葡萄畑に影二つ
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 私は鍬を振るう度に思い起こす、あの時のまだ年若い彼女を……

 だから私は鍬を振るう事を止めないし、この仕事だけは他人任せにはしない。

 もう十分に寒い季節だけれども、私はこの畑だけは絶やさないようにしている。

 少なくとも彼女が生きている限りは……

 

 

■           ■

 

 

 私は物心がついたときからこの館に住んでいた。

 多くの事をこの館に住んでいる人、いや人間では無い人たちに教えられて育った。

 けれども私は正直に言えば怖かった。

 私が仕えるべき主人が、

 真っ赤な両目で毎日のように私のテーブルマナーに目を光らせるあのレミリア・スカーレットという存在が、あまり得意じゃないけれども勉強を教えてくれるパチュリー・ノーレッジと言う存在が、そして、地下にひたすら篭って一日を過ごしているフランドール・スカーレットが、

 だから私は良く彼女達から逃げていた。

 幸い私は他の人たち、人でなしと自分達で言っている彼女達にも使えない力を使う事が出来た。だからその場を逃げる事はそこまで難しくは無かった。

 静止した灰色の世界で私は胸が苦しくなるまで走った。

 まだ丈をあわせたばかりの服は体に纏わりつくようで鬱陶しい、靴も成長に合わせて新しいものに取り替えたばかりで豆が出来て痛い、これ以上集中力を維持するのは無理だ。

 そう思った瞬間、世界に色が戻った。

 青い空に、新緑芽吹く山々、そして少しだけ遠くにあるのは空よりも深い青の湖と、白亜の門に取り囲まれた赤レンガの館、私が住んでいる紅魔館が建っていた。

 遠くには見えるけれどもレミリア様が本気で追ってきたらこんな距離ではすぐに追いつかれてしまう。

 けれども今は真昼だ。お嬢様だって滅多な事では出てこない。

 ……私が逃げ出した事自体が滅多な事なんだけどね。

 

「あら〜咲夜ちゃん! どうしましたか〜?」

「うひゃ!」

 

 思わず変な声が出てしまった。レミリア様が聞いたのなら軽く小突かれていた所だろう。

 周囲を見渡し、その声の主を探す、

 

「こっちですよ! こっち!」

 

 葡萄畑の中から肌色の健康そうな手が見える。

 

「めーりん?」

 

 小さくに私は声に答える。

 

「ちょっとそこで待っていて下さい。すぐに向かいますね!」

 

 彼女の名前は紅美鈴、この館で私がなんとか目を見て話す事が出来る人だ……勿論妖怪だけれども……

 彼女はいつもにこやかでなんとなく気が優しそうな人物だった。

 レミリア様には無能、と一言で片付けられていたけれども……

 彼女はうねを踏まないように慎重に、けれども軽やかなステップでこちらまで駆けて来た。

 

「今日のお仕事はお外でするんですか?」

「うっ……」

 

 逃げ出したなんて言えるはずが無い。また腰に下げている銀時計を意識する。

 今の集中力でもう一度長い時間を止められるとは思えないけれども、でもこんな惨めな姿を他人には見られたくない。

 

「ゴメ――」

「丁度良かった、今人手が足りなかったんですよ。ちょっと手伝ってください」

 

 あろうことか彼女が銀時計を掴んでいる左手を掴んで土だらけの手で私を畑の方へ引っ張りこんだ。

 

「わわ、ちょ、めーりん! 違うんだって!」

「ほら、仕事はきちんとやらないとお嬢様はうるさいんですからね。ほら、そっちの方から雑草取っていって下さい」

「だから違うんだったら! 私はね!」

「あら、違いましたか? ならお屋敷に戻りましょうか?」

「嫌、違うの、だからね……ええと……」

 

 悲しいほどに私は言葉が出ない。暫く俯いていると段々視界がぼやけていくのが分かる。

 私は何かがあるとすぐに泣いてしまう。めーりんだってお嬢様によく怒られていた。

 けれども彼女はいつだってそんな私を見ると、少しだけ困ったような笑い声を上げて、そして私の頭を撫でてくれた。

 

「お嬢様はですね、何もあなたを苛めたくてあんなに怒っている訳ではないのですよ。ただ、お嬢様はですね、喩えるならこの葡萄畑と一緒なのですよ」

「この畑と?」

 

 彼女の喋り方は独特だった。私が何かに疑問を持つと、それをすぐさま回答してくれるような喋り方は中々してくれない。

 彼女にその事について尋ねたら、彼女はまた今のように困った様な笑みで、この館の偏屈な知識人と喋っていたらその癖が移っちゃいました、と……

 

「そうですね、今日の仕事、いえこの時期の仕事は深夜から明け方までかかります。どうです? 回答を聞くついでに、今日一日私の仕事を手伝ってみませんか?」

「それじゃあ、お屋敷には?」

「そうですね、そちらの方は私が何とかしましょう。では取りあえずは、手を動かしましょう」

「はい、そのめーりん」

「どうしました?」

「その、なんていうか、私のせいでまたレミリア様に怒られちゃう?」

 

