俺の金じゃない
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 ──最初は気楽なもんだった。大したことだとは思わなかった。

 酒場で酒を飲み、飯を食う。その代金を銭じゃなく、物で払う客もいる。体で払おうって女もいる。いろんな客が来るもんさ、この店にはな。

 確かに、銀貨で払う客は珍しい。けど、いないわけじゃあない。

 金貨を差し出された時にゃ、さすがに妙だと思ったさ。

 寒い夜だったよ。店はいつもと同じ、そこそこに客が入っててね。見ての通り、そう広い店じゃない。客が二十も入りゃ一杯になっちまう。その日はそんなこともなかった、半分は席が空いてたからね。俺も一杯やりながら、のんびり客の相手を楽しんでた。

 その客はそこ、その隅の席で飲んでた。見かけない顔だった。一人でね、連れは無しだ。酒と料理を頼んだ後は、じっと黙って座ってたよ。そんな客は珍しくもない。俺もさして気に留めなかった。帰り際に金貨を差し出された時、初めて妙だと思ったのさ。

 そう風変わりな客じゃない。背は並よりちょいと低いが、特徴といったらそのくらいのもんさ。使いこまれた革鎧の上から、踵に届くほど長い上っ張りを着こんでな。どう見ても金持ちって風じゃなかった。だけど金貨は本物だ。

 さすがに迷ったね。判るだろ、店じゅうの小銭をかき集めたって、釣りなんか出せやしない。

 俺がそう伝えると、その客が言うんだ。「預かっててくれ。次に来た時、その金で飲ませてもらうさ」、ってな。

 さっきも言ったが、この店にゃいろんな客が来る。付けを溜めこむ客もいれば、有り金ぜんぶ飲み干しちまって、翌日から食うにも困るって客もいる。けどな、酒場で前払いする客なんて、それまでお目にかかったことがなかった。

 俺はしげしげ眺めたね。その客の、頭のてっぺんから爪先までね。けど、いくら眺めてみても、その客に妙なところは見つからなかった。確かに剣を帯びちゃいたが、今日びそんな連中なんざ珍しくもない。客の剣は短いやつで、そう恐ろしくもなかったしな。

 その客は笑ってたよ。俺の反応を見て、愉しんでた。

 俺は悩んだ挙句、その金貨を受け取った。

 何故って、断る理由がないからだよ。付けで飲む客だっている。俺はそいつを認めてやってる。だけどこいつはその逆だ。店にとっちゃ有難い話さ。だろ?

 それに……そう、ちょっとした欲もあった。

 客は剣を持ってる。短いやつだが、二振もな。鎧は相当使いこまれてたし、幾つか目立つ傷もついてた。何かしら荒っぽいことで金を稼ぐ男だと、誰だって見てとれるさ。

 となりゃ、どっかの誰かとやりあって、この客がくたばっちまうことだってあるだろう。そう思ったのさ。そうなりゃしめたもの、この金貨まるごと頂いたって、誰からも文句は出ねえ。だろ?

 ──けど、そううまくはいかなかった。次にその客が店に来たのは、それから二ヶ月ほどたった夜さ。

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 その夜は吹雪でね。一杯やりに家を出よう、なんて誰も考えそうにない夜さ。店には流れ者の客が二人、別々の席にぽつん、ぽつんと座ってるきりだった。吹雪が止むのを待つつもりだろうが、こっちはそれでもかまわない。暖炉の前ででも寝かせてやるか、そう思ってたところだった。

 その客は突然現れたよ。身体じゅう雪まみれにしてな。

 俺は落胆したが、そんなこと顔に出しやしない。二十年も店やってりゃ、顔くらい作れるさ。俺は笑って出迎えてやったよ。暖炉の前の席に案内してやった。

 前に見たのと同じ、革鎧に長い上っ張りだった。全身の雪を払い落としてから、暖炉の前に座った。そして聞いたね、「前に預けた金、いくら残ってる?」ってね。

 俺は正直に答えたよ。商売を長続きさせるこつは、正直でいることさ。剣を持った客相手なら、尚更な。

 すると客はこう言った、「足しといてくれ」。

 差し出した掌には、金貨が五枚載ってたのさ。

 面食らった、なんてもんじゃない。まったく理解できなかったね。何でそんなことをするのか、見当もつかなかった。

 けど結局は受け取っちまった。なんでって? 最初の金を受け取ったからにゃ、次を受け取らんわけにゃいかんだろ。

 それにだ……そう、また例の欲が顔を出した。今度の金貨は五枚。吹雪が続いて客が一人も来なくても、当分はやっていける金額だ。

 俺はその客をもてなしてやった、目一杯ね。王様並に扱った、とは言えんが、酒場の主にできるだけのことはしてやったよ。酒を温めたし、熱い汁も出してやった。客は満足そうだったよ、少なくとも俺にはそう見えた。

