真恋姫無双〜天帝の夢想〜(群雄割拠編 其の一 離れても心はいつも) |
(群雄割拠編 其の一 離れても心はいつも)
都洛陽に平穏な日々が戻ってきた。
戦も終わり民の表情にも一応の安堵感が漂っていたが、今目の前にある平穏な光景はどこか違和感を感じていた。
それほど長い年月が過ぎていないはずなのに雰囲気が以前とは異なるものを漂わせていた。
宦官による政事、天の御遣いと董卓による改革の第一歩、そして今は乱世の奸雄と呼ばれし人物によって都が守られていた。
その中心人物である華琳は皇帝を擁する立場上、合理的な方法を思って政事を示していた。
無論、すべての決定権は皇帝にあったが、当の皇帝である百花は否定するわけでも肯定するわけでもなくただ華琳の良きようにと一任していた。
一刀達を失ったことでの覇気が失われ、積極的に動くことをしなくなった百花を見て華琳は拍子抜けをくらっていた。
もっともその理由は華琳でも察していたがそれを口にすることはしなかった。
国を纏め上げる人物であれば華琳もそれ相応の対応を楽しめたであろうが、彼女だけではなくその臣下の者達から見てもたいした者ではないと思われてもいた。
政事や軍事に関して完全に曹操軍が掌握したという噂は瞬く間に広がり、また皇帝を傀儡にしているとも噂されていた。
だが、月の時とは明らかに諸侯の反応は違っていた。
華琳は自分が漢王朝の忠実なら臣下であることを諸侯に知らしめていたからだった。
利用できるものは最大限利用する。
そうすることによって華琳の勢力は急速に拡大していった。
そんな中で一人の女将が肩を落として憔悴しきった姿で戻ってきた。
「霞が戻ってきたのですか!」
自室で何をすることなく椅子に座って庭を眺めていた百花は徐栄からの報告を聞いて驚きを隠さず確認をとった。
「間違いありません」
「すぐにここに連れてきてください」
霞が戻ってきたことでもしかしたらという淡い期待が百花の中で蘇った。
曹操軍に守られているとはいえ、生きている心地がしない中での希望に百花が縋ろうとしていることは徐栄がみても痛いほど伝わっていた。
だが、百花の願いに徐栄は表情を曇らせた。
「只今、曹操殿がお会いしているそうです」
「曹操が?」
百花は言葉を詰まらせた。
曹操という人物を目の前にして百花は只ならぬものを感じていた。
逆らう者には容赦をしない、だが逆らわなければ命の保障はされる。
いくら皇帝であろうともそんなもので怯む相手ではない。
状況次第ではいつ自分の命が消えてもおかしくないと感じたため、華琳には無抵抗な態度で接していた。
「そうですか……」
「陛下?」
「曹操が会っているのであればその後でいいですから連れてきてくれますか?」
臣下に遠慮をする皇帝の姿に徐栄は心苦しかった。
なぜそこまでして遠慮をするのだろうか。
なぜ皇帝としてもっと強く出ないのだろうか。
そう考えたこともあったが、百花の今の立場を考えると何ともいえなかった。
「わかりました。おそらく張遼将軍も陛下にお会いしたいはずです」
「頼みます」
徐栄が出て行くとまた一人になって物思いに耽っていく。
彼女自身も徐栄をはじめとする少数だが自分のために残ってくれている者達のためにもっと堂々をするべきかもしれないと思っていたが、月を失ったのが一刀同様に暗い影を落としていた。
自分よりも曹操の方がこの国をよくしてくれるのではないか。
事実、華琳が上奏してくる懸案を一通り目を通しているが、どれも利に適っており承認すれば即実行に移している行動力は賞賛していた。
(乱世の奸雄と呼ばれてはいるけど、国の民のことを考えている)
それも自分以上に考えている。
その中に含まれているであろう野心はともかくとして間違いなく平和を望んでいる。
「私にもそんな力はあれば……」
そうすれば一刀も月も失うことはなかった。
もっと遡れば宦官達にも利用させることなどなかったかもしれない。
