技術室の幽霊
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「技術室の幽霊?」

 俺の言葉にようやく興味が湧いたのか、クロは外を眺めるのをやめてこっちを向いた。

 野暮ったい鼈甲縁眼鏡の奥の、黒目がちの目がすうっと細められる。

 うっわ、こりゃ全く信じてないな。

 

 どこの学校にだって七不思議の一つや二つはある。

 俺達の通う高校も例外ではなく、真偽も由来も定かじゃない怪談話はそこら中に転がってるんだが。

「いやいや、今度は本当なんだって。実際に体験した奴がいるんだよ」

「ふうん?」

 すっかり呆れた声音だな。

「ここで『友達の友達が』とか言ったらはったおすよ?」

「クロも知ってる奴だよ。ほら、家政科部1年の飯本佳美ちゃん」

 ふわふわっとした巻き毛の可愛い、ちょっと守ってあげたくなるような雰囲気が「妹にしたい後輩」堂々のトップの子だ。

「ああ、シロがこないだアタックしてあえなく玉砕した」

 しかたないだろ、彼氏がいたってんだから。

 彼氏持ちの女の子口説くほど暇じゃないんだよ、俺は。

 

 佳美ちゃん曰く、その日は放課後たまたま技術室に行く用事があって。

 ほらあそこ半地下でちょっと不気味じゃん?

 唯一西側に開いてる窓からは夕日がさしてて、部屋の中真っ赤に染まってさ。

 怖いなー、と思いながら用事を済ませて出ようとしたら。

 聞こえたんだってよ。

 

「佐渡おけさ?」

「そうそう、遠くの方からハアー、って! それじゃ面白くなっちゃうだろお」

 たく、話の腰を折るなよ。

 

 とおりゃんせ、だったらしいぜ。

 か細い女の声で、どこからともなくとおりゃんせが聞こえてきて……

 佳美ちゃんは怖くなって逃げ帰ってきたらしい。

 

「ふうん」

 あ、また外向きやがった。

 興味無しですか、ああそうですか。

「頼むぜ、クロ。ここは一つ知恵を貸してくれよ」

 クロって奴は、普段の成績はそんなに良くない癖に、ここぞと言うときは素晴らしく頭が回る。

 七不思議なんて妙な話には持ってこいの奴なんだが。

「で、いくらで請け負ったわけ?」

 …そういうとこも鋭いのがなあ。

「料理部のお食事会参加権」

 うちの料理部は七年前に家政科部から独立して以来、創作料理じゃ玄人はだしと定評がある。

 月一回の食事会の参加権は、末端価格は天井知らずのプラチナチケットだ。

「乗った」

 案の定、旨い物にはうるさいこいつが乗ってこないわけはない。

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 旧棟半地下という、校内でも辺境の地に技術室が設置されているのは、旋盤や電動のこぎりが立てる騒音が他の迷惑にならないように、と言うことらしい。

「うへえ、こりゃ雰囲気あるなあ」

 思わず腰が引けてる俺を尻目に、クロの奴はすったかすったか先を行く。

 空き教室だらけの廊下が怖くないのかね、こいつは。

 ちっこい癖に度胸だけはあるんだよなあ。

 

 技術室。

 おがくずとか金属の粉末で汚れた床に色んな機械が適当に並べられていて、どこかの工場のようにも見える。

「なんもねーじゃんよ」

 雰囲気にもようやく慣れて、軽口を叩いたその時。

 

 とーおりゃんせー…

 

「おい、クロ。そういう悪戯はやめろよ」

「なるほど。僕はそういう悪戯をするような奴だと思われてるわけだ」

 冷たい目で睨まれる…

「嘘ですごめんなさい」

「で、シロでもないとすると」

 

 こーこはどーこの……

 

 クロが教室の壁に作られた棚をガタガタと揺すりだす。

「お、おい。何やってんだよ!」

 慌てる俺。

 やべえ、こいつ恐怖でおかしくなったか?

