フタリノアイ・SIDE K
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フタリノアイ・side K

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桜の花びらがひらひらと舞い落ちる。

 

 いちまい、またいちまいとゆっくりと落ちていく。

 

(もう春か。…あれからもう二年も立ったんだな。)橋本一弥は壁にもたれながら桜の木を眺めていた。

 

 「一弥さん、買ってきたよ。」

 

 向こうから歩いてくるのは神永愛。長い髪を揺らしながら嬉しそうに走ってくる。

 

 「ごめんなさい。百合の花って季節外れらしくて…。」

 

 「ああ、いいよ。それじゃ行こうか。…うん、綺麗に包んでもらったんだね。」

 

  愛が抱えるのは白一色でまとめた百合の花束。

 

 …今日は墓参りに来た。愛の母親…正確に言うと、彼女と入れ替わったもう一人…今は榎本亜衣となった彼女の生みの母親だった。

 

 「そういえばね、明子さん今三週目に入ったって。恭司さんてば、もう顔が緩みっぱなし。見てておかしくて。」

 

 「あはは、恭司さんらしいね。…てことはついに愛ちゃんはおねえさん。…俺は叔父さんかぁ。

 

 …うん、でもそうだね。姉さんには幸せになってほしい。」

 

 ふと、三年前に初めて明子に恭司のことを紹介された時のことを思い出した。

 

 そう、それは彼女…愛との出会いでもあるのだった。

 

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 「ねえ。橋本さん、仕事何してるんですか?」

 

 カシャン…、とグラスの中の氷をストローでもてあそびながら、隣の女性は少し上目づかいでちら、とこちらを見た。

 

 「うーん、まあ…しがない公務員かな?」

 

 今日は土曜日。週末ともあって店内は騒がしい。

 

 この店は近頃オープンしたばかりのダイニング・バーで、20代〜40代までの幅広い年代の客たちがよもや話なり、仕事の愚痴なりを言い合っている。

 

 「おい、一弥!酒、飲んでるか?!」逆隣に座っていた同僚の藤川修吾はすっかり出来上がってしまっているようで、耳の先までまるでゆでダコのようだった。

 

 「まあ、一応ね。」そっけなく一弥がそう言うと、修吾は酒臭い息で耳打ちする。

 

 「どうよ、かわいい子多いだろ?レベル高いだろー??みぃんなアパレル関係の子たちばっかでぇ、顔よし、スタイルよしの、二拍子がそろってるんだぜ?」

 

 

  自慢げに修吾が言うとおり、隣に先ほどちらちらこちらをうかがってる女性も、また他の女性たちも世間一般的には美人な部類に入るのだろう。どこにでもありそうなつけまつげにたっぷりとマスカラを塗り、茶よりも金に近い髪をまとめたり、おろしたりしている。そしてこれまたみんなそろいにそろって高そうなブランドバックを持っているというお決まりのスタイルだ。

 

 

 「二拍子ねえ。」肝心の性格は?と心の中で突っ込みを入れつつ、一弥は穏やかに、かつ迅速にこの場から立ち去り、終電に間に合うように帰路につく方法を考えた。

 

  その時。見計らったようにタイミング良く携帯に着信が来た。

 

 

 「ちょっとごめん。仕事の上司からだ。」

 

 

一弥がそう言うと、修吾やほかの同僚たちは一瞬顔色を変える。これで少しか酔いもさめるだろうと、軽く手を振りその場から荷物一式持ち出し、席を立った。

 

  外に出ると、冷たい空気を思い切り吸い込む。ちょうど今の時期は新しい年も始まり、いたるところで赤ら顔の会社員などが複数のグル―プが二次会の相談などをしている。

 

 足早に駅へと向かい、なんとか終電に乗り込み帰路につく事が出来た。

 

 先ほどの着信は姉の明子だった。用件は・・およその見当はつく。神永氏との再婚話がまとまったんだろう。

 

 

 

 「可哀そうにねえ…。明子ちゃんもまだ高校卒業前だし、一弥君も小学生でしょう?」

 

