堅城攻略戦 第三章 坑道の闇に潜む者 7 |
早朝の陽光が、式姫たちの手にした得物に眩く光る。
少数ではあるが、纏まった人数の式姫の出陣は、人の戦力で言えば千人単位の出撃に等しい。
見送りに出ていた宿場町の人々も、普段接する気安い彼女たちとは違う、神々に連なる存在の威が辺りを払う様を感じ、覚えず背筋が伸びる。
「では、後は頼む」
鞍馬の言葉に、この宿場町一の老舗で、式姫達が駐留するための宿を提供していた主と、黒鍬の長が頷く。
「ご武運を」
「忝い、君たちもな」
「お任せ下せぇ」
緊張に強張った表情で頷いただけの宿の主と、不敵に笑って見せた黒鍬の長に、鞍馬はもう一度頷き返して、傍らの主を見上げた。
今日の彼は珍しくというか、それだけの大戦という事であろう、全身に大鎧を纏った姿を馬上に示していた。
「主君、出陣だ」
鞍馬の言葉を受けて、男が声を張る。
「出陣する、目標は堅城!」
応、と華やかな声が答え、式姫の一団は、主を中心に動き出した。
堅城へと至る、良く整備された街道を移動する式姫達の先頭で、油断なく周囲に視線を配りながら、悪鬼と狛犬が言葉を交わす。
「今度こそ狛犬突撃できるッスか?」
「軍師のねーちゃんができるつってたし、大丈夫だろ」
狛犬と悪鬼の言い種に苦笑しながら、その後ろを歩いていた軍師のねーちゃんが口を開いた。
「今回は、君たち二人には存分に暴れてもらう予定だ、その為にも、私の指示は守っておくれよ」
「こまけー事は知らねーけど、要は、あたしとコマで敵を蹴散らしゃ良いんだろ?」
「狛犬、突撃するッス」
負けないッス!
「だから、それは私の合図の後にだね……」
「わーってるって、大丈夫だよ、戦のこたぁあたしらに任せとけって」
「大丈夫ッス!」
安請け合いと言って、これ以上の安値は付けられないだろう二人の返事に、鞍馬は頭痛を堪える様子でこめかみを軽く揉んだ。
猪突猛進してくれる存在は確かに戦場においては重要ではあるんだが……本当に、大丈夫かな。
「私が付いておりますし、安心してくれて良いですわよ、鞍馬さん」
それを期待しての編成ですわよね?
珍しく若干不安そうな鞍馬の顔を見ながら、天狗が苦笑気味に言い添える。
「まぁ、ね」
「バカ悪鬼の手綱を取るのは毎度の事、こちらの部隊指揮はこの頭脳派の私にお任せですわ」
「何言ってやがる、おめーの『頭脳派ですわ』なんて、頭突きで突っ込む程度のシロモンだろ」
「何ですってぇ!悪鬼みたいに筋肉詰めた鉄頭に角まで生やした代物と違って、私の頭脳は繊細に出来てますのよ!」
「なんでぇ、ぶつける役にもたたねーのかよ、空飛ぶために軽いだけの鳥頭か?」
毎度の事ではあるが、ぎゃいぎゃいと喧嘩寸前の口論というか罵り合いを始めた二人を見ながら、鞍馬は傍らで涼しい顔をしている天女に顔を向けて、声を潜めた。
「天女君、君だけが頼りだ」
一方の天女にしてみれば、悪鬼と天狗のこれは日常の延長でしかない、穏やかな顔を鞍馬に向けて、安心させるように頷き返した。
「大丈夫ですよ、二人とも戦場に立てばしゃんとしますから」
「そう願ってるよ」
苦笑を収めながら、鞍馬は周囲の風景に目を配った。
彼女たちが駐屯している宿場町の周囲には、黒鍬の衆が築いた急造ながら堅固な柵と土塁と空堀が構築されているが、更にその外縁には、町中に収容しきれなかった、周囲の町や村からの避難民が掘っ立て小屋を建ててなんとか雨風を凌いでいる。
その彼らも、今は鞍馬の指示で街中に避難しており、無住の小屋が立ち並ぶ中を、彼女たちは歩みを進めていく。
「人のいない家並ってのは嫌な眺めだよね」
「ホントにねー、普段ならここだって何だかんだ、街中に負けない、ううん、それ以上の賑わいがあるのにね」
ひょいと鞍馬の隣に並んだ吉祥天と烏天狗が、ねー、と声を合わせて顔をしかめる。
人の賑わいや、衣類や装飾品や食べ物を求め、街中をそぞろ歩きする事を愛する彼女達にしてみれば、この光景は胸の痛む物だろう。
「ほう、避難者の仮の宿りだと思っていたが、そんなに賑わいがあったのかね?」
二人の話に鞍馬が興味をそそられた様子で水を向ける。
本拠地としている宿場町の人々の様子や、周囲の地形を、自分の目でしっかりと見ておきたいとは思っていたが、現状では流石の彼女も堅城相手の軍略を練るのに精一杯で、宿場町の防備の点検という最優先事項を片づける所までしか手が回っていない。
今からでも、この二人から聞き取りができるならして置きたい所。
「避難当初は流石にみんな意気消沈してたけど、私たちが妖怪押し戻し始めてからは、故郷に帰る希望も見えて来てたからね、職人さんたちも日用品作って売ったり、漁具作って近くの川から魚取ってきて商ったりで、結構賑わってたねー」
「それだけじゃないよ、最近はお茶屋さんやってたって家族が店開いてね、あそこの味噌だれお団子がまた美味しいのよ」
今度狗賓さん来たらご馳走して上げないとねー。
