少女の航跡 第3章「ルナシメント」 25節「死地」 |
ピュリアーナ女王の命令により、直ちに《シレーナ・フォート》王宮に直属の魔導士たちが動員され、避難場所に避難している民に救いの手が差し伸べられた。
王宮に直属の魔導士達が動員されるのは、あくまで戦争の時ではなく、このように王都に直接危機が迫っている時に限定される。魔導士達は、敵に対して攻撃のための魔法を使用する事は出来ず、あくまで防御、そして民を保護するための魔法に限られる。
《シレーナ・フォート》直属の魔導士達は、そのほとんどがシレーナによって構成される。それは人間よりも遥かに大きな魔力を操れるためだ。
ピュリアーナ女王の判断は正しかった。彼女の予期したように、《シレーナ・フォート》の都は異形の姿に成り変わり、そこにはどんどん怪物たちが現れ始めた。
その異形の怪物の大きさは圧巻で、とても街に配備された警備員達だけでは対応する事ができないものだった。
何故、異形の怪物がそこに出現し出したのか、それはピュリアーナ女王でも分からなかった。今、《シレーナ・フォート》を覆っているのは、彼女達王族の理解さえも超えたようなものであり、それは圧倒的な存在だった。
ただ、怪物が現れた目的だけは理解できる。それは、この都を滅ぼし、全ての生命を全滅させる事だ。
そのために今、この怪物たちがこの場所へと呼び出されたのだ。
民が怯え、地下道の避難場所の更に奥地へと逃げようとしている。しかし、それを追い立てるかのように、ゴキブリの姿に似た巨大生物が追い詰める。ゴキブリに似た姿をしたその怪物は、人が良く目にするあの小さな怪物と同じであるかのように、その体の大きさからは想像もつかぬような機敏さを見せ、狭い地下道にもたやすく入り込んできていた。
彼らは獰猛だった。元々雑食であり、腐臭の漂うものでさえ群がる彼らは、新たな獲物を人間達、亜人達に定め、群がって来ていた。
何者かが全ての生命を絶滅させるのであれば、このゴキブリを投入するのは、正に的確な判断であったかもしれない。彼らはどんな狭い場所にも入り込み、どんどん人間達と亜人達を追い詰めていた。
地下だけが人間の逃げ場では無い。しかしゴキブリの姿をしたその巨大生物は、飛ぶ事さえできた。《シレーナ・フォート》の高い塔に逃げ込んだ彼らをあっという間に群れ上がり、怪物達が追い詰める。
その姿は正に地獄の様相だった。人間達の大きさを、そのまま昆虫よりも更に小さな存在としてしまったと見る事もできるが、昆虫たちの大きさは建物よりも大きいものも降り、その異形の大きさは人々を圧巻させた。
まだ、今目の前で起きている出来事を現実に起きているものとして認識できていない者達もいる。だが、昆虫たちは容赦なく彼らに襲いかかって来た。
デーラとポロネーゼが子供達と共に避難した地下水路にも、その昆虫達の群れは現れていた。《シレーナ・フォート》の地下水路へと逃げ込めば敵軍勢はそう簡単に侵入して来れないと、都の防衛隊からは判断されていた。
しかしながら、それは都の外にまでやって来たガルガトン達に対しての対処だった。防衛隊も、まさか都にこのような生命体が襲ってくるなど予期もしていなかった。
《シレーナ・フォート》の地下に張り巡らされた、迷路のような地下水路は、巨大な昆虫達にとっては、おあつらえ向きの通り道となったらしく、地下水路内部にも、容赦なくその生命体は現れていた。
子供達は怯えていた。自分達のいつもの遊び場が、今では異形の生命が徘徊する、異形の世界と化している。
子供達は眼下に望む、下水が川のように流れている場所を、無数の昆虫達が群れていくのを、怯えながら見つめる事しかできなかった。
「決して、落ちちゃあ駄目よ。上にいれば大丈夫。絶対に襲って来ないから!」
そのようにデーラの言った言葉は地下水路に反響し、子供たちに伝わった。彼女は自信を持ってそう言ったつもりだったのだが、もしゴキブリにも似た昆虫が這いあがってきたらどうしたら良いか、分からなかった。
デーラもポロネーゼも、弓の腕は長ち、その翼で空を飛ぶ事もできるが、子供達を守り切れるかは自信が無い。
