カイロ |
翼はぐるりと部室の鍵を回した。かちゃり、と鍵の閉まる音がする。
吐く息が白い。もう随分寒くなって、ひとつひとつの動作が遅くなる。
そう―――ただ寒いからだ。こんなにも動きが遅く感じるのは。それだけ。
『さみーから早く帰ろうぜ』
鍵を閉めて振り向いても、そんな言葉がかけられないからじゃ、決して無い。
肩を竦めて、ぐるぐる巻きのマフラーに首を埋めた姿がそこに無いからでは、決して。
―――いつもだったら。
部活が終わって、部室の鍵を閉めるのは部長の翼。柾輝はいつもそれを待っていた。そして一緒に帰るのが常だった。別にはっきり約束を交わしたわけじゃない。ただいつの間にかそれが当たり前になっていた。
一緒に職員室に鍵を返しに行って、途中まで一緒の道を、他愛もない話をしながら二人で帰る。身体に染み付いてしまった習慣。
――― 一人で歩く職員室への道は、遠く、暗く、寒かった。
言葉が多い方じゃないのに、一緒に居ると、独りじゃないと思えるのは何故なんだろう。
あいつと一緒に居ると、どうしてあんなに居心地がいいのだろう。
答えは、もう随分前に出ているのだけれど。
やっと職員室に辿り着いた。残っている教師に軽く会釈をして、鍵をいつもの場所に掛ける。職員室は暖かくて、出て行く足は進みが遅い。だが、帰らなくてはならない。
……ひとりで。
―――……寒い。
きっかけは些細なことだったと思う。キツイ言い方をする翼を、柾輝が遠回しに軽く諌めた、その程度。
そんなの日常茶飯事で、柾輝は翼のストッパーみたいなところもあるから、いつもは大人しく止められてた。
……でも、今日は何だかそれに腹が立ってカッとなってしまった。売られてない喧嘩を勝手に買って、得意のマシンガントークで柾輝に散々なことを言い散らした。柾輝は唇を結んで俺を見てたけど、俺が言葉を切ると数瞬の間を置いて俺に背を向けた。
離れていく柾輝の背中に、俺は内心しまった、と思ったが、どうしようもなかった。
その後の部活では、俺と柾輝の視線が絡むことはなかった。チーム全体が、ぎくしゃくして噛み合わないまま、部活は終わった。
そして、気が付いたら柾輝はもう帰っていた。
全面的に、自分が悪い。
だが、反省しても謝罪する相手は目の前にいない。
例えいたとしても、素直に謝れるかも自信が無い。
いつもは思わないが、こんな時自分の性格は損だと思ってしまう。
意地を張って、いいことなんかひとつもないのに。
『翼』
いつものように、自分を呼ぶ声が無いのがこんなにも寂しいだなんて。
それが無くなってから気付くのは、愚かだ。
翼は、校門に差し掛かった。
「翼」
脳の中に響いていたのと、同じトーンの声がする。吃驚して声のした方を見ると、今思い描いていた通りの姿がそこにあった。
「マサキ―――」
校門に寄りかかって立ち、手にはコンビニのビニール袋。
ぐるぐる巻きのマフラーに首を埋めた、柾輝がいた。
「寒いだろ?」
そう言って、柾輝は手にしていたコンビニの袋を差し出した。まだ驚きから醒めていない翼は、黙ってそれを受け取り、中身を覗き込んだ。
温かい空気が、翼の顔を包み込んだ。白くて、ふかふかしてそうな、肉まん。
「……僕、猫舌なんだよね」
翼は、精一杯、何でもないいつもの自分を作った。
そうしないと自分が崩れてしまいそうで恐かった。
柾輝は、口の端を上げて笑う。柾輝は、これくらいで気を悪くしたりしないから。
「手、冷たいだろ?あっためとけよ」
言われて、肉まんを袋ごと手で包む。温かさが手から全身へと伝わる気がする。その温かさは肉まんのせいだけではない。
もう、寒くない。柾輝がいるから、寒くなくなった。
「僕、肉まんよりピザまんのが好きなんだよね」
憎まれ口をきくのは、甘えてるのだ。言葉の表層しか見ない奴には、こんな言い方はしない。もししたとしたら、それはわざとだ。でも、柾輝はそんな奴じゃないから。
自分の思うところを、間違わず受け取ってくれるから、甘えられる。
………甘えて、しまう。
「冷めたら俺が食うさ」
「食べないなんて言ってないよ」
こんな、勝手な物言いも、してしまう。
本当は、今日の部活でだって、甘えていたのだ。柾輝なら許してくれる、どんなことを言っても笑ってくれると、甘えていた。だから酷いことも言った。
だが、今日、柾輝は黙って去った。
本当のところはどうかわからないけれど、俺の柾輝に対する度の過ぎた甘えに気付いたのだろうと思う。遠慮のいらない間柄だからこそ、互いへの気遣いを忘れてはならないのだ。それを忘れていた俺を戒めたのだと、思える。
―――どっちが年上なんだか。
「マサキ」
「ん」
並んで歩きながら、ひょい、とこちらに顔を向ける柾輝を真っ直ぐ見上げた。
いつも通り、隣にいる柾輝の顔。変わらない、柾輝。
「………ごめん」
「―――ん」
顔を前へ向けて、柾輝はそう軽く言った。
そうしてまた、二人で並んで冬の始まる道を歩いていく。
いつものように。
説明 | ||
以前笛サイトに置いていた柾翼もサルベージ。今は夏ですが冬の話。 | ||
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