虚界の叙事詩 Ep#.01「SVO」
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3番通り 帝国首都1区

γ0057年11月15日

6:02 P.M.(『ユリウス帝国』東部時間)

 

 

 その日の《帝国首都》の天気は、真っ黒な雲から酸性雨の小雨が降るという、中途半端で、

とても憂鬱な雲行きだった。

 灰色の重々しい雲は、沈んでいくタ焼けの太陽を覆い隠し、酸性雨を大量に含んだ低気圧の

接近を告げている。

 カレンダーは γ0057年の11月15日。世界中を巻き込んだ大規模な世界大戦の終戦から

57年が経っていた。奇跡的な復興遂げたこの世界の南半球に位置する『ユリウス帝国』大

陸、その東海岸の温暖化と戦争の影響で陸側に数キロメートル後退した海岸線上に、新しく築

かれた首都は存在している。

 その都市は、海上の上に浮かぶ人工島群と、大陸側にちょうど半分ずつまたがり、都市外部

の東側は大洋で、西側には砂漠が延々と広がっている。『ユリウス帝国』の大陸とは、乾燥し

た大地であった。

 首都は、幾重もの高層ビルと環状道路を抱えている。その人工島群の中心部には、150階

建てという高さの、世界最大、内部に国会議事堂や中央省庁の入った超高層ビルが堂々と建

っていた。旧時代の面影はすでにここにはない。

 急激な人口増加は都市開発に拍車をかけたが、開拓が思うように進まない砂漠のために横

に広がることができない都市の建物は、結果として縦に、そして海側に新しい人工島を作ると

いう事で広がる事になった。その代表的な存在が、他のビルを従えるように建つ、一つの超巨

大高層ビル。それは『ユリウス帝国』の首都のシンボルだった。

 

 

 

 上空より降り注ぐ酸性雨は、ビルの隙間を網の目に走る道路にまで降り注ぎ、舗装されたア

スファルトを濡らし続けていた。

「あたしは、もっと楽な仕事だと思っていたのにな…」

 『ユリウス帝国』の民と、『ユリウス帝国』の公用だらけのこの市街地に、別の国の人間と、そ

の言語があった。それは『NK』の人間の香奈だった。

 押し殺した息を口から吐きながら、その細いウエストと脚を、大胆なスリットの入った白いロン

グスカートとブラウスから露出させ、『NK』人の割には真っ白な肌、そして華奢な体を、建物と建

物の間にある狭い隙間に押し込み、彼女は小さくしゃがんでいる。黒に茶が少し混ざった長い

髪の中に見える彼女の顔は、とても落ち着いてはいない。目線も一箇所を向いていなかった。

 そして、彼女の側にある、時代遅れの産物である木箱の上には、黒いコートを着て、眼鏡を

かけた長身の男、太一が堂々と立っていた。彼はビルの隙間から外の裏通りを見つめその鋭

い視線を送っていた。

「全然楽じゃあないよ。かなりヤバイって…」

 香奈は、太一に向かって言っていた。

 彼女の問いに、太一は何の反応も見せなかった。自分の言ったことを聞いているのか、と香

奈は思うが、当の本人は、何が起こっても変えないという冷静な表情で、狭い建物の隙間の外

を見つめていた。

 その外の通りは、終戦直後の急激な都市開発の名残り、15、6階建ての古びた建物の隙間

を走る裏路地だった。

 と、そこを、深緑色の軍服と防弾スーツを着て、同じ色のヘルメットをかぶり、最新型の短銃

や小型のマシンガンを持った者達が、焦った様子で走っていく。それは、世界大戦以降、この

国でその活動規模を拡大した、『帝国軍』の兵士数名だった。

 太一と同様にして香奈もそれを横目で見ると、彼女はとても嫌そうな声で、

「ひゃあ、あんなものまで持っているよ。もう嫌になっちゃう…」

 と文旬を言ったが、彼女の方をチラリとだけ見た、真剣な顔の太一は、無表情でそれを黙殺

していた。

 

 

 

 昨日の夜11時頃、太一と香奈の2人は、『NK』の防衛庁本部から緊急の呼び出しを受けて

いた。

 呼び出しから1時間もかからずに、それぞれの車でそこへと到着した2人は、防衛庁長官、

原隆作のオフィスに通されていた。

 壁には巨大な世界の、そして『NK』の地図。額縁に入る歴代長官達の写真。青と白が基調と

なる『NK』の国旗が掲げられ、それらに囲まれた原長官のデスクの後ろにある。大画面の窓か

らは、暗闇に浮かぶ『NK』の街並みがよく見えた。

 さらにそこには、ブランドの黒いスーツを着て、青いネクタイを締め、年の割りに長身で、白髪

が眼鏡を掛けた渋い顔と見事に融合した中年の男、原 隆作がいた。彼は、高価な回転椅子

に身を埋め、太一と香奈をデスク越しに並んで立たせた。

「夜遅く、わざわざご苦労だった。さて、電話でも言った通りに今回、君達に与える任務の全て

は…」

 と、長官は低い声で2人に言いつつ、落ち着いた、ヒノキの重厚なデスクの上に置いてある紙

の書類を指差し、

「そこに残らず書いてある」

 とだけ言った。

 太一は立ったまま、そのホッチキスで留められた書類をデスクから手に取った。書類には細

かい文字がびっしりと印刷されている。彼は、黙ったままそれを1ぺージ目から読み始める。

「何て書いてあるの?」

 隣にいる香奈は、太一の読む書類にぬっと顔を覗かせ、その内容を素早く読み取ろうとし

た。

「《帝国首都》の《セントラルタワービル》における、不穏な動き及び活動の調査…?」

 と、静かな声で原長官に尋ねたのは、太一だった。彼の声は低かったが、よく通る声で、静

かな声でも耳に届く。

「《セントラルタワービル》は知っているはずだ」

「『ユリウス帝国』の首都にある、百何階建てっていうビルの事ですね? 行った事あります。

…、仕事で、ですけど」

 香奈は呟くように最後の方を言っていた。だが、そんな事など気にせずに、長官は椅子から

立ち上がった。

「そのビルでだ、数週間ほど前から、黒塗りの高級車に乗った人物が何人か出入りしていると

の情報を、『帝国』サイドの協力者から入手した」

 窓の外の夜の街を眺めながら、彼は太一と香奈に背を向けて言うのだった。

「不蕃な人物…、ですか?」

 太一は、原長官の背中に問う。

「白衣を着た男が数人…らしい」

「らしい?」

 と、再び太一。

「まだ正確な事は分かっていないって事だ。その人物達は科学者かもしれないし、医者かもし

れない…。ただ、数週間前から毎日出入りしているとだけ、私は聞いている。欠かさずに、だと

さ」

 香奈は、その細い眉を寄せて、少し考える。

「あの首都の近辺って、隔離施設や研究所みたいな場所もあるんでしたよね? それに、《セ

ントラルタワービル》は、『ユリウス帝国』の中央省庁ビルです。白衣を着た男の数人や十数

人、出入りしたって不思議ではないのでは…?」

 そこで原長官は二人の方を振り向いた。

「確かに、香奈。君の言う通りだ。しかし…、出入りしているという男のうち一人の顔写真、のコ

ピーが、その書類の3ページ目に載っている」、

 太一は書類の紙をめくり、その3ページ目を開く。ページの左下には、眼鏡をかけ、睨むよう

な目付きをし、口髭を生やした、黒い目の『NK』人の写真が載っていた。写真は、彼が車から

降りたところを捕らえていた。

「どっかで見た事あるわね…」

 香奈は太一の顔を見て言ったが、彼は何も答えない。

「近藤広政さ。こっちの大学の名誉教授。専門は医学、物理学、生物学、化学…、なんでもだ」

 香奈はもう一度書類に目をやり、少し間を置いて、

「そんな人が、『ユリウス帝国』なんかで何をしているって…?」

「そこが、問題なのだよ。この事を不審に思った向こうの協力者が調べた所、彼の最近の研究

は全くの極秘扱いだった。しかし、わざわざ外国で、しかも『ユリウス帝国』なんかで何かをして

いるとしたら、国際協力で何かの研究をしているのだろう。何しろその男は、世界でも名が通っ

ている著名な学者で、君達も良く知っているような世紀の大発見さえしている。君達も知ってい

るね? 研究成果も随分と高い。まさに、現代の天才と言っていいほどだ。何かをしているとし

たら、よほどの研究だろうな」

 もう一度、書類に印刷されている男の顔を見る香奈。彼女は、その後のページの、白衣を着

た男が5、6人ほど写っている写真も併せて目を通した。隠し撮りだ。どこか、物陰から撮られ

ている。撮られている者達はその事に気づいていない。

 それは太一や香奈が知らない人物達だった。

「他の人は?」

「正体が分かっている人物は、そこに名前が載っている」

 近藤広政以外は、皆、香奈が知らない名だ。どこかで聞いた事があるかもしれない、と感じ

た名もあるが定かではない。だが、色々な国の、色々な研究機関の人物達がいた。

「それを、あたし達が調査するのですか?」

「そうだ」

「いつからでしょうか…?」

「《帝国首都》行きのジェットの席は2人分予約しておいた。出発は明日の昼、NK国際空港から

だ」

「明日…、からですか…」

 なぜって、香奈は今日から3日間の間、休暇を取っていたからだ。まあそれは、振り替えられ

るのだけれども。

「やってくれるね?」

 原長官は2人の方を向いて問い、太一の方は軽く頷いて答えた。

「もちろんです」

「では、その書類を良く読んだら、ただちに処分し、この事は内密にするんだ。口外は許されな

い。分かったね?」

「ええ…」

 香奈は言った。

「『SVO』よ、任せたぞ」

 原長官は呟くように言い、それを聞いてか聞かずか、太一と香奈は一緒に部屋を出て行っ

た。

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 翌日、超音速ジェットに乗り込み、偽造パスポートで『ユリウス帝国』に入国した二人は、50

