死者の味
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 あの時、僕は運良く助かった。

 シャムロック自身もそう思っているし、周囲の人間も「お前は運がいい」と言った。まだ杖は必要だが、立てて歩けるほどに回復して、家事も一通りこなせている。

 エメリア・エストバキア戦争最後の戦い、シャンデリアという名のエストバキアの巨大レールガン((攻落戦|こうらくせん))で、命懸けで偵察をおこなった勇気ある兵士。氷の海で助かった不死身の男。

 知らないところではそれ以上のことを大袈裟に語られているようだったが、訂正することが不可能なほど広まった噂話の力に、シャムロックは驚いた。

 嘘のような本当の話として語られているのは、「シャムロック! キッシュはどうする気だ!!」というタリズマンの言葉で脱出したこと。

 F-15Eの後部座席に乗っていた((兵装|ウェポン))システム((士官|オフィサー))の言葉にすら耳を貸さなかったのに、タリズマンのどうでもいいような一言で生きることを選んだのは、見舞いに来た仲間たちのからかいの対象になった。

 発端は首都グレースメリアの奪還作戦の時。シャムロックは離れ離れになっている家族に会ってくれるようにタリズマンを誘い、「女房のキッシュを気に入ると思う」とも言った。

 だが作戦が成功し、急いで生存確認をしてみれば、妻も娘も亡くなっていた。そのことについて、タリズマンはなぐさめの言葉をあまり言わなかった。

 シャムロックが「キッシュの件は駄目になったよ」と言うと、「君が作ってくれ」と返され、シャムロックは混乱した。

「奥さんの味を知ってる君が作るなら、大丈夫だ」

 これもわけが分からなくて、思わず笑ってしまった。空気を吐き出すような、口元だけで笑顔を形作るような、よく分からない笑い方。

 炊事洗濯は妻の担当。シャムロックは味を知っているが、作り方は分からない。習えば分かるが、どんな隠し味を入れて作ったのか知らない。

 おそらくどこかで聞いたことがあるはずなのに、シャムロックはなにも思い出せなかった。

 今思えばとても大事なことだったのに、教えてくれる人は、もうどこにもいない。

 二度と会えないという言葉の重み。使い古された言葉こそ重く、塗り重ねられていく。

「なあタリズマン」

「ん?」

 また笑う。笑っているように見せたくて、息を吐き出して、ギュッと口を閉じて、口角だけ上げて、唾を飲み込む。涙も、腹の底に渦巻いている感情も、すべて必死になってごまかした。

 それでも吐き出したいことがあって、言葉を懸命に選んだ。汚い言葉にならないようにと、なぜかそんなことに気をつけて。

「今はエストバキア人を誰も許せない」

「分かってる」

 タリズマンは肯定もしないが、否定もしなかった。

 モロク砂漠で命令違反をした時も、ただ黙って一緒にシュトリゴン隊を墜としてくれた。もちろんそのあとは、命令違反で仲間を危険にさらしたことを怒られたし、罰ゲームも受けたが。

