piece of apple(レンリン)
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 シャリ、シャリ、と果実の皮に刃を入れる音が部屋の片隅から聞こえて、その音が途切れるたびに、不格好に剥かれた皮が銀色の流し台に落ちる。あるところは透けて見えるほど薄く、あるところは実がスプーンで掬えそうなほど分厚く残っている部分もあって、白い手のひらに取り残された実の部分は皮以上にいびつな形状になっていた。果実というよりは、ゴツゴツとした石のようだ。

 リンは見た目よりもずっと硬く扱いづらい果実を持ち直し、まだ半分くらいは皮を残しているそれにふたたび鈍く光る刃を当てて、ぐっと力を入れた──、直後。

「……っ、た!!」

 シャリ、ではなくザク、と。

 皮でもなく実でもなく(皮も一緒に切れてはいたが)柔らかい肉に食い込む刃の感触に、リンは思わず細身のナイフを流し台に落とした。

「だいじょぶ?」

 すると近くのテーブルでその様子を眺めていたミクが、心配してはいるがどこか呑気な声で、痛みに眉を顰めているリンに声をかけた。

「だ……、大丈夫」

 かろうじて落とさなかった剥きかけの果実を台の上に置くと、果実の皮よりも赤いものが滲んでいる指を口に含む。

 舌の上に広がる味も痛みも、プログラムに組み込まれた疑似的なものだと分かっていても、喉から鼻に抜けていく鉄の匂いも痺れたように痛む指も、そう簡単にやり過ごせるものではなかった。

 本来ならボーカロイドにこんな感覚なんてついていなくたって何の問題もないのに。人間ってのは悪趣味だ。

 恨めしげにそんなことを考えていると、すぐ隣でイスから腰を上げる気配もなくテーブルの上で手を組んでいたミクがふと何か思いついたように顔を上げ、まだ痛みを堪えているリンに視線を向けた。

「ねえねえ。リンちゃんがケガをしたときって、レン君も同じように痛みを感じるの?」

「は?」

「ほら、双子のテレパシーみたいな」

 いつものことながらどこかズレたところのあるミクの発言に、どうせまた変なドキュメンタリー番組でも観たんだろうと、リンはわざと大きく溜息をついた。

 ……っていうか人間じゃないんだから「双子」っていうのも語弊があるんだけど。まあそのへんはミク姉とかカイト兄とか呼んでいるのと一緒で、そう呼んだほうがより「らしい」から、っていうのもあるか……。

「まさか。もしそうだったら、今こうしてあたしが元気なわけないじゃない」

「あ。それもそうか」

 体調を崩しているせいで昨日から姿を見ていないもう一人の鏡音のことを思い出して、なぁんだ、とミクは実につまらなそうな声を漏らした。

 それから台の上に置かれたいびつな物体を視界の端に捉えると、思い出したように、

「かわりに剥こうか?」

 リンは少しだけ考えこんだあとに首を軽く振って、ミクの申し出を断った。

「んーん、大丈夫。もう血も止まってるし」

 最後にもう一度だけ傷口を吸い、口内から引き抜かれたそれを軽く水で洗い流すと、ふたたび果実に刃を立てた。

 

 

 

 ようやく皮を剥き終えて食べやすいサイズに切りそろえた果実をガラスの器に入れると、リンは自分とレンが共同で使っている部屋に向かった。

「…………レン?」

 黄色を基調とした配色の、居住スペースとしては充分な広さを持つ個室にベッドがふたつ。そのうちのひとつでシーツにくるまって横になっている姿を見て、すぐに寝息を立てているのだと分かった。顔はよく見えなかったけれど、そのくらいのことは見なくても分かる。

 リンは少し残念そうな顔でレンが眠っているベッドの傍まで歩いていくと、果実の入った器を近くのテーブルの上に置いて、反対側を向いて眠っているレンの寝顔を覗きこむ。

 体調を崩している原因はウイルスではないから一緒の部屋で眠ることは禁止されていないのだけど、不具合が起こった箇所を完全に修復するまでの間は一緒に歌うことも出来ないし、ずっとメンテナンスと修復を繰り返している身体はいつもより熱を持って、起きている最中もだるくて仕方がないといった顔をしている。

 そんなレンの傍で何の影響も受けずにピンピンしているのも気まずくて、だけど何かの役には立ちたくて、リンはとくに必要のない看病の真似事を昨夜からくり返していた。

 濡れたタオルを熱くなった頭の上に乗せたり(すぐに水がお湯になって蒸発した)汗を吸ったパジャマを替えてみたり(全力で嫌がられた上に余計に熱が上がった)消化のいい食べ物を作ってみたり(消化以前に味が致命的だと指摘された)……、レンが好きだと言っていた果物を用意してみたり。

