SPSS第2話〜人間界、バッドエンドに染めて〜
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「ウールッフッフー、さーてポップ、教えてもらおうじゃねぇか」

 上機嫌に横回転しながらウルフルンが椅子に座れば、

「ずいぶんとご機嫌でござるな、ウルフルン殿?」

 その対面の椅子に五体自由な状態で座らされていたポップが怪訝な表情で見上げる。

 鬼ヶ島――バッドエンド王国最大の牙城にして三幹部の拠点の一角では、どこか旧交を温めるような異様な雰囲気で尋問が行われていた。

「ああそうさ。いよいよオレたちの宿願が果たせるんだからな」

「なんと? バッドエナジーはもうそんなにたまっているのでござるか……」

 ウルフルンが得意げにうそぶくと、ポップは吃驚したように立ち上がりかけ、冷静に一つ息をつくと姿勢を正した。腕を組んだウルフルンもその様子を見て声のトーンを少し落とし、話を続ける。

「ああ、あと一回集めりゃ復活には十分だろう。だが、先日ウチのジョーカーってのがちょーっと気になる情報を持ってきてよ、おめーに確かめたいんだよ」

「……回りくどいことはやめてほしいでござる。訊きたいこととはなんでござるか?」

「決まってんだろ? ピエーロ様の正体――というより、復活したピエーロ様が封印以前の状態に戻れるのかどうか、ってことだ」

 ウルフルンはマジョリーナとアカオーニがジョーカーを足止めしているであろう遠くにちらりと視線を投げてから、ポップの方へ視線を戻す。

「あいつの情報では俺たちの方法でしか正体ごと戻ることはない……だがお前らメルヘンランド組はそれを知っているという。そこが、気になってな」

 ポップは苦々しげに眉をひそめ、しばらく黙考してから重々しく口を開く。

「その通りでござる――」

 

 

「クールー……」

 三幹部の同時襲撃の翌日、ここ七色が丘中学校の中庭では、星空みゆき、日野あかね、黄瀬やよい、緑川なお、青木れいかの五人とメルヘンランドの妖精キャンディが揃っていつものように昼食をとっていた。ただ、いつもと違ってどこか暗く暗澹とした雰囲気が漂っているのは否めない。

「キャンディ、元気出して。ほら、デコル使おうよデコル。あと一個で全部集まるんでしょ? 今のうちに、昨日のやつ使っちゃおうよー」

 そんな雰囲気を醸し出している張本人、机の上でうつぶせになり長い金色の耳をだらりと投げ出しているキャンディを元気づけるように、みゆきはカバンからデコルデコールを取り出した。その中には、昨日手にしたばかりの、クラッカーの形をしたイベントデコルが新たに収められている。

「電話デコル以外は使っちゃダメクル。お兄ちゃんにそう言われてるクル」

 キャンディの言う兄ポップが昨日の戦闘で敵であるウルフルンに連れ去られたこと。それがこのブルーな感情を醸成しているためか、キャンディはいつも以上にポップの言葉に忠実に従った。

「……なあ、キャンディ? そんなくよくよしても仕方あらへんやん?」

「そうだよ。ほらキャンディ、卵焼き食べる?」

 あかねが慎重に慰めるようにキャンディを抱き上げると、やよいもフォークに刺した卵焼きを差し出す。

「クルー……」

 やよいの母謹製の卵焼きを一飲みしてもうなだれたままのキャンディの様子を見て、なおは深々とため息をついた。軽くこめかみを押さえる動作は駄々っ子を見る母のようにも、責任を感じ自責の念に駆られる母のようにも見える。

