日出づる国 氷河期編 |
6万5千年前に始まった氷河期は、人類を世界へと旅立たせた。
アフリカ北部から中東、ヨーロッパ、中央アジアは砂漠となり、ヨーロッパ中北部か
らロシアにかけては氷河、もしくはツンドラ地帯であった。草原・森林地帯は、現在の
5分の1程度しかなかったのである。
一方、海面の水位は現在より120メートル低く、日本の陸地は現在の約2倍、北海
道からカラフト、シベリアは陸続きになっていた。
10万年前に現生人類はアフリカで誕生し、原人を駆逐し、ネアンデルタール人と交
わりつつユーラシア大陸に広がっていった。
そしてこの氷河期に、北アメリカから南アメリカへ、また船の技術を持った者たちは
オーストラリアへ生息地を広げていったのである。
氷河期は1万年前に終了したが、まだ氷河期にあった時代のことである。
生きるためには食べなければならない。
この時代に生きる人々の人生もまた
食べ物を得るためにだけ費やされていたといえる。
己が生きるために
子孫を残すために。
ヌ一族は、東へ向かう動物を追って旅を続けていた。
動物には水が存在する方向を知る能力が備わっている。あるいは嗅覚によるものかも
しれないが。
動物たちは、砂漠となった地帯を抜け出て、草原で繁殖し生活をしていたが、数が増
えてくると食べ物を求めて移動せざるを得ない。
人にも同じことがいえた。
人々は、朝、陽が昇る方角に希望を見ていたのかもしれない。いや、あの太陽を捕ま
えて自分たちの思うがままに大地を照らそう、と考えていたのか。
朝陽なら手が届く、と。
ヌ一族のリーダーは、ヨウという名の女性であった。総勢36人を率いて差配していた。
12歳以上の成人男子は、大型の獲物を追って狩りに行く。ひと月以上も留守になる
ことがあり、キャンプ地では、ヨウがすべてを決定しなければならない。飢えた獣が襲
ってくることもあり、ヨウ達成人女性は怯むことなく果敢に立ち向かっていったのである。
生きていくために、男女の別なく幼少のころより狩りの技術や植物の知識、動物の習性、
生活の技術や道具の製作などをたたき込まれてきた。
男たちが狩りに出ている間は定着して、川が近くにあれば魚をとり、小動物を狩り、
草の根やイモ類を採集し、保存食にするのが残っている者たちの仕事であった。
出産や育児は女性だけにしかできない仕事である。自然、女性たちの意見が重視され
るようになった。また、女性たちは情報収集の能力にもたけていた。言語はさほど発達
していなかったが、他の一族ともスムーズにコミュニケーションが諮れたからである。
ヨウは7人の子供を産んだが、生きているのは3人である。
14歳になるネオは、9人のメンバーのひとりとして狩りに出ていた。
ヨシは年頃の12歳である。7歳のヨカと女の子はふたり。
女性が多い一族は栄える、といわれていた。
ネオたちは、マンモスの群れを見つけていた。
大きな穴を掘って、そこへ追い落とすしか仕留める方法はない。1頭しか仕留められ
ないが、一族が半年暮らせるだけの食料が得られる。
マンモスを落とせる大きな穴を掘った。
凍った地面に魚油をかけて火をつけ、柔らかくなった所を、太い木を縦に割って先を
平たくした道具で掘っていくのである。9人の男で1日がかりの仕事である。マンモス
の群れが移動してしまって水の泡となることもあったが、今回はうまくいきそうだ。
夜になった。
灯した木の火を隠すようにして持ち、穴の周囲に2人が立ち、7人はふた手に分かれて、
狙いをつけたマンモスを後ろから追い立てられるように、扇型の陣容をとれる位置に立
った。
左手で火を高々と掲げ、右手には石ナイフを取り付けた木を握りしめて一斉に声を上
げた。
突然の音と火におびえ、群れは逃げ惑う。そんなマンモスにぶつかれば命はない。
自分に危害はないと分かったマンモスは再び大地に足を折り曲げた。
狙いを付けたマンモスは火におびえ声に追い立てられて、大きな牙を天に向け地に向
けして逃げ惑う。太い鼻を振り回し薙ぎ払ってくることもあった。十分な距離をとりつつ、
火を有効に動かして追う。
まんまと穴の所に導かれて、ドサーッという音と共に穴にはまりこんだ。そこへすか
さず槍を突き立てた。 何回も何回も突き立てた。
鼻をしだき牙をむけ、体をひねりしながら抵抗するのだが、身動きできない穴の中で
疲れ果て、100回近くも突き刺された末に息絶えた。
肺の中の空気が抜けていく時に発する「パオーーン」という高らかな叫びを残して。
豊富な言語表現を持たない彼らは肩で息をつきながらも全身で喜びを表現し、しばら
くは踊り狂った。明るくなれば解体して、いよいよ家族の待つキャンプ地へ戻れる。
足の速いネオはいつも追い立て役である。仲間のマンモスを穴のある方向とは反対側
へ追いやり、狙った獲物を穴に向かって追い落とすには左に右に、俊敏に動きまわらね
ばならない。
いくつもの族からは婿として望まれていた。
同じ一族の中に年頃の男女が複数存在しても、彼らは血縁関係にある。恋情が育つこ
とはない。野生に近い彼らの本能は近縁を避け、性ホルモンは忌避しあう。
