虚界の叙事詩 Ep#.04「潜入」-2 |
「ひゃあ! 伏せろッ!」
扉が吹き飛ぶかのように開くのと同時に、浩が叫んだ。
太一、香奈、一博は彼に続いて次々とその場に腹ばいになった。その直後、開け放たれた
荷台の扉からは、大ボリュームを持つスピーカーに、電源が何の前触れもなく入ったかのよう
な凄まじい迫力で、火の柱が吹き出た。
それに香奈は悲鳴を上げた。しかし、炎が吹き出て四人のすぐ上を通過、彼らの後方にあっ
た軍用トラックを巻き込み、爆発させる音によって、それは粉微塵にかき消された。
火柱は一瞬で通過して消えた。とはいえ、燃え上がるトラックの熱で、裏通りはほんのわずか
な時間で熱くなった。
4人は、ゆっくりとその場から身を起こす。香奈は、背後で燃え上がる軍用トラックに眼を向
けた。近年では、車の燃料はガソリンではなく電気なので、昔ほどの危険は無かったが、トラッ
クは軍用だ。何か爆発しやすい物質を使う兵器か何かが積んであったかもしれない。オレンジ
色の炎の中にうっすらと、もはや骨格だけになったトラックが見え、熱で破壊されていく黒い影
があった。それを見る香奈は、だんだんと焦りを感じる。
「ば…、爆発するかも、早く逃げないと危ないよ!」
彼女は側にいる仲間達に向かって、とても切羽詰まった声を上げた。だが、浩は彼女とは逆
方向を向いたまま、
「ああ、分かってるぜ…。だが、それは難しいってな」
難しい質問をされた時のような声を出した。それに疑問を持った香奈は、とっさに浩ら三人が
向いている方、トラックの荷台の方に目をやった。
重厚なトラックの荷台。たった今、火柱が吹き出た、トンネルのように影になった奥の方か
ら、何か赤いものがこちらにやって来る。
それは、生き物だった。トカゲのような形と、黄色い目をしており、それは猫の目のように瞳
孔が縦長で、せわしなく動いている。全身にはトゲ状の鱗が覆っており、それは燃えるように赤
い。荷台の影から四人の姿を見つけ、こちらにやってくる動きや目付きなどは、動物そのもの
だ。
ただ、何を置いても重要なのは、その体の大きさが、軽トラック程のものだったという事だ。
まるで恐竜じゃあない…。香奈は思った。大型の肉食恐竜に比べれば小さいのだが、集団で
襲いかかり、かつ素早い動きで獲物を仕留める恐竜がいると聞いた事があったが、目の前に
いるのはまさにそれだ。だけど、今迫ってきた炎は一体、何?
「けッ、さっきの野郎は、随分と可愛い奥の手を残して行ってくれやがったぜ、よりによってトカ
ゲ見てえな怪物とはな!」
浩が大声で言った。
「怪物!?怪物なんているの!?」,
と、香奈は驚いたように言った。
「いや、いるかどうかは別にしても…。あの生き物は『ユリウス帝国』の科学者か誰かが造っ
た、ようだな…、ついでに何か改造が施されているようだ…」
いつになく真剣な声の一博。彼の言う通り、赤いトカゲのような生き物は、それが生き物であ
る事は間違いないようだが、体の半分くらいに、機械のようなものが埋め込まれていた。頭に
もそれは施されていて、片目は暗視スコープのようなものが付いている。
「一番大きい種類のトカゲでも、2〜3メートルぐらいさ…。動物園でしか見ないけど…。だけど
この生き物の大きさは6メートルぐらいはあるぞ。大体、火を吐く普通の生物なんているわけな
いし、半分は兵器みたいなものだろう。なぁ、そうだろ?」
という一博に、太一は黙ってうなずいた。
「火を吐く?」
「危ねえ! 避けろ!」
香奈は疑問を投げ掛けたが、浩の大声でそれは阻まれた。なぜ彼が危険だと言ったのか、
ほんの一秒も経たずに、彼女はそれを理解した。
火球だ。赤々と燃え、香奈の体の2倍ほどの大きさもあろうかという炎の球が、彼女達の方
に迫って来る。とても速いスピードだ。それを見た香奈は、思わず目を丸くしてしまった。
とっさの出来事に反応できない香奈、しかし太一に左腕を引っ張られ、火球から危うく逃れ
る。背後にはトラックが燃えているから、狭い裏通りの中を、横に、わずかに避ける事しかでき
