少女の航跡 第2章「到来」 2節「クラリスの危機」 |
『リキテインブルグ』のほぼ全土に広がる《スカディ平原》は、王都に近い南部と、海岸地方
に近い沿岸部、そして、『セルティオン』の山岳部に近い北部に分ける事ができる。
王都や、沿岸地帯にある港町の他にも、《スカディ平原》内には無数の集落が存在していた。
そこに住む者達は、自分達だけで独立した生活を営んでいる。例えば、広い平原を活かした
牧畜生活で、その生活は、国内の交易品を造り出すものとしても、立派に機能していた。
しかし近年、その産業と生活を脅かす存在が現れて来ていた。
かつてから、盗賊や野蛮な亜人種達の略奪を受け、その自衛の為にも力を付けて来た平原
の者達だったが、新たに現れた勢力、『ディオクレアヌ革命軍』には、なす術が無かった。
それも、ここ数年の事。革命軍は亜人種を使い、交易隊や、平原の集落を襲撃している。た
だの亜人種だったらまだ良かっただろう。しかし、これらは戦闘の訓練を受け、銃火器のような
新兵器まで持ち出していると来ている。
これには、平原の民の自衛も太刀打ちできない。ただ革命軍の略奪行為に身を任せるしか
なかった。
朗報が入ったのは半年前。ついに、一国をも圧倒するほどの勢力を、革命軍が持ったと思
われた時の事だ。
『セルティオン』の王都、《リベルタ・ドール》が革命軍の手によって占拠された後、『リキテイン
ブルグ』の手で激しい戦闘の後、それは見事に解放され、多くの革命軍兵士が討伐されたとの
話が、近隣諸国中に広まった。
一時は、国の陥落、新たな戦国の世の幕開けかと思われた事件だが、若干17歳の女騎士
団長、カテリーナ・フォルトゥーナを初めとする『フェティーネ騎士団』の手で、王、エドワード・セ
ルティオン13世の救出が成功したのだ。
だが、彼女らが捕え、倒した革命軍兵士は、ほんの一握りに過ぎない。《リベルタ・ドール》制
圧時には、数万を超える亜人種の部隊が襲撃を行っていた。
しかも、《リベルタ・ドール》が奪還された後も、革命軍の襲撃や略奪は減ることは無かった。
いやむしろ、まるで指揮官を失い暴走し出したかのように、その行動には、野蛮で、見境なし
に襲撃を行っているかのような部分が目立って来ていた。明らかに、以前の革命軍とは何か
が違っていた。
わずか半年で、《スカディ平原》のほぼ全土にその被害が広まろうかとしていた時、それに見
兼ねた『リキテインブルグ』の女王、ピュリアーナ・デ・ラ・フォルテッシモ18世は、ある指令を下
していた。
時刻はすでに夜も更けた時間帯。平原内は全く灯りもなく、一面の闇が広がっている。夜目
の利く生き物だけが活動する時間になった。
だが、平原北部のある集落の辺りだけが、ほんのりと明るく包まれていた。良く見れば、そこ
からは煙が昇っている。
家々が燃えていた。辺りでは家畜の死骸と、それが燃える匂いが充満している。それは略奪
の匂いだった。
奇怪な叫び声が聞える。小柄で、鼻だけ異様にながく、ごつごつとした肌を持つ亜人種、ゴブ
リン達が燃える家々の周りにはいた。
彼らは家を焼き、それが崩れる様を見ては、自分達の力に酔いしれ、歓喜に沸いている。つ
いでに食べるものがここには幾らでもあった。逃げ出そうとする家畜を狩り、生焼けのまま貪り
食っている。
およそ100匹のゴブリン達が、平原の集落を襲撃していた。夜闇に紛れて襲撃を行い、あっ
という間に、その集落は彼らのものとなってしまった。住人達は逃げ遅れて火事に飲まれた
か、とっくに逃げてしまっている。
だがゴブリン達は、にんげんなどよりも、ここにある食べ物に興味があった。にんげんは、自
分達よりも多くのものを食べる。しかもそれを自分達で造り出す方法を知っている。