 俺が止めようとすると、クロは一番廊下側の棚に手をかけてにやっと笑った。

「ああ、これか。シロ、ちょっと手を貸して」

 

 作りつけだと思った棚は、中の物をどかすとあっけなく動いた。

 その裏には……

「隠し扉?」

 すっかりペンキもはげた、スチールの扉が立っていた。

「そんなわけないでしょ。使わなくなった扉を塞いでただけだよ」

 それよりほら、と親指をひねる。

 不気味な歌声は扉の向こうから聞こえてきていた。

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「元々、あそこは学生食堂だったんだよね」

 と、新館にある現役の学生食堂で、ジャムパンをちぎりながら言うクロ。

 埃だらけの空き部屋から生還して。

 いがらっぽくなった喉を潤すために場所を移したわけだが。

「不便な場所だったから、何年か前、新館建てるときに潰したんだよ」

 分かってみればあっけない話。

 元配膳室を塞いだ空きスペースに、俺達はタイマー起動するように設定されてたCDプレイヤーを見つけた。

「くっだらねえ悪戯かよ……つか、クロも良く知ってたなあ、そんなこと」

「以前技術の先生に聞いたことがあったからね」

 なんでもないことだよ、と肩をすくめる。

 いや、お前、技術選択してねえだろ。

 どこで話を聞いたんだよ。

「じゃ、佳美ちゃんにこれ報告して終了、っと……ん?クロ、どした?」

「うーん」

 珍しく眉根を寄せて考え込んぢまいやがんの。

「……それ、やっぱ無しにした方がいいと思うんだけど」

「そりゃねえだろ、おい。料理部のお食事会だぜ?」

 ふいにするには惜し過ぎだろうが。

 

「…ま、良いか。シロに任せるよ」

 さんざ悩んだ末に、クロはあっけなく放り出した。

「おう、じゃあ今から行ってくら」

 席を立つ俺の後ろで、クロが漏らした小さなつぶやきを、食事会にわくわくしていた俺は聞き流してしまった。

 

 ――どうせ時間の問題だっただろうし。

 

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 日曜日。

 料理部食事会の当日。

 どうしてもやっておかなければならないことがあった俺は、クロの家に向かった。

「やーめーろー!」

 風呂に入れられそうになった猫みたいに大暴れするクロ。

「風呂にも入ったし、ちゃんとスーツも出したし!

 これでいいだろっ!」

 顔を真っ赤にして怒っている。

「ええい、いい加減観念しやがれ!」

 逃げ出そうとするクロを押さえつけては髪をブローする俺。

「これでも最大限妥協してんだ、いい加減観念しろ!」

 

「……なんだか無防備な気分だ」

 丁寧になでつけられた髪をぺたぺたと触って落ちつかなげなクロ。

「スカート穿かせなかっただけ、ありがたく思え。ってか、普段から髪くらいちゃんとしろってんだ」

 すこしだぼっとしたパンツスーツを着たクロは、相変わらずダサイ眼鏡をかけてはいるものの……女の子にしか見えなかった。

 いや、女なんだけどな。

 私服可なのをいいことに地味なワイシャツに綿パンしか着てこねーわ、髪の手入れも化粧もしねーわ、おおよそ女らしいとこがないから、クラスの連中でも忘れてるんじゃないかって時があるが。

 クロ――黒岩キヌは、性別:女である。

「シロが持ってくる服は高すぎるんだよ……」

 まーだぶつぶつ言ってやがる。

 クロという奴は一事が万事この調子だ。

 化粧も服も「高いから」。

 髪の手入れは「めんどくさい」。

 若干寸足らずなとこはあるけどかわいい部類なんだから、もう少しおしゃれに気を配れと、ここ半年言い続けてるが、聞きゃあしねえ。

「一応改まった場なんだから、身だしなみくらいはちゃんとしろ」

「うー……」

 唇をとがらせるクロ。

 やれやれ、なんで綺麗にしてやって文句言われねえとならんのか。

 

