燦歌を乗せて:第二話『如月の優雅な晩酌』 |
トレンチコートに身を包みながら夜の住宅街を歩く。
二月。和風月名では如月と呼ぶ。
きさらぎとは良く言ったもので「衣更着」が語源だと言われており、読んで字の如くもっと洋服を着ろと。
まあ寒いという事だ。
「ぐう……」
先ほどまで目に入ったアパートの駐車場に居た。
風を凌げるのではと入ったものの、おじさんに出ていけと罵られたのでこうして徘徊を進める。
感情的には手厳しいと思うものの、彼の言う事は紛うことなき正論。自分の土地に知らない男が居れば誰だって怪訝に思うだろう。
では何処に向かっているかと言えば当てはない。
友人や知り合いの家に頼み込めば泊めてくれる心優しい者もいるだろうが、色助はそれを好まない。
『等価交換』
彼の原理原則であり、その対価を彼は持っていない。
冬風に晒されながら南に向かって歩く理由は二つあった。
一つ目は歩いていると寒さを紛らわす事ができる。
二つ目は、南に向かえば少しは気温が高くなるのではとの根拠に乏しい妄想だ。
財布も携帯も持っていない。
熊谷切子はなんだかんだで優しい。きっとこの程度は見逃してくれたであろうし、さらに言えば持ち物の可否決定権を彼女が持つわけがないだろう。
しかし色助とすれば勘当されたという事実がある以上、久慈の金を使う事に抵抗を覚える。
「ふー」
クシャミをするように口元を隠しながら、息を吐いて指先を温める。
その後はお得意の雑学で、腕をブンブンと振る。なんでも、こうしていると血流が良くなって寒さが紛らわせるだとか。
持ってきた物は竹製の筆巻きのみ。
ざる蕎麦に敷いてあるようなゴザのようなもので、中に筆を六本巻いている。
筆は命と同義である大事なもの。
同時にもう必要のないゴミ。
両極端の性質を持つ筆巻きはその判断を伴う理由が明確に存在する。
絵を描くか、否か。
今ではもう、先は見えない。
公園に到着。
ベンチに腰掛けると街灯に照らされ木々の音を愉しむ。
(寒いねー)
自然のBGMも好きではあるが、今はいかんせん寒さをどうしようかと頭を悩ませる。
雪こそ降らないものの、このまま横になれば生きたまま朝を迎えられる気はしない。
でもそれは大袈裟だろうか?
戦時中など先人達はもっと過酷な状況で冬を越したはず。
ともすれば北海道の酔っ払いは道に潰れてそのまま凍死なんてニュースも耳にしたことはある。
色助はわからない事に仮説を立てるのが好きだ。
知識は面白い。ただ、それは検索や読書で簡単に補える。
今もわからない仮説に自分の線を引くのが色助は好きだ。
白い息が空を駆けるとそれを追う様に空を仰ぐ。
月は見えない。
空に彩りこそないものの、冬風の燦歌があるだけマシだとも言えよう。
「ふむ」
念の為お礼をしておこうと、筆巻きを開ける。
長年付き合った仕事道具だ。こういう時ぐらいにしかお礼を言う機会はないだろう。
よくよく見ると小さなキズが目立つ。こんな事あるのだろうかと首を傾げると、それよりも驚く事に予想外の現金があった。
「……?」
なんだろう、コレは。
記憶を辿る。
最後に描いたのは第五作『星屑余白』でプライムアーティスト展に出展した時。
あれは素晴らしい日だった。
クリエイターのほぼ全ては自分の事しか考えない自己顕示欲の塊。
否定こそしないが好ましいとは思わない。
それでいて自分も好みも印象派なのだから、矛盾のウロボロスを脱する事はできない。
人に認められたい。表現したい。
己。己。己。
我を出す事こそクリエイターの最大のエネルギーになるのは至極当然である一方、人は自己愛の強い人物を嫌悪するという矛盾の性質を持つ。
そんな中、心が惹かれた絵師が居た。
雅号、シエル・リュミエール。
彼女の絵には心を打たれた。
空。光。フランス語でそのままシエル・リュミエールだ。
己が一番だと謳う自己愛の化物。
自己愛が強いと言えばどう思うだろう? 従来は苦手な人が多いのではないかと定義の線を引く。
――同時に存在する例外。
技法や手法といった小手先でなければ、久慈筆丸のような他者に向けた作品でもない。
自己愛が、嫌悪を突き抜けた。
人間は不思議なもので、何事も突き抜けたモノに美を覚える。
それは芸術に限らない。
速さを追求した戦闘機や宇宙を目指すロケットの曲線。身近な物では極限まで研ぎ澄まされた和包丁の刃。
風に乗る効率を求めただけの鷹の雄々しい翼や獲物を捕食ために鍛え上げた虎の筋肉。
画してシエル・リュミエールは己の自己愛を突き抜けた圧倒的な作品へと仕上がっていた。
「ふふ」
想い出に浸れるのは愉悦だろう。
死に方としてはこの国の多くの国民は病で倒れ幸せに生を終える中、一部の人はそれすら叶わず災害や事故で生涯を終える不幸な者もいるのだから。
(なるほど)
絵描きというのは死と向き合うという意味では得な人種かもしれない。
最後に描いたのは第五作『星屑余白』。今の視界に入る狭い空に通ずるものを感じる。
オルセー美術館に展示され多くの人自分の作品を目にするとも思えば、常に絵は遺書の役割を果たしているとも言えるのではないか?
