虚界の叙事詩 Ep#.07「裏切り」-1 |
「こんな、調子に乗った野郎なんざ、オレが簡単に片付けてやるぜ」
浩は拳を鳴らしながら、隆文よりも前に出て、ブルーと面と向かって対峙する。彼は自分が戦
い易い、一定の距離を保って立っていた。
手には油断無く、メリケンサックがはめられている。
「てめえ一人か、簡単に片付きそうだな」
小馬鹿にしているかの調子でブルーは言ってくる。
「ブルーって奴は、ヤク中のイカれた青野郎だって、井原が言っていたぜ」
2人のやりとりは、売り言葉に買い言葉だ。
「おい、浩、本当に大丈夫か?」
一歩後ろに下がった隆文は、心配そうに浩に言った。浩はしょっちゅう、自分ばかり突っ走っ
て、危険に身を飛び込ませる。
「こいつの事は井原から聞いた。どんな手を使うのかもお見通しだぜ」
「そうかい、だったら、かかって来いよ」
自信に溢れる浩に、ブルーは挑発してうながす。
浩は、それに答えるかのように、いつもの調子で拳を構え、それを力任せにブルーの方へと
繰り出した。
浩の拳は訓練されたように、正確で確実なものではなく、喧嘩の突きでしかない。
ブルーはそれを避けようとしない。ただ、余裕の構えで浩と対峙しているだけ、誰が見ても、
浩に思い切り殴られるのは目に見えている。
だが、ブルーの顔面に拳が命中するというその瞬間、浩は大きく体勢を崩す。まるで、足元
の何かに躓いたかのように。
拳の軌道も大きくそれ、メリケンサックのはまった浩の拳は、ブルーの青白い冷気を放ってい
る棒によって受け止められた。
浩は顔をしかめた。一博からの話では、ブルーの持っている棒は、超低温を放っていて、触
るだけで危険だ。
あまりに冷たく、感覚さえも失いそうな冷気が、皮膚に触れている。
体勢を崩しながらも、浩は、ブルーが彼の拳から青い棒を離し、それを素早く彼の方へと振っ
てくるのを避ける。
ひんやりとした冷気の風が、浩のすぐ脇を通り過ぎていった。
体勢を崩したまま攻撃を避けた浩は、思わずその場でよろめき、砂漠の地面に尻餅をつい
た。
「何だってんだ!」
なぜ自分が体勢を崩したのか、分からない浩。ブルーの棒が張り付いた拳は、皮膚が少しだ
け剥がれている。
「オレの事をよ、何もかも知ってんじゃあねえのかッ?」
残像を残すかのようなスピード。その高能力者であるという事を意味する動きで、ブルーは浩
へと攻撃を繰り出した。
しかし、それは阻まれる。
鉄の鎖が、ブルーの超低温の棒を縛り上げ、受け止めていた。
「全く。これだから、あんたは!」
鉄の鎖を操ったのは絵倫だった。それは彼女がアクセサリーのように腰に巻いていたものだ
が、ただの鉄の鎖ではなく、鎖の鞭、チェーンウィップと化していた。
浩は身を上げながら、
「それは悪かったな。だが先輩よぉ。気をつけた方がいいぜ。そいつの持っている棒は、どうや
らただ冷たいってだけじゃあないようだ」
と、絵倫の顔を見上げながら言った。
「確かに。いくら直線的な動き過ぎたあのパンチでさえ、あんなに体勢を崩すなんて事、有り得
ないのにね」
今度は浩に変わって、絵倫がブルーと対峙する形になる。
彼女は、巧みに手にからんだ鎖の鞭を操る。ブルーとは一定の距離を保っている。
「あんた見たいなお姉ちゃんと闘えて、オレは光栄だぜ」
ニヤニヤしながらブルーが言って来た。
「あらそう? でも、そんなに笑っていられるのも、多分今のうちよ」
強気な口調で言うものの、絵倫は顔をしかめている。手に絡ませている鉄の鎖を引っ張っ
て、鞭を回収したい。
「絵倫? どうした? 早く鞭を引き離せよ」
隆文が言ってくる。
だが絵倫は、
「鞭を引き離したいんだけれども、引き離せないのよ。がっしりと、奴の棒に絡まってしまってい
るわ」
「何?」
絵倫の鎖の鞭は、ブルーの棒にしっかりと絡んでいる。絡んでいるから鞭を回収できないの
ではない。まるで、接着剤で貼り付けたかのようになっている。絵倫は鞭を通じた手ごたえでそ
れが分かる。
「あなたの棒。ただ冷たいだけじゃあないのね? 凍って引き剥がせないわけじゃあない」
「ああ、そうだぜ。いくら仲間をかばう為とはいえ、オレの棒にその鞭をからませたりするのは、
間違いだって事だ」
ブルーが自信と余裕と共にそう言った時だった。
「絵倫ッ!」
背後から聞こえてくる隆文の声。彼は、その手に鞄の中から取り出した、小型の機関銃を持
っていた。
「おっと、オレはこっちだ」
そう言い、ブルーは攻撃の方向を変えさせる。
砂漠の開けた空間に銃声が響き、隆文の構えた銃からは、一気に銃弾が吐き出された。
だが、その銃弾はかわされていく。残像を残すほどのスピード。ブルーは、『SVO』のメンバー
と同等以上の『能力』を持っているらしく、機関銃の銃弾を避ける事ぐらいはできていた。
隆文は引き金から手を離した。
変わらぬ余裕の表情で、ブルーはこちらを向いてくる。
「こんな砂漠の真ん中で車を失うわけにゃあいかねえからな。お前らの敵はオレなんだぜ。トラ
ックに対しての攻撃はやめとけよ。何事もフェアプレイで行こうぜ、なあ? フェアプレイでよォ」
ブルーは、冷気を放っている棒で、絵倫の鞭を固定したままだ。そのままの体勢でも、銃弾を
交わしきった。
「隆文、こいつの『能力』の正体が、今ので分かってきたみたいよ。ただ、冷気で凍りつかせて
いるんじゃあ無いって事よ」
絵倫は、ブルーと目線をはっきりと合わせたまま言った。
「本当か」
隆文がそう呟いた時、