彼らはDのマークが付けられた武器を持っていた。それは『ディオクレアヌ革命軍』の兵士で
あるという証。しかし、彼らにとってそれはもはやどうでも良かった。ディオクレアヌなどに頼ら
ずとも、食べ物を獲得する事はできたし、これ以上、にんげんなどに使われるのは彼らの野生
が許さなかった。
自分達の力と、得られた食べ物の歓喜に沸くゴブリン達。
だが彼らのその略奪行為は、突然降り注いだ矢の雨によって遮られた。
夜の闇に紛れて、矢の雨は彼らにとっては、何も見る事はできなかった。ただ、空を切る音
が聞こえたかと思うと、ばたばたとゴブリン達が倒れていく。それだけしか見えない。
彼らが異変に気付いた時は、すでに3分の1近くのゴブリン達が地面に崩れ去っていた。
わめき声を上げるゴブリン達。だが、燃え盛っている炎の灯りを背後にしていては、完全に不
利だった。
しかし、そんな事を知らない彼らは、ただ慌てふためき、手元にあった武器を手に取ると、そ
れを振り回すなり、銃や弓だったら、あらぬ方向へとそれを発射していた。
夜闇に紛れ、奇襲する者達の影が、ゆっくりと彼らを追い詰めている。すでに集落の周りは
包囲し、一匹たりともその場から逃がさない様子。
闇の中にいたのは、十数名の騎士達と、それを従える一人の女。彼女は、燃え盛っている炎
の中でも白銀色に輝く、美しい金属の鎧を身に着け、兜を被らない頭からは、新緑の色を持つ
長い髪を露にしていた。
眼が覚める程真っ白な白馬に跨り、手には鋭い槍を軽く握っている。そして何より、人間より
も肌が白く、耳が尖っている事がはっきりと分かる様は、エルフである事の象徴だ。
クラリス・アルセイデス。エルフでありながら、『リキテインブルグ』の精鋭である、『フェティー
ネ騎士団』将軍である彼女は、ピュリアーナ女王の命令を受け、平原内で暗躍する革命軍の
討伐を任されていた。
すでに討伐した残党部隊は10を超え、彼女や、彼女以下の騎士達の作戦は、非常に手馴
れたものとなっていた。
奇襲を受け、慌てふためくゴブリン達。彼らは尖った耳のエルフを恐れていたから、クラリス
が出て行っただけでも、恐怖にかられていた。
矢を射ち、相当数のゴブリンを倒したクラリス達は、闇の中から一気に馬を駆り、直接攻撃を
開始した。
燃え盛る炎の間を、ミスリルの金属を鎧として纏ったクラリスと、彼女の白い馬が疾走する。
集落の全方位から騎士達が現れ、ゴブリン達への奇襲を始めた。
突然の攻撃に対処できないゴブリン達が、クラリスの槍によって狩られる。ゴブリン達は槍に
よって薙がれ、突かれ、何メートルも飛ばされる。
弓を引こうも、剣を振ろうと、精錬された騎士達の戦いには太刀打ちできない。未だに革命軍
が活動できているのは、その兵の数が多いからに過ぎないのだ。
炎の中を切り裂き、一直線に飛んでくる一条の矢。だが、クラリスはそれに気付いていたか
のように、手にした盾をその方向へと向けた。
彼女の身に纏う鎧と同じ質。まるで磨かれているかのように綺麗な盾は、矢を受け止めるの
ではなく、まるで水の流れのようにそれを受け流した。
ゴブリン達の方も弓矢を引き出し、銃を持ち出し始めた。所々で、弾が発射される、弾けるよ
うな音が響き渡る。
銃の弾は鎧をも貫き、騎士達にも致命的な一撃を与える。革命軍が使う新兵器。だが、その
発射までは時間がかかったし、一度撃ってしまえば、次の弾を撃つまでにも時間がかかる。更
に言うならば、ゴブリンの弱い集中力と切迫した状況では、あらん方向を撃ってしまう事もあ
る。
だから銃を持ち出そうとも、問題は無かったのだ。
次々と、空中に放られ、または薙ぎ倒され、果ては、彼ら自身が火をつけ燃え盛っている、集