(力が欲しい……誰にも負けない、誰も失うことのない力が欲しい)
何度も思っては何度も諦めていること。
思うたびに全身が苦しんでいるかのように百花は自分の身体を強く抱きしめていた。
漢王朝はこのままいけば間違いなくその歴史に幕を下ろすことは明白であり、その最後の皇帝が自分である。
どうせ終わるのであれば曹操にすべてを差し出し、一人の女として一刀を探したいという気持ちが日に日に強くなっていた。
(そうすればこんな苦しく感じることもないはず)
今の百花は冷静な判断が少しばかり欠けていた。
どうせ何もできないのであれば誰かにすべてを押し付けてしまえばいい。
人として、皇帝としてそう考えるのはあまりにもおかしなことではあるが、人が追い詰められるとそう考えてしまうのも無理のないことだった。
(でも……)
宦官達の脅威から解放され、一刀や月、それに詠達とともにこの国を建て直し平和で幸せに満ち溢れるようにしようと硬く誓ったことが最後の防壁となって百花の暴走を押さえていた。
(一刀……月……)
今はいない大切な者の名前を思う。
行方不明だろうが死んでいようが百花は完全に信じていなかった。
いや、信じたくない。
それが今の百花が精一杯の生きる糧でもあった。
その頃、華琳の前に霞が武器を持って立っていた。
本来であれば武器を持ったままの対面などありえなかったが、華琳は特別にそれを許したのだった。
「貴女の勇名は先の戦いで十分に伝わっているわ」
華琳は霞が並々ならぬ武将であることは一目で見抜いていた。
虎牢関での戦いで連合軍の大軍にも臆することなく鋭い攻撃を行い多大な被害を与えたその武勇を華琳は欲していた。
「それで今までどこにいたのかしら?もう戦も終わって久しいというのに今になって私を斬りに戻ってきたのかしら?」
華琳の言葉に周りにいた者達はざわめいた。
「まぁ今ここで私を斬ったところで何もかもが元に戻ると思っているのであればその手に持っているもので私を斬りなさい」
「……」
霞が今、本気であれば無防備な華琳を襲うことは可能であったが討ち取れるかどうかはわからなかった。
無事にこの部屋から出られる保障など初めから持ち合わせていなかったが、霞には別にやることがあるからこそここに立っていた。
「ウチはあんたになんか興味はないんや。だからはよう陛下に目通りさせてもらえへんか?」
憔悴している身体では戦うつもりなど霞にはなかった。
ましてや今の自分は百花に会わなければならない理由があり、ここで無駄な時間をすごしたくはなかった。
「目通りするしないは貴女の勝手。ここで私がいるのは貴女の武勇に興味があるからよ」
「負けた将の武勇なんかに興味あるんかいな?」
「勝ち負けは関係ないわ。私はあの戦場で貴女の強さに惚れたのよ」
「何が言いたいんや?」
まどろっこしい言い回しに珍しく苛立ちを覚える霞に対して華琳は笑みを浮かべていた。
「簡単に言えば私のものになりなさいってこと」
平然と言い放つ華琳。
これから彼女の目指すものを手に入れるためには有能な者を数多く従えることで始まる。
霞の武勇に一目置く華琳は将来的にはそれ相応の地位と権力を約束すると付け加えた。
「それに私のところに来るのであれば望むものを与えるわよ?」
普通であれば好条件であり飛びついてもおかしくないものだった。
霞も一瞬だが、心が揺るがなかったわけではなかったが面白そうだと思った。
「ウチの望むもんはただひとつや」
「何かしら?」
「一人の男を救い出す力や」
男と言う言葉に華琳は意外な反応を示した。
将軍の地位でも高額な俸給でもない男を救い出す力を欲する。
「それ以外のもんは適当に集める。でも今のウチには救い出すだけの力がない」
孫策軍から解放された時、祭から一つの文を渡された。
皇帝に直接手渡すようにと言われ、それまでどんなことがあっても中身を見てはならない。
何度も誘惑に駆られて中身を見ようとしたが、そのようなことを知れたら武人としての名誉ばかりかすべてを失ってしまうような感覚を霞は覚えたため手をつけずにいた。
