新世代の英雄譚 六話 |
六話「盗賊討伐と魔術」
「第一詠唱。雲間より我を見下ろす天つ神の刃……」
厳かな詠唱と共に、ステッキが空高く掲げられる。
地面に浮かび上がった、素人にはまるで意味のわからない魔方陣が亜麻色の光を帯び、風が吹いた。
「最終詠唱。光の剣を定義する。雷光(ライトニング)」
詠唱が終わり、ベレンが魔方陣の描かれた地面をステッキの先で突くと、一筋の閃光が天より召喚される。
雨雲もないこんな昼間に、雷が落ちる筈がない。間違いなく、彼女が人為的に落としたものだ。人知を超えた力を用いて。
「この力を全くご存知でない、ということはない筈デス。ワタクシ達の言葉を使えば、魔術。他の呼び方には魔法、占星術、呪術、神の奇跡、妖精の悪戯……その本質は、数学や物理学の発展、完成形。教会が禁止し、その記録さえも焼き切ってしまった禁断の学問デス」
雷は確かに落ち、地面を焼いたのにも関わらず、その跡は残っていない。
それだけではなく、魔方陣も今では消え失せていた。
「魔学。あらゆる産業で劣り、民族的に小柄で力を持たない者が多い我が国が、この時代までどの国の侵攻も許さず、存亡して来た所以デス」
どこか寂しげに語ると、ベレンはそっとルイスを見た。この国の人間の持つ、一般的な価値観しか持ち合わせていなかった少年が、異端の力にどの様な反応を見せるのか、観察する為に。
「すごい」
畏怖。恐怖。或いは軽蔑。
ベレンの予想していた反応と、ルイスが返して見せた応えは、まるで違っていた。
無邪気に自分を称賛する彼に、ベレンは困惑することしか出来ない。
「手品なんかより、よっぽどすごい力だよ。魔術って、おとぎ話じゃなかったんだね」
「は、はい。ワタクシの国では、平民でも簡単に魔術教育を受けることが出来、魔学は生活の至るところに応用されているのデス」
実際に魔術を見てしまえば、怖気付いてしまうだろう。そう思っていたのに、ここまで感動されてしまっては、何故だかこちらまで嬉しくなってしまう。
ベレンはステッキと、濡れた前髪の先を弄りながら、小さく笑いを漏らした。
「今のは、すごく教科書的な唱え方で、本当は詠唱の段階の宣言は必要がないデスシ、頭の中で明確なイメージと、それを制御するだけの才能や精神力があれば、魔術の名前を唱えるだけでも大丈夫だったりするのデス。たとえば、こんな風に」
再びステッキを掲げ、魔方陣を展開する。
「火風(ドライストーム)」
魔方陣がザクロ色の光を持ったかと思うと、それが唸りを上げ、乾いた温風が駆け抜けた。
それがルイスのシャツを撫で、プラチナブロンドの髪を揺らし、ズボンをたなびかせて、その水分を完全に蒸発させる。
同じ風がベレンの体と、干されていた彼女のマントとスカートにも吹き、同様に服はからっと完全に乾燥させられていた。
「すごい、こんなに便利なんだ……」
「ものすごい頭脳労働をしているのと同じなので、あまり連発は出来ないのデスガ……ワタクシは、その為に昔から勉強と単純計算ばかりさせられて来ましたので、他の使い手よりは長持ちする方だと思います」
どこか得意気に言うベレンの顔色は良く、疲労の色は見えない。
むしろ、濡れていた所為で体温を奪われていた今までの方が調子が悪かったようだ。
「……あ、ワタクシは、自分の力を自慢したいのではなかったのデシタ。相手もこれと同じ術を使う可能性が高い、というお話デス。魔術は他国の人には全く馴染みのあるものではない為、簡単なものだけであったとしても、扱えれば戦闘上の大きなアドバンテージとなり得ます。だから、戦いや盗みを生業とする人は、身に付けていることが多いのデス」
「確かに、さっきの雷の一つでも落とすことが出来れば、間違いなく隙を作れるしね……ロレッタもそんな相手とは戦ったことないだろうし、確かに危険だな」
少し考えてみても、ルイスには有効な作戦など立てられない。
戦闘経験豊富なビルなら、或いは違った結果が出たかもしれないが、あいにく彼は今、戦力になりそうにない。
「はい、危険デス。だから……」
それ以上ベレンが言葉を紡ぐのを、ルイスの人差し指が塞いだ。