  線香の香りが漂う中、もう何度この言葉を聞かされたことだろうか。そのたび明子はその大人たちの後ろ姿を睨みつけていた。

 

 「姉ちゃん…俺たち、どうなっちゃうの?」

 

 「…わかんないよ。でも、なんとかなるよ。きっと…」不安なのは明子も同じだった。

 

  事故が起きたのは家族で旅行に行く途中の出来事だった。その日は天気も良くて、めったに休みの取れない父も一緒とあって一弥も明子も楽しみにしていたのだ。

 

 だが…それも数時間後には悪夢に変わる。…トラックの居眠り運転が原因だった。両親は死亡、明子と一弥は奇跡的にも軽傷で済んだ。今なお明子の頬には大きなばんそうこうとガーゼが張り付けられ、一弥の頭も包帯でくくりつけられていた。

 

 「こんにちは、明子ちゃん。私のこと覚えてるかな?」

 

 「… …おぼえて、ません。」

 

  一弥は疑るような目で女性を見た。そう言って現れたのは、二人も何度か会ったことがある。神永志乃、母親の親友だった女性だ。優しげな笑顔の中にもどこかしら影がある…そんな印象の女性だった。

 

 (この人も…きっと、僕らのことを可哀想だとか、大変だとかしか思っていないんだろうな)

 

 「…そっかぁ。大きくなったね、明子ちゃん。一弥君…昔はあんなにちっちゃかったのにね。」

 

  そういうとそっと優しく頭をなでる。その手があまりにも温かくて、優しくて…不覚にも一弥は泣いてしまったのだ。

 

 高校卒業後、明子は志乃の夫の経営する病院に就職、一弥もまた奨学金で中学へ入学することとなったのだ。結局二人は志乃の援助を受けて自立し、今に至るのである。

 

  しかしその後家庭内の不和から神永志乃は自殺、それからほどなくしてからだった。もとは上司だった神永恭司氏と明子が付き合いだしたのは。…もっとも、それ以前からの仲だったことを一弥は承知している。

 

  周りでは明子を軽蔑する声ももちろん、明子自身も思い悩み、出した決断なのだろう。一弥自身も、周りがどう言おうとも明子の決めたことに口出ししようとは思わなかった。もちろん複雑ではあるし、思うところが全くないというわけでもない。

 

 ただ幸せに。それが一弥の祈りでもあるのだった。

 

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電車を降りて少し歩いたところで、ふたたび明子から着信が入る。

 

 「もしもし。」

 

 『お疲れ、一弥。どお?最近。』

 

 「どうもこうも。普通だよ。それより何の用?」どことなくそっけなく答えてしまう。

 

 『…うん。あの、さ。恭司さんとの話…一応まとまったから。』明子が遠慮がち言う。一弥は心の中でやっぱり、という安ど感ととともに不思議にさみしく感じた。

 

 「それはおめでとう。…姉さんが決めたんならそれでいいと思うよ。俺は何も言わない。」

 

 『ありがとう。…それで、式とか…そういうのはしないつもりなんだけど、一応みんなで食事できないかなって。』

 

 「食事…って。まさか、あの子も来るの?そんな中に俺が行っても大丈夫なの?」

 

  あの子というのは、神永氏の一人娘神永亜衣である。

 

  亜衣と出会ったのは志乃の葬式の時だった。

 

挑むような・・それでいて挑戦的に周りを見ていた幼い少女。

 

だが、一弥はこの亜衣が苦手だった。

 

 『うーん…それが、ちょっと・・ううん、かなり最近落ち着いたというか…まあ、会ってみればわかるわ。』

 

 「ふぅん…?まあとりあえず、明日は7時くらいにそちらに向かうよ。それでいい?」

 

  苦手な理由…それは、亜衣は一弥を嫌っているのだ。

 

 初対面でいきなりメスで切りつけられる程、嫌われているのだがその理由もわからないので対処のしようがない。

 

 

 

 (五年ぶり…か。17歳…ナイフで切りつけられたら打つ手がないなぁ…)