そして祭が別れ際に発した言葉、『強くなれ』が霞に力を求めさせた。
「今のウチじゃあ誰も守れん。だから強い力が欲しいんや」
都に戻ってくるまで時間をかけたのはその強い力を身につけたいがために寄り道をしていた。
だが、どこにいっても霞を満足させるものはなかった。
そして戻ってきた時、改めて自分達が敗北したという事実を突きつけられた。
「その強い力を今の朝廷が与えてくれると思っているの?」
「正直無理やな。陛下には悪いけど、あんたに仕えたほうがその望みは叶えられそうや」
霞は理想だけではどうすることもできないことはわかっていた。
また今の自分が朝廷に戻っても何もできないともわかっていた。
「貴女の望みは叶えあげるわ」
しっかりと現実を見据えている霞の態度が大いに気に入った華琳は高々にそう約束した。
望むものをある限りその力を遺憾なく発揮させる場所を与えればいい。
そうすればお互いに得ることができる。
華琳は快く霞を受けいれる用意があった。
「叶える代わりに私のためにその力を振るいなさい」
「あんたのためにか?」
「そうよ。それが私からのたった一つの条件」
完全に皇帝を捨てて自分に付け。
どこまでも傲慢なものに思えたが、それだけの自信を華琳は持っていた。
有能な人材は有効に活用してこそ初めて生かされる。
誰よりも華琳はそのことを知っており、それを実行している。
「この条件を呑んで私の元に来た者もいるわよ」
そう言うと後ろから歩いてきて霞の横に止まった。
「お久しぶりです張遼将軍」
振り向くとそこに立っていたのは桂蘭だった。
自分達の仲間と思っていた者があっさりと寝返っている姿に霞は驚いた。
「なんや、あんたは裏切ったんや」
「曹操様は漢王朝になくてはならない御方。だからこそ力を貸すのは当然です」
仕官した時から漢王朝のためが口癖だった桂蘭を思い出して霞は怒りを不思議と覚えなかった。
平然としている桂蘭を見て我を張っている自分が滑稽に思えてきた。
それが決め手になったのか霞は華琳が出した条件を受けいれることにした。
「せやけどウチからも条件がある」
「どんな条件かしら?」
「一つ。ウチが探している男、つまり北郷一刀の所在がわかればどんな場合であってもあんたから離れる」
それまでは華琳のために力を振るうことを誓うと付け加えた。
(また北郷一刀なの?)
華琳は一刀の名前を聞かされるたびに妙な感覚に襲われていた。
「二つ。陛下に危害を絶対に加えないこと。また陛下の身辺にいる者にも絶対に危害を加えないこと」
二つ目の条件は正直なところ華琳にとってどうでもよかった。
元々、皇帝に危害を加えるつもりもその身辺にいる者をどうこうするつもりもまったくなかった。
それよりも一つ目の条件が気になって仕方なかった。
「貴女は北郷一刀が生きていると思っているの?」
「だからあんたに仕える条件に入れたんや」
一刀が自分達を置いて死ぬなんて考えたことがなかった。
行方不明なら生きている可能性もある。
霞ほどの武人をここまで言わせる天の御遣いに華琳は思いもよらない嫉妬を感じていた。
(張遼ほどの武人にここまで言わすなんて)
先の戦いでは手に入れそこなったが、行方不明を利用して一刀と霞の両方を手に入れたい。
「いいわ。貴女の条件を呑みましょう」
「おおきに」
「それじゃあ陛下に謁見でもしてきなさい。それが終われば正式に私の臣下に迎え入れるわ。桂蘭、張遼将軍を案内しなさい」
「畏まりました」
恭しく礼をする桂蘭を霞は見ることをしなかった。
華琳との面会を終えて霞は桂蘭の案内で宮殿へと向かった。
どちらとも自分からは話そうとはせず黙って歩いていた。
霞は自分が戻ってくるまでの短期間に桂蘭の変わりように疑問があった。
漢王朝を守るために仕官していたはずなのに、なぜ自分達を攻めた者に従っているのか。
