燦歌を乗せて:第一話『切子さんは可愛いなあ』 |
『心を奪われた』
この表現を説明できる人がいったいどれだけ居るだろうか?
どれだけ言葉を連ねても表す事のできない表現。
幸せに位置する感情でありながら、羨望や嫉妬という負の感情も同時に備え持ち、最後は余韻に浸らされる。
そう。浸ら"される"という受動態への絶対的強制力。
とある日の事。
動画サイトを巡回している時、インディーズバンドが目に入った。
――それはボクの心を奪って行った。
稚拙な演奏技術。プロとして魅せる技も乏しい。
売れる絶対条件であるボーカルの女の子にはお世辞にも華もなく、美人とは言い難い。
ともすれば圧倒的な歌唱力も持ち合わせおらず、凡庸なよくあるインディーズの技量と言えよう。
そこには愛があった。
愛、もとい熱量とでも呼ぶべきか。
「私の歌を聞いてくれ!」
そんな願いが演奏に乗って聞き手に訴えてくる。
「私の歌を聞いてくれ!」
ただの承認欲求なら共感は得られない。
これには続きがある。
「だって、音楽はこんなに楽しいんだ!」
本心か詭弁かは音に乗る熱量でわかる。本物は周囲を共鳴させその範囲を超えると愛に昇華する。
彼女がどれだけの時間を音楽と向き合ってきたのか。
その全てが3分にも満たない短い時間に凝縮されていた。
かっこ良い。
光だ。
観客も全員その熱量に魅入られ大盛りあがり。
憧れと尊敬と、少しばかりの妬み。
何故心を奪う側が自分ではないのかと、投稿された動画を眺めているだけだった。
そんな黒い嫉妬も掻き消す圧倒的な愛、もとい熱量にボクは焼かれた。
名も知らぬバンドが魅せるその熱量。
かっこいい。
けどね――、
だけどね、って、あれ? 文句言うとでも思った? 違う違う。ケチなんてつけないよ。
だけど、こんなボクが聞いていいなんて〜なんて、そういった捻くれた思考もないよ。
仮にあったとしても、そんな思春期の闇なんて笑わせるぐらい小さな闇を掻き消すほどの光だ。
心を奪われた妬みだ。
かっこいい。だけど、だけどね。
雅号、燦歌彩月(さんかあやつき)
わずか五作で世界最上位のプライムマスターに君臨した天才画家は燦歌の魔術師と呼ばれていた。
だけど――
ボクだって、かっこいいんだよ――!
「出ていけ、主殿」
ニート生活を満喫している最中、ノック後には開口一番これである。
返事はプシュ、っと小気味の良い缶ビールの音で答える。
視聴していたパソコンの動画はどうでもいい蛇の捕食。まあ言ってみれば暇つぶしだ。
「ふむ」
さてさて、どうしたものか。
「反論も言い訳もないでしょうが、言いたい事があればどうぞ」
ぐびぐびぐびぐび。
喉を通るビール。もちろん発泡酒じゃなく本物のビール。まあ、本物と言ってもせいぜい200円ちょっとだけどさ。
彼女、熊谷切子(くまがやきりこ)が言う様にゴミと揶揄(やゆ)されるに相応しい自堕落の生活を送っているのは覆せない事実である。
はてさて、どうしたものか。
「切子さんって可愛いよね」
「……」
よし、動きが止まったぞ。今だ!
「気遣いできるっていうか、頭の良い知的な包容力? みたいなのが凄くて。ボク、本当に緊張しちゃうんだよ」
「美人がいると、こう……やる気が空回りするって言う……わかるかな、こういう、男のサガ……」
頭をフル回転させ、この現状を打破する口八丁をひねり出す。
久慈色助(くじいろすけ)
大学を三度留年しながら雑学を漁るニートのような男である。
よってトンチや機転などのディベートにもある程度自信があった。
「生物的に哺乳類や昆虫も関係なく、多くのオスは気になるメスに対しかっこ良いところ見せようと努力をするんだ」
「孔雀が面白いかな。あの鮮やかな羽は生存競争に不利になるんだけど、それでもメスに向けて美しい翼を広げるのが求愛行動なんだ」
うんうんと切子は頷く。
「主が広げているのは缶ビールのゴミですが?」
「蜘蛛などの昆虫は餌をプレゼントするんだ。良いところを見せたいとするんだろうね」
うんうんと切子は頷く。
「先日私の誕生日にドスケベ下着を送って殴られたのもう忘れましたか?」
「ウグイスが鳴くのはメスに対して歌が上手いという求愛行動なんだよ。面白いよね」
うんうんと切子は頷く。
「もういいでしょう」
「……」
「……」
そして静寂が始まる。
「……」
もう一度、なにかないかと考え天井を眺める。
なるほど。状況は厳しいようだ。
そこからは説教が始める。
小言が始まりながら乱雑している缶ビールのゴミを拾い上げる。
「主殿はかっこいいところを見せるのか。なるほどなるほど」
「動画サイトにスパチャ投げて掲示板に書き込みする毎日が?」
「朝からビールに浸り夜になれば女のケツを追いかける毎日が?」
「自立もせず主体性もなく、アナタの同級生は汗を垂らして研鑽を続けている間に無意味な時間を浪費する毎日ですか」
「同級生の光一様は立派です。本当に立派な方です。今度展覧会にも出展します。サークル活動に学生起業もやりきり本当に立派な方ですね。誰かさんと違って」
「ところで蛇の動画は楽しいですか?」
切子さん。人は言葉で死ぬんだよ?
多少のディベートに対する自信はもう失った。どうやら分が悪いようだ。
この説教は部屋の片付けが終わるまで続く。少し早いが夜のお店でお姉さんと遊んでこようか。
「――フ」
ん?
