【まどか☆マギカ】Bonnie and Clyde【杏ほむ】 |
杏子が運転する軽トラは、練馬で関越に上がって北を目指して走っていた。
濃い色の遮光シールが貼られた窓は、夜道では真っ黒な板にしか見えず、
ときどき横を走り抜けていく車の運転手たちも、
ブルーシートで包まれた何かの機材を荷台に載せた軽トラが、
まさか女子中学生によって運転されているとは思わないようだ。
杏子はトッポをつまみながらハンドルを握り、
ほむらは黙々とiPhoneでメールを書き続けている。
杏子はトッポの袋に手を伸ばし、ほむらはフリック。
杏子はトッポの袋に手を伸ばし、ほむらはフリック。
杏子はトッポの袋に手を伸ばし、ほむらはフリック。
トッポが尽きた。
「……なあ」
最後のトッポを食べ終わった杏子が、あくびしながら、ほむらに声をかける。
「――何?」
「この車、音は鳴らねぇのか? ラジオとか、CDとかさ」
「CDは最初からついてない。ラジオはこの前ので壊れたわ」
「あー、あれか。ありゃあ、ヤバかったもんな」
「ええ」
「でさ」
「何?」
「音とか、鳴らねえかな」
「あなたのShuffleはどうしたの」
「この前ので天に召された」
「そう」
杏子はハンドルをトントンと指先で叩きながら、
もういちど大きくあくびをする。
「眠くなってきちまったよ」
「次のICで交代してもいいわ。
三芳か高坂あたりで、コーヒーでも買うついでに」
「いーや、あたしが転がす。お前の運転だけは、もうこりごりだ」
「こう見えても、私、タンクローリーも運転したことあるのよ?
ちゃんと目的地まで着いたわ」
「そもそもタンクローリーを運転するってところがおかしいだろ」
「今度は、安全運転を心がけるわよ」
「お前さ、オービスとかあるの、知ってるだろ?」
「どうせこの車も、見滝原に戻ったら捨てるのよ?」
「そういう問題じゃねぇよ」
「公権力に咎められたら、凶器準備集合罪なんかじゃ済まないわ。
法定速度違反程度、気にする必要なんてない」
「だからさ、そういう問題じゃねぇんだってば」
ほむらは肩をすくめる。
「あなたの判断基準は、ときどき、さっぱり分からなくなる」
「さっぱりわからないよ、か」
少女たちは、クスクスと笑い交わした。
「なあ」
杏子の大あくび。
「――何?」
「眠くなっちまった」
「私のTouchでも使う?」
「いいね」
「充電切れてるけど」
「ダメじゃん」
「充電する余裕がなかったのよ」
「それもそうか」
「エネループもブースターも使い切った。
シガーソケット用のコネクタを手に入れておくべきだったわね」
「じゃあ、そうだな……『あ』でスタート。お前からな」
「――はい?」
「歌でしりとり。『あ』で始まる歌。さ、どうぞ」
「♪あかいくつ はいてた おんなのこ♪」
「……もういいや」
「なあ、暁美ほむらさんよ」
「高坂で一休みする? 三芳ならもう車線移っておかないと」
「いや、そうじゃなくてさ」
「――何?」
「さっきからお前、ずっとそれ触ってんの、またメールか?」
「ええ」
「また、新しい男かよ」
「ええ」
「懲りねぇなあ」
ほむらは、黙ってフリック。
「なあ、もうちょっとさ、決まった相手と、長く付き合うとかさ。
あと、もうちょっとカタギな感じの男を選ぶとかさ」
黙ってフリック。
「どうせまたチャラいヤツなんだろ? いつもみたいな?
あの手の野郎は、お前にゃ似合わねぇよ」
フリック。フリック。
「またお前、部屋から有り金全部盗まれて、逃げられるぜ?