「ごめんね、キャンディ。ポップはあたしたちが必ず助けるから」

「本当クル?」

「ええ、約束しますわ」

 れいかは優しく、力強く宣言して微笑んだ。そんな言葉と、

「だからほらキャンディ、元気だしな」

 誰よりも家族を大事にするなおにそう励まされてはキャンディも元気が出ないはずもなく。

「お願いクル! 絶対お兄ちゃんを助けてほしいクル!」

「もちろん! 今度バッドエンド王国の人が来たら、返してもらうよう頼むからね!」

「みゆき、それで返してもらえるはずあらへんやん?」

「えへへ……そうだね」

 あかねのツッコミにみゆきが頬を朱に染めて頭をかくと、ようやく五人と一匹に本当の笑いが戻ったような気がした。

「それにしてもさ、あたし不思議に思うんだよね」

 しばし日常の会話と食事の風景が続き、お昼休みもそろそろ終わりに近づいたころに、なおが表情を曇らせながらふと切り出した。

「どうしたクル?」

「ウルフルンたちのことさ。ポップを連れ去ったのも、人間を不幸にするのも、なんのためって感じじゃない?」

「うーん……、そうだよね。不幸な人たちを見て、嬉しいなんてありえないよね」

「せやな、絶対に許せへん!」

 自分なりに熱くなってやよいとあかねは賛同するが、

「でも、絵本の世界だと悪い人たちってそれを喜んでるんだよね」

「人が楽しみを見出すことというのは人それぞれだと言います。わたくしたちの常識にあてはめて考えることは難しいことではないでしょうか」

 反してみゆきとれいかは持論をもって至極冷静に答えた。

「難しい話クル。キャンディには分からないクル」

「ごめんごめん、ちょっと難しかったね」

 弁当箱を片付けたなおは、キャンディの疑問ごと彼女の問いかけも取り去るように片手をひらひらと顔の前で振った。

 その時ちょうどチャイムが鳴る。気づけば五人のうち唯一お弁当を食べ終えていないみゆきは急いでおかずをかきこむと、立ち上がったなおとれいかを交互に見比べ、

「でも、そのために人を不幸にするのは絶対に許せない……かな?」

「ええ、それはわたくしも同感です」

「もちろん。だから理由なんて関係ないか」

 その表情に曇りは見られず、四人もそれぞれ得心したように立ち上がると教室に戻った。

 

 

「うーん、ないなぁ……」

「ホンマにここにあるんかぁ?」

「本読むの疲れちゃった……」

「でもあるとしたらここだよね」

「根気よく探していくしか、方法はないようですね」

 さてその日の放課後、五人とキャンディはふしぎ図書館にて探し物をしていた。探し物はバッドエンド王国に関する書物――メルヘンランドに伝わる限りのそれ。

 ことの始まりは放課後、やよいが「ポップをバッドエンド王国に直接助けに行こう!」と提案したことだった。いつものヒーロー願望が高じたものだったのだが今回は内容が内容なだけに四人も聞き流すことはせず、れいかの提言によってバッドエンド王国に関する情報を収集することになり、今に至るという状況だ。

 しかし仮にもメルヘンランドからプリキュアを補佐するために派遣されたはずのキャンディがそれについてほとんど無知に近い状態であることからして薄々分かってはいたことだが、ここふしぎ図書館にもバッドエンド王国に関する資料のほとんどがその数々の悪行の羅列に留まったまま結局一時間が経過しようとし、わずかながら倦んだような空気が漂い始める。

「結局、新しく分かったことはピエーロっていう王様が表に出てきたのは、メルヘンランドと決着がつくほんの少し前だった、ってことだけだね……」

 手にした本を落胆と諦観と一緒に本棚に戻しつつ、みゆきは力なくそう呟いた。

 すると、みゆきの近くで本棚に頭を突っ込んでいたあかねが、

「ん? みんな、ちょっと来てみ?」

 赤い表紙の本を広げて手招きをする。

「メルヘンランドに突如訪れた災厄、それに立ち向かう五人の戦士と一匹の妖精……なあ、これってプリキュアのこと言うてへん?」

 あかねが指さした場所には、挿絵こそないもののたしかにそう書かれていた。五人と一匹が求めていた情報ではないにしろ、全員の表情がふっと綻ぶのも致し方ない。

「なになに……? 広がり続ける災厄の侵攻を止めることができなかった戦士らは、……敗戦を繰り返す中で次第に暗黒に飲まれ……、うち二人は、――この辺は消えて見えへんところも多いなぁ。ええと? 力の源である、……デコルを失い? なんやこれ、意味さっぱりやぁ〜」

