レッド・メモリアル Ep#.16「記憶の庭園」-1 |
アリエルは自分がどこかから呼ばれているような気がした。彼女を取り囲んでいるのは真っ白な空間であり、どこを向いても何も見る事ができない。
だが、どこからか声が聞こえて来ている事は分かった。
アリエルは白い靄の中に包まれており、自分の姿さえもそこでは見る事ができないでいる。しかし声だけははっきりと聞こえてくる。
「アリエル。アリエルよ」
その声をアリエルは知っている。誰のものであるかという事も分かったが、その声は随分とアリエルが知っているものの声よりも落ちついており、本当に、あの人物が発している超えなのかと疑いたくなるほどだった。
「あなたは?一体、私をどこへ?」
アリエルは白い靄に包まれながら、そのように言葉を発したが、その声が相手に届いたかどうかも分からない。
ただ一人いる空間。アリエルは手をもがかせてこの場から脱そうとした。
白い靄をかき分けるかのように手を伸ばし、何かを掴もうとすると、突然その白い靄は晴れていき、アリエルはどこかへと飛び出していた。
飛び出した先は、どこかの空間だった。そこも真っ白な空間だが、少なくとも白い靄のようなものはかかっていない。
殺風景な、それも病院の病室のような所へとアリエルは飛び出していた。飛び出したと言っても、どうやら、ベッドから跳ね起きるように起きただけに過ぎないようだった。
周囲を見回す。妙に静かだった。ここ数日、アリエルはろくな目にあって来ていないから、いよいよ自分が分からない状況にあると、その警戒を高める癖ができてきていた。
ここは病室のような所であり、自分はたった一人、どこかの部屋に入れられている。しかし病室は監獄のような場所とは違い、きちんと窓もつけられている落ちついた場所だった。窓からはどこかの海が見える。
室温も適度に温かく、空調も保たれているのか、病院臭さのようなものが存在しない。落ち着いた空気が流れている。
アリエルは自分の体を見た。いつの間にか、黒のライダースから、白い病人が着るような服へと着替えさせられている。そして、いつの間にか身体も洗われていたらしく、綺麗なものになっていた。
不思議と疲労感を感じない。長い間熟睡して、そして目を覚ましたかのようなすがすがしささえある。
アリエルはそんな自分の奇妙な状況下にありながら、今、自分自身を取り巻いている状況を理解しようとした。この自分の周りを取り巻いている状況は一体、何であるのか。
最後に自分はどこにいたのだろう。確か、国会議事堂の地下から脱出した所だった。国会議事堂は『ジュール連邦』の首都である《ボルベルブイリ》にあり、アリエルはそこにいたはずだ。
だが、ここは《ボルベルブイリ》ではない。ベッドから窓へと近づいていくと、海が見える。《ボルベルブイリ》には河は流れているが、海は郊外に行かなければ見る事ができないはずだ。
この病室の外はどうなっているのか、アリエルは確認をしようと思った。
しかしその時、突然扉が外側から開かれ、アリエルは思わず警戒した。
そこには背の高い男が、医師の白衣を着て立っていた。天井に頭がつこうというほどの背の高さを持つ男。アリエルはその男を知っていた。
「目覚めたかね、アリエル。気分はどうだ?」
アリエルの記憶にある男の姿とはあまりに違いすぎた。最後に彼の姿を見た時は、病院の病室のベッドの上でやせ細り、あたかも枯木となって朽ちていくような有様だった、あの男、自分の父が、そのたくましい肉体を取り戻し、部屋に入ってくる。
その顔は、ずっと若々しさを持っており、しかも恍惚に満ちているようだった。険しい表情の父しか知らなかったアリエルだったが、今の彼はそうではなかった。優しげな瞳を持ち、その大きな体躯も、逆に頼りがいと感じさせてしまうような姿をしている。
だがアリエルは油断できなかった。この男は、自分の母親をも誘拐した男であって、テロリスト。国の転覆をも図ろうとしている恐ろしい男だ。アリエルはそう聞かされていたから、目の前に近づいてくる男に対して、警戒を払うしかなかった。
「私に近寄らないで!私が、あなたを警戒していないとでも思ったの!」
そう言いつつ、アリエルは、部屋の反対側の壁を背にしながら、男に向かって、自分の腕の一部を硬質化させた刃を、両腕から飛び出させた。
もし一歩でも近づこうならば攻撃する。そんな姿勢をアリエルは見せる。
だが彼女の父、ベロボグはその両手を広げ、あたかも警戒している小動物をなだめるかのような表情をして見せる。
「アリエル。私を警戒するのは無理もない。しかし、落ちつきたまえ。私は君に対して何もしない。私は君の父なのだ。父親が娘に対して、酷い事をするわけがないだろう?」
ベロボグは落ちつかせるかのようにアリエルにそう言って来た。だが、そんな彼の態度を見てもアリエルが落ちつこうはずもない。彼女は警戒心をむき出しにし、自分の父親に言い放っていた。
「酷い事?これまでにも散々、酷い事をあなたはしてきたでしょう?」
自分の父親はテロリスト。母親を誘拐してその脳の一部を手に入れるなどと言う事をした恐ろしい人間。アリエルはそう考えている。
「どうやら、誤解が生じているようだなアリエル。それは、君が例の組織から聞かされた私の姿であって、私本来の事を君は何も知らないはずだ」
ベロボグはあくまでアリエルとは一定の距離を持ち、彼女の警戒心を和らげようとしている。
だが、そんな態度を取られても、アリエルは警戒を解くような事はとてもできなかった。目の前にいる男がどんな優しげな表情をしても駄目だ。ここにいる男が、とてつもなく恐ろしい魔人のようにしか思えない。