ない。物凄く熱く、勢いのある炎を、香奈はほんのすぐ近くで感じた。
火球は飛んで行き、通り沿いの建物に当たって燃え上がる。
「見たろう? 奴には火を吐く事ができる。火炎放射機でも付いているのか…」
太一に引っ張られた香奈、彼は素早く言った。
「う、うん…。大体分かったよ」
香奈は、火球の迫力にまだ驚いていて、おどおどした声で答える。火の粉が顔に飛んで来て
いてそれが熱い。
「だが井原、どうするよぉ? こんな燃えているトラックとか、化け物に四方を固められてちゃ
あ、逃げようにも逃げられねえぜ」
「戦うしかないだろ…、あの化け物と」
浩の問いに、一博はそっけなく答えた。彼らの目線の先では、炎を吐いたばかりの怪物が、
再び四人の方に、黄色く、凶暴な目を向けていた。
「面倒、臭せえなあ」
浩はボヤくように言葉を発するが、彼の目は既に鋭く相手を見つめ、戦いの状態に入ろうとし
ている。彼の両手の、親指を除く指には、鉄製のリング、メリケンサックがはまっており、浩は
サックをはめた左の拳を右掌に軽く打ちつけていた。
ゆっくりと怪物の方向に向かって近寄っていく浩。
「君は、『能力』でそのトラックの消火をしてくれないかい? そうすればトラックが爆発する危険
も無くなって、おれ達は安心して戦える…」
真剣な表情の一博が香奈に言った。香奈は、今にも何かが爆発しそうな程の、トラックの炎
を見ると、
「うん、何とかやってみるよ…」
彼女の言葉に、一博は黙ってうなずいた。持っていた巨大な剣を構え、ゆっくりと浩の後を、
怪物の方に向かった。
浩はじっと視線を送ったまま、怪物へと近寄っていく。一方の方の怪物は、彼の方に目線を
合わせると、人間勝りに勝ち誇った表情を見せ、凶暴な程鋭い牙の生えた口を、大きく、彼に
向けて開いた。
大きく開かれた怪物の口、その周囲の空気はだんだんと揺らぎ始める。口の中には、その喉
の奥に、火炎放射機のようなものが付いていた。
やがてその開かれた口の中に、小さな火の球ができあがる。手の中に収まってしまいそうな
くらいの大きさの火の球だったが、それは激しく回転しながら、一気に大きさを増した。直径一
メートルほどになり、強烈な熱気が浩を先頭とした四人の方向にまでやって来る。
だが、浩はまるで動じる様子もなく、ゆっくりと怪物の方に迫っていった。目の前の球の事な
ど構わない様子で。
そしてだしぬけに、火の球は彼の方に向けて発射された。弾丸を思わせるようなスピードで、
火球は浩に接近する。しかし、彼はそれをとっさに横へとかわし、寸前の所で免れた。
怪物は大口を開けたままだ。このまま浩が鼻先まで突っ込めば、不意打ちを食らわせる事
ができた。激しい勢いで燃え上がっているトラックに向け、冷気を送り続けて徐々にそれを消火
している香奈は、そう楽観的に患っていた。
「気をつけろッ!」
突然、血相が返ったような浩の声が香奈に聞こえてくる。彼女は何の事か分からない様子
で、能力による消火作業を続けていたが、
「この野郎の狙いは香奈、お前だ! オレに向かってぶっ放したんじゃあない!」
「えッ!?」
香奈はとっさに浩の方を見た。そこからは、彼が避けたはずの炎の球が猛然と迫っていた。
あまりに突然の事過ぎて、彼女にはそれを避ける事ができない、これは、浩を狙っていた炎
の球だと思っていた。それが自分の方向に飛んで来るなんて。
とっさの判断で彼女は電流によるバリアを張った。一秒もないようなわずかな時間、だが彼
女は一瞬の時間でバリアを自分の周りに張ることができた。
炎がバリアに激突する。電流に弾かれ、炎は彼女の周りを滑るように包んでいくが、バリアの
内側までは炎がやってこない。何とか防げたと思った香奈だったが、
「あッつぅうッい!」
香奈の悲鳴がこだました。彼女はバリアを突き破ってきた、小さな炎とその熱に攻撃をうけて
いた。
とっさに作ったバリアであるだけに、炎を防ぎきる事は難しいようだ。直接的な攻撃はガード
する事ができたが、あっという間に炎がバリアの内側まで入り込んで来る。
「やばいぜ!」
