祖母の横顔(前編)
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 祖母には二つの顔がある、と高校一年生の手嶋 麗(てしま れい)は感じていた。どちらが祖母の真実なのか知りたい、という強い思いが、もう五年も前からあった。

 そうした女学生の麗の祖母・文(ふみ)は、東京都中央区明石町にある聖路加国際病院のリハビリ病棟に認知症の治療のため入退院を繰り返し、五年が過ぎている。

 聖路加国際病院は、一八七四年(明治七)、東京・築地の外国人居留地にイギリス国教会長老派の宣教師ヘンリー・フォールズが病院『健康社』を設立したことに始まった。

 フォールズが帰国した後、荒廃していた建物を聖公会の宣教師ルドルフ・トイスラーらが買い取り、聖路加病院とした。

 関東大震災で病院は倒壊したが、新病院完成後、皇室とも深く関わり、現在では東京都心部で五百二十床をもつ知名度の高い総合病院の一つであった。

 こうした伝統のある医療機関に入退院を繰り返せるのは、麗の父・泰一(やすかず)に地域の有力者のコネがあるためだったが、当の泰一は快く思っていなかった。

 制服である濃紺のセーラー服姿の麗が、リハビリ病棟の個室から祖母がいなくなっていることに気付いたのは、二〇一一年十二月二十五日の正午のことであった。

 都内の公立高校にかよう麗は、祖母はトイレにでも行ったのだろか、という思いでナースセンターを訪ね、この日の日勤帯の担当となった看護大学出たての看護師に、

「あの、おばあちゃんが病室にいないんですが、トイレでしょうか?」

 何気なく聞いたが、新人の看護師は、表情を引き締めた。看護師は自分自身で病室やトイレ、デールームを確かめたが、文の姿はどこにも見えない。ナースセンターに戻ると、病棟師長に小声で二言三言、耳打ちをした。

 このときになって麗はようやく事態の重さに気付いた。五十前ながらベテランの病棟師長は落ち着き払い、院内放送を交換台に依頼し、出入り管理に目を光らせている防災センターの警備員に内線電話をかけ、認知症患者の離院がないか確かめたが、芳しい回答はない様子だった。

 病棟師長は麗に、

「おばあちゃんはちょっと息抜きに出ているようですね、すぐお部屋に戻っていただきましょう」

 寝不足ながら、笑顔で言ったが、麗とともに文の様子を見にきていながら、デールームでのんびりと週刊誌を眺めていた泰一は、

「つまりは、行方不明ってことだろう? いい、放っておけ。あんなババア」

 唾でも吐き出すように言い放った。泰一は明石町内で地元相手の電気店を営んでおり、文の長男だった。

 麗は祖母の安否をまるで顧みない父親に、

「おとうさん! 何でそんな言い方するの!」

 ここが病院であることを忘れ、声を荒げた。

 病棟師長は、昨夜は夜勤で徹夜をしており、そのままの朝の引き継ぎがあった。すぐに看護師長会という会議に出席し、正午になっても帰宅できないほど多忙であった。これに加え、離院患者の捜索であったが、眉一つ動かさず、

「おとうさん、麗ちゃん、わたしは院内を見回ってきますので、ここで待っていて下さい。それから、ここは病院です。お静かにお願いしますね」

 冷静な口調であったが、厳しく父娘に釘を刺した。泰一と麗は我に戻り、ナースセンターから入院患者の面会スペースに充てられている陽当たりのいいデールームへすごすごと移った。

 麗は父を避けるように離れてソファから腰を下ろすと、改めて病棟を見渡した。

 リハビリ病棟はまるで小児科病棟のように華やかだった。

 入院患者自らがしたためた習字、描いた写生や塗り絵もあれば、水墨画まで張り出されている。病棟のスタッフが撮影してきた都内の季節の風景写真や動物の切り絵もある。

 これは、雰囲気づくりと言うよりは、手指を積極的に動かし、脳の萎縮や血流障害で脳細胞の一部が死滅するなどの症状の進行を緩徐させることが目的で、非薬物療法の作業療法に分類される。

 この他に、筋力強化、身体機能の改善、思い出などに働きかける回想法や音楽を聴かせリラックスさせる音楽療法などがある。

 こうした認知症は、脳や身体の疾患を原因として記憶、判断力などの障害が起こり、普通の社会生活を送れなくなった状態、と定義されている。

 アルツハイマー型認知症、脳血管性認知症、レビー小体型認知症、前頭側頭型認知症の四種類に分類される。

 文は、認知症の五十から六十パーセントを占める頻度の高いアルツハイマー型であった。これらの認知症には、運動や食事の指導などの療法や薬物を用いる療法があるが、いずれも日進月歩というのが現状だった。

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 こうした文が、浅草で泰一と泰次(やすじ)を生んだ後、三十六年間、全く音信がなかったにも関わらず、二〇〇七年に六本木で所轄の警察に保護されたのだった。文は認知症の症状が著しく、長男である泰一に中央区から身元の引き受けが命じられた。

 当時、十一歳だった麗にとっては、自分に父方の祖母がいたという事実を素直に喜んだ。ボランティア活動に興味を持ち始め、進路を意識しなければならない高校一年生という時期にあっては、社会へ出る前の予習のようにも思えていた。