年前に建設された、《帝国首都国際空港》の大きなターミナルビルに降り立った。そこから磁気

軌道の地下鉄で、《帝国首都》の中心部、1区に潜入するのだった。

 1区は《帝国首都》のちょうど中心部の人工島側に位置し、そこはいわゆる官僚街だ。中央

には太一と香奈の目的地の《セントラルタワービル》が堂々と存在、中には幾つもの中央省庁

が入る。その周囲には、世界規模の企業の本社ビルが立ち並んでいる。建物によって、地上

まで日中でさえ日の差し込まない、超高層ビル街だ。ここは、世界で最も人口密度が高いとの

事である。

 そんな1区の中にある地下鉄駅まで、何ごとも無くやってきた2人だった。

 しかし、すぐに『帝国軍』の兵士に発見されてしまうのだった。まるで、2人がやって来るのを

知っていたかのように、戦場さながらの武装で、駅に張り込んでいたのである。

 だが、なぜ空港で2人を迎え撃たなかったのだろうか? 首都の中央部にまで2人は侵入で

きたのだろうか?

 あの情報が漏れてしまったのだろうか…? そして、その情報の解析は、2人が『ユリウス帝

国』国内に入った後に終了し、直ちにこの最も重要な区画の警備が強化されたのだろうか。

 という事は、2人の任務の目的が、《セントラルタワービル》にあるという事もバレているという

事か。

「撤退の気配は…、ないよ…」

 裏通りを再び覗いた香奈は言い、すぐに顔を建物の影に引き込む。

 時刻は午後6時を少し過ぎた。彼女の右腕にされた腕時計が、雨滴の中からそれを示してい

る。憂鬱な色をした雲も、そろそろ闇の中に消えて行く時間がやって来る。今日の首都は、日

を望む事は無かった。

 香奈は、セットされていたはずの髪の毛が小雨で濡れ、汗だくのようにその顔がてかってい

た。彼女は顔を引き込めてからしばらく黙っていたが、やがて太一のいる方に目を向けて、

「どうするの? 時間の問題だよ…」

 と、少し焦った声で言った。

「追い込まれたようだ…」

 太一はそれだけしか言わなかったが、彼は代わりに、黒いコートの内側の、同じような色の

ズボンの腰に吊されていた、3段階に収縮された鋼鉄製の警棒を取り出した。そして、右手に

握り締めて香奈に見せる。その棒の太さは香奈でも楽に握れるくらい、長さは20センチほどに

まで収縮されていた。

「だが、何もできないわけでもない」

「やるんだね?」

 そう頼もしげに言いながら、香奈は地面に、真っ白なスカートが水溜まりで汚れないように、

それを手で押さえながらしゃがんだ。

「やっぱり、面倒になりそう…」

 呟くような彼女の言葉を無視し、太一は木箱の上からアスファルトの地面に降りた。そして小

さくしゃがんでいる香奈を大股でまたぎ、狭い建物の谷間から、外の開けた通りへと、慎重に

歩み出て行く。

「まかせたよ」

 香奈は呟いた。

 それに少しだけ反応した太一は、わずかに横目で彼女の方を見たが、すぐに警棒を落ち着

いた腕で握り、小雨が降る中を、通りの中央に堂々と立った。彼はその腕を軽く上下に振っ

た、すると、3段階に収納された警棒が一気に伸び、その長さは50センチほどになる。

 太一が向いている方向には、10メートルぐらい先にゴミ箱とゴミ袋が山積みになった、ゴミ捨

て場のような場所がある。その側に、『帝国兵』が五人、マシンガンや短銃を持ち、さらに防弾

ヘルメット、スーツで完全武装した姿で何やら話し込んでいる姿があった。

 彼らは、太一が姿を現した事に、すぐには気が付かなかったが、

「あいつだ!」

 と、一人の兵士が叫び、太一の方を指差した。

「何ッ!」

 他の四人の者達も、驚いた様子で太一の方に目を向けた。

 太一は、彼らに目線を置いたまま、変わらぬ真剣なまなざしのまま、右手に持った警棒を彼

らの方を向いたままの姿勢で構える。一方の兵士達は少し慌てた様子で、マシンガンや短銃

の安全装置を外し、それを両手で構えて太一の方に向けた。それは慣れた作業、流れた動き

だった。

「その武器を捨てろ! 動いたら撃つ!」

 五人の兵士の内の一人が大きな声で言った。

 だが、太一はそれにまるで応じる様子もなく、警棒を持ったまま、彼らの方に向かって走り始

めた。

「構わん、撃て!」

 その声に従い、兵士達は躊躇する様子もなく、一斉にマシンガンや短銃の引き金を引いた。

そして弾丸が吐き出される。

 今まで、近くにある通りから聞こえる車の走行音や、雑踏、雨が降る音だけがこの裏通りの

全てだった。だが、突然に弾丸が放たれる銃声が響き渡る。銃口から飛び出した弾丸は、飛

行機雲のように雨雫の中に軌跡を残し、直線の軌道で太一へと向かった。

 しかし彼はそれに動じず、ただ飛んで来る弾丸の方を、睨むように見ていた。

 太一の眼と脳は、超高速のスピードで動く弾丸の、一発一発の軌道を正確に読み取る。彼の

見る弾丸は衝撃波を空中に残し、雨滴をはじき飛ばしながら向かっている。

 そして太一は、常人には不可能なほど、その動きに残像が残ってしまう程の速さで、弾丸を

一発一発、正確にかわすのだった。

 弾丸は通りの後方に消えていく、5人の人間が銃器で放つ銃弾は何十発とあったが、更に高

速度で動く太一の動きには追いつかず、彼に弾丸が命中する事はなかった。

 太一は弾丸をかわしながら大きく孤を描き、5人の『帝国兵』の方に走って行く。

 そして、彼から見て一番左端にいた兵士の顔面に向け、鋼鉄の警棒を、隙が全く無いように

叩き付けた。

 兵士は、まるで豪椀を持つ者に、バットで思い切り殴られたかのように吹き飛ぶ。手から離れ

たマシンガンが地面に落ち、回転しながら路面を転がった。

 その攻撃の瞬間、太一の体は青白い色に輝いた。まるで、激しい電流が彼の体から発せら

れたかのように。

 振り向きざまに太一は、側にいる兵士の後頭部にも警棒の一打を与える。太一の体から発

せられた特別なエネルギー体は、手に持った警棒に、スタンガンのような電流を帯びさせ、そ

の破壊力を増大させていた。

 太一は、次々と武装した兵士達を、その警棒一本で吹き飛ばし、同時に全ての銃弾をかわし

ていた。

 彼から一番遠いところにいた兵士が、太一に向かって銃口を向けた。慌てている、その手は

震えていた。

「こ…、こいつが見えたら観念するんだ…!」

 だが太一は、冷静な表情でその兵士の方を向いているだけだった。相手のように動じる様子

はない。

 銃弾が銃口から飛び出した。兵士は引き金を引いていた。

 と、次の瞬間、その弾丸は弾け飛び、全く違う場所に命中する。そしてその弾丸を放った兵

士は、思い切り後方へと飛ばされた。建物の壁に彼が背中から激突し、そこにめり込んでしま

うほどに。

 太一は、弾丸が撃たれた瞬間、それが自分に達するのよりも速い動きで、警棒の突きを繰り

出したのだ。警棒は、その先端で銃弾を鋭く弾き飛ばし、更には『帝国兵』に猛烈な突きを与え

ていた。

 事が終わったので、香奈は建物の隙間から出て、太一の元へと行く。彼は倒れた『ユリウス

帝国兵』達に囲まれた。兵士達の体からはうっすらと白い煙が上っている。太一の警棒に帯び

ていた力のせいだ。

「容赦無しって感じだね」

 太一は何も言わない。彼の警棒は青白く光っていたが、彼はそれを消した。香奈は倒れた兵

士達を見やり、

「この人達…、あたし達がここに来るって知って張り込んでいたのかな? だとしたら、正体も

目的もバレているのかも…」

「かもな…」

 雨の降下してくる空を見上げ、太一は呟いた。

「どこから情報が漏れたんだろう…? ちゃんと、あの書類は処分しておいたのに…」

 香奈は苦い顔をして太一を見た。その彼女の顔は、さっきよりも雨で濡れて、まるで泣いてい

るかのようになってしまっていた。長い髪の毛も、髪の毛を洗ったかのように濡れている。

「こっちで大きな物音がしたぞ!」

 誰かの大声が聞こえて来る。間違いなく『帝国兵』の声だ。すぐ近くにある裏路地の曲がり角

から、だんだんと激しさを増して来る雨音に混じって声がした。足音も忙しく聞こえて来る。

「ねえ、やばいよ。誰か来るよ」

 太一は何も答えない。

「早く逃げようよ」

 そう言って香奈は、彼の肩に手を乗せて催促した。太一は声のした曲がり角の方を、真剣に

見つめていたが、彼女の催促に従い、その曲がり角とは逆の方向に向かって走り出し、香奈も

それに続いた。

 酸性雨は、さっきよりも激しくふりしきっていた。上空に浮かんでいる雲は、さらにその重々し

さを増していた。

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 太一と香奈は25歳になる。外見からはとても想像ができないが、2人とも同い年だった。