「ほう、そうかい。そりゃあ、お祝いをあげねえとなッ!」
ブルーは言い放ち、絵倫の鎖の鞭がからまっている自分の武器を、力強く引っ張る。そして、
それを巧みに操り、絵倫の体を引っ張った。
ブルーは一見、かなり痩せて見える体型だったが、それでも、絵倫の体勢を大きく崩すほど
に強い力を発揮した。
鎖の鞭を手にからませている絵倫は、引っ張る力で、前に大きくバランスを崩す。
ブルーがニヤける。彼の棒を持っていない方の手には、青白い冷気が集中していった。離れ
た場所からでもそれが分かる。冷たい空気の流れが、ブルーの手の周りに集中していってい
る。
そして、絵倫が体勢を元に戻そうとするよりも前に、ブルーはその集めた冷気を絵倫の方に
向かって放った。
青白い冷気は空気の流れとなって、絵倫の方へと向かう。そのあまりに冷たい空気の流れ
は触れるだけでも危険だ。
絵倫は体勢を崩したままで、それを避けようとも避けきれない。
だが、その青白い冷気は、突然起こった空気の流れの変化によって、空気中からかき消さ
れた。
絵倫はよろめきながらも、元の体勢に戻る。
「どこ見てやがる! こっちだ」
ブルーは飛び上がっていた。そして、そのまま冷気を放っている棒を、絵倫の方へと振り下ろ
して来ようとしている。
しかし、そこに起こった突然の突風が、ブルーの体を空気中で大きく煽る。冷気の棒はその
軌道を大きく外され、彼の体は、絵倫から離れた所を転がった。
ブルーはすぐさま起き上がった。
「なるほど、あんたも、ただ鞭を振り回しているだけじゃあ、ねえってわけだ」
ブルーの冷気を放っている棒には、まだ絵倫の鞭が絡みついたままだ。絵倫はそれを手放
している。
「そうでなきゃあ、そう簡単に、自分の武器を相手に渡したりなんかはしねえよ、なあ? 他にも
攻撃手段があるから、あんたは、簡単に鞭を手放せるんだ」
絵倫は、立ち上がったブルーと視線を合わせる。
「もし鞭を手放さなかったら、あなたとの距離は離れない。あなたの得意の間合いで闘わせる
わけにはいなかないし、それに何より、あなたの『能力』の正体が分かれば、鞭を手放したっ
て、すぐに自分の手に戻ってくるし」
「こいつの『能力』の正体が、分かったのか? 絵倫?」
背後にいる機関銃を構えた隆文が尋ねてくる。
「ええ、分かったわ」
ブルーの方は、変わらずにやにやとした表情で絵倫の方を向いていた。彼女はそれに構わ
ない。
「あんたのその棒は、とても冷たい冷気で覆っているだけじゃあない。その冷たさで相手を攻撃
するだけじゃあないわ。なぜ、わたしがいくら鞭を引っ張っても、その棒から鎖が離れないの
か。答えは、西沢がなぜあんなに体勢を崩したのか、にあるわ。それに、この男の持っている
冷気の棒を見れば、もう一目瞭然よ」
絵倫はそう言い、ブルーの持っている武器を指差した。
それは、つい先ほどまでは、青い棒だったが、今では違う。赤茶けた色がこびりついているか
のようになっていた。その色は、まさにこの砂漠の地面の色だった。
「成る程、砂鉄か、それも、こいつの棒にくっ付いて、凍り付く前の砂鉄ってわけか」
隆文が呟く。
「『超伝導』でしょう…? 違う? リニアにも使われている技術よ。超低温を生み出せるのなら
ば、原理からして、それはできるはず。低温ならば、電気抵抗がゼロに近づいて、強い磁力を
生み出せるってね」
ブルーは何も言わずに、絵倫達の方を見据えている。
「磁力の『力』。それを使って、あんたは、西沢の鉄製のメリケンサックを引き寄せ、そして、わ
たしの鞭を固定した。全部金属でできているんだものね。でも、どんどん新しいほど砂鉄をくっ
付けていってしまうほどの磁力。相当なものだわ」
「じゃあ俺の撃った弾丸は?」
隆文が後ろから尋ねる。
「銃弾は鉛製でしょ? 磁石にはくっつかないわ。でも、正体が分かってしまえば、そんなに恐
れるほどの『能力』でも無いようね。わたしの使う『力』には、何の影響も無いわ」
「『超伝導』、当たりだぜ。だが、それが分かった所で、一体どうしようってんだ? あんたに何
ができる?」
ブルーは口を開いた。
そのように言い終わると、彼は、自分の持っている棒に付いているスイッチに手をかけた。そ
れが押されると、彼の棒にくっ付いていた、絵倫の鞭や、赤茶けた色の砂鉄は全て地面へと落
ちた。細かい破片となって、地面へと散っていく。
絵倫の鞭が重い音を立てながら、地面へと落ちる。
「じゃあ、オレの『能力』を知られた所で、あんたの『能力』についてもオレが解説してやろう
か?」
ブルーはそのように言い放つと、絵倫の方へと走り出した。
「お姉ちゃんよォ、あんたの『能力』の正体は、空気だろうがよォ、もう分かってるんだぜ!」
ブルーは走りながら言い放つ。
「最初から隠そうとなんてしてもいないわ」
冷静に答える絵倫。ブルーには向かわせるだけ来させるという姿勢だ。
と、走ってくるブルーに向かって、絵倫の足下の地面から次々と、小さな、弾丸ほどの塊が飛
び出した。
それは弾丸を思わせる速度で、次々とブルーの方へと向かう。
だが、彼はそれを冷気を放っている棒で、簡単に弾いた。
「空気の流れを、あんたは操る『能力』を持っている。だったらそれを応用して、空気の塊を弾
丸みてーに発射する事だって、できるって事か? だが、あんたのする事はそこまでか?」
ブルーが棒によって弾いた空気の塊は、細かい氷のつぶてとなって、砂漠の地面に転がっ
た。
「そこまでなのかッ?」
