「戦神楽」 紅蓮編 (2)叉姫
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 目の前には一人の少女。

 右半身は金髪翠瞳、優しげな印象の聖なる存在。左半身は銀髪紅目、冷たい印象の闇なる存在。

 二つの相反する存在を半分ずつ無理やり足し合わせたような印象の少女は、とん、とオレの目の前に降り立った。

 

「初めまして、九条(クジョウ)恭而(キョウジ)さん。少々遅くなりました事をお詫び申し上げます……まったく、手間かけさせやがって」

 

 少女の口から紡がれる言葉は、まるで左右の二人が交互に話しているかのようだ。

 しかし、その言葉を紡ぐのはまぎれもなく一人の少女。

 ちぐはぐなその姿、その言葉、その雰囲気。

 

「何者だ」

 

 まっすぐに竹刀を突きつけ、里桜を守るように立ちはだかる。

 ただ、オレの勘が、コイツの非現実性を告げている。警告(アラート)、目を離すな。少女の容姿は危険なものには思えないが、それも仮の姿かもしれない。

 

「初めまして。私は朱鷺ヶ谷(トキガヤ)叉姫(サキ)と申します……テメエを迎えに来た死神(シニガミ)だ」

 

 真紅の目をした左半身は、オレが突き付けた竹刀を怖れもせず素手で掴んだ。

 と、次の瞬間には、少女とは思えない力で竹刀をひねり上げられていた。

 

「俺にこんなモン突きつけやがって。覚悟(カクゴ)はできてんだろうな?」

 

 オレの手から竹刀が地に落ち、目の前に真紅の瞳が迫る。瞳孔がまるでケモノのように縦に細く開いている。

 背筋にぞわりと何かが這った。

 イキモノとしての本能を、直接揺さぶられている気がした。

 恐怖、畏怖、憤怒……これは、何と呼ばれる衝動だ?

 目の前の真紅の瞳がくるりと動き、身体を入れ替えて、今度は右側、優しく微笑む女神の翠瞳が近付いた。

 

「話を始める前に、無関係の方にはご退場願いたいと思うのですが……んだよ、邪魔モノが入っちまってんじゃねーか。予定外の存在はメンドくせぇんだよ」

 

 邪魔モノ? 予定外?

 先程、叉姫(サキ)と名乗るこの少女がオレの名を呼んだことを考えれば、この場に里桜がいることはおそらく歓迎すべき事態ではないのだろう。

 これは何者だ? 唐突に何もない空間から現れたように見えたが……。

 冷静になろうと頭を働かせるのだが、いかんせんうまくいかない。何しろ、この少女が、叉姫と名乗る死神(シニガミ)が現れた瞬間から、オレの心臓は早鐘のように鳴り響いているのだから。

 

「しかしながら、既に空間を閉鎖してしまいましたので、致し方ありません。このまま進めることにしましょう」

 

 一瞬でオレから距離をとり、女神はにこりと微笑(ホホエ)んだ。

 オレの腕にすがりついた里桜がびくりと身体を震わせる。

 叉姫は、手に持っていた本をぱたん、と閉じて後ろ手に、まるでゆっくりとしたリズムを刻むかのようにその場で円を描きながら歩き始めた。

 

「九条恭而さん、私は貴方をこの世界から排除するためにやってきました」

 

「……排除?」

 

「はい、貴方は、この『珀葵(ヒャッキ)』において異物であると認識されたのです」

 

 異物――異(コト)なるモノ。そこに在(ア)るべきではないモノ。

 いつも感じていた澱のようなモノ。胸の底で揺蕩(タユタ)う、重い鉛のようなモノ。

 鼓動が速い。

 

「私は、貴方に選択肢を与えるためにここへ来ました」

 

 心臓が耳元で鳴り響いている。

 この時を待っていたのだと、正直な心が躍りだしている。

 ずっとのしかかっていた違和感は、きっと嘘ではなかったから。

 

「ここは貴方のいるべき場所ではありません」

 

