11月のラプソディ
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 その日、切嗣は誰にも起こされることなく目を覚ました。

 いつもなら朝早くのうちに士郎に起こされるのが常だったが、どうやら今日は忘れられてしまったようだ。寝過ぎたらしく、頭の奥が痛かった。

 身支度を調えて居間に出てみたものの誰もおらず、部屋はしんと静まりかえっていた。窓から差しこんでくる陽の光が畳に長々と投げかけられている。切嗣は時計を見やって、昼をとうに過ぎていたのに驚いた。

 縁側に行って少しだけ窓を開けてみた。冬の鋭い空気が頬を撫で、身体に残っていた眠気を追い払ってくれる。冬の陽に照らされた庭は静けさに満ちていた。ここにいると心が安らぐ。おだやかな日差しが深い平穏となって身に染みこんでくるようだ。変わらない我が家の景色を見るたびに切嗣はようやく訪れた小さな倖せを実感していた。

 しかしこの薄着に冬の空気は冷たい。震えを感じて部屋に戻った切嗣は、食卓の上に置いてある見慣れない箱に気づいた。飾りもないただの正方形の白い箱だ。深く考えずに上蓋を取った切嗣の目に、鮮やかな飾りつけを施されたケーキが飛びこんできた。

 中央に置かれたチョコレート板には、誕生日おめでとうきりつぐ、と記されていた。

 切嗣は蓋を取ったままの恰好で呆然とケーキを眺め、今日が自分の誕生日だったことに今さらながら気づいた。

 しかし喜びよりも、秘密をのぞき見てしまった申し訳なさが先に立った。士郎が朝起こしに来なかった理由もこれだ。おそらく自分が寝ている間に支度を済ませ、驚きの演出を見せてくれる算段だったのだろう。

 気がつかない振りをするしかないと切嗣が箱の蓋を閉めようとしたところに、運悪く士郎が居間へ入ってきた。

「あれ、爺さん」

 士郎がしまったという顔つきを見せた。

「ばれた。ケーキしまっとくの忘れた」

「僕を驚かそうと思ってたんだね」

 切嗣が問いかけると士郎はうなずき、

「そう。みんなも呼んで、盛大にやろうと思ってさ」

 士郎はこれといって落胆はしていないらしく、張り切った顔つきになると腕まくりをしながら台所へ入っていく。

「もう充分驚いたよ。こんな歳になっても祝ってもらえるなんてね」

 切嗣は蓋を床へ置き、腰を下ろすととケーキをしげしげと眺めた。生クリームの飾りがふんだんに施され、ひらがなで名前が記されたケーキはまるで子供の誕生日を祝うようだが、皆の心づかいが感じられて嬉しかった。丸みやたどたどしく描かれた文字がことのほか優しく見えて照れくさい。

「親父、腹減っただろ。ご馳走作るからさ、ちょっと待っててよ」

「ああ」

 こうやって座って食事が出てくるのを待っている自分は、やはり子供のようだと切嗣は思う。なんとなく蓋を戻す気になれず、切嗣は腕を組んだままケーキと向き合い、照れくさいようなくすぐったいような、滅多にない気分を味わっていた。

 その時、玄関を叩く音が聞こえてきた。

「藤ねえかな」

「僕が出るよ」

 切嗣が立ちあがって玄関へ向かう間、戸を叩く音はずっと続いていた。急かす風でもなく、それでいて有無を言わせないような音に切嗣は怪訝な思いを抱いた。大河なら問答無用であがりこんでくるはずだし、遠坂姉妹ならこんな無遠慮な叩き方はしないはずだ。何かの勧誘だろうと勝手に結論づけて引き戸を開けた切嗣は、目を見開いた。大きな影のようなものが自分を見おろしていた。

 言峰綺礼だった。

「久しいな、衛宮切嗣。こうして会えるとは夢のようだ。なにせ???」

 その言葉を聞き終わらないうちに、切嗣は無言で戸を閉めた。全身に鳥肌が立っていた。

「何も言わずに締め出すとはどういうことだ、開けろ」

 向こう側から言峰が力ずくで開けようとしてくる扉を、切嗣は渾身の力で押さえこんだ。もとから建てつけの悪い扉が壊れそうな音を立てる。下手をすれば扉ごと破壊されかねない勢いだった。

 嫌な思い出が切嗣の脳裏を走馬燈のようによみがえる。記憶に残る言峰の残滓は、いまだ重々しく根を下ろしていた。ただ訳もなく、とにかく駄目だと切嗣は焦った。人の邪魔をするために生きているような男を、この家に入れてしまえばどんなことになるかわからない。

「し???士郎!」

 呼びかけに応じてのんびりとやってきた士郎は、がたつく扉を押さえる切嗣の必死な形相を見て眉を寄せた。

「どうしたんだ、爺さん」

「どうしたもこうしたもあるか、言峰綺礼が来た」

「何しに」

「知るかッ」

 少し隙間が開けかけた扉を、切嗣はやっとの思いで押し戻した。扉の向こうでは言峰が何かを言いながら扉を叩きつづけている。

「だいたいなんであいつが僕の家に来るんだ。あいつは僕を嫌ってるはずじゃなかったのか。士郎、おまえあいつを殴りすぎただろう。そうだ、それであいつは頭がおかしくなったんだ!」