「全ては先入観から成り立ってしまうのが、賢い人間の中でも残念なことの一つかな?先入観というもの一つで、人間は差別もするし、相手を悪であると平気で言う事もできる。つまり、君にとって、今の私は悪であるわけだ」
その言葉が、自分の持つ誤解を解こうとしているために言われている言葉だという事は、アリエルにも分かっていた。しかし、どう考えても目の前にいる男は恐ろしいテロリストにしか見る事ができない。
「では、何故あなたはあんな事を?まさか、自分はテロリストなんかではなく、あなたがしてきたとされている戦争や、攻撃といった事、シャーリにやらせていた事は、別の誰かがした事だとでも言うの?」
さて、ベロボグはどう答えてくるだろう。自分はテロリストではないとでも言うのだろうか?彼は相変わらず一定の距離を持ったまま、アリエルに向かって言って来た。
「全ては、ものの見方によるのだよ、アリエル。君が関わってきた人間は政府の人間だ。彼らは、国家の脅威となる存在に対しては、テロリストと言う言葉を使うだろう。
だから、彼らにとっては私はテロリストだ。君が関わってきた全ての人間は国家の為に動く人間だ。彼らのばかり聞いていれば、私が恐ろしいテロリストにだと思えてしまうだろう。特に君が接触していた、あの組織とか呼ばれる連中は、数年前から我々を目の敵にした連中だ。君を利用し、我々の組織をつぶそうなどと考えていたような連中だ」
「ですが実際に、あなたは私のお母さんや私を誘拐したし、戦争だって引き起こしたんでしょう?」
アリエルはそのように言い放つ。
「正義は、何であるかを分かっているかね、アリエル?君はこの世界の事を良く分かっているだろう?今や二つの勢力同士がぶつかり合い、お互いの主義を呑み込まんとしている。だがそれは、何百年も続いてきた人間同士の愚かな争いでしかない。
彼らは、民の権利をも搾取し、ただ自分たちの勢力を広げるための戦争をする事しか能が無いのだ。
私はそこに革命を起こそうとした。そう、革命だよ。民衆が立ち上がり、体制に対して反抗を行う事で世界は変わり、それまでよりもずっと良い姿に生まれ変わってきた。私はその革命を何十年も前から計画していた。より完璧に新しい世界を作りだすためにな」
「そのためだったら、人の命を犠牲にしても良いと?」
アリエルは言った。だが実際のところ、アリエルはベロボグの言ってくる言葉に気押しされそうになっていた。
彼の言う言葉には不思議と大きな説得力がある。所詮はただの高校生でしかないアリエルにとっては、用意する事ができる言葉が、あまりにも感情的なものばかりで、彼に反論する事ができる余地が無い。
「私は、人の命を犠牲にした覚えは無い。ただ、現体制下にいる者達は別だがね。我々をテロリストと名指しし、人民から搾取を行っているような連中に対しては、革命の邪魔となるために、やむを得ず攻撃を仕掛ける事もあるだろう。
だがアリエル。お前は気づいていない。自分がどれだけ崇高な存在であって、お前がこれからどのような崇高な目的の為に動いていくのかと言う事をまだ知らない」
ベロボグはアリエルを説得するかのような声でそう言って来た。だがアリエルは、この男に対しては恐怖の感情しか抱く事ができない。
医師の服装をして、全てを包容するかのような態度を取られたとしても駄目だった。この男に心を許す事などできない。それに、この数日でアリエルは変わってしまった。誰も信じる事が出来なくなっている。少なくとも、養母以外は。
「アリエルよ。お前は私の子だ。私は、お前達のためになる世界をこの世に残したいと考えている。それでは、人間同士の主義で争い、内戦などでいがみ合っている国では駄目だ。『スザム共和国』などが良い例だ。私はあの国の出身であり、医療で何度も貢献してきた。だがそれでも駄目だ。根本的な考え方が駄目なのだ。
人間が思想の革命をしなければ、この世からはいつまで経っても、戦争や悲劇はなくならないだろう」
ベロボグは幾分口調を和らげてそのように言ってくる。だが、アリエルはどうしてもその言葉に納得がいかない。
「戦争?悲劇?それはあなたも同じ事をしたはず。結局は同じ手段を使っているだけよ。とてもあなたの言える言葉とは思えないわ」
「だが、今までにない、新しい国を作れるとしたらどうだ?アリエル」
アリエルの言葉を遮るかのようにベロボグは声を発した。
「新しい、国?どういう事?」
「アリエル。娘であるお前を、半ば誘拐と言う形で連れ去ってしまった事、君の養母を利用しようとした事に関しては、私も謝罪の意思を示したい。だが、それは全て新しい国を作りだすためにあったのだ。
私はお前に誓った。この世界全てを、楽園の様な天国にするために、私は活動を続けているのだ。しかし『スザム共和国』で慈善活動をし、娘のシャーリが左眼を失った時に気が付いた。ただの慈善活動では、この世界は変わる事はできない。もっと明確な力が必要だという事を。そして、現在ある人類は思想的に淘汰されなければならないという事を」
アリエルの頭に、シャーリの片方だけ髪で塞がれた顔が思い浮かぶ。彼女の顔に生々しく残っていた傷は、シャーリが潜りぬけてきた修羅場を物語っているようだった。
ベロボグもその世界におり、慈善活動を続けてきたのだという。そこで彼らが一体何を見たのか、アリエルには分からない。ただ一つ、彼らがいた、『スザム共和国』は、平和な世界にいるアリエルには想像もつかないほどの世界なのだ。
「すぐに理解してくれとは言わない、アリエル。お前に慈善活動をして欲しいとも思わん。だが、お前は新人類の一人なのだ。私がお前達娘を意図的にもうけてきた理由は、新しい世界を担う、新しい人類が必要だからなのだ。