 ああ、やっぱりだ。

 叉姫の言葉で、自分の全てが肯定されたような気がした。

 文句のない経歴を持ちながら、ただ一つの欲望以外はすべて充たされながら、まったく何も充たされていないかのような感覚。いつからか、自分だけが感じ取っていた違和感。

 それもすべて、オレが間違った世界にいたから。

 叉姫の言葉すべてが、すんなりと理解できた。

 

「おそらく貴方は既に分かっていたことでしょう……ここは、テメエなんかがいていい場所じゃねぇってことがな!」

 

 高らかに笑い声をあげた叉姫は、にやりと笑ってオレに指を突き付けた。

 

「さあ、選べ。テメエにはもったいねぇくらいの選択肢を用意してやったぜ……貴方は、混沌の世界、または、終焉のいずれかを選ぶことができます」

 

 混沌の世界。

 終焉。

 おそらく、終焉を選んだその瞬間、オレは消滅するんだろう。混沌の世界ってのが何かはわからないが、きっとオレの存在すべき、珀葵(ヒャッキ)とは違う世界が広がっているはずだ。

 とっくに心は決まっていた。

 そう、オレは、こうなるために生まれてきたというほとんど確信に近い予感。

 

「終焉を選ぶなら右手を……混沌がいいなら左手をとりやがれ」

 

 叉姫が差し出した両手。

 オレは、迷わず手を伸ばして――

 

 

「お兄ちゃん!」

 

 鋭い里桜の声ではっとした。

 見れば、目にいっぱい涙をため、震える手でオレの腕をしっかりと掴んだ里桜が見上げていた。

 その姿を見て、ザクリと胸の内を抉(エグ)られるような感覚に襲われた。

 オレは今、いったい何をしようとしていたんだ?

 頭のてっぺんから足の先までさっと血がひき、ふっと身体の力が抜けた。

 

「この子、誰なの? さっきから何の話をしているの? お兄ちゃんはどこへ行くつもりなの……?」

 

「里桜」

 

「異物って何? 混沌って? 終焉って? お兄ちゃんがここにいちゃいけないなんて、おかしいよ! だって、お兄ちゃんはここにいるんだよ?」

 

 揺さぶられる。

 動かされる。

 里桜の言葉の一つ一つが、オレの澱みを消していく。

 

「あたし、知ってた。お兄ちゃんがいっつも、すごく遠くを見てたのも、あたしなんかが全然考えつかないような難しいことを考えてるのも」

 

「……」

 

「でも、イヤなの!」

 

 オレのように、常に違和感を持ち続けていたわけではない里桜が、死神叉姫の言葉を理解したとは思えない。

 しかし、オレがいなくなる、という事を敏感に察知したようだった。

 何より、里桜は日常に違和感を抱いていたオレに気づいていた。

 

「行かないでよ、お兄ちゃん!」

 

 すぅ、と里桜の頬を涙が伝った。

 

「明日も一緒に学校行こうよ。放課後は生徒会室で、山村会長が仕事押し付けて、秋原先輩が生徒会室までお兄ちゃんを探しに来て、部活が終わったら今日みたいに一緒に帰って……っ」

 

 里桜の言葉が鋭利に突き刺さる。

 

「里桜」

 

 オレのすべて。

 ずっと昔から、オレだけがオマエを守ってきたから。

 オレは。

 オレは――

 

「迷うのですか?」

 

 叉姫は、里桜がオレに向かって言葉をぶつけている間も、ただそこに佇んでいた。

 

「ソレが貴方の珀葵における心残りですか」

 

 ちらりとオレに縋る里桜を見やる。

 

「仕方ありませんね……テメエは、この大切な妹が傷つかねぇと本性を認めることもできねぇのか?」

 

 突如、叉姫の左手が手刀を形作って里桜に向かって飛んだ。

 指先からは、鋭い漆黒の爪が飛び出して……

 

 

 

 その瞬間、全身が弾け飛ぶかと思った。

 

