君と見る景色
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1.

 修学旅行先が沖縄だと発表があった日の放課後。俺は、教室を出たところで光に呼び止められた。今年は違うクラスだけど、すぐ隣だから廊下ではよく会ったりする。

 光は「修学旅行、沖縄なんだよね!」と言って、わーっと話し始めた。

「私さあ、旅行のときってあんまりついてなくって。小学校の移動教室ではバスに酔っちゃうし、中学の修学旅行では友だちの話してくれた怪談が怖くって、あんまり騒いでたらみんなに笑われちゃったし、やっぱり中学のときの陸上部の合宿では足を挫いちゃって大会に出られなくなっちゃったし」

 ここで人差し指をぴっと立てる。

「でもね、極め付けは中学二年の夏休み! 叔父さんが沖縄に転勤になって、一度遊びに来たらって言われてたんだ。それで、夏休みに行くことになってたんだけど、私、凄い熱を出しちゃって。行けなかったんだ。次の年は高校受験だったし、去年は叔父さんがまた別のところに転勤しちゃったし」

 そしてここで一秒の半分くらい間を空けて、

「……ってことがあったから、修学旅行、すっごく楽しみ!」

 そう言ってずっと欲しかった玩具を買ってもらった子供みたいにきらきらした目で俺を見る、と。はぁ。

「あれ? 君は楽しみじゃないの?」

 反応しなかった俺を、光は訝しげに見上げる。って言われてもなあ。

「……いや、まあ、楽しみだけど。光、それ、今日もう三回目だぞ」

「えっ」

 光はちょっと頬を赤くした。

「えっ、て。二時間目の前、俺が体育で移動してるときに光に捕まって一回。昼休みに会ったときに一回。そして今、三回目」

 俺が指を折って見せると、光はますます頬を赤くした。

「い、いいでしょ。楽しみなんだからさあ」

「まあ、分かるけど。何もそこまで」

「だって」

 光は言いかけて、なぜか慌てて首を振った。

「あ、え、えっと。部活行かなきゃ。じゃあね」

「ああ、じゃ」

 光はダッシュで部室棟の方へ行ってしまった。何なんだ。

 ま、いいか。確かに沖縄って言ったら太陽と海の島だし、光のテンションが上がるのも無理ないよな。

「おい!」

 急に後ろから声をかけられた。

「わっ」

「ニャハハハハ。なにビクっとなってんだよ」

 ばんと俺の背を叩く小柄な姿。我らが生徒会長、赤井ほむらさんは今日も男らしい女子っぷりだ。

「ああ、赤井さん。どうしたの」

「ヒマだからこれから和美ちゃんのところに遊びに行く。お前も付き合え」

 有無を言わさない勢いだ。

「ええっと」

「いいから来いよ」

 迷っていたら引っつかまれてしまった。まあいいか。どうせ俺もヒマだし。

 赤井さんが俺を引っ張っていった先は校長室だった。間違いじゃない。「和美ちゃん」はこの部屋にいつもいる人のことだ。

「おっす、和美ちゃん、遊びに来たぜ!」

 ノックもせずにドアを開ける。

「おお、ほむらか」

『和美ちゃん』こと、うちの校長爆裂山和美先生はデスクワークの最中だった。

「なんだよ和美ちゃん、校長みてえなことして。悪いものでも食ったのか?」

「うむ。昨日赤井果樹園のリンゴを食べたのが良くなかったようじゃな」

「んだと、このヤロー。ニャハハハ」

「わはははは」

 これが我が校の生徒会長と校長の会話なんだから、まあ、なんと言うかなあ。

「そうじゃ。ちょうど良かったわ、ほむら。これに目を通しておいてくれんか」

 ちょっとだけ早く仕事モードになった校長先生が置いた書類を見て、赤井さんは渋面を作った。

「んだよ、めんどくせーなー」

「まあそう言うな。お楽しみの修学旅行の件なんじゃから」