落の建物の中へと放り込まれるゴブリン達。
もはや雑兵に過ぎない彼らは、騎士達を前に、その数をほとんど減らしていた。クラリス率い
る騎士達はその数をほとんど減らす事無く、ゴブリン達を始末していた。
クラリスは『フェティーネ騎士団』団長だが、他の騎士達はそうではない。平原を警備する為
の警備隊もいたし、王都からクラリスと共にやって来た騎士もいる。革命軍を討伐する為に集
められた合同軍だったが、これが、お互いの利点を生かせる、立派な討伐隊となっていた。
あらかたのゴブリン達を倒し終え、集落の外れに、クラリスを中心として騎士達が集められ
る。
「やられたのは2人。ゴブリン共は全滅しました。村の者達はとうに逃げてしまったようです」
一人の若い騎士が、クラリスに事を告げた。彼女の方は、戦いが起こる前と変わらない表情
と出で立ちでいる。
「ご苦労様。これでまた、脅かされている平和が少しは取り戻せたかもしれませんね」
クラリスは皆に向かってそう言った。
「しかし、倒しても倒しても沸いてくるゴブリン共め! 一体、どこからわいて来ているのだ!」
年季の入った顔立ちの騎士が、兜の下から凄む。
「まあ、この場は片付いたのですから、報告に参りましょう」
クラリスは、そんな彼をなだめるかのように言った。
「はッ。では、直ちに参りましょう」
そう、皆が馬を翔らせ、この場を後にしようとした、その時だった。
何が起こったのかすら、騎士達には分からなかっただろう。突然、夜だったはずの平原が、
白い光に包まれたのだ。
闇を切り裂くかのようにして現れた光。それは騎士達を、今だ燃える集落の建物を、木々や
草木を照らし出す。
あまりに眩しい光に、騎士達は眼を瞑った。クラリスもそうだった。そして直後、まるで突風が
吹き荒れるかのように激しい空気の流れ。
「何だッ! 何が起こったァァーッ!」
誰かが叫んでいる。突風のような音の中に聞える声。
「分からない! 一体何が!」
クラリスも叫んだ。彼女は長い髪の中から突き出た、長い耳を使い、辺りの気配を探ろうとす
る。
空気が叫び声を上げていた。それは嵐でも無く、竜巻でもない。クラリスが今だかつて出会っ
た、どんな風の流れでもない。
ただ一つだけ彼女が分かった事は、これは危機を意味していた。
意味を成している訳ではない。ただ、エルフの血がそう叫んでいる。これは危機だ。空気の流
れに籠められているのは、危機の声。
クラリスは、驚いている馬を立ち直らせる。そして騎士達に命じた。
「離れた所まで逃げるわ! 付いてきなさいッ!」
「ははッ!」
彼女の命に従い、クラリスの駆ける方へと付いていく騎士達。その時、光は幾分か収束し、
集落から離れたある一点の場所へと落ちていた。
だが、続いて、天空を切り裂いて落ちてきている円筒形の光の束は、その範囲を広げ始め
る。
クラリス達は、その光から逃れる方向へと馬を駆っていた。相変わらず空気の叫び声は変わ
らない。まるで、光の方に吸い込まれていくようにその声は流れて行っている。
全速力で馬を駆る。しかし、光がその範囲を広げていくスピードの方が、明らかに速かった。
間に合わない。
範囲を広げる光は、集落の残骸を、そして燃え上がっていた炎、倒されていたゴブリン達を
次々と飲み込んでいく。
クラリスには分かっていた。この光はただの光ではない。飲み込まれたら最期、外に出ては
来られない。これは、破壊の光だ。
全速力で光の手から離れようとする騎士達。だが、光は明らかに速かった。
重武装をした騎士と馬が、最も遅れている。馬の体力こそあれど、速さが遅い。あっという間
に騎士が光に追い付かれる。
叫び声が聞えて来た。最も遅れていた騎士が、光の中に飲み込まれていた。一瞬でその姿