 頭を抱えたあかね他三名と一匹に代わり、れいかがその本を覗き込みページを繰る。

「……どうやら、これもメルヘンランドとバッドエンド王国の戦いを綴ったもののようですね。ただ不思議なところが一か所だけ――」

 れいかが人差し指を立てると、十の瞳がすいっとそこに引き込まれた。

「この書物の中に、『バッドエンド王国』と『悪の皇帝ピエーロ』という言葉が見当たらないことです。他の書物を見る限りこの二つが欠けることはほぼありませんでした」

『…………だから?』

「いえ……、そうですね。わたくしたち以前のプリキュアに関する言及がされたものはこの書物の他にありませんから、簡単に言えばこの本の信憑性は低いのでは、と」

 少し寂しそうに、そして誰をともなく気遣うようにれいかはそう見解を結ぶ。

 一瞬だけ沈黙が流れて、へたりとやよいが座り込む。それを皮切りに全員から諦めムードが噴出した。みゆきは書架に顎を乗せ上半身を預け、あかねがやよいの隣に腰を据えるとなおもその隣に手足を投げ出して寝ころび、れいかも疲れたように目を閉じて棚に背中を預けた。そんな五人の様子を見れば、さすがのキャンディも急かすことはできずに耳を丸めてしゅんとしている。

『…………』

 えも言われぬ沈黙はどうしようもなく、ただ漫然と時間は過ぎていく。

 その時、キャンディがちょんと首を傾げた。

「……クル?」

「キャンディどうしたの?」

 顎を本棚に乗せているせいか、不自然に頭を上下させながらみゆきが尋ねる。耳をぴんと伸ばしたキャンディは、うろの中の四方の空をかぎ分けるようにキョロキョロとしてから、

「ウルフルンたち……のようななにかが現れたクル! みんな急ぐクル!」

 その緊張と謎に満ちた一言で、倦怠は一息に取り払われた。

 

 

「さて、とだ」

 赤い日の光が空を真横に突き抜け雲には深く陰影が走り、どこまでも澄みきった空気がするりさらさらと風に吹かれて通り過ぎていく。ここは人間界の夏の空、眼下には大きなグラウンドと白く真新しい建物――七色ヶ丘中学校。

 地元中学生の幸福を生み出す最大の施設と言っても過言ではないそんな建物を視界の中心にとらえながら、しかしてウルフルンは銀糸を編んだようなたてがみと尻尾を揺らしつつ落ち着いた口調で傍らを振り返った。

「プリキュアたちがいる学校……、なかなか印象深いオニね」

 筋骨隆々とした朱色の肌を夕焼けの空に映えさせている偉丈夫・アカオーニが手にした金棒をゆっくりと肩に預ければ、

「でももう、こっちに来ることはないだわさ。少し寂しいだわさ」

 杖にまたがった小柄な魔女・マジョリーナは緑色のフードで目元を隠しながら呟く。深いしわが刻まれたその顔には、孫を見る祖母の感傷がありありと見てとれた。

「ああ……。だがオレたちにゃ、初めから縁遠いものだったのさ」

 ウルフルンの目にはうっすらと光るしずくが――そして強い覚悟の色が宿っている。

「始める……、闇の皇帝ピエーロ様の、大いなる復活を!」

 大きく顎を開き、あらんかぎりの大音声を張り上げると、他の二人もそれぞれのいつもの表情を取り戻した。そしてウルフルンが空を噛み、ガチンという牙のぶつかる音を号砲に三人が同時に白い本を空に掲げる。

「世界よ!」

「最悪の結末!」

「バッドエンドに染まれ!」

『白紙の未来を、黒く塗りつぶすのだ!(オニ!)(だわさ!)』

 マジョリーナ、アカオーニ、そしてウルフルンの順に本を開き、そして同時に黒い絵の具を塗りつぶし手の平をページに引っかくように叩きつけた。白紙のページに開かれた爪痕に似る暗黒の扉に、大地から――大地に膝をついた生徒たちから暗黒の霧が舞い上がっては吸い込まれていく。