そりゃあたしらは、カネなんてどうとでもできるけどさ。
あの手のはな、ヤの字からヤクとか仕入れてて、じきに売り上げに手ぇつけちまうのさ。
それで、最後はコンクリートのソックス履かされて海にドボン」
「――杏子、あなた、変な漫画読み過ぎ。それに、見滝原に海はないわ」
「じゃあ利根川だ。
いやさ、マジだって。闇金なんちゃら君、あれかなりマジなんだって」
「ソープに売られないように気をつけるわ」
「ソープごとふっ飛ばしちまうようなヤツが、何を殊勝なこと言ってやがる」
「その手があったわね」
ほむらは忍び笑い。杏子はため息。
北に向かうにつれ、外を流れる明かりがだんだん少なくなる。
時折、大型のトラックやタクシーが、軽トラを追い越していく。
「――ねえ」
「何だ?」
杏子はちらりとほむらを見る。
「巴マミは、何を望んだのかしら」
「知らねぇよ。知りたくもない」
「彼女は、交通事故に巻き込まれて瀕死の重傷を負って、
そのときにインキュベーターに勧誘されたと言っていたわ。
願い事に、選択の余地なんてなかった、って」
「だったらお前、『助けて』みたいな感じじゃねーの?」
「あなたも、巴マミの部屋に行ったこと、あるでしょ」
「あぁ。ケーキが美味かった」
「あの部屋、彼女一人の部屋にしては、広すぎる」
「……そうかもな」
「洗面所に、歯ブラシを立てる台があった。
4本まで立てられるようになっていたわ」
「男がいたんだろ」
「だったら2本で十分よ。
巴マミには、あそこで一緒に暮す、家族がいたんだと思う」
「おい――」
「でも、今はいない。事故に巻き込まれたのは、家族全員だったのかもしれない」
「おい!」
「でも」
「でも、じゃねぇよ。わかったよ。なら言ってやる。
『少なくともあたしの前で、他の女のことを口に出すな』。オーケー?」
「――ごめんなさい」
「人様の台所事情に立ち入るもんじゃねぇよ。
他所は他所、うちはうち、だ」
「……そうね」
「もう、今更考えたって、仕方ねぇ。仕方ねぇんだ。
そういうことは、世の中には一杯あるってことさ」
「なあ」
「――何?」
「音とか、鳴らねえかな」
ほむらはタッチパネルをフリックする指を止めると、数回画面をタップした。
ダッシュボードを探り、小さな外部スピーカを取り出すと、ジャックにつなぐ。
ボリュームを上げると、スピーカーからくぐもった音で音楽が流れ始めた。
「これが精一杯ね」
「なんだ、いいじゃん。言ってみるもんだな」
「何かリクエスト、ある? こっちにはほとんど音楽入れてないけど」
「何でもいい。なんかこう、テンションがわーっと上がるのを頼む」
「そういうの、普通は『何でもいい』って言わないわよ」
ほむらはブツブツと言いつつ、何度か画面をタップする。
やがて、スピーカーからトランス系の音楽が流れ始めた。
「へえ、そんなのも入れてんのか」
「インターネットラジオよ。Digitally Importedなんて何年ぶりかしら」
「何年って、お前、何歳だよ。
……って、ああ、そうか。いや、なんでもない」
「気にしないで」
チープなスピーカーから流れるシャリシャリしたリズムにあわせて、杏子は軽くアクセルを踏み込んだ。
荷台に残っていたのだろう12.7mmの薬莢が、カラン、カランと音をたてる。
「ねえ、杏子」
「ん?」
「高坂は入らないの?」
「寝てもいいんだぜ? お前のほうが疲れてるだろ」
「あなたこそ。コーヒーとか、お菓子とか、その手のものはいらない?」
「コーヒーはいらねぇ。でもポッキーが食いてぇ。トッポじゃダメだ」
「最後までチョコたっぷりなのに?」
「それがいまいちピンとこねぇんだわ」
「不思議ね」