浩のすぐ後ろにいた一博が叫んだ。彼ば離れた位置から、香奈が炎の中にいるのを見てい
る事しかできない、下手に助けようとすれば自分も炎にやられる危険がある。
しかし突然、香奈は自分の体やその周囲を覆っていた熱が、一気に吹き飛ぶのを感じた。身
を焼く勢いの熱が、一瞬にして消え去った。閉じていた目を開けてみると、自分が張っていた電
流バリアが大きくなり、炎は塵じりになって、地面で小さく燃えている。
よく見てみると、彼女の側には太一が立っていた。警棒を持ったまま、こころなしか、いつもよ
り少し心配そうな表情で香奈を見つめている。
太一が一緒にバリアを張ってくれた。さっき兵士達の攻撃を防いだように、2人で協カすれ
ば、より大きく、強力なバリアを張る事ができる。彼女一人分のバリアで炎を防げなくとも、太
一が助けてくれればそれは可能な事だった。
「あ…、ありがと」
少し、震えがおさまらない香奈。彼女は太一の方を見上げてそう言った。そんな彼女を、礼に
は及ばないよいう様子で太一は見下ろしていた。
「いや、だが、背後には気をつけろ」
と、静かに言う太一。
「う、うん…」
「野郎ッ!」
炎を吐いた怪物を、激しく睨み付けた浩が唸った。
「太一の奴がいたからよかったけどよォ! もしいなかったら、我らが可愛い香奈ちゃんが丸
焦げにされていたじゃあねえか! てめえは許さねえぜ!」
と彼は、目の前の怪物に向かって妙に強気になり、その太い腕の先にある拳を向けた。
そんな様子の浩をすぐ目の前で見据えていた、トカゲを思わせる怪物は、猫のような形の目
から発せられる目線を浩に合わせたまま、三度大きな口を開ける。だが今度は、火球を吐こう
とはせず、その鋭く尖った牙で浩に噛みつこうとした。
恐竜のように大きく巨大で鋭い牙、それが生えた大口が浩に迫る。しかし目の前の迫力に彼
は動じず、怪物に向かって拳を向けたままだ。
上アゴと下アゴからそれぞれ生えた牙が、激しく噛み合う。だが、すでにそこには何も無かっ
た。怪物は少し戸惑ったような目付きをする。
「甘いなァ…、食らいやがれッ!」
牙が噛み合うほんの直前、怪物の横へと避けていた浩、彼はメリケンサックをはめた右の拳
を、全体重をかけながら、容赦なしと言わんばかりに、赤く大きなトカゲの横腹に殴り付けた。
鈍い音、鉄板に鉄柱を叩き付けたような、とても鈍い音が裏通りに響く。いくらその体が軽トラ
ックほどあるとはいえ、大の男の拳をまともに横腹に受けた生き物が、ほんのわずかでも怯ま
ない事があるだろうか。
だが、浩の脇から、一博の巨体が姿を現す。彼はすでに剣を抜き放っており、それを怪物の
方に向かって振り下ろした。
重厚な動き。しかし、剣の大きさは彼の身の丈ほどもあり、さながら鉄骨のような姿をしてい
る。
激しく金属と金属がぶつかる音が鳴り響く。一博は、赤い鱗を持つ、トカゲのような姿の生き
物に、力強く剣を叩きつけた。しかし、まるでこたえたような様子が無い。鱗には傷一つも入る
様子が無い。
一博は更に力を込めた。すると、彼の体から赤い色の炎のような光があふれ出し、それが剣
にまで伝わって渦巻く。それは、彼が人間の限界を超えて全力を出している事の証だった。
しかしそれでも、鱗と剣の間では激しく火花が飛び散るだけで、傷一つ付けられない。
一博は剣を引き離した。そして今度は、今度は相手の鼻先に向かってその剣を振り下ろす。
再び金属が打ち鳴らされるだけで、やはり反応が無い。
その時、彼の目の前の生き物は、一瞬体を引いた。そして、そのまま勢いを付けて、一博の
方へと突進して来る。
反撃は予期していた。一博は剣を使ってその攻撃を受け止めようとする。
だが思っていた以上の衝撃が一博を襲い、彼はうめいた。まるで、小型トラックでも受け止め
ているくらいの衝撃だったのだ。
一博はそのまま、後ろへ跳ね飛ばされそうになるが、何とかこらえる。何しろ、彼の背後では
燃え盛っているトラックがあった。そこまで後退させられるわけにはいかない。
しかし間髪入れず、一博目掛けて、今度は爪が振り下ろされてくる。怯んだ彼を狙っての攻