 言われて赤井さんは頭を掻きながら書類を手に取った。

「えーと……なんだこれ」

 赤井さんが目を丸くするので、俺もこっそり後ろから覗き込んだ。うわ。

 書類には、修学旅行の日程が書かれていた。初日、ひびきのから那覇に飛行機で行って、首里城見学、宿泊は恩納村。

 二日目、午前中は海洋公園、午後はビーチで海水浴。

 三日目、午前海水浴、午後自由行動。那覇に戻って宿泊…

 俺が省略したわけじゃなくて、本当にこんな感じでざっくりとしか予定が書かれていない。午前だ午後だと言っても、何時とは書かれてなかったりする。

「あたしが言うのもなんだが、ずいぶんあっさりしてんなー。読む方は楽でいいけどよー」

 毒気を抜かれたような赤井さんの言い方に校長先生はにやりと笑った。

「何を言っておる。皆、もう高校生なのじゃから、細かい計画など自分たちで立てろ。わしら教師は手伝うだけじゃ」

 なるほど。さすが、「我が校のモットーは、『自由』!」が口癖の校長先生らしい。

 赤井さんは校長先生の表情が移ったみたいににやりと笑った。

「そっかー。じゃああたしが決めていいんだな」

「赤井さん。そこはせめて「あたしたち」で」

 俺の小声での突っ込みなんて無視して、赤井さんは楽しげに書類を見直している。

「ん? これ、六日目がなくねーか?」

 赤井さんの言葉に、俺はまた後ろから覗き込んだ。本当だ。五日目の次が最後の七日目になっている。

「ああ……それか」

 楽しげな赤井さんを楽しげに見ていた校長先生が、急に表情を変えた。

「その日だけは、スケジュールをわしらに預けてくれんか。いや、もしかしたらわし一人に、かもしれんが」

「えー。なんだよ」

 赤井さんは不満げだったが、俺はそれよりも、校長先生の顔が気になった。今までに見たことがない表情だ。何と言うか、遠くを見つめるような……

「失礼します!」

「失礼します!」

 かかかん、と荒々しいノックとともに二人の生徒が入って来た。どちらも女子で、ロングヘアーで眼鏡と、思い切りのいいショート……あ、この二人は。

「げ」

 赤井さんが飛び退く。

「やっぱりここだった。さあ、行きますよ、会長!」

「やべー!」

 赤井さんは逃げようとしたが、眼鏡さんの的確な指示で回り込んだショートさんに捕まってしまった。

「くそー、離せー! あたしは仕事してたんだぞ! なあ、和美ちゃん?」

 赤井さんは助けを求めたが、校長先生はつれなかった。

「まあ、それはまだ別に正規でも、急ぎの仕事でもないからの」

「こっちにはすぐ決済しなきゃいけないことがたくさんあるんですよ、会長!」

 眼鏡……おそらく風紀委員長にして生徒会役員の橘吹雪さんが眉を釣り上げる。

「くそー!」

 赤井さんが俺の方を見たが、俺は肩をすくめた。

「赤井さん、自分で思ってたよりヒマじゃあなかったみたいだね」

「そっす」

 赤井さんをしっかり押さえたまま、ショート……確か風紀副委員長にして同じく生徒会役員の藤沢夏海さんが言う。

「ちきしょー! この世に正義はないのかー!!」

「今の会長の口から出るには、最も相応しくない言葉です。さ、行きますよ!」

 まだわめきながら、赤井さんは連行されて行った。

「はっはっは。まあ、あんなやつだが、仲良くやってくれ」

「はあ」

 校長先生はすっかりいつも通りの調子になっていた。

 

 そんなわけで、俺たちの学年は忙しくなった。まず、クラスごとに大まかなスケジュールを作って、その後班ごとに細かい行動計画を立てる。それを基にしてクラスでスケジュールを調整する。それが全クラス分出来たら、生徒会にある修学旅行実行委員会が全体を調整して……という感じだ。