アリエルよ。お前の事は私は片時も忘れた事はない。お前は覚えていないかもしれないが、わたしは何度もお前と会っている。その度に、お前の成長を見届けてきた。そして、お前が18歳という年齢に達し、物ごとに対して判断を下せる歳になった今だからこそ計画を始めた」
「私が、あなたに会っている?」
アリエルは意外そうな声でそう答えた。
「そう。会っているのだ。お前はわたしの事をおじさんと呼んでいたが、お前が私に会っているという記憶があると、色々とまずいのでな、私がお前と会うたびに、お前と、お前の養母の記憶はブレイン・ウォッシャーに消してもらっていたのだがな。そろそろ思いだしても良い頃だろう」
ベロボグがそう言った時、アリエル達のいる部屋に、スーツ姿の女が現れた。
彼女はどうやら、西側諸国の人間らしく、茶色い髪にスーツを着ている。口を全く開かずに、ベロボグの後ろに立つ。すると彼は、
「そうか、回診の時間か。紹介しようアリエル。彼女がブレイン・ウォッシャー。彼女は聾、つまり口を利く事ができないのだが、代わりに相手の意識の中に入り込む事ができる『能力』を持っている。後で世話になるといい」
ベロボグはその、ブレイン・ウォッシャーと言う名の女と共に部屋から出ていこうとする。
「まだ話が」
アリエルはそう言いかけたが、
「すまんな。この施設にいる子供達を見て回らなければならないのだ。話なら後でたっぷりとしてあげよう。いや、私からはもう何も話す事は無いのだがな。お前が決めればいい。後で、抑圧しておいたお前の記憶を、ブレイン・ウォッシャーに解放してもらおう」
抑圧しておいた記憶とは何なのか。アリエルにはさっぱりと分からなかった。だが、ベロボグは出ていがけにアリエルに言った。
「部屋に鍵はかけていない。自由に出入りして構わない。何か欲しいものがあったらインターホンで言いなさい」
とベロボグは言い残し、部屋から出て行ってしまった。
その後を追おうかとアリエルは思った。だが、そうはいかなかった。いきなりこのような場所に連れて来られ、父はがらりとその態度を豹変させ、様々な事を告げられた。その言葉を頭の中で整理するだけでも、アリエルは精いっぱいだった。
《ボルベルブイリ》ヤーノフ地区
4月13日 9:13A.M.
『ジュール連邦』《ボルベルブイリ》にある国会議事堂が占拠されてから1日が経過した。『ジュール連邦軍』と、内部に立てこもった武装勢力との間での膠着状態が続いている。しかしながら、地下シェルターを占拠した武装勢力は人質を取ったものの、総書記が今だに健全であるという事を公開していた。
人質達に対しての虐殺などは行われていないものの、その場にいるのは人質たちだ。むやみに軍が解放に突入する事があれば危害が加えられるとの声明が発表されていた。
《ボルベルブイリ》の地下に押し込まれるかのように、シェルターの一部屋に集められた人質達の人数は50人は超えていた。マシンガンを持ったテロリスト達がその人質達を見守っている。
人質がこの部屋に集められたばかりの時は散々たるものだった。外部への応援を要請しようとする警備兵達は容赦なく始末され、人質達は恐怖におののいていた。
リーやタカフミ、そしてサバティーニ議員もこの部屋へと押し込められていた。彼らは武装していなかったから、あくまで人質の一人として扱われていた。タカフミは早急にこの場から脱する方法を提案しようとしてきたが、リーはこのまま様子を見るようにと彼を説き伏せていた。
だが、丸一日も同じ部屋の、しかも窓も無いようなシェルターに押し込められていれば、相当にストレスも溜まる。ここを占拠したテロリスト達は、自分達に抵抗する事、そして、見張り付きでトイレに行く事と、食事、会話の自由は与えてくれていた。
食事はこのシェルター内の備蓄倉庫から運ばれてきている保存食ばかりだが、何も与えられないよりはましだった。
「トルーマン君。ワタナベ君。もう一日が経ったようだが、何とか脱出する手立てはないかね?総書記の救出は考えているのか?」
疲弊しきった様子で、人質達の中に紛れているサバティーニ議員が言って来た。その他の人質達も疲弊しきった様子を見せている。自分達がこのままどうなるのか、一人ずつ殺されていくのではないかと顔には恐怖さえ現れている。
だがリーはそんな中でも落ちついていた。彼はじっと佇んでおり、目立たない人質を演じつつも、周囲のテロリスト達の配置、武器、そして扉の出口を確認していた。
扉の出口は部屋の両側にあったが、それはどちらも二人ずつ、屈強なマシンガンを構えたテロリストによって封鎖されている。
「これがベロボグの配下の連中によるものだという事は、俺達にも分かっています。そして、おそらく目的は総書記でしょう。彼らは我々にはここに収まってもらって、危害は加えないつもりでいるんです」
タカフミがひそひそとしたジュール語で、サバティーニ議員に言った。
「総書記が目的?暗殺ならば、ベロボグがもたもたしているとは思えん。とっくに彼は死んでいる事になる。そんな情報が『WNUA』側に漏れるような事があれば、彼らは一斉に首都攻撃を始めるかもしれん。そしてこの国は滅んでしまう」
「ベロボグの目的がそこにあるのかどうか、私には分からないが、総書記を拘束する事が目的であるという事は分かった。それにベロボグは、『WNUA』側に《ボルベルブイリ》を攻撃させるつもりは無いように思う。彼は戦争を引き起こさせたが、あくまでそれは戦争を起こして、この国を弱体化させる事が目的であって…」
リーがそこまで言った時だった。突然、彼の体が一人のテロリストによって引っ張り上げられた。