 そんなことを思い返していると、朝に触れたときにはショートするんじゃないかというくらい熱を持っていた場所に自然と手が伸びる。

 そして、白い額に手のひらが触れる──その直前、

「………指、切ったの」

 いきなり手首を捕まれて、リンはわずかに喉の奥から息を漏らしはしたが、さほど驚いてはいない様子で頷いた。

「うん。もうほとんど塞がってるけど」

 その理由を口にするより先に、レンの視線はテーブルの上に置かれたガラスの器に向けられていた。その中でバラバラの大きさに切り分けられた果実を見れば、理由なんて聞くまでもないだろう。

「リンゴ。食べる?」

「うん…………」

 寝起きで掠れているレンの声を聞き終わらないうちにガラスの器に手を伸ばし、そのうちのひとつを細身のフォークに刺すと──。

「はい、あーん」

「いや自分で食べるし……」

 自分の唇の前までフォークを運んできたリンに、いくら体調を崩していて思考力が低下しているとはいえそれは恥ずかしいと、レンは顔を逸らす。

「じゃあ、あげない」

「………分かったよ」

 今度は観念したように正面を向き、フォークの前で大きく口を開く。それからフォークに刺さっている黄色い果実にかぶりついた。

 口の中に含まれたひときれの果実は歯を立てるたびにシャリ、と、ナイフを突き立てたときと同じ、瑞々しい音を上げる。

「おいしい?」

「……甘い」

 二口、三口、と含んでフォークの先から完全に果実がなくなった頃、レンの唇に果実の汁が飛んでいることに気付くと、リンは自然な動作でその場所に指を伸ばした。

 そしてレンもまた、いきなり唇に触れられることに何の抵抗も見せずに、果実の汁を拭う指をおとなしく受け入れる。

 見た目には完全に果実の汁を拭って、リンは満足したように唇から指を離そうとした。──…が。

「っ!」

 果実にかぶりつくように自分の指を口に含まれて、さすがに今度は少し驚いたような反応を見せる。

「ねぼけてる?」

「んー……」

 それともまだ熱が高いのだろうか。たしかに指先を包んでいる口の中は熱かったが、それが熱によるものかどうかは分からない。

「っ、ぅ……!」

 ナイフで切った傷口に舌の表面が触れた瞬間、小さな痛みがはしった。果実の汁が口の中に残っていたのかもしれない。

 最後に軽く傷口を吸われてから、ようやく唇が離される。

「……リンゴ、まだ食べる?」

「もういいや。あんまり食欲ないし」

 今の行為についてはどちらとも言及せずに、まるで何事もなかったかのように会話が交わされる。

「じゃあ残りはあたしが食べようかな……」

 するとリンの手の中にあったガラスの器がひょいと持ち上げられて、気付いたときにはフォークに新しく刺した果実を差し出されていた。

「はい。あーん」

「う…………」

 なにこれ恥ずかしい。

 しかし同じことをやってしまった手前、恥ずかしいと断ることもできず、リンは観念したように口を開ける。

 そして目の前に差し出された果実を口に含み、シャリ、と音を立ててゆっくりと噛み砕いていく。

「おいしい?」

「……酸っぱい」

 口の中に広がるのは果実の酸味ばかりで、あまり甘いとは言えないものだった。レンが食べた部分には蜜が固まっていたのだろうか。

「じゃあこれは?」

 レンがそう言った直後に、ガラスの器にフォークが落ちる。高い金属音。間もなく、唇が塞がれる。

「……っ! ん……」

 甘酸っぱい香り。それは果実にナイフを突き立てたときよりもずっと濃く、ふたりの周囲に漂っていた。

 

「甘い?」

「……よく分かんない」

「じゃあ、もう一回」

 

 こんなことしたって、とっくになくなったリンゴの味なんて分かるわけない。けど、レンが感じていた甘さを少しでも分けて欲しくて、わざと何度も首を横に振った。

 テレパシーなんていらない。あのリンゴの皮みたいに真っ赤な血を、肉を、分け合っていなくたって。たとえ同じものを同じように感じることができなくたって。

 分からないのなら伝えるし、届かないのなら唇を寄せればいい。何度だって。

 そうして、味も感覚も分からなくなるほど絡み合い、どちらともなく唇を離したあと──…。

 

 

「甘い」と、ふたりは同時に呟いた。

 

 

 

         End.

 

 

 

 

 

 

 

 いいふたご(1125)記念で書いた話なのにまったく双子してないレンリンです。空気を読まないにも程がある。

 

 あとリンちゃんがちょっと精神年齢高めな感じがしたけど、レン君の前では普通に甘えてますね。

 成長するほど甘え上手になるリンちゃんとか考えたら、書いてる人間の留め金(理性)がパーーンしそうになった。

 

 

 

 

 

 

説明
ボカロ設定レンリン。いちゃ甘だけどちょっとだけ痛々しいかんじ。
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鏡音リン 鏡音レン レンリン リンレン 小説 ボーカロイド 

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