彼女らは弓を既に抜いており、矢さえつがえていた。もし一匹でも下の水路にいる怪物が襲ってくるのならば、すぐにでも矢を放つつもりでいた。
「デーラ。防ぎ切れると思う?この場所は狭くて不利よ!」
同じく弓に矢をつがえているポロネーゼがそのように言った。彼女は不安げな顔をしている。天井がすぐ頭の上にあるこの地下水路では、翼のある自分達にとっても不利だった。
「あたしに聞かないでよね。でも、何としてでも、この子達は守って見せるんだから」
強がって言い放たれたデーラの言葉だったが、やはり彼女も不安は隠す事ができないでいた。地下水路の下で群れている怪物たちは百以上はいるし、その数はどんどん膨れ上がっているようだった。
彼女達の方にも、守るべき子供達が百人はいる。都では嫌われ、見捨てられているような浮浪児達であったとしても、彼女達は守らなければならない。
だが、そんな彼女達の決意に反抗してくるかのように、突然、地下水路の天井が砕け、そこから新たな昆虫が姿を見せた。
その昆虫は下で群れているゴキブリにも似た怪物達とは違い、まるで蟷螂のような姿をしており、しかも翼を有している。4枚の翼は高速で羽ばたきながら、地下水路の天井を突き破って来たのだ。
どうやらその怪物は両腕についている鎌のようなものを使って、地下水路の天井を砕いてきたらしい。今度はその鎌をデーラ達の方に向けて振り下ろしてこようとしている。
その鎌の大きさはまるで巨大なギロチンのようなものだった。少なくとも地下水路の天井を打ち砕くだけの破壊力がある。
デーラはその怪物に向かって弓矢を放ったが、矢は怪物の外骨格に弾き返されるだけで全く意味が無かった。
せめて、子供たちだけでも守らねば。そう思ったデーラは側にいた子供達に向かって身を盾としようとした。
しかしその時、打ち砕かれた天井から何者かが素早く怪物の背に落ちてきた。
その者は小柄な体をしており、怪物の大きさからすれば、実に小さな存在に見える。だが、天井の上から降りてきたその者は、巨大な昆虫の上で爆発を起こしていた。何故そこで爆発が起こったのか、デーラ達には始めは理解できなかった。
だが、背中でおきた爆発の衝撃で、そのまま地下水路の下に落下していく怪物から、デーラ達の方に飛び移ってくる小柄な人物を見て、彼女らは納得した。
「あなた達。この地下水路はもう危険よ!外へ出て!」
そのように甲高い声で命令してくる人物をデーラ達は知っていた。確か、『セルティオン』の国からやって来た魔法使い。名前はフレアー・コパフィールドとか言う。
彼女は小柄な体ながら、自分よりも何倍も大きな昆虫の怪物を打ち倒し、その体を地下水路の下へと放逐していた。
「ここは危険って言っても、外はもっと危険なんじゃありませんか?」
デーラが子供達の体を庇いつつ、フレアーに向かってそのように言った。だが、フレアーは、素早くデーラ達がいる足場の方に飛び乗ってくるなり言った。
「え、ええ。この状況じゃあ、そこに逃げようとも同じかもしれない。でも、残る手立ては一つだけ。それは都を逃れる事よ。ピュリアーナ女王からの命令が下りたわ」
フレアーは素早い口調でデーラ達に向かってそう説明した。
「都を逃れるって、それは、都を捨てるって言う事ですよね?そんな事をピュリアーナ女王陛下が命令されたんですか!」
ポロネーゼが甲高い声を上げて言った。
「民を守るため、仕方ない命令を下したのよ。子どもたちを守り、この都を離れるって!」
フレアーは焦っている。何しろ、今にも下の地下水路で群れている昆虫達がここに登って来そうな気配を見せていたからだ。
都を逃れると言う判断。それは都を捨てると言う事に等しい事だった。
都を捨てると言う事それ自体が、戦争での敗北を意味し、王国の失墜を意味している。ピュリアーナ女王は民の限界まではこの都を逃れず、迫りくる脅威から徹底抗戦の構えで臨むつもりでいた。
しかしそれはついに限界にきていたのだ。この地にやって来ていた脅威とは、ピュリアーナ女王の理解を遥かに超えたものだったのだ。都中に溢れかえる昆虫にも似た異形の怪物たち、そして街を覆う、圧倒的な気配と空間は、すでに都が陥落した事を示しているかのようだった。