 私が申し訳無さそうにそう聞くと、彼女は今度もまたいつものような対応をとった。

 

「子供が大人の心配なんてしてちゃいけませんよ!」

 

 言い聞かせるように彼女は言っているけれども、彼女の声からかなり無理をしているのが分かってしまう。私はまた悪い事をしてしまったんだな。と考えてしまう。

 

 

 

 夜、私はめーりんに言われたとおりに薪を集めて等間隔にそれを配置した。

 

「火を扱うのはまだ危険ですから私がやります。咲夜ちゃんは兎に角薪を置いていってください!」

 

 私が置いていった松明に一つずつ火がくべられていく、真っ赤、というよりオレンジに近い炎がゆらゆらと、葡萄畑を照らしていった。

 私はそのうちの一つに擦り合わせていた手を当て暖を取る。

 四月になったとはいえ夜はまだ寒い、近くに湖があるからか? 時折朝庭を歩いていたりすると霜が降りている事がある。

 

「この葡萄はですね、寒さには強いんですが霜には弱いんですよ。アメリカ原産の葡萄の品種が強ければいいんですが、お嬢様はヨーロッパ種の香りと味を好みますからね」

「これまで作ったワインは?」

 

 私の問いかけにこれまた彼女は困った時の笑みを浮かべながら、首を横に振った。

 

「品種は十分、肥料もきちんとしていますが何分ここは湖畔ですので水分が土に多すぎるんですよ。だからどうしても品質の悪い葡萄が出来てしまいますね。最初ここにこの苗達を植えた時は、1年目は実りませんでした。それから代を重ねてなんとか収穫は出来るようになりましたが、葡萄自体の品質が良くない、完成した新酒をお嬢様は一度眉を潜めてそれから口元を拭い、こう言いました。間が抜けたお前みたいだ。とてもじゃないが新酒なんて飲めたもんじゃないってね」

「それはだって、この土地の問題もあるのでしょう?」

「問題があればそれを解決しなければならない、もう何度もそう考えてはワインを造ってはみたのですが、なかなかどうして、良い葡萄は生まれてはくれません。お嬢様のように気難しくて、そしてそう簡単には振り向いてはくれないんですよ」

 

 それから彼女は、今度は滅多に見せないほんの少しだけ恥ずかしそうな顔で付け加えた。

 

「けれども、そう簡単に振り向いてくれる事ほど詰まらない事って無いんですよ。だからもう一度、もう一度って続いていっちゃって、まぁそれがお嬢様のいう所の間抜けって所なんでしょうね」

 

 本当に恥ずかしそうに自嘲する彼女は不思議な好感が持てた。けれども、そうやって何かに頑なに何かをやろうとするのは確かパチュリー様が言っていたけれども、間違っていると思う。

 

「ねぇ、めーりん、めーりんはこういうのの専門家とかには相談しなかったの?」

 

 私の言葉を受けて、めーりんは暫く熟考しているように俯いていた。

 

「そういえば有りませんでしたね」

 

ガクッ!

 思わず肩透かしを食らった気持ちになる。

 

「それじゃあこの畑は全部めーりんひとりでやったって言うの?」

「ええ、結果的にはそうなりますね。一応図書館で栽培方法とかは調べましたが……」

「でも何の解決にもならなかったんでしょう? だったらこういうのの専門家とかは?」

「パチュリー様でも駄目でしたし」

「いやさ、ほら、人間は里で農家とかいないの?」

「流石に悪魔の館の妖怪が人間の里に行くのはちょっと……」

「だったら妖怪とかにいないの? 植物とかそういう事に強い妖怪とか?」

 

 その言葉を聞くと今度こそ恐らく彼女はきちんと考え始めたのだろう。

 

「なるほど、人外の中にそういった存在がいるのなら或いは……」

「寧ろそういう発想に至らなかった事が少し気になるところなんですけど」

「そうですね、では明日辺りから調べてみましょう――ああそれと、お嬢様には明日きちんと謝ってくださいね。昼間の吸血鬼は機嫌が悪いからすぐ怒るのは仕方が無いとはいえ、悪いと自分で思っている事に関してはきちんと謝ってください」

 

 最後の最後で彼女は私にカウンターを入れてくれた。

 でもあのまま館を飛び出していたら私はどこに向かうつもりだったのだろう?

 もしかしたらめーりんは私がこちらに向かってくるのを理解していたのかもしれない。

 だって彼女は私が落ち込んでいたら、必ずと言っていい程どこからとも無く出てくるんだから……

 なんかそんな態度ばかり取られていると少しだけ辛くなってきちゃう。

 そんな態度を彼女にとってもらわないようにすればいいのかな? それってどうやるんだろうなぁ……

 それが大人になるってことなのだろうか?