は消え、尚も光は範囲を広げ続ける。
空気の流れが激化する。クラリス達の行く手を阻むように、光の方へと突風のように流れて
いく空気の流れ。さながら向かい風だ。空気さえも、光は飲み込もうとしているのか。
「これは一体、何なんです! クラリス様ッ!」
クラリスが最も速く馬を翔らせ、そのすぐ背後にいた騎士が彼女に叫びかけた。
「分からない! とにかく逃げなさい! この光からは、破壊の力しか感じられない!」
クラリスは答える。その間にも、後続の騎士達が次々と光の中に飲み込まれていった。飲み
込まれた後、そこには影も何も見えない。一瞬で消え去ってしまっている。
光が手を伸ばしていく速度は速かった。実際、ほんの数秒しか無かったのかもしれない。
「クラリス様、クラリス様…!」
クラリスのすぐ背後にいた騎士が、今にも白い光に飲み込まれて行こうとしていた。
猛烈な空気の流れが吹き荒れ、激流のような音が耳に響いている。馬は興奮しながら走り、
クラリスは極限の危機を感じていた。
ついに、クラリスを残し、彼女の後ろにいた騎士達全てが、光の中に飲み込まれて行ってしま
った。
白い光は、尚もその範囲を広げ続ける。
そして、クラリスも気付いていた。
間に合わない、と。そして、自分も飲み込まれてしまうのだろう、と。
「アルセイデスーッ!」
もうすぐ背後に光がやって来ている。クラリスは名を叫んだ。自分の行く手を阻むかのように
流れている空気の流れの中に、薄っすらと、人の姿となって、彼女の守護精霊が姿を見せる。
「クラリス…、ああ…、わたし…、どうしたら…」
主の危機に呼び出され、風の精はいつになく恐れを成していた。主に宿っている精霊は、主
が死ねば、自らもその命を散らしてしまう。クラリスよりも幾分か子供じみた姿の精霊は、恐ろ
しい現実にその場から逃げ出したいような表情だ。
クラリスは、目の前に現れた守護精霊を見据え、必死になって告げた。
「この事を、カテリーナ達に伝えなさい。白い光がやって来たと…! わたしは戻れないかもし
れないと…!」
クラリスの体へと、今にも白い光は触れて来そうだった。
「そんな…、あなたが飲み込まれたら、わたしも一緒に…!」
アルセイデスは言った。しかし、
「この光に吸い込まれていく風の力を、逆に利用してあなただけでも脱出しなさい。風の精霊な
らそれができる…! 今までわたしに協力してくれたようにやればできる! そして、これが最
期のお願いよ…。この事を、カテリーナ達に伝えなさい」
「クラリス、クラリス…!」
そうアルセイデスが言った時、クラリスの体は、白い光の中に飲み込まれていった。
瞬間、風の精霊は、光の周りで渦巻く風の力を、逆にばねのように利用し、そのまま光とは
反対の方向へと飛び去っていく。彼女は、光の方へと流れて行く風の道筋を逆に辿った。
天空から降り注ぐ光は、巨大な円柱となり、その範囲を広げていく。だが、ある時点でそれは
限界にまで達したようにその動きを止める。
しかし次の瞬間、まるで夜明けの光のように、爆発的にその光を散らした。それは爆風と、大
きな爆発の力を伴い、平原の一角を跡形も無く吹き飛ばす。
しばらく後、砂埃が舞い去った後に残ったのは、峡谷とも見間違えそうな程の、陥没した地面
だった。
次へ→
3.忘れ去れぬ事
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第2章の時間軸へ。クラリス達は、前章に登場したディオクレアヌ革命軍の残党の討伐に向かうのですが―。 |
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