絵倫は迫ってくるブルーに対し、今度は空気を薄い円盤状に変化させ、それをカッターのよう
にして飛ばした。
彼女が外見上、特別な事をするまでもなく、空気はその形状へと変化し、一気にブルーの方
へと飛んで行く。
ブルーは口元を歪めた。そして、残像を残すスピードで、それを次々とかわす。
絵倫は、目の前に迫ってくるブルーに対して身構えた。
空気の流れを操るという能力で、迫ってくるブルーに対して、突風のバリアで防御をしようかと
試みる。
しかしブルーは、一瞬で絵倫の目の前から消え去った。
絵倫の真後ろまで移動したブルー。
「うう、速い。今、こいつの動きが、倍近くに加速したわ」
絵倫がそう呟いた時、銃声が響く。彼女の危機を察知した隆文が、ブルーに向けて銃の引き
金を引いたのだ。
「おっと、あぶねえ」
そう声が響いたのは、ブルーの脚蹴りが、隆文の後頭部に命中した後だった。
ブルーは、隆文の放った機関銃の弾を、何の苦も無いような様子で避け切り、更には隆文の
背後に回り、蹴りを放ったのだ。
絵倫はそこでさっと振り返った。
隆文の体が崩れ落ち、砂漠の地面へと倒れる。
「た、隆文ッ!」
絵倫がそう呼びかけるものの、隆文は一撃で気絶させられてしまった。力なく倒れるしかな
い。
ブルーは、余裕の表情で、絵倫の方を向いている。
「先輩ッ! やっぱりここはオレがやるぜッ」
そう言い放ち、何もできないでいた浩が、勇み出ようとする。
「いいえ、待ってッ!」
絵倫がそう言う間もない。
「あんたの武器を返してやるぜッ!」
ブルーがそのように言うと、絵倫の背後から、彼女の鞭が飛んで来た。
ブルーの持つ武器の磁力によって引っ張られるのか、同時に、左の利き手にメリケンサック
をはめていた浩も、その場で引っ張られて転んだ。
絵倫が、飛んできた自分の鞭を、さっとかわす。しかし、更に彼女の背後へと回り込んだブル
ーが、絵倫に向かって超低温の棒を振り下ろしてきた。
絵倫はそれを避けようとするが、飛んできた自分の鞭を避けたおかげで、反応が遅れる。ひ
んやりとした冷気が左肩をかすめた。
それだけで、彼女の左肩は凍り付いた。
「せ、先輩」
転ばされた浩が彼女を気遣う。
絵倫は、凍り付いた自分の左肩を見る。ほんの少し、低温の棒の、しかもその冷気がかすっ
ただけで、肩には凍傷を負っていた。
「ねえ西沢? 本当にこいつは、井原が以前に倒したの?」
だが絵倫は冷静に、浩に尋ねるのだった。
「あ? ああ。ぶっ倒したわけじゃあないらしいが、追い返すくらいまでは、追い詰めたみたいだ
ぜ? それが一体」
「こいつの今の動き、あまりに速すぎる。井原が一人で倒せるようなスピードじゃあない。速す
ぎて、わたしも何をされたのかよく分からなかった」
目の前で、新たな攻撃にうつろうとしている男を見つめ、絵倫は呟く。
「何、ごちゃごちゃ言っていやがる? 来ねえんなら、こっちから行ってやるぜ…!」
ブルーは、冷気の棒を構え直した。すぐにでも、かかって行きたいかのようの衝動が彼には
ある。
「何、焦ってんのよ? あなた、もしかしって、自分の『力』だけではなく、誰かの『力』を利用して
戦っているんじゃあないの?」
絵倫は、そんなブルーに向かって尋ねた。
「何の事だ?」
「何言ってんだ、先輩?」
浩とブルーが、絵倫に同じ質問をする。
「あまりにあなたの動きが速すぎるんだもの。井原が倒せる男のスピードだとは思えないのよ。
でも、誰かに手助けしてもらっているんなら、それも可能よね?」
絵倫の目線は、ブルーの背後、停まっている『帝国軍』のトラックに向かった。
そこにいる、銀髪をオールバックにしたもう一人の男。彼は、ずっとこちらの戦いを冷静な目
で見守っているかのように見える。
「他人の身体能力を向上させる事ができる『能力者』。神経伝達スピードや、筋肉の動きをより
活性化させる事ができる『力』。それを使える人を、あんたは連れて来たんじゃあないの? 以
前、予想以上に私達に手間取らされたみたいだし」
ブルーは、絵倫に指摘され、少し焦りの表情を浮かべる。
「だから、何だってんだ?」
「おいブルーッ! さっさと片をつけてしまえ。そろそろ」
ブルーの背後にいる男、シルバーが、彼に向かって口を開いた。
「外野は黙ってろ。オレがやりてえようにやるぜ」
「全く」
「さっきまでの余裕はどこへ行ったの? あなたは、自分の限界を超える身体能力を、無理矢
理引き出して戦っている。それがどういう事だか分かるかしら? あなたの筋肉や、骨には、相
当な負荷がかかっていて、それはすでにかなりのダメージになっているはずよ。わたし達に案
外手間取っているんじゃあないの? あなたの仲間がせっかく気遣っているって言うのにね」
「うるせえなッ!」
「ほら、やっぱり焦っている」
ブルーは、舌打ちをすると、冷気の棒を絵倫の方に向けて構え、彼女への間合いを一気に
詰めようとした。
絵倫もそれに反応し、自分の周囲に風を起こす。それはまるで衝撃波のように沸き起こっ
た。
だが、ブルーの方が速い。今の彼にとって見れば、絵倫の動きも、風の流れもスローモーショ
ンでしかない。
しかし、彼が脚を踏み切ろうとした時、軽い、何かが折れてしまうような音が響き渡った。
ブルーはうめき声を上げ、その場に崩れた。
そこに追い討ちをかけるかのようにして、鋭く変形させられた空気の流れが、刃のように襲い
掛かる。
ブルーは左眼を切り裂かれた。
「ほら? 言ったでしょう?」
「てめえッ! よくも!」
