うそつきはどろぼうのはじまり 37 |
ガイアス王による勅命で事実上研究所を首となったジュードであったが、幸いにして稼ぎ口はすぐに見つかった。彼の古巣であるタリム医学校の知人から、外来に来ないかと誘いがあったのである。
かくてジュードは数年間に卒業したばかりの出身校で、源黒匣ではなく人間と向き合う日々を送り始めた。元々学生時代に研修医として働いていた頃から、診察が丁寧だとすこぶる評判の良かったジュードである。謹慎を喰らっているくせに、と陰口を叩く者も少なからずいたが、それらの悪評を打ち消してしまうほどに、彼の元を訪れる患者は後を絶たない。
「ではお薬は受付で。お大事になさってくださいね」
この日もジュードは、あちこちから盥回しにされてきた患者達の愚痴を聞き、献身的な治療を行っていた。それは傍から見れば、国王から謹慎命令を受けているとは思えぬほどの厚顔っぷりであった。だがジュードには堂々とするだけの理由がある。ガイアス王の勅命は、ラフォート研究所への出入りを禁じられているだけで、医療行為については全くお咎めなしだったからである。
問診票に筆を走らせるジュードの横で、勢い良く布が引かれた。仕切り布を絡げて顔を出したのは、専属看護師のプランだ。
「ジュード先生、今の患者さんで最後です。待合室も空ですし、午後の一波が来る前に、少し休憩にしませんか?」
プランの言葉に、彼はにこりと笑った。
「ええ、そうですね。そろそろレイアも戻ってくるかもしれないし」
その言葉が終わる前に診察室の扉が開かれる。ずかずかと我が物顔で現れたのは、件の話の主だ。
「たっだいまー! はい、お土産。患者さんから差し入れ貰ったんだ。新発売のねじりドーナツだって。あったかいうちに食べようよ!」
少女の有無を言わさぬお茶会宣言に、三人はそれぞれ椅子を引っ張り出してきて車座になった。
無地のマグカップを両手で包み込みながら、プランはしみじみと言う。
「でもレイアさんが滞在してくださると仰って頂けて、本当に助かりました。みんな、急に研究所に借り出されることが多くて、あちこち人手がだいぶ足らなくなってきているんです」
「みたいですねー。今日も患者さんを運んでいく先から声を掛けられたよ。外科と内科と、あとリハビリだったかな? 車椅子押していったから」
指折り数えていたレイアは、ふと手を止めてくすぐったそうに微笑む。
「でも、お役に立ててるなら、本当に嬉しいです。ル・ロンドで頑張って看護師やってて良かったー!」
おどけて笑うレイアだが、その内心は複雑であった。
あの日、謁見の間を後にして以来、ジュードは全く謹慎の内容について話題にしなかった。源黒匣から離れた生活なんて久々だよ、と零しはても、触れてしまったガイアス王の逆鱗については一言も口にしなかったのである。
レイアの方も、何となく聞きそびれていた。
聞きたいことは山のようにあった。
カラハ・シャールを襲ったというのは本当なのか。事実だとするなら、何故そんなことをしたのか。そもそも襲撃しろと指図を出したのは、本当にジュード本人なのか。
レイアには、謁見の間を去る直前に交わされた短い会話が、頭からこびり付いて離れない。
駆け引きが苦手だろうと言った国王の顔は、それまでの厳しいものとはどこか違っていたし、政治が苦手だと返すジュードも笑みを浮かべていた。
(ジュードってば、駆け引きとかそういうの、小さい頃から苦手だったもんなあ。・・・嵌められた、とか?)
宿屋で働くようになり、少しだけ人間の裏を知った少女の想像は続く。
彼は何かを知って、それを止めようとした。止めようとして、その方法を間違えた。もしくは指示を出す人選を間違えた。あるいは、敵対勢力に情報が洩れ、濡れ衣を着せられた。
考えられる可能性はいくらでもあった。だから本当は思い切って訊ねてしまいたい。問い質して、早くすっきりしたいという思いは日に日に強くなる。
だが同時に、レイアは黒髪の幼馴染に見えない壁を感じていた。それは彼女が話題を口にしようとすると立ち上る、不可視の壁であった。そしてジュードは目だけで彼女に嘆願するのだ。今はまだ、言えないと。
昔の彼女なら、そんなものなどお構いなしに詰問していたことだろう。だが内容が内容であるだけに、むやみやたらと踏み込んではいけないような気がして、レイアは訊ねることをずっと躊躇っている。
今となって、彼の方から言い出す時を待つ心積もりだ。看護師免許を持つ彼女は、この医学校で遊撃手のように働いていた。
揚げたてのドーナツを摘みつつ、レイアは思い出したように言った。
「そういえば最近、脳神経外科が物々しいけど、何か特別な患者さんでも入院してきたの?」
知っているか、と視線だけで問われたプランは首を傾げた。
「さあ・・・? あそこは研究所と繋がりが強くて閉鎖的なんですよね。あまり情報が入ってこないくて・・・どうなんでしょう?」
プランはさらに隣のジュードに質問を投げた。投げられた医師は、手の中の湯飲みを見つめ、ぽつりと言う。
「あそこに入っているのは、エレンピオスから戻ってきた人だよ」
拉致されていた人だ、とレイアの心は騒いだが、それを表面に出すような真似はしない。彼女は子供のように、わざとらしく首を捻った。
「でも何で脳神経外科? 普通に体調不良とかだけなら、内科で充分じゃん」
エレンピオスで滞在している間の罹患状況の把握が目的なら、内科が最も適している。それに、そもそも検診だけ目的なら、こんな入院沙汰にはならないはずである。レイアの指摘はもっともだったので、プランも不思議そうな顔で同調した。
「確かにそうですね。脳の何を調べるというんでしょう?」
「それは・・・」
ジュードがひどく言い辛そうに口を開きかけた時、診療室の扉が激しく叩かれた。
「もう、乱暴だなー。そんなことしなくったって、開けますよーだっ!」
席次的に扉に近い場所に座っていたレイアが文句を垂れつつも扉を開く。立っていたのは兵士だった。
「マティス先生ですね。エデ隊長が、あなたを呼んで来いと」
「僕を?」
軽く息を切らせた若い兵卒にそう告げられ、ジュードは目をまん丸にした。
「ご指名なんてすごいじゃん、ジュード」
茶化しながらもレイアは既に臨戦態勢に入っている。こんなに慌しい呼び出しは急患と相場が決まっている。いつでも駆けつけられるよう立ち上がった少女の後ろで、カーテンの向こうから救急箱を手にしたプランが出てきた。
白衣を着込みつつ、ジュードは訊ねた。
「場所はどこですか?」
「オルダ宮前の大通路です。そこにワイバーンが墜落したんです!」
ジュードとレイアは思わず顔を見合わせ、次の瞬間には案内の兵卒を押しのけて一目散に駆け出していた。
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