 あの氷の世界で遺言めいたものを喋っていた時、タリズマンがキッシュのことを言った。シャムロックの思考は強制的に切り替えられた。

 ??そうだ。未来に向けての約束がまだ残ってる。

 ??キッシュを作らなきゃ。彼女が作って、娘が手伝った、あの味。

 次の瞬間、シャムロックは生きることを((WSO|ウィソー))に伝えると、射出レバーを引いた。

 脱出する前に天使の羽根が見えたと思ったが、それがタリズマンの機体だと分かったのは、大きな流氷の上に降りたあと。

 太陽の光を受けて金色に輝く機体。没個性ともいうべきガルーダ隊のカラーリングは、このためにあったのかと思えるほどだった。

 身にまとう鎧は戦闘機に、鎧をいろどる金色は太陽の光に変えて王は帰還し、極限の世界の中で勝利に導く。

 この美しい光景は、モニカとジェシカへの土産話になる。

 ??でもキッシュが。

 シャムロックは無意識につぶやいていたらしく、「キッシュ? …食べ物?」と誰かが喋る声が聞こえた。

「だったらあとで食べましょう。なんなら作りましょうね! ほら起きて! マーカス! マーカス・ランパート!! 起きるんだっ!」

 うまく近くに降りたのか。比較的怪我が軽いWSOが何度もシャムロックの名前を呼び、顔を強く叩きながら意識を繋ぎ止めた。

 WSOはシャムロックより先に退院し、改めて見舞いにきた時は「ランパート一族って不死身なんですね」と、尊敬とも嫌味とも取れる言葉を言った。

 ユージアにいる遠縁の親戚が、大陸戦争で不死身の男として有名になったのは知っていたが、まさか自分もこの戦争で悪運の強さを証明すると思わなかった。

 それにWSOを自殺的行為に巻き込んだ負い目もあり、シャムロックは済まなさそうに笑って返すしかなかった。

「名字がランパートと知った時点で、死なないと思っていましたけどね」

 この言葉は素直に褒めたたえるもの。彼はいつも、柔らかな口調でさらりと喋る。怒った態度を見せた時も、どちらかといえば丁寧だった。

 そんな彼も、流氷の上でシャムロックを鼓舞していた時、悲痛な声で「チョッパー頼む。助けてくれ」と言った。

 シャムロックはそれを覚えていたので、気軽な気持ちで「チョッパーって誰だい?」と聞くと、笑われた。

 ごまかすための笑い方だとすぐに分かり、「小さい時に読んだコミックのヒーローですよ」という答えを得たあとは、それ以上なにも聞けなかった。

 自分が妻子に最後まで導いてくれとすがったように、彼もかつて親しかった死者にすがったのだろうかと思った。

 皆が、すでにこの世を去った者たちにすがった。

 シャンデリアに残ったエストバキア兵たちは、小惑星ユリシーズの破片と内戦で亡くなった者たちに、まだ行くなとすがった。

 エメリア兵たちも戦争で亡くなった者たちに、ともに在れとすがった。

 すがり続けた先でたどり着いたのは、生きることさえ拒否する氷の世界。エストバキア兵たちがたどり着いた場所へ、シャムロックも足を踏み入れようとした。

 そしてそこから帰る方法を体に叩き込まれた。映画のように劇的なワンシーンではなく、とても小さなきっかけ。

 こんなことで人は生き延びるのだと、シャムロックは自分自身でも不思議に思った。

「それで、新作はどうだい?」

「うまい」

 目の前では、タリズマンがキッシュを食べている。今日のはオイルサーディンとタマネギのカレー風味。食べっぷりが良いので、作っているほうとしては気持ちが良かった。

「カレー味は偉大だね」

 退院後、シャムロックは料理を始めた。

 タリズマンにキッシュを食べさせる約束を守るため。退院後も続けられるリハビリのいら立ちや悲しみをまぎらわすため。そんな目的で始めた料理は、生活にうるおいをもたらす意外な効果があった。

 最初のころは段取りが悪く、約束の時間にタリズマンが家に来ても、待たせることがあった。

 出来上がった料理も、味が濃い、焦げ過ぎと言われたことはあるが、まずいと言われたことは一度もない。

「それは良かった。これで明日は、安心して新作を持っていける」

「子供たちのところに行くのか?」

「施設でホームパーティをするんだってさ。だから料理を持ち寄らなきゃいけなくて」

 シャンデリア攻略のための重要な情報をくれた、メリッサとマティルダの親子。

 戦時中、マティルダは親と再会することができず、ストリートチルドレンとして生き延びたこともあり、メリッサは戦災孤児たちを支援するボランティアを熱心におこなっていた。

 夫であり父である空軍パイロットが戦死したメリッサ親子と、妻子が戦火に巻き込まれて亡くなったシャムロック。

 似たような境遇に興味を持ったのもあり、情報をくれたお礼を兼ねて会いにいって以来、メリッサを通じてシャムロックもボランティアに参加するようになった。

「またキッシュのおじさんって呼ばれるのか。有名人だな」

「前は車椅子のおじさんだったよ」

「称号が増えたわけだ」

 二人は笑った。

「料理がいいリハビリ代わりになってるよ。君のお陰でいい趣味が増えた」

「それじゃ、今度のハロウィンにパンプキンパイを作ったらどうだ?」

「パイ?」

「前に言わなかったっけ? パイの作り方、習ったんだろ?」

 以前、メリッサに料理を習ったのをタリズマンに喋ったことがあった。

「……ああ! パイね。習ったよ」

 相手の心の傷になるべく触れない話題として料理は便利だったし、主婦歴が長いメリッサが家庭料理についていろいろと教えてくれるのは、シャムロックにとってありがたかった。

「基地デ予定ガナイ奴ラハ本当ニ喜ブゾー」

「……喜ばないんだな」

 タリズマンの言い方が棒読みだったので、シャムロックはすぐに悟った。

 どうやらグレースメリアを奪還して以降、なにかしらの行事でパイが出ると、家族や恋人がいない兵士たちが率先して食べる料理として認識されているらしく、特にパンプキンパイは独身の象徴となっていた。

