沈黙のフィーヴリス |
0.570997
自分のことで精一杯で、他人が何を考えてるのか知ろうともしない。
きっと誰もがそうなのだ。
いつもの悪寒と震え。脳内をひっくり返される凶悪な感覚。何度繰り返しても拭えない失敗への恐怖。前の自分が今の自分と同じなのかどうかの不安……これまで見てきたことへの怒り。これから為すことへの、罪の意識。
「? 急に黙りこんでどうしたの岡部。」
Dメールによる過去改編後の、意識のみの過去移動は成功したはずだった。
今日は8月11日。この世界では秋葉原は萌えの街であり、ルカ子は男であり……8月16日にみっともない声でまゆりの死を報告してきた我が助手、牧瀬紅莉栖がいぶかしげに俺を見ている。
「……大丈夫か」
つい、口を滑らせてしまう。
「大丈夫って何がよ」
そこにはさっきの電話越しの慟哭の気配もない。この世界ではまだ起きていないのだから当たり前なのだが。彼女が泣くのは……俺が彼女を泣かせたのは16日の20時くらいとさっき判明したばかりなのだから。
ここはラボ、未来ガジェット研究所。2人きりの部屋の中、返事しない俺の顔をきらきらとした紅莉栖の目が覗きこむ。俺は立ち上がり、彼女の肩を掴み、
「聞いてくれ。俺は……」
ぐらりと視界が揺れる。あれ。
「えっ、ちょっ、岡部!?」
あれ、手の力も腕の力も、はい、ら、ない。なんだこれ。そんな過去は、俺は、知らない……。
たぶん俺は、そのまま紅莉栖に向かって倒れこんでしまったと思う。記憶は途切れる。
目を開けると周囲は薄暗かった。見慣れたラボの天井。体が変に痛いのはソファーに寝かされていたからか。
「気がついたの?」
横たわったまま顔を横に向けたら、紅莉栖が椅子を後ろ前に座っていた。背もたれに腕を乗せ、その上に少し傾けた頭を乗せて。
「急に倒れるからびっくりしたわよ。」
「……俺もびっくりした。」
返事した喉が酷く痛む。
世界線が変わった影響なのか、それともタイムリープの影響なのか、俺は倒れてしまったようだった。
「熱出てるわよ。今ダルが薬を買いにUDXまで行ってくれてる。」
「すまん……」
「鳳凰院なんとかさんも熱を出したら大人しくなるのね。ずっとそうだったらいいのに。」
紅莉栖は随分明るい口調で嫌味を言った。
「……そういうわけにもいかないだろうな。こんなところで俺が倒れたら」
まゆりが死ぬ。
紅莉栖はそれを見てうろたえて、俺に電話してくるんだ……先に俺に言われて、覚悟していた癖にな。
「岡部?」
「なんでもない。今、何時だ?」
「さっき21時になったところ。……あれ、UDXの薬屋って何時まで開いてるんだっけ」
戻ってきたのは午後2時だった。7時間を無駄にしたのか。急いで体を起こそうとするが腕に力が入らない。紅莉栖は慌てて椅子から降り、俺の体を無理やりソファに押し込もうとする。く、苦しいぞ助手。
「今動いちゃだめ! 熱があるって言ったでしょ!!」
「わ、わかったから、思い切りに体重かけるのは、やめ、れ」
「あ、ごめん!」
紅莉栖はぱっと手を離して飛びのいた。
「昼は! 人の肩掴んだままで急に気絶しちゃって、あんたでかくて重くて、私潰されちゃったんだから、これくらい許しなさいよね」
その言葉に昼のことを思い出す。そういえば、あのとき、結局俺は最後まで言えないまま気絶したのか。
この先、俺がしなければならないことを考える。
薬を飲めば体調は回復するだろう……ただ、この先は今までとは違う。相手はあの桐生萌郁。あいつが出した最後のDメールを取り消すには、フェイリスのとき以上の体力と、るかの時以上の精神力が必要な気がする。俺たちを狙っているSERNのラウンダーのひとり。これまで何度も逃げのびようと試行錯誤してきて、その度にあいつらがどんな風にまゆりを殺したかを俺は全部覚えている。いつもは無口で携帯をいじりつづけているだけの女だが、体格も運動神経もいい。病み上がりでそんなのの相手をするのは正直きついだろう。
「ねえ、何があったの」
気づいたら紅莉栖が俺をまじまじと観察していた。蛍光灯の心もとない明りの下。影になった紅莉栖の目が鋭く光っている。
「気づいてる? 今、怖い顔してる……」
無意識に考えていたことが顔に出てしまっていたようだ。俺は深呼吸しようとしたが、腫れた喉のせいでわずかしか吸いこめなかった。
この体調では、この世界線では、恐らく無理だ。
「……なんでもない。たぶん、熱のせいだと思う」
俺は視線をさえぎるように、目の上に二の腕を乗せた。
