の防備だけを考えるなら、手勢で十分、だが式姫に打撃を与えるというなら、もう一手は攻め手が欲しい。
「奴らを巻き込むしか無いか」
こちらが、この堅城を質に取っている以上、奴らもある程度は乗らざるを得ぬ。
「問題は、奴らがどの程度乗ってくるか……か」
侵攻を翌日に控えた式姫達の夕餉の膳は、日常と変わらぬ、ごくささやかな物であった。
鬼姫や狛犬などには肉も多少付いたが、他の皆は、変わらぬ一汁三菜。
精進もの含め、もっと色々お出しできますが、という宿場の主たちの声もあったが、祝祭は勝利の後で派手にお願いしたい、という男の言葉で常と変わらぬ物となった。
食事を終えた一同の顔を男はぐるりと見渡し、落ち着いた様子を見て、安堵したように頷いた。
「明日は長い一日になるだろう、ゆっくり休んで鋭気を養ってくれ」
それぞれの表情で式姫たちはその言葉に頷き返し、自室に戻っていく。
「こういう時に、ぱーっとやらんで良かったか?」
男は最後に残った式姫、鞍馬に、何とも言えない顔を向けた。
「別段決死の戦を前に別れの宴をという話でもない、君がこの街の人に言ったように勝って帰って来てから騒げば良い」
皆、その辺りは判っている。
「そうだな……ところで話は変わるが、今回は鞍馬も出陣してくれるんだな」
基本原則は守らなくて良いのか?
男の言葉ににやりと笑って、鞍馬は茶を口にした。
「軍師の鞍馬とかいう偉そうな口を叩いてた奴は、策を立てたところでお役御免という事さ、後は君の式姫の天狗が一人、手が空いたから従軍するだけの話」
絶対的に戦力が不足している現状では、そうそう毎回、軍師でございとふんぞり返っている訳にもいかないさ。
そう小さく笑って、鞍馬は顔を上げた。
「今回に限らず、暫くは私も前線で戦う事は多くなろう、実情に合わせて多少の融通を効かせられないようでは、そもそも人の世をどうこうしようなんて事は出来ない物さ。 とはいえ、正しい手順や基本的な方針は常に尊重され、常にそこに意識を戻す事を怠ってはならない」
「そうありてぇと思っては居るんだが……結局、現状が上手く動いてる間は、その基本的な所に戻るのは怠りがちだよな」
そうだね、と鞍馬は苦笑しながら、それでも首を振った。
「ただね、個の裁量で融通を効かせ続け、それが現実的で効率的な運用だ、などと言いながら基準を無視することを常態化させたとき、その組織は、歪み始め、何れ手酷く崩壊する事になるんだ」
鞍馬の言う事は判る、だが男としては、彼女の考えを質しておきたい所もあった。
「言いたいことは判る、だがな鞍馬、小規模で有能な連中の集まりを維持出来るなら、利の方が勝る場合が多いんじゃないか? 意思決定が早く、柔軟な運用ができ、小回りも効く」
組織ってのはどうしても動きが遅くなる……それはそれで戦には致命的ではないのか?
まして、俺たちはそんなに長い間、組織を維持して戦う予定はない……いや、その時間をそもそも与えられてはいない。
男の言葉に、鞍馬は再び頷いた。
「君の言わんとする事は良く判る、今までの君たちの集団が正にその、小規模なるが故に身軽で意思決定と組織の統一の早さを生かして一気に伸びて来た事例そのものだ……そして今、行き詰った」
「……そうだな」
そういう集団は攻め時には強い、旧弊をなぎ倒し、急速に勢力を拡大していく。 見ている分には実に爽快で、この上ない成功事例に見えてしまう……。
「だがね、個人の集団は個々が如何に秀でようと、一旦崩れた時が弱い、いつか必ず訪れる敗北と挫折と停滞に対し、雌伏し態勢を立て直すような、波のある長丁場の勝負には向かないんだ」
君たちのように、かなり絶望的な敗北に直面しても、尚、結束を乱さず立ち直れた集団とその主というのは極めて稀……そこは本来、仕組みを整えて置いて、それを支えに立て直すべき話なんだ。
「……いや、褒めてもらって何だが、式姫たちは兎も角、俺は何にもやってねぇぞ、悩んでるか右往左往してただけで、結局自力で立てなおせる見込みが立たなかったから、慌てて軍師探しに奔走したような間抜けだしな」
おつのの伝手で大物引っ掛けたから良かったような物の、そうで無けりゃ今も部屋で唸ってただけじゃねぇかな。
謙遜というには、余りに率直な主の言葉に、鞍馬は苦笑した。
「主君、上に立つ者が買い被られた時はね、分かったような顔をして黙って頷いている事だ、余り正直だと相手も困るよ」
「そういうもんかね、とはいえ、あんまり相手の中で俺の存在を大きくしとくと、そのうち俺の虚像がそいつの中で独り歩きを始めるんじゃないか?」