「いやいや、喜ぶさ。おいしい料理に文句をつける奴はいない」

「だったら君がパイを作ればいいじゃないか。教えてあげようか?」

「俺だとなにかを仕込んでいると思って、みんな食べないんだよ」

「なんだ。身から出た錆じゃないか」

 戦時中、タリズマンは重大な規律違反や騒ぎを起こした兵士に対して、罰ゲームと称していろいろなことをした。

 死にはしないが恐怖を与えるには十分なもので、シャムロックが食べさせられたシュールストレミングは周囲にも悪臭の被害をもたらし、大ブーイングだった。

 とはいえ、戦時中の殺伐とした空気をやわらげる一定の効果はあったのだ。刑事の尋問テクニックのように、タリズマンはお仕置きする役、シャムロックはフォローしてなぐさめる役になり、それがうまく回っていた。

 だが、今シャムロックはそばにいないし、タリズマンと同格の隊長クラスで、罰ゲームを止めてくれそうなウインドホバーが毎回いるわけでもない。

「分かったよ。隊長の悪評を少しでも下げるために、作ってあげようじゃないか」

「助カルヨー。本当ニ嬉シイナー」

「もう少し嬉しそうに言ってくれ……」

 最初からこれが目的だったかと、シャムロックは内心苦笑した。

 料理を始めたばかりの人間のキッシュを試食する食事会に、毎回時間を作って出席し、退院したシャムロックはちゃんとリハビリをしているのかと聞いてくる基地の兵士たちにも気を使い、任務以外の面でも大変なことを察する。

 周囲からは勝手し放題の罰ゲームで神経が太いように思われているが、意外に心労や胃潰瘍で倒れるのではとシャムロックは思っていた。

「ところでパンプキンパイって、普通のでいいのか? それともジャックランタンみたいな、手の込んだやつ?」

「ジャックランタンに決まってるでしょ」

「いや、そこは初級レベルの人間の手料理ということでどうか一つ、簡単なほうで……」

「悪い。シャムロックがジャックランタンのパンプキンパイを作ってくると宣伝済みだ」

 ジャックランタンといっても粉砂糖で飾る程度のもあれば、目と口の部分を切り取ったパイ生地を上に被せたり、きちんとカボチャ型に作るのもある。

 とりあえず嫌な予感しかしなかった。手の込んだものを作らされるに違いない。

「……今日の新作は、タバスコをたくさん入れるべきだったよ」

「またまたご冗談を」

 おどけるタリズマンを無視して、シャムロックは「でも弱ったな」とつぶやく。

「なにが?」

「うちの子は本当に甘いのが好きだったから、僕が作っても甘過ぎるお菓子ができてしまって……」

 言葉が続かず、少しだけ((間|ま))が空く。

「お父さんはどんな甘さのが好きだったの」

「僕? 僕は……もう少し甘さをひかえたのかな」

 それはメリッサの家の甘さの基準と似ていて、シャムロックは嫌だった。

 申し訳ないと思いつつ、彼女たちに亡くなった家族を重ねて見ていても、そういう部分で彼女たちがまったくの他人であることを思い知らされる。自己嫌悪におちいる。

 彼女たちもシャムロックを見ていないのは同じ。あちらは戦死した夫と父の姿を見ている。

 自分と彼女たちとの間にあるものは、同じ傷を持った同胞意識。特にメリッサとはボランティアを一緒にしているだけであって、そこから恋愛に発展するかといえば、今は完全に無理だった。

 孤児たちに料理を作ってあげるのも、我が子の笑顔に似た子がいればという、そういう望みも隠れている。

 亡くなった家族の面影を重ねたまま新しい家族を得ようとするのは、あまりにも理不尽な行為だと思えた。

「じゃ、お父さんの味で作ったら?」

 シャムロックはハッと息をのむ。

 お父さんの味。今日のキッシュの味。これは自分好みに少し濃く調整した味。妻は生前、「塩分ひかえ目にしなきゃ。体に悪いんだから」と気をつけてくれた。

 料理を始めたころは妻のキッシュを再現しようと必死だったのに、今は自分好みの味の料理をタリズマンに出している。妻の味ではない。

「……それはいい案だ」

 そう言ってから、シャムロックはしまったと内心あわてる。

 ふとした瞬間に踏み入れる氷の世界。遺体が冷たい海をただよい、流氷の上に転がる。空気中ではブリザードが吹きすさび、凍らせる。

 そこにはジェシカとモニカの遺体もある。この国の空を守っているんだよと言いながら、守れなかった愛しい家族。すぐに遺体を見つけてやることができなかった、大切な家族。

 そんなイメージが脳内で広がっていく。

 これはまずいと、シャムロックはキッシュを無理やり口の中に押し込んだ。

 心の危険領域に踏み込んだと分かったら、そっと離れる。注意深く足を踏み((外|はず))さないように。次に作ろうと思っている料理を思い浮かべて。今はキッシュを食べて。そうやって少しずつ離れて、なんとか現実に戻ってくる。