悪態を付くも、ブルーは、その場から立ち上がる事ができない。すでに彼はかなり息を切らし
ていた。切り裂かれた眼から、血が溢れる。
そんな彼の目の前に、絵倫は立ちはだかる。
「あなた達は、わたし達を始末しに来たんでしょう? お互いプロなら分かるわよね? 覚悟し
てもらうわ」
静かに絵倫は言う。そんな彼女を、ブルーは見上げる。静かな沈黙が流れる。
だがその静寂を破るかのように、車のエンジン音がうねった。『帝国軍』のトラックが一気にエ
ンジンをふかしていた。
運転席から伸びる、白色の軍服に包まれた腕。それは立ち上がる事のできないブルーの体
をかき抱える。
絵倫は、扉の開け放たれた運転席にいる男と目線を合わせた。だが、両者ともそうするだ
け。やがて、『帝国軍』のトラックは一気に動き出し、その場から走り去る。
「おいッ! 先輩ッ!」
浩が絵倫に呼びかけるも、彼女は黙ってトラックが行ってしまうのを見ていた。
「どうせ、あんな体じゃあ何もできないし、もう一人も、おそらく自分が戦う為の『能力』は使えな
いのよ」
「だからって、逃がすのかよ!」
浩は、砂漠の国道を走り去って行くトラックを見つめている絵倫に言った。
「これ以上の戦いは無益。わたし達の目的は別にあるっていうのに、足止めを食ってはいられ
ないわ」
「トラックだけでも奪えばいいのによ」
「『帝国軍』のトラックを奪ったんじゃあ、簡単にアシが付くわ。大丈夫。もう街も近いんだから、
乗り物は簡単に見つかるわよ」
絵倫はそのように言うと、しゃがんで、地面に倒れて気絶している隆文の体を見やる。
「ああ、そうかよ。だが、応援を呼びに行ったのかもしれねえから、すぐにもここから立ち去らね
えとな!」
「隆文は大丈夫だわ。ただ、思い切り頭の後ろを蹴られたから気絶しただけ、すぐに目が覚め
ると思うわよ」
絵倫は、彼の体を抱き起こした。
「全く、うちのリーダーはだらしねえな。簡単にやられちまって。あんたの方がよっぽどリーダー
に向いているんじゃあねえのか?」
「あら? そうとも思えないわ」
「どうしてだ?」
「彼の方が、わたしよりも、よっぽどリーダーに向いている。わたしには分かっているけど、あん
たにも分かる時が、すぐに来るわよ」
彼女は、優しく気絶している隆文を見ながら、そのように言うのだった。
ユリウス帝国海軍基地 ユリシーズ
γ0057年11月20日
6:12 P.M.
《ユリシーズ》は『ユリウス帝国』の北の玄関口。少なくとも海路としてはそうだ。『ユリウス帝
国』大陸の最も北に位置する港町で、『ユリウス帝国』という国家が発足して以来、軍事都市と
しての役割を担ってきた。
街の住民の大半が軍人、そういっても誰も疑わないほど、この街には軍事施設が溢れてい
る。《ユリウス帝国首都》はあくまで特別行政区の首都であって、いくら強大な軍事力を持つ国
でも、首都に大規模な軍は置かれていない。《ユリシーズ》こそが、『帝国軍』の本拠地のような
ものだ。『ユリウス帝国』最大の軍事基地である《ユリシーズ空軍基地》は、この街からそう離れ
ていない場所にある。
この世界の中でも赤道を挟み、かなりの南方に位置する『ユリウス帝国』。他国に対し眼を見
張る為には、北に軍事基地が置かれるのは必然だった。
立地条件も良い。近くには、軍施設として利用できるほどの広大な土地、砂漠があり、基地を
人気の無い場所に置けば、機密も保てる。
軍需産業、海軍基地など、あらゆる軍としての大きな役割を持つこの街は、その趣さえもが、
街全てが工場であるかのような無骨さと、緊張感の物々しさを感じさせる。空気が他の街とは
違う。物々しい鉄骨と、火薬、軍事工廠の排ガスが灰色の空気を漂わせる。
そしてその海軍基地。西の空に、日がもうすぐ沈みそうな夕方の時刻だった。
《ユリシーズ海軍基地》には、『ユリウス帝国』でも最大規模の海軍基地、軍の港と隣接して建
設された、『ユリウス帝国』の海軍基地本部がある。
その本部長室では、この海軍基地の最高責任者である、ミッシェル・ロックハートが、ある人
物の到着を心待ちにしていた。
最高責任者、一つの大国の軍の、しかもこの海軍基地の責任者という事は、海軍ほぼ全て
を総括できる立場にある。彼女の階級は将軍、それも大将に当たる。
だがそれであっても、まだミッシェル・ロックハートは、若さの残る顔立ちをした37歳の若い女
だった。
血のように真っ赤な軍服に身を包んだ彼女は、黒髪と黒い瞳を持つ。『ユリウス帝国』系の人
種とは異なっていた。
しかし、それは彼女に『ジュールユリウス帝国』からの移民の血が色濃く残っているからという
だけで、周りは特に気にしない。『ジュールユリウス帝国』の共産主義勢力が『ユリウス帝国』を
脅かした時だったら、そうではなかっただろうが。
そのせいか、ミッシェルの背は、『ユリウス帝国』の女性と比べると高くは無い。160センチほ
どしかなく、目立って低かった。それが余計に彼女を若く見せている。
だがそうであっても、彼女が今のポストにいるという事は、偽りの無い事実であった。
ミッシェルは、執務室の窓から外を見つめている。沈んで行こうとする西の日光が、軍の港を
照らしている。
やがて、どこからかヘリが飛んで来る音が聞こえてくるのだった。
「ロックハート将軍、到着する模様です」
一人の軍人が部屋に入ってきて、敬礼をしながらミッシェルに告げる。
「分かりました」
ミッシェルはそのように言うと、ゆっくりと、入って来た者の方を振り返る。