 その時さ、妙なことが起きたのは。

 流れ者の客二人、さっき話したろ。どっちも得物を持ってた。一人は長剣を腰に差して、もう一人は大太刀を背負ってな。両方とも屈強そうな男さ。大太刀の男なんざ、筋肉で袖がはちきれそうな位さ。けど入ってきたのは別々だし、席も離れてた。

 それまで目を合わせようともしなかった二人が、いきなり隅に寄ってね。二言三言、ひそひそ話し合ったと思ったら、いきなり荷物をまとめて、連れだって出て行っちまった。外は猛烈な吹雪、おまけに真夜中だってのに。

 不気味だろ? 当然だよな。けどもっと不気味だったのは、その二人が去り際に、ちらちら盗み見てたことだ。俺じゃない。例の客を、さ。

 吹雪は朝まで止まなかった。例の客は暖炉の前で、椅子に座ったまま眠ってた。俺はその間、調理台の前にいて、ずっと頭を抱えてたね。妙なことに関わっちまったんじゃねえか、ってな。

 ──次にその客が来たのは春だ。金貨を五十枚置いてった。

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 そんな具合にして、店にゃ金がどんどん増えてった。次の冬が来る頃にゃ、金貨が五百にもなってた。もちろん俺の金じゃない、例の客の金だ。

 どうしようもなかった。今更断るわけにもいかんし、かといって使いこむわけにもいかねえ。手をつける気にゃなれなかった。何故かって?

 気づいたのさ、客の目つきに。例の客の目じゃねえ、そいつを見る他の客の目つきに、だよ。

 たいていの客は無視するだけだ。見たところなんの特徴もねえ、只の男だからな。だが時々は、男の顔を知ってる風な客もいた。その姿に気づいたとたん、顔つきが変わるんだ。見てて可笑しくなるほどにな。

 反応は様々さ。青くなって震える客もいたし、噛みつきそうな目で凝視する客もいた。けどな、誰一人として、そいつに話しかけようって客はいなかった。一人としてね。

 判るだろ、俺が金貨に手をつけず、後生大事に取っておいた理由が。自分の金よりも大切に扱ってたぜ。毎日場所を変えたりしてな。

 ──まあ待てよ。そう慌てるな、話はまだ半分だ。

 その冬の終わり頃さ。店に物騒な客がやってきた。隻眼の大男、顔にはでっかい傷があってな。この店ごと断ち切れるんじゃねえかと思うほど、でっかい刀を背に負ってた。まだ日暮れ前だったな、まだ外は明るかった。

 気の早い客が二、三人ほど入ってたが、その大男が店の真ん中に──そう、丁度あんたが立ってる辺りさ──腰を下ろしたら、先を争って出ていったよ。無理もない、一目で判る物騒な男さ。間違っても関わり合いになりたくない、そんな類の男さ。

 正直俺も逃げ出したかった。だが店を空けるわけにもいかん。男に酒を出して、あとはひたすら祈ってたよ、早く飲み終えて出てってくれるようにってな。ところがだ、男は舐めるようにちびちび飲むだけで、酒は一向に減りやしない。

 そうこうしてるうちに、二人めが入ってきた。今度のは背丈は並だが、抜き身の剣を腰に下げててね。ちょいと触れただけで指の四、五本も落ちそうな、切れ味鋭い長剣さ。その客の目つきもまた、刃に劣らぬほどにぎらぎら光ってた。

 新参の客は大男に歩み寄って、小声で何か呟いた。知り合いか、と思ったんだが、新参はそのまま店の奥まで歩いて、壁に寄りかかっちまった。俺が酒を持ってくと、立ったまま飲みはじめるんだ。大男と同じように、ちびりちびりってな。

 やがて三人めが来て、四人めが来て……店は物騒な客だらけになった。

 ほとんどは得物を持った危険そうな男だったが、中には魔道師風の客もいたな。女も一人いたよ、人間の指を髪に飾った女が。美人だったが、お近づきになりたいとは思わなかったね。

 陽が落ちて、馴染みの客が来る時間になった。けどみんな、店の様子をちらりと覗いただけで、そそくさと帰っちまった。無理もないこった、判るだろ。

 不気味ったらなかったぜ。誰も一言も話さず、只酒を飲んでる。ちびりちびり、ってな。何かを待ってるのは確かだ。目を向けないまでも、全員が扉のほうに注意を向けてたからな。けど、何を待ってるのかはさっぱりだ。