 それでも、感情の整理が間に合わない時がある。

「コーヒー((淹|い))れてくる」

 シャムロックは足早に台所へ消えた。

 一人残されたタリズマンは、地雷を踏んだなと皿に残っているキッシュを突っついた。

 お父さんの味で作ったらと言ったら、シャムロックは明らかに言葉に詰まった。

 以前なら妻が作ったもの、娘が好きだったものという枕詞がついたが、最近では「新しいのを作ってみたんだ」と言ってくる。

 シャムロックは妻の味のキッシュではなく、いつのまにか彼の味のキッシュを作っていた。それが彼の傷口に触れるきっかけだったのかどうかは、分からない。

 戦争に勝ったからといって、エメリア兵すべてが報われたかといえば、そうではなかった。

 ある日突然故郷を奪われ、いつか帰れることを夢見ながら東を目指し、途中で力尽きて倒れる兵士たち。なんとか帰れても、大切な誰か、あるいは体のどこかを失った兵士たちは、置いていかれることがある。

 病んだ心、酒や薬物への依存、家庭崩壊、ホームレス。嫌でも噂は耳にする。勝ったからこそ、置いていかれた兵士たちは隠されていく。

 一見すると、シャムロックは心身ともに順調に回復しているように見える。掃除が行き届いた家。時折愚痴も言うが、前向きに続けられるリハビリや心理療法。ボランティア活動にも熱心で、外に出て新たな交友関係を持つ。

 だがそれはとても危ういもの。どんなに注意を払って見ているつもりでも、落ちる時はつるりと綺麗に落ちてしまう。

 家族の記憶や匂い、気配が少しずつ薄れていく日々。それに気づき、戸惑い、ゆっくりと受け入れられることもあれば、どうにも受け止められないこともある。

 かつて幸せだったころ、死者の影を追い求めて作り始めた料理は、いつのまにか現実の、生者の味になっていた。

 君たちを忘れないと誓いながら思い出となっていく日々に、どうやって折り合いをつけるのか。

 結局それは、シャムロックにしか分からないこと。

「コーヒー、ミルクたっぷりで良かったよな」

 明らかに感情を整理したあとの表情で、シャムロックはコーヒーカップを二つ持ってきた。

「ん、ありがとう」

 タリズマンは先程のシャムロックの動揺にまったく気づいていない素振りで、差し出されたカップを笑顔で受け取る。

「パイのことだけど、試作品を作ろうと思うんだ。さすがに一発勝負はつらいからね」

「それで俺に試食をしろって?」

「話が早くて助かるよ。それで……」

 シャムロックは軽く咳払いをする。

「やっぱり甘いのが作り慣れているから、そっちでいいかい?」

「君が得意なのでいいさ。タバスコ味にチャレンジするのもいいけどな」

「さて、どうするかな」

 意味ありげに微笑むシャムロックを見て、タリズマンは「入れる気だろ」と笑った。

 空気がなごやかになり、シャムロックは自分好みのほろ苦いコーヒーをゆっくり飲んで、一息つく。

 もう少しだけいいだろう? と、見えない誰かに心の中で語りかける。

 もう少しだけ、君たちの味にこだわって料理を作っていいだろう?

 懐かしい味でご飯を食べている時、君たちがそばにいる気がするんだ。戦争前の日々を思い出すんだ。

 だからもう少しだけ、一緒にご飯を食べよう。

 せめて上っ面だけでも、相手がエストバキア人だと分かっても、最後まで笑顔で会話できる技術を身に付ける、その日が来るまで。

 

END

 

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   後書き

 

あそこまで死亡フラグを立てながら生き残れるとは…ということで、シャムロックは04のオメガ11の遠縁の親戚という設定にしています。

説明
テスト投稿。6のガルーダ隊の話。戦後、某キャラが立てて歩けるくらいに月日がたったあたりで、戦後に本格的に料理を始めたという設定。ネタバレと捏造だらけなのでお気をつけて。シュールストレミングの件→http://www.tinami.com/view/998129 戦時中のバレンタインデー→http://www.tinami.com/view/1019936
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