などと楽しそうに二人が話すのを聞きながら、鞍馬は相槌を打ちながらわずかにほほ笑んだ。
「お茶屋まであったのかい、それは良いな、戦が終わったら私も顔を出そうかな」
「鞍馬なら飲み屋の方が良いんじゃない? ご主人様もちょいちょい顔出してたお店、ここの外れにあるんだよ」
そこそこ、と烏天狗が指さしたのは、到底外見からは店舗に見えない小屋のような家、怪訝に思うその思いが顔に出たのだろう、烏天狗はそれを見てけらけらと笑った。
「飲み屋の姿は夜に来なきゃ判るわけないじゃん、夕方になるとそこのちょっと広い所に卓出してね、この辺で採れる茸や魚で一品作って呑ませる位の店だけど、結構お料理上手なのよね」
「そうそう、塩加減も上手だし、何より紫蘇や山椒や蓼の使い方が上手なのよねー、あれはこの辺の旅籠とかで厨預かってた人かも、そういうのを御つまみに、立ち飲みでちょっとひっかけておあいそ、みたいな感じでみんな使ってたよね」
避難民同士の商売では、さすがにツケというわけにも行くまいし、鯨飲させる程の酒も調達できまい。 必然的に手持ちの金や物でとなれば、その位の量で切り上げられる商いが、お互いちょうど良かったのだろう。
とはいえ、この状況下で小規模ながら様々な商いが成立し、流民たちが無気力にならず、生活を立て直そうと動き出していたというのは、中々に稀有の事ではある。
二人が意識していたかは知らないが、華やかな式姫二人が毎日のように周囲を歩き、皆を励まして歩いていた事で、人々の気持ちが前向きになったという側面は確実にあろう。
そしてなにより、式姫が毎日のように出没する場所では、混乱に乗じた人さらいや略奪者らの悪意のある輩の動きは掣肘される。 結果として、二人の散歩のお陰で、この周囲の治安が良好に保たれていたというのが大きかろう。
烏天狗と吉祥天が周囲の様子を語るのを聞きながら、鞍馬は鋭い視線で、再び道沿いに拡がる急造された家並みを一瞥し、内心深く頷いた。
彼が、この辺りにちょこちょこ顔を出していたというのは、酒の香に誘われて、というのは無論あろうが、それ以上に、不安定になりがちな場所を、まめに視察していたという事であろう。
元からここで居を構えていた宿場町の人たちからすれば、止むを得ない状況ではあるにせよ、町の外縁部にこのような流民が住み着いている現状を決して快くは思わぬだろうし、流民側とて、すぐ近くで壁に守られつつ、比較的普通の生活を維持できている人々を日々目の当たりにしていれば、内心に不満を抱える事もあったろう。
その辺りの気配を探り、不満解消の一手として、酒や甘味の店を開けるように物資の融通をしていたのも、おそらくは彼の差配。
この辺りの若いに似ぬ気の配りようには、正直感心する。
やがて街道の周囲から人家がまばらになるのに合わせ、周囲の景色が、田畑や、燃料や建材を得るために、人が育てた森に変わっていく。
(……荒れているな)
こういう、人の生活圏と自然の境界付近は、本来なら小妖が人を時折誑かしたり、自然の側に踏み込み過ぎた人が妖の餌食になったりする程度の関りで済んでいる筈の場所。
それがここまで放棄されている……田畑や山林が荒れてしまうと今期の収穫のみならず、来年以降の収量にも影響が出る、早急にこの辺りの生活を支える地を取り戻さないと、妖に勝利してもその後の生活が立ち行かない。
堅城の戦いという難事が、こちらの勝利に終わったとて、次はさらなる戦と、復興という難事が立ち塞がる。
前途の遼遠さを思い、さしもの鞍馬が小さくため息をつく、その肩がポンと叩かれた。
「気が滅入る光景じゃよな」
「……まぁね」
鞍馬の隣に、槍を肩にした仙狸が並ぶ。
温厚な彼女とは不釣り合いに見える、様々な用途に対応できる穂先をした複雑な形状の槍を見た鞍馬が、ふむ、と呟いた。
「見慣れない形状の槍だね、いかなる槍術で使うのかな?」
「狸仙酔眼千鳥流」
真面目くさった顔でそう口にした仙狸が、くっくと笑う。
「わっちのこれは槍術などという結構な代物ではありゃせぬよ、わっちが色々な戦を眺め、戦ってきた中で、使えそうな技と槍の形をごった煮にした得手勝手流じゃな」
おぬしと違って、一派も立てておらんし、弟子の一人もおりゃせんよ。
「私も人の弟子は一人しか取ってないがね……」
刀の付喪神から生まれた式姫の一部には、主が振るっていた太刀筋を受け継ぐ者も居るとは聞くが、人をしのぐ寿命と身体能力と感覚を誇る式姫の闘術は自ずと個々の技に収斂する。
突く、薙ぐ、引掻ける、巻き落とす、あらゆる槍術の妙法に対応しうる仙狸の槍は、使用者の玄妙な技量の程を示す物でもあるが、人が習得し、使いこなすにはいささか難しかろう。
「ま、わっちがこれをどう振り回すかは、この後嫌でも見て貰う事となろうよ……それはさておき」
彼女は鞍馬の顔をちらりと見てから、皮肉そうな笑みを浮かべた。
「軍師殿には、戦の前くらいは、いま少し景気の良い顔をしていて貰いたい物じゃな」
士気を上げるのも軍師の仕事の内では無いかの?