 香奈はよく10代後半の高校生とかに見られ、彼女はその不平を漏らしたりする。でも、整形

をしているわけでも、若返りクリニックに通っているわけでもない。あくまでも天然、あくまでも自

然な肉体でそれを維持しているのだ。

 そんな彼女は、色白でほっそりとした体を強調するかのように、『NK』の繁華街で手に入れ

た、白色の、シンプルで露出の多い服を着ている。さらに上半身と同じように、大胆なスリット

が入ったスカートを日頃からはく。彼女は、冬の寒い目でも快適な体感温度を、自分の特別な

力で保つ事ができたし、そのような格好は、『NK』では、女の子達の流行の的なのだ。

 服装だけでなく、香奈は、目に緑色のコンタクトレンズを入れたり、『NK』人特有の黒髪に、薄

く茶色を染めさせたりしている。外見上は、同じ国の若者達と何も変わりは無かった。

 言葉は『NK』の標準語、紅来語と言うが、それだけしか話せず、他の外国語は喋れないし、

あまり理解もできない。『ユリウス帝国』の言葉はタレス語と言うが、世界で最も普及しているそ

の言葉の、基本的な単語と言い回ししか話せない。しかも勉強不足ゆえ発音は相当に悪いの

で、聞き取る外国人は何を言われたのか分からないだろう。

 一方の太一は寡黙な男である。香奈の前でもあまり喋りたがらない。コンピュータや、情報機

器の画面を長い時間見ていたとかで、視力がとても悪いらしく、常に眼鏡をかけている。眼科

で視力矯正をすれば、すぐに治ってしまうのだが、彼はそれをしなかった。

 香奈は、そんな太一と仕事を共にする事が多く、それ以上の、友人的関係でもあるが、実際

の所はその香奈ですら、太一の事はあまり知らなかった。

 無口で背が高く、目が悪い。コンピュータや、それのハッキング技術に通じており、煙草は吸

わず、酒もほとんど飲まない。特殊な訓練で身に付けた戦闘能力のおかげで、銃を持った人

間とも、警棒や体術だけを使って戦う事ができる。

 彼も香奈も、『NK』の防衛庁が裏で活動させている諜報組織、『SVO』に所属している。その

最高機密である仕事内容は、『NK』の他外国の諜報活動全般。『ユリウス帝国』やその他、

様々な国が隠蔽する最高機密を探る。簡単に言えばスパイなのだが、そう言ってしまうのは適

切ではないし、実際はもっと細かな仕事も請け負っている。

 メンバーは少人数で構成され、行動時は更に少ない人数で活動する。その方が小回りが利く

からだ。そして情報や機密入手のためならば、その国の法律はおろか、国際法さえも無視して

荒っぽい事もやる。不法侵入や傷害などはしょっちゅう。危険が伴う仕事だ。

 だが、たとえ外国で捕まる事があったとしても、彼らの経歴は全て消されているから、表から

調べても国にとっての損にはならないのだ。

 とはいえ、彼らが捕まる事などはまず有り得ない。隕石が自分の頭に衝突する可能性の方

がまだ高いとまで言われる。

 その一つに、彼らの戦闘能力の高さがあった。そしてその中に、人の潜在能力を利用した戦

闘技術が存在している。

 かの昔からあったというその『力』、知っている者は知っているが、公にはなっておらず、知ら

ない者ならば、そんな力があるなど、空想の世界の産物としか思っていないだろう。だが基本

的には、訓練次第で誰でもその『力』を使う事ができるのだ。潜在能力や、生まれつきの問題

という訳ではない。しかし、公になっておらず、しかも先進国の軍隊の中でも一握りの人物しか

知らないそんな『能力』は、特別なものであろう。

 人間が意識をして、自分の筋肉を異常な速度で動かしたり、空間に電流を発生させたりなど

の自然現象を起こしたりする。あたかも超能力のように。

 この力を『SVO』のメンバーは使いこなす事ができた。しかも、そこらの軍隊の特別部隊が持

つ能力などより、数段強力なものをだ。

 

 

 

 裏路地には、戦後それほど経たない頃に建てられた、古い造りのビルが立っていた。鉄筋コ

ンクリートの建物が、10階の高さにまで立ち上がっている。

 周囲は10数階建ての建物が並ぶ裏通り、近くに《セントラルタワービル》の周囲の環状道路

から伸びる3番通りが走っていて、そこはいつも人で賑わっている。交通量も非常に多い。

 しかし今は、非常事態発生の理由で、一般人は皆、ブロックの外に追い出されているようだ。

「ああ…、あんな装甲車まで来ているよ…。こんな街の中だって言うのに…。やっぱりあたし達

が来る事はバレていたみたい…」

 二人は再び身を隠していた。今度は、鉄筋コンクリートの建物の下にあるゴミ捨て場にであ

る。

 香奈は、裏通りから見える三番通りを、重厚なボディを持つ『帝国軍』の装甲車が通り過ぎて

いくのを見て、ため息をつくのだった。

 生ゴミの日、そもそもゴミが出ているような時間ではない、そのゴミ捨て場のゴミ袋からは生

臭い匂いが漂っている。香奈はそれを細い脚で押し退けていた。彼女を守るような位置に太一

は立ち、彼の右手には完全に伸ばされた警棒が、しっかりと持たれていた。

「絶対絶命かな…、まるであたし達をこの辺りから出さないっていう勢いだよ…、というか…」

 というか、見つけ出して始末するつもりである。と言う言葉は、香奈は口ごもって出せなかっ

た。

「どうせ、地下鉄まで逃げたって、もう封鎖されているだろうし…」

 太一は何も言わない。

「あんな装甲車とは戦いたくないし…」

 無言が返る。

「雨に濡れてもう最悪だよ」

 沈黙だった。

「何とか言ってくれない!?」

 いい加減いきり立った香奈。と、そんな彼女に、太一は黙るように合図をした。

「何とかするから、落ち着いていてくれ」

 うるさかった香奈も、太一の言葉に従う。話し声が聞こえた。二人はその場にしゃがみ、さら

に身を隠す。それと時を同じくして、こちら側にやってくる足音が二人分だった。

「べータ班異常無しだ。こちらに来た気配はない」

 『帝国兵』だった。機関銃を持った兵士と、短銃を持った兵士が一人ずつ。防弾スーツとヘル

メットを装備している。一人は小形無線機も持っていた。

「10分以内に川にかかる全ての橋と、地下鉄の駅を封鎖する。そちらは一刻も早く二人を探

せ」

 と返ってくるのは小形無線機の声、低い男の声だ。

「了解」

 そう無線を持つ方の兵士が言うと、無線機からの音がやむ。彼はそれを軍の肩にあるフック

にかけると、

「だとよ、聞いた通りだ」

 もう一人の兵士に向かって言った。

「そこまでする必要があるのか? スパイが入ったっていうだけで随分と大げさだな。装甲車も

出動しているんだろ?」

「ああ、多分、最近のテロ活動の多発を受けているんだろう。このままだと天下の『帝国軍』や

警察とかが面目丸潰れだからな」

 その声が最期だった。2人の兵士の内一人は、太一と香奈に背を向けていることを知らなか

った。その兵士に対し、ゴミ捨て場の影から、香奈が攻撃をする事は実に簡単な事だった。

「どうした?」

 兵士の背中で起こる爆発と熱と音。香奈は、自分の掌から炎のエネルギー体を送り、それは

火を振りまく爆発を引き起こした。

 兵士は、自分が攻撃されたことに気が付かないまま倒れる。爆発は防弾スーツを破り、彼の

背中に強いダメージを与えた。

 もう1人の兵士が太一と香奈の姿に気付いた。だがもう遅い。香奈はすでに第二弾の攻撃を

発動させており、それは彼の顔面の側で爆発を起こした。

 小さな爆発音、その後には2人の倒れた兵士だけが残っていた。2人からは煙が立ち上ぼ

り、そこに酸性雨が降り注ぐ。

「さーて…」

 と言いつつ、ゴミ捨て場の影から香奈は歩み出る。そして、路上に倒れた2人の兵士の間に

立つと、まだゴミ捨て場の中にいる太一の方を振り向き、

「急ごうか」

 と、平然と言うのだった。

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 香奈が太一と初めて出会ったのは5年前、それは、香奈が『SVO』に入ったという時期と一致