 俺は気を落ち着けようと、店の酒を何杯も飲んだ。おかげで腹は据わったが、ちっとも酔えやしなかった。判るだろ。

 夜が更ける時分にゃ、店は十二人の物騒な客で一杯だった。いいか、十二人だぜ。

 そして最後に──例の客がやって来た。金貨を預けに来るあの客さ。

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 そいつが戸口に現れた瞬間、他の客の様子が一変した。あからさまに目を向けたのは一人もいなかったが、なんというか……変わったのさ。緊張の糸が切れたようでもあったし、更なる緊張が走ったようでもあった。どっちにしろ、連中が誰を待っていたのか、これではっきりした。

 まともな用件とは思えなかったけどな。なにしろ挨拶するわけでもねえし、立って出迎えるわけでもねえ。客の方に顔を向けさえしねえんだ。

 例の客はいつもと同じ、革鎧に長い上っ張りだ。仕事の帰りらしく、上っ張りに黒い染みがついてたっけ。胸元の布が妙に突っ張ってて、何か重いもんでも忍ばせてるみたいだった。まあ、この正体はすぐに知れたけどな。

 そいつは店をぐるりと見回してから、唇の端でにやりと笑った。俺のとこへまっすぐ歩いてくると、聞こえよがしに言ったね、「面白い顔ぶれだな」って。

 口を開いたが、言葉が出てこねえ。客は俺の目の前に座ると──例の大男のすぐ横だ──内懐に手を突っ込んで、革の袋を取り出した。中身は見なくても判った。金貨さ。

「足しといてくれ」

 客はそう言って、金貨の束を調理台に並べていった。数えるまでもなく百枚あった。十枚の束が十個さ。

 最後の束を置いた時、上の二枚がこぼれて落ちた。調理台のこっち側にね。

「済まん」

 そう言って客はにやりと笑った。俺はいや、なに、とか訳のわからんことを呟いて、腰をかがめて金貨を拾った。

 その途端、店のあっちこっちで音がした。

 何の音かは判るもんか、色んな音が一度にしたからね。金属がぶつかる音もあったし、何かがこすれる音もしたな。人の声らしきもんも聞こえた気がしたが、はっきりとは判らん。

 俺が金貨を拾って顔を上げると──そこは地獄絵図だった。

 全員死んでた。魔道師は首が無かったし、女は仰向けに横たわって胸から血を噴き出してた。壁際に立ってた男は喉を裂かれたまま寄りかかってた。大男だけが無傷に見えた──と思ったら、見る間に口から血を吐いて、椅子からころげ落ちた。

 一面の血の海のなかで、例の客は一人立ってた。両手に短剣を下げて。頭から爪先までを真っ赤に染めてね。

 何が起きたかは一目瞭然だ。けどな、俺は信じられなかったね。俺の頭がおかしくなったか、それとも酒に妙なもんが混じってて、悪酔いしたに違いねえ。そう思ったね。その方が信じ易かったのさ、明らかに起こったことを信じるよりもな。

 判るだろ。俺が腰をかがめて金貨二枚を拾う間に、店にいた十二人の客を皆殺しにしちまうなんて……誰が信じられるかよ。この目で直に見てたって、そうは信じられんだろうぜ。

 例の客は血まみれの剣を上っ張りの端で丁寧に拭った。それから剣を収めると、こっちに向かって笑ったんだ、返り血をいっぱいに浴びた顔でね。

「今落ちた金貨二枚、あんたが取っといてくれ。店の掃除代だ」

 そう言い残して、客は店を出ていった。

 俺は黙って見送ったよ、血まみれの後姿を。言葉なんか出るはずねえ。怖いから、ってよりも……呆れたね。

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「──次の日、俺は人を雇って店を片づけた。なにしろ金貨二枚の掃除代だ、有効に使わにゃ損だからな。死体は墓地まで運んで埋めた。大男なんざ、五人がかりでやっと外に出したっけ。墓地に運ぶにゃ荷車が必要だったよ」

 初老の店主は言葉を切ると、血の滲んだ唇からくつくつ笑いを漏らした。

「掃除にゃ苦労したね、なにしろ店中血の海だからな。それでもあらかた片づいたが、どうしても消えない染みもあった。ほら、その壁とかな」

 顎で指し示す。手足を縛られ床に転がされた姿勢では困難だったろうが、店主は何とかやってのけた。

 二人の男は同時に振り向いた。店主の示した壁には、確かに黒い染みがあった。並の背丈の男が寄りかかった、ちょうど首の高さの辺りに。

「それから何日かして、俺は噂を聞いた。『二殺のゼロ』って呼ばれる男の噂を。一度の動きで二人を葬る、凄腕の殺し屋だと。例の客のことだとすぐに判った。二振りの短剣を持ってたし、うち片方は確かに、不気味に光って見えたしな」