彼女は入って来た男とすれ違いながら、自分の執務室から出ていった。
ミッシェルは本部の建物の屋上へと、エレベーターで上がった。彼女の護衛も一緒について
きている。護衛はぴったりと彼女の背後へ付き、共に屋上へと上がった。
10階ほどの建物の屋上には西日が差し込んできていて、《ユリシーズ》の灰色の街の光景
が望めた。屋上の中央には、はっきりと大きくヘリポートがある。
そして、そのヘリポートへと今、一機のヘリコプターが着陸しようとしていた。
上空には激しい音を立てながら、一機のヘリが降下中だった。機体には大きく『帝国軍』のロ
ゴマークが描かれ、民間の機ではなく、軍の機だという事がはっきりと分かる。
ミサイルを搭載した護衛機も付いてきている。さながら要人がやって来たというような趣。
やがてヘリコプターは、海軍本部の建物屋上へと着陸した。
ミッシェルは、中から出てくるであろう人物を、直立不動に姿勢で待った。
ヘリの後部扉が開かれ、スロープ式のタラップが降ろされる。普段は階段式のタラップなのだ
が、今は違った。特別に用意されたタラップだ。
まず姿を現したのは、黒スーツのシークレットサービスで、軍の建物内とはいえ警戒しながら
先に降りて来る。
そしてその後から姿を見せたのは、車椅子に乗った『ユリウス帝国』の国防長官、浅香舞だ
った。
車椅子を押しているのは、『帝国軍』将軍のマーキュリー・グリーン。緑色の軍服と、ウェット
パーマのかかったブロンドが目立つ。
彼女らはシークレットサービスに囲まれて、スロープ式のタラップを注意深く降りてきた。
ミッシェルは、敬礼のままそれを出迎えた。
「アサカ国防長官。よくお越しで」
スロープを降り立った舞に対し、半ば心配そうにミッシェルは挨拶をする。彼女は、舞が、一
昨日ばかりに重態のまま病院に担ぎ込まれた事を知っていた。
「直りなさい」
舞に言われ、ミッシェルは敬礼の姿勢を解いた。
「しかし、本当に大丈夫なのですか? 確か、一昨日に入院されたばかりのはず」
車椅子でこの場に来ている舞。まるで今でもベッドの中にいなければならないかのような顔を
している。いつも公務に出る為に作っている顔でさえ、今は寝起きのままのようだ。
「わたしも必死に止めはしたけれども、国防長官は自分の仕事を果たす為にここまでこられた
のよ」
マーキュリーがミッシェルに言った。階級的には2人は同じ階級にある同僚という事だった。
「自分の取り逃した者がこの街に来ていると知った以上、いつまでもベッドの中にいるわけには
いきません。動けるのならば、動かなければ」
いつもより元気の無い舞だが、その強い意思ははっきりと伝わる声だった。ミッシェルはその
声に思わず彼女の方を向き直る。
「了解しました」
「早速ですが、ロックハート将軍。『紫色の光』について、最新の情報をお聞かせ願いたいので
すが?」
早速舞は本題に移って来た。
「はい。『紫色の光』は昨日の午前7時頃に初めてこの地で目撃されました。上空に浮かぶ発
光体で、どんな戦闘機や航空機とは違った動きをしていたそうです。目撃地点は、《ユリシーズ
空軍基地》で、ここから50キロ離れた地点。
そして、次に目撃されたのが、この街の上空でした。それが午後5時頃です。更に本日になり
まして、午前6時頃にこの海軍基地から、海上に浮かんでいる光を目撃したという情報が入り
ました」
ミッシェルは、自分の手元に入って来た情報を、なるべく詳細に簡潔に述べ上げるのだった。
「目撃証言だけですか? 何か、事件などは起こっていないのですか?」
「はい。目撃証言だけです」
「そうですか」
舞はそのように呟くと、眼を閉じてため息をついていた。疲れたというよりも、ほっとしたような
しぐさだ。
「この街を通り過ぎ、北の海の方角へ。最後の目撃が12時間も前だとすると、すでにこの街に
はいないという可能性が強い」
マーキュリーが、舞の代わりに、ミッシェルの言った事を分析する。
「はい、わたしもそう思います」
と、ミッシェルは舞に答えていた。
「案の定、海を渡られてしまいましたか。絶対にそんな事をさせるつもりはありませんでした。こ
うしている間にも、『ゼロ』は」
『ゼロ』という言葉だけで、その場の空気が重くなる。『紫色の光』という言葉が、緩衝材になっ
ていた。
「ところでミッシェル。『SVO』の連中の方はどうなったの?」
マーキュリーが話を変える。ミッシェルは彼女の方に向き直ると
「はい。マーキュリー、あなたがよこした連中、『レッド部隊』は『SVO』の追跡に成功、今朝、こ
の《ユリシーズ》から27号線を首都の方向へ150キロほど離れた地点で遭遇。彼らを確保し
ようとするも失敗したわ。彼らがその直後に本部と連携して行おうとした、衛星による追跡も、
『紫色の光』捜索の優先の為に行えませんでした。ただ、場所からして、おそらくこの街に向か
っていたと思われる。そして距離からして、もう到着していても不思議じゃあない」
「それだけ? まだ、彼らは事を起こしてない?」
マーキュリーがミッシェルに尋ねる。彼女の、青く、冷たい瞳はミッシェルに向いている時も変
わる事が無かった。
「いえ、何か情報も入っていない。『ゼロ』と同じで。ただ、彼らはあくまでなんらかの調査の為
にこの国へ来たのであって、破壊工作まではしていない模様よ」
ミッシェルは、そのルビーを思わせる赤い色の瞳でマーキュリーに返した。彼女よりもマーキ
ュリーの方が身長がかなり高く、ミッシェルは彼女を見上げて喋っている。