「人間どもの発したバッドエナジーが!」

「悪の皇帝ピエーロ様を!」

「復活させるのだ!」

 空の色が不穏に移ろう。辺り一面は常夜のように暗く、ただしウルフルンが形成するような青い月光が冴える夜空ではなく絵の具で塗りつぶしたような異様で禍々しい闇。

 突如として、稲光が空に走る。それを端緒としたように突風が吹き荒れると大地は大きく鈍い音を鳴らして揺れ、常識と良識を砕くような天変地異の中で、三幹部はそれを気に留める様子もなくじっと闇の中に目を凝らしていた。

「チッ……、なにしてやがる、あいつらは」

「ポップの妹はまだ赤子同前だから仕方ないオニ」

「しかし頼りないだわさ。少し失敗したかもしれないだわさ」

 マジョリーナの視線がふっ、と別のものに逸れた。

「今さら悔やんでも仕方ねぇさ。オレたちゃポップに任せたんだ」

 ウルフルンが手にした赤い玉にぎりぎりと爪をくいこませながら答えた、その瞬間。

「来たオニ! プリキュアオニ!」

 アカオーニが眼下の一点を指さすと同時に、天からは頭に鳴り響く高らかな笑声が降り注いだ。

 

 

「え……っと、ここは?」

「学校の図書館……?」

「みたいやな」

「ここにウルフルンたちがいるってこと?」

「みなさん、外を!」

 ふしぎ図書館の本棚を通じてウルフルンらに最も近い本棚へと降り立ったみゆきら五人と一匹が現在地を七色ヶ丘中学校であると断じるのは難くなく、れいかはさらにその先、窓の外の異変に気がつくと窓際に走り寄って窓を上げ、空を見上げた。

 四人も駆け寄って見れば、不可視の床を踏みしめるように三つの点が、黒檀の空にまるで星のように色をつけている。

「あいつら、また三人で来たんか!」

「あたしらに負けても懲りないね!」

「行くよ、みんな!」

 狭い窓枠を乗り越えグラウンドに着地したみゆきがそう声をかければ、それに続いた四人もスマイルパクトとキュアデコルを手に取り頷いた。

〈レディ?〉

『プリキュア! スマイルチャージ!』

〈ゴー! ゴー、ゴー、レッツゴー!〉

 パクトにデコルをセットすれば、どこからか聞こえる魔法の言葉。それに応える資格と言葉さえあれば、彼女らに光は届けられる。

「きらきら輝く、未来の光! キュアハッピー!」

「太陽さんさん、熱血パワー! キュアサニー!」

「ぴかぴかぴかりん、じゃんけんポン! キュアピース!」

「勇気りんりん、直球勝負! キュアマーチ!」

「しんしんと降り積もる、清き心! キュアビューティ!」

『五つの光が導く未来! 輝け! スマイルプリキュア!』

 まばゆい光がプリキュアを中心に発せられれば、三幹部もその存在を知る。どこまでも純真な光は闇を裂いて天に届く、少女らのスマイルの力。

 それに応えたのは待ちかねたような三幹部の不思議な表情――加えて、天を割るような高笑い。

「な、なに? なんの声?」

「ウルッフッフッフ、ちっとばかし遅かったぜ、プリキュア!」

「この声は悪の皇帝ピエーロ様のものオニ!」

 嬉々とした様子でアカオーニが語る。その言葉を、彼女らは今日何度も聞いていた。

「ええっ?」

「ほんなら、まさか……」

 だから必然と言えば必然だろう、最悪の予測が脳裏に閃き身構えるプリキュアたちに、マジョリーナがにたりと不気味に微笑んで、

「その通りだわさ。といっても、まだ本当の復活とは言えないけどだわさ」

「そんな……! ピエーロが?」

「復活できるほどにバッドエナジーがたまっていただなんて……」

 その表情は見る間に曇り、不安の色を呈すとビューティは一歩後ずさりをしてしまった。つられてピースが、マーチがサニーが、そしてハッピーへとその弱気は伝染する。

 だがその時、ハッピーが視界の端に捉えたのは、物陰に隠れながらもキッとウルフルンを見据えているキャンディの小さな体。ピエーロの恐怖を一番よく知るはずのキャンディの勇気は、ハッピーに一歩を踏み出させるのに十分だった。