「でも、引かないよ。そんな賊を野放しにしてたら、もっと多くの盗みが起きてしまうから」
たやすく、ルイスは言い切って見せた。
さも、そう言うのが当然であるかの様に。
「…………ワタクシは、ルイスサンの旅の目的は、すごく素敵だと思うのデス」
それは、ルイスもわかっていた。
彼女は笑うことも、ロレッタの様にルイスらしいと言うこともせずに、ただ憧れる様に彼を見ていたのだから。
少なくとも、旅の目的を馬鹿にしているのではないということはわかる。
「それでも、正義の為に命を落とすのを見過ごす訳には出来ません。正義は高潔で、美しいものデスシ、そうあるべきデス。でも、その為に死ぬのは、何か違うと思います」
ベレンはほとんど懇願する様に、目の端から雫を流しながら言った。
その心にあるものは、責任感だ。昨夜、ルイスと知り合わず、今日も彼と出会わなければ、彼は諦めて旅を再開していただろう。
それなのに、運命は二人を二度も引き合わせ、魔術の秘密まで暴露することとなった。そしてそれにも関わらず、ルイスは賊を捕まえるという。
「勝手なお願いなのは承知しています。ワタクシは、あなたに一度は武器を向け、その命を狙ったのに、今度は命を大事にしろなんて言う……。でも、ルイスサンにはどうか、これからも旅を続けて欲しいんデス」
もう涙は止まらない。
歪む視界の中でルイスを見ると、彼はそっと腕を伸ばし、ベレンの細い背中に回した。
体が抱き寄せられ、薄いながらも、確かな硬さのある男の胸板が額に当たる。
「大丈夫。僕は死ぬつもりなんてないよ。それにさ、ベレン」
泣き止ませる為に頭へと手を置き、より強くその華奢な体を引き寄せた。
「君は、本気で僕を殺そうと思ってたかな。あの仕込み杖なら、背後からいきなり斬りかかって、首を落とすことだって出来たのに」
「……!」
涙で瞳を潤ませ、鼻を鳴らしながら、ベレンは絶句する。
彼女の吐いた嘘は、もうそのほとんどが自らの手で明かされていた。
その最後の一つが、静かに綻びを見せた瞬間だった。
「まあ、実は結構ついさっきまで、恐ろしく利己的だなーとか思ってたんだけど、今はわかる。完全にその逆だよ」
利己的の逆。献身的?いや、それ以上のものがある。自己犠牲的、とでも呼んだ方が正しいのかもしれない。
「君には魔術があって、丁度あの時、他に人は居なかった。雷を僕の頭上に落としたら、それまでだったよね。だけど、あんな目立つ戦い方をした。ああやってお昼まで時間を稼いで、他の人に見つかって衛兵を呼ばれて、捕まえられる。それか、僕に返り討ちに遭う。そのどっちかを期待していたんだよね」
どちらにしても、待っている結末は死か、虜囚の身。
頭が回り、他人にはない力を持つ彼女が取るにしては、不自然なほどに愚かな行動。
その裏にあるものは、他人の命を、自分のそれに代えてでも守ろうとする異常とすら言える奉仕精神だ。
「さて、僕はもしかしたら、君の命を犠牲にして、助かっていたかもしれないんだよね」
残酷な嫌味を言っているのだという自覚が、ルイスの良心を痛め付けた。
彼女は恐らくそこまで考えずに、自分の無事を願ってくれたのに、今自分はその彼女の言葉を利用して、彼女に反撃してしまっている。
こんなことをする必要があるのだろうか、自分の心に問いかけて、答えを返せず、心で泣く。
「ルイスサン」
ベレンの声は鼻声だった。
「ありがとうございます。ワタクシ、やっぱり馬鹿デシタね……自殺志願者のくせに、命の大切さを説くなんて、救いようのない馬鹿デス」
力なく言って、ベレンはルイスの体から離れて、一人で立った。
まだ顔には涙の跡があるが、もう泣き止んでいるらしい。
「自殺……」
しかしそれよりもルイスは、年端も行かない少女の口から出た、重過ぎる言葉を反芻せざるを得なかった。
辛い思いも今までして来たが、死にたいなどと思ったことは、今まで一度もない。
今のルイスの年の、倍も生きた人間ならば、或いはそう思うのかもしれない、と言ったのはビルだったが、それだっていまいち信じられなかった。
教会によって自殺が大罪とされているから?