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「ヤ メ ロ」

 

 自分の喉の奥から出たとは信じられないような、低く重い声が絞り出された。

 反射的に足元に転がっていた竹刀を拾い上げ、ほとんど力任せに振り下ろす。

 叉姫と名乗った少女を――目の前の生物を、破壊するつもりで。

 これまで生命を破壊しようと思ったことなどなかったから、加減などわからなかった。ただ、持てる限りの力で竹刀を振りおろしただけ。

 手に衝撃が伝わった。

 

 ぐしゃりと何かがつぶれる感触。

 普段、竹刀が面を叩くのとは全く異なる感触。

 イキモノを破壊した音。

 途端に、オレの中を快感とも呼べるような歓喜が駆け抜けた。

 続けざまに竹刀を振りおろす。

 どしゃ、ぐちゃ、びちゃ、ぐちょり、どちゃっ

 鈍い音がして、イキモノの構成要素だった何かが爆ぜる。

 それに合わせて、電流のように快感が駆け抜けていく。

 ああ、なるほど、こういうことか。

 なんて簡単なことなんだ。

 イキモノの尊厳を蹂躙し、破壊し、滅するという、完全なる支配。穏やかな時の流れる珀葵には存在し得ない現象で、オレが初めて体感するコトバ。

 初めての感覚に、オレは抗う事を知らなかった。

 だから、欲望のままに何度も、何度も、目の前のイキモノが原型をなくすまで竹刀を振りおろし続けていた。

 

 

 

「ご理解いただけましたか?」

 

 突然背後からかけられた声に、はっとした。

 気づけば、オレの手に竹刀はなく、目の前にイキモノはなく、ただ腕の中に里桜の体温があった。

 今のは幻想だったのか? それにしてもこの充足感は――

 心臓が耳元で鳴り響いている。

 まるで何かを急かすように。

 

「ソレが貴方です。九条恭二さん。『殺戮(サツリク)』と名付けられた貴方の資質」

 

 最後通告の叉姫の声が、背後から静かに投げかけられた。

 オレのすべての退路を断つように、淡々と。

 殺戮(サツリク)。

 今の幻影の中で唐突に湧き上がってきた感情に、深く納得してしまった。

 意味は知らなかったが、しかし、感覚で理解できた『殺戮(サツリク)』という言葉。泉のように滾々(コンコン)と、怒りのように沸々(フツフツ)と湧いてくるそのひどく新しい感覚が、相手の息の根を止めたいという欲望だということが。

 未知の衝動に支配されたオレを見て、叉姫が高らかに笑う。

 

「そうだ、それがテメエだよ、九条恭而! その欲望に身を任せちまえ! それでこそ俺がテメエを迎えに来た価値があるってもんだ!」

 

 その嘲笑を原動力に、オレの胸中にみるみる広がっていく『殺意』。

 これがオレ本来の姿だというのか。

 

「欲望の為には何もかも斬り捨てる! 目的のために手段を選ばず、『殺戮(サツリク)』の道を厭わないソレ(・・)がテメエだ。ただ俺がほんの少し爪を砥いだだけでこの有様、可愛い妹の為になら世界中の人間を斬り捨てても構わねえんだろ?」

 

 心の奥底の澱んだ場所から、ざわざわと何かが這いあがってくる。

 

「そしていつしか殺戮そのものが目的になっちまうんだろ?」

 

 喉の奥から。胸の底から。腹の中心から。

 何かが這いあがってくる。

 

「認めちまえよ! それこそがテメエの本性だ!」

 

 明らかに今にも爆発しそうなソレ(・・)は、腕の中の里桜から伝わる体温によってのみ、かろうじて抑え込まれていた。

 

 

――殺す

 

 殺(コロ)す。

 里桜を傷つけるモノの存在は、認めない。

 オレの認めるモノ以外が存在することなど、一切認めない。

 

 

 

 思わず、腕の中の里桜を抱きしめた。

 

「お兄ちゃん……?」

 