 

 

■          ■

 

 

 紅美鈴の仕事は定時のときもあれば時間帯がばらばらの時もある。

 季節の変わり目等は葡萄畑を見たりしなければならないため夜は眠れない。

 夏などは逆に門番だけをやっていれば細かな作業は妖精達に任せられるため比較的楽ではある。

 あの灼熱の太陽の下立ち続ける事を考慮から外せばの話ではあるけれども……

 今日も定時での上がりである。

 当直の妖精と交代で屋敷に引っ込み、それからほんの少しだけ悪戯心を出して厨房を漁り、ワインを一瓶、それとグラスも二つ取り出して、それからメイド長の執務室に向かった。

 大切なのは予めある程度飲んでおく事である。

 ワインの瓶を空け、ラッパ飲みをする。

 口元を拭って、勢い良く執務室のドアを開ける。

 

「本日もお勤めごくろーさまでーす!」

 

 ほろ酔いの私をあからさまに絶対零度の瞳で見つめてくるこの部屋の主の十六夜咲夜さん、その冷たい視線がお酒によって火照った体には丁度良く心地いい、

 

「お疲れ様です。けれども私はまだ仕事が残っていますので」

「ありゃ? 咲夜さん今日もまたガードが固いので?」

「酒癖が悪いのは嫌いだって以前から言っているでしょう?」

「私は酒癖が悪い妖怪に冷たい視線を送る咲夜さんの視線が好きですよ?」

 

 にやにやと、出来る限り嫌らしく笑ってみせる。

 そうすると咲夜さんは一度だけ目を逸らしたが、すぐにその目を逸らした事自体が間違いだと気付き、一度だけ溜息をついて、書類を纏めて机の中に仕舞った。

 私は決まりごとのようにワイングラスを二つ机の上に置き、そして二つに同じくらいのワインを注いだ。

 

「美鈴、あんたこれ口つけて飲んだでしょう?」

「さぁ? 私も仕事疲れに任せて厨房から引っ張り出してきたものですからね。そうではないかもしれませんよ?」

 

 彼女の顔のすぐ前まで顔を近づける。

 彼女は、先ほどまで見せた冷たい表情は解き、長年見せてきた表情に戻っていた。

 

「全く、あなたって本当に長く生きているのに変わらないのね? それとも長く生きているから変わらないのかしら?」

「人間が変わるのが早いだけですよ。私は、ホラ、根っからのマイペースが取り得ですから」

「褒め言葉じゃない褒め言葉じゃない」

「そうでしょうか? それは受け取る側にもよるでしょう」

 

 彼女がワインを一口飲むのと同時に私も一息に飲み干した。

 

「えへへ〜関節キスですね〜咲夜さん〜」

「やっぱり飲んでたのね。全く」

 

 部屋のオイルランプの火が少しだけ小さく感じた。

 それはワインに酔った酩酊の為か? それとも咲夜さんの顔の近くまで寄せたからだろうか?

 

「酔っ払いの妖怪の唇の味はどうでした?」

「そうね、去年より少し甘いかしらね?」

「その甘みは恋に落ちてしまうほどでしたか?」

 

 私の下らないジョークを聞くと、彼女はオイルランプを一息で吹き消し、

 そして、私の唇をただ一度だけ奪った。

 

 

 一気に酔いが冷めた。

 そして私に向ける咲夜さんの笑い顔が私の顔面に熱が集まってきている事を改めて自覚させてくれた。

 

「こんな積極的な咲夜さん、初めて!」

「こんなことは一度きりよ。でも、お陰で面白い表情が見れたわ」

 

 あーやっぱり脈無しかぁ、残念残念、でも子供の頃から知っている相手を想うっていうのも何か違うと思うしなぁ……

 

「美鈴は本当に子供の頃から色々な表情を私に見せてきたわね?」

「ええ、人間の子供を育てるなんて初めての事でしたし」

「あなたが育てた子供はどんな味だったかしら?」

「そうですね、少し、刺激が強すぎたようです」

 

 頭の中はパニックを通り越して凪いでいる。

 しかしどうやら向こうもやりすぎた事に今更ながら気付いているらしい。

 しばし目を白黒させながら、こちらの出方を伺っている。

 あれは子供の頃からの合図だ。彼女が助け舟を求めているような、そんな合図だ。

 そういうところは昔から変わってないんだから……

 

「そういえば、あれはどうなりましたかね?」

「あれ?」

 

 彼女も話題を何か探していたのだろう。いつもよりも食いつきが早い、

 

「ほら、私達が二人で初めて作ったワインですよ」

 

 この館には数多くのビンテージワインが揃っている。それも1年ものや2年ものなど或いは熟成時間2時間や1時間という長短期間で作られた即席ビンテージワインだ。

 そんな短時間で純度を保ち酸化を抑えた良質なワインが造れるのは一重に咲夜さんの能力に依るところが大きかった。

 ただ、今でも一樽だけ、彼女の能力を使わずにオーク樽の中で眠っているワインが存在する。

 それはお嬢様が新酒にけちを全く付けなかった年に造った物だった。

 

 

■             ■

 

 

 私のアイディアをめーりんが実行するのは迅速だった。

 彼女はアイディアを出す事は苦手らしいけれども、こういった調べ物をするのには効率的な能力を持っているらしかった。

 風見幽香という妖怪が現れた時、私は少しおっかなかった。

 それは彼女にレミリア様と同様のただならない物を感じ取ったからだった。

 思わずめーりんの服を掴み、彼女の背後に隠れる。

 彼女はその事には別段気にした様子は無く、ただ、一瞥して、そのまま土を触り始めた。

 