「そりゃあ、殴ったことは殴ったけど。言峰は元から親父のこと追いかけ回していたじゃないか。それに言峰が親父を嫌ったのって、親父が無視したからだろ」

 慌てるあまり無茶な理屈を並べたてる切嗣に向かって、士郎は至極冷静に答えた。

「とにかく、言峰を家に入れちゃ駄目だ、手伝ってくれ」

「うん」

 士郎が三和土へ下りてきたのと同時に、扉の揺れがおさまった。切嗣はしばらく待ったあと、試しに扉を少しだけ開けてみた。士郎を見ると頷きかえしてくる。切嗣はおそるおそる扉を開け放って周囲を見わたしてみたが言峰の姿は見当たらなかった。冬の陽に照らされた敷石の上を、風に吹かれた枯葉が音を立てて転がっていった。

「帰ったかな」

「そうみたいだ」

 切嗣はようやく安心し、深い溜息をついた。

「まったく、しつこいというかあきらめが悪いというか」

 士郎を伴い、腕を組んで廊下を戻っていった切嗣は、居間に入りかけたところでひどい眩暈にみまわれた。卓の前には言峰が腰を下ろし、ずっと前からそうしていたと言わんばかりの平然とした顔つきをしている。神父の装いと十字架が和室には恐ろしくそぐわない。黒衣姿は部屋じゅうの影を取りこんだように濃く、顔に刻まれた陰影は言峰の人となりをあらわしたように深く暗かった。

 どうやって入ってきたと言峰へ言いかけた切嗣は、さっき自分が窓を開けたのを思い出して肩を落とした。切嗣の落胆に気づいた言峰がうすい笑みを浮かべてみせた。

 背後から士郎が背中をつついてきた。

「なんとかしろよ」

「ああ」

 いちど家にあがられてしまった以上、追い払うにも相手をしなければならない。切嗣は重い足どりをひきずって言峰の真向かいに腰を下ろした。わざとらしく溜息をつくのは、自分に気合いを入れるためと言峰に向けた嫌味を兼ねている。安穏な昼下がりのなかに、因縁の構図が照らしだされているのが奇妙に思えた。

 切嗣の戸惑いを悟っているのだろう、言峰はずっと愉しそうに見つめている。自分から話しかけるのは敗北だと判断した切嗣は口を閉ざしていた。

 包丁さばきの音にまぎれて、士郎が窺っている気配が背のほうから伝わってくる。

 言峰が卓上に置かれたケーキに目をやる。切嗣は思わずケーキを自分の方へとずらし、言峰から遠ざけた。言峰が目を細め、

「今日はおまえの誕生日だったか。これはまた良い機会に出くわしたものだ。神に感謝すべきかな」

「疫病神にね」

 切嗣の答えが面白く感じられたのか、言峰が笑いを洩らした。

「私からもお祝いを言わせてもらおう」

「ありがたく社交辞令として受け取っておくよ」

 言峰の態度に気色悪さを覚えた切嗣は苦い顔をして言った。この男がこんな風に素直に話してくるなど、裏でなにか企んでいるとしか思えない。切嗣は勇気を持って言峰の目を見すえた。笑みに覆い隠されていて本心は推し測れないが、目の奥には昔と変わらない、切嗣の前に立ちはだかってきたときの荒々しい意志が潜んでいるようだった。

 思えば、長い時間が経ったものだと切嗣は考えた。言峰と顔をあわせることは少なかったし、自分からあわせようと思ったこともないが、心のどこかでは常に言峰の存在を意識していた気がする。心のうちに過去をよみがえらせるときだけでなく、誰か大切な人を想うときや何かを願うとき、果ては悲しさに心を震わせるときに、強い感情に引き金を引かれるように、炎のなかで立ち向かってきた言峰の印象が脳裏を去来することがあった。自分の背後に必ずついてくる影のごとく、彼方から遠回りをしてきた切嗣の歩みの後ろには、常に言峰という影がそびえていた。

「互いに歳をとったものだな、衛宮切嗣」

 言峰もまた昔を思い出したのか、懐かしそうに言った。似たようなことを考えていたというのが気味悪くはあったが、同じ場所で共に人生を変えた者がこうして顔をつきあわせているのだから、考えが重なるのは当然なのだろうと切嗣は思う。

「……そうだね」

 反論する理由も拒む理由もなく、切嗣はうなずいた。

 部屋のなかを見渡して外を眺めたあと、切嗣へ戻ってきた言峰の顔つきはこころなしか意地が悪かった。

「このような狭い処に落ち着いたか。身に余る理想を抱えていた頃とは大違いだな」 

 軽く腕を広げてみせた言峰に、切嗣はあからさまに不快感を示した。

「なんだ、誕生日を祝ってくれるのかと思っていたら、過去をほじくりかえしに来たのか」

「まさか。このような晴れがましい日に、そんな無粋なことはせんよ」

 言峰はそう言って首を横に振り、

「小さくてもおまえが手に入れた希望は大きいと言いたかったのだよ。多くの人間を無謀にも独りで救おうなどとしていた過去より、少なくても確実に他人を救ってやっている現在のほうが建設的だとね」