「何らかの捜索、彼らの動きを見ていれば、わたし達とどうやら目的が同じだって事が良く分か
るわ」
「とにかく、何の情報も入っていない今は、この場を闇雲に動くべきではありませんね。今は黙
って待つしかない」
マーキュリーとミッシェルは、彼女達の間で佇むように車椅子に乗っている舞を見下げた。彼
女は少し下をうつむいたまま、喉の奥からかすれるような声を出している。
「そう、それが一番いいと思います」
マーキュリーは舞とミッシェルに言う。そして3人の『帝国軍』の高官達は、数人の『ユリウス帝
国兵』達に見送られながら、オレンジ色の夕焼けの中、そのヘリポートを後にするのだった。
ノーム海域
ユリシーズ沖520kmの地点
7:02 P.M.
ほとんど沈んでしまっているタ日の中、一隻の大型貨物船が大洋を航行していた。数万トンと
いう巨大な船。それは何百、何千という様々なコンテナと、数十人の船員を乗せて、360度水
平線の大海原の航行を続けていた。
この船は、『レッド公国』の港から輸出品を載せて、『ユリウス帝国』の《ユリシーズ》の港へと
真っ直ぐに向かっている所だ。今の時代はジェットの性能が格段に増し、それが音速をも上回
るスピードをも持っているため、海を進んでいく船舶の需要は少なくなった。特に客船などは観
光目的のみ、点から点への移動を楽しむ人々にしか利用されない。
だがやはり、スピードよりも輸送する物資の数では、大型船の方が圧倒的に勝る。それに船
の性能も増した。貨物の大量輸送、長距離輸送では、船舶は需要が高く、現役を維持している
のだった。
この船も例外ではない。貿易にはかかせない。
しかし、『ユリウス帝国』では、首都で起きたというテロ活動の緊張から外来船への警戒が強
まっている。この船の乗組員は、無事に航海を終える事ができるかどうか、とても不安がって
いた。
今晩中にも《ユリシーズ》に到着する。軍事都市とも言われている《ユリシーズ》がテロの標的
になる可能性も大きい。
船舶の入船規制などがうるさそうだった。無事に入港できずに、折り返して帰えらねばならな
い事だってありうる。
だがこの船、リーヤン号は《ユリシーズ》に何度も入港している船だ。その点では信頼があ
る。
しかしそのように不安がっている船員達に、追い討ちをかけるかのような出来事が起こった。
急遽、船長が操舵室に呼び出されたのだ。
入港まではまだ数時間ある。それなのに、非番だったはずの船長が、突然呼び出されたの
だ。
彼を呼び出した船員は、船の前に突如現れた、あるものについて説明をしていた。
「目標は正面の方向。距離はおそらく2キロ以上は離れています」
船長は操舵室に入ってくると、説明されていたものは、双眼鏡も使わず、肉眼だけではっきり
と確認できた。
「あれは、何だ?」
操舵室の正面に浮かんでいた、紫色の発光体。
それを船員達は驚いたように見つめていた。発光体の光は強く、操舵室には紫色の光が差
し込んできている。壁、計器類全てが紫の光に染まっていた。
不気味な色だった。燈色に染まるはずの夕日をかき消し、それがあたかも日光の色である
かのようだ。
『ユリウス帝国』で起こっている事、これからの不安などをも忘れ、彼らの注意は集中した。
「《ユリシーズ》には空軍基地がある。『帝国軍』の戦闘機なんかじゃあないのか?」
そんなものではない、と分かっていながらも、船長は船員に尋ねた。
「レーダーには何も映っていません」
すかさず航海士が答えた。
「じゃあ、ステルス戦闘機の可能性は…?」
「だったらあのように肉眼で確認はできません。しかもこれほどまでに強い光。相当の光の照
射力です」
リーヤン号に船長達が前にしていたのは、まさしく未確認飛行物体だった。それが2キロ先に
浮かんでいる。
「距離は離れていますが、《ユリシーズ》の方向です。このまま船を進めれば、遭遇する事にな
ります」
航海士に言われ、船長は決断を迫られた。
「回避して進め」
即座に決断をした船長だったが、
「向かってきます!」
少しの間も置かずに航海士が叫んだ。
操舵室にいた全員が、船の真正面に視線を向ける。
そこには、猛スピードでこちらに迫ってくる紫色の発光体があった。光は、あっという間に大き
く、更に目も開けていられないほどに眩しくなる。
「回避しろッ!」
「間に合いません!」
船長が指示を出したその瞬間、リーヤン号に巨大な衝撃が襲った。まるで、大型船同士が激
突したかのような衝撃と共に、地上で言えば地震のような揺れが船を揺れ動かす。
このまま転覆してしまうのではないかというくらいの衝撃。大型船は衝撃で大きく揺り動かされ
た。
「舵が取れません!」
誰かが叫んだ。激しい揺れは船を包み込み、操舵室には真横から海水が降りかかってきて
いる。
「あ、あれは!」
船長は我を忘れ、計器類にもたれかかりながら、思わず呟いていた。彼は何かを目撃してい
た。
「メーデー! メーデー!」
航海士が緊急用の無線に向かって叫んでいる。
「こちらリーヤン号。緊急事態発生。現在位置は、1、8、7、3、5、6! 繰り返す。こちら、リ
ーヤン号、緊急事態発生、現在位置は」
やがてリーヤン号は、原因不明のまま沈没する。幸いにも《ユリシーズ》からそう遠くない場所
であった為、乗組員は『ユリウス帝国』の海軍によって無事に全員救助された。
そしてその情報は、すぐに『帝国軍』の上層部にも伝わるのだった。
7:42 P.M.