撃だった。
鷹のように、一本一本が刃のように尖った爪が迫ってくる。
一博にはそれを避け切る事ができない。剣による防御もできなかった。
彼は爪によって切り裂かれた。
「こ、こいつの鱗は、鉄よりもずっと硬い…。何て硬いんだ…。こんな鱗を打ち破る事ができる
のか…? そしてこいつは、なかなかしたたかだ…」
一博は鋭い爪で左肩を切り裂かれた。彼の体からは大量の血が流れ出て、着ていたシャツ
を赤く染める。一博はそれをかばいながらも、よろめきながら、何とか元通りの体勢に立て直
った。
「鉄よりも、硬いだとォ…」
一博のすぐ脇にいる浩が、傷を負った一博を心配そうに見ながら言った。
「ああ…、そうさ、殴った時に君にも分かったはずだ」
一博の言葉に、浩は拳を握る力を強めて見せた。だがその動作は、怪物の方が彼の方に向
かって、大きく、その太くて頑丈そうな尻尾を振ってきた事で遮られる。浩はとっさの判断でジャ
ンプしてそれをかわした。彼の背後にあった、錆びているとはいえ頑丈そうな鉄格子の柵は、
車でもぶつかったかのように大きく凹み、破壊されてしまった。
一方、上方向にその難を逃れた浩は、そのまま、槍のように鋭く、その尻尾に向かって、黄
色い光、そして全体重をかけた拳と共に、赤いウロコがびっしりと生えた尻尾に向かって突き
下ろした。
結果は同じ、さっきとまるで変わらなかった。鉄と鉄とがぶつかり合うような鈍い音と、浩のう
なり声。彼が拳に纏わせた黄色い光も、怪物の赤いウロコの前では散り散りになって、簡単に
受け流されるしかなかった。
「ちッ…! なるほどってわけだ」
地面に着地しながら浩は吐き捨てる。
「ど、どうするの!? 一博君、君の剣でも斬れないなんて言うんじゃあ、一体どうするっていう
の!?」
香奈は少し焦って、男達に向かって言った。
「それを今、考えている。だが、時間はものすごく少ないようだ」
冷静な面持ちで太一が言う。
「何の事?」
「俺達は火攻めに遭っている。よく自分のいる位置を見てみろよ。二方を柵や塀、建物で囲ま
れ、残る一方は怪物。もう一方は今にも爆発しそうな勢いで燃えているトラックだ。君がそれを
消火してくれれば逃げる事もできるが…」
香奈は自分の脇で燃え上がる炎を見た。軍用トラックから燃え上がっている炎は、その勢い
をさらに増し、どんどん彼女の方に迫っている。裏通りにあるコンクリートの塀は熱せられて、
高温の為に溶け始めてさえいた。
「で…、でも、そんな事、できないかもしれないよ! こんな熱くて大きな火じゃあ、あたしの力じ
ゃあどうしようもなくって、幾ら冷気を送っても、ちっとも消火できやしないよ!」
焦る香奈、しかし太一は表情を変えず、
「いいか、君はその燃えているトラックに集中していればいい。怪物は俺達に任せていればい
い」
彼女の方を見ないでそう言った。
「でも、弱点はどこかにあるはず! それさえ見つければ…」
香奈の言葉を遮るように、太一は、警棒を持って怪物の方に突撃していく。彼は俊敏な動作
で怪物の目を翻弄しながら、そのすぐ目の前にまでやって来た。そして、手に持った警棒に電
流の力を帯びさせ、掌ほどの大きさもある目に向かってそれを突き立てようとした。
鋭く、針のように突き出される太一の警棒。だが、怪物の目にそれが当たった時の音は、一
博の剣や、浩の拳の時と同じだった。トカゲの、瞬きがされる事が無い眼球は、鉄よりも硬い
上、アースのように電流を散らしてしまった。
「目までも、そうなのか?」
驚いたように、浩が言葉を漏らした。
「ああ、そうらしい。やっぱりこいつは無敵だ。弱点なんてない」
無敵? 弱点が無い? 一博が、何の慌てる様子すらなく、普通に言い放った言葉に、香奈
は自問自答しようとしていた。自分の脇で燃えている、コンクリートすら溶かす炎を消火する事
など、もはやどうでも良かった。
香奈の頭はフルに回転し出した。
無敵なんて有り得ない。弱点だってどこかに必ずある。怪物って言ったって、相手は生き物を