違う、そんな人から与えられたものの所為ではない。良心か良識か、そういった内側にあるものがそう言っていた。
「ワタクシが生きて良いのか、そう本気で悩んでいました。ここまで来るのに、何十人という人がワタクシの為に亡くなりましたから。そのショックが大き過ぎて、ちょっとどうにかなっていたんだと思います」
彼女が過去形で話したことに、ルイスは心底安堵を覚える。
今も、そう思っている訳ではない。その意思表示が、嬉しかった。
「ルイスサン。ワタクシは、簡単に人を信じるなと教えられました。人を使う者が、使う人の本質を見極めることが出来なければ、寝首をかかれかねないから。ですけど、あなたは、ワタクシが信じて良い人デスヨネ?人の真心に後ろ足で砂をかける。そんな人間ではないデスヨネ?」
大粒の翡翠の瞳が、真っ直ぐにルイスを見つめた。
どんな嘘を並べても、すぐに見透かされそうな、強い視線。それは同時に、ルイスの足をその場に縫い付けている様でもあった。
「君が信じてくれるのなら、必ず僕もそれに応える。どんな約束だって、決して破らないよ」
だから、ルイスもじっとベレンの目を見て、答えた。
騎士の誓いの作法というものを知っていれば、もっと格好良く言えたのかもしれないが、今のルイスにはこれが限界だ。
それに、無意味に言葉を飾り立てるというのも、何か違う気がしていた。
「――ありがとうございます。ルイスサン、ワタクシも一緒に連れて行って下さい。魔術を防ぐ魔術も、ワタクシは扱うことが出来ます。デスガその間、別の魔術を使うことは出来ません。結局はルイスサン達に頼ることになってしまうのデスガ……」
「十分だよ。守りは任せるから、僕達に安心して攻撃を任せて」
ベレンは初めてにこやかに笑うと、はいっ、と大きく返事をした。
おおよその事情をロレッタに話すのに、それほど時間はかからなかった。
荒唐無稽にも思えるベレンの話だが、事実として彼女は魔術が使えるのだし、異国の貴族というのはロレッタの想像通りだ。
流石に、本物の魔術を見せられた時には目を丸くして驚いていたが、それが実在するということは知っていたらしい。初めて成功した彼女の手品なのだと疑うようなこともしなかった。
「でも、ルイス。盗賊を捕まえるのは難しいかも知れないわ」
昼も過ぎ、戦いの準備をする中、ロレッタはルイスだけに言った。
「どういうこと?」
「あたしは、悪人を生きて捕らえる為に、自分やキミ達の命を危険に晒そうとは思わない。捕縛が困難だと判断したら、全員殺すつもりよ」
「……うん」
反論はなかった。
虫も殺せない様な少年、と見られるルイスだが、彼が今まで誰の血も浴びずに生きて来た訳ではない。
最初は村を襲った傭兵、次は旅先で襲われた夜盗、それから、ロレッタを初めて見た時の山賊も、一人は死んでいた気がする。
どれも無法者。しかし、同じ大地に命を授かった仲間。生まれ育った国も同じだ。
そう思うと――ベレンには悪いが、今回はいくらか気が楽なのも事実だ。今度相手にしようとしているのは、遠く離れた国の人間。
言葉を異にし、故郷を別にしているというだけで、罪悪感は薄れる。それではいけないと、理解しているのだけども。
「ベレン。ぶっつけ本番というのも危険だわ。その、障壁魔術を一度見せてくれない?その有効範囲や、発動にかかる時間を知っておきたいわ」
「は、はい。わかりましたデス」
とはいえ、町中で魔術を使う訳にはいかない。
三人(ビルはしばらく忘れていて良い。触れざるべきだ)はさっきの川の堤に戻って来た。
尚、ここでルイスとベレンが話したことは、ロレッタにも伝えてあるが、詳しい状況は話していない。
女の子と川に飛び込んだなんて言ったら、何をされるかわからないからだ。
「まずは、この魔術の原理なのデスガ……お二人にお見せしたライトニングの魔術が空気中の静電気を利用する様に、こちらは空気そのものを一箇所に固めて、物理的な壁を作るものデス。その為、視認することが出来ないので、魔術光を纏わせるのが恒例なのデスガ……」