する。しかし、それは彼女自身、自分の事とは言っても、本当かどうかは知らなかった。

 25歳の彼女の記憶は、言葉などの生きるために最低必要な知識を除いて、5年よりも前が

存在していなかった。ほんのわずか、これっぽっちもである。それがなぜかは彼女自身も知ら

ない。教えてくれる人間もどこにもいなかった。両親や身内の存在さえ、香奈は知らない。つま

り、知らぬ間に『SVO』に入っていて、太一や他の仲間達と行動を共にしていたようなものだっ

た。

 太一と出会った時期、『SVO』に入った時期を教えてくれたのは、彼女達の上司である防衛庁

の原長官だ。香奈が聞けば答えてくれた。しかしそれでも、彼が記憶の無い原因を教えてくれ

る、という事はなかった。自分の過去を知ろうとしても、このような職務に就いている為に、情報

は全て消されていて調べようがなかった。

 太一にその事を聞こうとしても、彼は口を開いてくれないから、香奈の過去は謎のままであ

る。多分、彼に聞いたとしても彼も知らないだろう。原長官でさえ知らないぐらいだ。どんな生い

立ちで、どんな教育を受けたのかも分からない、全てが謎だった。最新の技術も密かに色々と

試してみたが、取り戻す事はできなかった。

 香奈の心の中には、深い溝があった。その中を5年前という崖の縁から覗いたとしても、底を

見て、それよりも前を知る事はできなかった。

 とは言うものの、それを考えると怖くなるから、彼女はをあまり考えないように心掛けている。

 自分の人生は20歳の時に突然始まっている。知らぬ間に『SVO』に入っていて、太一と知り

合い、危険な仕事に手を出している。そんな感じだった。それが彼女にとっては怖いのである。

 でも、彼女にも思い出はある。3年前の事だ。そこから香奈の記憶は始まっていて、現在に

至っている。それ以前の事は何一つ覚えていなかったから、それが彼女のスタート地点だっ

た。

 

 

 

 γ0052年の8月、外見上は何も変わらないが技術は大きく進歩したという3年の間隔。外

は温暖化と夏の熱気で蒸し暑かった。天気予報で流れる不快指数は前年、前々年を上回って

いると言っていた。

 窓の外には建物が見えた。それは『NK』特有の、きちんと区画化された場所に立つ、上部が

半球型、もしくは円筒型建物群だった。見えているのは夜である。『NK』の夜だった。建物の明

かりが闇に輝いて、その光景がずっと遠くまで広がっているのがよく見える。

 ここはどこかの建物の中、レストランの中だった。香奈はレストランの中にいた。太一が一緒

だ。2人はレストランに来ていた。

 ここは今でも太一と一緒によく来るレストランだった。『NK』中心街の建物の最上階にある。

「今日は…、色々と、どうもありがとう。誘ったのはあたしの方なのに。こんなに高そうな食事ま

でさせてもらって…」

 そう、このレストランに来たのは、この時が初めてだったはず。太一とデートのようなものをし

たのも初めてだった。自分が誘ったはずだが、そんな事、この時の自分にできただろうか。

 香奈は思い出した時によく考えた。20年以上あったはずの過去の自分だけれども、今見え

るのは5年前まで、だから、その分余計に多く彼女は考える。普通の5倍近くも。

 太一と向かい合って、窓側のテーブルについていた。太一は自分の前に出ている料理を食

べようとしない。どうやら、あたしが食べるのを待っているようだ。

 彼は、いつもと同じような格好をしていた。彼は地味な雰囲気だったが、趣味は悪くない、確

か、この時の印象はそんな感じだったはず。第一印象は覚えていないけれども。そうそう、かな

り几帳面な性格だなとも思ったのだ。

「じゃあ、頂くね…」

 あたしが料理に手を付けると、彼も食べ始めた。どんな味だったか。値段の割りに合う良い

味だった。

 考えてみれば、太一は何をするにも完壁だった。彼はやる事なす事、全てを完壁にしてしま

う。仕事は言うまでもないし、この時も、あたしを満足させるのだって完壁であったのだ。

 でも、

「君は、何も話してくれないの?」

 しいて言うならば、無口だと言う事が彼の欠点だろうか?

 太一は何も言わずに香奈の方を振り向いた。

 本当に喋る事と言ったら、必要なくらいだ。それがいつも気に掛かるが、それは5年間変わっ

ていなかった。

 とはいえ香奈は考えた。

 あたしのこの5年の記憶は、太一に始まり、今も彼がいる。何だか太一が欠かす事のできな

い存在になっている気がしているのだった。

 事実、そうなのだろう。彼とどのように知り合ったかは、詳しく分からないけど、彼がいたか

ら、あたしの記憶は始まっている。彼がいなかったら、今もこの自分の記憶は始まっていなか

ったのかもしれないし、そうでなくとも、もっと遅く、例えば、3年、2年前に始まっていたのかも、

そう思えた。

 だが、相変わらずこの仕事に就いている動機とかは、全く思い出せない。

 さらに、自分がどうしてこんな能力を持っているのかさえ知らなかった。

 気が付いたら、こんな力が使えていた。別にどこかで訓練したり、習得した記憶もない。まる

で、乗り物を運転するように、すでに使う事ができていた。

 それも、軍隊などで秘密裏に行われている訓練の『力』を上回るものを扱えたのだ。自分の

知らない内にである。いくら自分が才能を秘めていたと考えても、こんな事があるだろうか。

 この不思議な『力』が使える事に感謝する。そんな風に思う事が果たしてできるだろうか。い

や、できないだろう。まるで暴れ馬にでも乗っているような気分、というのが本音だった。ただた

だ、暴走している『力』に恐れさえ感じる。

 自分の記憶は、5年前の太一とのデートから突然始まっている。

 それから前は完全に闇だった。記憶の中を巡ってみても、そこには崖があり、先には何も見

えない。

 そこを彷徨うのは怖かった。

 最初は、それを考えないようにしてしまう事さえ怖かった。一体、自分の過去には何があった

のか、どうして記憶が無いのかと考える事自体を放棄してしまうのだ。それさえも怖かったの

だ。

 自分の心の中にある深い溝を、そのままにして、それの存在さえも忘れてしまおうと言うの

だ。

 しかし、冷静に考えてみれば、自分の過去に何があったのか、それを知らない事の方が幸せ

なのかもしれない。今は知らないからいいけれど、もしかしたら、自分が知りたくもないような事

が過去にあったのかもしれない。そんな事を思い出すのが、果たして最良な事だろうか。もち

ろん、自分の事なのだから、それに怯えていてはいけないかもしれないが、あたしは怯えるも

何も、何も知らない。

 記憶の中にはとてつもなく深い闇がある。それがあるだけでも、心に持つ病のように生きてい

るのに、今さら、新しい病を作れるだろうか?

 もともと、思い出す事さえできない事なのかもしれない。だったら、思い出す事自体を諦めよ

う。

 世の中には事故などで、全ての記憶を失ってしまう人もいる。それに比べれば自分は軽症な

方だ。記憶の中に何も見えない深淵があるとはいえ、それ以上は何も障害がおこらない、むし

ろその方がいいのかも。

 いつまでも過去に捕らわれていては始まらない、今は未来の為に生きよう。

 いつしかそう考えるようになっていた。そして、そう考えれば気が楽になった。気が重くなるよ

うな暗雲に、一筋の光が差し込んだのだ。

 このまま、危険だけれども充実し、慣れてきた仕事をこなしていれば、そんな事など忘れてし

まう気がした。

 香奈はそう思い、考えていた。

 最初の頃、今から2年程前までは、失った過去の記憶に恐れを抱いていた彼女も、今では前

向きに生きようと努力をしている。

 失っている記憶の事を思い出すときもある。しかし彼女はその時、それを忘れようとし、それ

によって自分を保っていた。

 それによって、彼女は重い気から開放されることが出来た。

 ほんの、少しだけ。

-5ページ-

 

5番通り

6:18 P.M.

