巨人独唱 〜ダイダラボッチの夜想曲 |
人間というのは、どうしてか私の近くにいて、私を嫌った。
私の見てくれが恐ろしかったのかもしれない。私は、人間に比べるとずっと大きくて、一輪の花と巨大な杉の樹くらい違ったから。それに、彼らを見つめる目もきっと大きくて、彼らには恐ろしいものに違いなかったから。
人々は私の姿を見かける度に醜い言葉を並べた。清い言葉も澄んだ言葉も知っている彼らなのに、私に投げつけられるのは沼の底の泥のような言葉ばかり。私は不幸なことに彼らの言葉を解することができたから、彼らがどんな意味の言葉を発しているか解って、だから悲しかった。また、人間には私の言葉を解する耳がなかったことも、哀しかった。
人々の罵詈雑言は、やがて石つぶての形を取って私に投げつけられるようになった。痛くはなかった。私の体は、きっと岩より頑強だったから。
だけど、それでも痛みを感じたのは、きっと、私の心が弱かったからだ。
汚い石つぶてが斧や小刀に変わった頃、私は人前に姿を見せないように姿を隠すことにした。
人の子一人いない山に逃れ、そこに腰かけ、鳥や獣が毎朝毎夜鳴くのを聞いて暮らすようになった。それは平穏な日々だった。化け物と騒ぎ立てられることもなければ、わざわざ私に近づいて攻撃を仕掛けるような者もいない。私は平和を手に入れた。
だが、手に入れたものは、平和一つではなかった。
声が、言葉が聞こえなくなった。私は平和とともに意味的な静寂も手に入れた。
私には犬猫鳥の言葉は解らない。解るのは人間の言葉だけで、それというのも私がこれまで人間の近くで暮らしてきたからに他ならない。それなら鳥獣の声を聞いているうちに彼らの言葉が解りそうなものだが、一度根付いた常識はそう簡単に変わりはしない。それを変えるのは、きっとほとんど不可能なことだった。そして、私は早々にそれをできないものだと決め込んで諦めた。
孤独を抱え始めてどれくらいの日が過ぎたことか。数えてはいないが、冬を越した回数は片手では収まらなくなったくらいだったように思う。
ある日、地響きを肌で感じて目を覚ました。地の底から震えているような、重く、深い地鳴り。それは、私の足音に酷似していた。
身を起こすと、向かいの山に私と良く似た風貌の巨人が腰かけていた。
巨人は、あーとかうーとか、意味など到底持たないような声を発した。私は些かの落胆を覚えた。もしかすると、私とよく似た彼ならば、私のよき話し相手に、――友人になってくれるのではないかと、そう思っていた。ため息を一つだけ吐いて、私は片手を挙げて挨拶とした。
すると、巨人も同じように、のろりと手を挙げた。――お世辞にも不細工以外の形容の思い浮かばない、笑顔を浮かべて。
私はびっくりして、私の知りうる限りの、あるいは思いつく限りの身ぶり手ぶりで、彼との意思疎通を図った。すると、どうだろうか。驚くべきことにそのほとんどに彼は理解を示し、私に解るような身ぶりで返してくれたのだ。
私は喚起した。実際に小躍りして喜んだ。彼の手を取り、滅茶苦茶に跳ねまわった。彼も気持は同じようで、笑顔をより一層深くしてしばらく踊り狂った。こうして私は孤独ではなくなった。
彼との生活は楽しいものだった。意志疎通は身ぶりで図り、伝わりきらない部分は実体験による経験で賄うように努めた。また、彼もそのようにしてくれたため、彼との意思疎通は、円滑とまでは言えないものの、不満はないものだった。
彼は歌うことが好きだった。その歌は、人間のそれのように綾のあるものではなく、やはり喃語のような音声だけで構成されたものだったし、旋律も無骨だったが、どうしてだか、私の心にすぅと入り込んで、離れなくなった。二度ほど同じ歌を聞けば、私は彼と一緒に同じ歌を歌えるようになっていた。
あーあーうーあーうーああうー。
私が一緒になって歌を歌うと、彼はたいそう喜んだ。それが嬉しくて私も楽しい気分になった。自然と歌声も楽しげなものになった。楽しげな歌声は篝火のように、寂しかった夜を照らした。光は、山中に届いた。