改造したものだって言うんだから、そうに違いない。鉄よりも硬い皮膚に覆われていて、どんな
武器でも、どんな能力でもそれは受け流してしまう。一見、瞼が無い目は無防備に見えるけど
同じだった。でも何かあるはず。
確かに無敵、弱点が無いようにも見える。だけれども、それは体の外側だけの話、側はどう
なの? そう、内側。体内は外側に比べれば弱いかもしれない。ありふれた話だけれど、いくら
皮膚が硬くても、口の中、体の中は弱いもの。弱点があるとすればそこ。そこしかない。
だけどもし違ったら? そんな事は考えたくはない。それに、このまま一博の言う火攻めに遭
うくらいだったら、それに賭けたほうがいい。
今や、赤いトカゲの姿をした怪物は、3人の男相手に、その太く、長い丸太のような尻尾を振
り回していた。一見怪物は、闇雲に攻撃をしているだけのようにも見えた。しかし、その尻尾は
地震のように大地を揺るがし、裏通りを囲む塀を砕いている。
とはいえ、それを牽制する男達の表情はとても冷静だった。しいて言えば、浩は少し悔しそう
な顔をしている。しかし、怪物に対しての対抗策は何もないといった様子だった。彼らの、武装
した一個小隊をも打ち負かす『力』は、全てが赤いウロコによって阻まれてしまっている。
太一が、怪物の大きく振った尻尾をしゃがんでかわした。怪物の方は、一博と浩の重い攻撃
を、受けながらも無視し、もう一度太一に向かってその尻尾を振ろうとした。
だがその時、怪物の目尻の辺りに、一つの小石が当たる。地面に軽い音をたてて転がった。
それは舗装されていない路面に転がっている、何の変哲もない一つの石ころだった。
「あたしが相手だよ。さあ、かかってらっしゃい」
香奈は少し離れた位置で、鉄棒のロッドを怪物へと向け、相手がかかってくるように手招きし
ていた。
怪物の目線が香奈と合った。小石を投げつけられた事で、自分が侮辱されたと怪物は感じ
たらしい。
「な…、香奈、何をしているんだァ! こいつはオレ達が相手をするから、お前は下がってろォ
ッ!」
怪物の背後にいた浩は、とても慌てた様子で叫んだ。しかし香奈は、
「下がっている? そんなのろのろした事をやっていたら、いずれ皆がやられてしまうよ!」
と、自信を持った声で言った。
チャンスは一度しかないはず。狙うのは怪物が口を開いた時、炎を口から吐いて来る時にし
かない。どうせこの距離なら尻尾が届かないから、自分を狙うんだったら、相手は火を吐く攻撃
しかしてこないはず。
香奈の推測は当たった。怪物は尻尾を振るう事はせず、今度は3人の男達を無視して、香
奈に向かって大口を開き始めた。その内部では、内蔵された機械により、小さな火の球が出
来始めていた。
今だ、今しかない。香奈は決心し、ロッドを持った右腕に意識を集中し始めていた。直後、彼
女の右腕と杖の周囲には、水色をした泡が現れ始める。手で握れるほどの大きさの水泡が幾
つも溢れてくる。それはだんだんと流れを作り、彼女の杖の周囲の空間に水流を生み出した。
怪物の口の中の火の球は大きさを増す。香奈の作る水流も同じだった。そして香奈は、怪物
が炎を吐き出すのよりも早く、水流を纏ったロッドを、その方向へと掲げた。
水色の水流が、ちょうど消防車のホースから出る水のようになって、怪物の方に発射される。
この『力』に関しては、実戦で香奈が使うのは初めてだった。その割には、上手くいったと彼
女は思った。水流が怪物の口の中に到運し、体内に激しい衝撃を与える。5秒もしない内に、
その水流は止んだ。消防車のホースと違い、止まってしまうのは、水の供給源が、香奈自身の
持つ『力』の量だからだ。
初めて使ったような『力』。5秒でも強い水流を作り出せれば上出来な方だろう。
一瞬の間。怪物は口を開いたままだ。その様子を、香奈と3人の男達は緊張の目で見てい
た。
「や…、やったのか…?」
浩が言った。しかし彼は、自分の方向目掛けて赤い尻尾が振られて来るのを知り、路面に転
がりながらそれを避けた。
「駄目か…。君がそんな力を使えるなんて知らなかったから、思わず期待してしまったけれど、