くどくどと説教が始まるかと思ったら、不意に微笑みが生まれた。
「主殿。アナタは20代でアルコール中毒者。病気だ」
「使用人として主の病気はとても心苦しいです」
「病気は――治療をしないといけません」
「切子さん。愛してる。ボクの恋の病も治してくれるかな?」
「虚言癖の治療も追加でご所望ですね」
あ、まずい。やぶ蛇だ。
切子は整理をしましょうか、と得意げに指を立てた。
「朝から酒を飲み、女の子に片っ端から声をかけて夜のお店に消えていく。趣味はスパチャでお金を使う事」
「それも全て家の金だ」
「あはは、凄いね。表現一つでズボラな人みたいに聞こえるよ」
切子はキレイな顔で微笑む。美人の微笑みはどうも怖い側面を持つ。
「もちろん就職どころかアルバイトもしない。課題を放棄。勉強もせず絵もかかない」
「一体何をしているのでしょうか? 言うまでもありませんね。酒を飲んで女のケツを追いかけているのです」
「前時代的だね。ワイルドだねー」
「……」
笑顔が崩れない切子。
こちらは基本的に笑顔ではあるものの、冷や汗が伝ってくる。
ふーむ。
なるほど。ツーアウトってところか。
ここから逆転満塁ホームランを打つには……。
実はボク、病気で……ダメだ。それを言い訳にすると隔離施設の網にかかる。
ならばアルコールを接種する必要性を問えば良い。
では何故朝からアルコールを接種する? その無茶苦茶な行動に正当性を持たせなければならない。
「知っているかい、切子さん。ズバリ『肝臓トレーニングで開運法』という――」
「(かんどう)されました」
「え?」
まさかとは思ったが、肝臓トレーニングが刺さるとは予想外だ。女性は古来から占いが好きと言うが、なるほどなるほど――。
「勘当(かんどう)されました」
「アナタは、久慈の本家から勘当されました」
「……?」
久慈(くじ)の本家が感動した……。
「あ、なるほど! 勘当ね! はいはい、なるほどね」
勘当とは親や師が子や弟子の縁を切る事。
早い話絶縁だ。
ふむ、と考える。
思い当たる節は――それこそ今切子が述べた事のどれか、もしくは全てだろう。
「久慈(くじ)の家系ですが歴史を振り返ると二種類のうつけが居ると聞きました」
「我が道を行く孤立した天才と、資産食いつぶすゴミ」
「主。アナタは後者だ」
「切子さん。おっぱい大きいよね。図ってあげようか?」
「ぎゃああああああああああああああッ!?」
「消えろ、ゴミ」
笑みが隠せない。
セクハラの嫌悪感よりも、色助を追い出せる事実が上回ったのだろう。
「ふう」
熊谷切子は今日始めて心から微笑む。邪悪な笑みだ。
「お前のようなゴミに頭を下げる日々はもう終わりだ」
ついにお前呼びまで下がりましたねー。困った困った。あ、いや別にお前呼びぐらい全然いいんだけど。
「お前はもう久慈の地位を失う」
「え、本当に勘当されるのボク?」
「されないわけがないでしょう……」
ふーむ。これは手厳しい。
「そもそもお前みたいな口八丁だけのゴミが本家と扱われている事自体おかしな話だったんです」
「貴様の席には光一様が座るでしょう」
「光一君?」
あ、そりゃまあ……彼は本家の人だしメチャクチャ優秀だもんね。
確かにボクとじゃ月とスッポンっていう比喩でも足りるかどうか。
「十で神童。十五で才子。二十過ぎれば只のゴミ」
「光一君はずっと神童だよ!」
「主殿の事言っとるんですよ!!!」
ちなみに彼女は誤りで、二十歳を過ぎれば只の人だよね。
あ、わざとか。皮肉かー。こいつー。可愛いんだからー。
「主殿。アナタが最後に筆を持ったのは?」
「覚えてないなー」
「最後の作品は?」
「コンクールに出してビリ」
「その前の作品は?」
「コンクールでドンケツ!」
「ふん。そうですとも。アナタは才能もセンスもないゴミです」
才能とセンスって同じ意味じゃないのかな。太陽がサンシャインみたいな。あ、そう思うと切子さん可愛いなあ。
「無能の絵描き。100歩譲って結果には目を瞑るとしましょう」
「ではなぜ描かない? なぜ努力をしない? なぜ人並みの生活もしない?」
「才能がないゴミがなぜスパチャを投げる? なぜ酒を飲む? なぜ女を追いかける?」
「光一様は貴様が怠惰な時間を浪費している間にどれだけ走り続けどれだけの実績を積み上げているか、考えた事があるか?」
「結果を出せないゴミは何故努力をしない?」
「自分の人生に当事者意識を持たない主体性のないゴミ。絵に描いた様なFラン大学生ですね」
切子さんってナチュラルに差別するんだね。Fラン生も生きてるんだよ?
「……」
ふむ。
しかし何故努力をしないか、か。
面白い。そういえば考えた事もなかった。
何故……
何故だろう……。
うーん。何故、か。
「確かに……どうしてだろうねー。なんでだろう」
言われてみれば確かにその通り。考えてもわからなかった。
「不思議!」
ニッコリと切子は微笑んだ。
説明 | ||
「燦歌彩月第六作――」その先の言葉は夜に消える。 久慈家の名家である天才画家・久慈色助は大学にも通わず怠惰な毎日をダラダラと過ごす。ある日、久慈家を勘当されホームレス生活がスタートすると、心を奪われる被写体・田中ゆかりに出会う。 第六作を描く。そう心に誓った色助は、己の未熟とホームレス生活を満喫しながら作品へ向き合っていく。 |
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