「……うーん」
言えなくも……ないが、別に遺書ってのは、うん。少し強引か。
ならば最期に遺作をと頭を少し過ったが、気まぐれはすぐにため息に変わる。
別に描きたい物などない。となれば、本気で向き合った五作のみでいい。
それではと筆巻きの中から筆を取る。
最期に温めた10本の指と、別の六本の筆に感謝を――。
「ん?」
と、そこで気付いた。
刑務所に行くのもありだなあ。
何か迷惑のかからない形で、キリリンビールを頂きながら……それなら飲む事もできる。
そうだ。
急展開で頭が回らなかったがいきなり死と向き合うまでもない。
いくらお金がないとは言え迷惑のかからない犯罪をなら、そうだ。それだったら逆襲として最期に切子さんのおっぱいを揉んでやって――
「……」
目の前に畳まれる三万円。
そうだ。話が飛んだ。
なんでここに金が入っているのだと考えたのに、いつの間にかシエルや刑務所の妄想を――
「…………」
三万円、ある。
ディスカウントショップを出た。
ビニール袋をぶら下げてやってきたのは近くの河原だ。
夜中の気温は3度。なかなかに寒い。
寒いというか冷たいというか痛いと言うべきか。
橋の下を確保。ライバル(ホームレス)はいないので、とりあえず雨は凌げる。
風も少しはマシにはなったがまだ吹き抜ける。若干寒さに心配を覚えるが数刻前とは状況が異なる。
今は寝袋がある。
過酷な状況であろうと雪さえ降らなければこれでなんとかなるだろう。
命を繋ぐ大切なお金。
無駄遣いはできないので必要最低限の物資だけ購入する。
夜が終わる。
河原から見える景色。朝日はキレイで、世界を照らす。
照らす、という表現は適切ではないな。それは……そう、まるで草や河、さらには橋や街などの人工物全てに命の光を注ぐような、そんな朝の始まりだ。
「なるほど」
永くこの街に居ながら、こんなキレイな景色に出会う事もなかった。
ふー。と指先を温める。
手入れされていない種々に付着した結露は朝の光で神秘さを演出する。
いいねえ。キレイだ。
キミの方がキレイだよ。って言ったらモテるかな? あれ、でもこれってボクが一人二役だよね。
うーん。
頭が回らないか。
糖分不足は否めず、食事も採っていない。
貴重なお金は浪費できず、必要最低限しか購入していない。
プシュ。
「えへへ」
朝を見ながら酌を愉しむなんて、優雅な生活の始まりに心が踊った。
説明 | ||
「燦歌彩月第六作――」その先の言葉は夜に消える。 久慈家の名家である天才画家・久慈色助は大学にも通わず怠惰な毎日をダラダラと過ごす。ある日、久慈家を勘当されホームレス生活がスタートすると、心を奪われる被写体・田中ゆかりに出会う。 第六作を描く。そう心に誓った色助は、己の未熟とホームレス生活を満喫しながら作品へ向き合っていく。 |
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