やはり駄目だ。火には水で対抗できると思ったんだろうけど、こいつにはそれも通用しないよう
だ。しかも口の中でも事は同じだ。こいつが口を開くのは炎を吐く時、それを狙って、吐き出さ
れる前にその火を消火しようとしたのだろうけど、消火はできても、ダメージは与えられない。
同じ事。効果がないんだ。やはりこいつは、無敵だ」
一博が香奈にそう言った。
「いいえ、無敵なんかじゃあない」
だが、香奈は冷静に言い返す。
「やっぱり君は、そのトラックの火を消してくれればいい。そうすれば、そっちの方から逃げる事
ができる。こいつに関わっている場合ではない」
太一も言って来る。しかし香奈は、
「火を消す? いいえ違うの、太一。火は消すんじゃあなくて、逆に大きくしてあげるの。爆発し
てしまうくらい大きく。でもそれは、その怪物の中で起こしてあげるんだけどもね」
自信を持って言っていた。
「何を言っている?」
と、疑問を投げかける太一。
「ああ…。皆、伏せたほうがいいよ。あたしにもどうなっちゃうか、分からないから」
一博は眉間に皺をよせたが、太一が香奈の指示に従い、さっと怪物から離れて身を伏せた
ので、彼もそれに従った。浩も、一足遅れて同様にした。
一方の怪物の方は、一体何の事やらという眼で4人の方に顔を向けた。しかし次の瞬間に
は、自分の異変に気が付いたらしく、眼を大きく見開いた。次いで、首や体が小刻みに震え始
め、まるで猛毒でも飲み干した時のように、口元に力が入る様子を見せた。
そして、さらに次の瞬間、その頭が爆発と共に吹き飛んだ。
赤い血や肉片、硬いウロコ、更には内蔵されていたのであろう、機械類が周囲に飛び散り、
首から血が吹き出る。頭が無くなった怪物の大ききな体は、まだその頭部が付いているかのよ
うにしばらく立ったままだったが、やがて地響きと共に力なく倒れた。
「気持ち悪いよ…」
嫌そうな顔をして、香奈は倒れた怪物の胴体に目を向けた。
「な…、何をしたんだ? 香奈よォ…。か…、怪物の頭が吹っ飛んじまいやがった…」
香奈の方にまで逃れていた浩が、彼女の方に驚いたような目を向けながら尋ねた。
「水で爆発を起こしたの」
当然の事のように香奈は答えた。肩から血を流す一博は、よろめきながら彼女の方に近寄
って来る。
「どういう事だい?」
「どこかで見たか聞いた事があるんだけど、あんまり大きくて、火力が強い火事が起きたりする
と、水で消火するのは逆効果らしいの。火が7000度、鉄とかコンクリートも溶けるくらいの温
度だと、水が化学反応を起こして、水素と酸素に分解して、逆に火を強くしてしまうの。物質が
反応する時に爆発するからね。だからあいつの吐いた炎でトラックが燃えていてさ、鉄やらコン
クリートが溶けるのを見た時、水を口の中に送ってやれば、爆発させられないかなって思った
の。いくら『力』で生み出したものでも、水は水、だからね」
説明をする香奈の声は、いつになく冷静だった。彼女がいつもの子供じみた目付きではなく、
虎視眈々なまなざしを怪物の残骸の方に向けているのを、横から見ていた浩は、
「ほえー、感心しちゃうぜ香奈ちゃんよォ。前はそんなに冷静な事ができる女の子じゃあなかっ
たのになあ。何かあったのかい?」
本当に感心したように言うのだった。
「色々と…ね」
「おい! 落ち着いて話している場合じゃあない。このままだと燃えているトラックに巻き込まれ
てしまう。早く逃げたほうがいい」
香奈の言葉を遮るように一博が言った。我に返ったように、燃えているトラックの方に目をや
った。それは、今にも爆発しそうな勢いで燃えている。ちょうど、香奈が怪物の口の中で爆発を
起こした時のように。
「そうだね…、そうしよう…」
4人はすぐさま行動に出た。怪物の残骸。赤いウロコがくっついたままの肉片や、恐竜を思
わせる、今では生気を失った胴体の脇を通り、それが閉じ込められていた銀色のトラックの荷
台をかすめ、17区の裏通りから姿を消したのだった。
ユリウス帝国首都19区
7:12 P.M.