果たして全ての民を逃れさせる事ができるかどうか、女王には自信が無かった。都の中にはどのような敵よりも強大でいながら、圧倒的で、更には恐れも知らぬような怪物が群れ上がっている。
しかも都の陸側に逃れようとするならば、その先の平原には、物言わぬ異形の傀儡であるガルガトン達が包囲網を敷いている。逃げ場は一つ、それは海側に逃れるしか無かった。
ピュリアーナ女王は自らがいた王宮直下の避難場所を逃れ、更に深い場所へと潜っていた。王宮下には長大な螺旋階段が設けられており、そこは《シレーナ・フォート》の最深部へと向かう場所だった。
ピュリアーナ女王が向かっていたのは、最後の脱出口であり、王宮から海へと脱出する事ができる唯一の方法でもあった。
女王は、シレーナの従者に周囲を囲まれながら、その階段を足早に降りていた。
「私達が最初になるのか?民は?民の避難はどうなのだ?」
ピュリアーナ女王にとっては自分の命よりも民の命、そして何よりもこの王国の存続の方が大切だった。
しかしながら従者の言ってくる言葉は、ピュリアーナ女王にとっては残酷なものだった。
「女王陛下。あなたが最初となります。この後、王族、政府要人、貴族達に続いて、王宮の者達を避難させます。民の避難は可能な限り行いますが、全ての民を避難させるのは不可能と思われます」
その従者の言葉に、ピュリアーナ女王は反発した。
「何だと!民を避難させる事ができない。見殺しにすると言うのか。だと言うのならば、私も騎士達と共に戦うため、ここに残るぞ!」
ピュリアーナ女王の声が地下の回廊に響き渡った。シレーナ族特有のもので、彼女の声はまるで音の衝撃波のようになって周囲の壁を揺るがした。それは従者達も思わず怯んでしまいそうなくらいの迫力がある声だった。
だが、そんなピュリアーナ女王を、最も年長のシレーナの従者が落ち着かせようとする。彼女はピュリアーナ女王よりもずっと年上のシレーナだった。
「女王陛下。そのようなわけにはいきません。あなたは王国にとって必要なお方。あなたの命が敵方に奪われるような事があれば、それこそ、王国の崩壊の時です。今は、逃れるしかないのです。時を待ち、反撃の機会を待ちましょう。そうすればいずれ、王国を取り戻す事はできるようになるはずです」
その側近は、このような死地にありながらも、非常に落ち着いた声でピュリアーナ女王をなだめた。
「反撃の機会。そのような機会があれば良いがな。だが、たとえ一人でも多くの民を救うように命じろ。子供一人、浮浪者一人とて、救い出すように命じる」
「はい、女王陛下の意志。ここに刻みました」
そのように側近の従者が言い、ピュリアーナ女王は更に王宮地下の地下通路を進もうとした時だった。
突然、地下通路の天井の崖が崩れ、そこから何者かが姿を見せる。従者はピュリアーナ女王の体を庇うのだが、落ちてくる瓦礫と砂埃が、彼女らの行く手を阻んだ。
「女王陛下!」
「女王陛下をお守りしろ!」
シレーナ達の声が響いた。だが、そんな声よりも遥かに大きな声として、地下通路に反響する奇声が響き渡る。その奇声は、とてもこの世のものとは思えぬようなものだった。地下通路の狭い場所で、甲高い音だけが爆発したかのような音であり、それは、天井から落ちてきた瓦礫を更に吹き飛ばした。
「女王陛下。ご無事ですか?」
従者に庇われていたピュリアーナ女王が、瓦礫の中から身を起こした。彼女は砂埃こそ被っていたものの、体は無事だった。従者が身を呈して彼女の体を守ったため、怪我を負う事はなかった。
だが、ピュリアーナ女王達の前には今、巨大な影が迫っていた。その影は、彼女らシレーナのものよりも何倍も大きく、形は異様なものだった。
昆虫の寄せ集めの姿を何倍も大きくしたもの、と言ってしまえばそうなのかもしれないが、蟷螂にも蜻蛉にも似ているかのような目の前の怪物の姿には、ピュリアーナ女王の護衛の者達も、どうする事もできないといった様子だった。地下通路は狭いと言うのに、その怪物は容赦なく女王達に接近する。地下通路の天井や壁を鎌で砕きながら、女王達に接近してきていた。
