花見
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「手、綺麗だね」

 桜の花に手をかざす僕に君が言った。僕としては手よりも桜に執着を持って欲しいけど君は桜なんて見ていないんだろう。僕と君は違うのだ。同じ心を共有したくてもどこかに齟齬が生まれてできない。僕らは違うものを見て綺麗だと思っている。それが正しい。僕が手をひらひらとはためかせるように動かすと君が笑った。

「蝶みたいだ。気持ち悪い」

「……」

 僕は何となく心が沈んだ。君は簡単に僕にナイフを刺す。君は僕の傷口を楽しんでいる。作るだけ作って何もしない。

「もう桜の季節かあ。暑くなるね」

 君はいつも楽しそうに笑う。僕はうんざりした顔を作った。僕は暑いのは好きじゃない。今年は特に寮のエアコンが壊れて温風しか連れて来ないから最悪だろう。君がくるりと回転した。

「僕の部屋に来ればいいよ」

「それは嫌だ。君の部屋は嫌いだ」

「なら茹だっても文句は言えないね」

 その通りだと思っても僕としてもそこは譲れないので何も言わずむっつりと黙りこむ。君はくすくす笑った。男なのにくすくす笑うのがこんなに似合う奴を僕は知らない。女々しいっていうんだろうかこういうの。違う気がする。生温かい風が僕と君の髪を揺らす。本当に今年は暑くなりそうだ。嫌気が差す。

「今日はこのまま花見に行こうよ」

 休みから重い荷物を持って学生寮に着くと君がそんなことを言った。僕は一蹴する。

「嫌だ」

「何でさ。桜綺麗だって思ったでしょ。行こうよ」

「綺麗だからだよ。今日はきっと人が多いだろ。それに僕は疲れた」

「それなら僕も同じだよ」

「なら部屋で休むのがベストだ」

「君ってつまらないやつだね。休むのなんていつでもできるだろうに」

 君が呆れた目をした。僕はその目を見返す事なく重い荷物を持って階段を上がる。手にすっかり慣れ親しんでぎちぎちと重みのあるそれを早くどこかへ下ろしてしまいたかった。君が後ろからついてくる音がする。僕に向けてなのか分かり安い溜息も聞こえた。僕は僕の部屋に辿り着く。鍵を回して開けると少しだけ埃っぽい臭いがした。乱雑に書物が散らかったベッドに荷物を下ろすと君がやってきた。もう荷物の仕分けは終わったらしい。手際が良いのは少し羨ましい。

ベッドのバネを軋ませて君が座る。「春だねえ」呟いた言葉は至極どうでも良い言葉だった。

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「ほら、ね、春だよ」

「知ってるよ。花見なら行かない」

「行かなくてもいいよ。君が窓を開けてくれたらそこから桜が見えるから」

 そういえばさっきの桜は丁度僕の部屋から見える位置にあった。窓を開けると少しだけ涼しい風が頬に当たった。君が楽しそうに声を上げて笑う。

君の笑い声は少しだけ好きだ。優しい気持ちになれる気がする響きがあるから。

「ほら、桜が見えるから花見がここで出来るよ」

「それはちょっと違うような気がする」

「ちょっとは妥協しなさいよ」

「君は僕の部屋で飲み食いしたいだけだろ」

「不思議だね。花を見て飲み食いしたらそれに綺麗な名前が付く」

 人の話も聞かずに君は冷蔵庫からビールの缶を取り出して一本を僕に放り投げる。ぷしゅ、と泡の弾ける音がした。君は花見という名目の癖に花に背中を向けてベッドの下を漁る。

「何か無いの」

「何が」

「酒のつまみ」

「無いよ」

「君は健全だなあ。青少年の為の本しか無い」

「嫌味を言うなら出てけ」

 そう言うと君はビール缶に口をつけたまま本当に出て行ってしまった。僕は少しだけ拍子抜けして、それから桜を見て満更でも無い気持ちになったからビールを口に含む。水の方が潤うだろうに喉は満足を感じたらしかった。何故か君が戻ってきた。手にはおつまみの袋を持っていた。