「おい貴様。何を話している?」
「いや、何でもない」
リーは臆する事も無くそのように答えた。彼はなるべく自然なジュール語を話したつもりだったが、相手はネイティブのジュール語話者であったためにすぐに怪しまれた。
「貴様は、この国の人間ではないな?ここで何をしていた?そこの貴様も立て!」
マシンガンの銃口で促され、タカフミも一緒に立たされた。彼の場合、明らかに人種が違っていたから、ジュール人だとは思われようがない。
「何、ただの外交官さ。俺達は」
と、タカフミは平静を装って言うのだが、およそタカフミのラフな衣服を着た姿は外交官には見えない。
「『WNUA』側の人間と、レッド人か。おおよそ外交官には思えんな。こっちに来てもらおう」
そう言われてリーとタカフミは、マシンガンの銃口を背中に突きつけられたまま、その部屋から追い出されていく。
「おい、俺はレッド人じゃあない、NK人だ。間違えるんじゃあねえぜ」
「黙ってろ」
そう言われ、リー達はその部屋から追い出されていった。
50人以上が押し込められた部屋から出されたリー達は、照明が落ち、暗闇となっている通路を、ある部屋まで連れていかれた。テロリスト達は高性能な照明装置を持っており、それで通路は明るく照らされる。
なるべくこの地下シェルターの内部の構造を理解すべきかと、リーは素早く内部構造を把握しようとした。サバティーニ議員に会いに来た昨日とは、その様子は様変わりしている。電気系統がやられたため、地下シェルター内はあたかも複雑な迷路であるかのようだ。
リーが完全に地下の構造を把握するよりも前に、彼とタカフミは、ある部屋へと通された。そこが元は総書記の執務室であるという事は、部屋の入り口を観れば分かる。
『ジュール連邦』の総書記。世界の東側の社会主義国のほぼ全てに対して権力を振りかざす者のいる部屋は、今ではスタンドタイプの照明装置に照らされ、薄暗いが内部の様子は分かるようになっていた。
ここは地下シェルター内だが、最高権力者である総書記の部屋は広く作られている。有事の際もここで執務や指揮を取る為だ。
総書記のための机は部屋の中央に置かれていたが、今ではそこにいるのは総書記では無い。二人の女だった。彼女達が自動小銃を構えたテロリスト達によって守られている。
一人の女は、総書記の机の上に座っており、あたかもそれは子供が遊びでやっている仕草のようだ。実際、彼女は年端もいかぬような少女でしかなかった。もう一人の年上の方の女は18歳くらいの年齢の女でしか無い。髪で顔の片方の部分を隠している。
リーは二人とも知っていた。あのベロボグの病院で出会った少女達。ベロボグの娘達であるという事をリーもタカフミもすでに知っていた。
彼女達が、テロリストと共にこの、世界の東側の最高権力者の部屋に居座っている。
幼い子供の方の少女が、写真が入れられた額縁を、おもちゃでももてあそぶかのように持っていた。それは、歴代『ジュール連邦』総書記の一人の写真のものだった。
彼女はそれを、つまらないもののように観ているなり、やがて、その額縁に向かって拳を振りおろして写真ごと突き破ってしまった。
「あはは、くだらない」
と発したその少女の言葉は、まるで純粋無垢な子供が発する声そのものだった。
『ジュール連邦』で絶対的な支配を握っている総書記の部屋に居座り、彼をも追い出している。そんな事をすれば、彼らの世界では権力者の大きな怒りを買うだろう。子供であろうと処刑されるような世界だ。
だが、彼女達は全く恐れを抱いていない。
「こいつらが、この世界の東側を駄目なものにしたのよね」
そう言いながら、年上の赤毛の女の方が、別の総書記の写真を持っていた。彼女はその写真を、まるで汚いものを捨てるかのように、部屋の後ろの方へと投げ捨てていた。
リー達はそんな彼女らの姿を見ても何とも思わない。だがこの場に現総書記がいたらどう思っただろうか。
「この部屋にいた総書記はどこへやった?」
女達に向かって、リーは尋ねた。
「別の部屋で、丁重に扱っているわよ。わたし達のお父様は慈悲深いの。テロリストとは違って、人質は抵抗しない限りは傷つけはしないわ」
そう言いながら、自信満々な顔をリーの方へと向け、赤毛の女が言って来た。
「警備兵は何人も殺したろ?それでも慈悲深いってか」
独り言のようにタカフミは言った。彼の発した言葉は、彼の母国語だったから、女達には理解できなかったらしい。
何事も無かったかのように女は言ってくる。
「わたし達は、この地から革命を始めるわ。そしてお父様の指導の下、新しい国を作る事が目的よ。それは社会主義でも資本主義でも無い。真に価値のある人間によって作られる新しい世界なの。それで、是非ともあなた達にも協力してもらいたいと思ってね」
女はそのように言ってくる。リーは顔をしかめた。
「協力だと?お前達に?」
リーにとってはこの女が言ってくる言葉は、テロリストの良く言う常とう文句の一つにしか聞こえていなかった。ベロボグというテロリストの長によって吹きこまれた言葉を、そのまま言っているにすぎない。
しかし、協力と言う言葉は意外だった。
「そう。協力よ。お父様は、ただの人じゃあない。すごい力を使える人達だけを集めているの。あたしと、シャーリもその仲間だよ」
机の上に座っている方の少女がそのように言った。彼女は今、この状況を理解できているのだろうか、まるで子供が遊びで話しかけるように言って来ている。
だがこの場にテロリスト達と一緒にいるという事は、油断する事はできない。ベロボグの娘であるという事は『能力者』のはずだ。リー達に話しかけて来ている二人の少女は、ただ幼いというだけであって、テロリストよりも危険な存在なのだ。