ステッキを一振りすると、今度は白い光を放つ魔方陣が現れ、それが一枚の板の様にそのまま浮かび上がった。
「これをそのまま、普通の盾と同じ様に扱ってもらえば大丈夫デス。ただし、手で持つことは出来ないので、防ぎたいと思う場所を念じて操作してみて下さい。ワタクシ自身が操作しても良いのデスガ、恐らくお二人が操作した方が良いでしょうから」
ロレッタは更にもう一枚、魔術の盾を生成すると、それをルイスとロレッタに向けて飛ばした。
障壁は二人の近くに来ると静止し、空中に留まり続ける。
「これで操作権はお二人に移りました。障壁の維持はワタクシがしますが、ワタクシの操作権限は消失しています。念じれば、障壁を消すことも出来ますが、そうなるともう一度生成し直さなければならないので、滅多にはしないでください」
「なるほど。つまり、こういう事ね」
障壁がロレッタの背中を、足元を、頭を、と次々とその防御箇所を変えて行く。
凄まじい吸収率だとルイスは思ったが、少し念じただけでルイスのそれも動いてくれたので、そこまで複雑なものでもないらしい。
試しに手で触れてみようとしたが、指は障壁を貫通してしまって、手ごたえも何もない。
「頼りなく見えますが、これで本当に相手の魔術を防ぐことが出来ます。ワタクシが他の魔術を使えれば、実験も出来るのデスガ……」
「さっきもそう言ってたけど、別に今、ベレンはしんどそうにも見えないよね?この障壁の維持がすごく大変ってことじゃないんだったら、他の魔術も使えるんじゃない?」
ベレンの実力が、相対的に見てどれほどのものなのか、それはわからないが、決して実力が低い訳ではないだろう。幼少から魔術を使う為の訓練をして来たと言っていた。
自分の力を過小評価してしまい、可能性を狭めてしまっているのなら、その誤解を解こうと思ったのだが。
「確かに、障壁魔術自体はそれほど高度な魔術ではないのデスガ……問題は、これで実際に魔術を防いだ時なのデス。魔術が、何もないところからお菓子を出す様な、およそ物理法則を無視したものではない、数学と物理学の世界の住人なのだとは、さきほど説明しましたが、それはこの障壁魔術についても同じデス」
一度言葉を切り、ベレンは魔術を解除した。
これ以上の維持は、戦いに支障を来たすと判断したのだろうか。
「魔術は1から1を作り出し、0に1をかけても、何も生み出すことは出来ません。1と1を足せば、2が出来るし、2を失くす為には、2をそこから引かないといけません。魔術では、自然を操るもの、すなわち計算を行わないものを自然魔術、加算の式が合成魔術、乗算、除算が大魔術、そして減算が障壁魔術だと呼ばれるのデス。つまり、障壁で相手の魔術を防ぐには、こちらも同じだけの力で対抗しなければ、0には出来ない……デスカラ、防御に専念する必要があるのデス」
正直、ルイスには何が何やらわからなかったが、ロレッタはしっかりと頷いていた。
算術はビルよりは出来るつもりだが、それが魔術に当てはめられるとなると、全くわからないのは経験不足の所為だろうか。
とりあえず今は、そこまで魔術が万能という訳ではない、程度の理解で良いだろうか。
「ただ、魔術以外をする分には問題がないので、ワタクシも戦いに参加させて頂きたいのデスガ、接近戦では足手まといとなってしまうデショウ。なので、これを使おうと思います」
ベレンはカバンの中から、長い筒のようなものを取り出した。
このカバンは、橋の上に置きっぱなしだったので濡れることはなく、置き引きにも遭わなかったので無事だった。
「もう一本のステッキ?」
こちらは黒塗りのものだ。
いつも持っている、ピンク色のものが仕込み杖になっていることは、ロレッタにも話しているが、こちらの杖は完全に初めて見る。
ピンクのものよりも長く、より太い。しかも、中心が空洞になっているらしい。