 

 

 

 太一と香奈は追われている、さっきと依然変わりない。相手は『帝国軍』や警察の人間。武装

した者達が二人を追跡してきている。

 2人は3番通りを5番通りへと、大きな交差点から入り込み、首都内を流れる大きな河の方

向へと疾走していた。左手には《セントラルタワービル》が堂々と建っている。ここは、そのすぐ

脇であった。

 巨大なビルの側では『帝国軍』のヘリコプターが、機関砲の銃口を、歩道を走る逃亡者の二

人に上空から向けて追跡していた。

 『帝国軍』の攻撃が激しく、頻繁になって来ていた。身を隠しながら逃亡する予定の2人だっ

たが、結局は『帝国軍』達と対峙している。

 《セントラルタワービル》の北側にある、1区の官僚街一帯は封鎖されつつあった。普段なら

ば楽に移動できる場所が、装甲車や兵士達が、2人を捕らえようとしている上、上空には『帝

国軍』のヘリコプター、と来ていた。

 2人とも、『ユリウス帝国』には何度も、特別発行の旅券で潜入を繰り返しているが、これほど

までに緊迫した状況は初めてだ。

 だが河を越えれば話は違った。《帝国首都》の東部側は広い湾に浮かぶ人工島が幾つもあ

り、それが首都の形を形成している。戦前は海だけだったが、今では河にかかる橋と、地下鉄

だけが出入口の巨大な都市型要塞だ。戦前から大陸にある首都の西側に脱出する事ができ

れば、太一と香奈はそのまま逃げ切る事もできる。

 少なくとも、2人の訓練された実力があればの話だが。

 5番通りの歩道には誰も歩いていない。車道には乗り捨てられた車が停まっている。太

 陽はほとんど沈みかけていて、建物や街灯の灯りの方が頼りになった。

「止まれ!」

 止まるのを待たずに銃を撃ってくる『帝国兵』が後ろにはいる。だが、その弾道は全て読む事

ができた。太一は走りながらも、慣れたようにそれをかわし、香奈も苦手な作業ではあるが、で

きない事はなかった。2人にとっては、集中して気を乱さなければ何の問題も無い事で、もしも

の時は、大事に至よりも前にバリアを張ることだってできる。

 脇道の前を通り過ぎる。すでにそこにいた兵士が、銃を発砲してきたが、それらは残像を残

す太一のスピードに追いつけず、二人の反対側へと通過、路上駐車していた車のフロントガラ

スが割れただけだった。

 2人の走るスピードは、車よりも速く。さらに、かわしの動作も完壁なまでに正確だった。

 二つ目の脇道も通過する。今度は少し違った。飛んでくる銃弾の他に、火を吹く爆発が、香

奈のすぐ側で起こった。

「危ないぞッ」

 それは手榴弾の爆発だった。太一が爆発よりも前に警棒でそれを弾いてくれなければ、危う

く彼女はそれに巻き込まれるところだった。『帝国軍』の兵士は、そのぐらい標準装備してい

る。

「あ、危ない危ない…」

 本当に危なかった。気を取り直し、走り続ける。ぐずぐずしてもいられなかった。逃げ場を失う

よりも前に、河にかかる橋を渡る必要がある。それは香奈にもよく分かっていた。太一につい

ていく香奈。と、

 前方に二人の人間。『帝国兵』が銃をこちらに向けて構えている。太一は警棒を手に、そのま

ま突っ込もうとする。しかし、

「あのくらいなら、あたしに任せて」

 そう言った香奈。彼女は太一よりも前に歩み出る。2人の兵士は銃を向けて何かを言ってく

るが、彼女はそれに怯えもしない。

 香奈は、自分の腰の後ろに吊しておいた、鉄パイプを取り出して両手に持ち、前に向かって

構えた。その長さは一メートル程で杖の形をしていた。ところどころにネジやボルトの類いの金

属部品で様々な装飾品が繋ぎ留められ、それは何かの芸術品のような姿をしていた。

 銃が彼女に向かって飛んでくる。2人の人間はほぼ同時にそれを発射し、弾丸は空中を突き

抜けた。

 だが、香奈はそのスピードよりも速く、自分の武器である鉄パイプの杖を、目分の体の前で、

バトンを操るかのように一回転させた。杖からは、青白い氷の膜が出来上がっていく。回転す

る杖の軌跡の空間にその膜はできあがり、香奈の前で円形の氷のバリアを形成した。

 2発のレーザーはそこで弾かれる。氷の膜は、反対側が透けて見え、ガラスのようにもろそう

なものであったが、その強度は、レーザーを受けても、ヒビ一つ入らない程のものであった。

 さらに、香奈は回転させてバリアを形成した杖を、『帝国兵』の二人の方向へと向ける。同時

に、レーザーを受け止めていた電流のバリアは、飴紬工のように変形して、杖に導かれるま

ま、氷の矢のような姿になり、前方へと飛んだ。

 氷の矢は雨滴を弾き飛ばし、二人の人間の間まで飛ぶとそこで弾け、青白く光る細かい粒子

を、弾丸のようにしてまき散らした。それをまともに受けた兵士は、その場で倒れる。

 安心しようとした香奈、だがそれもつかの間。彼女は、倒れた二人の先にも、まだ武器を持っ

た人間がいる事を知る。思わず身構えるが、その後ろにまだまだ何人も、大勢の兵士達が武

器を構えていた。

 香奈の後ろには太一がいて、彼は反対方向を見ているが、そちらにも大勢の人間が武器を

構え、重厚な装甲車までいる。上空には『帝国軍』のヘリコプターだった。

「お前達は完全に包囲されている! おとなしく武器を捨てて投降しろ!」

 と誰かが拡声装置で叫んで来る。完全な外国語だから香奈には理解できなかったが、

「どうするの?」

 杖を構えたまま、後ろにいる太一に尋ねる香奈。彼も彼女と同じように、伸ばしきった警棒を

兵士達に向けて構えたまま言った。

「何とかできるさ…」

 次の瞬間に、彼はその場から高々とジャンプをした。それは完壁な跳躍だった。人間業とは

患えない程の高さにまで彼は達した。

 そして、驚いたように彼の方を向いた兵士達に向けて、太一は、警棒に青白い電流のような

ものを纏わせ、それを放った。電流は群衆の中に飛び込み、勢いよく破裂。火花と共に悲鳴が

聞こえた。

「撃てェェッ!」

 拡声装置からの声。一呼吸も置かずに銃声が鳴り、銃弾が太一の方に飛んで行く。

 今までで最大の砲撃だった。何発もの銃声が、嵐のように響き渡る。彼は上空にいたままそ

れらを警棒ではじき、その軌道を変えさせた。

 香奈の方にも砲撃は浴びせられる。杖を媒介にして、体から発せられる『力』を使えば、それ

を何とか防御する事はできた。

 だが、バリアか一部が弾け、小さい氷の粒を放つ。近距離からのショットガンの散弾がバリア

の一部を破壊したのだ。香奈がそれをまともに食らう事は無かったけれども、後方によろめ

き、そこに隙を作った。

 しかし直後に上空から人影が落ちてきた。太一だった。彼は香奈の側に着地をし、再び警棒

を使って彼女を守る。

「あ、ありがとう…」

「いや、まだ安心するのは早いな…」

 香奈と太一が、そう言えたのもつかの間、香奈は自分の真上から、何かが迫ってきているの

を感じた。人影などよりも遥かに巨大で、威圧感がある。自分の周囲が暗くなっていた。重々し

い気配がやって来ている。香奈は上空を仰ぎ見た。

 ヘリコプターだった。それが落下して来ている。

 驚いて自分の目を疑う香奈。さっきまでは上空を飛んで自分達を追跡していた、あのヘリコプ

ターだ。機体の至る所から火を吹き出して、太一と香奈のいる位置に落下してきているのだ。

 思わず隙を作ってしまう香奈。状況をすぐに理解できず、危険が迫ってきていることにも対応

できない。

 だがそんな彼女は、太一に腕を引っ張られ、ヘリの落下地点から救出される。一秒もかい間

の出来事だった。

 『帝国軍』のヘリは路面に落下した。鋼鉄製の機体は爆発と共に火を吹き出し、それは通り

にあるものを一気に飲み込み、燃やした。機体は地面に潰され、衝撃波を吹き出し、建物の壁

を砕き、窓ガラスを粉々に割って、装甲車や何人もの人間がその場から吹き飛ばされた。

 通りは炎に包まれた。ヘリから出た炎はその燃料タンクに引火し爆発。可燃物に引火し、そ

の被害を拡大させた。

 その爆音は、《帝国首都》のどこにいても聞こえるくらいに激しいものだった。《セントラルタワ

ービル》脇の5番通りの一部は破壊され、太一と香奈の2人はその場から脱出し、その先の、

河にかかる橋へと向かう。

 酸性雨はこの間もさらにその勢いを増し、それは今では土砂降りに成り代わろうとしていた。

-6ページ-

 

セントラル河

6:25 P.M.