タカフミが、シャーリという名の少女に向かって一歩足を踏み出す。彼女らを警護しているテロリスト達が警戒したが、タカフミは一歩だけ進んだだけだった。
「つまりベロボグの奴は、『能力者』を集めて自分だけの国を作ろうとしているってことか?」
「そう。その通り。もう隠す必要なんてないでしょ?革命は始まっているんだから」
シャーリはタカフミの方を見つめ、そのように言った。彼女の態度は妙に芝居がかった大人っぽさを出している。見た目は18歳の少女にしか過ぎない。だが、彼女自身は自分がもっと大人だという事を誇示したいかのようだ。
テロリスト達を仕切って、自分がこの場で優位に立とうとしている。
「お前達の言っている言葉は、世界中にいるテロリストと変わらん。自分達だけの正義を、破壊活動で押しつける偽善者共さ」
リーはそう言った。薄暗い総書記の部屋にいる者達の視線が一気に彼に集中する。
「偽善者ですって。よく言ってくれるものだわ」
シャーリの声色が変わった。彼女は自分が座っている総書記の椅子を思い切り後ろに跳ねのけて立ち上がる。手にはショットガンが握られていた。東側の国にあるような古臭い時代遅れの銃では無い。西側の軍でも使っている高威力のポンプアクション式ショットガンだった。
彼女はそのショットガンを片手で持ち、銃口をリーの方へと向けた。だがリーは動じない。
「偽善者とはお前達の方だわ!わたし達はこの世界を変えようとしている!西側の世界のお前達だって、嬉しいでしょう?あなた達の天敵は今、別の部屋で猿みたいに縄で縛られているわ!そいつや、今、人質に取っている連中は、この国を支配し、子供だって殺してきた。わたしの左眼を奪ったのもそいつらよ!
そんな奴をせっかく捕らえて、これから処刑してやろうって時に、あんたはわたし達の事を偽善者と呼ぶの?」
明らかにシャーリは逆上している。大人っぽさを見せているのは建前だけか。とリーは逆に安心する。相手の性格が子供に近ければ近いほど、扱いやすく、情報も引き出しやすい。
リーは口元を少し緩ませながら、シャーリの方に向かって言った。
「いいや、すまなかったな。だが、我々としては、西側の人間として、この国の総書記を自分から降ろさせたかった。ただそれだけだ。そのためには武力行使もしたかもしれんが、処刑までを考えているわけじゃあない。
しかし、君が今言った言葉、この国を潰すという考えは賛成だ。実際、我々はその為に今戦争を行っている。この国が潰れた後に新しい国を立てるという考えも一致するだろう?
だからその銃を下ろしておけ。私達を殺せば君のお父様は喜ばないぞ」
とリーが言うと、シャーリは重々しい音を立てさせながら、手に持っていたショットガンを机の上に置いた。
「ふん。とりあえずは譲歩的な考えね。西側の人間はもっと傲慢だって聞いていたけれども?だけれども、今のあなた達には選択肢は二つしかないわ。わたし達に協力するか、しないか?」
あくまで主導権をシャーリは握ろうとしている。下手に歯向かえば彼女を逆上させる事になるだろう。
「もし協力しな…」
「よし、協力するとしよう」
タカフミの言葉を遮ってリーが言いだした。その彼の言葉にはタカフミは心底驚いた様子だった。
「おい、リー。何を!」
「利害は一致している。我々『WNUA』の軍はこの戦争に勝てればいい。その後の事はその後の事だ。ベロボグもこの国と戦争はしても、『WNUA』とする気は無いんだろう?我々軍人は話し合いの場には出ないからな、後は好きにしろ」
「ふーん。わたし達が、あなた達の国の空軍基地を丸々吹き飛ばしたというのに。随分簡単と、協力する気になるのね?」
シャーリは幾分かその声を落ちつけ、まるでリーとタカフミを品定めするかのように見てきた。
「あのテロ攻撃なら、君達が起こしたという関係を証明するものは、まだ出ていないものでね」
「もし、出てきたりしたら、あなた達は軍の命令に従い、わたし達を裏切るのね?」
シャーリはもう一歩踏み出す質問をする。銃を向けられているような状況では彼女の質問に答えを戸惑って当然だろう。
だがリーは答えに戸惑わず、堂々と言った。
「ああ、そうだろうな。そこの所が、軍人の辛いところさ」
リーがそのように答えると、シャーリは薄く笑った。そして部下に向かって言い放つ。
「いいわ。この人達に、別室を用意してあげなさい。協力して欲しい時はあんた達に言うから」
部下達はリー達を連れ、総書記の執務室であったその部屋から出されていく。まだ警戒されている。後ろから銃を突きつけられ、リー達は歩かされていた。
「おい、リー」
タカフミが話しかけてくる。彼はまだリーの意図が掴めていないという様子だ。
「ただ、彼らの流れに合わせたというだけさ」
と、リーは歩きながら答える。
彼はまだ不審そうな顔をリーへと向けるばかりだったが、タカフミも薄々リーの申し出の裏にある意図に気が付いているだろう。
シャーリ達はまだ知らない。彼女らはリーとタカフミは『WNUA』側の人間だと思っているようだが、それは違う。リー達はあくまで組織の人間なのだ。
しかしここで『WNUA』の身分を名乗り、彼女達に協力的姿勢を見せれば、この場をしのぐ事はできるだろう。
シャーリ達が、リーの事を疑っていたとしても、あの場をしのぐ事はできた。さて、次はどのようにしていくべきか。リーは考えを巡らせた。
アリエルは自分に与えられた部屋から、外へ出る事を決意した。
身体がまだ思うように動かないが、今、自分はどこにいて、一体何の目的でここにいるのかを知っておく必要がある。父はなぜ自分をこんな所に連れてきたのだろう?