「この国では、一部で火薬を使って撃つ銃が使われているそうデスガ、これは空気銃デス。吹き矢とほとんど変わらない程度の威力デスガ、魔術の邪魔をするには十分デショウ。それに、弾薬には睡眠薬を仕込んでいます」
「ピンクのステッキもそうだけど、何気にすごい武装だね……」
年齢も訊いてみたが、彼女は今年の誕生日で十四歳になったところらしい。
そんな彼女が奇術師として、この国に亡命して来たことも稀有だが、その商売道具が軒並み武器としても機能するのだから、末恐ろしい。
「お母様もお父様も心配性なので……奇術師の格好は、ワタクシの趣味デスガ、道具を用意させたのは二人なんデス」
「ご両親が健在なのね。二人とは別々に亡命したの?」
「はい。母は南、父は更に東……戦争が終わって、平和になってから。さもなくば十年後、北のある町で落ち合う予定デス」
軽々しく他人に話せる内容だとは思えないが、それだけベレンが二人を信頼しているということだろう。
同時に、それまではルイス達について行くと言っている様なものだ。
まだ直接的に言われたことはないが、そのつもりらしいことは言葉の端々に表れているし、ルイスとしても彼女を一人旅させるつもりではない。
「十年後、ベレンは成人して、二十四歳。相続の手続きの為か……」
貴族社会をよく知るロレッタだけが、その言葉の意味することを汲み取り、悲しげに呟いた。
「お邪魔しまーすっ!」
槍を手にしたロレッタが、強引にドアを蹴破って盗賊の根城へと踏み入った。
それと同時に魔術障壁を前方に展開し、敵の攻撃に備える、が、強襲に対する備えがなかったのか、攻撃はない。
ロレッタは一応見張りとして配置されているらしい男を、声を上げさせる間もなく槍の柄で突いて気絶させた。
「所詮は盗賊、か。ルイス、ベレンと一緒に後ろを警戒していて。もしかしたら罠かもしれない」
侮る様なことを言いながらも、油断のない指示を飛ばす。
ビルならば、一度攻撃が成功したら、後は調子に乗ってしまっていたかもしれない。
そう思って、ルイスは彼女の慎重さに感心した。要人を守る役目にあった故のものかもしれない。
「残りは奥ね。この障壁、酷使することになるかもしれないけどベレン、大丈夫?」
「は、はいっ。決して簡単には破らせません」
小柄な奇術師は、頼もしく頷いた。それにロレッタは笑みを返す。
「OK。じゃあ、行くわよ」
アジトの内部の構造は、小さな宿屋のそれと同じだ。というよりは、宿屋を買い取るか奪い取るかしたものらしい。
一階にはカウンターとちょっとした団欒スペースが。
二階には客室として機能していたであろう小部屋が四つほどある。
下のフロアにもう誰も居ないことを確認すると、ロレッタ、ベレン、ルイスの順番で二階に上がった。
階段はぎしぎしと音を立て、かなり材木が古くなっていることを伺わせる。
この分なら、奪うというよりは古くなって打ち捨てられた建物を利用しただけかもしれない。
そう思うと、案外好感を持てそうな連中だ。持てそうなだけで、実際には持とうとは思わないが。
一番手前の部屋のドアを、先程と同じ様にロレッタが軍靴で蹴り壊すと、三人の男が居た。
だが、その姿はとてもではないが盗賊とは思えない。
武装をしていないだけではなく、ぼろぼろの服を着ている。
「……あなた達、賊に捕らえられたの?」
状況から、簡単に思い付く推論をロレッタが述べた。
男達は、三人とも同じ様に頷く。
そこで、彼女は一番近くに居た男の足を槍の柄で薙ぎ、転ばせた。
「ひぃっ!!」
残りの男が情けなく悲鳴を上げる。
「ロレッタサン!なんでデスカ!?」
それに被せる様に、ベレンが泣きそうな声で言った。
対してロレッタは、男の転倒と同時に床に転がったものを槍の先で指す。
「あたしが――騎士がこの町に来ているって、知っていたのね。そしたら、間違いなく賊をしょっ引こうとする。で、あたしがまだ若くて、しかも女だから、捕らわれの身を演じて油断させれば、簡単に仕留められる、と。下手の考え休むに似たるって知らないの?」