 クロの不機嫌は体育館にしつらえられた食事会会場に入っても続いていた。

 実際結構改まったというか格式張った場で、大抵の奴は学校指定のブレザー、ちょっと気張って背広やドレスなんか着てるのもいる。

 いつもの服で来ようもんなら、俺もクロも白鳥の群に迷い込んだカラスみたいに目立ったに違いない。

「市のちょっとした社交界、というわけだ」

 呆れたようにため息をついてるクロ。

 下らない、と顔に書いてある。

「ほれ、受付終わったぞ、好きなだけ食え」

「……人を欠食児童みたいに言うな」

 俺のすねに軽く蹴りを入れて、走っていった。

 

 食事会自体は立食パーティの形式で、各自思い思いに料理を取っては食べる。

 とはいえ、料理を目当てに来てるような客はあんまりいないようで、皆軽くつまむ程度に雑談を楽しんでいる。

 おいしいのに、もったいない。

 綺麗な女の子とお話しするのは俺も好きだけどさ。

 せっかく用意された食事を添え物扱いはかわいそうじゃね?

 

 30分ほどして見つけたとき、クロは給仕役の料理部の女の子と真剣に話をしていた。

 口の周りにソースがべったり付いてる所を見ると、料理は一通り堪能して、今度はデザートに突撃しようと言うところか。

 あ、誰かにとっつかまって口を拭かされてやんの。

 …なんだ、うちのクラスの委員長じゃないか。

 そのまま、三人で何かを話している。

 声をかけようとして、やめた。

 クロがよく女子の相談を受けているのを思い出したんだ。

 女の子同士の内緒話に首を突っ込むとろくなことがない。

 俺はくるっと一回転して、パスタのテーブルへと向かった。

 

 パスタのテーブルを一周して俺がふと外を見ると。

 

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 男の悲鳴が上がって。

 体育館の窓の外を何かが落ち。

 重い物が地面にぶつかる鈍い音がして。

 何人かの悲鳴が上がった。

 

「転落!?」

 慌てて体育館を飛び出そうとする俺を、

「下手に動かない方が良いと思うよ?」

 すっと遮るクロ。

 まじめくさってるけど、片手にスイーツ山盛りの皿持ってちゃ緊迫感はゼロだぞおい。

「おい、クロ」

「食べない?料理部とスイーツ研究会合作のタルト。おいしいよ」

 皿を差し出すクロ。

 周囲には気づかれないよう若干伏し目がちになっているが、俺には分かった。

 こいつ、何かを探すように会場を見回していやがる。

 …何を?

 

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「家政科部副顧問、笹吹誠次、29歳だそうだ」

「ふうん」

 窓の外を眺めたまんま、相変わらずの気のない返事。

 せっかく事件の情報聞き込んできた俺にそれはないだろ。

「……つか、なんか知ってたのかよ、クロ」

 昨日梳かした髪がもうぼさぼさだ。また手を抜いて石鹸で洗いやがったな。

「知らなかったよ。わかってはいたけど」

 なんだそりゃ。

 

「疑問1。佳美ちゃんはなぜシロなんかに相談したのか」

「おいおい、佳美ちゃんは関係ねーだろ。そりゃ副顧問だけどよ」

「いいから聞いとけ。そもそもシロを彼氏が居るからって振ったんでしょ?相談するならまずその彼氏に相談するのが最初だと思うけど」

「うんまあそりゃそうかな」

「疑問2。佳美ちゃんはなぜ放課後の技術室なんかに行ったのか」

「それは用事があったから……」

「放課後、あんな不気味な場所に女の子一人が行くなんて、どんな用事があるってんだよ。 大体、家政科部に入る子が技術の選択授業なんか取ってるわけないし」

「あ、やっぱクロも気味悪かったのか」

「うっさい。疑問3。あの悪戯は誰宛だったのか」

「佳美ちゃんじゃねえの?」

「どうだろね。それはわかんないけど。放課後のあんな時間に技術室の近くにいるなんて物好きが、そうそう沢山居るとも思えないよね」

 現に噂にもなってなかったわけだし。とだけ言ってまた窓の外の方を向く。

 畜生、こんだけで考えろってか。

 

「疑問1は……彼氏があてにならなかった?」

「半分正解」

「あてになんない彼氏、か。頼りない奴だったのかねえ、お化け屋敷も怖い、みたいな」

 時々居るんだよな。つか、男より女の方がああいうの平気な気がする。

 でも、半分ってなんだよ。まだ充分じゃねえのか。

「副顧問も男性だったんでしょ? 普通はそっちに相談しないかな?