それが、いけなかったのだろうか。
次の日の、まだ夜露の乾き切らない、朝だった。
人間が、山に現れた。
途端に世界には怒声が満ち満ちた。私の大切な友人は顔を顰めて耳を塞いだ。
私の、せいなのだろうか。
槍が彼の足の甲に突き刺さった。彼は突然雨に降られたような声音で呻いて、足を一振りした。十人ばかりの人間たちが、水たまりをふんづけたみたいに飛び散った。
これは、私の、せいなのだろうか。
彼が、足に突き立てられた槍を見て、それを抜こうと屈んだ。しばらく彼はそうしていた。刺さった槍が彼には小さすぎて、上手に摘まめないようだった。そうやって彼が手間取っているのを好機と見たか、人間は彼の、頭に、首に
――槍を
――鉈を
――剣を
――斧を
――――深々と、いくつも。
私の、せいなのか。
ぐるんと、彼の首がこちらを向いた。
悲しそうな、悲しそうな顔だった。
悲しそうなまま、大きな大きな頭は、大きな大きな音を立てて、地に落ちた。
歓声が上がった。大きな大きな、彼が最後に残した地鳴りを掻き消すくらい、大きな大きな――歓びの声。
私の、大切な大切な者が死んだことを歓ぶ声――声――。
――聞きたかったのは、こんなものではなかった。
聞きたく、なかった。
夜になった。紺碧の闇に、数えるのも億劫なくらいの星が浮かんでいた。
鳥獣の声が聞こえる。彼らの言葉はまったく解らない。耳ざわりだった。
私はその夜、近くの山という山すべてを乱暴に歩いた。一歩一歩、重さを持たせて、山を踏み抜くつもりで歩き回った。鳥獣の逃げ惑う声が、ずっと聞こえていた。不思議なことに、その恐怖と戸惑いだけは、解った。それが忌々しくて、私はより一層乱暴な足音を夜に鳴らした。そんなものは、聞きたくなかった。
散歩から帰ってきた私を、迎える声はなかった。いつもの山に、私は腰を下ろして、ぼうっと夜景を眺めた。
篝火が見えた。少し、山を燃やしていた。燃やされた山は、私の足元を照らしだしていた。潰れた人間の残骸が、そこら中に転がっていた。うめき声も聞こえない。息絶えたものばかりが、静寂を守っていた。
何も、聞こえない。静かだ――。
彼の、顔を見た。悲しそうな、悲しそうな顔をしていた。悲しそうなまま、泣き声も聞こえない。悲しい歌も。
歌わないから、聞こえないのか。私が歌えば、彼の頭も歌いだすだろうか。
もう何度も歌った歌を、歌った。
あーあーうーあーうーああうー。
何も、聞こえないじゃないか。
傍らの、彼を見た。悲しい顔だった。悲しいばっかりで、何も解らない。何一つ、彼がどんなことを思っているかも、どんな気持ちでいるかも、解らなかった。
それは、複雑すぎて解らないのとは違った。何もないから解らないのだった。――否、何もないというのは少しおかしい。悲しい、固まった顔しかないから、解らなかった。
もう、誰にも私の気持ちは解らないのだろうか。
一つの夕陽を背に、同じ笑顔で踊ったり、歌ったりはできないのだろうか。
ずっとそうしていたかったのに――。
それだけが――、きっと、それだけが、私の「本当の望み」になっていたのに。
それは、もう叶わない、のだ。もう、叶わない望みなのだ。
すべては、私のせいなのだろうか。
彼を失ったのは、彼と歌ったからだろう。彼と歌ったために人間が私達の居場所に気付いてしまった。そして、矛の向け先を見つけて、それを突き立てに来たのだ。
彼と歌わなければ、気付かれなかったろうか。
彼と挨拶をしなければ、歌うこともなかったろうか。
彼と出会わなければ――――
――――だいだらぼっちは、一人ぼっちのままだった。
今は、一人ぼっちだ。
一人ぼっちで歌った歌は、どこか遠くに消えていった。
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久しぶりの投稿です。純文学……なのか大衆小説なのか判然としませんがw | ||
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