「自由というのもなかなか面倒なものよね」

 とは同じ班の水無月さんの意見。

「でも、生徒に全部決めさせてくれるのは信頼されているって言うことだよな」

 これも同じ班の、純の意見。

「何でもいいから早く決めちゃおうよ。ほら」

 ばさっとガイドブックを机に置くのは、これまた同じ班の匠。相変わらず用意周到だけど、どこか投げやりな感じだ。

 色々相談しながら、どうにか計画は出来た。

「こんなところかな」

 俺が言うと、班のみんなはうなずいた。

「じゃあ、提出はお願いね。私、茶道部の買出しがあるから」

 水無月さんは立ち去った。

「済まんな。今日、家の手伝いをしなくちゃ行けないんだ。後は頼んだ」

 純も立ち去った。他のメンバーもそれぞれに用事があるようで、後には俺と匠が残された。

「じゃあな。提出よろしく」

 匠が言う。やっぱりこの展開か。

「おい、匠」

「何だよ。俺も忙しいんだよ」

 俺は口の端だけ上げた。

「提出はしといてもいいけど。何かお前、やる気なくないか?」

 俺が言うと、匠は同じように口の端だけ上げた。こういう皮肉な表情をやらせると、匠にはかなわない。

「まあね」

「お前、こういうのの計画立てるのとか好きそうだと思ったんだけど」

 匠ははっきりと苦笑いした。

「分かってないな。自由に決めていいって言ったって、所詮はクラス単位、班単位だし、大まかには行くところも決まってるじゃないか」

「まあ、それはそうだけど」

 匠はぐっと顔を近づけて、声を潜めた。

「本当に勝負するところは、ここじゃなくて、『自由行動』の日だろ」

 自由行動……ああ、四日目と五日目にある、班もクラスも関係ない、本当に自由に見学していい時間か。

「自由行動は確かに楽しそうだけど、勝負って何の話だ。ハブとでも戦うのか」

 匠はぷっと噴き出した。

「いつからマングースになったんだよ。そうじゃなくて、好きな女の子と行動できるだろ。勝負のときだよ」

「な、なるほど」

 さすがだ。ぶれないな、匠は。

「お前も誰と行動するか、どこに行くか決めとかないと、寂しいことになるよ。じゃあな」

 言いたいことを言って、匠は教室を出て行った。うーむ。そうか。俺は計画書を持って立ち上がった。

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2.