「……みんな」

 一歩を前に、そしてもう一歩足を踏み出し直し、ハッピーは小さく告げる。

「行くよ!」

 ハッピーが大きく跳躍する。そのまま繰り出した拳はマジョリーナの杖に阻まれ、横からアカオーニの金棒に殴られハッピーは校舎の壁に激突した。

「フン、やはりお前らではこの程度の恐怖にも勝てないってことだ。だが、今日のオレは手加減するつもりはねぇぜ」

 ハッピーを憐れむように一瞥してから、ウルフルンは四人に向けてそう吐き捨てると赤い玉を高く掲げる。そこから走った赤いスポットライトは、彼女らの背後の巨大な校舎を照らした。

「さあ来い! アカンベェ!」

「アカンべー!」

 そうして召喚された赤い鼻のアカンベェは、いつもの巨大な目と鼻に加えて白面に青黒い十字の模様の入った化粧と赤と黄色のチェック柄のニット帽といった、どことなく道化師(ピエロ)を思わせる意匠を凝らされた異形のアカンベェ。

 だが、アカンベェが現れてなお、真っ先に動きを見せたのはハッピーだった。支えにしていた校舎がアカンベェに変わってしまったということもあるが、ハッピーはゆっくりと立ち上がると全身を貫く痛みをこらえながら臨戦態勢をとった。

「ハッピー……」

「みんな、なにしてるの……?」

 続いていたピエーロの笑い声がここにきて鳴りやむ。そのためか、消え入るようだったハッピーの声音が尋常でないくらいに張りつめているのが分かり、四人は息を飲んだ。

「ピエーロ復活がどうしたの……? 相手は、ポップの居場所を、知ってるんだよ?」

 少しずつ切って、息を整えながら紡がれた言葉に四人とキャンディははっとする。そして、まっすぐ空を射ていたハッピーの瞳が一瞬だけ色を失った。

「大丈夫?」

 距離こそあれど、マーチの迷いのない俊足は気を失いかけたハッピーを支え得る。

「マーチ……」

「ウチもおるで!」

「アカンベー!」

 マーチに支えられて立ったハッピーに、アカンベェの拳がゴッという擬音が聞こえるような速度で迫る。それを受け止めたのは、元気が取り柄のサニーの両腕。

「私だって!」

「臆してなどいません!」

 サニーの体は徐々に後ろに押し込まれていくも、アカンベェの胴体にピースとビューティが強烈な蹴りを放てばアカンベェの体は小さく傾ぎ、その隙に五人はグラウンドの中央に陣取った。

「みんな……、信じてたよ」

「無茶しすぎや、まったく」

「ごめんね、ハッピー」

「でも、おかげで目が覚めたよ」

「ええ、姿の見えぬ敵に怯んでいても意味はありません」

 ビューティの言葉に一様に頷き、五人はしっかと空の点を捉える。

「狼さん! ポップを返しなさい!」

「フン、それでこそオレたちの――」

 ウルフルンは一瞬、ほんの一瞬だけ逡巡とも取れるように言葉を切ると、

「敵だぜ、プリキュア!」

 戦いの火蓋が切って落とされた。されど三幹部は動かぬまま、プリキュアの背後に迫っていたアカンベェが右の拳を振り上げる。

「アカン、ベー!」

 次の刹那には地が揺れ土煙はもうもうと舞い、だがその拳の前に人影はない。

「赤い鼻のアカンベェってことは!」

「こいつが最後の!」

「デコル持ち!」

 ハッピー、サニー、ピースが後頭部を一斉に攻撃する。だがしかし、校舎全体を取り込んだ巨大なアカンベェにはほとんどダメージが通っていないばかりか、

「待って、三人とも!」

 アカンベェの反撃を回避し三方からの追撃を加えようとしていた三人に、足下に走り込んでいたマーチから制止の声が飛ぶ。三人が怪訝な顔で振り向けば、その疑念にはビューティが答えた。