また真名で呼ばれたところを見ると本当に忠誠を誓っているのだろうと思うと、彼女を買いかぶっていたとため息を漏らした。
「ずいぶんとお疲れのようですね」
霞を見ることなくそう言ってきた桂蘭に霞はすぐには答えなかった。
一呼吸置いてから、
「あんたみたいに敵に取り入るよりもやることがあったしな」
「曹操様にお仕えしているのも時の流れです。過去がどうあれ今の主君は曹操様ですから」
「ふ〜ん。一刀が知ったらさぞ悲しむやろうなあ」
「戦も知らない者のことなど知りません」
すでに過去の人として話をしている桂蘭に霞は苛立ちが生まれていく。
「そうでしょう?総大将が安全なところにいないで危険な場所へ行くことなど兵法を知らぬ愚か者でしかありません。ましてや天の御遣いと呼ばれる方がそのような軽率な行動をとっては勝てる戦も勝てませんよ」
言っていることは正しいが霞はそれでも反論しなければならなかった。
「それでも守りきれんかったんはウチらのせいや。ウチらがもっとしっかりしとったらこんなことにはならんかった」
一刀にも責任はあるが、すべてを彼一人に背負わすわけにはいかなかった。
彼に出撃させる要因を自分達が知らないうちに持っていたことに気づかなかったことが大きな原因なのだと霞は自分達の非を鳴らした。
しかし桂蘭からすれば意味のわからないことだった。
「上に立つ者は下の者の意見を正確に捉えて判断する。それができなければ上に立つ資格などありません」
「曹操にはそれがあるんかいな?」
「ええ。だからこそ私は膝をついたのです。曹操様なら漢王朝をしっかりと守ってくださると」
漢王朝が守れれば誰に付こうが関係ない。
忠義に厚いと思うものもいればそれを利用して出世をしようとしているだけの卑怯者と思うものもいるだろうと霞は思った。
「それに張遼将軍も条件をつけていましたが、結局のところ今のままでは何もできないと思ったからこそ曹操様に恭順したのでしょう?」
「そうや。今のままじゃあ何も守れん。だからウチは利用する」
「それだと私と変わらないじゃあないですか」
どんなに奇麗事を並べてもしようとしていることは同じ。
一刀を見つけるために利用するのと漢王朝を守るために利用するのとでは言葉が違うだけで中身に差などなかった。
「いいや、あんたと違う」
「どこがです?」
「ウチが本気で仕えるのはただ一人や。どんなに優遇されようともウチの主君は北郷一刀だけやってことや」
それは胸を張って言えることだった。
これを否定する者がいようとも決して折れることのない意思であった。
「戦に弱かろうがアホなこと言おうが、ウチはあいつに付いていこうって決めたんや。あんたみたいに漢王朝を守るために主君を変えるようなやつと一緒にせえへんとってや」
完全に喧嘩を吹っかけているように霞は言葉を桂蘭に発した。
それに対して桂蘭は一度だけ睨みつけて、それ以降は何も言わずに歩いていった。
それからしばらくして玉座の間に着き桂蘭は何も言わずに去っていき、霞一人が百花がやってくるのを待った。
「なんか前よりも静かになったもんや」
先の戦いが起こる前まではここには活気があった。
それが今では人っ子一人おらず、不気味なほど静けさを漂わせていた。
周りを観察しているとギィィィィと扉が開きそこから百花と徐栄が現れた。
「霞」
玉座に座ることなく霞のところに駆け寄っていく百花。
久しぶりの再開に百花だけではなく霞も照れくさそうにしていた。
「張文遠、只今、戻ってまいりました」
「お帰りなさい。無事で何よりです」
一刀、月と立て続けに悪い知らせしか聞かなかった百花は久しぶりの朗報に自然と瞼に熱いものがこみ上げてきた。
「張遼将軍」
徐栄も嬉しそうに礼をする。
「今までどこにいたのですか?心配したのですよ」
「申し訳ないです。今まで孫策軍の捕虜になってて傷が癒えるまで解放してくれんかったんですわ」
「傷は大丈夫なのですか?」
「ええ。まぁなんとか」