 いつもの尊大な態度ながらも、言峰の語り口は淡々としていた。静かな声色が切嗣の胸に沁みてくる。予想外の言葉に毒気を抜かれた切嗣は何も言えないまま、目の前にいる言峰を見つめていた。 

「いまはおまえの存在じたいを自身の倖せだと思ってくれる者がいる。現に、節目にそうやって祝ってくれる者がいる」

 言峰がケーキの、切嗣の名が刻まれた部分を指さした。

「まったく、羨ましい限りだ」

 最後にそう付け加えた言峰の声は自嘲ぎみに響き、底に潜んだ孤独が感じられた。

「言峰」

 切嗣はいささか呆気にとられながら言った。

「どうかしたのか。おまえらしくない」

 やはり士郎が殴りすぎたのだろうかと、切嗣は心のなかだけでいぶかしんだ。もしくはもういちど泥に染まって中身が変わってしまったのかもしれない。しかし暗い笑みを見るかぎりそうでもなさそうだ。常識にあてはまらない、訳のわからない人間だという印象がますます強くなった。

 だが、最初の頃に感じていた言峰へのやみくもな拒絶はおさまり、こうして相対していても平気になっていた。あれだけ自分を否定し相容れないと思っていた言峰が肯定する評価をしてくれたのは純粋に喜ばしかった。

 切嗣はケーキの飾りを見おろして、不器用に微笑んだ。ここへ辿りつくまでに、言峰もそして切嗣自身も、ずいぶんと時間がかかったように思う。

「なに、おまえには多少なりとも迷惑をかけているからな、相応の感謝の意を表したまでだ」

 意味ありげに言峰が言う。窓の隙間から冷たい風が吹きこんできて、寒気のような震えが切嗣の背中をかすめた。言峰の言葉に違和感を覚えた切嗣は、それが何なのか考えあぐねていたが、それに気づく前に士郎がやってきて目の前に湯飲みを置いた。律儀に士郎は言峰の前にも茶を出してやり、

「招かざる客だけど、お客はお客だろうから」

「痛み入るな。親の躾が良いのだろう」

「……そういえばさ」

 士郎も言峰の様子をおかしく感じているのか、台所へ戻ろうとはせず切嗣の隣に座った。顔をしかめて何ごとかといった風に目配せをしてくる士郎へ、切嗣はわからないと肩をすくめて応えた。  

「結局、ここに来た用事ってなんなんだ、言峰」

「ああ、そうだったな」

 士郎の問いに言峰はつと微笑む。傾げた顔に落ちた影はたくらみを宿したように暗かった。もういちど吹きこんできた恐ろしく冷たい風に、切嗣はいやな予感を抱いた。

「そろそろ教会の老朽化が激しくてね、このたび全面的に改築することになった。なにしろ家財道具が多くて困ったよ。持ち出すにも一苦労だ」

 言峰は湯飲みを持ちあげて一口すすり、

「迷惑はかけんよ。そろそろ荷が届くころだ。10トントラック二台分だからそんなに邪魔にはならんだろう」

「ちょっと待て言峰、それってつまり……」

 戦々恐々と訊いた切嗣に向かって、言峰はさも愉快げな顔つきになり、慇懃な仕草で掌をみずからの胸に当てた。

「私もこの家にしばらく居候させてもらう。どうだ切嗣、最高の誕生日プレゼントだろう?」

「ええ?!」

 顔を引きつらせて絶句した切嗣の横で、士郎が素っ頓狂な声をあげる。その時、玄関の扉を忙しく叩く音がした。

「衛宮さーん、お荷物です。庭に運びますよ」

 その後ろから、重機のようなトラックの地響きが聞こえてくる。やっと来たかとつぶやきながら、言峰が立ちあがって居間を出ていく。己を見失って動けない切嗣の目の前を、追い打ちをかけるように黒衣の裾が優雅に横切っていった。

 言峰のいた跡にはおだやかな日だまりが落ち、切嗣はしばらく呆然とその場を凝視していた。業者が鳴らす笛の音に合わせて、トラックが轟音を立てながら庭へ進入してくる。背後からやってきた騒ぎをよそに、卓上にぽつねんと置かれたケーキは、色も形も優しく、無垢だった。

 士郎の手が慰めるように切嗣の肩へと置かれた。それが合図となり、切嗣は突如として自分の滑稽な立場が可笑しくなった。

「もう、どうにでもなれだ」

 笑いを洩らし、天を仰いで切嗣はつぶやいた。冬の空は高く、どこまでも澄んでいた。

 

 

 

 

説明
■切嗣の誕生日小話。第5次終了後ですが、切嗣も言峰も存命設定です。ドタバタ風味シリアス、ほんのり言切。
■こちらの作品の再録+書き下ろしを含めた本を発行しました→http://www.tinami.com/view/415932
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言峰綺礼 衛宮切嗣 Fate/Zero 衛宮士郎 言切 

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