熱砂の海 1
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 蒼穹の天を見上げた。

 目の錯覚かと思われるほど小さな黒点を認め、それが次第に大きくなる。

「あれは………」

 灼熱の太陽の下、国境監視塔から外に出た四人の男たちの口から感嘆の息がもれた。

 その黒点は鳥の影に酷似していらが、それが鳥でないことはその大きさから明らかだ。

 天高く旋回するそれは体長8メートルはあろうかという飛竜であった。

(あれに乗って、天を駆け巡りたい)

 その思いは自分の目で空を切るように飛ぶ様を見た者が誰でも思うことだった。

 野生の飛竜の勇猛な戦いぶりを見ればその思いはなおのこと強くなる。あれを意のままに操れるようになれば、いや操れる人間になれれば……というのは戦士であれば誰もが夢見る。だが野生の竜―――とくに飛竜は人間に馴れにくいため手に入れることは不可能に近い。それ故に騎乗できる飛竜は人の手によって育てられたものだけだが、その戦いぶりとは裏腹に非常にデリケートであるために人工飼育は難しく、竜騎兵になれる者はごくわずかである。

 ただ稀に、野生の飛竜が人間に近づくことがあるという。

 それがなぜなのか今をもって不明であるが、飛竜が自分の背に乗るべき人間を選ぶのだとも言われている。

「アザラの飛竜か、それとも隣国ラファールか……」

 誰ともなく呟いた。

「賭けるか?」

「……アザラに五十」

「俺も五十」

「同じく」

 監視塔から出てきた男達は現在の雇い主の統べる国に賭ける。

「おいおい、それじゃ賭けにならないぜ」

「言い出したおまえがラファールに賭ければいい、そうだろバシュー」

「俺も賭けるならアザラだ。敵さんだったら懐的には有り難いんだけどな」

「このところ暇すぎだからな。剣の錆落としを自分でやらなきゃならんのなら、傭兵家業もあがったりだ」

「たまには臨時収入を懐に飲みたいもんだ」

 黒点が飛竜であると認識した瞬間、年に何回もない戦いの予感に男達の表情は輝いた。だが、指の先より大きくならない飛竜の影にぬか喜びになりそうだと考えざるを得なかった。

「オレがラファールに賭ける。千いや一万でもいい」

 天空を見上げていた男たちは、そもそも自分たちが出迎えのために塔から出たのだということをこの瞬間に思い出し、一斉に礼をとった。

 だが走竜から降りた青年はそんな儀礼的な事はさっさとやめろと言わんばかりに手を振ると、男達もすぐに立ち上がる。

 砂漠地帯ではかかせないフード付きのマントを身にまとった青年は、出迎えた四人の男達に比べ体つきが華奢で、これから成長期のピークを迎えようかというほど若く見受けられる。

 本営から一人、走竜でこの国境監視塔にやってきた青年が見回す男達の表情は、一様に疑惑に満ちていた。

 その青年に賭を言い出した男が問いかける。

「何か、根拠でもあるのか?」

「一騎とあれば偵察だろう。だがあの高さから偵察を行える飛竜と竜騎兵はアザラにはいない」

「その可能性ならラファールの方が低いだろ?」

「今まではな」

「えっ?」

 期待と疑惑の入り交じった表情が男達の顔にのる。

「じゃ、違うって言うのか?」

「さあ………」

 青年は意地悪そうな笑みを浮かべる。

「ずるいぞ。指揮官の強味で情報をつかんでいるってのは………」

「盗賊より悪どい手口だ」

 男達が顔を見合わせ肯定しあう。

「ラファールの情報はもっていない」

「……? どういうことだ?」

「あの高さから偵察できる竜騎兵が今現在、アザラには存在しない事実を知っているだけだ」

「その事実で充分じゃないか」

 彼専用の走竜でなければ可哀想だと言うほど巨漢のルービスが体に見合わぬ情けない声を出した。

「賭はオレの勝ちだ。支払いは後でもいいが、準備は怠るなよ」

 言い残すと監視塔に入ることなく踵を返した。

 

(息抜きする間もないか……)

 青年がため息をつきながら走竜にまたがると背中に声がかかった。

「準備はするが、金の支払いはしないぞ」

「なに―――」

 青年は走竜の腹を蹴りながら答えた。

「支払いは敵の首級でかまわないさ」

 語尾は熱砂の風に流れたが、続く男達の自らを鼓舞する声は天に届く勢いだった。

 戦うことを生業とする傭兵としてアザラに雇われている男たちは、久しぶりに剣をふるうチャンスを得ることになった。一人でも多くの敵兵を殺すことは、報償学も多くなること言うことである。自ら戦いの中に飛び込んでいこうとする男たちには至極妥当な掛け金の支払い方法だった。

 青年の姿が常に舞っている砂の向こうに消える頃、飛竜の姿もまた空の彼方に飛び去っていった。

 

 