 それから二ヶ月。あっと言う間に修学旅行本番になってしまった。高校生活のハイライトの一つ。なんだけど。

 俺はあの日、計画書を提出しに行っただけだったのに、なぜか、スケジュール管理役みたいになって、

「ああっと、そろそろ行かないと集合時間に間に合わないよ」

 なんてばかりやっていた。ううむ、せっかくの修学旅行なのに。

 そんなわけで三日目が終わった段階でかなりへとへとだった。まあ、泳いだりもしたからだけど。

 明日は四日目……あ、自由行動のある日か……って、あ! 誰とも約束してない。これに振り回されてたからなあ。俺は計画書をぎゅっと握り締めた。くしゃ。

「なにしてるの?」

「わ」

 別にくしゃくしゃにしても読めさえすればいい。誰に迷惑をかけるわけでもない。でも、急に声をかけられた俺は慌てて計画書を広げた。

「あ、いや、これは……って、光じゃないか」

「やっほー。あ、それって、君の班の行動計画?」

 光はにこにこと笑う。別に恥ずかしいものでもないんだけど、俺は何となく見えにくい位置に持ち直した。

「ん、そうだけど」

 光はなぜか、面白そうに一歩踏み出した。

「もしかして、君さあ、班のスケジュールを管理してたりする? 『そろそろ行かないと、集合時間に間に合わないよー』なんてやってる?」

 えっ。

「光、なんで分かるんだ?」

「えへへ」

 光は後ろに回してた手を前に出してきた。その手に握られているのは、計画書。

「これ、私たちの班の行動計画なんだ」

「うん……あ」

 もしや。

「光も、仕切り役みたいになってるのか?」

「正解!」

 光は人差し指を立てる。俺はうなずいた。

「別にちゃんと決められたんじゃなくて、なんとなく?」

「正解!」

 光の頬がぴくぴくしてる。俺はわざと生真面目な表情で続けた。

「で、こんなホテル内でも意味なく計画書を持って歩いてしまう?」

「せいかーい!」

 堪えきれず、光は笑った。

「アハハハ! 同じ同じ! すごいねー」

「すごいかどうかはともかく、お互い大変だな」

「うんうん」

 何だか急に気分が楽になった。

「さすがは光だな」

「え? なにか言った?」

 わ、独り言に反応された。俺は慌てて計画書を振った。

「い、いや、何でもない」

「ふーん。あ、そうそう、肝心のことを忘れるところだった」

 光は計画書をまた後ろに回して、俺の目を見上げて言った。

「明日の自由行動、誰と回るか、もう決めた?」

「え、まだだけど」

 それが問題だ。

「じゃあさ、私と一緒に回ろうよ! いいでしょ」

「え」

 あ、そうか。こんな近くにいたよ。

「もちろん」

 俺も、計画書を後ろに回して答えた。

「やったー! じゃあ、明日、ロビー集合ね」

 光はぴょんと跳びはね、スキップするみたいに去って行った。

 よし、明日も気合だ。

 

「すごいすごい! 本当に星の形してるー!!」

 星砂の浜にやってきた途端、光は、ぴょんぴょんと飛び跳ねた。

「確かにすごいな」

「もっと近くで見ようよ! ほら、早くー!」

 光はたかたかと走って行く。うわ。

「光ー、待ってくれー。陸上部の全力疾走は、反則だぞー」

「アハハハ、待たないよー」

 自由行動が始まってからというもの、光はずっとこの調子だ。予想はしてたけど、お付き合いする方は大変だ。

「やれやれ」

 しばらくして、ようやく光の余分な体力とテンションが発散された頃、俺はしみじみとつぶやいた。

「あー。やれやれってどういうこと?」

 ジュース片手に光が笑う。

「何て言うか。超音速で走る犬の散歩をしてるみたいだった」

「ひどーい!」

 ジュースの缶の端で俺の額を軽くこん、と叩く。

「いやー。光と同じクラスで同じ班だったら大変だったろうなあ。ちょっと光の班の人たちに同情するよ」

「もう……」

 光は苦笑いしてジュースを一口飲んだ。ちょっと考えるような素振りをして言う。

「そうだね。君が同じ班だったら、大変だったかもね。でも、実際の私の班の人たちはそんな大変じゃなかったと思うよ?」

 何だか変な言い回しだな。とりあえず俺は返した。

「そうかあ?」

「うん。だってほら、スケジュール係になっちゃうくらいだもん」

 ああ、そうだったっけ。ん? ということは。

「俺と同じ班だったら、俺にスケジュール係を任せるつもりだったのか? だから大変なのか?」

 光はぷっと噴き出した。

「違うよ」

「じゃあ、何だよ」

 光は勢いよく立ち上がった。

「ないしょ。さあ、もう休憩終わり! 次のところへ行こう!」

 ええっ、もうか?

 

 その日は、光の、

「明日も一緒に回ろうね! 約束だよ!」

 の言葉とともに終わった。そして約束通り、今日。

「さあ、早く行こう!」

 昨日にも増して元気な光に連れられて、島中を走り回った。今いるところが石垣島で良かった。沖縄本島だったら広くて大変なことになる。

「はぁ……」

 今、光が見て溜息をついているのは、この島が世界に誇る珊瑚礁だ。なんて俺も解説してる場合じゃない。

「すごいな…」

「うん……とってもきれい」

 船の上から見るだけでこんな、リアル竜宮城みたいな景色なんだからなあ……

「潜って見たら、きっともっとすごいんだろうな」

 俺がつぶやくと、光は激しくうなずいた。

「うん! 私もそう思ってた。ダイビングしてみたくなっちゃった。ライセンス取ろうかなあ」

 すぐにそこまで話が行ってしまうのがいかにも光っぽい。

「じゃ、俺も取るか」

 乗ってみると、光はまた激しくうなずいた。

「うんうん! 二人でダイバーになって、またここに来て、一緒に潜ろう! 約束だよ!!」

「早っ」

 俺たちは笑い合った。光が一瞬早く、笑うのを止めた。

「ねえ」

「ん?」

 目は珊瑚礁を見たまま、光が囁くように言う。

「きっと、この眺めを今日、君と見るために、私は中学のときに熱を出したんだよね」

 俺はくすぐったさを感じたけど、平気を装って答えた。

「そうかもな。気の利いたウイルスだ」

「アハハ……」

 遊覧船を降りたら、もう自由時間は終わりに近づいていた。疲れたけど、ちょっと残念でもあるな……

「明日って……」

 俺が何気なく呟くと、光もちょっと寂しそうに言った。

「うん。自由行動はなかったよね、確か。ちょっと残念」

 俺は旅のしおりを出して確認をした。明日は六日目。あ、そうだ。あの、赤井さんと校長室に行ったとき、校長先生が『わしらに預けてくれんか』とかって言ってた日だったよな……あれ?