心配させていたことをがわかるぐらい百花の表情が泣き出しそうだった。
霞も心配させてしまったことを詫びていたが、すぐに姿勢を正して頭を下げた。
「陛下。今回のことはウチの責任でもあります。北郷一刀を守れんかったウチが謝ってすむことじゃあないこともわかってます」
霞の謝罪に百花は罵声などを浴びせることなどしたくなかった。
捕虜になってまで一刀を探していたのだと今の霞を見るだけで百花には十分だった。
「頭を上げてください。私のほうこそ謝らなければなりません」
月達を守れなかったことを霞に話すと、霞も百花を責めることはしなかった。
「ウチは月や詠も守れんかったんやな」
すべてはあの一戦での敗北が今日の状況を作り出している。
もし、一刀を探すのをやめて都に逃げたところで結果は同じだっただろうと霞は自分の非力を悔やんだ。
「華雄もいなくなり、今、こうして私のところにいてくれるのは徐栄をはじめとしてわずかな者だけ。曹操に実質守られているわけです」
その言葉を聞いて玉座の間だというのに文官達の姿がなかったことに納得した。
すべての権力は華琳の元にいき、皇帝は本当のお飾りでしかなくなってしまったのかと落胆を隠せない霞。
「百花様」
あえて真名で呼んだ霞に百花はどうかしたのかと聞きかえした。
「ウチもその曹操のところにいきますわ」
「えっ?」
「どういうことですか、張遼将軍!」
驚く百花の代わりに徐栄が声を荒げた。
「どうもこうもないで、徐栄。今さっき誘われてな、臣下になってきたばかりなんや」
「霞……それは本当ですか?」
「だからこれ以上、百花様のお力にはなれへんのですわ」
笑顔を作ろうとしたがうまく笑えない霞に徐栄は有無も言わずに腰の剣を抜き、その剣先を霞に突きつけた。
「徐栄、控えなさい!」
「いいえ、陛下。不忠者は成敗しなければなりません。ましてや曹操の軍門に下ろうなどと陛下に対して裏切りでしかありません」
徐栄は徐栄なりに華琳の存在が危険なものだとその肌で感じていた。
そしてその危険な存在のところに仕官した霞がどうしても許せなかった。
「霞、それで本当にいいのですか?」
無事に戻ってきたと思った霞がすでに自分とともに歩むことをやめていることに百花はショックを隠しきれなかった。
それでも本人がそう望んでいるのであれば自由にさせるべきではないかという思いもあった。
「今のウチでは百花様を守ることができへん。ましてや一刀を探し出すなんて到底無理ですわ」
霞の表情はいつになく苦痛を感じさせていた。
「将軍、それはただの方便。本当は陛下を見捨てたいだけなのでしょう」
「なんと言われようとも今のウチでは誰一人守れんのや」
実力を高めなければ何も変わらないどころかますます失うものが増えていく。
一刀を取り戻すためには何でも利用するしかないことを霞は思い知らされたからこそ離反を決めた。
「百花様、ウチは必ず一刀を連れ戻します。百花様のもとにどんなことがあっても、ウチの命に代えても必ず連れて帰りますわ。せやから今は堪忍してほしいんですわ」
決して裏切るのではない。
心はどこまでも一刀と百花にある。
言葉だけなら誰でも簡単に言えることだが、霞が嘘をつくようなことはないと信じている百花は考えた末に霞の好きにするようにと答えた。
「ただし、命を失ってはいけません。貴女も無事に一刀達と戻ってこなければ許しませんから」
「北郷一刀の臣下、張文遠の名に懸けて」
礼をとる霞の姿に百花はうなずき、徐栄はまだ納得はしていなかったが剣を鞘に収めた。
「私はまだ納得していませんが、将軍がそこまで言うのであれば信じることにします。しかし、敵になれば容赦はしないのでそのつもりで」
「わかってるって。それよりも百花様のこと頼むで。あんただけが頼りなんやから」
「心得ています」
百花のもとに徐栄がいるのなら安心して探しにいける。
霞は徐栄に感謝の言葉を口にすることはなかったが、徐栄も自分の役目をしっかりとわかっているため何も言わなかった。