「みなさん窓を! アカンベェの中を見てください!」

『中?』

 見ればその胴体についたままになっている窓からは、あろうことか生徒がアカンベェの挙動に合わせて教室内を振り回されている光景が確認された。

「そんな! 中に人が?」

「しかも今回はプリキュアちゃう!」

「どうすれば……」

いつかの通天閣を取り込んだアカンベェの時と違い、今回は人質とも言うべき生身の生徒らが中に取り残されている。

 距離を詰めていたマーチもビューティも結局はそれが原因で攻めあぐねており、下手に刺激しないようにじりじりと距離を離していく。

「人質なんて筋が通ってない……、許さない!」

「マーチ、落ち着いて。わたくしたちが必ず助けましょう、だから慎重に」

 いきり立つマーチこそその言葉で落ち着いたようにも見えたが、アカンベェは逆に増長したように口元を歪めて咆哮すると、最も近い位置にいたピースを標的に拳を振り回した。

「えっ……」

 わずかな悲鳴だけを残して、ピースの小柄な体は地平線を遠く、校門近くの塀に叩きつけられる。

「ピース! って、なんやとっ?」

「サニー! きゃあっ!」

 今度はサニーとマーチの足を掴み、アカンベェは左右にそれぞれ投げ飛ばした。ピースの方に気を取られていた以上に、やはり人質の存在が動きも決断も鈍らせている。

「ハッピー、来ます!」

「そ、そんなこと言ったって!」

 ハッピーが腕を交差させてパンチを受け止めるが、今回のアカンベェの膂力は普段のそれよりも強く、第二撃を防御に入ったビューティもろともハッピーは弾き飛ばされた。

「くっ……、強いっ!」

「いたた、なんやあいつ!」

「いつもより強い……」

「それに加えてうかつに手が出せないなんて!」

「少々厳しいですね……」

 グラウンドの中央に佇立し、四方に散ったプリキュアを睨めつけるアカンベェは、少なくとも腕力だけは悪の皇帝ピエーロ復活の報が誤りではないことを証明する強さを誇っていた。

「けど、なんとかしなきゃ……」

 拳を握りハッピーが立ち上がれば、その隣でビューティもハッピーと互いを支えるようにして立ち、まっすぐにアカンベェを見据えた。そして小さく口を開く。

「あの窓、割ってみましょう。割れるかどうかは分かりませんが」

「うん、オッケー!」

 ハッピーが力強く首を縦に振ると、ビューティは地面に手をつき力を込めた。

『せーのっ!』

 大地に氷が道を造り、アカンベェの足下へと一瞬で到達する。それが左足まで届き、アカンベェの注意が足下に逸れたのを確認して、ハッピーは上空から背中の窓めがけて回転しつつ蹴りを放つ。

 だが、たしかに死角から攻撃したはずなのに、にゅっと横から伸びてきたアカンベェの腕がハッピーを鷲掴みにする。

「くぅ……っ」

「大丈夫ですか?」

 ビューティは氷の結晶を一時中断するとハッピーの救助へ向かう。だがこれを防いだのは、またしてもアカンベェのさっきまで氷に覆われていたはずの左足だった。すなわち、氷の力のプリキュアの氷が一瞬で砕かれたことを意味する。

「わたくしの氷でも、足止めにはなりませんか……」

 逆にアカンベェの足を蹴り返すことでなんとか衝撃を和らげたビューティが口惜しげに歯噛みしていると、不意に後ろから彼女を支える風と、遅れて手が現れた。その手の主は風のプリキュア、キュアマーチ。

「ビューティ、大丈夫?」

「ありがとうマーチ。でも、わたくしよりも――」

 ビューティはマーチに抱えられてゆっくりと高度を落とす中でハッピーの方へ視線を向ける。

「そっちも大丈夫」

 マーチの言葉と着地と、ほぼ同時にその視界に入ったのは、ハッピーを拘束するアカンベェの右腕にサニーとピースが上下から挟撃を行った姿。さしもの強化アカンベェもその力を緩めると、すかさず二人がハッピーを助け出し、五人は再び集まってアカンベェと対峙した。