 部活動でしょっちゅう一緒にいるわけだし、軟派なシロよりはよっぽど相談しやすいと思うけど」

「軟派とは失礼な。俺はいつだってマジだぜ……って、どういう意味だ、それは」

「それが半分、だっての。副顧問『にも』相談できない理由があったんでしょ」

「副顧問も頼りない奴だったのか……って、彼氏でもねーのにそんなことわからんよな」

「ふうん?」

 って、まだ正解じゃねえのかよ。

「ま、先進めればわかるんじゃない?」

 肩をすくめるクロ。くそ、舐められてるなあ。

「疑問2は……わからん、ギブアップ」

「早いよ。少しは考えろ」

「つってもなあ…」

「『こう言うときは発想を逆転してみるのよ』」

「誰の真似だよ、そりゃ」

 でも、逆転、逆転か……

「用事なんかなかった…じゃ、なおさら行かねえよなあ。じゃあ、行った時間が違った…らタイマーの意味がねえし。一人じゃ、なかった?」

「うん正解。でも、また半分だね。一人じゃ行かないけど何人かなら行く理由がわかんないんじゃ意味がない」

「肝試し……とか」

「もしそれで声を聞いたなら、もっと沢山の人が話をしてるよね。そんな噂の広まりもないってことは、その人達は口をつぐんでいるし。なにより」

 どうして佳美ちゃんは一緒に行ったことを黙ってるのかな?

「……なんでだ?」

「あー、シロはそういうとこ真面目だったね。

 大ヒント。保健室、体育倉庫、空き教室」

「なんだそりゃ……って、あーあーあー」

 わかった、わかりました。

 そりゃ言えんわ。

 つか、お前も女の子なんだからそう言うことを軽々しく言うな。

「ってことは彼氏が一緒で、そこで役に立たなかったから即俺んとこに来た、と」

「…惜しいなあ」

 惜しいって何だよ。これでも精一杯頭ひねったんだぞ。

「相談相手は軟派でスケベなことでは校内随一のシロだよ?

 彼氏と一戦やらかしてる最中に出た、なんてくらい言っても差し障りないでしょ」

「やらかし……ってお前」

 女の子がそんな言い方するんじゃありません、って。

 その前の部分にも異議を申し立てたいぞ、俺は。

「シロにさえそれを隠したのは『それがスキャンダルになる』相手だったから」

 …って

「佳美ちゃんの彼氏は笹吹先生で、それで……」

「しけ込んでるときに声が聞こえてきたんだろうねえ」

 しけこ…もういいや。そこで目くじらを立ててもしょうがない。

「そこで疑問の3。この悪戯は佳美ちゃん宛か笹吹先生宛か」

「佳美ちゃんが俺に相談に来た以上、佳美ちゃんなわけがねえってことか」

「消去法で笹吹先生ということ。ん、良くできました」

 ぱちぱちっと拍手。

 余計いらっと来るわ。

 

「待てよ、お前あんとき止めたよな。こうなることが分かってたってことか?」

「変につついてやぶ蛇になるのも面倒だしね」

 そこでおしまい、とばかりにまた外を向いてしまうクロ。

 察するに、こいつが心配したのは笹吹先生よりも悪戯の犯人なのだろう。

 陰湿だが明確な悪意を持って仕掛けられた悪戯は、犯人が肉体的にも権力的にも「実力行使」に出られないってことを示している。

 お化けの仕業と思いこめば良し、「誰かの悪戯」であることを突き止めてしまえば、笹吹先生は反撃に出るだろう。

 だが……

「それで『時間の問題』ってか」

 クロは答えを返さなかった。

 

「そういやお前、あの時何を探してたんだ?」

「ああ……シロは変に思わなかった?」

「何をだよ」

「主催してるイベントで事件が起きたんだよ……責任者が場を取り繕うもんじゃない?」

 なんだそりゃ。

 