 とうとう理解してしまったから。

 ずっとずっと求めていたモノを。

 ずっとずっと、澱のように胸の底に溜まっていた感情の正体を。

 最初に剣道を始めたきっかけが、相手を叩きのめすことが爽快だったから、という理由だったりとか。

 秋原先輩をいつも完膚なきまでに破るのは、実はアイツが里桜を狙っているからだったりとか。

 日常に埋もれてしまいそうなほど小さな予感はいくつもあった。

 オレはきっといつか、この珀葵(ヒャッキ)において、誰も為したことのない事象を具現化するだろう。

 

――殺戮

 

 里桜がいつか誰かを選んだ時、誰かが里桜を傷つけようとした時、オレはきっとソイツを『殺す』だろう。

 珀葵(ヒャッキ)には存在しないはずの、『殺戮(サツリク)』という言葉で以て、オレの願望は達成されるだろう……オレは、ようやく自分の求める資質を知った。

 同時に、ソレが珀葵において存在の許されざる資質であることも本能的に悟っていた。

 もう、ダメだ。

 里桜を抱いていたはずの腕には、まるで何かを殴り殺したかのようなしびれが残っている。

 

「お、お兄ちゃん……?」

 

 じっと自らの両手を見つめるオレを不審に思ったのか、里桜が制服の裾を軽く引っ張った。

 

「里桜」

 

 オレは心を決めた。

 

「さよならだ」

 

 ひどく昔の儀式のように、制服の第二ボタンを千切り取って、里桜の手に握らせた。

 本当にバカバカしい、古い本で読んだことのあるお守りだったけれど、確か里桜はその本が好きだったはずだから。

 がたがたと震え、声も出ない里桜を、最後に一度だけ抱きしめる。

 

「?――?」

 

 思わずぽろりと唇の端から零れ墜ちた言葉は、きっと本人には届かないから。

 放す瞬間にそっと唇で頬に触れて、里桜に背を向けた。

 縋るように後ろから握られた手を振りほどき、オレは叉姫と向かい合う。

 

「お別れの挨拶は終わったか、オニーチャン?」

 

「……ああ」

 

 叉姫は両手を差し出していた――女神の微笑で。死神の嘲笑で。

 何てせっかちな神の遣いなんだ。

 本当に、せっかちすぎる。

 まだ、つい今まで握っていた里桜の温かい手の感触が残っているっていうのに。

 

「九条恭而さん、貴方に逝く道を与えます。終焉(ミギ)か、混沌(ヒダリ)か……とっとと選びやがれ」

 

 導くは女神か、それとも死神か。

 

「決まっている」

 

 オレは、死神の手を取った。

 

「ひゃはは、後悔するなよ、九条恭而!」

 

 黒い叉姫がにやりと笑う。

 触れた死神の手は、温かくもなく、冷たくもなく、まるで何もない空間に触れたかのようだった。

 

 

 

 

 きっとオレは知っていた。

 珀葵(ヒャッキ)がオレの世界ではないと。

 だから、里桜に惹かれたんだ。

 オレのように異物じゃない、まるで珀葵(ヒャッキ)の幸福を体現したかのような彼女の笑顔を切望したんだ。

 自慢のお兄ちゃんになれなくて、ごめん。

 お兄ちゃんでさえいられなくて、ごめん。

 里桜。

 愛している、と何度言いかけたことだろう。

 でもそれはきっと、『殺戮』と同じくらい珀葵に存在してはならない感情だったから。

 

 

 だから、里桜。

 

 オレの事は、もう忘れてくれていいから――

 

 

 

説明
 満たされる、充たされる、ミたされる――
 神の嘆きが創り出した平和な世界『珀葵』、そしてそこから零れ堕ちたモノが業を背負う世界『緋檻』。
 珀葵に蕩揺う平和の裏で、緋檻の民は業を重ねていく。

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◆これは、戦略シミュレーションゲーム『戦神楽』の宣伝用に執筆されたものです。
 RPG版のシナリオ原本でもあります。

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