「それで、窓から入ろうとしてたんやろ?」

 サニーが妙に張り切った声でハッピーとビューティに確認する。

「うん。けど上手くいかなかった」

「わたくしが足止めを、と思いましたが、作戦を変えなくてはならないようです」

「んなことあらへんで!」

「二人じゃできなくても……!」

「五人ならできないことはないよね、ハッピー! ビューティ!」

 三人の強い語調に勇気づけられたのか、諦観の念が滲んでいたハッピーとビューティの表情にも再び闘志がみなぎった。

 まず駆け出したのはマーチ、迎撃の拳を軽く受け流しながら距離を詰めると、アカンベェの目前で高く跳躍した。

「アカン? ベー!」

「今だ、ビューティ!」

 アカンベェの猛烈な左右の拳打を空中で風の噴射による姿勢制御によってなんとか受け止めつつマーチが叫ぶと、承知したビューティに少し遅れてサニーとピースも大地を蹴り出す。

「今度こそ、参ります!」

 凛とした声音が、腰のスマイルパクトに共鳴した。

 現れた光を右手に掲げ、左手で三本の氷柱を描く。その氷柱が氷の結晶の形を取れば、右手の光がより一層輝きを増した。

「プリキュア! ビューティ・ブリザード!」

 ビューティの全身全霊をかけた吹雪は、本来ならばアカンベェを一撃で始末し得る威力をもって強化アカンベェの下半身の活動を停止させた。

「アカッ?」

「今や、ピース!」

「うん! ハッピー、マーチ、お願いね!」

 サニーとピースがちらと視線を送った先から既に、ハッピーは静かにアカンベェの死角に侵入していた。二人は安心したように口元を緩めると、次の瞬間にはギリッと奥歯を噛み締めスマイルパクトに気合を込める。

 深紅の炎と万雷の煌きが同時に世界を包む。サニーのスマイルパクトが爆炎と変われば、ピースのスマイルパクトからは稲光が走った。その小さな太陽をサニーが打ち出し、ピースは両手の先から雷撃を放つ。

「プリキュア! サニー・ファイヤー!」

「プリキュア! ピース・サンダー!」

 二種のプラズマが一つの光弾となり、相乗効果がさらなる加速と破壊力をもたらしながら、それはアカンベェの顔面に直撃した。飛躍的に上昇した威力にも怯まないアカンベェだったが、その視界は空と同じくらいに黒い煙に覆われる。

「みんなありがと!」

「あとは私とマーチに任せて!」

 その隙をつき、迅速な動きを得意とするマーチと足止めに向く属性ではないハッピーが、さきほどと同じ背後の窓へと突貫を試みる。

『はああああああっ!』

 ハッピーの拳では窓は砕けない、だがマーチの蹴りが加わり、ガラスのようななにかとなった窓は亀裂を生じると粉々になって散らばった。

 

 アカンベェはピエーロの復活によって肉体面は大きく成長したらしいが知能面に大きな改善は見られず、足元の氷を破壊しようとしても目の前で爆ぜる炎や雷に注意を引かれて結局大きく動きを見せることと同時にハッピーとマーチの妨げとなることは叶わなかった。また、放課後しばらく時間が立っていたこともあってか校舎内には思ったほど生徒が残っていなかったことから、二人による救助作戦は数えること約二分で中から最後の生徒らを助け出した二人が飛び出したところで完遂となった。

 だが、迅速にも見えたその作戦が成功した直後、足止め役を買って出ていたサニー、ピース、そしてビューティの三人に限界が訪れ、アカンベェは再び自由を取り戻す。

「ギリギリ!」

「間に合ったねー」

 だが、既に勝負の趨勢は決まっているように見えた。それほどまでにハッピーとマーチの表情は前向きで、人質を取ったことに対する怒りと、それによって動きが制限されたことへの鬱屈。それらを留めていたタガが外れた二人の瞳は凛然と、強化アカンベェがたじろぐほどに強い光を宿していた。