腕の立つ狩人は離したくないが、血脈を多く残すことも大切な営みである。
一方、ヨシには複数の族から婿候補が現れた。この場合、ヨシの気持ちが尊重される
のだが、たいていは候補者の狩りの力が試されることになる。
4人の候補者は、朔の日から満月の間にひとりで猟をし、その成果によって選ばれる。
大きい獲物や数が多い、ということではない。15日間をひとりで旅し、期限を守っ
て帰って来るということに意義がある。生活能力、方向感覚、獣と渡り合う勇気などが
試されるわけだ。クマやマンモス、トラ、オオカミなどと出くわすことが多い。
最終的には、ヨシが選択することになるのだが。
キツネ3匹とウサギ4匹を持ち帰ったイ族のムオが選ばれた。それらをヨシは受け入れ、
ムオは今後ヌ族として旅を共にすることとなる。
まもなく訪れる寒さにキツネやウサギの毛皮は女性たちの羨望の的であり、その女ご
ころをうまくついたことがムオに勝利をもたらした。が、やはりキツネやウサギの習性
をよく知った上でわなを仕掛け、違えずに帰って来る星座の知識も必要とされる。
時には、帰って来ることのできない者もいた。
マンモスの皮はテントや衣類・水汲み用容器となり、牙は武器や刃物に加工する。
肉や内臓などすべての部位は保存食とする。
血は直ちにすすり、特に肝臓は功労者から順に切り取って、生のまま食すのである。
マンモスに限らず、狩り獲ったすべての獲物は同様に処置された。
皮をはぎ、牙を切り落とし、細断した肉片は皮で包んで、担いだり引きずって仲間の
待つキャンプ地へと戻った。
婿として望まれたネオは何も持参する必要はなく、自身が所持する武器とマンモスの
牙をもってノン族に加わった。
代わりにムオが加わったヌ族は、再び朝陽が昇る方位を目指して旅を再開した。
イ族とノン族も数日遅れて、東を目指して出立した。
10年が過ぎた。
ヨシがヨウに代わってヌ族を率いていた。ヨシを慕って加わった遠縁の者を含めて総
勢71人にもなっていた。ヨシとムオとの間に子供は5人。
彼らの旅路に、仲間から外れて怪我をしたオオカミが加わった。
つかず離れず付いてくるオオカミは、腹に子を宿しているらしい。人間の近くにいる
ことで食べ物にありつけることができることを知ったようだ。
まもなくオオカミはヌ族が定着している近くの岩陰で、3匹の子供を産んだ。
9歳となったヨシの息子ムキが、食べ物をもって母オオカミのそばへ行った。威嚇し
て寄せ付けなかった母オオカミは、よほどお腹を空かせていたのだろう、ムキが差し出
した肉の塊を、くわえ取って飲み込んだ。それ以降徐々に威嚇することがなくなり、触
れられても抵抗しなくなっていった。
だが、母オオカミは衰弱が激しかったのか、息絶えた。
その少し前、母オオカミは澄んだ目をムキに向け、ムキに何かを語りかけているかのよ
うに見つめていた。
ムキは、生後2カ月となる3匹の子オオカミをテントに連れ帰った。
妹の8歳になるヨシカと6歳のヨンと、ムキが1匹ずつ世話をすることになった。い
ずれも『イヌ』と名付けた。
イヌたちは人の簡単な言葉と、そしてお互い、ボディランゲージで意思を伝え合うこ
とを学んだ。イヌの優れた嗅覚と聴覚、速く走り、軽やかな身のこなしを利用して、狩
りと見張り、水の確保、また闇夜での行動も可能とした。
ヨシたち一族は、果てしなく広がる海を見て呆然と立ち尽くしていた。
今までに嗅いだことのないにおい、口に含んだ水は岩塩と似た味がした。
追い求めてきた太陽は、海のかなたにある。
海からの強い風がからだを舐め、包み込むようにして吹き抜けていった。
「さて・・・だれか風の当たらぬ所を探して来い。当分ここにとどまることになろう」
ヨシが指示を与えると、数人の男たちが四方に散った。ムキもイヌを連れて駆けた。
残った者たちは、音を立てて押し寄せては引いていく、塩味のする水を持つ池とはど
ういうものかを調べて回った。
彼女たちの立つ位置は砂の上である。少し歩けば、岩山にぶつかって白く砕け散る波
が見えた。
「このような塩水の中に、生き物はいるのだろうか・・・」
「ヨシ、これ見て、ほらかたつむり」
「これはシジミに似ているよ、だいぶ大きいけど」
「見て見て、魚がいる!」
膝まで水の中に浸かっていたヨシカが叫んだ。
「どうやら食べ物はいっぱいありそうだ」
海から丘をひとつ回ったところに草原を見つけて、遅れてやって来るはずのいくつか
の族を待つことにした。
あくまでも太陽を手に入れるために、朝陽の昇る方角に向かって氷の大地を行く族と、
安定した生活を求めて、大きな木や草が茂っているのが見えている方角へ向かう族とに
分かれた。
ヨシが率いるヌ族とネオが婿入りしたノン族は安定した生活を求めて南に、ヨシの婿
ムオがいたイ族は太陽を求めて旅を続けることにして北へと向かうため、ここで別れた。
岩手県宮古市のあたりである。
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3部作の第1部です。 | ||
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