「ほなウチは行きますわ」
立ち上がり二人に礼をすると後ろに振り返って一歩踏み出した。
が、すぐに何かを思い出したかのように百花達の方を振り返った。
「そうや、忘れるとこやった」
霞は百花に会わなければならない一番の目的を忘れていたことを思い出した。
「これを解放されたときに渡されたんやった」
「それは?」
霞から差し出された文を受け取りながら百花はなんだろうと思った。
「ウチもなんやって聞いたんですけど、百花様に直接手渡せって言われただけで中身を見てないんですわ」
「そうですか。あとで読んでおきます」
「ほな、ウチは行ってきますわ」
「霞、武運を」
「おおきに」
外での一刀の探索を霞にすべて任せた百花はやってきた時よりも晴れやかな表情をしている彼女の無事を祈った。
「よろしいのですか、これで」
徐栄は念のための確認を百花に求めた。
霞までもが百花から形だけとはいえ離れたことに徐栄は予想外だった。
「霞の言うように今の私では彼女を縛り付けるだけで得るものもはないでしょう。それに誰かが外を見てきてくれることは私達にとっても良いことだと思います」
それに一刀がいない今、霞の行動を束縛する理由がないことも百花はわかっていた。
敬愛する皇帝がそう言うのであればもはやこの件については何も意見はないと徐栄は静かに霞が去った方を見た。
その夜、霞を客将として迎え入れた華琳は機嫌がよかった。
華琳の覇道を達成させるためには有能な人材をどれほど集めて足りないため、各地から集めた結果、文武ともに充実をしていた。
その中で霞の仮とはいえ自分の配下に入ったことに喜んだ華琳は朝廷に仕えていたときの位をそのまま与えてもらえるようにと皇帝に上奏することを約束した。
「まだウチが役に立つかどうかわからんのに大げさなや」
華琳個人の宴席に招かれた霞は用意された酒を呑みながら自分に対する待遇に苦笑いを浮かべていた。
「あら、私は貴女にそれだけの実力があるからそうしたまでよ」
「それはおおきに。でも、あんたは凄いなあ」
「凄い?」
敬語を使わないことに対して何も反応を示さなかった華琳は自分が凄いと言われて表情をわずかに変えた。
「あんたがあのキンキラキンの姉ちゃんを大将にして戦を起こしたんやろう?」
「何のことかしら?」
先の反董卓連合をたきつけた張本人は余裕の笑みを浮かべて答える。
「私が袁紹をたきつけたという証拠でもあるのかしら?」
「そんなもんはないけど、ある奴からきいたんや。あの戦は曹操が袁紹を担ぎ上げて起こしたんやって」
霞は酒杯を静かにおいて華琳をまっすぐに睨みつけた。
「どうなんや?」
霞の視線に臆するどころか笑みを浮かべたまま見返す華琳。
だがお互いをにらみ合う時間はそれほど長くはなかった。
華琳の方が先に視線をずらして違う方を見た。
「事実よ」
何も悪びることなく夜空の星々を見上げて答える華琳。
「そうなんや」
霞も納得するかのようにつぶやいた。
「でもなんで起こしたんや。ゆえ……董卓はあんたがおもっとるような人物じゃあなかったんやで?それやのになんでや」
「張遼、貴女は他人に支配される国を想像したことある?」
「なんや突然」
自分の質問を遮られた霞は華琳の質問に表情を少し和らげた。
「自分の意思で従うわけでもなく、ただ他人の言いなりになることに耐えられるかってことよ」
華琳は霞の方を見たがその表情はさっきまでとは違い、霞でも身体が一瞬震えるような感覚を覚えさせたほどに覇気が漂っていた。
「私に従うのはいい。しかし私を従わせることは許さない。それが戦を起こした理由といえば納得するかしら」
「なんやそれ。あんたの欲のために起こしたんかいな」
これには霞も怒りを覚えた。
そんなことのために一刀や月、それに多くの者が犠牲になったのかと思うと自然と拳を握る力が増していく。
「そんなことのためにあんな馬鹿なこと起こしたんかいな」
「馬鹿なこと?」
今度は華琳の感情に変化が起こった。