「すまん、ウチら限界や……」

「やっちゃえ、二人ともー!」

 大きく肩で息するサニーとピースの声援を受け、ハッピーとマーチはそれぞれ独自の動作でパクトに力を送る。

「二人とも、全力で!」

「オッケー!」

「行くよ!」

 ハッピーは流れるような動作でハートマークを描き、マーチは己が属性たる風を一点に凝縮する。桃色の光が、緑色の世界が、彼女らの周囲に出現した。

「プリキュア! ハッピー・シャワー!」

「プリキュア! マーチ・シュート!」

 ハッピーが描いた希望に沿って光の奔流がほとばしり、マーチが蹴り出した旋風は颶風をまとって驀進する。そして狙い過たず、アカンベェに正面から激突した。

「アカンベェ……」

 ついに強化アカンベェは力尽き、空はいつも通りの青空に戻り、その赤い鼻の塗装が剥がれると遠い空から一つ、小さな光るものが飛来した。それこそが最後のデコル――黄金の鍵の形をしたその名も鍵デコル。

 それをはっしと受け止めたハッピー始めプリキュアとどこからか現れたキャンディが見据えるのは、いつの間にかグラウンドに降り立っていたウルフルン、アカオーニ、マジョリーナの三幹部。

「ウルッフッフッフ、いい戦いぶりだぜ、プリキュア」

 虎の子のアカンベェ――最後となる赤い鼻のアカンベェを失ってもなお、ウルフルンは独特の笑い方を崩さない。この笑い方をするときは決まって、ウルフルンは余裕に満ちていた。だから、プリキュアは焦る。

「そ、そう? 照れちゃうなぁあはは」

「ハッピー! 照れてる場合ちゃうやろ!」

「フン、そういうところはダメダメオニ」

 普段よりも何倍も偉ぶったアカオーニの態度の裏にあるのは、間違いなく彼らの主ピエーロの復活だろう。そう思うとプリキュアたちは身構え、慎重に言葉を選ぶ。

「赤鬼さんにそんなこと言われる筋合いはないわ!」

「ピースもそこ熱くなるとこちゃうで……」

「それより、ポップの居場所はどこさ!」

「それは私たちの居城だわさ。そう簡単には言えないだわさ」

 ローブが影を落とすマジョリーナの表情はうかがえないが、抑揚が抑えられたそのしゃがれ声はやはり喜色を隠しきれていないとうな印象があった。

「あなた方の居城……、その場所は教えていただけませんか」

 ビューティは荒い息を抑え、丁寧な口調で尋ねる。しかしそれはウルフルンの不興を買ったようで、ウルフルンはフンと鼻を鳴らしアカオーニとマジョリーナに目配せをすると、

「鍵は渡したってのに、それ以上訊くつもりかよ」

「少しは考えるオニ」

「それじゃ、また会う日まで、だわさ」

 そう吐き捨て、三幹部は姿を消した。復調した生徒たちに姿を見られるのを避けるために仕方なく五人は変身を解くと、首を傾げる。

「なんか変だったね、狼さんたち」

「そうやなぁ、たしかにウチらに妙なこと言いよる」

「でもそれって最近ずっと……じゃない?」

 腕を組んで考え込むみゆきとあかね、やよいの三人。中でもみゆきの肩を選んでキャンディは飛び乗り、長い耳でみゆきの手の中をまさぐる。

「ああこれ? はい」

「クルー! これでデコルが全部集まったクル!」

 今回の戦利品たる鍵デコルをデコルデコールにしまい、キャンディは嬉しそうにぴょんぴょんと跳ねる。その愛らしい姿に五人も和み――直後、空気が硬直した。

「そういえばウルフルン、『鍵は渡した』って言ってなかったっけ……?」

「ええ、たしかに。もしかしてこの鍵デコル……」

 れいかが慎重に鍵デコルを手に取り、ゆっくりとスマイルパクトにセットする。

〈レッツゴー! か・ぎ!〉

 変身するときと同じ、あのハイテンションな声がデコルの発動を告げる。同時に五人と一匹の直上に扉が現れた。扉の先はなにも見えず、しいて言うならば闇が見えると言うべき暗闇に続いていた。

「もしかして、この先に……」

 やよいがぽつりと口にする。その扉へとジャンプする五人の動きに、迷いはなかった。

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