「どうしたんだ、それ」

「貰った。寮の掃除のおばさんが時々くれるよ」

「へえ。僕は貰った事無いな」

「君は会話すらした事無いでしょ」

「……」

 君は僕を押しのけて窓近くに座る。真っ直ぐに桜を見てビールを煽り、大きな音を立ててつまみの袋を破った。少し黴臭い臭いがした。

「…それ賞味期限は」

「つまみに期限あるの?」

 その返答に僕は頭を押さえたくなった。貰った。成る程、過去形だ。袋を奪って賞味期限を見る。四年前くらいに賞味期限はとっくに終わっていた。

「ねえねえ。消費と賞味の何が違うの」

 どうでも良い事を聞く君を放置して僕は袋ごとゴミ箱に突っ込んだ。「あー」

 君が残念そうな顔をする。

「酷い。食べ物粗末にした」

「四年前の物食べて腹下したいのか」

「そういう問題じゃないよ。君は今五年前くらいに僕に贈られた掃除のおばさんの生温かい気持ちをゴミ箱に捨てたんだ」

 君がわざとらしく憤慨する。僕は正直それは捨てるべきだと思った。じいいいと君が非難がましく僕を見る。やけのように煽ったビールは少し苦く感じた。

「分かった。コンビニ行って買って来る」

「じゃあそのまま花見に行こう。ビールもう無いでしょ。買って」

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「却下」

「何でさ」

「暗くなって帰るのが面倒臭い。僕は鳥目だって知ってるだろ」

 僕の言葉に君は腹を抱えて笑った。君もいっそ鳥目になってしまえと思う。僕の手を君が掴んだ。僕は僕よりも君の手の方が綺麗だと思った。白くて細い指は女みたいだと言ったら君は怒るだろうか。

「大丈夫だよ。僕が君をおぶって帰るから」

 その発言から無理があった。君の目はとろんとしてもう酔っているようだった。

「酔っ払いにおぶられたくないな」

「酔っててもバランス感覚は良いよ、僕」

 やっぱり酔っているらしい。バランス感覚が良くても駄目だろうと思う。平素の君だったらそんなこと言うだろうか。言うかもしれない。

「ねえ、行こうよ花見。帰りなんてどうにかなるよ」君の声がどこか浮くような響きを持って僕に微笑みかける。その声につられるように僕も何となく花が見たくなった。

「まあ、たまにはいいか」

「たまにはいいよ。ほら、行こう。若いうちに動かないと枯れちゃうよ」

 前を歩く君の足取りは危なげで僕はそれを見て少し後悔した。もしかして僕が背負って帰ることになるかもしれなかった。寮を出てコンビニへと歩き出す。君はどこかを見ていた。

「どのあたりがいいかな」

「潮浜公園あたりでいいだろ」

「ああ、あの桜並木は毎年見事だよね」

 他愛も無い事を話してコンビニに到着して各々嗜好品を購入する。君がレジを済ませて自販機を少し淋しそうに見た。「煙草吸いたいな」「未成年だろ」

「それを言うならお酒も駄目でしょ。何言ってるの。もしかして酔ってる?」

「…煙草と違って周りに害をもたらさない」

「ははあ。ずっと前君の部屋に煙草を隠したのまだ根に持ってるんだ」

「そりゃあな。部屋がヤニ臭くなって眠りにくかった」

「ふふ」楽しそうに笑う君の髪を風が持ち上げた。君はまだ酔いが醒めていないような足取りで僕の前を歩いている。がさがさと、君の身体のように両手に持った袋が揺れた。

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 僕達の目的の桜並木は例年のように人で賑わっていた。僕と君は人がいない所を探して歩く。「結構歩いたね」

君の声は少し酔いが醒めていた。歩きつかれてうんざりしているのかもしれない。やっと人の波が消えた。僕たちはシートもひかずそこに腰を下ろした。

 少し乱れた呼吸を整えて、そうしてやっと花見の雰囲気を出そうとしたところで君の顔が固まっていた。凍りついたように君の目が何かを探している。僕はその視線を辿った。ああ。