その虚像の良し悪しに関わらず、それはそれで面白くないと思うんだが。
ほう、と感心した様子で鞍馬は静かに頷いた。
「それもまた然りだ。 とはいえ、今後を考えると、君に関してはもう少し虚像を育てた方が、当面は利が勝ると私は思う」
堅城を落し、この地を安定させ、更なる先の地を目指さねばならぬ、君の今後の道を考えると……ね。
「各地に居るお偉いさんを牽制するにも、こけおどしが必要って事か……難儀なこった」
「そう、評判こそ一番の紹介状、なんて言葉も南蛮の箴言にあるが、式姫を多数擁する君は、いずれ、いや、既にかな……要注意の勢力として世上に認識されているだろう。 実際の力は用いずとも、上手くその名を使えれば、君の歩む道を均(なら)す足しにはなろうさ」
所詮、この世は虚名と虚飾でまかり通る事の方が圧倒的に多いのさ。
鞍馬の目が、一瞬だが寂寥の色を浮かべる。
「社会の上に立つという事は、そういう虚像でしか君を見ない、見ようとしない相手を増やす事でもある」
「そういうもんか?」
「そういう物だ、そんな虚像に群がり、利用しようとする連中を、自分を慕っていると思い込めるような輩は良いんだがね……好むと好まざるとによらず、権力に近付くのは、孤独への道でもあるのさ」
君の歩んでいる道も、また同じだ。
「……しんどい話だな」
ほろ苦い表情で呟く男に、鞍馬は若干の愁いを帯びた顔を向けた。
「まぁ、君の場合は、普通の人とは、かなり状況が違うがね」
それが良い事か悪い事かは、今の時点では何とも言えないが。
「違うって、何が?」
「君の周りには常に式姫が居る、君の虚像など一顧だにしない存在が」
その魂を以て契約を結び、君の為に、その大いなる神霊の力を振るう存在。
「それは、良い事じゃないのか?」
「まぁね、彼女たちの存在は、今後嫌でも拡大し続ける君の虚像に、君自身が飲まれ、己を見失わない為の導(しるべ)となろう……だがね、それは君が人を相手に孤独を感じてしまった時、彼女たちとの絆に逃げ込み、溺れてしまう可能性も孕んでいる」
権力者の孤独からくる、愛妾や側近の寵愛と依存もまた、王朝を崩壊させてきた大きな要因。
「……俺もそうなる、と?」
珍しく不安気な様子を僅かに見せる主に、鞍馬は頭を振った。
「それが判れば、誰も苦労はしないよ。 君がその強さを最後まで保てるか、この辛い戦いの中に?まれてしまうか、なんてのは占いの範疇さ……だがね、主君」
鞍馬の顔が、灯りの中で静かな笑みを浮かべる。
「私は、君が最後まで己の信じた道を駆け抜けるだろう事を信じたから、今ここにいる」
そして、ここに居る式姫は皆、恐らく同じ気持ちだ。
「鞍馬……」
「それだけは、忘れないでくれ」
堅城の正門から廃坑へと至る道を、炎に包まれた車輪を持つ女車が、曳く存在も無いのに音もなく走る。
車軸の軋みも車輪が地に擦れる音もせぬ、代わりに、太く豊かな響きを伴う声が車輪から響いた。
「式姫共が動きを見せ、それに対して奴も儂らを巻き込んで動くか……これはかなりの大戦になろうな」
「そうよな」
蔀の中から、女車に似つかわしくない壮年の男の声が答える。
外見だけは、この車に乗るに相応しい可憐な顔を疲れた様子でしかめ、彼女は女車の中で姿勢を崩した。
「お主の知は信じておるし、あ奴の言う通り式姫を殲滅するには良い機会だというのも良く判る……だが、この話、乗って良かったのか?」
何やら恩着せがましいというか、胡散臭い匂いがする話じゃが。
彼女の渋い声を聞きながら、輪入道はくっくと笑った。
「お互い騙し合いは承知の談合よ、まさかに今更お互い正直に肚を割ってとは出来ぬさ」
その辺りを見抜いて、こちらの利が出るようにやるのが交渉事という奴よ。
「奴の口車は話半分に聞いてだ、此度の戦で、我らに得は出るのか?」
「上手くいけばある程度は、最悪の場合でも損はせぬ、という選択をしたつもりだがな。 奴の意図は読み切れぬが、何れにせよ式姫共を大量に滅ぼす機会というのは我らとしても見逃せぬ……まして、奴らを滅し、その気を喰らう事が出来れば」
式姫の体は、依り代に天地自然の気を集め、実体を結ばせた物……それは同時に妖にとっては、それを喰らえばこの上ない力を与えてくれる最上の獲物でもある。
だが、式姫の強大な力を考えれば、そうおいそれと食えるような相手では無い。
それを大量に滅ぼし、喰らう機会となれば……。