「いい、張遼。あのまま天の御遣いや董卓が皇帝を守り立てようとしてもいずれ同じことが起こっていたわ。甘い考えでしか物事を考えない者がする政事がこれからさき成功する保障なんてどこにもないの。だから私は試したのよ」
戦を起こして自分達が置かれている状況がいかに危険なものなのか、自分達の考えに反対する者がどれだけいるかを知らしめた。
中途半端なやり方をしたところで民を結果的に苦しめるようなことになれば、いかに天の御遣いであろうとも批判は免れない。
本気だということを証明しろと華琳は霞に続けた。
「まぁ天の御遣いを手に入れたいとも思っていたわ」
「せやけど半分はあんたの思い通りにならんかったんやろう?」
「そうね。まさかあの中にいたなんて思いもしなかったわ。ところで張遼」
「なんや?」
「もしあのまま何も起こらなかったら貴女達は勝っていると思った?」
「たぶん勝ててたと思うで」
自分の酒杯に酒を注いでゆっくりと持ち上げて呑んでいく霞を見て華琳は笑みを浮かべた。
「そこまで思わせるほどの男ならぜひとも手に入れなければならないわね」
「陛下を手に入れてまだ欲張るんかい」
「私は自分が手に入れたいと思うものは何でも手に入れるわ。それで争いが起ころうとも必ずね。それに北郷一刀を手に入れれば貴女も私から離れる理由もなくなるわけだし」
華琳の視線に苦笑いを浮かべながら酒杯を置くと霞は立ち上がった。
「上手くいったらええなあ」
「そうね」
「ほな、ごちそうさん。今日の酒はなかなかよかったで」
「今度はもっと美味しい酒を用意しておくわ。私の望みが叶ったときのお祝い用にね」
「楽しみにしとるわ」
それだけを言い残して霞は自分のために用意された部屋に戻っていった。
「貴女から見てどう思えたかしら?」
一人残った華琳の言葉に引き寄せられるように物陰から曹操の知恵袋の一人である荀ケこと桂花が出てきた。
「華琳様、本気であの者を重用するおつもりですか?」
「あら、桂花は反対なの?」
「い、いえ、華琳様がお決めになられたのですから反対などありえません。ただ、所在がわかればどんなことがあっても向かうというのは」
桂花としては絶対的な忠誠を持って華琳に仕えている自分からすれば客将とはいえ信用できるかどうか不安があった。
無論、華琳が何かと目をかけていれば忠誠心の厚い霞からすればその恩を返さなければならないと気持ちになり、結果的には華琳の覇道のために力を振るうだろうこともわかっていた。
「心配しなくても大丈夫よ。所在がわかるまでは決して私を裏切ることはないわ。仮にわかったとしてもそれを知らせなければどうなるかしら?」
「なるほど。さすが華琳様」
華琳の答えに喜びを表している桂花を見て、華琳は笑みを浮かべた。
「それに天の御遣いがどこにいるかわかれば、勅命をもって軍を動かすこともできる。いい感じに餌にもなってくれるわ」
一刀を探すために動く。
どこかに匿われて引渡しを拒否すればそれを奪還するための口実となり動くことが容易になる。
皇帝を手に入れたというそれだけでも華琳は他よりも有利な状況を作り出すことができていた。
「さあ、これから忙しくなるわ。桂花、明日から主だった者を集めなさい」
「わかりました」
「では、今日は桂花を愛でてあげることにするわ」
「か、華琳様……」
華琳の閨への誘いに桂花はこの上なく幸せな表情になった。
同じ頃、百花は自分の部屋に戻って休もうとした時、机の上に置いていた霞からの文を見つけた。
「そういえば霞が私に直接渡すようにと言われた文でしたね」
竹簡ではなく貴重な紙というところが驚きだが、それだけに何か重要なことが記されているのではないかと手にとって中を開けた。
だがそこには文字がびっしりと書かれておらず、ただ真ん中にこう書かれていた。
『北郷一刀』
それは百花が見間違えることのない一刀の文字だった。
字の練習をしていたとき、何度も見たことのある一刀の名前。