「どうしたの?」

 怪訝さが顔に出たのか、光が尋ねてくる。

「あ、いや、明日のところなんだけど、確かに自由行動はないんだけど、クラスや班にこだわらずに見学していいみたいなんだ。最後の点呼のときにクラスで集まってれば」

 光の顔が見る見るうちに晴天になる。

「そうなんだ! じゃあ、明日も一緒に見学しよう!」

「うん……もちろん」

 俺はしおりの他の部分を読まなかった。光の高いテンションを下げてしまうかもしれなかったからだ。

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3.

 そこは洞窟だった。最初に入ったときはつい、RPGのダンジョンを思い出したくらいだった。でも一歩進むごとに、そんな気持ちは失せていく。

 修学旅行六日目、最初に来たのは海軍司令部跡だった。沖縄戦の壮絶さを今に伝える場所だ。

 沈黙する俺の隣で、やはり一言も口を利かないのは、約束通り一緒に見学している光。当たり前だけど、いつものテンションのかけらも見えない。

 懸命に掘っただろうツルハシの跡。まるで大きな墓、いや棺桶に見える。そして、手榴弾の弾痕。

「……」

 光が目を見開いたまま、微かに首を横に振った。

 六日目の行く先は決まっていた。学習資料というか、そんな感じのプリントもあった。しかし、そのプリントにはこう書いてあった。

『この資料は事前に読んでおきましょう。実際に見学する際には見てはいけません。皆さんが見るべきなのは、「そこにあるもの」です』

『行き先も、日程も決まっています。しかし、そこにあるものをどう見て、何を感じるかは決めるようなことではありません。この資料によって皆さんがどう見るか決められてしまっては意味がありません』

 あの、赤井さんと校長先生のやりとりからして、この文章を書いたのはきっと、校長先生だろう。

 俺は光に倣うように首を横に振った。今やるべきなのは、「そこにあるもの」を見ることだ。

 続いてやってきたのは、ひめゆり平和祈念資料館だった。塔に黙祷を捧げて、中に入る。

「……!」

 犠牲になった女学生たちの写真が展示されているところに来たとき、光が息を呑んだ。そうだ。この人たちは、いや、この子たちは俺たちと変わらない生徒たちだったんだ。

 光は、一人一人とじっと視線を合わせる。「行こう」とは言い出せなかった。

 それから、記録映像のコーナーに行った……いや待てよ。記録映像を見たのは写真が並んでいたところより前だったような気もする。それで、生存者の人の証言が……

 記憶の順番がおかしくなっている。これは俺がぼんやりしていたからじゃないはずだ。

 見たもの、聞いたもの。全てがまるで殴りつけてくるみたいで、俺はきれいに記憶を整理できなかったんだ。

 もう殴られたくないとも思った。でも、逃げはしなかった。

 隣に、光がいたからだ。

 光はきゅっと唇を締め、何一つ見逃さないように目を真摯に見開いていた。俺は見えないくらい小さくうなずいて、もう一度、「そこにあるもの」に向かった。

 資料館を出た後に向かったのは、摩文仁の丘の平和の礎だった。

 礎には、沖縄戦の犠牲になった人たちの名前が、国籍を問わず刻まれていた。資料館を見た後だと、刻まれた名前の後ろに、生きていた人たちがいたことを感じる。

 それを感じると、自然に頭を垂れていた。全く同じように、光もそっと祈りを捧げていた。

 摩文仁の丘から見下ろす海は、とても青かった。

「きれい」

 ずっと黙っていた光が、ぽそっと口を開いてそう言った。

「なんて、きれいなんだろ……」

 この美しいところで、かつて起こったこと。

「ああ……きれいだな」

 俺はそっと一歩、光に近づいた。

「ねえ」

 光も、そっと一歩、俺に寄った。

「私、間違ってたよ」

 海を見つめたまま、呟くように言う。

「……何を?」

 俺も呟きの音量で言う。光は、少し声を強めて言った。

「珊瑚じゃなかった。これを、君と見るために、私は熱を出したんだよ」

 小さな波が、浜に染み込むように消える。俺はうなずいた。

「光と見られて、良かったよ」

 光は、ゆっくりと俺の方を見た。

「うん」

 今日初めての光の笑顔は、とても穏やかだった。

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4.