 

 そんなことをのんきに考えながら、一弥は記憶の奥の亜衣の姿を思い浮かべた。

 

 

 

 ー… … みんなきらい。だいきらい。とうさまはだれにもあげないんだから! … …ー

 

 

 あの時の幼い少女はかつての自分であり、影だった。 

 

 絶望と哀しみと、言葉にできない心の痛み。そして未来への不安…

 

 人を傷つけて、大人を睨みつけることしかできなかった…両親の葬儀の自分と姉と重なる。正直、気持ちが近すぎてどう対応したら良いのかわからない。

 

 

 (俺は志乃さんによって救われた。…けれどあの子は。)

 

 

 彼女は今も、明子を、父である恭司を…憎んでいるのだろうか?

 

  

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 そしてその日はやってきた。

 

 いつも以上に憂鬱で、ため息が尽きない。

 

 本日何度目かのため息は空気にさらされて風に消えていった。

 

 「やれやれ…」

 

 最後にもう一つ大きなため息をつくと、意を決してインターホンのボタンを押した。

 

  明子と恭司が二人で住み始めるようになってからかれこれ2年は過ぎているのだが、その新居を訪ねたことは今まで一度もない。用事がないと言えばそれまでなのだが、何より素直に二人を祝福できるほどまで気持ちの整理はついていないのだから。

 

 今日はその新居に初めて訪問するのと同時に、自分を毛虫のごとく嫌っている亜衣とも会うというのだ。

 

 「あ、いらっしゃい。よく来てくれたわね。」

 

 「ああ、久しぶり。」

 

  かれこれ年半ぶりくらいではないだろうか。久しぶりに見る明子の顔はどことなく痩せたように見える。

 

 「恭司さんはもう帰ってきてるから。亜衣ちゃんは・・まだ帰ってきてないけど、そろそろ帰ってくると思うわ。」

 

 

  明子の言葉にほっとしたようながっかりしたような複雑極まりない気持ちでいると、通されたリビングにはこれまた久しぶりに見る神永恭司の姿が見えた。

 

 「やあ、元気かい?一弥くん。」 

 

 「あ…どうも、お久しぶりです。」最後に会ったのは五年も前のこと。正直、あまり覚えていないというのが本音だった。

 

 

 

  改めて恭司を見る。白髪混じりの髪の毛はきっちりとおさまり、身につけているものも上品な紳士といった風体だ。ぶしつけだとは思ったのだが、これから義兄と呼ぶ人物をしっかりと見て置きたかったのだ。

 

 「もうそろそろ亜衣ちゃんも帰ってくると思うんだけど…。」

 

明子がそう言った瞬間、玄関から亜衣の姿が見えた。

 

 「ただ・・いま?」

 

  遠慮がちに髪の長い少女が姿を現す。

 

 (…?あれ…)

 

  一弥は一瞬違和感を覚えた。顔立ちは確かにあの頃の面影がある。

 

だが五年前には印象深かったあの挑むような強い視線ではない。どことなく不安そうな…それでいて悲しみを帯びたような瞳だった。

 

 「・・お帰り、亜衣ちゃん。俺のこと、覚えてる?」

 

 「ご、ごめんなさい明子さん。私全然覚えていないわ…」

 

 

  そう言ってさっと視線をそむけた。その瞬間、一弥は確信にも似た思いを抱いた。どんな事情があるのか分からないが、彼女はあの五年前に会った亜衣ではない。

 

 

 「無理もないわ。五年前に一度会ったきりだものね。私の弟、橋本一弥よ。」

 

 「…はは、まああの時君は本当におれを嫌っていたからね。無理もないけど。…にしても本当に忘れてしまうとはねぇ。」 

 

 「・・・あの時はごめんなさい。私も覚えていたくないことはすぐ忘れるようにしていたけど・・・もう17だもの、そうは言ってられないわ。改めてよろしくお願いいたします。」

 

 「いやあ、手厳しいな。」

 

  こうして、和やかな食事の時間を迎えた。

 

 