「なぁ、紅美鈴といったか? こんな水辺で旨い葡萄が作れると思っていたのか?」

「ええ、出来るかどうかが問題ではなく、そうしろと言われましたので」

「そうか、誰かの下で働いた事なんて私は無いからな――苦労が絶えないと思うよ」

 

 彼女は手についた土をハンカチで拭いながら、そして言葉を続けた。

 

「土の密度が高すぎる、もう少し肥料を表面だけにしてそれから乾いた土を少し混ぜたほうがいい、密度が高すぎると根が張らない、ある程度は私が実践する。三日ほど待ってくれないか? 必要な物を準備してくる。それとこれが請求書な?」

「ええ、ではよろしくお願いします」

 

 めーりんは深々とその妖怪に頭を下げた。

 そしてその妖怪は去り際に一言だけ残していった。

 

「その子供はやがて食料になるのか? 食料にするために育てているのか?」

 

 その言葉に当然ながら私も驚いたが、しかしそれ以上に動揺していたのはめーりんだった。

 手が震えているからそう感じたのだけれど、そうではなかった。

 彼女が私の肩に置いた手を少しだけ強く握ったのを感じた。正直痛い

 

「生憎我々の主はそういった悪癖は持っておりません――それに、ただ食べる為の食料ならば生きるための知恵の伝達も必要ないでしょう?」

 

 その言葉を受けた風見幽香は私と、それに美鈴を交互に見た。

 それから最後に一言だけ残してそのまま去っていった。

 

「そうか、それはお前達の主人を愚弄してしまった。申し訳なかった。そして改めて言おう。悪趣味ではあるな」

 

 その言葉が来る前にめーりんは私と彼女の前に立った。

 まるでその言葉が私を傷つけないように、私と彼女の直接的な接点を遮った。

 その背中は少しだけ頼もしくもあったけれども、それ以上に少しだけ怖かった。

 それはレミリア様やパチュリー様や風見幽香に感じる恐怖と同質のもので、それだからこそ彼女もまた自分とは違う存在なのだと納得してしまった。

 

 

それから二ヶ月、遂に収穫の時が来た。

 私は仕事を抜け出しては率先して彼女を手伝った。

 たくさんの葡萄を?いで、そして箱に詰めていった。

 めーりんは言っていた。

 

「いけ好かない奴でしたけど腕は確かですね。こんなに大粒で甘い葡萄が採れたのは初めてですよ」

 

 そのはしゃぎ様は子供である自分が言うのもなんだけれど、子供っぽかった。

 彼女が粒を一つ一つヘタから取っていき、そして選別をして、破砕機に入れた。

 それから果汁を絞って中から出てきたジュースを彼女は私に飲ませてくれた。

 とても甘くて美味しかった。

最後にオリ引きを行い、

樽にこれからワインとして醸造されるであろうものを3つ造った。

 

「これであとは寝かせるだけです」

「どのくらい寝かせるの?」

「とりあえずは3ヶ月でしょうか? お嬢様も丁度その頃に新酒の試飲をなさるので……はて、今年のならば合格点行きそうですが、どうでしょうか?」

「ワインって熟成期間が短いと美味しくないの?」

「そうですね……ある程度の長期熟成をする事によって美味しくなる品種もありますし、短い期間の熟成しか出来ない品種もあります。お嬢様は長い期間を置き、熟成される種類を好みます。でもある程度以上の熟成期間を超えてしまったらそれはもしかしたら幻なのかもしれませんね」

「幻?」

「このあとワインはこのオーク樽で熟成されます、そして瓶に詰めてからもワインは熟成を続けます。それが長い期間を経て一体どんな味になるのでしょうか? もし短期間でも高温な場所に置かれでもしたらたちまちワインなんて酸化してしまいます。長期間の保存は、ワインが劣化する事もありえますから……だからもしかしたら飲んでみないと分からないのかもしれません」

「保存の仕方が悪いとワインって駄目になるの?」

「ええ、なんといいますか……お酢みたいになっちゃうんですよ」

 

 めーりんも恐らく読み齧りの知識なんだろう。たどたどしい説明を聞いていると、どうやら彼女もワインの熟成には不安があるらしい。

 

「ねぇ、めーりん、もしこのままの状態で熟成されたら美味しいワインって出来るかな?」

 

 私の言葉に少し驚きながらも、この少し湿っていて、暗くて涼しい室内を見て回った。

 

「そうですね、このくらいの室温でしたら恐らく大丈夫だと思います。咲夜ちゃん? どうしました?」

 

 私はその言葉を受けると、左のポケットから懐中時計を取り出して、それを樽の一つにかざした。

 自らの能力の発現を自覚する。

 こうした使い方は今までした事が無かったけれども、昔、今より力を操れなかった時、私は手で持った花を忽ち枯らせてしまう事が得意だった。

 それが怖くて、私はめーりんが管理している花壇には中々入れなかった。

 今ではその理由が漸く自身の能力である事だという事を理解できた。

 灰色の世界に私を導くだけでなく、時間を狂わせてしまう自分の能力、私はその能力に忌まわしい気持ちを持っていたが、どうやら漸くそれが役に立てる時が来たらしい。

 能力を解放し、集中力を注ぐ、決して自分を見失わないように、

 現実時間にして1時間と言ったところか?