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「よう、クロ。こんなとこで会うなんて珍しいな」

 図書室。

 読書と言やあ無趣味の代名詞だが、クロと来たら読書もしやがらねえ、筋金入りの無趣味だ。

 休み時間も大抵はぼおっと窓の外を眺めてるだけで、考えてるのは今日の晩飯のこととか、空が青いなーとか、くっだらねえことらしい。

 じゃあ家でなにしてんだと言ったら、やっぱり一日ぼけっとしてるとか。

 こいつの部屋とか、殺風景もいいとこだ。

 家具らしい家具は作りつけのクローゼットと事務机にパイプベッドだけ。

 女の子らしいクッションだとかぬいぐるみの類も一切無し。

 鉢植えとかポスターとか、そういう雰囲気作りのアイテムもゼロ。

 初めて行った時は今流行のネグレクトかと焦ったもんだ。

 なんでだって聞いたら、

「片づけが面倒だ」

 って、面倒がりにも限度って物があるだろう。

 ま、そんな奴だから。

 図書室なんて、相当の暇人か本の虫しか顔を出さないような僻地で見かけることは珍しいんだが。

「シロこそ、読書が趣味だなんて聞いたこと無いよ?」

「うっせえ。俺はこれでも本は読むんだよ」

 お前よりはな。

 いや、マジでマジで。

 ミステリとかSFも好きだぜ?

「ふうん?…ま、シロと同じじゃないかな」

「ってことはお前も司書の群田先生を口説きに来たのか?」

 ありゃ俺が狙ってんだぜ?

 ミステリアスな雰囲気の大人の女性で、地味な服装に隠れちゃいるが、かなりのナイスバディだ。

 入学以来口説いちゃいるんだが、のらりくらりとかわされ続けてる。

「その空しい努力には敬意を表するけどね」

 うう、視線が冷たい。

「……やっぱあの事件のことか?」

 笹吹先生が転落した…殺された、事件。

 事故ってことになってるみたいだが、んなわきゃねえ。

 大体、家政科部の副顧問が、校舎の屋上に何の用があるってんだ。

「…で、ここに調べ物をしに来た、と」

「お前も同じだろ?」

「まあね」

 クロが肩をすくめたとき、書庫から群田先生が出てきた。

「はい、黒岩キヌさん。これが頼まれた資料ですよ」

 抱えていた数冊のアルバムとファイルをクロに差し出し、一言耳打ちする。

 それを聞いたクロの顔が嫌そうに歪んだ。

 …なんだ?

 

 学校関連の記事を集めたファイル。

 大抵は誰が展覧会で賞を貰ったとか、どこかの部が地区大会で優勝したとか、ほほえましいニュースで溢れてたんだが。

「高二少女自殺、か」

 小さな記事だった。

 記事の日付は七年前。

 一人の少女が学校で自殺をした。

 それだけ。

 自殺の背景も少女の名前も書かれていない、そっけないにもほどがある記事。

「学校が隠蔽したんだろうね。スキャンダルを怖れたっていうのは想像に難くない」

「それにしてもよ、この扱いは酷くないか?」

 一人の少女の死を伝えるのに、それはあまりにも小さくて。

 日常のなんでもないことのように流されてしまいそうな。

 下らない感傷かも知れないが、これじゃ死んだ少女も浮かばれまい。

「それに…これじゃ結局死んだのが誰かもわかんねえぜ」

「ヒントは出てるんだ。目星は付けられるだろ?」

 呆れたように言うクロ。

 人をバカを見るみたいな目で見るんじゃねえ。

 

「この自殺が今回の事件と関係ありそうなのはわかるね?」

「ああ…『とおりゃんせ』な」

 いたずらに使われた童謡。

 

 …このこのななつのおいわいに

 

 偶然かも知れねえが、笹吹を狙って仕掛けた周到さから見て、悪戯の主が無意味に選曲したとは思えない。

 その歌詞は、笹吹にとって何か意味があった、と考える方が間尺に合う。

 それに、七年前の自殺。

「なら、笹吹先生はこの子と近いところに居たはずだ。犯人に責任を伺わせるほどには、ね」

「でもよ、笹吹は今29ってことは当時22…大学生だろ?…って、そうか」

 教育実習生。

「だろうね……ほら、ここにいた」

 7年前の卒業アルバム。

 教育実習の風景と題された写真で教鞭を執る笹吹の姿があった。

「つーことは当時の教え子の誰か、ってことか?それにしたって多いだろ」

「もう一つ同じ時期に起こった事件があるでしょ?」

 ぱらぱらとアルバムをめくるクロ。

 開いたページは……

 