 

 

 巨大な《セントラルタワービル》の脇を抜けると、そこはもう首都内を流れる大きな河だった。

そしてそこに掛かる長い橋を渡れば、そこは大陸、封鎖された人工島の要塞を抜け、戦前か

らある区域の繁華街で、1区から3区に入る事になる。

 太一と香奈は周囲に警戒を払いながら、それぞれの武器を持ち、河にかかる橋の前にやっ

て来ていた。後方に堂々とそびえ立つ《セントラルタワービル》の脇では、ヘリコプターが落下し

た事による火災で、幾つもの消防車のサイレンがけたたましい音を立てて鳴っていた。

「すごい静か…。何か嫌な予感がするよ」

 太一の脇に隠れるようにして香奈は言った。彼女の言う通り、『帝国軍』によって封鎖されつ

つあるはずの橋は暗闇に包まれ、静かで嫌な予感を漂わせていた。日はすでに落ち、河沿い

の建物や道路は光も放たず、静かに佇んでいる。

「ああ、そうだな…」

 太一も香奈に答えて言った。

 橋にある全ての照明が落ちている。奇妙だった。しかし、さっきの火災で停電が起こったとい

うわけでもないようだ。街の方は明かりがついている。

 でも、おかげで橋の先の方は暗闇でよく分からなかった。

 土手の下に見える河の水も、黒い光を揺らぎながら放っているだけであった。街の騒ぎや消

防車のサイレンなどは、遠くから聞こえてくるかのよう。『帝国軍』の張ったバリケードなどどこ

にも見えない。それどころか橋には、人や車の姿が全く見えなかった。

 四車線の道路と、両脇の歩道からなる橋。その全長は1キロ近くもある。太一と香奈の2人

は、そこに慎重に足を踏み入れていった。

 橋は、相当昔にかけられたもののようだ。路面は所々ひび割れ、手すりの塗装も剥げてい

る。路面に書きなぐられた落書きも多かった。数十年前にかけられ、それ以来、建て直されて

いない橋である。

 濡れた歩道のアスファルト、酸性雨は降り注ぎ、さっきよりも激しくなっている。さっきまでは小

雨だった雨は、すでに土砂降りに近いかもしれない。気分が重くなるような空気はさらに増して

いた。

「さっきのは、君の策略だったんだよね?」

 橋の歩道を歩きながら香奈は尋ねた。前を歩く太一は背を向けているだけだったが、

「飛び上がったのはわざとで、自分の方向を撃たせるため。君は、銃弾を弾いてヘリコプターを

撃ち落としたんだね。普通はヘリコプターは頑丈にできていて、銃弾なんて平気なんだけど、君

が自分の『力』を銃弾に帯びさせて、その威力を上げた…」

 気にもせずに香奈は続けた。

「それで、ヘリコプターを落として騒ぎになっている間に、あたし達は身を隠せてここまで来れた

んだね」

 太一は黒色の河を眺めている。そこには水質汚濁で汚染された水しかない。

「でも、やりすぎだったんじゃあないかな? いくらなんでも、あんなに派手にやったら、人が死

んでいるよ」

 橋の歩道に自分の声がよく響いている事に、香奈は気付いていない。

「まあそれが、あたし達の仕事なんだけど…」

 彼女のその言葉を聞いていたのかいないのか分からない太一は、何の前触れもなく突然足

を止めた。香奈は突然止まった彼の背中にぶつかり、

「痛!」

 と声を出した。

「ど、どうしたの?」

 そう言って香奈が見た太一の視線は、橋の車道の先、20メートルほどの位置に向かってい

た。

「何かが、前にいる…!」

 だが、その部分はちょうど暗闇に隠れ、何があるのか確認する事はできない。街の光も届い

ておらず、正真正銘の暗闇がそこにはあった。だが、何かがそこにいる。そんな気配だけは感

じとる事ができた。

「な…、何?」

 香奈は声が震えていた。彼女は太一の背中に隠れるように身を潜め、太一は右手に持った

讐棒を構えようとした。

 光。突然の光が2人を包んだ。

 あまりに眩しい光。それが突然発せられたので、今まで暗闇にいた2人は、その眩しさのあま

り2人は思わず目をつぶった。眩しさの余りに倒れてしまいそうなくらいの光だった。

 サーチライトの光だ。何者かが2人に向けてサーチライトを向けている。

 太一は眩しい光をこらえながら、自分のいる位置から走りだし、その光から逃れようとする。

彼は歩道を離れ、車道に飛び出た。

「危険だッ! 避けろッ!」

 香奈も一足遅れて同じようにしようとしたが、歩遣と歩道の間に、排水用の狭い溝がある事

が、暗闇の為によく見えていなかった。

 履いていたブーツが溝に引っ掛かり、走り出そうとしていた分、思い切り左足をひねってしま

う。

 香奈はその場に転んだ。

 濡れた道路に香奈は倒れた。すぐに起き上がろうとするが、ひねった足首の痛みでうめき声

が出る。

 何らかの危機が迫っている事は分かっていたが、ブーツの中の彼女のか細い左足は悲鳴を

上げ、溝から足を抜いても、走る事などとてもできそうにない。歩こうとする度に鈍い痛みが襲

ってきた。

 だが、光を放つ者は容赦をしなかった。うなる機械音がし始め、何かが起動する。それを前

奏曲に銃声がなり出した。『帝国兵』が持っている小型の機関銃とは比べ物にならない、激しい

銃声だった。

 間を置かずに歩道のアスファルトが砕ける音。次々と道路が粉々になり、前方の暗闇から、

猛スピードでそれは2人に迫っていた。

 太一はそれをかわそうとする。しかし、足をくじいた香奈は、痛みのせいでほとんど身を動か

す事ができない。飛んできているであろう銃弾をかわすことなど、とてもできそうにない。

 放たれた銃弾が2人の位置を通過した。太一は真横に飛んでそれを回避する。だが、香奈

はその場をほとんど動けない。ただでさえ、高速で飛んでくる弾丸をかわす事など得意でないと

いうのに。

 横に飛んだ太一は道路に転がり、身を伏せる。そして大急ぎで起き上がると、すぐに香奈の

方向に顔を向けた。

「香奈ッ!」

 だが、返事はすぐに返って来た。

「あぅ、痛い…」

 サーチライトの光を頼りに、太一は香奈の様子を確認した。うずくまったままだったが、まだ

動いており、香奈は無事だった。だが、左足に加えて、右肩も手で押さえなければならなかっ

た。

 白い服の右肩の部分から血が流れ出ている。この手の特殊素材の服は、血が付いても染み

たり、汚れたりしないのだが。血が押さえている手の中から溢れていた。一発だけだったが、

弾丸は彼女に命中し、貫通していた。

「で、でも助かった…。君がバリアを張ってくれたんだね。また君に助けられちゃったって感じか

な…」

 自虐的に彼女は太一に笑みを見せ、言った。

 そこで香奈は、銃弾の気配が再び自分に迫ってくるのを感じた。自分の肩を破ったのと同じ

弾丸がすぐ側を通り過ぎ、風を切り裂いている。しかしそればかりではない、待ち構えていた兵

士達も、二人の方へと銃弾を発砲している。銃口の照準が再び自分に向けられているのだ。

「こ、今度は当てさせない」

 弾丸が飛んでくる方向に言葉を放ちつつ、香奈は太一の側に寄り付こうと、彼の方へと移動

する。左足は使い物にならないから、びっこを引くようにして、できるだけ早く動こうとした。

 だがそうしても、銃口の照準が香奈の位置に追いつくのには間に合わなかった。しかし、彼

女の体に弾丸が当たる事はない。香奈は、太一が自分のために張ってくれた電流バリアのエ

ネルギーを利用し、その『力』をそのまま、自分が使う能力のようにコントロールして、完壁なバ

リアを自分の周りに張っていた。

 アスファルトをも砕く弾丸はそこで火花を飛び散らせ、パワーを失い、どこかへ飛び去って行

った。

「ど…、どうするの? 真っ暗闇で何も分からない」

 と、香奈は太一の場所にまでやってきて彼に言うが、太一は、弾丸を放ってくる何者かの方

向を、睨むようなまなざしで見つめ堂々と対時している。彼女の方には振り向こうともしない。

 サーチライトが2人を同時に照らし出し、弾丸もその方向に向かって飛び始めた。

-7ページ-

 