 少しだけ頭の芯がくらくらする。

 

「咲夜ちゃん!」

 

 私はめーりんの腕のぬくもりを背中に感じた。

 

「ああ、ありがとうめーりん」

「一体何をなさったんですか?」

 

 私はまだ震える指先であの樽を指差して彼女に教えた。

 

「花を枯れさせる力を使って時間を早送りしたの、多分3年か4年は経ってると思う」

 

 言われてめーりんは最初何の事を言われているのか分からなかったらしいけれども、すぐに樽の状態の不自然さに気がついて、ワイン樽のコックを捻り、そして試飲してみる。

 

「凄い……まさかこんなになるなんて……!」

 

 興奮したようにめーりんはコップを私にそのまま手渡してくれた。

 お酒なんて飲むの初めてだけれど、彼女の作った物なら多分美味しいだろう、と思って一気に口に含んだ。

 

「……なんで、こんなものをつくるの?」

 

 渋い、というかなんというか、どうにも好きになれる味ではなかった。

 香りだけは葡萄のそれだけれど、あの甘い果実からは連想できない味が口の中に広がっていき、異物でも口に入ったように感じさえする。

 

「ははは、まだ咲夜ちゃんには分からない味だったでしょうか? でもですね、私も、それにお嬢様もこの味が好きなんですよ」

「私には理解できないわ」

「でもきっとお嬢様も喜ぶでしょう。私と、それに咲夜ちゃんで造ったワインにね?」

 

 その言葉を聞いてからか、それとも体中に溜まった疲労感からか、或いはあのワインで酔いが回ったのかは分からなかったけれども顔が暑くなるのを思わず感じてしまった。

 

「恥ずかしい事言わないで下さい」

 

 ははは、と大きな声で彼女は笑い、そして一言だけ言葉を続けた。

 

「そうですね、この館の住民、というより妖怪達は何かしらの能力を持っています。あなたのそれと同じように、私は、自らの能力の有用性によってここで働かせて頂いています。これども人が人と共に働くという事は違うのかもしれません。その咲夜ちゃんの能力は誇るべき事なのかもしれません。その能力によって落ち込むよりも素晴らしい事かもしれません。けれども忘れないで下さい。あなたがここに居るという事は能力が故ではないという事を、だからそれによってあなたは自身に負い目を感じる必要なんて、本当は無いんですよ」

 その言葉に私はめーりんに自分の何もかもを見透かされたような気がした。

 あの風見幽香から聞かされた言葉からひたすら考え続けたその意味を、

 何故だろう、恐らくワインの酔いがまだ回っているからだろう。

 本当に彼女は色々と世話を焼いてくれる。

 それから私達はその年に取れた葡萄を一樽だけ時間を飛ばさずに残しておいた。

 それは、もし私が自分の責務から解放された時に飲むという二人だけで作った約束だった。

 

 

■            ■

 

 

 ある夜だった。私はワインを一本と、それにワイングラスを二つ持って仕事上がりに一杯飲みに行こうと思っていた。

 そこに一人の妖精が駆け寄ってきた。

 

「あの! 美鈴さん、その、なんていいますか、えと、どこから話せばいいのか……」

 

 妖精は論理付けて物事を話す事が苦手である。その事は十分に承知していたが、今日のそれはあまりにも酷かった。

 

「ほら、落ち着きなさい、慌てて報告する事があるのならきちんと伝わらなければ意味が無いわ。それにそんな姿お嬢様にでも見つかったら――」

「そのお嬢様の部屋からです!」

「あのう、盛り上がるのは勝手ですけど、順序だてて話なしてください」

 

 その言葉で漸く落ち着いたのか分かる範囲の言葉で伝えてきた。

 

「その、メイド長がお嬢様の部屋から出てきたんです! 少し息を切らしながら、なんだかちょっと血を出していたかなって……」

 

 ああ〜なんとなく理解できた。

 けれどもそんな事を相談されても困る。

 当たり前だけれど、

 

「そうね、それじゃあそれは見なかったことにしちゃいましょう?」

「はぁ?」

 

 素っ頓狂な声で妖精は答えてくる。

 だって他人の情事の心配なんて当人意外がするなんてそれこそ無粋でしょうに、けれども彼女にそういった倫理概念を今更叩き込む事自体が無意味に思えて仕方が無かった。

 

「あれは、その、なんていうか儀式みたいなものですよ。私達には知りえない、とても大切なね。だから見て忘れなさい。あとこの事は他言無用、分かりましたか?」

 