西日の深く差し込む住宅街には、路地を歩く人の姿が見られない。あるのはただ一つ、自分
の姿だけだ。足音を忍ばせ、何の物音、気配も立てないように、慎重に、かつ素早く事をやり
すごすのだ。
あれから1時間以上が経つ。『フューネラル』のメンバー、もう、だっただし、その組織は解体
したのだが、そのメンバーだったベルトは思った。
リーダーのレイ、そして彼についていこうとするシェリーには、ついていけないと判断した。し
かし彼は、アジトを飛び出た瞬間、『帝国兵』に頭を殴られ、気絶させれた。意識を取り戻した
頃には、留置場に入れられ、仲間だった者を売るという取り引きを迫られたのだった。
捕らえられた事を知った時には、もはや万事休すかと思った。危険な方向へと進んでいく『フ
ューネラル』から抜け出れば、自分は何のトラブルにも巻き込まれず、何の問題ににもならな
いと思っていた。
しかし、『ユリウス帝国』は予想以上に自分達へと近付いていたのだ。今だってそうだ。
ベルトはやがて塀から体をはがすと、一つの住宅に向かっていた。
2階建ての、今にも壊れてしまいそうなくらいの家。窓が木の板で打ち付けられ、外から中を
見る事ができない。外壁はコケやカビだらけだった。彼はその中に、ためらいもなく入って行
く。
家の中も外見と変わらない。玄関の扉は開ける時に嫌な音を立てたし、内部の床は、底が抜
けてしまいそうな木造、板が黒ずみ、ところどころ腐っている。
玄関を入ると、すぐ居間になっていた。中央にみずぼらしいテーブルが一つと、幾つかの椅
子が置かれ、その一つに男が座っていた。背を曲げて座っており、彼は部屋の隅の棚の上に
あるテレビを見ていた。何も無い空間に現れる画面ではなく、しっかりと箱にブラウン管がつい
た、旧時代のものをだ。
その男は、ベルトと同じく褐色の肌をしていたが、癖毛だらけの茶色い髪を頭になでつけてい
る。体つきはやせ細り、彼に比べればとても軟弱だった。着ている服もよれよれなのだが、ベ
ルトと同じ位の年齢だった。
「ベルトか。何の用事だ?」
聞こえるか、聞こえないかくらいの小さな声で男は口を開いた。声はかすれていて、ベルトの
方を少しも見ない。まるで気配だけで彼が来た事が分かったようだ。
「ロ…、ロナルド。今日の夜、お前…、街を出るって言っていたよな…?」
せわしなく息を切らせながらベルトは言った。目の前の男、ロナルドはテレビの画面に見入っ
たまま、
「ああ、言ったぜ」
静かに言った。
「お…、俺も連れていってくれ」
ベルトは必死な様子でいった。今までずっと緊張したまま走って来たのだ。
ロナルドは、聞こえなかったかのようにテレビを見続けていたが、少しの沈黙の後、ベルトの
方をチラリと見て、
「何故だ?」
と簡潔に質問した。
ベルトは何も言えなかった。口から言葉が出てこない。必死過ぎていて、そんな口実など考え
ていなかったから何も言う事ができなかった。しかしロナルドは、
「訳ありって事か…、深い事情があるんだな?」
壊れそうな椅子から立上がりながら、独り言のように喋る。彼はテーブルの上に置かれた埃
だらけのリモコンを手にとり、テレビの電源を落とした。
「いいぜ、付いてきたいんだったら付いてきな。もう出発だ」
彼のその言葉にベルトはほっとした。まだ、せわしなく息切れをしていたけれども、その顔に
は安心した表情が現れていた。
自分は何をしているのだ? 彼は自分自身に問い掛けた。だが、そんな事は分からなかっ
た。頭がぼうっとして、何もかもがよく分からない。気分が良いのか悪いのか、不快なのかそう
でないのか、何も分からない。
どうやら寝ていたようだ。どのくらいの間? 分からない。時の感覚がどこかに行ってしまった