夜が更けた。《ユリシーズ》の海軍基地は、俄かに騒がしくなっていた。
『ユリウス帝国』の領海内で沈没したというリーヤン号。その救助に軍のサルベージ船が向か
ったからだった。
それもある。しかし、沈没の情報を得た『帝国軍』上層部では、その沈没事故は、違う意味と
してとられていた。
海軍基地の港では、新たに一隻の中型船が出港しようとしていた。
それは海軍基地にあった、政府高官用の特別高速船。大洋での長距離の航海をする事もで
きる。しかも非常に高性能であり、海路とはいえ、相当のスピードで航行ができる。
その船へと『帝国軍』の将軍、ミッシェルが走り寄っていっていた。
「本当に、本当に行ってしまわれるのですか? まだお怪我も治っていないというのに。その体
では!」
そのように気遣う彼女の目線の先には、杖をついて船のタラップへと脚を進めていた、舞が
いた。
彼女はすでに車椅子に座ってはいない。そんなに早く怪我が治るものなのか。舞が『高能力
者』だという事は、ミッシェルも知っている。しかし、昨日の今日だ。
「『ゼロ』がここから海を渡ろうとしたのなら、この沈没事故は、間違いなく彼と関係がある。私
がここを動かないで、一体誰が行くというのです? しかもあれが国外に出てしまったのですか
ら」
舞は、ミッシェルの気遣いが聞こえてはいたが、まるで無視でもしているかのようにそう呟く。
「しかし、海路で行かれるとは」
「ここからは飛行機よりも、船を使う方が動き易いのでしょう? 空軍基地まで行っていたら、む
しろ時間がかかるし」
「まだ、沈没事故がわたし達の追っているものの手がかりとは限りませんよ」
と、ミッシェルが舞を呼び止めようとする。
「いえ、分かるんです」
「はい?」
目をつぶり、まるで黙想でもするかのように舞は言った。それはミッシェルに対して言ったの
ではなくて、独り言を言っているかのようだった。
「はあ、ですが、救助したばかりで、乗組員からの事情聴取もまだです。ただ何かの事故で沈
没しただけなのかもしれませんし、まだ『ゼロ』の仕業だと断定するには早過ぎると思います」
ミッシェルは、舞の言葉を否定するのではなく、ただ彼女の体を気遣っているという様子で言
った。
「だからあなたはここに残り、もし『ゼロ』がまだこの街にいるならいるで、その時に対処して欲
しいのです。私は彼が海を渡ったという場合に対処します」
気遣ってくれる必要など、まるで無いという様子の舞。
「また無理を。お怪我がまだ治っていないと言うのに」
「ところで、マーキュリーはどこですか?」
舞はミッシェルの言葉を遮った。
「『SVO』の3人を捜しています。『NK』の防衛庁の方や、首都の後片付けの方も併せて」
「分かりました」
「それよりも、『ゼロ』が海を渡った場合、そこから先はどうなさるのですか? 捜索範囲を全世
界にまで広げなければならないのでは?」
ミッシェルは話を無理矢理元の場所に戻した。
「何となく、分かるんです」
ぼそりと呟く舞。
「何と、なく、とは?」
「そう、何となくです。空気の感じとか、雰囲気で分かるんです。彼の気配で、大体どこにいるの
かとか分かる気がするんです。だから私には彼がここにもういない、海路で行くべきだと言うの
が、何となく分かる気がするんです」
「要は、勘という事でしょうか?」
「いえ、勘じゃあありません。でも、絶対でもありません。言葉で言うのは難しいですけどもね」
「それは、内密としておきましょう」
「では、私はもう行きます。行動は早ければ早い方がいい。相手は一か所にとどまっているよう
な者ではないですから」
ミッシェルの言い分を聞いてか聞かずか、舞は杖を使って、そのおぼつかない足をタラップに
進めようとした。杖を使った足運びに慣れない舞を、見兼ねたミッシェルは彼女の両肩に手を
乗せた。
「椅子のある船室まで連れて行かせてください。あなたのその姿を後ろから見ているなんて、と
てもできません」
舞はミッシェルの方をチラリと振り返ると、
「構わないです」
と、無理強いして見せるが、それは返ってミッシェルを心配させるだけだった。
「タラップから足を踏み外して、『ゼロ』を見つけるよりも前に溺れたくなさらなかったら、わたし
の言う通りにしてください」
舞は黙ったまま目線をミッシェルから外した。
「これは友人として言っているのです。このようなやりとりを、いつまでも部下達に見られている
のが嫌でしたら、そう強がらずに譲歩して下さい。別に少しも恥ずかしい事ではありませんか
ら」
ミッシェルの言葉につられ、舞は、自分達の周りで自分を見送ろうとしている『ユリウス帝国
兵』達を見てみる。彼らはただ冷静にこちらを見ているだけだったが、やりとりを見られている
のに代わりはなかった。
「そうでしょう?」
と、ミッシェルが言った。
「そうですね、お願いします。船室まで」