 彼女は一言だけはい、と答えて去っていったが、果たして噂話好きの妖精にどこまで強制力が通用するかは疑問だ。

 ……まぁ噂話を抑えるのも当人達の責任なのだし、私がどうこう言う立場にも無い。

 さしあたっての問題は、用意したワイングラスの一つは無駄になってしまったという事だ。

 パチュリー様は必要時以外にはお酒は飲まない。

 フランドールお嬢様は論外、妖精なんてもってのほか、

 なるほど、この館には飲むお酒があっても一緒に飲む相手が意外にも居ないのが勿体無かった。

 結局私の足は自然と自室に向かっていた。

 オイルランプはなんとなく着ける気にはならずに、カーテンを開けて月明かりを肴にしてワインを飲む、今日だけは一本でも悪酔いしそうだった。

 今宵は満月、そうか、満月ということはそう言う事になってしまうんだろう。

 やれやれ、人間の成長は早い、あんなに私の後を着いて来ていたちっちゃい子がいつの間にか一緒にお酒を飲む程に成長して、そうして……

 悪い気持ちが全く無いといえばそれは嘘だろう。

 鬼のアレルギー並とは言わないけれども、私も嘘を吐くというのが嫌いだ。

 特にこう言った自分に対する嘘は……

 でも、不思議と納得してしまっている自分も居るのは、あの夜の咲夜さんの魔法のお陰かもしれない。

 こんなことは一度きりよ。

 彼女は魔法使いでもなければ妖怪でもない。

 彼女自身の能力だって私の心に侵入することだってできないのだから、恐らくそれは彼女が持つ言葉の魔力だろう。

 

「だからかなぁ、胸は痛むけれども、でもどこかで納得しちゃう自分が居るんだよなぁ」

 

 ほんの少しだけ甘いワインの香りがかつての幼少時代の彼女を想い起させる。

 その甘さに酔ったのか、私はほんの少しだけ窓の外に浮かぶ黄色い真ん丸のお月様の輪郭がほんの僅かだけ歪んで見えた。

 

 

    ■           ■  

 

 

「十六夜咲夜、本日を持ってしてお前をメイド長の任から解く、これまで良く私に尽くしてくれた」

「勿体無いお言葉です。いまここでこれ以上働けない身になる事を悔やむばかりです」

「いいや、お前は良く尽くしてくれたよ。本当に、だがお前を縛るものはもう無い、とはいえ、何処かへ行けとは言わない。出来れば死ぬまでここに住んでいてはくれないか?」

「ええ、喜んで、出来る事があれば私は何だって致します」

「無理を言うなその体で、お前は、そうだな、ただ私の話し相手になってくれていればいい」

 

 そう言うとお嬢様は私から視線を外す為に椅子を回転させて、夜景を眺めていた。

 

「その、なんだ、体を大切にしなよ。人間とはいえ死ぬにはまだ早すぎる時期だ。私を大切にしてくれる気持ちは有難いが、私はそれで無理をするお前を見て居たくは無い」

 

 お嬢様の言い方は最後の最後まで本当にお嬢様らしいと思うとほんの少しだけ微笑が浮かんできてしまう。

 もしかしたらこのお嬢様は自分の照れと、それに対する私の反応に目を背けたかったのかもしれない。

 お嬢様にお仕えして50年、お嬢様の背を追い抜いたのは遥かに昔だが、また彼女と同じくらいの視線で彼女を見るのはそれはそれで面白くはあった。

 お嬢様の合図で私の車椅子を引いて退出する妖精、

 私の体は大体3,4年ほど前から半分くらいがいう事を利かなくなってしまっていた。

 パチュリー様の見立てでは私の能力に原因があるらしい。

 人の身でなければ、と何度も彼女は呟いていたが、私はそうまで後悔はしていなかった。

 

「さ、私の自室に案内しておくれ」

「かしこまりました……けれども少しだけ寄り道をしてくれと仰せつかっていますので寄り道しちゃいますね」

「え? お嬢様から?」

「いいえ、それは辿り着いてからのお楽しみだという事らしいです」

 

 この館の妖精メイドは皆結構力持ちである。紅美鈴の影響を受けて武道を学んでいる者達もいるらしい。最近はそこまで気が回らなかった為自覚が無かったが、つい先日、私は動かなくなってきた体に無理を言って働かせていた体についにガタがきて両足が動かなくなってしまった。

 流石にその時のショックは小さくないもので、公衆の面前で酷く泣いてしまったのは年甲斐の無い事だと思った。

 その事をパチュリー様に漏らしたところ、彼女には言われた。

 

「そんな事に年もクソも無いでしょう。あなたはいつも無駄なところにだけ気が回るのね」

 

 全くその通りで返す言葉も無かった。

 車椅子を押す彼女もまた結構な力持ちらしく、階段も易々と車椅子共々私を担いで降ろしてしまった。

 こんな階段、以前は飛んで下りたものだったが、それも今では叶わない。

 

「大丈夫です。そんなに大変な事ではありませんよ」

 

 気遣ってくれるのも素直に嬉しいとは思えない自分の曲がった根性がますます浮き彫りになるようで、ひたすら自らの自責の念が募るばかりだった。

 

 紅魔館のロビーに出ると、彼女は入り口の扉を開いた。

 

「ここから先は自らの手で向かってください。この先で待っている方もそれを望んでいらっしゃるようですから」

 