 一弥は二人の様子を観察しながら亜衣を見ていた。

 

…顔色を変えずに話を合わせるということは職業上得意になってしまった。この亜衣は、よく笑い、恭司と明子を少しでも知ろうとしている。

 

 (…本当なら、あまりいいことではないだろうけど…)

 

  今の一弥にとって、彼女があの「亜衣」ではないということは大きな意味を持つ。

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「しばらく見ないうちに変ったね。亜衣ちゃん」

 

  ベランダを見ていた亜衣は、驚いたようにこちらを振り向く。

 

 「そうかもしれない…生まれ変わったのかもしれないわ。」

 

  それだけつぶやくと、こちらを探るようにじっと見つめる。

 

 「生まれ変わった…か。君は誰?」

 

 一弥が静かにそう聞くと、少女の眼に動揺の色が浮かぶ。

 

 (…やれやれ、これじゃ俺の方がこの子をいじめているみたいだな。)

 

 「あ…の・・」

 

 「いいよ。二人にばらすつもりはないし、知ったところで君を咎めたりはしないよ。…五年とはいえ。あの亜衣ちゃんがそこまで変われルわけがないからね。」

 一弥は手の平に残る古傷を見た。深く残る線。これは昔、亜衣につけられた傷だった。 

 「… …明子さんを、だますつもりはないんだけど」

 

 「構わないさ。むしろ今の君の方が姉さんとも…もちろん兄さんともうまくやっていけるだろうし。・・こう見えても僕の職業は検察官というやつだ。人の嘘を見抜くのが仕事なんだ。…君の名前は?あ、本名。」

 

 「愛…、です。榎本愛。」

 

  月明かりに照らし出され、安堵したようにほほ笑む愛の顔が見えた。一弥は、何かが変わるような・・不思議な思いでその笑顔を見つめた。

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「一弥さん?」

 

 突然はっとなる。隣では心配そうに顔を覗き込む愛の姿。

 

 「あ、ああ。ごめん。ついぼーっとしてしまって。ちょっとね、色々思い出していたんだ。」

 

 「…そう?ごめんなさい、…せっかくの休日なのに、呼び出してしまって。」 

 

 「ああ、いいよ。休みだったし。」

 

 

  今の愛にあの時感じた不安そうでさびしげな表情はない。

 

 しっかりと背筋を伸ばし、凛として前をしっかりと向いて歩いている。

 

 二年前…彼女の運命は一変した。一人の人間の人生を丸ごと受け継いで、代わりに自分の歩んできた人生を丸ごと他人に明け渡したのだ。

 

 

 「愛ちゃんは変わったね。」

 

 「…そうかな。だとしたら嬉しい。…でも、きっとほとんど一弥さんのおかげ。」

 

 

 「俺は何もしてないよ。君と…彼女と、二人で選んだ未来だろう?」

 

 一弥は自分の手のひらを握り締めた。

 

 どれだけの覚悟だったことだろう。二人の傷ついた「アイ」は入れ替わり、すべてを犠牲にして…すべてを手に入れたのだ。

「過去を失う代わりに未来を手に入れる…か。」

 

  手のひらについた一条の線。けれど、幼く傷ついた少女がつけたナイフの線は、まるで彼女(もう一人のアイ)が確かにそこにいた証のように。

 

  すると、前を歩いていた愛の足が止まる。

 

  「?」

 

  立ち止り、彼女の視線の先を追う。

  そこに立つ、見覚えのある二人の男女。

 

  男性がこちらを向いて指をさす。そこには懐かしい顔があった。

 

 「亜衣…。それに啓太。」

 

  愛と同じ白いユリの花束を抱えたショートカットの女性がこちらを振り向く。

 

 「愛。…久しぶり。一応、橋本さんも」

  はにかみながらほほ笑むもう一人の亜衣。

 四人がこうして一度に会うのは実に久しぶりのことだったのだ。

 

 フタリノアイ・side K

 

〜後編に続く〜

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説明
以前投稿させていただいた話のスピンオフ的な話です。男性目線から振り返りながらの短編です。
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