そう思い、アリエルはゆっくりと部屋の扉を開けた。出入りは自由にしてくれているという父の言葉通り、部屋には鍵がかかっていない。
ここが何の施設かを知らなければ、本当に病院のようにしか思えない。だが、アリエルがかかった事がある病院のどんな所よりもここは清潔だった。殺風景な白い壁紙がずっと張られているが、病院特有の薬臭さなども無く、ただ清潔さだけがここでは保たれている。
そしてどこからか、空調設備のものらしい機械音が聞こえてきていた。それ以外のもの音はしない。
扉を開け、部屋を出てみると、ここはどうやら吹き抜けが2階続いているフロアの2階部分の部屋であるようだった。吹き抜けは大きく、廊下が繋がっている。吹き抜けの下には植物が植えられているようだった。
温室の様な風景だったが、湿度は、アリエルが着ている入院着のようなもの一枚で事足りる。快適な温度に設定されているようだった。
つい警戒してしまいがちだったが、警戒をする必要など無いのだ。父はここを自由に出入りして良いと言っていた。それに、ここには武装したテロリストなどもいない。何の施設かは分からないが、解放されているのだ。
アリエルは、廊下を若干の警戒を払いながら歩き続ける。足音が異様に響いていた。
アリエルがいたような病室は他にもあるようだった。真っ白な扉が等間隔で並んでいる。マンションであるようにも思えた。
アリエルはしばらく廊下を歩いて行き、その先には大きな階段があるのを見つけた。会談は、数人が横に並んで上り下りできるくらいに広い階段だった。
どこかから物音が聞こえてくる。それと人の声も聞こえてきていた。それが階段の下の方から聞こえてきている事に気が付いたアリエルは、階段を下り始めた。
かなり大きな施設だ。そんなに大きな施設が清潔に保たれており、しかも人がまるでいない。あの父もどこかに消え去ってしまったかのように気配を消してしまっている。
アリエルはこんなに清潔で、整った建物に入った事も無かった。『ジュール連邦』にあるどんな建物もこんなに清潔感を感じる事はできない。
どこかの国は空港や果てはトイレなどもその清潔さが保たれており、不衛生な国からやってきた外国人は、その国の清潔さと、人の態度の良さに驚きカルチャーショックを受けるという。それと同じようなものだ。西側の国がそんなカルチャーショックを与えてくれるというが、まさかここが西側の国であるはずが無い。
ここはまだ『ジュール連邦』のはずだった。
アリエルが階段を下りると、そこには大きなホールが広がっていた。ホールは、落ちつく事ができるくらいの広さになっており、数人の人間がいた。
そのほとんどが子供だった。そして子供たちに囲まれるようにして、巨人の様な姿で父がいた。
父は注射器の様なものを手にしており、看護師らしき人物から薬品を手渡されていた。そしてその薬品のアンプルから注射器で吸い出し、子供たちに注射を行っているようだった。
「院長先生。注射でお薬を打つのは嫌だよ」
注射をされながら、一人の少年がそのように言っていた。少年は年頃は5、6歳ほどの少年だった。
人種からして『ジュール連邦』の人種であるという事は分かるが、この広場には、色々な人種の少年少女達がいた。
「だがね。注射を打っているから、君の病気は治っているんだ。もう、髪の毛も大分生えてきただろう?それは、注射を打っているからなんだよ」
と、父は優しげな声を出し、その少年に向かって言うのだった。アリエルが聞いた事もないような声だった。
「ベロボグ様。見えられています」
父につき従うようにして立っている看護師が、彼に耳打ちをした。
「ああ、分かっている。アリエルよ。こっちに来なさい」
父が手を上げてアリエルを呼んでくる。すると、子供たちの視線がアリエルの方へと集中して来た。
「あの。これは、一体、どういう事ですか?」
この場の状況が理解できないままに、アリエルは父に向かって言っていた。アリエルの知っている父は、テロリスト達を統括する存在であり、非常に暴力的な事に手を染めている人物としての姿しか知らなかった。
それが今はどうだろうか。白衣を着た医師の様な姿をしており、子供達に対して何かの治療を行っているようだ。
「何を。とは何だね?私は医者だ。子供達の診察をしていけない事があろうかね?」
父は微笑さえ浮かべながら、アリエルにそう言って来た。アリエルはまだ訳も分からないといった様子でその場に立ちつくしていた。
すると、父の方からアリエルに迫ってきた。
「皆にも紹介しよう。私の娘のアリエルだ。見ての通り、寝起きで起源が悪い。普段はもっと元気な子なんだが、今日から彼女も皆の仲間だ」
そのように父に一方的に紹介をされ、アリエルは戸惑う。
「一体、何なんですか。これは」
アリエルはそう言うのだが、次にやってきた子供たちの一斉に呼びかけられる言葉にかき消される。
「こんにちは。アリエル」
そう言われても、アリエルは言葉を返す事ができなかった。どう答えたら良いのかが分からない。
「ここは、私の病院だ。今までの医療だったら、不治の病と診断されていた子供達を優先的に入院させ、治療を行っている。ここにいる子供達は皆、治療もほぼ終わっている子達ばかりだがね」
耳打ちをするかのように父は言って来た。
「それは、一体、どういう…」
アリエルはそこまで言いかけたが、その先の言葉は父によって塞がれてしまった。
「説明は、後でしよう。説明をするためには時間がかかりそうだ。君はここで、しばらく子供達と遊んでいるといい」
そのように言われ、アリエルはその場に立ちつくすしか無かった。
「皆、院長先生はお仕事が残っている。すまないが、紙芝居はまた後にしよう。代わりに、私の娘のアリエルが君達と遊んでくれる」
父はそうアリエルを皆の方へとひと押しするなり、看護師と共にその場に残された。アリエルは戸惑う。
ここが一体何なのか、そしてこの子供達が一体何者なのか、あまりにも突然過ぎる出来事が彼女に襲いかかって来ていた。
ボルベルブイリ 25番地
10:22 A.M.