「正論過ぎてぐうの音も出ないね、とはいえ、ここで勝っても後から後から難問が山積しているのは間違いないからね」
眉間の皴が深くなるばかりさ。
ぼやくような鞍馬の低い言葉を聞いた仙狸がからからと笑う。
「先の見え過ぎる御仁は気苦労が多いのう、時にはわっちら猫のように、食事と寝床の事しか考えぬ時間も大事じゃぞ」
お主ならばよくよく判っては居るのだろうがな、明日悩めるならば、それが幸いという物じゃよ。
そう呟きながら足を止めた仙狸が、警戒するように、部隊の後ろに回る。
「先が見え過ぎる……か」
(君もそうだな、主君)
視野の広さや視座の高さというのは本来は美徳ではある。 だが、それは同時に、彼の力の及ぶ範囲の拡大が、彼の負担を増大する事も意味する。
目が配れるという事は、そこに意識が捕らわれる、そして、彼はその認識した世界を、時に冷酷に切り捨てることを要求される、君主としての心構えは教育されてはいない。
彼が領土や財貨を求めないのは、おそらく彼自身も、己のその弱点に気が付いているが故、という事があろう。
それでも彼が前に進むという事は、そのしがらみに、更に広く深く巻き込まれていく事を意味している。
その意味では、壁を感じた彼が人材を求め、鞍馬が今この集団に加わったというのは、天の配剤と言える。
(君のその過酷な道……最後まで歩き通させてみせるさ)
彼が望む未来へと辿り着いた時、私は初めて、千数百年の長きに渡り、求め、彷徨い続けた軍師という存在の形を探す旅が終わる……そんな気がする。
「見えてきたねぇ」
悪鬼や狛犬と共に、先頭を歩いていた紅葉御前の張りのある声が響く。
「……なるほど、これが」
空からは何度か見て、その威容は知っていたつもりではあったが、徒歩の歩みの途次で見上げるその姿は。
「相変わらず、凄まじい威圧感ですわね」
峩々たる山並みを背負い、万人の行く手を阻む、巨神の如きその威容。
「でも、今度は負けない」
短弓に手早く糸を張った白兎が、その鋭い射手の目を前方に据える。
その視線の先に、刀槍と甲冑の鈍い光が、彼女たちの行く手を阻むように無数に連なる。
「ずいぶんと、念入りに歓迎してくれるわね」
上等よ。
ふっとおゆきが息をつく、その吐息の中に白い氷片が踊り、陽光の中に煌めく。
長きに渡り、人の世界を守ってきた誉れ高き堅城。
すっと鞍馬の手にした羽扇が天を指す。
「今よりこの城を落とし、我らの反撃の狼煙を天下に向けて高らかに上げる!」
勝負だ……堅城の奥に住まうであろう、軍師殿よ。
鞍馬の羽扇が空気を鋭く切り裂き振り下ろされる。
「堅城攻略戦、開始」
吉祥天(左)と烏天狗(右)
流行と季節物行事を楽しむ明るい二人、中々文字にする腕がありませんが、良いコンビだと思います。
説明 | ||
「堅城攻略戦」でタグを付けていきますので、今後シリーズの過去作に関してはタグにて辿って下さい。 間が空いてしまいましたが、ボチボチ再開して行こかと思います。 |
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コメント | ||
>>OPAMさん ありがとうございます、そう、色々仕込んでようやくタイトルコールです、ようやくここまで来たかーという感じですが、ここから有る意味本編開始なのです……(野良) 人々に見送られて一団で進軍していく様子は、決戦という感じでワクワクします。道中の景色や人々の暮らしと鞍馬さん視点で紹介されていく式姫たちが交互に書かれていてテンポ良く読めました。そしてついに・・・「堅城攻略戦、開始」ですね。(OPAM) |
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