 ここから扉までは大体6メートル、歩くには大した距離ではないが、まだ馴れない車椅子での移動には随分と骨が折れそうである。

 自身をこれ以上弱い存在だと思いたくないため、手を動かし、なんとか車椅子を動かす、自らの体重と、軽金属で作られたそれは思っていたよりも重い、筋力だけは衰えさせたつもりは無かったんだけどな、中々に上手く前には進んではくれない。

 

「頑張ってください! メイド長」

 

 分かっている。そしてメイド長と言うな。もうその職ではないんだから……

 何度か試行錯誤を繰り返しながら、なんとか辿り着く、

 上手く真っ直ぐ進まなかった。

 

 そして表に出たその門に続く道に、彼女は立っていた。

 

「お勤めご苦労様でした咲夜さん」

 

 そこには、私が小さい頃からこの館に仕えていた紅美鈴が立っていた。

 

「ええ、こんな夜遅くに呼び出して、何かしら?」

「まま、そう棘を出さないで下さいよ。折角の職務から解放されたんですよ? 折角なので祝わせて下さいよ」

 

 そう言いながら彼女は私の車椅子を押す、かつては彼女と殆ど変わらない背だったが、今では下半身が効かない分、彼女の半分の背しかない。

 

「暗く考えなくてもいいんですよ。新しい環境には慣れていけばいいんです。だって咲夜さんは妖怪と共に生きながらも人間である自らを維持してきたんですから、きっと出来ますって」

「あなたはいつも楽観的ね。何時までも変わらない」

「ええ、マイペースだけが取り得ですからね」

「いつだったか、懐かしいフレーズを聞いたわね」

「あの頃はこんなに捻くれては居ませんでしたがね」

「煩いわね。人間齢を五十も重ねると捻くれるものなのよ」

「ええ、今でも昔でもそれでも咲夜さんは変わらないほど強情なところもありますけれどね」

 

 最後の言葉に少し引っかかりを感じたが、彼女はからから笑いながら私を門の外へ運んでいく、

 着いた先は葡萄畑だった。

 紅美鈴が私の幼少の頃から大切にしている畑だ。

 かつてのそれより規模は大きくなっていて、それだけ彼女の苦労も増えているのだろうと一目見てわかる。

 

「お嬢様達は何やら咲夜さんに慰労会のようなものを企画しているそうですが、それは後日の楽しみに取っておいて下さい」

「それ私に言っていいのかしら?」

「ええ、多分、お嬢様達のことです。プライドが邪魔をして自分からいう事が出来なくて隠して隠して下手したらあなたが死ぬ頃にいきなり始めちゃう……なんて笑い話にもなら無い事を平気でやってしまうんですよ」

「……今丁度そんなお嬢様達が頭の中に浮かんだわ」

「でしょう? だからそれとなく自分からそういう物を催して欲しいとでもアピールしておくんですよ。それは逢瀬を重ねたあなたの方が理解しやすいかもしれませんけれどね」

「そうね、このままフェードアウト、なんて事は私らしくも無いわね」

「そうですよ。咲夜さんはこれからはお嬢様の話し相手になったり、鬱陶しがられながらも仕事が遅い妖精たちにいちゃもんをつけていればいいんですよ」

「あなたがどういう目で私を見ていたか良く分かったわ」

「理解しあえる友を持つ事ほど実りある人生を演出するものは無い、なんていう格言があるそうですからね。そんな私からのプレゼントはこちらです」

 

 葡萄畑から少し離れた場所にワインが一本と、それにいつか二人して夜通し呑んでいたようにワイングラスが二つ分、

 

「いつかの約束を果たす時が来ました」

「ええ、思わず忘れてしまうところだったわ」

 

 美鈴は車椅子をテーブルまで寄せると、私の前でそのワインの瓶のコルクを開けた。

 

「かつて咲夜さんが造っていた即席ヴィンテージワインには及ばないかも知れませんが、それでも力作だと信じて止みません。どうかお試しください」

 

 そう言うと、彼女は二つのワイングラスにそのワインを注いだ。

 

「そんなに畏まらなくてもいいわ。でもいいわ、頂きましょう」

「では、咲夜さんの退職を祝って、乾杯」

 

 その言葉に合わせて彼女のグラスに少しだけグラスを打ち付ける。

 ワインを口にした瞬間、私の中に広がった香りも味も只者ではなかった。

 その瞬間から私は自らの過去を走馬灯のように見ているような複雑な感覚に囚われた。

 それが私の造った無為に時を狂わせたワインと、それだけの時間を過ごしたワインの違いなのだろうか?