名だたる大妖怪の列に並ぶ、またとない好機。
「……それは、うむ」
その得られる力を想像したか、今にもぐびりと喉を鳴らしそうな声を聞いて、輪入道は大きな手で頑丈そうな顎を撫しながら苦笑した。
「我らがそれにありつけるかは兎も角、この話を餌とすれば、その辺の野良妖怪を釣る事も出来よう、つまり、奴の提案に乗ってもこちらの戦力は然程痛まずに済む算段だ」
式姫たちにより、かなりの領域が人の手に落ちたとはいえ、それはあくまで街道筋や集落の近在に限定される。
人跡乏しい地には、今でも妖達が身を潜めて、この戦の帰趨を見定めようとしている……その連中をけしかける。
「まぁ、近在から有象無象をかき集め、そやつらを従えて指揮できる妖ともなれば、こちらも相応に強力な手札を出す必要はあろうがな、それでも多寡は知れておる」
「お主がかなり早めに奴の話に同意したのは、その算段を立てた故か」
「そういう事じゃな、それにだ、奴の話に乗らず、我らが手を拱(こまね)いておる内に、万が一にでも式姫共に堅城を抑えられてしまっては、それこそ目も当てられぬ」
最善を求めた挙句に、最悪の結果を招いては元も子もない。
奴に防備の大半を委ねたが故に失陥した仙人峠の二の舞は、我らも、そしてあの方も望むまい。
あの方、と聞いた少女の身が、一瞬だが本能的に身震いする。
「そう……だな」
「とはいえ、所詮我らと奴は呉越同舟よ、式姫の排除を優先しつつ、損害はなるべく奴に押し付けたい所だ」
あちらもそう思っておろうがな。
くくっと皮肉に笑う輪入道の声に、少女は少し考えてから声をかけた。
「お主の言う通りだ、そして奴は到底与しやすい相手とは言えぬ……その奴めが正面から式姫の攻撃を受ける役を引き受ける等と提案してきたという事は、それ以上の利を得るべく何かを策しておる筈じゃ」
彼女の懸念は尤もな事である、輪入道はその言を首肯した。
「で、あろうな。 奴もまた最終的には我らと式姫共倒れを望んでおるのは間違いない所じゃろう……」
ただ、奴は目先の小利で右往左往してくれる類の阿呆ではない、長い目で見た時、此度の戦では、少なくとも、現時点で共闘の話の出来ておる我らよりは、明確に敵である式姫の排除を優先したとも考えられる。
「何かを策す時にも、考慮せねばならん対象が減った方が、何かと楽じゃからな」
「……奴もそう考えてくれれば良いのだがな」
「何、奴がそう考えぬなら、それはそれで良い……それはそうと、お着きじゃぞ『姫様』」
輪入道の忍び笑いと共に女車が、郭(くるわ)に設けられた入口の前で律儀に止まる。
「ご苦労であった」
外見に似つかわしい、可憐だが、権高な響きを伴う声音でわざとらしい返事を返し、少女が何やら絹の袋に収められた何やら長い物を手にして車からしずと降りると、輪入道の車輪だけを残し、豪奢な女車が空気に解けるように姿を消す。
「随分と、高貴の女性(にょしょう)の振舞いが板についておるではないか」
「この体が覚えて居るのだろうよ」
どうでもよい事だ、そう呟きながら、少女は輪入道に顔を向けた。
「それより、最前の言葉はどういうことだ? 奴の思惑がどうであれ、お主は問題ないと考えておるようだが……」
うむ、と一つ頷いて、輪入道は人の悪い笑みを浮かべた。
「奴の計画には乗ってやる、だが、こちらの計画を同時に進めて悪いという話はあるまい?」
今宵は忙しくなるぞ。
■謎の姫君
当初から堅城の城主とイヤミを言い合っていた少女のビジュアル。
この姿から、おっさんボイスが……
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「堅城攻略戦」でタグを付けていきますので、今後シリーズの過去作に関してはタグにて辿って下さい。 | ||
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コメント | ||
OPAMさん 何時も細かいところに気がついて下さって、ホントありがとうございます、その辺を覚えておいて頂けると、この先の展開をいい感じに楽しんで頂けるかと思います(野良) 「この体が覚えて居るのだろうよ」意味深な発言ですね。妖陣営と堅城の青年は、単純に互いの利害が一致しているから利用しているだけの関係と思っていましたが、もっと深い因縁がありそうで興味深いです。(OPAM) |
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