 唇の端から血を流しながらも、店主は懸命に首を持ち上げ、愉快げに話を続ける。

「その後も客はやって来て、その度に金を預けてった。単に持ち歩くのが面倒なだけだって、俺はようやく気づいた。大した金額だ、重さもかなりのもんだからな。飲み食い代を差し引けば、今じゃ金貨が七九二枚、銀貨六十枚、銅貨が三枚。きっちり合ってる筈だ、その袋の中身とね。本人は覚えてるかどうか知らんが、俺は決して忘れん」

 二人の男は顔を見合わせ、ついで床の上の革袋を見つめた。さすがに中身を数えようとはしなかったが。

「判ったろ、俺が何を言いたいのか」

 店主は男達をぴたりと見据え、噛んで含めるように告げた。

「つまりな、それは俺の金じゃない。例の客のだ。二振りの短剣を携えた、小柄で目つきの鋭い客の金だ。店の金を持ってくのはかまわん、好きにしろ。だがな、その革袋の中身に手をつけたら……」

 にやりと笑う。その沈黙は効果的だった。二人の盗賊は見る間に青ざめた。

「……どうなるってんだよ」片方が震え声で問う。

「お前達二人、『二殺のゼロ』を敵に回すことになる。俺を殺して口を封じても無駄なこと、お前達の居所など、すぐに知られるだろうな。たちまち追いつかれ、追いつめられ……そう、『二殺』の技を間近で見られるわけだ。うらやましいとは思わんな」

「嘘だ。はったりだろ」と、盗賊のもう一方。

「試す気があるかね」

 店主が応じると、不気味な沈黙が降りた。二人の盗賊は互いの顔と、床に置かれた革袋とを交互に見やった。

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 ──結局、二人は立ち去った。革袋の中身どころか、店の金にすら手をつけずに。

「……縄くらい解いてって欲しいもんだな」

 店主は忍び笑いを漏らした。

 盗賊どもが逃げ出すのは、最初から判っていたことだった。襲われたのは初めてじゃないが、例の話を聞くと盗賊は皆逃げ出した。一人の例外もなく。

 くつくつ笑いながら、店主は床を転がった。立ち上がろうと試みるが、後ろ手に縛られた状態では転がるのが精一杯だ。

 うつ伏せたまま苦心を続けていると、開け放しの扉から物音がした。姿は見えないが、人の気配がする。

「誰だ……コニーか? ドウスか?」常連の名を呼びかける。「誰でもかまわん、有難い、縄を解いてくれんか。盗賊にやられた」

 足音が近づいてきた。耳元で立ち止まると、鞘から剣を抜く音がした。剣を携えた客……傭兵か? 店の常連には数えるほどしかいないが……。

 店主が記憶を探る間に、ぷつりと音がして手首の縄が切断された。次いで──背骨のあたりに、何やら冷たい感触が走った。

「縄と貴様とで『二殺』だ」

 聞き覚えのない声が告げた。

「人の名を使って商売するなら、名前を選ぶことだ。素人が無闇に口にするもんじゃないぜ、俺の通り名は、な」

 背筋に感じた冷気は、徐々に鈍い痛みへと変化していった。自由になった両手を床に下ろし、立ち上がろうと試みる。が……腕に力が入らない。

 足音の主は店の中央に歩み寄り、床から革袋を取り上げた。

「この金は頂いてくぜ。俺の金、だそうだからな。文句はあるまい?」

 声には皮肉な調子が加わっていた。愉快げな忍び笑いも聞こえる。

 その頃には、背の痛みは耐え難いほどになっていた。叫ぼうとするが、息ができない。

 足音の主は戸口へと向かった。扉の手前で立ち止まり、振り返る。

「忘れるとこだった。受け取れ──店の掃除代だ」

 金貨が二枚。放り上げられ、壁で跳ね返って床に転がる。店主の足元で互いにぶつかり合い、涼しげな音を立てた。

 店主にはその音も、また歩み去る足音も聞こえなかった。耳に響くのはただ己の鼓動、そして喘ぐような呼吸音のみ。それらの音もだんだんと弱まり……やがて途絶えた。

 

説明
その男は突然現れ、店に金を預けていった。男が現れる度に金額は増え、やがて――。酒場の店主が語る、ある殺し屋の話。連作短編「二殺のゼロ」の一編です。
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酒場 短編 二殺のゼロ 殺し屋  ファンタジー 

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