 

「随分と複雑な気持ちにさせてくれる味ですね。けれども、私達が普段飲んでいるワインとそう変わらないようにも思えます。多分そう感じるのはこのワインの懸けた想いの時間と言う主観性がもたらしているのかもしれませんね」

「あなたも随分とロマンチックな事を言うのね?」

「いいじゃないですか、こんな時じゃないと言えません。咲夜さん、あなたは妖怪にならなかった事を後悔していますか? お嬢様達の背を追い抜き、私の上に立って、けれども私達と違い老いていく自らに、あなたはその老いに衰えに、それを捨て去る誘惑に駆られませんでしたか?」

「それは……ねぇ美鈴、あなたは永く生きてきて後悔が無かった事なんてあるかしら?」

「そりゃ〜無いはずが無いじゃないですか」

「それと同じよ、私だってあんだけ元気だった霧雨魔理沙が死んで、自身にもいずれ訪れるそれに恐怖した事もあるわ。お嬢様に何度だって勧められた。けれどもね、結局私はどれも選ぶ事ができなかった。私の気持ちなんて、そんな中途半端な気持ちだけで成り立っているモノなのよ」

「ええ、咲夜さんらしい選択ですね。でもあなたは自らの意志だけでそれを決定したのでしょうか?」

 

 その言葉は私の酷く痛む傷を抉ってくれた。

 かつてお嬢様が私がまだ若かりし頃に毎日のように繰り返して言っていた事だった。

 

「お前は死ぬ事は怖くは無いのか? 私はお前に恒久的な生を与える事が出来る。老いも無く、死も無く、いつまでも私に仕えることが出来る存在にしてやろうか?」

 

 けれどもその提案を持ち掛けて来たお嬢様は何時だってどこか寂しそうな表情をしていた。

 自らが問いかけているのに、私には否定して欲しいと言わんばかりの表情で、だから私は首を横に振り続けた。

 私という存在の思考なんてこの程度で完結してしまうんだ。

 本当に、碌でもないほどの短絡思考だ。これは普段から短絡思考だと怒っていた美鈴に対しては強くはいえないことだな。

 

「私達は生まれも育ちも皆別々でした。フランドール様はもしかしたらお嬢様と同じかも知れませんが、それが何かの縁で一つにつながり、この東の果てにやってきました。私は自らの決定を自ら自身が決定したとは思ってはいません。ですから、私達は未だに後悔なんていう言葉に苦しむのかもしれませんね。お嬢様のように運命という絶対的不条理の存在を心から信じられるのならもしかしたら違うのかもしれませんが」

「はぁ、確かに、あなたですらそれだけ考えているんだから……私一人がこうして思い悔やんでいる事は本当に些細な事に見えてくるわ」

「ええ、咲夜さんはいつだってどうでもいいことで悔やんでいるんです。多分、それが私にとってはどうでもいいことで、咲夜さんにとってはどうでも良くないことなんでしょうね。だから咲夜さん、全てを一人で抱え込む時代はもう終わったんですよ」

 

 ワインの味をもう一度確かめる。そのワインの味は正しく紅美鈴のそんな思いが詰まったような味だった。

 主観的な考えなのかもしれないけれども、私がそう感じたのだから、そうでいい。

 

「ねぇ美鈴、これを受け取ってはくれないかしら?」

 

 私は腰のポケットにいつも入れてある銀の懐中時計を彼女に渡した。

 

「そんな大切なもの、いただけるわけが無いじゃないですか」

「いいのよ、私にはもう必要ないどころか、使えば体に悪いものよ。だから使わないようにあなたが持っていて、友人じゃないとこんな事頼めないわよ」

「あら、見事にいい感じで返されてしまいました。仕方がありません。きちんと保管させていただきます」

「いいえ、常に身に着けていなさい。時間にルーズなあなたには必要でしょう? そういった時計が」

「やれやれ、最後まで可愛げが無いんですから、もうちょっとその辺りをですね」

「うっさい! いいから取っておきなさい」

 

 彼女の顔面めがけて投擲した銀時計はそのまま彼女の右手に納まり、そして彼女の顔にまた笑みを作らせた。

 

「ではこの身が尽きるまで肌身離さず持っておきますよ」

 

 その笑みはこれまで見たもののなかで一番子供っぽく、やっぱり外見相応の年齢を積み重ねているようには見えなかった。

 

 

■             ■

 

 

 私は鍬を振るう、腰にはこれまで無かった銀時計が元の持ち主の性格のように正確な時を刻んでいる。

 

「さて、そろそろお昼でしょうか?」

 

 その銀時計を見ると正午5分前だった。

 遠方に見える紅魔館のテラスにはお嬢様と、そして職務から引退した咲夜さんが私を丁度眺めていた。

 お嬢様は兎も角として咲夜さんにはこちらが見えているのだろうか?

 試しに手を振ってみようとも思ったが、止めた。

 どうせなら見ていると思っておきたいし、こちらが向こうを気にしすぎて仕事を怠けているなんて思われたくないし、

 

「ああ、今日もいい天気ですね。あなたと一緒にワインを初めて作った時もこんな日和でしたね。今ではもうあなたの力に頼る事は出来ませんが、それでもあなたが作ってくれたワインに負けないワインを私は作れる自信がありますよ?」

 

 今ではない、過去の咲夜さんに私は語りかけるように銀の懐中時計に語りかけた。

 多分彼女は失笑してこう言うだろう。

 

「ならば結果を出してからいいなさい」と

 

「ええ、結果はいずれ出しますよ。あなたが生きているうちにね」

説明
紅美鈴と咲夜さんの話

紅のひろばで新書サイズで小説本出します。
詳しくは下記のURLで

http://syunminnakatuki.blog.fc2.com/
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