フェイリンは厳戒態勢下にある《ボルベルブイリ》の街を見下ろしていたが、灰色の曇り空に覆われた市街地では全く動きがない。住人達は政府が敷いた外出禁止令の下、一歩も家から出る事ができないでいる。
もし一般人が外を徘徊している姿を見られれば、即座に逮捕されてしまうからだ。
「今の状況はどうなっているの?議事堂の内部は?」
そのように急かしているのはセリアだった。せっかくの美貌も、一日眠っていないで、ずっと動き続けているせいもあり、眼の下に隈ができている。彼女が散々飲んでいるコーヒーの匂いが、アパートの一室に充満している。
フェイリンは、双眼鏡を手放して、セリアの方へと戻ってきた。
「駄目ね。中では何も動きは無いみたい」
「あなたの、千里眼の能力に期待をしているのよ。フェイリン、あなたを連れてきたのは、どんなものでも透過して見る事ができる能力があるからよ」
セリアは苛立ったような声でフェイリンにそう言った。
彼女の前にはコンピュータデッキが置かれており、そこには幾つもの情報が流れて来ている。それはこの《ボルベルブイリ》へと接近してきている『WNUA』軍のものであったり、『ジュール連邦』軍のものであったりした。
「そんな事言ったって。議事堂には近づけないし、いくら双眼鏡を使っても、ここからは2kmも離れているのよ。わたしの能力を使っても、地下シェルターの中までは見えないし、大体、あの人がくれる情報で分析するしか無いって」
フェイリンがそのように言った時、アパートの扉が開き、紙袋を抱えたジュール系の人間が姿を現した。
それは先日、セリア達がこの《ボルベルブイリ》の街に侵入するのを手助けした、組織を名乗る男、トイフェルだった。
「お変わりありませんか?」
トイフェルは紳士的な丁寧な態度で言い、セリアとフェイリンがいるテーブルに、紙袋を置いた。そこに入っているのは、ジュール系の人種が好んで食べる、パンに野菜類を挟んだ、独特のサンドイッチと、コーヒーだった。
この国ではそんなものしか買えないのだろうが、セリアはいい加減その味に飽きてきていたところだった。
「何も、これっぽっちも無いわ。総書記は捕らえられたまま。それでもって、議事堂の地下には鼠の一匹も出たような情報は無いわね。フェイリンが外から様子を探っているけれども、やはり変化なし。一般人は議事堂の1km以内にも入る事ができない状態よ」
セリアは、いい加減飲み過ぎて来ているコーヒーには手を付けずにそう言った。
「中にいるはずの、トルーマン氏、ワタナベ氏と連絡を取る事ができれば、何とかなるのですが」
トイフェルはそのように言いかけた。だがセリアは、
「それで、何ができるって言うの?ベロボグの組織をそれで壊滅させて、この国を救おうって事ができるとでも?」
ぶっきらぼうな様子でセリアはそのように言うのだった。セリア自身、目の前で妙に丁寧ぶっているこの男を信じる事ができないでいる。
リー達が所属している組織と言うものが、とにかく怪しい存在だった。
しかしながら、今はこの男についていくしかない。もう、『WNUA』の軍に戻る事はできないだろう。この《ボルベルブイリ》にやって来ているのも、完全な命令無視だし、目の前の男は、軍には連絡を取らないでくれと言う。
そのような事、軍人のはしくれであるセリアでも、できない事であると言う事は分かっている。しかし来るところまで来てしまったセリアは、この男の言う言葉を聴き逃す事はできないのだった。
「あなたの娘さんも、ベロボグ達の手中にいる事は分かっています。そしてベロボグ達は何らかの形で、このデバイスを入手しようとするでしょう」
そう言ったトイフェルが光学画面に表示したのは、赤いスティック状のデバイスだった。その姿はセリアは何度も見せられている。
その度にセリアは同じ質問をするものだった。
「議事堂の占拠と、私の娘、そしてそのデバイス。全てを繋いでいるのはベロボグね。それで、彼の目的は?」
目の前にいる男の答えは変わらなかった。
「まず一つは、この『ジュール連邦』の転覆でしょう。総書記を捕らえた事で、彼らはこの国に対してのクーデターに成功した事になる。さらに『WNUA』軍に各地の軍事施設を攻撃させた事で、連邦の軍事力はかなり弱体化させた。
ベロボグ達は、この連邦を足がかりにして革命を起こすつもりなのは明らかです」
そして、セリアはそんな男に言うのだ。
「それで、その革命とやらを、わたし達が止めなければならないという理由は何?」
「あなたの娘さんが、それに関わっているからです。ベロボグがその昔、あなたに近づいてきた理由は、あなたが『能力者』だったからに他ならない。ベロボグは自分の子供達を優秀な人種として、この革命に利用しようとしたのです」
自分の娘がどこにいるのかは知らなかったが、この革命に関わっているという事は、セリアとしても見過ごす事はできないものだった。
もしかしたら、テロリストと一緒にベロボグの思想に感化され、この革命に参加しているのだろうか。
しかし、それを止めなければならないという義務が果たして自分にあるのか。セリアには分からなかった。
今はただ、軍の任務の延長線上としてこの場にいる。そうとしか判断する事ができない。
「セリア!動きがあったみたい」
セリアとテーブルの向かいに座っていたフェイリンが、光学画面を見つめていた顔を上げて言ってくる。
「何が起きたの?」
「ウェブ中継よ。ハッキングしたんじゃあない。これは議事堂の中から発信されているライブ中継が流れている!」