やっと譲った舞に、ミッシェルは小さくため息をつくと、舞の肩を担いでゆっくりと慎重にタラッ
プを渡り、船内の船室へと向かい始めた。
遠くの場所から『SVO』の3人が見ている事など知らずに。
夜の闇の中で、照明の明かりに照らされ、軍艦に乗り、海を渡ろうとする舞と、それを送るミ
ッシェル。そんな彼女達のやりとりを見ていたのは、2人の周囲にいる『帝国軍』兵士達だけで
はなかった。
その場所から100メートルは離れた位置にある、軍の港に置かれたコンテナの群、幾つもの
何かの貨物が入ったコンテナの内、一つの屋根の上に、『SVO』の隆文、浩、絵倫はいた。
3人はこの海軍基地に潜入、厳重な警備網のこの場所を、手馴れたようにものともせず、何
事もなくここまでやって来ていた。そしてどこかへ向け出発しようとする『ユリウス帝国』の国防
長官、舞を慎重に探っていたのだった。
「じゃあ『ゼロ』さんは、もう海を渡っちまったのか?」
コンテナの屋根の上に、下から見えないように腹ばいになっている3人。屋根の上には、タ方
に降った雨の水溜まりができており、3人はそれから離れた位置にいた。
隆文はすぐ隣にいる絵倫に尋ねていた。
「ええ、そうらしいわ」
絵倫は隆文の隣で静かに目を閉じて、何かに集中しているようだった。耳を澄ますように彼
女は耳を、舞や『ユリウス帝国兵』達のいる方向に向けている。隆文の方はクレジットカードほ
どのサイズの双眼鏡で同じ方向を見ていた。
「あの国防長官と一緒にいるのは、ここの基地の将軍、ミッシェル・ロックハートか。一人の捜
索にここまで総動員とは、絵倫の言う通り、標的は相当の大物だな」
隆文の隣、絵倫とは逆隣にいた浩が身を乗り出した。
「そいつあ、誰だい?」
「ミッシェル・ロックハート。隆文の言った通りここの基地の将軍よ。ただあまりに優秀だったん
で一気に出世して、まだ37歳、わたしの歳で大尉だか少佐になったっていう」
ゆっくりと目を見開いた絵倫が、暗記したものを思い出すように言った。そんな彼女に対して
浩は、
「良く知っているなあ」
と、馴々しい。
「対外諜報という職についている以上、そのくらいは常識だわ。戦いなんかよりもよっぽど知識
の方が大事」
「それにしても歳まで知っているとは詳し過ぎるぜ。俺も名前と顔までは知っていたが」
隆文が言った。
「初めて彼女の写真を見た時、軍人にしてはやけに背が小さいと思ったから、印象に残ってい
ただけよ」
「37歳とは随分とお若い方だ。しかも軍の将軍とは、シビれるね」
なぜかニヤニヤしている隆文が2人に言った。
「『ユリウス帝国』では、経験よりも実力で見られるの。だからこの国では大して珍しい事じゃあ
ないわよ。国防長官が、37歳ってトコだからね、『NK』ではとても考えられない事だわ。わたし
としては羨ましいかも」
隆文の素振りなど気にしない様子の絵倫。
「しかし、よくあんなに遠くにいる人間の話し声が聞こえるよなあ。目で見るのだってやっとだっ
てのに」
浩が眩く。
「風の感じでね。聞こえて来るのよ。人の発する声の波を、風が運んできてくれるの」
「風や空気の力を操れる絵倫ならではの、テクってわけだ。お陰で絵倫には隠し事はできな
い。何たって本物の地獄耳なんだからな。ヒソヒソ声で話していても、はっきりと聞かれちまう」
絵倫の言葉に余計な部分まで付け加える隆文。そんな彼に対して、彼女は渋い顔をしてみ
せた。
「とはいえよぉ、絵倫の直感は今回も当たったな。やっぱ『ゼロ』さんはこの街にはもういなかっ
たってわけだ。すでに海を渡っちまったとはよお、一歩先を越されたって事だな」
と、腹ばいになったままコンテナの屋根から身を乗り出す浩。
「海の先は『チャオ公国』ね。あの船に乗り込んだほうがよさそうだわ」
「あの警備を破るのか、なかなかの難題とみたぜ」
3人は、照明に照らされ、今にも出港しそうな中型船の方向に目をやる。その船の周りには、
何人もの『ユリウス帝国兵』が油断の無い警備をしていた。まるで蟻一匹、鼠一匹も船には侵
入させないといった様子を見せている。その様子には、強気な絵倫も浩と同感の様子だった
が、
「だが、俺達には不可能って言葉は無いんだぜ。どっちにしろ行動するしか無いんだ。いくら切
羽詰まった状況でもよ、何かしら行動すれば活路は開けるだろうよ。こんな所でボーッとしてい
る訳にもいかないし」
隆文は違った。彼はコンテナの屋根の上に黒い鞄を持ち、自信を持ったまなざしで船の方を
見つめる。
「ああ、そうだな。すぐ行動を開始しようぜ」
説明 | ||
巨大大国の裏で行われている、陰謀を追い詰める、ある諜報組織の物語です。舞台は祖国、NKへ。 しかしそこにやって来たのは、ユリウス帝国からの工作員だったのでした。 |
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