「クラブ活動?」

「そう。家政科部から料理部が独立したのが七年前。そして笹吹先生は現在家政科部の副顧問。七年前はどうだったんだろうね?」

 家政科部と料理部の集合写真は、やけに離れてレイアウトされていた。

「…と言ってもここまで、かな? これ以上はちょっと絞り込めないよね」

 まして犯人まではどうやってもわかんないし、とクロは伸びをした。

 

「さて、帰るかな。あ、シロ、資料を群田先生に返しておいて」

「…っておい!こんな中途半端で納得出来るか!」

「後は警察の仕事だよ。一介の生徒が知って良いことじゃない」

 振り返ったクロの顔は、いつになく険しかった。

 

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 翌日の放課後。

 僕―クロこと黒岩キヌは、夕焼けに染まる技術室にいた。

 

「…そこまで調べが着けば後は簡単です。当時の部員名簿を首っ引きにすればいい」

 単純な引き算の問題だ。

 入部したけれど、退部も卒業もしなかった少女。

 大原俊子。

 それが自殺した少女だ。

 

「でも、それでは自殺した子のことが分かるだけでしょう?」

 僕の目の前の人は小首をかしげる。

 事件の犯人までは突き止められないはずだわ、と。

「日曜日の事件発生後、僕たちは比較的早く帰されました。

 受付を担当していた料理部の生徒が体育館からの出入りをチェックしていたおかげで、その時点で『誰も出入りしていなかった』と、簡単に確認出来たからです」

 実際には、会場の有力者達の圧力もあったのだろうけど。

「料理部の子達も、役割分担が決まっていて、誰がどこにいるかはすぐに分かるようになっていた。相互監視の状態だったわけです」

 でも、

「あなただけは所在が確認出来なかった」

 そう、

 料理部顧問の石川明子先生。

 僕の目の前に居るその人だけは。

「おかしいですよね。

 料理部主催の食事会、その監督責任者のはずのあなたが、生徒に所在を知られないなんて」

「そうおかしいことでもないでしょう?

 主催者の長として、来賓の方々にご挨拶したり、裏方の子達に様子を聞いたり、出入りが激しかったのだから」

「そうですね。でも、本来なら逐一行き先を告げているべきでしょう。

 その上であなたのもう一つの肩書きを知ってしまうと、どうしても疑いたくなります」

 料理部初代部長、旧姓大原明子さん。

 

「…シロは気づいてなかったみたいですけどね」

「元部長が母校に戻って顧問になっていることがおかしいかしら?」

「それ自体は全く。でも、ご結婚で苗字が変わったとはいえ、その前歴を表向けにされていないのはひっかかりますよね」

 七年前家政科部から独立した料理部。

 その創設メンバーが、素性を表に出さない理由。

「笹吹先生が既に勤められていたから。着任早々のあなたが目を付けられるわけにはいかなかった…違いますか?」

「何故私が笹吹先生を避ける必要が?」

「あなたが七年前の自殺の原因…妹さんの妊娠の相手を、笹吹先生だと知っていたから」

 石川先生の目が見開かれた。

 彼女が妊娠していた事実は…秘密だったから。

 得体の知れない、あの司書の先生がどこかから調べてきた秘密。

「七年前、教育実習生だった笹吹先生が、妹さん…俊子さんに手を出した。俊子さんは妊娠し…自殺してしまった。

 その後笹吹先生は実習期間を終えて去ってしまいますが、家政科部の空気が悪化したのでしょうね。あなたは友人と共に独立した。

 そして現在、飯本さんもまた、笹吹先生のお手つきとなり…妊娠していた」

 石川先生が悪戯を仕掛けた理由は分からない。ただ釘を刺すつもりだったのか、罪を追求するつもりだったのか。

「呼び出したのは笹吹先生の方ですね?」

「ええ。日曜日、『例の場所』で話がある、と」

 だから。

 石川先生は。

「技術室に行ったのよ、私は」

「え?」

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「妹が自殺したのはここ。技術室―当時の学生食堂だったもの」

 「閉鎖された」学生食堂。

 閉鎖されたのはいつのことだ?