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「お待ち下さい―――」

 城の裏手の目立たない位置にある通用門から出ようとした男に、息を切らせながら老年の男が走り寄った。

「無謀でございます」

 鐙にかけようとしていた足を止め振り返る。

「おまえの小言は聞き飽きたぞ」

 朗々とした声が響く。

 馬や駱駝より二回り大きい体躯の成走竜の前に立つ男は、それに相応しい鍛えられた体格をしており、国の中心であるここから離れた地域へ出立するとひと目でわかる荷造りと旅装をしていた。

 目深にかぶったフードの奥の瞳が少々不快を表しているが、走竜の前で膝を折った老年の男はまったく無視して先を続けた。

「お一人でお出かけになるなど」

「供をぞろぞろつけろとでも言うのか」

 不快きわまりないという声音で跪く男に問いかける。

「ではお近くまででよろしゅうございます。供をおつけ下さい。さすれば……」

「近くまで供を連れていたことが分からぬボンクラを私は欲してはおらぬぞ」

「ですが、万一……」

「オルトローフ!」

 名を呼び老年の男を一蹴した。

「己の目で確かめたいのだ。暗黒神の化身と呼ばれる男の力量をな」

 語勢は代わらなかったが、相手に有無を言わせぬ力強さがこもっており、跪く男の全身にその声は叩きつけられた。

「―――お気をつけ下さいませ」

 観念して力無く見送りの言葉をかける。

 と、旅装の男は歩み寄り、自分の前に跪く男の方を軽く叩いた。

「おまえの寿命を縮めるような真似はせぬ」

 走竜の鞍からたれる鐙に足をかけると男の体が軽やかに宙に舞う。

「十日ほどで戻る。あとを頼むぞ」

 すべてを心得ている城門を守る兵士たちが固く閉ざしている門を開けると、一陣の風となり走竜が駆け抜けていった。

 城門が閉められるとオルトローフは立ち上がり頭を垂れ、男の旅の無事を祈った。

 小指の爪ほどの虫も通ることが出来ぬほどピタリと城門が閉められると、城内には静寂が訪れた。

「お出になられたこと、決して口外せぬように」

 何事も慎重に為すことを信条としているオルトローフは、いつものように兵士たちに念を押した。

「さて……お気に召せばタウ僧をどのように説得するか、お気に召さねば探し直さねばならぬ。いずれにせよ難題の多きことよ……」

 オルトローフは重いため息をひとつつくと、その場を後にしたのだった。

 

 

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 国境監視塔から本営に戻るなり青年が、

「ザバ! いるか?」

「さっき水場の方へ行くのを見たぜ」

「そうか」

 剣の手入れをする男が、手を休めて応えた。

「ラファールに動きがあるかもしれない。戦の準備をするよう皆に伝えてくれ」

「本当ですかい?」

 男の手がピタリと止まる。

「頼んだぞ」

 小走りして伝令に回る男を見やってから、村の外れに設営された本営から少し離れた場所にあるオアシスと呼ぶには少々くたびれた水場へと向かう。

 年毎に広がる砂漠にこの水場も砂の海に飲み込まれようとしている。もしここの水がかれれば、村を捨て移住しなくてはならなくなる。村人たちは誰もがそれを拒んでいるが、自然は容赦なく人間たちに襲いかかり、いずれはこの地を離れることになるだろう。

 それを拒み続ければ死を受け入れることになるからだ。

 だが、差し迫った問題は他にあった。

 砂漠地帯を隔てた隣国ラファールが、近く侵攻を開始するという噂が立ち始めたのだ。何を好んでこの熱砂の海を渡ってくるのかと思われたが、地上に存在する王国は皆、同じ苦悩を持っているのだ。

 飢え、乾き。

 領土の砂漠化により人間の生活環境は悪化する一方だった。自国で作物が十分に育たぬとなれば、方法は一つしかない。

 豊かな領土を武力により奪うことである。

 とは言え、どの国も似たような環境であるため、地上に残るわずかな豊穣の地を奪い合うという凄惨な現実しかないのだが、そうしなければならないほど事態は深刻化していた。

 

 風が変わり青年は物思いから醒めた。

 熱砂の上を渡る風ではなく、水の涼気を含んだ肌に心地よい風だった。

 それに続き、間違って走竜が体当たりしてしまったら折れてしまうような頼りなげな樹木が枝葉を広げて灼熱の太陽を遮る中を、砂嵐の起こる前触れのような一陣の風が駆け抜け青年の頭からフードを落とした。

