帰省語り
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「あら、ずいぶん珍しいものがあるのね」

 声に反応して振り返ると、メリーは部屋の隅で何かを弄っている。近づいてみるとそれは埃を被ったCDラジカセだった。

「あぁそれね。祖父のものよ」

「ずいぶん物持ちが良いのねぇ」

「インテリア代わりに置いておいただけよ。祖父はいつもそれで音楽を聴いてたって父さんが言ってたわ」

「ふぅん」

 実際、こんなものをいつまでも残していたって何の意味も無いのだ。祖父が若い頃ですらカセットテープなんて殆ど使われなくなっていたし、今ではラジオも周波数帯が変更されて、当時の機材では聴くことは出来ない。

「CDだって私たちが生まれる前に無くなったんでしょう。今じゃ音楽を買う時は全てインターネットでデータだけをダウンロードするわけだし。いつまでもこんなもの残しておいても仕方ないかもね」

「あら、こういうのも素敵じゃない。CDの方が音質が良いって聴いたことあるわ」

「そういうのを懐古趣味っていうのよ。そんなの気にするのは一部の音楽愛好家だけよ」

「そんなものかしらね」

 そこまで話して私は荷物の整理を再開した。メリーもすぐに荷物を片付ければいいのに、旅行鞄を適当な場所に置くとすぐに部屋の中を物色しはじめた。田舎の家というものが物珍しいのは分かるが、もうちょっと落ち着いてほしいものだ。

「ねぇ蓮子、これで音楽を聴いてみたいわ」

 しばらく無言でラジカセを見つめていたかと思うと、メリーはそんなことを言い出した。

「構わないけど。私はCDなんて持ってないから、あとで父さんから借りてくるわ」

「楽しみね」

「まぁ、せっかくこんな田舎に来てもらったんだし、こういう前時代的なものに触れてみるのもいいわね。でもとりあえず今は荷物を片付けちゃいなさいよ」

「もう、蓮子ったら何をそんなに急いでるのかしら。こういうところは東京人って感じよね」

 

 

 

 お墓参りの間も、モールを歩いて回っている間も、メリーはどこかそわそわしているように見えた。それでも、東京土産と称して大量の服や雑貨を購入していたが。そしてきっちりと私にも荷物持ちをさせるあたりは抜け目が無い。おかげで両手一杯に紙袋を抱えて帰路につくはめになってしまった。東京にいる間にメリーはどれだけの物を買うつもりでいるのだろう。

「あぁ楽しかった。東京もなかなか面白いところね」

「はいはい。それに付き合わされる私の身にもなってよね」

「晩御飯も美味しかったし。蓮子もお母さんを見習って少しは料理したらいいのに」

メリーの言葉が耳に痛い。私が料理が苦手なことを知っていてこういうことを言うのだから意地が悪い。

「普段は学食に頼りっぱなしだから仕方ないじゃない。それに私が料理をするようになったら、メリーに作ってもらう機会が減っちゃうし」

「なによそれ。私だって蓮子の料理を食べてみたいわ」

「まぁ、気が向いたらね。ところで、そろそろ父さんに話をしてこようと思うんだけど」

 そう言って、何とか話題を逸らそうと試みる。

「CDを借りてきてくれるのね」

「そういうこと。待ってる間にお風呂に入ってきちゃえばどう」

「そうさせてもらおうかしら。よろしくね蓮子」

「ええ。それじゃちょっと行ってくるわ。お風呂は一階の突き当たりだから」

 それだけ言うと私は早足で父の書斎に向かった。

 

 

「ふぅ。たまにはバスタブも悪くないわね」

 決して大きくはない湯船につかりながら、私はラジカセのことを考えていた。忘れ去られた音楽について。過去に取り残された音楽家について。

 時代とともに沢山の音楽が生まれては死んでいった。蓮子の祖父の時代といえば、ポピュラー音楽と呼ばれるものが一世を風靡していた頃だ。少なくとも今は京都に居る限りでは殆ど聴く機会なんてない。東京にはまだそういった前時代のコンサートホールが残っているらしいが、お世辞にも盛況とは言えないようだ。

 ある批評家は当時の音楽をジャンクフードと称した。別の専門家はマスプロダクションミュージックと呼んだ。およそ芸術性とはかけ離れた表現だ。商業的に成功するか否か、音楽の価値は全てそこに集約されていた。そんな時代の音楽だ。

 私が生まれる少し前に、世界的な文芸復興運動が起こった。先進各国はこぞって自国の旧文化を再評価し、途上国は自分たちのアイデンティティをより強固なものにしていった。新茶道もその恩恵にあずかった文化のひとつだ。それ以前は茶道なんてお世辞にもメジャーな娯楽とは言えなかったそうだ。私はあの窮屈な雰囲気が大好きだから、茶道にそんな不遇の時代があったなんて想像も出来ない。そう考えると、私もワールドワイドルネサンスに迎合した人間のひとりなのだろう。

「でも、同時に失われていったものもある」

 声はタイル貼りの浴室に静かに響いた。そしてすぐに消えた。

 

 

 

 メリーが部屋に戻ってきた時、私は運び込んだ十数枚のCDのジャケットを何とは無しに眺めていた。

「いいお湯だったわ。少しのぼせちゃった」

「ずいぶんゆっくりだったわね。せっかくの白い肌が真っ赤じゃない」

「あら、蓮子だってすぐに真っ赤になるわ」

 そういうとメリーは私の横に腰をおろした。ほのかに香る石鹸の匂いは、数年前まで私がいつも身にまとっていたものと同じだ。メリーからその懐かしい匂いがするのがなんだか不思議で、何故か少しどぎまぎしてしまう。

