とある勇者と魔王の事情-名も無き少女と少年の場合- |
破壊され、荒れ果てた国。その中で年端のいかない少年は立ちすくしていた。
木製の建物は無残にも打ち砕かれ、かつて人だったモノは壊れた人形のように地面に横たわっている。
死の漂う空間で、息をしているのは少年ただ一人だった。
長く伸びた銀の髪の間から、五色に光る角が生えていた。その角からもれる強い光が、少しずつ収まっていく。
「……どうして」
ポツリと少年は虚ろに呟く。
「どうして、僕を……」
少年の目から、涙がこぼれ落ちる。しかし、誰も少年の悲しみを慰める事は出来ない。
彼が最も頼りにしていた人物も、今は黙って冷たくなっている。その人物はこの国が破壊される直前、少年に言った。
『お前がこの世界の毒だ』
振り下ろされた小刀。それが少年の頭上に振り下ろされる前に、眩い光が国中を包み焼いた。
無意識に少年が、自分の故郷を滅ぼしたのだ。
その強大過ぎる魔術は、太陽の光でさえ打ち消した。
『お前の力のせいで、全ての生物は滅んでしまう。──だから、こうするしかないんだ』
少年の足元には、ついには彼を傷つける事が無かった小刀が、炭となって砕かれている。それが、少年の魔術力の恐ろしさを物語っていた。
「僕は……」
ただ、死にたくなかった。
一つの国を一夜で灰にした少年の話は、瞬く間に広がった。
人々は少年を恐れ、『魔王』と呼び忌み嫌った。
ある国は軍隊を出し、またある国は凄腕の暗殺者を雇った。だが、全ての刺客は少年の魔術の前に倒れた。
少年の力に敵わないと悟ると、今度は生贄を差し出した。
幼い子供。若い娘。
彼等は皆、魔術力の弱い故に身分の低い者達だった。
魔術力の弱いものが『魔王』の側に近づいたらどうなるか。彼等は三日も、その命は持たなかった。
泣き叫びながら衰弱していくさまを、少年は悲しげな瞳でじっと見つめている事しか出来なかった。少年が手を取り、慰めようとした瞬間に彼等は寿命を削り取られてしまうからだ。
いつからか、少年の感情は凍った。
生贄が死ぬ度に、新しい生贄は絶えず送られてくる。
死の恐怖に怯え、震える彼等を見ても、少年の心に同情の念は無くなっていた。
ただぼんやりと、また来たのかと思うだけだった。
こんなもの送らなくても、自分は何もしないのに。
そう思いつつ、少年は衰弱していく生贄達を冷めた目で見続けていた。
月日は流れ、少年は青年へと成長した。
小さかった手足は細くしなやかに伸び、幼かった顔付きもどこか影の有るものへと変化した。だが、紅の瞳は依然何も映さず、未だ送られてくる生贄の最期をぼんやりと眺めていた。
頭から生える角も、青年の成長と共に長く伸びた。同時に、青年の魔術力も更に増していた。
その為、生贄が衰弱していく間隔も短くなっている。最悪、目の合ったその瞬間に命を失う者もいた。
青年の力によって殺された国は草一つ生えず、太陽や月の光も暗雲で閉ざされたままだ。
いつしか人々はその国を、神々に見捨てられた土地『地の果て』とささやいた。
しかし、青年にとってはそんな事はどうでもいい話だ。
ただ、いつか自分にも訪れる終わりの日を、静かに心待ちにしていた。
彼はもう全てに疲れていたのだ。
その日、新しい生贄が遣って来た。
青年より少し年下の少女だった。彼女はボロボロの衣服に身を包み、身体には沢山の痣があった。
そして何より、他の生贄達と全く違う事があった。
少女には、魔術力の気配が一切無かった。
青年は思った。何の感情も込めずに。
すぐに死ぬな、これは。
それだけだった。少女の自分を見る柔らかな視線や、痛々しい身体の傷など、どうでも良かった。
「あの……」
小鳥のさえずりのような声だった。
少女が意を決したように、青年の身体へと手を伸ばす。
青年は驚き、少女の手から逃れる。その動作に五色の角は光り、辺りに突風が巻き上がる。
「きゃっ!?」
しまった!