「お前だって、コーヒーに牛乳入れただけですっげー怒ったくせに」
「貴重なモカをコーヒー牛乳にしちゃうだなんて、生産者への冒涜よ」
「ふーん。不思議なヤツ。あ……」
「あ……」
「高坂、過ぎちまったな」
「そうね」
「まあ、いいか。次のICに入ろう」
「ICじゃ、ポッキーはないかもね」
「コーヒー牛乳でも買ってきてやるよ」
「――ねえ」
「何だ?」
「あなたは、メールしないの?」
「は?」
「今度の彼も、ずいぶん可愛い子だったじゃない」
杏子の顔が真っ赤になった。
「……おま」
「あなたの趣味も、ずいぶんと筋金入りだと思うわ」
「悪かったな」
「ちゃんとメールしたほうがいいわよ」
「そんなもんかな」
「そんなものよ。
帰ったら、寝る前にメールしたほうがいいわ」
「メール、面倒じゃね?」
「努力しなきゃ、捕まえておけないわよ」
「お前を見てると、メールなんてしても無駄じゃねーのって、さ」
「そんなこと、ないわよ」
「そんなもんか」
「そんなものよ」
「帰ったら飯食って、風呂入って、眠りてぇ」
「私が代わりにメールしてあげてもいいわ」
杏子が激しく首を横に振る。
「勘弁」
「でもそうね、食事して、シャワーを浴びて――眠りたいわね」
「まったくだ」
「ねえ、杏子」
ほむらは、あくびを噛み殺す。
「ん。寝ていいぞ」
「……うん」
「あたしなら大丈夫さ。1つ貸しってことにしといてやる」
「ごめんなさい」
「仕方ないさ。いろいろ、あったもんな」
「いろいろあったわね……」
「でも、いい狩りだった。見滝原にはあんな大物はいねぇからな」
「ええ」
「また、一緒に行こうぜ。誘ってくれよ」
「ええ……」
杏子は座席に腰を落ち着けなおして運転に集中し、
ほむらはひざ掛けを胸元まで上げて、背もたれに深くよりかかった。
タイヤの下をゴーゴーと流れるアスファルトの音と、
スピーカーから響く薄っぺらいビートが入り交じり、
夜の闇の中に溶けていく。
ふと、杏子は隣を見た。ほむらは、まだ起きている。
「なんだ、寝れないのか? 音、切ってもいいぜ?」
「――いえ、そのままでいいわ」
「寝れるときに寝とけ。本当にヤバくなったら、どこかのICにでも避難すっから」
「ええ」
「それとも何か、気になることでもあるのか?
魔獣につけられてるとか? そんな気配はしねぇけどな」
「それは大丈夫よ。さっきから定期的に確認してる。
もし追ってきたとしても、まだRPG7が1発残ってる。問題ないわ」
「問題あるんだかないんだか。
じゃあ、何だよ。何が気にかかってんだ」
ほむらは少しだけ逡巡したが、
髪をまとめていたリボンを解いてポケットに入れると、
意を決したかのように口を開いた。
「――杏子」
「ん」
「帰ったら――あなたのベッドで一緒に寝てもいい?」
杏子は、ぷっと吹き出す。
「ああ、いいぜ。
ただしエロいのは抜きだ」
「ええ、本番は抜きで」
「本番以外もダメだっつーの」
「ケチ」
「いいから、とっとと寝ろ」
ほむらは小さく笑うと、ため息をつくようにゆっくりと息を吐き、
そしてふっつりと眠りに落ちた。
杏子はiPhoneの電源を切り、静寂に包まれた闇の中を、走る。
北へ。見滝原へ。
「――帰ろうぜ、暁美ほむら」
杏子は、アクセルを踏んだ。
(了)
説明 | ||
魔獣出現後のほむほむ×杏子なSSです。前二つからの連作になりますが、単品でも大丈夫かと。明らかに大都会GUNMAはMAEBASHIな見滝原から、重武装でTOKYOに魔獣狩りに行った二人が、盗んだ軽トラにM2ブローニング機関銃乗せて夜道を帰ってくる……そんなお話。 | ||
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