らしい。眠っていたというよりは、気を失っていたと考えるほうが自然かもしれない。
昏睡状態よりも深い眠りから、彼は意識を取り戻したのだ。
何も存在しなかった暗闇から、突然として意識がやって来る。今自分が見ているのは暗闇だ
けだ。その他には何も見えては来ないが、だんだんと体の感覚が戻って来る。
だが、戻って来るというのもおかしなものだ。もしかしたら、自分はここで誕生したのかもしれ
ないのだから。
妙な感覚だ。分かるのは、ただ生きているという感覚だけ。それが本能的に理解できる。原
始的な生き物達と同じだ。しかし彼らに思考はない。自分にはそれがある。
物事を考える事ができる人間だった。
そして肉体を覆う皮膚によって、回りを覆う状況がだんだんと掴めて来る。じっくりと、徐々
に、非常にゆっくりとしたぺースでだが、皮膚の神経が、触覚が戻ってくる。何かの液体の中に
いる。何の液体かは分からないが、とにかく何かの液体の中だ。ぬるぬるとした感覚を感じ、
それは柔らかいゼリーのようでもあるが、母親の子宮の中にいるような感覚でもあった。非常
に居心地がよい。感じられる体感温度も丁度良くて、この上なく気持ちがよい。
さらにやって来たのは聴覚だった。耳の感覚がやって来る。今まで感じられなかった音という
ものがやって来る。一定のぺースで低い音が聞こえて来る。それは機械の音のようであった
し、心臓の鼓動音のようでもあった。
聴覚に引きずられるように眼の感覚も、これもゆっくりやって来た。ぬるぬるとした液体の中
で眼を開く。長い間眼を開いた事がなかったせいか、視覚が光を感じた時、再び眼を閉じざる
を得なかった。だが今度はゆっくりと、とてもゆっくり眼を開いていく。眼にじっくりと光を入れ、
慣れさせた。
青。眼が見た色だ。青色だけが眼に入り込んで来る。ゆっくりと揺らぎながらその色だけが感
じられる。青色の液体の中にいるようだ。しかも立ったままの姿勢でそこにいるらしい。平行感
覚も感じられた。
眼に見える光景がだんだんと鮮明になって来る。何か、白い色の棒が目の前を過ぎって視野
の外へと消えている。それは自分の口の中から出ているようだった。だから液体の中でも呼吸
ができていた。その他にも青い液体には黒い線が幾つか横切り、それは体にまで延び、体に
付いているようだ。
なぜこのような状態になっているのか、まるで理解する事はできなかった。青い液体に満たさ
れ、生命を維持されている。明らかに人為的な行為であったが、とにかく何も分からない。
突然、目の前に新たな黒い影が現れた。どうやら、液体と共にカプセルのような物に入れら
れ、どこかにいたようだ。影はカプセルの外の世界にいる。
影は男だった。一人の男が自分と目線を合わせ、堂々とした様子で外に立っている。
年齢は中年で、非常に痩せており、ボサボサの髪の毛に口髭を生やした様子は、隠居生活
をしている隠者のようでもあったが、自分を見つめるその視線は、鋭く、かつ好奇心に満ちて
いた。外見とは、あまりに合わないほどの、生き生きとした輝きを、その眼は持っていた。
自分はこの男を知らなかった。誰なのか分かるはずもない。だが、この男はいずれ、て重要
な意味を持って来る。そんな直感だけはあるのだった。
男は、自分に向かって、微笑した。
彼自身も、微笑をし返してみたつもりだった。
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第4話「潜入」の続きになります。 | ||
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