呆れた声で質問しながら、その答えを待つことなくロレッタは残りの二人も気絶させた。
そして、最初に転ばせた男の喉元に槍の先を突き付ける。
「動かないで。できればあたしだって、穏便に済ませたい。入口の見張りと、あなた達三人の他に、何人仲間は居るの?素直に答えたら、あなたは見逃してあげても良いわ」
「……な、仲間を売れってか」
「一銭にもならない美しい友情と、千金にも代え難い生命。あなたは前者を選ぶの?」
首の皮を切るぎりぎりのところまで切っ先を近付ける。
どちらかが少しでも動いてしまえば、男の命はない状況が作られた。
「全て吐いて、お前が殺さない保証がどこにある」
「騎士の誓いは絶対。あなたが話してくれれば、あなたを助けることをここに誓うわ。証人は後ろの二人。違えるようなことがあれば、この槍を自分の胸に突き立ててあげる」
後ろから見るルイスには、ロレッタがどんな表情で言っているのかはわからないが、今まで彼が見て来たことがないぐらい真剣な表情をしているであろうことは、簡単に想像が付いた。
騎士の誓いというのは、本当に強力な拘束力を伴うと聞いている。
それに、彼女は栄位を奪われて尚、騎士の道を貫こうとする程に騎士道精神に篤い。絶対に違えるつもりはないのだろう。
――それは、初対面である男にも伝わった様だ。
「わかった。ただ、俺を逃がすとかそういうのは良い。あんたから一つ口添えをしてもらえれば」
「どういう?」
「金に困って仕方なくやったんだ、と」
「同胞の少女を脅してまで」
ロレッタは槍を引き戻すと、今度はそれを一気に突き出した。
男は自分が刺されるのを確信して、目を瞑る。が、槍の先は床板に風穴を刻んだだけだった。
「後ろの彼女に、見覚えがあるかどうかは知らないけど、彼女は殺すと脅されたの。そして、彼女はあなた達の国の人間よ。ここでもう少し愛国心や、同胞愛があればあたしも考えたんだけど、あなた達はやっぱりただの賊よ。その条件は呑めない」
再び槍は男の喉元へとやって来て、さっきと同じ構図になった。
「もう情報は良いわ。あなた達がどういう人間なのかわかっただけで十分。続きは牢獄でね」
槍が半回転して、柄がを突く。男は唾液と胃液を吐いて意識を失った。
他の男が気絶したままなのを確認して、ロレッタは槍を持ち直して振り返った。
「ロレッタサン、あの、すみませんが……」
伏目がちになりながら、おずおずとベレンが言葉を紡ぐ。
ロレッタはそれに黙って耳を傾けた。
「この人達を、役人に突き出すのは……」
「駄目。罪人に例外はないし、情けをかけるほどの相手でもないわ」
ベレンを遮った冷たい言葉は、すごく彼女らしいとルイスは感じた。
もし自分が彼女の立場なら、賊を許していたかもしれない。それは、自分の行動理念が「正義」ではなく、飽くまで自分の「良心」だからだ。
今まで、その良心は正義と同じ方向性を持ち、ほとんどそれと合致していた。
しかし、今回の様な場面でその二つは全く別ものとなってしまう。
ここで情けを挟まないロレッタは、自分の良心よりも正義を優先する人なのだ。そうルイスは感じた。
「デスけどっ!」
ベレンが声を荒げた。
彼女が普段出す、小鳥のさえずりや、鈴の音の様な儚げな高音ではない。
動物味のある、叫び。
「初めてじゃない?そんな大きな声」
そんな非日常的な事態にも、ロレッタは冷静に対処する。
軽くあしらわれてしまって、少女奇術師は何も言えなくなってしまった。
「その反応を待っていた。なんて言ったら、嫌われるかしら」
「……え?」
落ち込むベレンに、ロレッタのかけた言葉は、小悪魔笑いと共に発せられていた。
「ここでの決断は、他人の人生を左右すること。そんな大事なことをする時に、“お嬢様”を演じていられては困るからね。――良いわ。ベレン。それが上辺だけの綺麗事じゃなくて、本心からの言葉なら、あたしはそれに従うわ。それに、そもそもあなたの国の人達だものね」