「そう……なの? 岡部、なんだか様子が」
近づく重たい足音。がちゃりと扉が開いた音。
「ただいまだお! おーオカリン起きたか! 風邪薬とおにぎりとポカリ買ってきたから、早く薬飲むといいお!」
騒々しくダルがラボに戻ってきて、そこで助手の追及は途切れた、はずだった。
「なぜ帰らない」
「だって放っておけないんだもの」
そういやこの助手は案外粘着質で諦めの悪い奴だったなと思い出したのは、ダルが先に帰り紅莉栖とラボに2人きりにされた後だった。まゆりはもう池袋に戻っているはずだ。俺が倒れたのを相当心配してくれたようだが、まゆり自身も体調が悪く、俺が気絶している間に紅莉栖たちが家に帰らせたとさっき聞いた。
「いくら熱があるにしても、あんたがあんな顔するなんて余程のことのはず。橋田がいると話しにくいことなのかと思って待ってた。正直に話してもらえないと、力になれない」
高熱を出している病人相手でもこいつはどこまでも厳しく、真剣だった。
……熱のせいだろうか。そんな態度が、今は少しつらい。
「岡部、何をするつもりだったの?」
クソ真面目に彼女は追い詰める。
「別に、俺は……」
「あんた……さっき時間を聞いた後に、凄い顔してたの。何かが憎くて仕方なくて、殺しそうな顔してた」
こいつは何を言ってるんだ。
「……俺が殺すんじゃない」「じゃあ誰が、誰を殺すの」
誘導尋問? 馬鹿な俺は見事にひっかかり、天才少女は言う。
「あんたは理由もなくそんな顔するような奴じゃない」
何も知らない助手風情が何を言うのか。
これまでの世界で俺が言ったことなんて覚えてない癖に。
俺に言われて知ってたって、どうせ目の前で見たら、みっともなく狼狽するんだろ。
逃れられない無数の収束も死も……俺なんかついに見慣れてきたのに。
だからって俺がそれを紅莉栖に言っても、俺が失敗したこの世界線はすぐにやり直しされ失われることになる。ここで何を言ったって俺の言葉は結局無意味だ。次のタイムリープ先には何も知らない牧瀬紅莉栖が待っているんだろ。くそ。どうしてだ。なんか目が熱くなってきた。喉が痛い。声が出ない。俺とこいつらの間にある分厚い透明の壁が憎くてたまらない。
「え、ちょっと、岡部! なんで泣くのよ! やめてよ!」
紅莉栖がわめいている。
熱のせいだな。涙が止まらないのは。
なんで俺だけが覚えていなきゃならないんだ。
なんで俺だけが慣れなきゃいけないんだ。
なんでだ。
リーディングシュタイナーなんかなければよかった。
ふいに。
体に一気に重みが乗った。
紅莉栖が俺の体に覆い被さっていた。
なんだこれ。
どうしてこうなった?
なんでこの助手は抱きついてるんだ。いきなり痴女にでも目覚めたか。
ときどき抱きつかれるまゆりに比べると、細くて強い感触。涙でぐしゃぐしゃになってる俺の顔を胸元にぎゅっとかき抱く。途方もなくいい匂い。控えめな胸の感触がダイレクトすぎて俺としてはどうしていいかわからない。いっそダルくらい自分に正直にありがとうございますと言えば離れてくれるんだろうか。殴られるだろうか。そんな勇気もなくて両手をあわあわと動かすくらいしかできなくて。
「慰め方なんか私知らないんだから!! 早く泣き止んでよバカ岡部! あんたが泣いてると、私も辛いんだから!! こんなのあんたらしくない! いつもの変な奴に戻ってくれないと困るんだから!! 泣き止め!」
「くり、す」
「ああ、なんで風邪ひいたのまゆりの方だったのかな! 私じゃなくてまゆりだったらもっと上手にできるんだろうけど! ごめんねこれくらいしか、やり方知らないし!!」
頭の上から聞こえてくる泣き言。こんな薄い体に重荷なんて背負わせられるわけがない。ラウンダーに抗うのだって無理だろう。これに無茶させるくらいなら、俺でよかったんじゃないのか。
そういえば俺、まだタイムリープのことを話してない。
助手から見れば、急に倒れて起きたと思ったら意味もわからず睨むわ泣くわで、どうしたらいいかわからなくなってこうなってるのか。帰国子女だから、ハグってやつか。泣いている子どもを抱きしめたようなものなのか。
「わかった……もう、大丈夫だから。」
かすれ声で言うと、紅莉栖は体を離して、上から見下ろして、
「本当?」
きれいな顔がものすごく近かった。唐突にこんなことを言いだす。
「私はね、飛び級してたから普通の友達とかあまりいなくて。ここにいるとはじめてのことばかりで、本当はいつもドキドキしてるの。ほんと、わかんないことばっかりよ……でも私がそんな風にしてるの、らしくないじゃない? だからいつもは、我慢してる。」