少女の悲鳴に、青年は我に帰る。
無意識に抵抗力の全く無いだろう彼女に、魔術を浴びせてしまった。
自然に冷たくなっていく生贄には見慣れてしまっていても、自らの手でとどめを刺してしまうのには、青年の心に抵抗があった。
青年の中に、焦りと後悔の色が浮かぶ。
だが、青年は目を疑った。少女はその場で立っていた。
怪我や衰弱した様子も無く、ただ突風に驚いたといった様子だ。
少女の無事を確認し、青年は安堵する。しかし、それをあえて顔には出さず、少女を冷たく睨みつける。
「死にたくなければ、私に近寄るな」
「……でも」
不服そうな声を出す少女に背を向ける。これ以上、顔を見たくない。
驚いた事に、それから数日経っても、少女は倒れなかった。顔色も依然として明るいままで、衰弱していっている様子は、欠片も無かった。
時々、青年は彼女と顔を会わせる。そして、その度に彼女は微笑むのだ。その笑顔が、少しずつ青年の心に入り込んでいく。
この少女に触れてみたい。
そんな想いが、青年の中で日に日に増して行った。
しかし、青年は踏み止まる。少女をこの手で触れれば、すなわち、彼女に死の時を与えるという事なのだから。
彼女を失うのが、青年にとって一番の恐怖となっていた。
だかある日、ついに青年は耐え切れなくなった。
「私はお前に触れてみたい」
突然の申し出に、少女は少し驚いた表情になった。
「ただ、私のこの力は、全ての生き物に触れるだけでその命を消し去ってしまう。──お前の命も……」
少女はすぐには答えなかった。当然だろう。
自ら進んで死を選ぶ者など多いはずがない。
少女の沈黙に、青年は自嘲気味に笑う。
「お前が拒否すれば、私は引き下がる。そして、二度とお前に触れようなどとは思わない」
「……私は」
少女が口を開いた。
「私は、魔術力が無いせいで、誰にも抱きしめて貰った事が有りません。だから、私は本当の事を言うと、生贄に選ばれた時、嬉しかったんです」
少女の告白に、青年は目を見開く。少女は言葉を続ける。
「貴方は生贄を抱きしめ、その腕の中で命を吸い取ると、私の国では恐れられてました。けど、誰かの温もりを感じられる事が出来るのなら、私は『死の抱擁』も怖くないです」
小さな身体は震えていた。死の恐怖は、まだ少し有るのだろう。だが、それに反して少女の顔は穏やかなものだった。
「ですから、貴方が私に触れたいと言って下さって、私はすごく嬉しいんです。大丈夫です。私は、貴方に抱きしめて貰いたいんですから」
青年の手が止まる。
少女の願いを聞き、青年は益々彼女を失いたくなった。それと同時に、彼女の温もりを感じたいという想いも強くなった。だが──。
「お願いします」
彼の迷いは少女の一言で消えた。息を呑み、そっと彼女の小柄な身体を抱きしめた。久しぶりに伝わる、他者の温もり。──そして、少女の温もりは今この瞬間に、永遠に失うのだ。
口の中が苦い。胸が張り裂けんばかりに痛い。後悔という強い感情が、青年を責める。
「……すまない」
もう耳には届いていない謝罪を、少女の耳元でささやく。
「──────────ありがとう、ございます」
驚き、青年が腕の中を覗き込むと、少女は微笑んでいた。
「温かいです。人に抱きしめて貰う事って、こんなにも嬉しい事なんですね」
晴れた青空を閉じ込めたかのような少女の瞳から、涙が一筋零れ落ちた。
少女の心地よい温かさが、少年の凍りついた感情を溶かしていく。
一人はずっと寂しかった。誰かと一緒に生きていたい。
青年は少女を強く抱きしめ、言った。
「ありがとう」
そして『孤独な魔王』は、いなくなった。
人々は語り、伝える。『魔王と勇者』の物語を──。
【了】
説明 | ||
これでひとまず完結でした。世界観が気に入っているので、今後続編を書いていこうと思ってます。 | ||
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