瓦礫が飛び散り、更に地響きにも似た振動が通路を揺るがす。
「女王陛下、ここはお逃げください!」
と、ピュリアーナ女王の側近は言うのだが、逆に女王はと言うと、接近してくるその昆虫にも似た怪物に近づいて行くではないか。
「女王陛下!御戻り下さい!危険です!」
従者の一人がそのように叫んだが、ピュリアーナ女王は引かなかった。
女王は何も臆する事もないかのように、巨大な昆虫の怪物へと近づいて行く。昆虫は巨大な鎌を振り上げ、女王を威嚇したが、彼女は怖気づこうともしない。
「お前達か?お前達が私達の手から、この都を奪おうとしているのだな?」
女王は静かにそのように言った。しかし静かに言ったとはいえ、その声はシレーナ特有の声帯によって増幅され、まるで地の底から湧きあがってくるような圧倒的な迫力となって怪物に襲いかかった。
怪物もそれを感じ取ったのか、鎌を振り上げて女王を威嚇しようとする。
「女王陛下。お戻りください!」
従者の声がそのように響いたが、ピュリアーナ女王は構わなかった。彼女は背から生えた純白の翼を地下通路一杯に広げながら、怪物を威嚇した。
「私が、この都を、この国を司る存在だ!貴様ら虫ごときに、この都をくれてやるものか!」
そう発せられた女王の声は圧倒的なものとなって昆虫に襲いかかった。地下通路は激しく揺さぶられ、一部崩落しかかっていた天井が崩落した。
それは、他でも無く、女王の声によって引き起こされた現象だった。地下通路にいた従者たちですら、その圧倒的な迫力を持つ声に恐れを抱いた。
昆虫もそれを感じたらしく、一瞬怯んだ。だが、その巨体に備わっている度胸も相当なものであるのか、すぐにピュリアーナ女王の方を向き直って、威嚇の姿勢を見せた。
昆虫は、女王に向かって、その巨大な鎌を振り下ろしてこようとする。ピュリアーナ女王は翼を広げた姿とは言え、その巨大な鎌の前ではまだあまりに小さな姿だった。
だが女王は振り下ろしてきた昆虫の鎌に怯える事もなく、その口を開き、そこから、誰にもその意味を理解する事が出来ないような声を発した。
声は、圧倒的な迫力を持って地下通路を揺るがし、昆虫へと襲いかかる。女王の声の風圧なのか、音波なのか。その声は、昆虫が振り下ろしてきた鎌をその場で受け止めるに十分なものであった。
しかもそれだけではなく、女王が発した声は、衝撃波のようなものを生み出し、そのまま昆虫の鎌を打ち砕いた。まるで巨大な鉄槌で打ち砕かれたかのように、昆虫の鎌は粉々に粉砕されてしまう。
それだけではなく、地下通路の壁、更には天井、床さえも打ち砕き、女王の発した声が、昆虫の体を粉々に粉砕していく。激しく空気は揺さぶられ、その音波は巨大な力を発した。
女王が再びその白い翼を閉じた時、シレーナ達の前方の通路には昆虫の姿は無かった。地下通路の天井からこぼれおちてくる砂埃があるだけだ。
女王の発した音は、何度も地下通路に反発し、響き渡っているらしく、その音はこだまが何度も繰り返すように聞こえていた。だが、その意味は誰も理解する事が出来ないだろうし、実際、意味の無い声を発しただけのようだった。
女王の方は何事も無かったかのように、その金色の髪を片手で直しながらシレーナ達の方に向き直った。
「さあ、シレーナ達よ。向かうぞ。奴らはどうやらこの地下通路の存在さえも嗅ぎつけて来ているようだ」
女王の普段は見せつけぬ、圧倒的なシレーナとしての力を見せつけられ、シレーナ達は唖然とするばかりだった。
だがぐずぐずもしていられない。敵は既に目前に迫って来ている。巨大な昆虫の登場に怯んでいたシレーナ達も、その身を起こし、女王を守ると言う任務を続けるのだった。
説明 | ||
陥落寸前の《シレーナ・フォート》。フレアーやピュリアーナ女王は、都から民の救出に専念することになるのでした。 | ||
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