きょとん顔のベレンに対して、手品の種明かしをする様にロレッタは告白した。
その調子は、おどけている様で、同時に一つ芯の通った真剣さもあった。
「……はい。ワタクシは、貴族だから、ここまで何一つ危険を経験することなく逃げて来られました。でも、この人達は違います。……どんな理由があっても、盗みは許される行いではありません、デスガ、どうか彼等だけは……」
ベレンが言葉を返すのを、ロレッタは黙って待っていた。二、三分は沈黙が続いたと思うが、正確な時間はわからない。それ以上かもしれないし、もっと短かったかもしれない。
「わかったわ。まあ、あたしは憲兵じゃないし、罪人を目の仇にする身分じゃないわ。だったら、仮に盗賊を取り逃しても、何ら問題はないわよね?」
ロレッタは語りかける調子だが、その言葉は誰に向けられたものでもない。
言うなれば、ロレッタ自身の神――良心であり、正義への弁明かもしれない。
「盗品は奪い返すけど、賊を捕まえることはしない。宿の人へは、すんでのところで取り逃した、とでも説明することにするわ。それで、あたし達も直ぐにこの町を発つ、と。ふふっ、完全犯罪じゃない?」
“正義の人”だったロレッタは、悪戯娘の表情で、そんな計画を話した。
そして、“共犯者”達に決を取る。
ルイスは苦笑しながら賛成の声を上げ、ベレンは恐る恐るといった調子で控えめに頷いた。
早朝から、三人に一人を加えた一行は、町を発った。
ロレッタの計画は実行に移され、しかもそこにビルが手を加えた。
具体的には、彼の昔の伝で、賊達に傭兵の道を紹介したのだ。
騎士であるロレッタには実力で大きく引けを取った彼等だが、それなりに武力はあり、更には魔術を扱うことも出来る。優秀な傭兵になれるとビルは読んだらしい。
戦乱を逃れて、戦闘を生業とするというのも因果な話だが、少なくとも弱者から搾取する為に武力を使われるよりはマシ。ということでベレンも首を縦に振った。
また、ベレンの同行も、スムーズに決まった。
かねてから旅に華を求めていたビルにとって、女性から更に一人増えるというのは朗報以外の何ものでもなかったし、ベレンの方もすっかりルイスやロレッタに懐いてしまっている。問題は何もなかった。
唯一、四人となることでかさむ食費が懸念されたが、次は大きな街で少し稼ごう、ということで一先ず問題も先送りにされた。
それに、今はまだ未熟な奇術師であるベレンだが、道具と格好だけは既に一丁前。大成すれば芸で路銀を稼ぐことも十分に期待出来る。
「――さあ、ルイス。こっからどこに行く?この旅の舵取りはお前だ。幸い、こっから色々なところに行けるぞ」
東に行けば、王都の次と謳われる都が。
西には大きな湖と、それに隣接した街が。
北には山の麓に街が栄えて。
南には砂漠を臨む場所にここ以上の交易都市がある。
現在、望まれる大都市はどこにだってあった。
「えっと、そうだね……」
地図を見ながら、たっぷりとルイスは悩んで。
「東、かな。都というのを見てみたいし、そこからなら、海も近いんだよね」
「ええ。南に少し……馬で十日の距離を行けば、港町が見えて来るわ」
「なら、そこが良いな」
この町に着いた日、ビルは港町が良いものだと語ったのを、ルイスは覚えている。
それを見てみたいのもあったし、正騎士が居る都というものも見てみたかった。ここはやはり、傭兵の息子かもしれない。
或いは、それはロレッタに気不味い思いをさせる選択かもしれないと思ったが、彼女は異を唱えることも、顔色を変えることもしないので安心した。
「じゃあ、行こう」
操舵長に任命されたルイスが、気合を入れて手を上げると。
「あー、しばらくは禁酒かー」
「ピューリ、三日も休んでて、体が鈍っていない?」
「あ、えーと……おー!」
三者三様の反応を返して、一行は足を動かし始めた。
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