絵描きと悪魔 |
いたずらっ子で名の知られた悪魔の女の子がいました。
悪魔は近隣の住人に悪戯ばかりしていたため、みんなに嫌われていました。
悪魔は子供に悪戯をするのも大好きなので、小さな公園によくやって来ていたのです。もちろん、公園には「悪魔が出る」ということで、誰も寄りつかなくなってしまいました。
ある日、悪魔が公園で暇そうにしていると、公園のベンチに男の人がやってきました。男の人はベンチに座ってタバコを吸い、ぼーっとしています。悪魔は男にも悪戯を仕掛けるべく、チャンスをうかがっていました。
男はタバコを手に持ったまま何かを考え込んでいる様子。悪魔はじわじわと距離を縮めていきます。すると、男は「あちっ」といってタバコを落としてしまいました。悪魔は見かねて言いました。
「あーあー、馬鹿だなーお前!」
そう言って男の手をはたいてあげました。
「やあ、すみません。ちょっと考えごとをしていて」
男はぼーっと笑ってお礼を言いました。
「ありがとうございます。親切な方ですね」
悪魔は「親切」と言われて、びっくりしてしまいました。なにせ、そんな事を言われたのは生まれて初めてだったからです。
「お前、この公園はめったに人が来ないんだぜ。オレが怖くないのか」
悪魔はあわてて言いました。男は「ああ。でもいつも行っている公園は工事中なのです」と答えます。
悪魔はすっかり拍子抜けしてしまいました。普通なら、自分の姿を見ただけで誰もが嫌がって逃げてしまっていたからです。
「まったく、やる気がなくなっちまった。今日は帰る」
悪魔はそういって男に背を向け、帰っていきました。
次の日、悪魔はいつものようにブランコで獲物が来るのを待っていました。いつも誰も来ませんが。待ちくたびれると、街中に繰り出して悪戯をするのです。
はっと気がつくと、昨日のベンチにまた男が座っていました。今日はタバコを吸っているわけではないみたいです。
「おう、あんた、また来たのか」
悪魔が声をかけると、男は「やあ、昨日の」と返事をしました。男は今日も考えごとをしにきたそうです。
男はそれから毎日のように公園にやってきました。男はいろんなことを知っていたので、自分の家と、公園と、あとはその近所くらいしか知らない悪魔は驚きの連続です。
ある日、いつものように話をしていると男が言いました。
「そうだ、いつも話し相手をしてもらっているお礼をしたいから、うちに来ませんか」
悪魔は自分の目的を突然思い出しました。
そうです、悪魔はこの男に悪戯を仕掛けるために近づいたのでした。悪魔はこれを千載一遇のチャンスだと思いました。このまま家についていけば、きっといろんな悪戯ができるはずです。
悪魔は男の家に行きました。そんなに大きくはないのですが、一軒家です。入っていくと、一つの大きな部屋に案内されました。男は「ここで待っていてね」と言って部屋を出て行きました。悪魔が部屋を見回すと、壁にたくさんのキャンバスが飾ってあります。いろんな色のいろんな絵が描いてあります。悪魔はあまりものを知らないので、何が描いてあるのかはわかりませんが、きれいだなと思いました。
男がお茶を入れて帰ってきました。
「いつも、絵のアイディアを考えるために、公園に行っているんです」
男は言いました。「ふーん」と悪魔は言いました。
「絵を描くのが好きなのか?」
悪魔は聞きました。
「ぼくは絵を描くのが仕事なんですよ。たしかに絵を描くのは好きです。あなたは?」
悪魔は少し考えて返事をしました。
「描いたことがないから、わかんない」
その日も、二人はいろんな話をして、悪魔は家に帰りました。
それから何日かして、悪魔はちょっと思いついたことを男に言ってみました。
「オレも絵を描いてみたい」
男はにっこり笑って言いました。
「じゃあ、うちに来て描いてみましょう」
二人はまた男のアトリエに行きました。男は悪魔の顔より大きい紙と、たくさんの絵の具と筆を出してくれました。悪魔は絵の具も、絵筆も見たことがありません。色の数は多くありませんが、とてもカラフルできれいだと思いました。
絵の具も筆もうまく使えませんでしたが、男がひとつひとつ教えてくれたのでちゃんと使うことが出来ました。悪魔はお母さんの絵を描きました。