 一度照らされて目が慣れて来たとはいえ、サーチライトの光は強烈で、それが再び向けられ

た時、香奈は思わず目をつぶろうとしてしまった。だが、飛んでくる弾丸は側まで迫ってきてい

たし、頼りにしたい太一はとっくに走り出していたから、眩しさにこらえながら、彼女もそれに続

くしかなかった。

 敵の武器は、香奈の右肩を易々と貫通し、アスファルトの路面を粉々に砕いている事から、

徹甲弾を放つガトリング砲、重機関砲といったところ。人間が使うものではない大型のものだろ

う。何か機械兵器のようなものに搭載されているのか。バリケードを張っている兵士達の中心

にそれはいる。

 『帝国軍』は二人がここに来る事は知っていた。しかし、二人にここまで手こずるとは考えな

かったのだろう。この兵器は緊急に呼び出されたのか。

「やられてばっかりじゃない。こっちだって…」

 香奈は少し強がり、自分の腰の吊されていた鉄パイプ、弾丸が飛んで来る方向に、その先端

を掲げた。彼女は、ひねった左足首と右肩に被弾した弾丸の相当な痛みを、自分の『能力』で

切り傷程度の痛みにまで押さえ込み、何とか太一の後についていくことができた。しかし痛い

事には変わりは無く、彼女は華奢な体ながら、それを必死にこらえているのであった。

 そんな中、香奈は、自分の回りに張られ、弾丸をしのぐのに使っているバリアを、攻撃のエネ

ルギーに変換する『力』を使う。それは太一にはできない、とても高度な技術だった。鉄パイプ

を使って、飴細工のようにエネルギーを変形させ、サーチライトが光っている前方、敵の方向に

飛ばすのだ。

 電流バリアは電気の矢となって、サーチライトの方向に飛び、弾丸以上のスピードで激突、一

撃を浴びせた。

 一瞬だけ閃光が輝き、弾丸のスピードにも目が追いつく彼女には、そのわずかな隙だけでも

何があるのか、大体は理解できた。サーチライトの光は一方的でとても眩しく、何も見る事はで

きなかったが、今度は違う。

 十人ばかりの兵士違、サーチライトを向けている一台の装甲車、そしてそれらが取り囲むよ

うにして、一台の戦車のような機械があった。ハの字型になっている重厚なキャタピラの上に、

装甲されたボディが載っており、2機のガトリング砲がこちらを向いている。激しく回転しながら

弾丸を放っていた。ボディの内部に何か隠されていない限りは、それが主力武器だろう。

 香奈の放った電撃は、ボディに命中していたが、硬そうな装甲はその衝撃を受け流し、脇に

いた兵士に電撃を浴びせて倒したものの、機械兵器に傷が付いた様子は無かった。電流は

粉々に分散され、空気中に消える。

 さらに、香奈は武器を前方にかざしたままであった。彼女は攻撃をした代わりに、徹甲弾や

兵士達からの攻撃を容赦なく迫らせてしまった。

 鉄パイプでとっさに防御をしようとする香奈。正確な防御ではなかったから、防御する事はで

きたものの、衝撃は彼女を押し倒す。さらに激しく続く攻撃を防御する事は難しくなった。

 しかし彼女は、機械兵器に向かう一つの影を見るのだった。

 暗闇とサーチライトの強烈な光でよくわからなかったが、その姿は太一だった。彼は、二人の

兵士を警棒でなぎ倒し、銃撃をものともせず、機械兵器に素早くよじ登って、機関砲のセットさ

れている付け根の部分に向かって警棒を振り上げていた。

 ガラスの砕けるような、歯切れのよい音。太一が警棒を振りかざした時、彼の体は暗闇の中

に青白く輝き、そして警棒が機関砲の付け根にインパクトする時、その光は警棒に集中。ガラ

スが粉々に砕ける音と共に、今まで弾丸を放っていたガトリング砲は、機械兵器のボディから

崩れ落ちた。

「そっか、付け根はもろいから…」

 香奈は呟いた。

 彼女は、弾丸を防御していた武器を、もう一機のガトリング砲の砲へと向ける。敵の放つ弾

丸は、太一のおかげで半分に減らされていた上に、元の体勢にもどった香奈は、容易に攻撃

する事ができた。さらに、先程の太一の攻撃の時に放たれた光の輝きで、どの位置にもう一機

のガトリング砲があるかは、よく分かっていた。

 香奈は、赤色のエネルギーを纏う。燃え盛るようなエネルギー体が、彼女の体から発せら

れ、香奈はそれを武器の先端に集中させる。そしてそれを、前方に掲げると、エネルギーは鉄

パイプの先から一直線に飛んで行った。

 ガトリング砲の付け根で爆発が起こる。とても小規模、手榴弾の爆発にも及ばないほどの小

さな爆発だったが、その砲台を破壊するには十分だったらしく、ガトリング砲は土台から崩れ落

ちた。ついでに、兵器の足元にいた兵士3人にも被害が及ぶ。

 機械兵器は、ガドリング砲を全て失った。

「やった!」

 そう言って安心する香奈。

 しかし彼女は、太一が暗闇の中から何かの合図をしているのを見た。彼は光の届かない闇

の中にいたから、普通に手などを使って合図をしているわけではなく、彼の武器である警棒

に、青白い電流を帯びさせ、それを左右に激しく輝かせながら、ライブコンサートでやるように

振り、合図を送っていた。

「何?」

 最初は、合図が意味するものが分からなかった香奈。だがそれが、横に避けろという合図だ

と分かった時は、考えるのを止め、すぐさま行動に移った。

 赤い光が、横に避けた香奈のすぐ右側を通過した。直径が5センチほどの光のラインが、橋

の後方に向かって一気に伸びた。音も無く、ただ光だけが一直線に伸びた。

「レ、レーザー砲ね…」

 太一が棄権を察知し、自分に合図してくれなかったと思うと、香奈はぞっとした。赤い光のこ

のレーザーは明らかに兵器。合図の意味を理解できていなかったら、そして、レーザーが発射

されるよりも前によける事ができなかったら、彼女は考えただけで鳥肌が立ちそうな気分だっ

た。

 しかも、攻撃はそれだけでは終わらなかった。香奈の後方へと伸びたレーザーは、やや傾斜

をして、遠くのアスファルトの道路に穴を開ける。そのレーザーは消えることもなく、橋の道路を

切り裂き始めた。硬いアスファルトなどものともせず、強化鉄筋コンクリートなども、紙を切るカ

ッターのように切り始める。レーザーは機械兵器から伸びた巨大な剣のごとく、彼女の方に向

かい始めた。

 香奈はレーザーに追われるように走り始めた。レーザーが追ってくるスピードは、橋を切りな

がら追ってくるせいか、それほどのスピードはなかった。機械兵器の周りにいる兵士達は太一

に気がいっているようで、香奈の方に砲撃はなかったから、逃げる事は彼女でも簡単な事であ

った。しかし彼女は、橋の方向とは垂直に走るハメになっていたから、すぐ橋の柵にまで追い

込まれてしまう。

「ど、どうしよう…」

 柵を背に、香奈はレーザーの方を振り返る。彼女の方が足が速かったから、まだ少し距離が

あるが、すぐにもこっちまでやって来るだろう。河に飛び込む事も考えたが、行動に移すよりも

前に、機械兵器のボディの上に乗って、兵士達と応戦している太一が、何らかの合図をしてい

るのに気が付いた。

「飛び越えろ! レーザーを!」

 太一が大きな声を発し、香奈に命じる。

 言われた香奈はレーザーの方を向いた。赤いラインが薙ぐように接近してきている。

「あ、あの、レーザーを飛び越えろって言うの? そんな事、あたしじゃあできないし、それで何

がしたいの?」

 香奈は心配そうに言ったが、太一にそれが届いている様子は少しも無く、仕方無く彼女はそ

の場で助走の構えをし、

「まあ、水に飛び込むよりかはましだけど…、ね…!」

 と、呟くと、レーザーに向かって全速力で走り出す。レーザーの高さは1メートルほどで、香奈

の腰の高さほどはあった。しかも助走をする距離は、あまり長くはなく、何らかの理由で失敗す

ればと言うプレッシャーのようなものから、一筋縄では飛び越えられそうになかった。

 レーザーとの距離が縮まるにつれて、香奈の呼吸は荒くなり、心臓の鼓動も激しくなったが、

真剣に、いつも『能力』を使うようにジャンプをすれば、飛び越えられない高さではなかった。踏

切りのポイントや、飛び上がった高さは十分すぎるほどで、レーザーにかするような事もなかっ

た。

 だが着地後に香奈は、しゃがんだまま自分の胸に手を当てて、呼吸を荒々しく立てながら、

「駄目かと思った…」

 言葉を漏らしつつ、着地地点で立ち上がった。そして太一の方を見る。

 太一は、そのまま、今度は反対側の柵まで走るよう、今度は警棒の光で指示を出している。

 香奈にとっては、もう追いかけっこは御免だったから、その指示は否定したかったが、今飛び

越えたレーザーは方向を転換し、再び道路を切り裂きながら、彼女の方向に向かって来てい

る。

「もうどうなっても知らないよ。君が、あれを動かしている人を倒してくれれば助かるのに…」

 しかし、そんな太一は自分の周囲にいる兵士達の攻撃をかわし、応戦するだけで精一杯の

ようである。

 香奈は走り出した。息は緊張と疲労でさらに荒くなり、走る速さも落ち始め、赤いレーザーは

彼女を追いかけ、地面をえぐり続ける。

 そして香奈は再び、橋の柵に背中を当てて、横向きに迫って来るレーザーを見るという形に