その言葉に、セリアと、トイフェルはフェイリンの側の光学画面を引っ張って来て、それを自分達の目の前へと置いた。
光学画面の先は薄暗かったが、そこにランプが灯されて、椅子に縛り付けられている男の姿が映し出されている。
かなり疲弊しているような様子と、猿口和と、椅子に手足を縛られている様子は凄惨たるものだったが、間違いが無い。これは、この『ジュール連邦』の総書記、ヤーノフだった。
その目の前に立っているのは、大柄な男だった。自動小銃を構えており、その有様は、いかにもテロリストであると言う姿を見せている。だが彼はこのネットワーク上に流している映像に、自らの顔をさらしていた。
(我々は、ここに、事実上の『ジュール連邦』の解体を宣言する。そしてこの国に新しい秩序と平和をもたらすため、旧社会主義体制を全て廃止する。ヤーノフは今まで犯した自らの罪を認めた。
彼は我々の法の下で、多くの罪なき人々を虐殺した罪により、処刑する事を宣言する。処刑は公開され、全世界がその瞬間を目撃するだろう。
我々は正義を行う。我々の行う事に対して、非常に野蛮であると非難する者も現れるであろう。だが、そうした者達もいずれ理解する。我々が行った事はまさしく正義なのであり、この世界の変革のためには必要なのだと言う事を。
処刑は本日の一時間後に行われる。全世界よ。東側の国が解体する様を目撃するが良い)
そこでウェブ中継の映像は途絶えた。
「大した度胸だわ。公開裁判をするというのに、この男は顔をさらしている。世界の半分を敵に回すと言うのに恐れさえ抱いていない」
セリアは冷静な態度でそのように言った。ヤーノフが公開処刑などという形になる事を、予期していなかったわけではない。国会議事堂がテロリストに占拠された以上、こうなる事は目に見えていたのだから。
「少し、画面を巻き戻してみます」
そう言いつつ、トイフェルは、光学画面を操作して、ウェブ中継の録画されたデータを巻き戻した。
ヤーノフがさるぐつわにされている、何とも屈辱的な姿はそのままだったが、彼は画面の奥側にいる人物に注目した。
「この娘ですが、ベロボグの娘の一人です。隣にいる子供も同じ。我々組織がマークしている者達ですよ」
そう言って画面を指差した先には、大柄なテロリスト達に交じって、ヤーノフが座らされている椅子の背後に、二人の少女がいた。
「この子、知ってるわよ。ベロボグの奴のいた病院で、わたし達に襲いかかってきた子だわ」
セリアはそう言った。
「本当?こんな子供が、国会議事堂を占拠したって言うの?」
フェイリンは意外そうな声でそう言ってくる。
「シャーリ・ジェーホフ。年齢は18歳。能力者です。一時期、この国の国家安全保安局に囚われていたはずですが、逃走をし、現在も行方を追っていますが、どうやら国会議事堂の地下にいるようですね」
「年齢が18歳で、ベロボグの娘、か…」
セリアはアパートの天井を仰ぎみてそう言った。
「セリア。もしかして、この子」
そんなセリアに向かってフェイリンは真剣な顔を向けてくる。
「わたしの娘だって言うの?だとしたら信じたくないわね。わたしの娘はベロボグの忠実な配下に入れられ、しかも国会議事堂を占拠しているテロリストの一員というわけ?
それにベロボグの奴は言ったわ。あなたも見たでしょう?あの髪の毛を真っ赤に染めた子が、わたしの娘だって。そっちの方の子はどうなのよ?」
セリアはそう言って、トイフェルを促した。
「アリエル・アルンツェンの事ですか?彼女はこのウェブ中継には映っていませんし、行方不明です。組織が掴んでいる情報によれば、彼女がテロ活動に関与しているような疑いはありませんが、養母が最近、ベロボグの病院に入院している事になっています。あの病院が爆撃される直前に救出されていて、今では、《ボルベルブイリ》の病院に入院しています」
「そっちの方が先かしら。どっちにしろ、このヤーノフの公開処刑を止める事はわたし達にはできないわよ。それはこの国の役目であって、『WNUA』の。いえ、わたし達の役目じゃあないんだから」
すると、光学画面を展開させ、トイフェルは一人の人物の情報を映しだした。
「養母の名前は、ミッシェル・ロックハート。元『ユリウス帝国』の軍人です。アリエルを引き取った理由は、退役軍人の集会がきっかけだそうで、怪しい所はありませんね。テロリストとの関与もありません。しかし」
トイフェルがそう言っていた時、すでにセリアは立ち上がっていた。
「しかし、何なのよ」
「今、我々の目的といったら、それはベロボグの野望を食い止める事です。この女性に会いに行ったところで何になるのでしょう?それに、外は外出禁止令が出ています。無闇に出かける事はできませんよ」
そのように言うのだが、セリアはテーブルを叩いて言った。
「じゃあ、何であなたはコーヒーを買いに行けるのよ?それに、この人がベロボグについて、何か知っているかもしれないでしょう?奴のアジトは?それに、わたしの娘の事だって知っているはずよ」
セリアのその言葉は、最後の部分だけ力が抜けてしまったかのようになっていた。
「とにかく。行くわよ。今、わたしはあなたの指示に従うつもりもないし、誰の指図も受けないつもりでいるんだから」
説明 | ||
父、ベロボグによって拉致されたアリエル。彼女は連れて行かれた医療施設で父の真意を知り、また過去に起きた出来事の記憶を呼び覚まされます。 | ||
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