「とても上手だね、あなたのお母さんは綺麗なひとなんだね」と男はほめてくれました。
悪魔は、悪戯をしてお父さんにほめられたこと以外、ほめられたことがなかったので、また驚いてしまいました。男にほめられるのがとてもうれしかったのも事実です。
その日、悪魔は自分の描いた絵を持って家に帰りました。家に着くと、まずお母さんに絵を見せました。それからお父さんにも。二人は、自分たちの子供が絵を描いてきたことにびっくりしましたが、ほめてあげました。なぜって、悪魔がとてもうれしそうに絵を見せてくるからです。
悪魔はそれ以来、あまり悪戯をしなくなりました。することといえば、公園で男とおしゃべりをして、それから時どき男の家で絵を描かせてもらうのです。ある日、悪戯をしなくなった悪魔を見かねて、お父さんは言いました。
「なあ、お前はすっかり悪戯をしなくなってしまったね。どうしたんだい? お父さんの子供らしくないよ」
悪魔はそっけなく言いました。
「悪戯より楽しいことがみつかっただけだよ」
お父さんは、子供に冷たくされて度肝を抜かれました。
「お母さん、あの子が反抗期だよ!」
お母さんは冷静に言いました。
「まあなんてこと。お父さんこそ落ち着きなさい。あなたは本当にあの子に甘いわね」
お父さんとお母さんは見た目が全然違います。お父さんは悪魔らしくおぞましい格好をしていますが、お母さんは女神のように綺麗なのです。
お父さんはしばらく「おうおう」といって嘆いていましたが、子供の成長を喜ぶ父親としては、複雑な気持ちで納得しました。
一方悪魔ですが、男から画材を少しもらい、悪魔の家に帰ってからもお母さんやお父さんに楽しそうに説明しながら、絵を描くようになりました。
そういえば町の住人ですが、最近めっきり悪魔の悪戯がなくなったことを怪しんでいました。きっと何か、とてつもなくあくどい悪戯を考えているに違いない、と。
そんなある日、男が画材を買いに行くといいました。悪魔は自分もついていくと言いましたが、男はなかなか首を縦に振ってくれません。それでも悪魔が食い下がると、男はしぶしぶ連れて行ってくれることになりました。二人で、公園と男の家以外に行くのは初めてでした。
画材屋さんで、男は「いつものをお願いします」と言いました。悪魔は男に手を引いてもらいながら、初めて見る画材屋さんにワクワクしていました。ところが、遠巻きに立っている人たちの声が聞こえてきました。
「まぁ、最近おとなしくしてると思ったら、こんなところにあの悪魔っ子が」
「あの人、町外れの絵描きさんでしょ。かわいそうに」
「どんな手を使ってだまくらかしてるのかしら」
「目が見えないから、うまいこと言って丸め込んだのよ」
そんな声です。悪魔はおどろきました。驚いて男を見上げました。
「お前、目が見えないのか」
男はぎょっとして言いました。
「うん、そうだよ」
気がつくと悪魔は走り出していました。気がつくと泣いていました。悪魔が泣いたのなんて、生まれて初めてではないでしょうか。悪魔は自分の部屋に飛び込むと、窓から画材と、今まで描いた絵を窓から投げ捨てました。
お母さんが部屋に飛び込んできました。
「なにをしているの」
でも悪魔は答えません。泣きながら布団にもぐりこみました。お父さんは部屋のドアの影でおどおどしていました。悪魔がこんなに泣いているのは、生まれた瞬間だけだったからです。
悪魔は布団の中で考えました。男は悪魔の描いた絵を「上手だ」と言ってくれましたが、でも男は目が見えないはずです。絵が見えないはずです。悪魔の絵が上手いかどうかなんて、わからないはずなのです。
何日か食事もとらずに部屋にこもった後、あまりにおなかがすいたので、悪魔はやっと食事をとりました。お父さんはようやくほっとしました。悪魔のご機嫌を取ろうとして、「どうだ、人間なんてどんなものかわかっただろう」と言いました。すると、「お父さん!」とお母さんが突っ込みました。悪魔はお父さんを睨んだだけで何も言いませんでした。悪魔も考えごとをしていたのです。
悪魔は意を決して、もう一度だけ男のところへ行きました。男は、やっぱりアトリエで絵を描いていました。目が見えないのに、です。白いキャンバスに赤い絵の具を押しつけていました。