うまく書けなかったとき、恥ずかしそうに誤魔化していた時の一刀を見て百花も自然と笑顔であった。
もし自分が天の国に生まれて一刀と知り合って今のように恋仲になり、いずれ北郷の姓とともに添い遂げたときのことを恥かしそうに話したこともあった。
『北郷百花かあ。いいんじゃないかな』
一刀もまんざらでもないといった感想を言うと、百花はそうなれたらいいなあと思った。
「一刀が生きている……」
何度も諦めかけていた想いはもたらされた文によって再び息を吹き返した。
たったそれだけの文字を見ただけで百花の心を染めていた暗闇が薄れていくように思えた。
(一刀がどこかで生きている。死んでいなかった)
それまで我慢していたものが瞼から溢れていく。
止めることもしたくなかった。
百花は声を潜ませて涙した。
「よかった……。一刀が生きてくれていた」
そう口にするたびに百花は嬉しくてたまらなかった。
涙は枯れることなく溢れ出る中で、百花はその文を丁寧にたたんで戸棚に置いてある箱の中に保管した。
生きているとわかったのなら、今すぐにでも奪還するための行動を起こすべきだと思ったが、今の自分が置かれている状況では簡単にいかなかった。
探し出して奪還するにしても自力では不可能であって、曹操軍を頼らなければならない。
華琳に命令すれば間違いなく実行されるであろうが、果たしてそれで無事に一刀が自分のもとに戻ってくることができるのだろうか。
月を守れなかったと知れば霞のように一刀も華琳のもとにいくかもしれない。
(曹操には知られないようにしないと)
今はまだ誰にも伝えずに自分の胸のうちだけにしまっておくほうがよいと判断した百花は箱を一度だけ見て、寝台に向かった。
明かりを消して横になって上を見上げるその表情は一刀といる時と同じ柔らかなものだった。
「一刀、待っていてください。必ず私は貴方を迎えに行きますから。そうしたら……」
その時がきたら月を守れなかった罪を償おう。
それは決して一刀が望むものではないが、そうでもしないと申し訳が立たなかった。
暗闇の中でそう思いながら百花は瞼を閉じて眠りについた。
(あとがき)
GWもお仕事、終わってもお仕事が続く皐月晴れの日々です。
というわけで新章に突入です。
今回からメインの恋姫達をどんどん出していこうと思っています。
(あまりオリジナルを出しすぎてもなんですし 汗)
最近になってオリジナルキャラをメインに据えて書くのがこんなにも難しかったのか〜と思ってしまうほど執筆力が落ちたのかなとジワジワと実感していますが、なんとかゴールできるよう頑張っていますので一応、ご安心をです。
次回は私が一番、筆が進むであろう話です。
下手したら二回にわけて書こうかと画策しています。
では次回もできればお相手のほどよろしくお願いいたします。
説明 | ||
新章開始です。 話ごとに恋姫達をたくさん出していこうと思っています。 今回は華琳と霞になると思います。 |
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コメント | ||
なんだこれ、漢王朝を見限ったとかなら業腹だけどまだ許容するけどこれじゃただのわがまま娘じゃん。無印の曹操と大して変わらん。こんなのにやられたのが不愉快でならんわ(PON) 今のところ、助けになりそうなのは月を保護してくれた劉備軍くらいか…。華琳が演義に見られる巨大な悪役みたいな感じかな。(bumira) 華琳がラスボスっぽい雰囲気をかもし出してきてるな。(アルヤ) 華琳の言うこともごもっともだけど、やっぱ何様のつもりだよと思わざるを得ないよなぁ。劉邦や劉秀と違い、王朝に協力すれば立て直せる余地はあったんだし。このまま王朝存続と華琳の統一、どっちが人死が少なくてすむか…(吹風) |
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