紅い獣 |
そこに横たわる骸を貪っているのは一頭の紅い獣だった。
間違いなく狼だ。
この森に出没しているという話をよく耳にしていた。
それにしても普通の狼よりずっと大きく見えるのは赤黒い毛並みの所為だろうか、それともこの状況の所為か…
私は必死で身体を起こそうとしていた。が、どうにも言うことを聞かない。
夜の寒さも手伝ってか、痛みを通り越して感覚すらなくなっているようだ。
それでも命があるだけマシと言える。
何しろ私は数十メートルはある崖の上から落ちたのだ。
運悪く下は草木が途切れ、ゴツゴツとむき出しになった岩肌に叩きつけられた私と私の友人はあっさりと意識を奪われてしまった。
今さら後悔したところで後の祭りだが、私達は無謀だった。
長雨の所為で地盤が緩くなっていることは頭では理解していたが、まるで他人事のように深く考えてはいなかった。
辺りを見渡そうと崖のふちに体重を乗せた途端、足元は脆くも崩れ落ちた。
…どれくらい経ったのだろう。
私だけが辛うじて目を開けることが出来たものの、夜の闇に包まれて虫の声さえ響いてはこない。
この分では朝になっても助けは期待できない。
そもそもこの森に私達が来ている事を知っている人間は殆どいないのだ。
途中に立ち寄った村で多少は顔を知られているハズだが、私達を探しに来る事は有り得ない。
村の人々は「アレ」を恐れている。
数ヶ月前から徐々に被害が出始め、噂になっている「紅い獣」―。
その神出鬼没で得体の知れない獣は必ず夜に現れる。
大抵の獣が人を避けるのに対し、闇に紛れて襲い掛かり喰い殺してしまう。
だから「紅い獣」が目撃された翌朝には必ずといっていいほど、無残な死骸が転がっているのだ。
昼間のうちに森に入る者もいたが「紅い獣」を見つけることは出来なかった。
私と友人もまた、噂の獣を討ち取ってやろうと昼間の森に入っていたのだがドジを踏んでこのザマである。
溜め息まじりに息を吐き出したその時。
ふと視界の端に動くものを捕らえた。自然と呼吸は荒くなり、心臓は鼓動を急速に速める。
暗闇の奥。うっそうと茂る草むらから現れたのは白い狼だった。
例のアレでないことにホッとはしたが、それでも危険である事に変わりはない。
早々に立ち去ってくれる事を祈りながら私はいわゆる死んだフリを続けた。もはやそれしか出来ないと言った方が正しいのだが…
こうなると時間というものが恐ろしく長く感じられるものである。
あの狼はもう行ってしまっただろうか―。
そっと瞳を薄く開けてみると、狼はまだそこにいた。
だが、顔を下方に向けて何かを探っている。
何をしているのかはここからではよく見えなかったが、時折聞こえる異音に背筋が凍りついた。
―――…ゴリッゴリッ…ピチャ…ゴリッ…グチャ…―――
と、ふいに狼が顔を上げた。
感情の読み取れぬ無機質な瞳がこちらを見つめている。
そこにはもう、先程までの白い狼は存在しなかった。
そこにいるのは「紅い獣」。
顔を鮮血で真っ赤に染めた―。
私に気付かなかったのか、それとも気付いているからこそか、獣は再び足元に転がるソレに貪りついた。
つい数時間前までは私の友人であった、今はもうただの肉塊と化したソレに。
―獣の身体はみるみるうちに紅に染まっていく…―
そこに横たわる骸を貪っているのは一頭の紅い獣だった。
間違いなく狼だ。
この森に出没しているという話をよく耳にしていた。
それにしても普通の狼よりずっと大きく見えるのは赤黒い毛並みの所為だろうか、それともこの状況の所為か…
ポツリ、と頬に冷たいものが当たった。
ポツリ、ポツリと徐々に数を増やしながら空から無情の雨が降り注ぐ。
これであの獣の身の安全は保障されることだろう。
何故なら人々が探しているのは「紅い獣」であって白い狼ではないのだから…。
これから私に訪れるであろう最悪の未来を思うと、もうそれ以上は何も考えられなくなっていた。
だが幸いな事に降りしきる冷たい雨が眠気を誘ってくれる。
激しくなる雨音を聞きながら、私はそのまま瞳を閉じた。
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※ホラーもどきというか、これっぽっちも救いがない話なので苦手な方は注意です。 ずっと別の場所に置いてあったのですが管理が面倒なのでこっちに統一。 |
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