「来たね」と、男は振り返りもせずに言いました。悪魔は返事をしません。
「だますつもりはなかったんだけど、言うチャンスがなかったんだ」と男は続けます。悪魔は男のすぐ隣に立ってキャンバスを見ました。キャンバスには赤い絵の具で赤い犬が描いてあります。
「オレの絵が上手いなんて、嘘ばっかり。見えないくせに」
悪魔は泣きそうになるのをこらえて言いました。男は悪魔のほうを見て少し悲しそうな顔をしてから言いました。
「確かにほとんど見えないけど、なにも見えないわけじゃない」
「あなたほどは見えないけど、周りの景色だって見えるし、今あなたがどんな顔をしているかだってわかるよ」
「うそだ」
「うそじゃない。目が見えなくても、絵は描けるんだよ。ぼくは生まれつき盲ているわけではないから、目で見る世界を知っているし、絵の具の色も知っているから、困らないんだ。パレットの色はどこに何色があるか覚えたり、時間をかけてゆっくり見ればいいんだしね」
男はいつの間にか手を止めていました。
「あなたの絵からは、綺麗なお母さんをとても慕っていることが伝わってきた。それが伝わってくる絵は、もう『素敵な絵』なんだよ」
悪魔は黙ってドアの方へ歩き始めました。男は座ったまま、「気をつけて帰るんだよ」といいましたが、悪魔は「ごめんなさい」とだけ言って、絵描きの家を後にしました。
悪魔は家に帰ってお母さんのところへ行きました。お母さんのひざで泣きながら、悪魔は言いました。
「ママ、なんだかとても苦しい」
ママは言いました。
「そうね」
ママは綺麗な上に優しいのです。
「オレはどうすればいいの?」
「お母さんには、わからないわ」
それからしばらくして、悪魔は悪魔の仲間の中でも物知りな魔女のところへ行きました。悪魔は魔女に聞きました。
「見えない人間の目を見えるようにするには、どうしたらいい?」
魔女は答えます。
「私がお前の目を取り出してあげよう。それを人間の目に押しつければいい」
悪魔はそのとおりにしてもらいました。取り出した目玉を大事そうに抱え、悪魔は男のアトリエに走っていきました。目玉を取り出してしまった右目には、魔女からもらった真新しい眼帯をしました。
男の目が見えるようになれば、自分と自分の絵をちゃんと見てもらえると思ったのです。
ところが、あまりに一所懸命走っていたために、悪魔は走ってきたバイクにぶつかってしまいました。
悪魔は、悪魔なので死にません。悪魔なので、はね飛ばされるだけで血も出ませんし、怪我もしません。でも、大事な目玉がどこかへ行ってしまいました。泥だらけになりながら、悪魔は目玉を探しました。
日が暮れて、結局目玉は見つかりませんでした。悪魔は仕方なく手ぶらで男のアトリエにつきました。アトリエに入ると、男はやっぱりキャンバスの前に座っています。気配を感じたのか、声をかけてもいないのに男は振り返り、その尋常でない様子に声を上げました。
「いったいどうしたんだ」
悪魔は一部始終を話しました。話を聞いた男は、悪魔をまず風呂へ連れて行き、綺麗に洗いました。それからお茶を入れ、アトリエの椅子に座らせて飲ませました。
「落ち着いたかい?」
男は尋ねました。
悪魔は無言でうなずき、紅茶を飲みました。男は言いました。
「ありがとう、気持ちはうれしい。でもね、ぼくに目は必要ないんだ。ぼくの目が今と違うものになってしまったら、もうぼくの絵は描けないんだ。わかるかい」
男はそういいながら、新しいキャンバスを取り出して絵を描き始めました。その間、悪魔はじっと椅子に座っていました。しばらくして男が悪魔のほうに向き直ると、悪魔は目を見張りました。
そこには、真っ白だったキャンバスには、悪魔の大好きなお母さんが描かれていました。男はにっこり笑って、「ほらね」といいました。
おしまい
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2006年頃に書いたものです。大筋は同時期に書いた『キツネとカラス』と大差ありません。 | ||
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