 翌日の最終日はお土産を買うのに明け暮れ、そのままひびきのに帰った。

 修学旅行はこれで終わり、じゃない。レポートを提出しないといけなかった。と言っても、感想文みたいなのを出せばいいだけなんだけど。

 というわけなので俺は修学旅行の後の休み明け、放課後の教室で提出用紙を前に腕組みしていた。

「よう。何だ、まだ出してなかったのかよ」

 匠が通りすがりに言ってくる。もう帰る準備万端だ。

「うん、まあ」

「そんなの、お決まりのパターンでさっさと書いちゃえばいいんだよ」

 さすが、要領がいい。でも、俺はそうはいかない。

「そう言うけどさ。あの、戦争関連のはさ。さっさとは書けないだろ」

 匠も珍しく、重たい表情になった。

「……あれは、確かにね。でも、よく読んでみろよ、その用紙」

「え?」

 俺は用紙の注意書きを読み直した。

 ・九月三十日までに提出すること。

 ・最低、用紙の三分の二以上は書くこと。

 ・班で計画して見学した場所のことを書くこと。

「あっ」

 最後の一行を読んで声を上げた俺を、匠は哀れみの目で見る。

「まあ、せいぜい頑張れよ」

「……はい」

 匠は行ってしまった。俺は盛大に溜息をつく。なんだ。六日目のは書かなくても良かったんだ。でも、どうしてなんだろう。

 とりあえず俺は匠の言った通りにお決まりのパターンでさっさと書いて、レポートを職員室に提出した。これで本当に修学旅行は終わりだ。

 ほっとしたら何だかトイレに行きたくなった。一番近くのトイレに入って用を足していると、隣に何だか大きな気配を感じた。

「あ、こ、校長先生」

「おお」

 あんまりトイレで先生、とくに校長先生と一緒になることなんてないけど、ここは職員室の近くだから、こんなこともあるか。緊張するし、さっさと出よう……

 いや、待て。

「……こ、校長先生」

「うむ、どうした」

 悠然と手を洗う校長先生に、俺はなぜか直立不動の体勢で尋ねた。

「ど、どうして修学旅行のレポートは、六日目のを書かなくても良かったんですか?」

 あれほど拘っていたのに。

「おお、そうか。あのときほむらと一緒にいた……」

 校長先生はふ、と笑みを漏らし、手を拭きながら言った。

「レポートにせよ、と言ったらそのために見ることなってしまうじゃろう。それでは納得できんのだ」

「納得……?」

 校長先生は、あの日と同じように遠くを見た。

「学友が三人、沖縄で戦死した。皆、愉快な奴らじゃったよ」

 俺は何も言えなかった。

「ところで、ほむらとは回ってやらんかったようじゃな」

「へ」

 不意を突かれて、俺は先生に対してやってはいけないような返事をした。

「ははは、構わん構わん。それこそお主の自由だからな」

 ばん、と俺の背中を叩き、校長先生はトイレを出て行った。

 ……そうか。もしかしたら、校長先生は、六日目を「誰と回るか」も俺たちに考えさせたのかもしれないな。

 トイレを出ると、俺は教室の方へ戻った。カバンは持ってきたから、別に戻る必要はなかったんだけど、予感がした。

「あ。やっほー! 一緒に帰ろうよ!」

 待っていたようなタイミングで現れる、光。俺はちょっとおかしくなって笑いながら言った。

「ああ、いいよ」

「あー。なにがおかしいの? もう」

 心なしか、また少し距離が近くなったような気がした。

 

説明
光ちゃん誕生日おめでとう。
でも話は修学旅行ネタです(笑)。
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