「首を切って、返り血で部屋が真っ赤に染まっていたわ」

 技術室は夕焼けで真っ赤に染まっていた。

 …まるで血の海のように。

「彼が、妹が死んだまさにその場所で、他の女生徒を抱いている。

 それが私には酷い冒涜に思えたわ」

 

「なぜ、彼は屋上に…」

「分からない。妹の自殺の詳細は伏せられていたから、校内で自殺と聞いて飛び降りだと思っていたのかも知れないわね」

 呆然とする僕に、肩をすくめる石川先生。

「彼が死んで安心しているのは本当。

 彼が手を出していたのは妹や飯本さんだけではなかったみたいだし。

 でも、彼は理事の息子で…私にはどうすることも出来なかったもの。

 だけど、殺したいとまでは思っていなかったわ。

 妹の時と同じ過ちはして欲しくなかっただけ。

 飯本さんのことに、ちゃんと責任を取るのなら、それはそれでよかった」

 

 ……石川先生が笹吹先生殺害の犯人じゃない?

 そんなはずはない。

 あの日、校舎に残っていたのは石川先生と笹吹先生だけで…

「私が会場を抜け出してここに来たことは警察にも話したわ。

 でも、彼は結局『事故』と言うことになった。

 現場には争った形跡がなかったからだって」

 

 何かがおかしい。

 何かが致命的にかみ合わない。

 僕は足下ががらがらと崩れ落ちるような錯覚に捕らわれた。

 

「これは警察に聞いた話だけど。

 笹吹先生は、転落直前には心臓が止まっていたそうよ。

 何か恐ろしい物を見たようなものすごい形相で、『心当たりはありますか?』と聞かれたけれど」

 言えるはずはないじゃない?

 と、石川先生は少女のようにかわいらしく小首をかしげた。

 

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「料理部の女の子に聞いたんだけどさ、顧問の石川先生、学校辞めるって話だぜ」

「んー」

「佳美ちゃんも転校しちまうし、校内の美人が減るのは辛いなー」

「んー」

「クロが来月結婚するらしいな」

「んー」

「相手はファミリーランドのクマのぬいぐるみで」

「んー」

 ……完全に生返事でやんの。

 窓の外、微妙に曇りだした空を見上げてる。

 またどうせろくでもないこと考えてるんだろうが。

 

 結局事の真相はうやむやのままだ。

 クロは多分図書室で何かを掴んだんだろうが、何も言わねえ。

 群田先生が囁いた一言も気になるが、こいつが秘密にすると決めた以上梃子でも動かない頑固者なのは、俺も重々承知だ。

 もし言うべきだと判断していたら、ちゃんと俺に話すだろうし。

 あいつがもう打ち切り、と決めたのなら、下手につついてやぶ蛇になるよりは、放っておいた方が良いんだろう。

 納得は行かないが。

 

「…ねえシロ」

「なんだよ?」

「幽霊って居ると思う?」

「さーてなあ。今のところ見たことはねえけど」

 美人の幽霊だったら大歓迎だぜ。

 あ、でも腰から下が無いのか。

 そりゃちょっと不便だな。

「まったく、シロらしいよ。

 んー……とすると、恨みを晴らしたのか、姉を守ったのか…」

「何の話だ?」

「ん、何でもない。こっちの話」

「なんだそりゃ。

 ……そうそう、駅前に新しいドーナッツ屋が出来たんだけどさ、これが旨いらしいんだ」

 料理部の子に教えて貰った。

 なんでも粉の配合に秘密があるとか何とか。

「いいね、行こうか…シロの奢りで」

 けろっと機嫌を直して大乗り気のクロ。

 って、何で俺が奢るって事になってんだ。

 しっかりしてやがるぜ、全く。

 

 

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