はじめて聞く話だった。どの世界線でも同じようだった鉄面皮の下はそんなことになっていたのか。
「岡部も同じなんでしょ?」
「同じ……」
「隠してたから、泣きたくなったんでしょ? ずっと我慢してたから。」
一気に止まったはずの涙が溢れだしてくる。
おかしいな。なんでこいつは、俺のことがわかるんだろう。
苦しいのはタイムリープだけじゃない。まゆりの死だけでもない。もう慣れてきてるんだ。
我慢していたのは話したって無駄だと思ったこと……俺一人がタイムリープを繰り返す孤独感。慣れへの恐怖。
「……聞いて、くれるか」
「うん」
紅莉栖はそっと俺の上から降りて、俺の寝ているソファの横に座り込んだ。
一向に収まらない熱に浮かされたままで、涙も止めずに。俺ははじめて、ごく個人的な問題について……リーディングシュタイナーを持たない自分以外の全ての存在への嫉妬を、傷む喉、小さな声で、隠さず紅莉栖に話した。
紅莉栖はときどき相槌を打ちながら、静かに聞いてくれた。
30分後。
「要するに、リーディングシュタイナーマジツライです持ってない奴氏ねってことでおk?」
長々と話を聞いてもらっておいてなんだが、俺の泣くほどつらい現状への感想がそれって、
「なにそれひどい。」
「だって岡部の話し方って芝居ががってるとこが多いし変なジャーゴン混ざってるし、わかりにくいんだもの。」
「……その感想もひどすぎる。」
「ごめん。でも、横から見てまとめたら、そのくらいのことよ。」
「……まとめブログのまとめよりひどい」
「悪かったわよ!……でもね、それくらいのことなんだから、辛かったら私に話すといいと思う。タイムリープによる精神的なストレスによる焦燥とか、離人感とか、PTSDとか。どの世界の私だって確実に想像がつくし、それを少しくらい楽にする方法だってわきまえてるつもり。」
「……楽になる方法?」
「黙って聞いてあげて、肯定してあげることよ。」
助手は妙に得意気だ。
「専門は脳科学だけど臨床心理学も一通りは理解してる。実際、楽になったでしょ?」
「……聞いてはもらったが……さっきのまとめは絶対肯定じゃない……」
「う、ごめん……わかった。次は、うまくやるから。だからあんたも、辛くなったらいつでも話して。」
どうせ次に話したときは覚えてない癖して、紅莉栖はそんな風に言う。俺は苦笑いするしかない。
自分の記憶だけが世界線から切り離されていることに、絶望やら嫉妬やら怒りやら殺意やらを覚えることはもうなかった。
未来の出来事を覚えていなくても、こいつはどの世界線でも同じように俺の傍にいて、俺のことを助けてくれる「助手」であることには変わりないのだろう。記憶がなくたってラボメンはラボメン。電話レンジの改良だけではない。熱を出して倒れた今回みたいに、俺はこの先もこの頼りになる助手の手を色々と借り続けることになるはずだ。
「薬効いてきたんじゃない? 顔色が少し落ち着いてきてる」
すっと額に乗せられた細い指の感触にどきりとする。ついでにさっき抱きつかれた感触を思い出してしまって、
「と思ったけどまだ熱あるみたいね。熱い」
「……悪かったな」
「じゃ、電話レンジの改造しなくちゃね」
紅莉栖はくるりと向きを変え、俺の傍を離れて研究室に向かう。こいつ、このまま泊って作業する気なのか。
「早くやりなおしたいんでしょ。待ってて。できるだけ急いであげるから」
さっきお前は、「なんでまゆりでなくて自分なのか」って嘆いていたけれど、俺はお前でよかったと思う。こんな話、絶対にまゆりにはできなかったし……正直おこがましいとは思うけれど紅莉栖は俺と考え方が似ているんじゃないかとも思う。本人に言ったら鼻で笑われるだろうけれど。
翌日俺は、もう一度世界をやり直す。今度は熱は出なかった。
0.571046
そして、馬鹿な俺は繰り返しの先で改めて気づくんだ。
いつだって動揺して、でも我慢してる。らしくないから隠してる。
そう言った彼女の手のふるえを。俺と同じ、強がりな彼女の本心を。
(終)
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シュタゲの2次創作。ネタバレてます。 オカクリに到達していないオカクリ。 |
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