 また、祖母と接しているうちに、麗はエレオノーレと呼ばれ、ヴァイオリンのレッスンを強要されるようになった。

 明らかな人物の見当識障害だったが、祖母のヴァイオリン演奏の指導には目を見張るものがあった。同時に、その華麗な演奏は病棟でも語りぐさとなり、他の入院患者の音楽療法に一役買うほどだった。

 麗は突然にエレオノーレと呼ばれ、当初は戸惑ったものの、ヴァイオリン演奏という特技が一つ増えたことは望外の喜びとなった。

 しかし、祖母のデールームを用いた指導は厳しく、麗が涙を浮かべようものなら、

「あなたに必要なのは、泣きべそじゃないのよ! 努力なの!」

 情け容赦もなく怒鳴られた。それでいて、それまでできなかった技術を習得できると、満面に笑みをたたえ、拍手でほめられるのだった。

 しかし、父の泰一にとっては文の身元引き受けなど、迷惑極まりない話で、呆けたついでに何かの拍子に築地の街へふらふらと出て行き、車にひかれ、死んでくれた方が大助かり、と酒が入るたびに泰次と一緒になってぶち上げていた。

 リハビリ病棟のデールームで、泰一は煙草をくわえ、火を点けかけると、娘にライターを持った右手首を力任せにねじられた。

 泰一は不承不承、煙草を箱に戻した。麗は父をじろりと横目でにらみつけると、

「ねえ、おとうさんは泰次おじさんと一緒になって、何でそんなにおばあちゃんのことを悪く言うの? 実の母親でしょ?」

 問いかけたが、父は答えなかった。

 これほど実の母を蔑ろにする理由を、麗が父に何度、問うても語られることはなかった。

 麗は高校に進学した際、父の心中を知る術はないものか、担任に相談したことがあった。

 その際、担任は『生徒名簿に資するため』というもっともらしい理由をでっち上げ、麗の父方の祖父を筆頭者とした戸籍謄本と付票の交付を受けることを勧められたのだった。

 勿論、家系の来し方を概観するに過ぎなかったが、そこから何か手がかりが得られれば、という一縷の願いから麗は中央区役所へ走った。

 その結果、麗の父方の祖父は、東京都浅草区で電気店を営んでいた。この祖父の長男として昭和十五年に父が生まれ、昭和十七年に叔父の泰次が生まれている。

 父が二十五歳の昭和四十年に母と結婚し、これを機会に中央区明石町に電気店を開業している。折しも車、カラーテレビ、クーラーが昭和の三種の神器と呼ばれていた時代であった。

 祖母が祖父と結婚したのは二十三歳のときで、東京都麻布区に生まれ育っていた。聖路加国際病院のソーシャルワーカーに聞いたところでは、祖母の父は音楽会社の録音技師であったことから、世界でも五指に漏れない演奏家とともにヨーロッパを舞台に仕事をする機会に恵まれていた。

 住所からして、かなりの上流家庭で、祖母は三女として生まれている。麗に厳しくヴァイオリン演奏の指導をできるところから、幼少のときから古楽器に触れていたのだろう。

 深窓育ちの祖母が二十三歳で祖父に嫁ぎ、父と叔父を出産し、開業したばかりの電気店を軌道に乗せるには、並大抵の苦労ではなかっただろう。

 叔父の泰次を生んだ二年後の昭和四十六年に離婚し、実家がある港区六本木五丁目へと戻っている。

 しかし、出戻りの二年後、祖母は想像もつかなった地へと住所を移していたのだった。

 麗はひたと父を見つめると、

「おとうさん、自分の母親を粗末にしていると、今度は自分の娘から粗末にされるんだよ。当然だよね、娘にそういう教育をしているんだから」

 告げるように言うと、泰一の目は複雑にさざ波立ち、

「あのバアさんは、俺と泰次を親父に押しつけ、出て行ったんだ。親父の後妻は、本当に嫌な女だったよ。そんなバアさんが三十六年も経ってから、ひょっこり呆けて戻ってきて、はい、面倒を見て下さいって、虫が良すぎるだろう? 俺が間違ってるってのか?」

 ぽつりと呟いた。泰一も自分なりに苦しんでいるのだった。

 麗は、どうすれば、何をもってすれば父も祖母も救ったことになるのか、クリスマス一色に染まった都心の青空に問いかけたが、答えは得られない、

 こだわりを抱き続けている父に真実を伝えるCDの解説を今、見せても、受け入れようとはしないだろう。クリスマス?

 麗はあっと声を上げ、目を見張ると、ソファから立ち上がった。泰一は、

「おい、どこに行くんだ?」

「おばあちゃんを探しに行くの。師長さんばかりに任せておけないでしょ」

 思い当たるものがあり、早足でデールームを立ち去った。

説明
皆さんお久しぶりです。小市民の新作をお届けします。
高校一年生の手嶋 麗(てしま れい)が認知症の祖母に抱いた疑問は? という物語です。この作品、去年のクリスマスネタで、気付けば、もう三月も中旬。自分の能力のなさに泣けてきます。
ところで、この物語、東京都中央区明石町にある聖路加国際病院を舞台にしています。当初、医療機関を実名で使うのはナニかな?と思い、聖ミカエル国際病院とか、適当な設定でいたのですが、別に病院の名誉を云々しているわけでもなく、史跡を舞台にする、という投稿作品のお約束に則りました。
また、劇中で麗が手軽に戸籍謄本の交付を受けていますが、現実にはかなり制約があります。
あくまで創作としてお楽しみ下さい。
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タグ
聖路加国際病院 認知症 

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