君の白い腕があった。そしてそれはそこにあるべきものが無くなっていることを指していた。

青い顔で君が立ち上がる。

「ごめん、僕ちょっと探してくるから花見してて」

君は僕の顔も見ずに告げて完全に酔いが醒めた顔で行ってしまう。どこに行くというのか。当てはあるのか。僕は心の中で呟いて背中の桜を仰ぎ見た。見事に咲き誇る桜が綺麗だ。君は一度たりともその桜を見る事は無かったけれど。

「……」

 僕は視線を動かす。用意したビールやつまみの袋からはまるで通夜のような雰囲気が漂ってとても花見を出来る空気では無い。僕は息を吐いた。探し物は大切な物だ。君の家族のたった一つの形見だと僕は知っていた。立ち上がって一瞬どうしようかと考えたものの袋は置いて行く事にした。

 君はすぐには見つからなかった。公園から出ているとは思わなかった。君は汚れるのも構わずに

地べたを這い蹲うアリのような姿で手足を動かして眼球を目まぐるしく動かしている。その目が僕を一度だけ捉えて余裕の無い声で言葉を紡いだ。「何しに来たの」言いながら君はもう僕を認識しないで感覚を集中させて探し物を探す。僕も鳥目なりに真似をした。

「手伝いに来た。二人の方が早いから」

 それから僕と君に会話は無かった。時間だけが過ぎた。何度も同じ場所を探した。花見から帰る人々が怪訝な顔で僕達を見て通り過ぎた。空はすっかり黒ずんでいた。空。顔を上げるのが久しぶりのように首が痛んだ。黒ずんだ空を僕は何となく見詰める。ちらほらと星が見えるが何の星だかは分からない。君が僕と同じように顔を上げるのが分かった。

「あ…」

 君の声がした。どこか放心したような声だった。僕は視線を動かした。君はきらきらしたそれを見ていた。君が立ち上がる。君らしくもなく泥臭い姿で、全てを剥いだ君はその公園の柵に掛けられた小さなブレスレットに触れた。

「っ……」

 ぎゅっと君が大切な宝物を抱える様にブレスレットを握り締める。それが君に残されたたった一つの物だった。君は笑顔を作った。少しそれはぎこちなかったけれど僕は見て見ぬ振りをした。

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「下ばっかり探してたから見つからなかったんだ。上見たらすぐだったのに」

「そうだな」

「見つけた人が掛けてくれたのかな」

「多分そうだろうな」

「見つかって良かった」

 君は幼い笑顔を浮かべた。それから僕を申し訳無さそうに見た。

「花見、ごめん」

「気にしなくて良い。また来ればいいし」

 二人で袋を置いた場所に戻った。当たり前だが袋は無かった。顔を見合わせてお互い肩を竦めた。ライトアップもされていないから桜はどんよりと薄暗くなってもっさりとしたその姿が少し不気味だった。時間が時間だから当然か。僕の横で君が言う。

「来年の春やり直ししよう」

 僕は君を見た。

「きっと来年も、桜は綺麗だよ。だから来年、今日の花見をやり直そう」

「それは別に構わないけど」

 桜が今日で終わる訳じゃない。明日でも明後日でもやり直しはできる。そう言おうとして僕はやめた。

 来年という先の未来の約束は、明日の約束よりも天秤に掛けたら魅力的だった。僕達は来年どうしているだろう。卒業しても友情は続いているだろうか。

「じゃ、来年やろう」

「うん。約束をしようよ。子どもみたいに指切りで」

 君が僕に小指を立てて差し出す。僕も君と小指を絡める。本当に子どもの頃に戻ったみたいだった。色々なしがらみを捨ててこうして約束を結ぶ事はとても素敵な事のように思えた。儀式めいた言葉で指を離す。

 君が笑った。

「やっぱり、君の手は綺麗だね」

 それは僕が思った事と全く同じ言葉で、僕も君に向けて笑うしか無かった。

説明
ベーコンレタス(BL)みたいな感じに男しか出てこない作品になってしまいましたが、雰囲気が気に入っています。タイトル通りお花見の話です。
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