パンザマストを知ってますか? |
「パンザマスト、というのを知ってるかしら」
「はい?」
朝の冷ややかな風を受けて、守屋神社の境内に立つ早苗と紫の間に冷たい空気が通り抜けた。
唐突に背後から現れ胡散臭い言葉を投げかけられた早苗は思わず箒を胸に抱いて、身構えてしまった。しかし紫は特に気にした様子も無く、手にした扇子を開いてまるで狂言を語るかのように話を続けた。
「以前聞いたのだけど、外の世界にパンザマストというのがあるみたいじゃない。それが何なのか想像もできないから、あなたに聞いみようと思ったのよ。元外来人さん」
「はあ……」
ホホホ、と紫は笑う。それに対して得体のしれないものを見る目をした早苗は「本当にそれだけなのかなぁ」という不安な気持ちでいっぱいであった。とはいえ、紫が普段みせる行動からして本当にそれだけな気もしている。
早苗は抱き寄せた箒を強く握りしめた。
「それにしても、何で私なんですか」
「だって、この前同じような用件で外来人を呼び寄せたらだれかさんにこっぴどく叱られちゃったんだもの。同じ手は使えないわ」
「ああ、夏の百物語ですか。それで霊夢さんはあんなに不機嫌だったんですね」
紫がコホン、と咳を一つついた。扇子で目元まで顔を覆っているが、軽く赤面しているのが見て取れる。どうやら、あまりその話題には触れられたくないようであった。
その様子に、本当にただ知りたいだけらしいという感触を得ると同時に、霊夢の話を出したとたん可愛く咳払いをする紫の態度に早苗は両手の力が抜けているのを感じた。
「それはともかく、知ってるの、知らないの」
紫が早苗をじとり、と見つめた。
「そんな事言われても」
紫の視線を浴びた早苗は、持っていた箒を左手に持ち替えて右手で軽く頭を掻いた。それは考えるというよりも、呆れたという風に感じられる仕草であった。
「私も知りませんよ。それに、いったいどこからそんなこと聞いたんですか」
「乙女の秘密よ」
「えー……」
私だって乙女なのに、というつっこみが喉から出掛かり、早苗はぽかんと口を開けた。そんな早苗をそのままに、紫は「ふーん……」と手にした扇子をパチン、と閉じると、それを口元に当ててなにか考え始めた。
その姿は先ほどの咳払いをした時とは違い、いつもの何を考えているかわからない、狡猾な雰囲気をかもし出している。
「ありがとう。他をあたってみるわ」
「え、ちょ、ちょっと……」
やがて紫は取り付く島もなくスキマに潜り込んだ。後に残されたのは狐か狸に化かされたかのように立ち尽くす早苗だけであった。
山の下からは季節の変わりを告げる冷たい風が先ほどと変わらず吹き続けた。
†
「で、僕のところに来たわけだ」
古ぼけた匂いの溜まった香霖堂。そこでお茶を飲みながら読書を楽しんでいた霖之助の目の前に、突然現れて紫は早苗にしたのと同じ質問をした。
「あと知ってそうなのはあなたぐらいなのよねぇ。わたしって、知りたいと思ったらとことん調べようと思う性格じゃない」
「あなたの性格なんて知りませんよ」
メガネの位置を直して、早苗のように胡乱な目を向けた霖之助は軽く咳払いをする。
「パンザマストなら本で見た事があります」
「本当!?」
「ええ。たしか……」
そう言って霖之助は読んでいた本を置き、奥の部屋へ入っていくと、ほどなく紫のもとに戻ってきた。その手には「柏」と書かれた本が薄い本が握られている。
「なにかしら、それは」
「外の世界からやってきた古い児童向けの指導本みたいですね。これに『パンザマストが鳴ったら帰りましょう』と書いてありました」
「へぇ。鳴るということは鳥かしら」
「いえ、違いますね。正確には柱みたいです」
「柱?」
紫が小首をかしげた。
守屋神社の一柱である加奈子を思い浮かべた。柱と言えば思いつくのはそれで、あれがぴいぴいと鳴っている姿を想像して思わず笑みがこぼれた。
霖之助はその笑みを気味悪がりながらもあえて気にしないようにして、手にしている本をめくり続けた。
あるページで指が止まる。