「そんなに近寄られても暑苦しいわ」

「湯冷めしたらかなわないからね」

「何よそれ。いいわ、私もお風呂に入ってきちゃうわ。そこの毛布は自由に使ってくれて構わないから。あと、CDは大切に扱ってくれって言ってたわ」

 らしくない緊張で、つい言葉が早口になってしまう。

「分かってる。今じゃもう手に入らないものですしね」

「そういうこと。それじゃ、すぐ戻ってくるから。適当に聴いてるといいわ」

 それだけ言うと着替だけ持って部屋を出た。少しお風呂で頭を冷やそう。

 

 

 

 普段より少しだけ長い入浴を終えると、部屋の電気が消えていた。もうメリーは眠ってしまったのかとも思ったが、かすかにラジカセの音が漏れている。私はゆっくりとドアを開けた。

「メリー」

 呼びかけるとメリーはゆっくりとこちらに視線を向けた。毛布にくるまって壁に背を預けている。廊下から入るわずかな光だけでは、その表情まで読み取ることは出来なかった。

「おかえり、蓮子」

「どうしたの。電気を消してそんなふうに縮こまっちゃって」

「暗い方が、音に集中出来る気がしたの」

 静かにドアを閉めて、メリーの横に座る。ラジカセからは小さい音量でも分かるくらい騒々しい音楽が流れている。

「これ、なんて人の音楽」

「知らないわ。すぐに電気を消しちゃったから、まともに選んでなんかないの」

「ふぅん。でもやけに騒がしい曲調ね。ロックっていうのかな、それともジャズなのかしら」

「最初に再生した時は音が大きくてびっくりしちゃった。この頃の音楽って凄く音が大きいのね」

「音は大きければ大きいほど迫力があると思われてた時代だからね。今じゃ信じられないわ、こんなのっぺりした音楽」

 私がそういうと、メリーは少し表情を曇らせた。

「どこに行っちゃったのかしらね」

「何が」

「こういう音楽よ。今じゃまず聴くことはないじゃない」

「そうねぇ。せいぜい流行らないカフェでこっそりかかってるくらいだものね」

 メリーは視線を落として何かを考えているようだ。私はタオルで髪を乾かしながら、聴くともなしにその音楽を聴いていた。

「音楽って、どこにあるのかな」

 最後の一曲が終わった後に、静かにメリーは口を開いた。

「抽象的な質問ね」

「だって不思議じゃない。例えば楽譜は音楽かな。CDは音楽かな」

「確かにね。音楽という言葉はとても曖昧な言葉ね」

「そう考えると、音楽はそれが演奏されている間か、私たちの記憶の中にしかないわ」

「うん」

「じゃあ、こうして誰にも演奏されることが無くなって、誰からも忘れ去られた音楽はどこへ行くのかな」

 そこまで言って、メリーは次のCDをラジカセに入れた。喧しい打楽器の音と、それに負けないくらい喧しいエレキギターの音が流れ始める。ボーカルは力の限り何かを叫んでいるが、あまりに滑舌が悪くて何て言ってるかなんて全く聞き取れない。

「なんていうか、うまく言えないんだけど」そう言ってメリーは一度言葉を区切る。「そんな忘れられたものが集まる場所があったら、それってとても素敵だと思わない」

「物理屋にそんな話題を振るのも変な話ね」

 私がそう言って茶化すと、メリーは拗ねたような眼で私を見つめた。やれやれ。

「でも、確かにそんな場所があったら素敵ね」

 

 

 

 

 翌日、朝食を済ませた私たちは物置を漁っていた。幼い頃にこっそり物置を漁っていた時に、古ぼけたエレキギターを見つけたことを思い出してメリーに話したら、見てみたいとせがまれたからだ。そんな訳で私はメリーに汚れてもいい私の古着を着せて、物置の中を調べていたのだ。

「おかしいわねぇ。たしかこの中にあったはずなんだけど」

 かれこれもう二十分は物置の中を探していたが、目当ての物は一向に見つからなかった。二畳あるかないかという小さな物置だ、これだけ探して見つからないのはおかしい。

「もしかしたら、片付けられちゃったのかもね」

「そう」

 もっと残念がるかと思っていたが、さほどメリーは気にしていない様子だ。

「なんなら母さんか父さんに聴いてみようか。それでも無ければ今日は楽器屋さんに行ってみてもいいし。京都には無いような古い楽器屋もあるから、そこでなら見つけられるかも」

 そう提案するとメリーはしばらく悩んでいたが、別にいいわと却下した。だって、とメリーは続ける。

「だって、そのギターもどこか忘れられた世界に行ってしまったと思う方が素敵じゃない」

「そんなものかしらね。あ」

 適当に相づちを打った時、視界の隅に何かが映った。手を伸ばしてそれを拾い上げる。

「なに、それ」

「ピックよ。ギターはこれで弦を弾いて演奏するの」

「へぇ。ねぇ、それ貰ってもいいかな」

「別にいいとは思うけど。でも、だいぶ汚れてるわよ」

「いいの。亀の絵も可愛いし。縁起物よ」

 そう言うメリーの表情は、まるで宝物を見つけた子供のように無邪気な笑みを浮かべていた。

「こんな東京土産も悪くないわ」

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東方 秘封倶楽部 蓮子 メリー 

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