 不揃いの黒髪が風になびく。

 人目があれば、誰もが目を見張り逃げて姿を隠し、陰で囁きあうであろう黒色の髪。

 この世で最も忌み嫌われる死の色である黒。暗黒神の纏う色とされているその黒色の髪をもつ人間はおそらく地上で唯一人であろう青年が彼だった。

 神すらも黒を疎んでいるのか、黒髪の子供は万に一つの確率で生まれてもすぐに死んでしまう。稀に生き延びても家人はそれを隠し殺してしまうのが普通であった。

 それほど忌まれている黒は髪だけでなく、砂漠で育った者特有の浅黒い肌を青年はしている。そのため人はますます遠離るのである。

 だが今はその心配はない。

 この水場に村人が水をくみに来るのは早朝か夕刻だけである。容赦のない陽光の下を歩くのは国境を守る傭兵たち以外にはいない。

 それを周知している青年は落ちたフードをかぶり直すこともせず、涼気に誘われるまま奥へ足を進める。

 やがて大人の身の丈ほどの岩山が見え、その回りに清らかな水をたたえた泉に行き当たり畔に探す男の姿を見いだした。

「ザバ」

 書類を手に、呑気に欠伸のようなため息を吐き出していた男が、非難するような呼び声に視線を向けた。

「アルディート」

 青年――アルディートは歩み寄ると不快そうな瞳でザバを見下ろす。

 人種の純血種が稀になった現在では珍しくなった光に透けるブロンドの髪と、何年砂漠で暮らしてもさほど黒くならない肌をしている。故にザバは仲間内から「特異体質の男」と呼ばれていのだ。

 ひと目で恋に落ちる女がいるという噂も頷ける容姿ながら、それに無頓着な本人は髪が伸びると短剣でザバザバと無造作に切り落としてしまう。「名前がいけなかったんだ」とからかう男もいるが、それも気にしないかなり風変わりな男だが、彼の手腕を疑う者はいなかった。

 紙の上で幾通りもの戦術を練り、勝利の美酒を飲ませてくれる男であるという評価は、今や東部国境を守る傭兵たちにとって信仰に近いものがあった。

「どうかしたか、アルディート」

 言いながら手にしていた手紙を丁寧にたたむと懐に飲み込ませる。

「何だ、それ」

「ああ……」

 一瞬躊躇し、懐にしまったばかりの手紙を取り出す。

「男が一人、来ることになりました」

「どういう事だ? ラファール侵攻の噂があるとは言え、渡るに易くない砂漠を国境とするここは増員するほど重要地点ではないはずだが。ラファールとの国境は他にもあるからな…」

 広げられた手紙の文面を斜め読みすると、

「監査役か」

「そう言うことでございます。アルディート様」

 突然切り替わった敬語口調に、アルディートは思い切り不愉快な表情をしてみせる。

「やめろ」

 ほんの少し、ザバは意地の悪そうな笑みを浮かべ、

「監査役がいる間は上下関係をきちんといたしませんと。皆にも徹底させなければなりませんな」

「面倒だな。――いつも通りさっさと追い返せよ。その頭と口を使ってな」

「私の頭と口は悪巧みに使うようには出来てはおりませんが」

「よく言う」

 呟くアルディートにザバは苦笑を返す。

「監査結果が悪ければ報奨金を値切られ事を皆に再確認して頂きませんと。ああ、慣れぬ敬語に舌を噛まぬよう気をつけるようにと付け加えなければいけませんね」

 ザバのいつもの三流のジョークに大きなため息をつくと、

「しばらく夢見が悪そうだ。――せめて……皆と同じとは言わないが、あと十歳年長ならばここの居心地も悪くないと皆も思うだろうが……」

 時折アルディートが口にする、国境警備を任された傭兵部隊の指揮官の任が、自分が最も若年であるという理由から重荷であると言わんばかりの愚痴が漏れる。

「指揮官にとって最も重要な事柄は年令ではありません。それなりの経験は必要ですが」

「おまえの口癖だな」

「なに、父親の受け売りですよ。もっとも『女が好きになる男は、年齢云々…』というのがオリジナルですがね。――ところで私に何か用だったのでは?」

「ああ、そうだった。監視塔付近で飛竜が旋回していた」

 アルディートのその一言でザバの思考は忙しくなった。

「監査役殿には報償額の上乗せを上申する絶好のチャンスになりますね」

「規律を遵守する事にも目をつぶってもいたいが」

「さて……」

 上下関係や厳しい軍律などに嫌気がさして傭兵という生き方を選択した男たち以上に、アルディートがそれらを嫌っているのかと思いながらザバは顎に手をやり、

「それは監査役殿にお伺いをたててみるよりないでしょう」

 妥当だなとため息をつくようにアルディートは頷いた。

「寒暖の差が一年のうちで最も激しい『地の月』にどのように砂漠を越えてくるか、あちらの出方を待ちましょうか」

 言いながらその方法を幾通りも頭の中で巡らせているであろうザバとアルディートは本営へと戻っていった。

説明
 世界が砂に飲み込まれつつある世界で、辺境の国境警備は傭兵たちに任されていた。
 その指揮官はこの世界で人々が忌み嫌う黒色の髪をした若き青年。
 天を駆ける一騎の飛竜を見つけたことから物語は始まる。

熱砂の海 2 → http://www.tinami.com/view/316520
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ファンタジー 傭兵 

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