うそつきはどろぼうのはじまり 36 |
謁見の間に、奇妙な沈黙が落ちる。怒気を削がれたレイアは、疑念を顔一杯に広げて玉座を見つめた。
「どういう・・・こと?」
意味が分からない。先ほどまで、あれほど友好の証だ政略結婚だと述べ立てておいての全否定である。混乱した彼女は、当然背後のジュードが厳しい顔になったことには微塵も気づかない。
ガイアス王は豪奢な椅子に両肘をつき、やや前かがみの体勢で語り始めた。
「お前は五年前、エレンピオスの研究所で、リーゼ・マクシアから拉致された人々を見ているだろう」
レイアの顔が微かに曇る。その記憶は、あまり気持ちの良いものではなかったからだ。
「ああ・・・。はい、見ました」
エレンピオスの源黒匣研究所、ヘリオボーグ基地にいたのは民間人だった。同郷だと知れて会話をしたものの、様子がおかしいので、一行は責任者を問い質した。研究所の職員であるバランは、源黒匣を生み出すマナを得るため、無理やり攫って来たことを歯切れ悪く明かした。
「我々は国交が持たれた当初から、彼らの返還を要請し続けていた。彼らの意思とは無関係に連行し、マナを得る道具とするとは人道に悖るとな。それがようやく、実を結んだのだ」
国王の言葉を、宰相が引き取る。
「エリーゼさんの婚姻による国交正常化は、表向きの理由に過ぎません。行方不明となった人々の家族から、多くの陳情が寄せられました。一つの世界となったとはいえ、エレンピオスは遠い異国。家族を取り戻すには、個人の力では到底敵わぬ巨大さがあります。我々は国として、彼らを支援することにしました。小さな犠牲を払い、大事を得ること――すなわち拉致された民の帰国を目標と定め、これを最優先事項としたのです」
「取引は成立した。エレンピオス側からは、こちらで把握していた人数以上の民間人が送還され、既にそれぞれの故郷へ送り届けてある」
王は軽く手を組み、その上に顎を乗せた。
「現状、少女一人を差し出すことで、多くの民が救われたわけだ。後見人でさえ承知のことを、今になって責め立てる必要が、果たしてあるだろうか。レイア・ロランドよ」
名を呼ばれて、彼女は喘いだ。恐慌のためだった。少女の双眸は恐怖に染まりつつある。
レイアは闇を見た。いや、闇ではない。何かもっと粘着質の、どろどろとした代物が、玉座を覆っている。夜よりも深く、魔物よりも醜悪な何か――魑魅魍魎、としか呼べないような怨念の塊だった。
蠢く黒は返答を催促していた。飲まれないためには、頷くだけで良かった。陛下、貴方は正しいと受け入れるだけで、彼女に興味を失って消えるだろう。
それでもレイアは、持ち前の感性でこれを拒否していた。
ガイアスとローエンの説明は筋が通っている、がどうしても頷けない。感情論では片付けられない違和感がある。何かがおかしい。彼女の直感はそう告げていた。
しばしの沈黙の後、彼女は恐る恐る指摘した。
「でも・・・なんかそれ、おかしくない? 大体、なんでエリーゼなの?」
「そうです、ガイアス王」
レイアの疑問に真っ先に反応したのは、王でも宰相でもなかった。萎縮する少女の後ろから黒髪の少年がずいと進み出、玉座を見据える。
「ジュード・・・?」
少年は不安そうな幼馴染に微笑を返し、再び王に向き直る。国王を問責する言葉は明瞭で淀みがない。
「陛下。これは僕の予想ですが、おそらく、エリーゼという名はエレンピオス側から出されたのでは? 先方から、希望する人物を指定してきたのではありませんか?」
玉座からは返答がなかった。沈黙が何よりの答えだった。
ジュードは拳を握る。
「やっぱり・・・!」
彼の反応を見た王が、鷹揚に立ち上がる。のそりとその長身を壇上に伸ばし、胸の前で腕を組んだ。
「成程。その憶測に基づいていたわけか。お前がエリーゼを奪わんと、カラハ・シャールの領主の屋敷を襲ったのは」
レイアは頭が真っ白になった。
(カラハ・シャールを襲った? エリーゼを奪うって・・・ジュードが? まさかそんなこと、あるわけがない。あるわけがないじゃない・・・)
「ジュー・・・ド?」
声が掠れる。声が震える。
「襲ったって・・・どういうこと・・・?」
否定して。濡れ衣だって、いつもみたいに、そんなことないよって笑って。お願いだから。
だが彼は答えない。ジュードはこちらを振り返りすらせず、ただ真っ直ぐに王を凝視し続けていた。
レイアは急に心細くなった。手を伸ばせば触れられる距離に、すぐ目の前にジュードはいるのに、遠い。体が不安に震えている。こんなにも寄る辺のなさに怯えたのは、生まれて初めてだった。
ローエンが、それまでずっと手に携えていた巻物を広げる。
「貴方の勤務先である研究所、及びシャール家領主から訴状が届けられました。この申し出に因る出頭命令の概要は、以下の通りです。旧六家シャール家の領地内における暴動、放火及び攪乱幇助。この訴状について弁明はありますか?」
事務的な宰相の言葉に、ジュードもまた淡々と答える。
「ありません」
「ではジュード・マティス。現時刻をもって謹慎を命じます。以後、王命のあるまで、研究所への出入りは控えるように」
少年は無言で一礼した。
踵を返し、謁見の間を後にしようとする二人の背に、ガイアスは声を掛ける。
「どうやら駆け引きは不得手のようだな」
どこか面白そうな国王の言葉に、ジュードは振り返り苦笑した。
「僕、やっぱり政治って苦手です」
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