うそつきはどろぼうのはじまり 25 |
店を出た少女は、目ざとく見つけた男に駆け寄った。
「もう、アル。少しは待っててくれてもいいじゃないですか」
「だから、こうして待っててやったろ?」
少女の抗議に、アルヴィンは肩越しに振り返る。口に咥えているのは、よく露店で売られている飲み物についている、使い捨てのストローだ。
ほい、ともう一つの容器を手渡されて怒気が殺がれる。
「・・・食べ物とかで機嫌直すような年じゃないんですけど」
「でもエリー、これ好きだろ?」
これまでも良く買ってたしな、と含み笑いと共に言われてしまい、エリーゼは唸るしかなくなる。
「うう〜・・・」
こういう時、好みを知られてしまっているのは本当にたちが悪い。物に釣られている、と思われるのも癪だが、好きなものを目の前にしていつまでも不機嫌なままいられるものではなかった。歩きつつ管を咥える。口の中に広がるのは、柑橘系の香りと、南国の果物の独特の甘さだ。様々な種類を混合したこの飲み物は、店によってその配合が異なるらしく、飲み比べをするだけでも楽しい。
「アル、もうこのまま宿に向かうんですか?」
「ああ。今日は代理店で予約しようかと思ってんだ」
二人は来た道を引き返し、荷物を預けていた案内所へ戻る。アルヴィンによると、ここで主な宿屋の手配ができるらしい。この仕組みを利用すれば、いざ辿り着いてみたら満室でお断り、という事態が防げるわけである。
男が選んだのは、この島から近い場所にある離島にある宿だった。この島の周辺には、一周が一時間程度という小さな島が点在しているのだが、その島一つにつき一つの宿屋が経営されているのだという。
何とも贅沢な話だ、と呆れつつも、何故よりによってこんな宿を選ぶのかが不思議だった。
「島、ですか・・・?」
カウンターで一緒に説明を聞きながら、エリーゼは小首を傾げる。すると男は小さく笑い、上を指差した。
「あいつを休ませてやれるだろ?」
エリーゼは破顔する。確かに離れ小島なら衆目に触れにくいだろうし、日陰の多い、緑の茂った浜辺ならワイバーンの寝床にはぴったりだ。
「長旅でしたもんね。疲れているでしょうし、二、三日くらい滞在してもいいんじゃないですか?」
そうするか、と頷きながら、男は申込書に署名した。
案内所の係員から説明を受けた通り、二人は桟橋から小型の船に乗り、宿のある島に移った。想像していた以上に落ち着いた雰囲気に、エリーゼは怖気づく。
「た、高そうな宿、です……」
実際宿泊費は高いのだろう。フロントに置いてあった花瓶や椅子、机など、今までの宿とは段違いだった。何より働いている人の動きが違う。きびきびとしているのに騒がしくなく、こちらと適度な距離感を保っている。頼みごとがある、と顔を上げるとすぐさま駆け寄ってきてくれる。勿論私語などは全くない。
「こういうところの方が、警備の質も機密保持もできるからな」
逃亡者には打ってつけだ、と男は部屋の鍵を差し込む。
「でも、あの・・・」
「金か?」
「・・・はい」
心配すんなって、とアルヴィンは少女の額を小突いた。
「エリーがしっかり働いてくれたお陰さ。今までの街道で結構稼いだ分が溜まってんだよ。――ぶっちゃけ、前金以上にな」
宛がわれた部屋は広かった。とにかく広い。どのくらい広いかというと、まず部屋がいくつもあった。入ってすぐに長椅子とメノウを切り出した応接間がある。洗面所と風呂は別室で、湯船は手足が充分に伸ばせるだけの広さがあった。
「すごい・・・! 広いですね!」
「広いのは部屋だけじゃないらしいぜ」
応接間の開き戸から外を眺めていたアルヴィンが言う。
どういう意味だろう、と近寄ったエリーゼの目の前で、男はガラス戸を押し開いた。
部屋に入った時から、窓辺には海が見えていたが、まさか。
「ほら、見てみ」
「わあ・・・っ!」
エリーゼは目を輝かせ、外へ飛び出す。
続き扉を開け放った向こうには、海があった。椰子の木の陰に縁取られた真っ白な浜辺、その向こうに青く透き通る大海が広がっている。
アルヴィンは白い砂の眩しさに目を細めながら、ゆっくりと見晴台を降り、砂浜を踏んだ。
今回の宿の最大の利点、それは浜辺が占有できることであった。部屋は複数あるが、それぞれの部屋が独立した小屋のような造りになっているため、該当するこの浜辺には、二人の他には誰も入ることすらできない。
人っ子一人いない波打ち際で、エリーゼは波間に魚影を見つけたらしい。
「アル、ほら見て! 魚ですよ魚!」
興奮気味に手招きする少女に、男は苦笑しつつも近づいた。波が足にかかる。
「そんなにはしゃぐと、食料が逃げるぞー」
「もう! アルってば情緒がないですっ」
頬を膨らませ、つんと勢い良く横を向いたエリーゼの体が、急に傾いだ。砂に足を取られたのだ。
「っ・・・!」
「おいエリー!」
体勢を立て直すべく、エリーゼの手が必死に宙を掴む。だが水中で足は思うように動かない。このままではひっくり返ってしまう、と男は咄嗟に二の腕を掴んで引いた。
胸板に衝撃がきた。咽るほどではない、小石がぶつけられた程度の軽さである。
だが重さは小石の比ではなかった。小石よりも遥かに巨大な――もっと正確に言うなら人間一人分の頭の重さである。質量は、成人女性のそれに近い。
アルヴィンの胸の中に、少女がいた。倒れ込む寸前のところを引き上げ、その勢いのまま受け止めたエリーゼが、息を殺して俯いている。
潮騒が鳴った。海風に煽られた金の髪が、アルヴィンの鼻腔まで届く。これまで幾度となく撫でた金の髪だ。確か以前は、腹の少し上辺りにあった。それが今では胸元、鎖骨の付け根にまで達しようとしている。
胸に感じている重みだってそうだ。昔はやすやすと片手で担ぎ上げていたものだが、今やったら間違いなく骨折する。伝わってくる体温も、吐息も、幼いばかりの温かさではなく、明らかにある種の潤みを持っていた。
咄嗟とはいえ掴んでしまった二の腕はむき出しだった。肩口の広く切り取られた南国独特の服は、彼女の白い肌が眩しいほどで、だから男は――
永遠のような一瞬の後、エリーゼは遠雷を聞いた。
あれはワイバーンの咆哮だ。顔を上げると、男は遥か彼方の空を見上げている。
「ふうん。案外近くにいたんだな」
アルヴィンが身体を離す。エリーゼも彼に倣い、そっと距離を取る。
「みたいですね。やっぱり、休める陸地を探していたんじゃないでしょうか?」
何せ連日、二人分をここまで運んできたわけですし、と今更のようにエリーゼは申し訳なさそうに肩を竦めた。
「んじゃ、ここでしばらく休息とするか」
男は眠たげにあくびを噛み潰した。
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