「ふむ。再現できそうですから、やってみます?」
「できるの?」
「ええ。電源はバッテリーから確保できますし、機材も古いですが商品に入れてありますから、それを使えばよろしいかと」
「嬉しいわ。どれぐらい待てばできるかしら」
「2、3日程でできますよ。ついでですからこれを幻想郷の人々のために設置してみましょう」
「幻想郷の?どういうことかしら」
紫は眉をひそめた。紫にとっては楽しければそれでよく、他人がどうなろうと知ったことではない。
ましてや人のためなどは優先度という意味でもなによりも下に位置するため、自分の行為が人のためになるというのは心外であった。
そんな紫に「まあ、やってみればわかりますよ」と霖之助は諭したのだった。
†
ある日の夕刻のこと。
西日が橙色のカーテンのように染め上げた空を、穏やかなメロディが駆け巡った。突然の音楽に村の住人たちが訝しげに上空を見上げると、続いて気だるそうな声が夕暮れの空から聞こえてきた。
「もうじき、暮六つ時となります。妖怪が出没する時刻となりますので、子どもは速やかにおうちに帰りましょう」
遠く、かすかな女性の声に人々は首をかしげる。子どもたちは調子はずれな声に笑い声を上げ、母親たちは気味悪がってころころと笑う子どもたちを家の中に押し込んだ。
話し合う者は互いに声の聞こえる方角を見つめ、商売をする者も商品を手に棒立ちとなる。やがて帰り支度で賑わっていた村々はメロディと胡散臭い声だけが支配した。
しばらくしてメロディが終わり、変わって静寂が訪れる。人々は何もおきないことを確認すると、今の現象を話の種にしながら、何事もなかったかのように一日の仕舞を始めるのだった。
「これでいいのかしら」
マイクのスイッチを切って紫は霖之助をじろり、と見つめた。その目付きはいかにも「どうしても信じられない」と物語っている。
「ええ。これがパンザマストですよ」
霖之助は脇にそびえる柱を見上げた。柱はワイヤーで固定されており、その頂点には四方に顔を向けるようにスピーカーが配置されている。
「パンザマスト……というか夕焼けチャイムですよね、これ」
「夕焼けチャイム?」
傍らにいる早苗と守屋神社の二柱である諏訪子と加奈子、そしてにとりもそびえる柱を見上げた。
村々に響き渡った放送の元は守屋神社の境内で行われた。それは放送を届けるには高いところがよく、なおかつ河童という技術屋がすぐそばにいるからという理由であった。
「子どもが夜に出歩くと危ないですから、これを使って外で遊んでる子どもたちにかえりなさーい、て呼びかけるんです」
「ふぅん。面白いものがあるもんだ」
にとりは頭の後ろに手をまわして、感心した様子で柱を見上げ続けた。
「早苗のところではこれが普通なの?」
諏訪子が視線を早苗に移した。早苗は「はい」と答えたが、すこし歯切れが悪い様子で「でも……」と続けた。
「パンザマストなんて言葉は初めて聞きました。本当にこれがパンザマストなんですか?」
「どうやら地方限定で使われる、いわゆる方言みたいですね。この本の出版地では一般的だそうです」
「へぇ」
霖之助の解説に、一同は再び柱を見上げた。
オレンジの光に照らされた一本きりの柱は物悲しい雰囲気を醸し出し、これから訪れる夜の寂しさを物語るかのようである。
「で、どうでしたか紫さん。パンザマストの感想は」
「……」
マイクを握ったままパンザマストが背負う夕焼けを見上げた紫はしばらく沈黙を守っている。やがてぽつり、と一言だけつぶやいた。
「おうち帰りたいわ」
説明 | ||
pixivの東方企画の投稿用の小説です。 ネタの作成経緯としては「夕日、夕焼け→夕焼けチャイム→そういえば県民ショーでパンザマストなんてあったな→またゆかりんの仕業か」という感じです。興味のある方は「パンザマスト」で検索してみてください。ちなみに、自分は埼玉出身なのでパンザマストはテレビで初めて知りました。 |
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