なった。今度は反対側の柵だったが、状況は何も変わっていない。いやむしろ、疲れて来て、

しかも怪我の出血が続いている分だけ、こちらの方が不利になっている。少なくとも香奈はそう

思っていたのだった。

「何も変わって無いよ」

 香奈がそう独り言を言いかけた時、彼女はとても鈍い地響き、もしくはとても重い物が崩れる

ような、大きい音を耳にするのだった。

 今までレーザーが地面をえぐる音と雨音、そして機械兵器の機械音、兵士達の銃撃音しかし

なかった所に、その音は、異様な重みと響きを放った。

「な、何?」

 思わず香奈は声を上げて驚いた。

 彼女の立っている位置が、大きく傾き出したのだ。その場に立っていられないほどに、急な角

度に傾きだした。

 香奈は辺りを良く見回す。橋の一部、自分と機械兵器、太一や兵士違がいる辺りの、ちょう

ど10メートル四方ほどの橋の区画が、道路や柵ごと切断されたようになり、香奈のいる辺りが

下になり、機械兵器のいる方向が上に跳ね上がっていた。

 崩れた鉄筋コンクリートの破片か川に落ち、水飛沫が上がる。香奈は、なぜ橋がそのような

状態になったのが、初めは、何が何だか訳が分からなかったが、少し経って冷静に考えれば、

どういった事か理解する事ができた。

 自分達がいるのは橋の上、いくらアスファルトや鉄筋コンクリートで頑丈に出来ているとはい

え、川の上に築かれた橋の上にいるのだ。そこにレーザーが巨大な剣のように振るわれ、橋

が切断されれば、とても不安定な状態になるだろう。さらに、機械兵器は何トンもの重さがある

し、装甲車まである、それを支える足場の一部でも切断されれぱ、頑丈な橋も、何メートルかご

とに接合部があり、そこは一番もろい。重さに耐えられず崩れてしまうだろう。

 ついでに、この橋はかなり古い。ちょうど、戦後の資材が少ない時期に作られたというから、

手抜き工事の気はあったかもしれない。そうでなければ、こんなに簡単に崩れないはずだ。

 だから太一は、機械兵器の上から香奈に指示を出して、レーザーを上手く誘導し、足場を切

断する役割を果たさせた。ただ、闇雲に自分を逃がさせていた訳ではなかったのだと、香奈は

知った。

 彼は、このまま機械兵器を橋の下の河に落としてしまう気だ。

 しかし、橋の一部が崩れた事により、橋の道路自体は川に向かって大きく傾く形になってい

た。足場は傾斜し、キャタピラでバランスをとっていた機械兵器はそれを崩す。レーザーはまだ

発射されたままで、兵器の中に乗っている操縦者は、何が起きたのか、突然の事で理解出来

ないといった様子だった。周りにいる兵士達も地面に転んだり、倒れたりしている。香奈を目掛

けたレーザーの照準は、目茶苦茶な方向に向かっている。空中に赤いラインを描き、いずこの

方向へとレーザーは発射されている。

 そして、橋の傾斜の角度に耐え切れなくなった兵器は、川に向かって滑り降りて行く。その先

には、突然の足場の崩壊で、しゃがんでしまった香奈がいた。そのまま避けなかったら、機械

兵器に轢かれてしまう。

 香奈は、斜面を滑ってくる兵器に怯えた。その場から避けようとする意志は全く無かった。

「香奈ッ!」

 だが、そんな彼女をその場から救ったのは、またしても太一だった。機械兵器が香奈を轢く

のよりも早く、どこからともなく現れて、素早い動きで彼女の腕を引っ張り、その場から出する

のだった、

 兵器はそのまま河の水の中まで滑り落ち、2人を襲う機能を失った。兵士達や装甲車も河の

中に落ちる。橋は轟音と共に一部が崩壊していった。

 

 

 

 もうこの状態ではこの橋は、車や人は通る事ができないだろう。人工鳥と、大陸部を繋いで

いた橋は寸断されてしまった。

 そして、太一と香奈の2人は橋から脱出した。『帝国軍』の張ろうとしていた包囲網を、それが

完全に整うよりも前に突破して、人工島の都市型要塞を抜け出す。3区の繁華街内部へと身

を隠した。

 小雨だった酸性雨は、土砂降りへと成り代わっていた。

-8ページ-

 

帝国首都3区

11月16日

2:34 A.M.

 

 

 

 繁華街の雑踏はすでに止み、夜の深い静けさだけが支配する時間になっていた。住宅街の

人気はほとんど無かった。だが、その繁華街から何ブロックから先の河の先にある、あの《セ

ントラルタワービル》からだけは、相変わらず、眩しいばかりに光が漏れている。今日の事件で

大騒ぎになっているのだろう。

 どこかで飼われているのか、犬の遠吠えが、香奈には聞こえた。

 彼女と太一は、とある目立たない廃屋のアパートに身を隠していた。開発時代からある古い

アパートの部屋だった。今では誰も住んでいない、至る所の壁が、壁紙からむき出しになり、床

板がもろくなって穴が開いている。

 彼女達のいる部屋は、北側の西日が当たる、最も目立たない位置の一階にあった。窓の外

からは、目の前に立つ、これまた廃屋のビルと、月しか見えていない。追ってくる『帝国軍』や

警察から身を隠して、この建物へと逃げ込んだが、ここは身を隠すにはもってこいの場所だろ

う。さらにいつでも、どの方角へも逃げる事ができる構造になっていた。2人の立場からすれ

ば、絶好の隠れ家だ。

 しかし長居はできない。すぐにでも『帝国軍』はここへも来るだろう。ここは、怪我をした香奈

を気遣った太一が見つけた場所だ。

 左足は、普通ならば歩けないほどに強くくじいていたし、右肩は撃たれている。あの機械兵器

との戦いの最中ぐらいの時間ならば、その激しい痛みを、『能力』で押さえ込めるが、長い時

間、持続してそのパワーは使えない。傷を応急処置する時間が必要だった。その『能力』なら、

使ってしまえば、体の自己再生能力を高め、短期間で傷を治す事ができる。それを行う為の場

所がここだった。

 廃屋でなかったら、部屋の内装の趣味は、悪いものではなかったかもしれない。家具は取り

払われ、小さな椅子が一つだけ、窓際に置かれていた。香奈はそこに座って、太一は床に座っ

ていた。

 香奈は、傷に手を当て、それを治す事に集中しながら、窓の外から見える夜の暗雲を眺めて

いた。雨は降りしきり、雨音が聞こえている。相変わらずの憂鬱な雲行きだった。

 窓の燦に溜まった埃を払いのけ、香奈は、自分のか細い左腕を窓枠に乗せる。足元には武

器である鉄パイプが置かれ、太一と共に警戒を払っていた。

 涼しい夜ではない。もともと『ユリウス帝国』は砂漠型のステップ気候で、乾燥し、昼夜の温度

差が激しいのだが、環境汚染や温暖化などでそれは大きく変わってしまった。酸性雨が降るよ

うな所ではなかったのだ。

 都市型の気候は蒸し暑かった。雨上がりで、余計に湿度が上がっている。

 そんな雰囲気の場所で、香奈は考えていた。

 自分達は今、追い詰められている。あの機械の兵器は倒す事ができたし、『帝国軍』の包囲

網を突破する事はできた。とりあえず一段落着く事はできたが、すぐに追っ手はやって来るだ

ろう。

 こう、こんな所で休んでいられるのも今のうち。すぐにまた、行動を始めなければならない。あ

の兵士達や、兵器から逃れる為に。

 あの、あたし達がすべき任務は、もはや実行不可能の状態…。これから《セントラルタワービ

ル》に向かうのは、火の中に油を持って飛び込むような事だし、無事、この都市を脱出できる

かなんて保証はどこにもない。

 あたし達は、銃を持った人達とも対等に戦えるし、もし、怪我をしてもそれを治す事だってでき

る。でも、やっぱり死ぬ時は死んでしまうんだし、それに対する恐怖というものだってある。

 このくらいの傷で済んだくらいが幸運だったかもしれない。出血はだいぶ止まり、傷穴も塞が

ってきている。撃たれた直後は、右腕を動かす事すらできなかったが、今では動かせる。

 それに引き換え太一は、いつも冷静で無口で、その反面、やることは大胆不敵、恐怖なんて

ないかのよう。

 と言っても、彼はあたしと恐怖を分かち合ってくれる。一緒にいるだけで、心が落ち着く。あま

り喋ってはくれないけど、あたしの事をちゃんと考えてくれているんだというのは、あたしもよく

分かっている。

 それに今の状況。このまま、無事に帰れるかどうかというのは、難しい問題かもしれないけ

ど、彼と一緒ならば大丈夫って感じがする。ただの勘だけれども、そう思う。それに、今くよくよ

考えたって仕方無い。全ては事を実行する時に考えればいいのだろう。

 

説明
近未来系SF小説で、完全オリジナルの話です。
とにかく小説を書きたいと思った動機で生まれた小説で、 私のデビュー作的存在になります。

全24話と長編になっていますが、読んで下さる方がいれば幸いです。 SFではありますが、超常的アクションが多めになっています。
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オリジナル SF アクション 虚界の叙事詩 

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